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 がばりと跳ね起き、シーツを思いっきり吹き飛ばす。ドクドクと全身が心臓になったように鼓動が響き、滲む汗が気持ち悪い。目の焦点は周囲の輪郭がぼやけて見えるが、次第にきちんと収束する。ぎゅっと無意識に握ったシーツ。見てみれば震えている。止まれ、と命令しても簡単には止まってくれなかった。
 すぅ、はぁ……と深呼吸して落ち着けばようやく目が覚めた事を知る。ここはあの崖じゃない。今にも落ちそうなふたりなんて、どこにも居ないんだ。良かった、と一息吐いてルークは頭をぐしゃりと掻く。
 なんて夢だ。今まで見た中では最悪の部類に入るだろうあんな夢、どこが心地良い目覚めなのか。だが眠りに入る前の精神状態、そしてあの夢の中の出来事を考えると、あれは自分のせいのような気がする。
 だってあんなピンポイントなシチュエーション、あったりするのか? 他のルーク達がまさかあんな場面に出会ったとは思えない。もしもオールドラントのルークの出来事ならば、本人があの場に居なければ意味が無いだろう。だからどう考えても、あれはルミナシアのルークの夢だった。
 そうだ、あそこは夢の中。日記があってそれが他の誰かと交換出来るという事自体がおかしいんじゃないか。連続した夢なんて聞いた事が無い。あれは……ただの、夢なんだ。オールドラントのルーク達の存在なんてどこにもない、ただの自分の願望が混ざった、夢。
 今迷っている自分が、彼らと再会して悩みを打ち明けたいと望んだものを形にした、都合の良い夢に違いないのだ。もしかしてそれが夢の実の効果なのかもしれない。だから変に嫉妬したり妬んだり、心配する事なんて無意味だった。きっとあの崖にぶら下がった人間だって、ただの……。

「……夢、だよな」

 自分の口から出た言葉はどうにも、払拭するには弱い響き。この場にガイやティアが居れば、そんなものただの夢だとはっきり言ってくれるに違いない。探して室内を見ると、誰も居なかった。そんな馬鹿な? と時計を見れば……なんと、今日は寝坊の中の寝坊だ。船内の起床時刻よりももっと遅く起きる、普段よりも1時間遅い。ガイ達は呆れて先に出てしまったのだろうか、起こしてくれれば良いのに。
 というか、こんな時間ならばユーリが迎えに来てもおかしくないのにどうしたのだろう。もしかして、と夢を思い出してルークは落ち着かなくなる。馬鹿を言え、あれは夢だ。現実世界に影響をもたらす訳がないじゃないか。そう自分に言い聞かせても、心臓はドキドキと落ち着かなくてどんどん騒がしくなる。
 これではキリがない。さっさと起きて確かめに行った方が良い。ルークは急いで起き上がり、ちょっとだけ慣れた身支度をいそいそと進めた。

 部屋を出て廊下に立つと、当然ながら静かだ。昨日は医務室に行き来する人間でうっとおしいな、と思っていたのに。1時間ずれるだけでこんなにも違うなんて不思議なものだ、とルークは少しだけ歩く。
 目的は彼らの姿を確認する事。ほんの一目見ればいいので、さっさと行動に移そう。時間的にもう出てしまっているかもしれないが、依頼や当番ならばアンジュが把握しているはずだ。まず手始めに、一番近い所から。そう考えてルークはブザーも押さずに隣部屋を開けた。

「あらルーク、どうしましたの?」
「ナタリア……まだ居たのか、珍しいな」
「今日は洗濯当番でしたの。先ほど沢山のシーツを甲板に干してきましたのよ、とても気持ちの良いお天気でしたわ」
「そうか……。あのよ、アッシュは? もう外出ちまったのか?」
「ええ、今日はティトレイ達と依頼だそうですわ。なんでも彼がとても美味しいキノコ料理をごちそうしてくれるらしくて、その材料を採りに行くんですって」
「へぇ、あいつがティトレイと? なんかすっげー合わなさそうじゃね」
「ふふ、そうですわね。でも案外楽しそうにしていますのよ」
「マジかよ、全然想像出来ねーぞ」

