世界はおさとうでできている








 取り敢えずアンジュに報告してそれから、日常生活をどう過ごそうか。試してみたがこの小ささでは船の自動扉は全く反応してくれず、移動するだけでも困難になりそうだ。飛空艇という特性上ドアで細かく区切られているので、これでは日常を一人で済ませるにはほぼ不可能だろう。となると、誰の手を借りるかという問題になってくる。
 ユーリが真っ先に思いついたのは当然ながらフレンだ。あの親友に頼めば大抵の事はなんとかなるし、どうにもならなくても諦める事は無いと知っているのでまぁ悪い結果にはならないだろう。
 しかし同時に責任感を背負い込みやすい親友に何でもかんでも頼るというのも悪い気がしている。
 彼は今本国からの命令でエステルを追い船に来て、その上でエステルの頼みで護衛を続けている最中。命令とお願いの板挟みでクソ真面目に悩んでいるのに、ギルドという生活は忙しく同時に世界滅亡の大問題まで抱えている。
 ここまでくれば本国からだって護衛兼世界平和に尽くせと言うだろうけれど、あの石頭揃いの騎士団上層部にそんな気の利いた人間がはたしていただろうか。
 取り敢えずフレンに頼むのは最後の手段として、今は自分で出来る範囲で行動してみようとユーリは決めた。機械は反応してくれないが、バンエルティア号は人の行き来が多いので誰かに便乗して乗り継いでいけばなんとかなるだろう。
 それに小ささで言えばロックスの半分ではあるが、逆に言えばもう半分プラスすれば自動ドアは反応してくれるという事。何か適当に見繕い錘でも用意すれば案外すんなり開くかもしれない。日中ずっと錘を持って生活するのは多少骨だがこの際背に腹は代えられないのだ。
 ナナリーに自室まで届けてもらい、ふーむとユーリは周囲を見渡す。高さが変われば視界が変わるのは当然とはいえ、流石に数倍の違いとなると違和感は激しい。普段何気なく見ているテーブル、ソファ、ベッド……そのどれもが恐ろしい程巨大でまるで山岳のようだ。
 今ソファの上に立っているが、元の身長からすれば膝程度の高さでも、今では二・三階の建物の上に立っているように感じる。
 今日程自分が高所恐怖症でなくて良かったと感謝した日は無い。が、普通こんな風に感謝する事なんてあり得ないだろうに、やっぱり自分の不運を呪い直した。

「にしても、服が無いのは問題だな」

 ハロルドの薬は見事にユーリの体だけを小さくして、服も剣も使い物にならなくしてくれた。今の所ロックスの服を手直しして着ているが、急遽作成したので袖が余り気味でぶかぶかしている。
 かなり不格好で動き難いがこれ以外無いのだし、ロックスが専用サイズの服を作ってくれるらしいので今は我慢だ。あの執事は本当に器用である。
 他生活に必要な施設、トイレだとか風呂だとかベッドだとか。ハロルドがまっかせなさ〜い! と笑顔で言うので信頼半分疑惑半分である。一応ナナリーが見ていてくれるらしいので、そう変な物は作らないと思うのだが……ハロルドなので何かのギミックが仕掛けられているのは覚悟しておこう。

「ユーリ! アンジュさんから大変な事になっていると聞いて私急いで戻って来たんですけど……きゃあ! ユーリとっても可愛いです!」
「うっ……でかい声って結構衝撃来るな」

 ばたばたばた、と騒がしいのに軽やかな足音がドアの開閉と共にやってきて現れたのは頬を紅潮させたエステル。しょっぱなやたらと興奮しているが、サイズダウンしたユーリを見てもっと興奮し出して何やら危険だ。
 妙に瞳をキラキラさせて、滑り込みながらソファ前に座り込んだ。

「わぁ、とっても小さいです! 絵本で読んだ親指サイズのお姫様みたいです!」
「お姫様は勘弁してくれ」
「ユーリ、これから大変ですよね? 移動だって一人じゃ出来ませんし。あの、良かったら私にお世話をさせてくれませんか?」
「エステルにか? そうだな……」

 やたらと張り切っているエステルに頼むのは少々怖い気もする。それにエステルがやれば結局の所フレンが出てくるのは目に見えているし、年下の異性という事もありあまり気が進まない。だが、こう目の前でやる気満々の顔をされると断り難いのも事実だ。
 まぁいざとなれば一人でもなんとかなるだろうしいいか。と、この時のユーリは割合軽い気持ちでOKした。するとエステルは喜び飛び上がって踊りだし、両拳をぐっと握り締めて任せてください! と近くで言うものでユーリは風圧で転げそうになった。

「あっごめんなさい! これから気をつけます」
「小さくなっちまった分すぐ風に煽られるもんでな。ま、オレも気を付けるからそんな気にすんな」
「はい! それじゃあまずは服ですよね! あの、私丁度良い物を持っていて、是非ユーリに着てもらいたいんです!」
「服って言ってもこんだけ小さくなっちまうと着れる服なんて手作りするしかないだろ」

 ニコニコと、それはもう純朴な青年に向かって浴びせられるならば一発で心を掴んでしまうような素晴らしいスマイルでエステルは言い、自分の荷物の箱を持ちだして来た。
 本国からギルドの在籍許可が出た後、私物を送ってもらった物なのだと聞いた覚えはあるが、何が入っているかはプライバシーなので知らない。
 丁度良い、と言うがユーリのサイズは15センチ程になっているのだ、服としてそんなサイズの物があるはずもない。
 と、そこでゾワリと嫌な予感が背中に走った。戦闘以外でも、ユーリの嫌な予感というのは案外当たる。今回ハロルドの薬を迂闊にも食べてしまった時は役立たずではあったが、嗜好が本能を凌駕したのでしょうがない。

「これです!」
「……おい、それって思いっきりドレスじゃねーか。人形の」
「はい! これ、私が小さい頃から大切にしている人形のドレスなんです!」
「いや、なんです、じゃねーだろ」

 振り返ったエステルが自慢気に見せた丁度良い服とやらは、ふりっふりフリルでパールピンクのドレスだった。エステルが嬉しそうに言うように、人形のドレスである。
 確かにサイズ的にはピッタリかもしれない。これだけ縮めば男性用女性用の差など微々たるもの、恐らく着てみれば今着ているロックスの服よりもジャストフィットするだろう。勿論、本人のプライドはそこには存在しない。

「あ、やっぱりドレスだと派手です?」
「派手だとかそーいう問題じゃねーが、とりあえず着たくはねぇな」
「そうですよね、これだとちょっと動き難いかもしれません。じゃあこっちはどうです? 濃紺のクラシックドレスです! これならユーリの髪色にもピッタリで!」
「待て待て待て! 色の問題じゃねーだろ!」
「え? あっ、そうですよね私ってば……すみません」
「いや分かってくれりゃそれで良いけどよ……とりあえずその人形の服は仕舞ってくれねーか」
「ユーリはミニスカート派なんですよね確か! 膝上のタイトスカートがお着替え用であったはずなので、ちょっと待ってください!」
「ちょっと待て誰が言ったんだそんな事! じゃなくってだなぁおいエステル!」

 テンションの振り切ったエステルは荷物からあれやこれやと引っ張り出し、一体どれだけ持ち込んだのか幾つもの人形の服が並べられていく。瞳を見れば暴走特急状態、本気でこのドレス達がユーリに似合うと信じている。これはやばい、色々な意味で。
 並べられた服は正に女の子の夢が詰まった服、といった物ばかりでユーリが着れそうな服は一着も無かった。いやサイズ的に袖は通るだろうがそういう問題ではないのだ。誰に吹きこまれたのか恐ろしい程丈の短いスカートも出てきて、ユーリは身の危険を感じ始める。
 当然これを着るつもりはない。が、ここにジュディスやレイヴンが登場すれば面白がってエステルを援護するだろう。勿論それでもユーリは着る気は一切湧かない。
 が、最終的にエステルがしょんぼりしながら引いて、受け入れないユーリが悪いという空気になったりするのだ。唯でさえ小人になるという災難に見舞われているのに、何故そんな罪悪感も抱かねばならないのか。
 この場の正解は、取り敢えず逃げる一択。ユーリは即座にそう判断してぴょんとソファから飛び降りた。