 彼らは揃って活発で活動的なので、もうとっくに船を出ているのかと思っていた。運が良いのかすぐにナタリアの姿を見る事が出来て、ルークは無駄な疲労を感じてよろよろと部屋に入りベッドに転がり込む。室内を見渡せば他には誰もおらず、ぽつんとナタリアがベッドで本を読んでいるだけ。
 何時も精力的に動いている印象があるので、珍しいなと思いルークは聞いてみた。

「お前、今日はどっこも予定無いのか? なんか珍しいな」
「そうかしら? わたくしだって偶には静かに読書で一日を潰す事だってありますわ」
「でもよー国に居た頃はいっつもなんかやってたじゃねーか。ボランティアだの施設訪問だのって」
「わたくしが動く事によって上手く行く事があるのなら、わたくしが動いて当然です。でも今はギルド員として働き、将来民の為に役立つ知識をここで培うのもまた、わたくしが今出来る事だと思いますの」
「ふーん、相変わらずかってーやつ」
「ルーク、土足でベッドに上がるなんて行儀が悪いからよしなさい。それにそこはアッシュのベッドですのよ、知られたら怒られましてよ」
「あいつのベッドならますます俺が汚してもいいじゃねーか」
「また喧嘩してもわたくし知りませんからね」
「あれは喧嘩じゃねーよ、アッシュがひとりで怒ってるだけだっつーの」
「後でガイに慰めてもらっている人が言う言葉ではありませんわ」
「慰めてもらってなんかねーよ! いい加減な事言ってんじゃねー」

 ゴロゴロと寝転んで、久し振りに穏やかな世間話をする。国に居た頃はお互い親の決めた婚約者であったものだから、会いに来たと言ってよくお茶会をしたものだ。そこにはナタリアの本当のお目当てであるアッシュは殆ど同席しなかった。けれどナタリアは毎回、3人分の手土産を持って訪問するのだ。
 ルークにとってナタリアは大事な存在だった。婚約者という枠組みではなく、家族という意味合いで。自分との間に恋があった記憶はちっともなくて、むしろ顔を合わせる前の方が恋心はあったんじゃないかと思う程。それくらい、ナタリアとアッシュが一緒の姿はルークにとってしっくりきている。
 ユーリやミアリヒに自分以外を優先する存在を不満に思っておきながら、ルーク自身もこの通り。それが分かっているからユーリやミアリヒに不満を抱いたとして口に出せるはずもない。正直に言えばユーリとミアリヒよりも、アッシュとナタリアの方が優先順位は高い。高い、という言い方は変か。訂正するとして、大事なのだ。
 自分が生きてきてずっと傍にあった風景のように当たり前のものを、できればこの先も見ていたい傍に置いておきたいという気持ち。自分は成長して変化していくけれど、大事な物や人達はずっとずっと変わらずそのままでいて欲しいという願望。両親がいて、アッシュは口うるさくて、暇な時はガイが窓からやって来て、時々ナタリアが訪ねてお茶を飲みに来る。
 そんな安全で優しい永遠の世界なんて有り得ないと分かっている。でもそんな事になれば良いなと思ってしまうくらいには、ルークは自分の周囲が好きだ。修行の旅に出てアドリビトムに来る前はそんな事ちっとも思っていなかったのに、暁の従者によるテロとラザリスの世界侵食、終わりに近付いて見えてきた変化、それらを経てそう思うようになっていた。
 変わる事を恐れているのかもしれない。同じなのに違い過ぎるオールドラントのルークを見て、何かが変わってしまうのが。けれど同時に羨ましいと思う心も捨てきれない。子供のままでいたい、でも大人になりたい、そんな二律背反が己を雁字搦めにしている。
 もしかして自分がふたりを大事に思っているのは、変わりたくない自分の為に必要だからじゃないのかと疑ってしまう。そんな事は無いよな? と思ってしまう自分を振り切る為に、ルークは昨日ミアリヒにした質問をナタリアにも投げかけてみる事にした。