「ねぇちょっと、アンジュから聞いたけど……ってわっ! ユーリッ!?」
「リタ、ナイス!」

 確かにアンジュに話したが話が広まるのが速過ぎである。タイミング良くドアが開いてリタが顔を出し、ユーリを見て驚きの声を上げた。その隙に、リタの足の間を通り抜けてユーリは颯爽と部屋を出る事に成功したのだった。流石に真上を覗くなんて事はしない。
 後方から騒がしい声が響くが今は無視だ。だが小人となったユーリにとって今の廊下は驚く程広く遠く、果てしない。普段歩いて数十歩程度の距離だというのに、エントランスに出るドアの地面が見えない程遠かった。
 全力疾走しても縮まった気は全くせず、誰かの助けが無くてもなんとかなるだろうという気楽な読みは全く当てにならない事を思い知らされる。体が縮む、というのは予想以上に困難だ。
 これが小動物、ロックスの見ている風景なのだろう。今後は働き者の彼をもっと労ろうと決意を固くするのだった。
 それはともかくとして、ようやくゴールの扉に辿り着いた時にはユーリの息は切れ気味だ。戦闘状態ならばコントロール出来るペースも、この慣れないパースに混乱して無茶苦茶になっている。もしエステルが追い掛けてくるとすれば、きっと数歩足らずで追い付かれると思えば特に。
 後ろを振り返るがピンクの巨人はやってくる気配が無い。リタが部屋に訪れたので話し込んでいるのかもしれないのだが、ぞくりと背筋に冷たいものが走ったので大方あの人形の服を見繕っているのではないか。とんだ迷惑である。
 早く離れて、誰か別の人間に頼ろう。たった廊下一本走っただけでこの小人生活の苦労の端を垣間見てしまったユーリは考えを改める。
 何しろ移動が大変なのは元より、立った時の人間の大きさはギガント種の魔物相当の迫力だ。勿論気が付く人間は気を付けるだろうが、子供の多いこの船ではやはり踏み潰される危険性が多い。
 今の小さな体では青年に満たない体重であっても十分ぺしゃんこになるだろう。流石にそんな最期は遠慮したいものだ。

「クソッ、やっぱり開かねーか」

 自動ドア前に立つが、当然ながらセンサーはピクリとも動かない。しかしモフモフ族はちゃんと船内を移動しているし、クィッキーだって時折メルディの側を離れて遠くまで散歩しているのだ。どこか反応する場所があるはず。
 じっと観察するが、今の身長から見上げる自動ドアは余りにも高く先が掠れて見える程。こんな事ならば普段もっと周囲を見ておけば良かったか。
 なんとか手がかりは無いかとウロチョロしている所に突然、ガーッと扉が開いてユーリは驚く。普段ならば何とも無いのだが、開いた風圧でこれまた体が吹き飛ばされそうになってしまった。
 転んで倒れそうになる寸前、聞き慣れた胡散臭い声と共にちょいっと背中を掴まれ、ぐおぉっと猛スピードで持ち上げられる。一気に高い位置まで移動した為、ユーリの頭はキーンと耳鳴りが響きグロッキー寸前だ。

「おんやおや〜青年ってば随分可愛くなっちゃってまぁ。あ、これじゃ青年じゃなくてちびっ子? ミニマムサイズなだけに!」
「おいもっと優しく扱えっての……」
「あららごめんなさいね」

 胡散臭さ筆頭レイヴンは巨人になっても胡散臭い笑顔を振りまいている。労りの欠片も見えない雑さで手の平に乗せ、ニヤニヤと完全に面白がっているのが顔に出ていた。
 まぁこの男がそんな反応をするのは分かりきっていた事なので、今更ユーリは気にならない。取り敢えず今は丁度良い乗り物がやってきた幸運に感謝して、目一杯こき使わせてもらおう。

「おっさん良い所に来たな、このまま暫く肩貸しててくれよ」
「あらら、おっさんもついにマスコット所持者になるのね、こりゃ女の子にモテモテになりそう」
「いやそれは無いな」
「そんなハッキリ言わなくてもいいじゃない! もっと自分のポテンシャルを信じていこうよ? 元々ユーリは女の子にモテモテなんだから、小さくなってもモテモテよ!」
「なんか問題がズレてねーか?」

 奇妙な熱弁を振る舞うレイヴンに少々呆れるも、普段通り無視してユーリは落ち着きやすい位置を探してレイヴンの肩をウロチョロする。この男、案外姿勢が良く動きにブレが無いので肩に留まるのは然程難しくは無い。

「それにしても青年はほーんと、次から次へと厄介事に好かれて大変だねぇ。おっさんは女の子にチヤホヤされるのは大歓迎だけど、体が小さくなるのは御免だわ。どうせ小さくなるなら子供になった方が良かったんじゃないの?」
「まぁ人間サイズでいた方がまだマシだったのは確かだな」
「いやいや、子供ならホラ、温泉で女湯に入れるじゃない」
「もしおっさんがガキになったらオレが風呂にいれてやるよ」
「え……ユーリってばそーいう趣味の人だったの……? ま、まぁ嗜好は人それぞれだけどさ、年端もいかない子供にイタズラするのはおっさんどーかと思うなぁ」
「お前らはいったいオレをどういう目で見てるんだ」

 エステルといいレイヴンといい、何か大変不名誉な疑惑を抱かれているようで大変遺憾の意である。早急に噂の出処を確かめて対処したいが、如何せんこの体では船の端から端へと移動するだけで長期の仕事になりそうなのだ。
 普段ならば下らない会話はさっさと切り上げてどこか行く選択肢を取れるが、あいにく今は乗り物に付き合わないとどこにも行けない状態。ダラダラと横から流れてくるレイヴンの話を適当に放置してユーリは肩に座り込んだ。
 が、突然ガクッと肩が下がり転げ落ちそうな所を慌てて服の裾を掴む。どうやらレイヴンがわざと肩を下げたようで、胡乱な目で見ればこれまたニヤニヤと面白そうな表情。

「おっさんの肩を馬車代わりにしてるんだからもーちょっと聞いてくれたっていいじゃないのさ」
「へいへい、悪うございました」

 可哀想ぶって言うがその目は笑ったままなので全く同情する気にならない。道化を被っているのは感じているが、何枚も被り過ぎてそれが素になっているのではないか。
 世話になるのだからそれなりに返すつもりではあるが、どうもレイヴンだと不安の方が大きいのはやはりこれは人徳の成せる技だろう。
 調子良く喋っているレイヴンに対し適当に返事をしていると、どうやら外に出るつもりらしい。甲板に上がって海風を受けると少々肌寒い。
 今着ている服はサイズも適当に縫い合わせたものなので防寒という意味でも頼りないのは当然か。それ以上に、少しの風であっという間に体温を奪われそうだ。
 サイズが縮むというのは様々な面で影響を及ぼしているようで、あまり楽観視するのは危険かもしれない。だが詳しく調べるとなるとウィルの眼の色が変わりそうなので正直遠慮したい気持ちもある。

「依頼に行くならオレは降りた方がいいか」
「いやいや、そのままでいーよむしろユーリが来てくんなきゃ始まらないっしょ」
「は? どこ行くんだよ」
「だから、おねーさまのいそうな酒場……アイテテテ髪の毛引っ張らないでハゲる!」
「駄目だな、おっさんだと欲望に正直過ぎて付き合いきれねぇ。チェンジ」
「酷い! おっさんの乙女心が傷付いたわ!」
「おっさんのどこに乙女心があるって? いいからさっさとアンジュの所に戻れっての」
「えーせめて一回だけでも……分かったわかりましたやーめーてー毟らないでっ!」

 ついさっきするなと言った話なのにどうして何の迷いも無くやろうとするのやら。どうせ半分面白がって、という所だろう迷惑な奴だ。元々何かの用事があっての軽口だろう事は読めるが、どうにも面倒が多そうなのでレイヴンの世話になるのは止めておこう。
 髪の毛を手綱代わりに引っ張りエントランスに戻らせ、アンジュのカウンターで降ろしてもらう。察しの良いギルドマスターは二人の様子を見て、女神のようにクスリと笑うだけ。

「レイヴン、今日は買い出し当番でしょ? クレアはもう先に出ちゃったわよ」
「え〜そんな! クレアちゃんみたいな可憐な女の子の一人歩きは危ないでしょ! 待っててね俺様がすぐに行くから!」
「行ってらっしゃい。ウェイグも一緒だから心配無いと思うけれど」