「なぁ例えば、例えばの話だぞ? もしナタリアの目の前でアッシュと俺が今にも崖に落ちそうになってたら、お前どっちを助ける?」
「なんですの突然」
「いいから、ちょっと想像してみろって」
「ルークならともかくアッシュが崖に落ちそうになるなんて考えられませんわ。それにあなたが危険な時にガイが居ないだなんて事もありえませんし」
「なんで俺ならともかくなんだよ! その辺は今は無し、とにかくアッシュか俺かどっちを助けるかって話だっつーの」
「もう、いきなりなんですの?」

 子供の素っ頓狂な質問に頭を悩ませるような表情で、ナタリアは仕方がないなと眉を顰める。有り得ない質問でも、真面目な彼女は真剣に考えて答えてくれるだろう。ナタリアはアッシュが好きなのだから、きっとアッシュを選ぶはず。ルークは個人的にそれで良いと、むしろそう言って欲しいと思っている。

「そうですわねわたくしは……ふたりが落ちないようにバリケードを設置しますわね」
「ちょ、何だよバリケードってよ! ちげーだろ、俺達はもう落ちそうなんだぞ?」
「ですから、誰かが落ちそうな場所でしたら事前に予防策を取るのは当然でしょう? 放置しておけば他の民も落ちてしまいますし、早急に看板とフェンスを立てて立入禁止にした方が良いですわ」
「おいこら話を聞けっつーの。俺は真面目に聞いてるんだぞ」
「わたくしだって真剣に答えてますわよ。ルークとアッシュが落ちるような場所なら、尚更対処した方が良いではありませんか」
「あ〜も〜、ナタリアに聞いた俺が馬鹿だった!」
「まぁ、なんですのその言い草は! ちょっとルーク、ここに座りなさい。大体最近のあなたは少々たるんでいるのではなくて? 今は確かに勉強としてアドリビトムに在籍していますけれど、そもそもわたくし達は国民の為に……ちょっと聞いていますの!?」
「誰が聞くか誰が!」

 突然説教モードに入り始めたナタリアから逃げるべく、ルークは立ち上がり俊敏に部屋を後にした。ああなるとこちらの話なんて聞いてくれやしないので、逃げるが勝ちである。
 聞いた題材が不味かったのか、彼女の真面目過ぎる硬さが原因なのか、結局どちらを選ぶのか分からなかった。しかしふたりを落ちないように、を前提でバリケードと口にしたのならば、あれもある意味ミアリヒと同じように両方を選んだという事になるのだろうか。
 ルークは己の想像力をフル回転させて、もしもナタリアならどちらを選ぶだろうか……考えて、おそらく先程と同じように、両方を選ぶのだろうなと思った。修行の旅に出る前ならばアッシュと答えていたかもしれない。でも今は、なんとなく片方だけは選ばないような気がする。
 ナタリアは変わったのだろうか。一般の生活を覚えて、馴染んで、他者の考え方を知って、手の繋ぎ方を覚えて、もう一年前の考え方とは随分違うのだろう。それは喜ばしい事なのか、それとも……。

 ぼんやり考えごとをしながらエントランスに出れば、なんの偶然かユーリと顔を合わせた。丁度あちらも廊下から出てきた所のようばったり、という言葉がピッタリのように目が合う。ルークはなんと言おうか一瞬戸惑った。

「よぉルーク。早起きは昨日だけだったみたいだな」
「あ、えーと……なんだよ、別にいーだろ。お前だって、部屋に来なかったじゃねーか」
「悪い、ちょっとミアリヒが喧嘩を売ってくるから買ってた」
「またかよ……」

 まぁそんな事だろうとは思ったが。しかし今日はその事が妙に気に入らない、あの夢の庭園のせいなのか、それともあんな夢を見る自分のせいなのか。どうにも収まらない苛つきが歪む眉に出て、ルークはユーリの隣をすり抜けようとした。だが通り抜ける前に肩を止められる。
 一瞬、出会った頃のように跳ね除けようかと思ったがさらりと触れてくる手の暖かさに動きを止めた。エントランスホール、依頼を管理しているアンジュに背中を向けて見えない位置で手を握られる。引っ込めようとしたが、思った以上にしっかりと掴まれて離れない。
 離せよ、と言おうとしたが口元が歪む。上手く動かない自分の体に戸惑ってユーリの顔を見れば、呆れたように笑っていた。