 颯爽と走り出すレイヴンには後半の声が聞こえなかったようだが、別段問題は無いので良いだろう。さてカウンターの上に立つユーリはアンジュに事の次第を伝え、適当な人間を見繕ってもらえないか頼む事にした。

「う〜ん、それは良いんだけど、今みんな依頼で出払ってるのよね」
「最悪フレンに頼むつもりだし、あいつが帰ってくる間だけで構わねぇよ」
「誰も居ない訳じゃないんだけど、ペットの世話に向いてる人材かどうかがねぇ」
「誰がペットだ誰が。どうせ誰かの肩借りなきゃどこにも行けないんだし、ここで待つとするか」
「それは良いけど、ギルドマスターしか見れない重要書類もあるから覗きこんじゃ駄目よ」
「そんな重要書類をここで広げるなっての」

 ユーリの足元に広げられている書類はほぼ依頼のようだが、一部ちらほらと重要の朱印が押されているのも見える。わざわざ読むつもりはないが、偶然でも目に入ってしまえば無駄に気になってしまうだろう。
 そして見たが最後、良いようにこき使われるのが目に見えている。敏腕ギルドマスターの信頼は無駄に厚いのだ。
 そこへフッ、と。気配を消して現れた男が一人。長身で寡黙、静かでニヒルな雰囲気を纏ってリカルドが帰ってきたようだ。アンジュに書類を差し出しながらも視線は机の上のユーリに注がれており、何か考え込んでいるのがその深く刻まれた眉間の皺から窺える。
 が、このギルドでの珍事件にもいい加減慣れたのだろう。今までの経験上黙って立ち去った方が良いと判断したのか、口を開く事なくこの場を去ろうとした。
 そこをグッと、我らがギルドマスターが迫力ある笑顔で引き止める。アンジュがギルドを立ち上げる前からの知り合いらしいのだが、どういった関係なのかは噂話でも聞いた事が無い。ただ、あまりアンジュのお願いを断った場面を見た事が無いという事実が全てなのだろう。

「おかえりなさい、丁度良い所に帰ってきたわね。ちょっと相談なんだけど、暫くの間あなたのポケットにユーリを住まわせてあげられないかしら」
「断る。戦場にペットなんて連れていけるか」
「誰がペットだ誰が」
「大人しくて良い子よ。おトイレも食事も自分でするわ」
「だからそのペット路線を止めろ」
「そういう問題じゃない。……小動物に火薬の爆音はよくないだろうが」

 リカルドは背中を向けながらそう、声だけはニヒルに言って去っていく。近寄りがたいオーラを纏ってはいるが、案外子供や小動物が好きなのかもしれない。
 どちらかと言えば常識的発言なのだが、見た目の二面性というかなんというか。ユーリは少しばかり驚いた。アンジュは笑っていて、それじゃあしょうがないかぁと柔らかい。
 あまり無碍に突っ込むものでもないか、と黙っておく事にした。あまりたらい回しにされるのは嫌なので、結局フレンが帰ってくるまで待つ事にしよう。というかやはり最初からそうすれば良かったのだ。頼るべきは親友である。彼ならば下手な気遣いはする必要もされる必要も無いだろう。

「なんだ、そんな大変な事になっているなら最初から僕に言ってくれれば良かったのに。君は相変わらず変な所で気を遣うんだね」
「オレなりの優しさだったんだが、本人がそう言うならもう遠慮はしない事にしておく」
「はは、どうぞ。肩に乗れる? 鎧だからポケットが無くて不便かな……今度何か用意しておこうか」
「適当にどこか掴むから気にすんな」

 フレンが帰ってきた後、事の次第を話して結局は彼の肩を間借りする事に落ち着いた。金属の鎧は少々滑りやすいが、襟元を掴んでおけば何とかなりそうだ。フレンの動きは静かで振動が少なく、長年の付き合いからか予測がし易いので対処がし易いのもある。
 フレンの言う通り、下手な遠慮などするだけ無駄だったのだ。最初から頼っておけば仲間内で流れる謎な性癖の誤解なんて聞かずに済んだものを。勘違いだとしても、後々戻った時に一体どこからそんな勘違いをしたのかきっちり聞いておいた方が良いかもしれない。

 小人となったユーリの生活は苦難かと思われたが、フレンの肩に住む場合において全くの杞憂となった。やはり頼るべきは長年の友。
 フレンの生真面目な性格がユーリの変化を気遣う事においても上手く働き、元の生活となんら変わりなく送れたのはやはりこの二人だから、に尽きるだろう。
 トイレや風呂などの生活施設も、どこから手配したのかミニチュアハウスのような物を作りそれがそのまま家になって用意された。女性陣からは人形遊び感覚で一時持て囃されたのはいい迷惑だが、一部の機械フェチからも絶えず改装工事を検討されるのはご遠慮願いたい。
 他人事だと思って遊びやがって、とユーリは言いたいがその彼らのフェチズムのおかげで小人生活が何不自由なく送れているのもまた事実。その内馬車や乗り物をミニサイズで作ってきそうな勢いである。
 どんどん豪華になっていく我が家は最早最初の質素な面影は無く、今では取っ手が付いて持ち運び自由、室内は自動で明かりが点灯し水回りも完璧という、通常の生活レベルから見れば貴族以上ではないかと思える程に。いいやこの場合どちらかと言えば発明家の実験施設と言った方がいっそ正しいかもしれない。
 そんなに便利にしてもらっても、中に住むユーリとしてはフレンといれば不自由が無いのだが。このまま放っておけば自分が元に戻る頃には、家なのに自力歩行か空中遊泳しそうではある。だがまぁ、世話になっているのは間違いないのだし、と黙っておく事にした。
 そんな快適自由な生活がまさか呆気無く破綻するとは、この時のユーリはまだ想像すらしていなかったのだ。
 悲劇は思うよりも早く、フレンの肩で過ごして一週間頃だ。その日のフレンは掃除当番で、バンエルティア号のシャワー室に来ていた。場には同じ当番なのだろう、アスベルとソフィが。
 フレン隊で集まっているのはアンジュの策略なのだろうか、それとも馴染みの顔で集まるようにとの考慮なのかもしれない。正直掃除に燃えている時のフレンはちょっとばかり面倒臭いとユーリですら思わなくもないのだから。

「今日こそ、フレン隊の誇りに賭けてこの永きに渡る戦いの終止符を打とう!」
「はい、フレン団長!」
「うん、がんばろう」

 瞳に闘志を燃やして既に準備完了なフレンは、普段の鎧と盾をエプロンとブラシに持ち替えて隙のない掃除スタイル。
 アスベルも姿勢を正し、シャワー室の中で生真面目な敬礼を。今この場において自分が小人であって、ある意味良かったのかもしれない。
 このメンバーではどう考えてもツッコミ役が足りていないじゃないか。生真面目な天然は基本的に無敵なので、出来れば遠くから見守るだけにしておきたいパターンだ。
 フレンはしっかり二重にしたゴム手袋でそっとユーリを下ろし、シャワー室の入り口まで運ぶ。そこには様々な種類の洗剤がやたらと並んでおり、こんなに混ぜて大丈夫なのか? と別の心配が生まれてきた。

「ごめんユーリ、今日使う洗剤はハロルドさんに特別に調合してもらった物ばかりで、人体に影響は無いって言っていたけど体の小さくなった君にどんな影響が出るか分からない。少し暇になってしまうかもしれないけど、終わるまで待っていてくれないか?」
「ハロルド特製か……そりゃ出来れば離れてたいからお言葉に甘えようかね」

 パッと見怪しげな色が並んでいたのでそうではないかと薄々思っていたが、やはり彼女の特別製となるとどんな事になるやら。実際そのお蔭で現在小人になっているのだから、体も拒否反応を起こすというものだ。
 待っていても暇なので別の場所に移動しても良いのだが、経験上下手に一人で居るとどこからともなく悪ガキ達が集まって人をオモチャにしようとしてくるので大人しくこの場で待つ事にした。
 どうせドアも開けられないし移動の道のりは遠い、掃除スタイルでゴム長靴装備のフレンに食堂まで運ばせるのも悪い気がする。こんな時武器が手元にないと暇すら潰せないな、とちょっとばかりユーリは手持ち無沙汰になるのであった。
 三人が掃除を始めて暫く。当然見ているだけでも飽きてきて、ユーリはぷらぷらと周囲を歩き始める。洗剤は近寄りたくないので自然とシャワー室内へという事になるが、フレン達はそれはもう必死に掃除をしているので邪魔する訳にもいかない。
 フレンとアスベルは魔物と戦っているんじゃないかと思えるくらい真剣に、ブラシと洗剤を交互に振りかざしもう十分なんじゃないのか? と思えるようなタイルをゴシゴシと掃除している。
 対してソフィは床に這いつくばり、タイルの網目をひとつずつ馬鹿丁寧に見ているようだ。

「いいかいソフィ、カビは根を張ってからじゃ遅いんだ。もしちょっとでも黒い部分を見つけたらすぐにでも報告してくれるかい」
「うん、分かった」

 お掃除団長のありがたいお言葉に、真面目に良い子の返事をするソフィ。これが船の悪ガキ連中ならばすぐにでも破綻しているだろう。被害を出さないというか、これ程相応しい適材適所はそう無いなと思えた。
 そんな様子を眺めていても、やはり暇なのは変わらない。このサイズになってからはシャワーの粒にすら押し潰されそうになるので避けていたが、今ならば大丈夫だろうとユーリはシャワー室のタイルに足を着けた。
 タイル一枚で今のユーリの倍はある大きさだ、見飽きた光景だった物がこんなにも顔を変えると中々に恐怖である。
 フレンの肩を間借りするようになってからは大分慣れたが、見上げて天井が薄っすらぼやける光景というものはやはり恐ろしいかもしれない。
 そして床の光景も、小さくなるとホコリだって気になるようになった。人間サイズからすれば小さな粒だが、小人のユーリにとっては自分と同じ大きさのゴミが突然襲ってくるのだから警戒もする。
 こうなると普段掃除はあまり気にしない派だったのだが、今では口うるさいくらい丁寧なフレンの気質が助けになっていた。
 不便ばかりだと思っていた小人サイズだが、その分小さな部分にも目が行く。先程フレンが言っていたように歩いて探せば、それこそ蟻の子レベルの汚れだってピカピカになるのではないだろうか。
 借りっぱなしもなんだし、とユーリはフレンの為に汚れを探そうとシャワー室をトコトコ歩き出す。タイルが濡れている場所は危険だが、目で分かるならば避ければ問題無い。そう思ってまずは端から行くかな、と足を動かした瞬間だった。
 ソフィの張り切った、あの悪気無く純粋で天然な声が、タイル張りのシャワー室いっぱいに響いたのは。

「あ、そこ! 黒いのが動いてる!」
「なんだってまさか虫がっ!?」
「どくんだソフィ! 絶対に逃がす訳にはいかないっ! 光竜ッ滅牙槍ッッ!!」

 そう吠えながらフレンは手に持っていた洗剤を思いっきり、容赦無く、ものの見事に、ユーリに全弾命中させた。それはまさしく悲劇だった。天然と真面目が絡みあった、避ける事の出来ないデスティニー。
 流石ハロルド特製洗剤といった所か、人体には影響の無い優しい泡はユーリの全体を隙間なく包み込み、呼吸困難を引き起こしていた。一体どんな薬品なのか、フワーッと意識が朦朧としてきて抵抗すら出来ない。成程効果は抜群だ。

「だ、団長違います! ユーリですよ!」
「ええっ!? 大変だすぐに泡を流さないと!」
「水だよね? えいっ」
「ああっ! ユーリが泡と一緒に流されていく!」
「駄目だ今排水口は掃除中でカバーを外して……あああ流されるユーリしっかりしてくれ!」

 次いでソフィの真心が炸裂し、桶から放出される水流で呆気無く流されたユーリはそのまま運悪く開いていた排水口にタイダルウェーブでホールインワンする事になった。バンエルティア号の排水はタンクに貯めておくのだが、行き着く先は底なし湖のようなもの。
 あわやぷかりと死んだ魚のように浮かぶのが先か、はたまた救出が間に合うのが先か。謎の痺れが回ってきて考えられなくなっていたユーリには分からない事だった。






  


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