「お坊ちゃまはストレスが溜まっていらっしゃるようで。今日はいっちょ大暴れ出来る依頼でも取るか」
「ストレスとか、そんなんじゃねーし。……でも、なんかすげー体動かしたい気分」

 思いっきり体を動かして暴れて、嫌な事も全部捨ててしまえれば良いのに。そんな願望を吐き捨てて、ルークは恨めしげに睨め上げた。お前が全部悪いんだ、という恨み辛みを思いっきり込めるのに、相手はそれをロクに受け取ってくれやしない。
 返ってきたのは手の平で、ガシガシと乱暴に頭を撫でて去っていく。こちらが怒る前にさっと撫でてさっと逃げるのだ、卑怯な奴め。でもそのさり気なさがルークはいつも嬉しい。ユーリはずるい奴だ、と穴が空きそうな程強く見つめた。


「頑張ってくださいルーク。バリアー! シャープネス! ファーストエイドファーストエイドもいっちょファーストエイド!」
「おい、俺はもう良いからユーリを回復しろよなドジりそうになってるだろうが!」
「ほんっと、あからさま過ぎて笑いも出ねぇな」
「回復術なら私も使えるから……ヒール! ねぇミアリヒ、ちゃんとユーリにも回復してあげなきゃ駄目だよ」
「すみませんカノンノ……つい正直な体が心のままに動くんです」
「謝るのはカノンノにじゃなくてオレにだと思うんですけどねぇ」
「ったく、無理やり付いて来たんだから働けってーの!」

 ザシュ! と剣を奮えば残っていた魔物も全て片付いた。ルークは傷ひとつ無い自分の体と、やけにズタボロなユーリを見比べて呆れる。
 ふたりで依頼に出ようとした時、これもまたどんなタイミングの良さなのかミアリヒに見つかってしまい、あれこれ謎のイチャモンと言いがかりでくっついてきたのだ。別に依頼を一緒に行く事自体はルークも構わない、ほんの少しだけ残念だったがまた機会があるだろう。しかしユーリとミアリヒのバトルは、依頼での戦闘時でもお構いなしに始まるのだから同メンバーとしては迷惑極まりない。
 ミアリヒが前衛職の時ならばスタンドプレーから生じるチームワークで恐ろしい程の殲滅速度を叩き出すのだが、今回はパーティの柱を担う僧侶だったのが問題だ。ルークとカノンノには手厚い援護を、ユーリにはギリギリ死なない程度にファーストエイドを。
 元々俊敏な動きで敵を翻弄しながら躱すのがユーリの戦闘スタイルだった事もあり、目に見えて援護が行き渡らなくとも戦闘自体には支障が無かった。幸か不幸か、そのせいで陰湿なるイジメにルーク達が気が付くのが遅れてしまったが。

「こいつ、オレの動きと体力を完全に見抜いてギリッギリ倒れない分だけ回復してやがった」
「ふふふ……伊達に毎日ユーリと剣を合わせていませんよ。ユーリのクセやフェイクを入れるタイミングなんて、もうばっちり分かってるんですからね」
「……やっぱこいつら仲良いな」
「仲良しって言うのかなぁこれ」

 ぎょりぎょりと、剣と杖がかち合う不協和音が響き渡る。放っておけばこのまま第二戦に突入してしまいそうだが、いっその事好きにやらせてもいいんじゃないかという気になってきた。
 相も変わらず喧嘩ばかり仲の良いふたりに呆れるが、朝に抱えていたモヤはルークの中でかなり昇華されていた。なんだかんだとミアリヒのサポートにユーリの合いの手は完璧で楽しい。そこにカノンノの魔法による殲滅も加わり、久し振りに心ゆくまで戦った気がする。
 やはり、こういった事の方が自分には向いているんじゃないのか。アッシュのように政治に関わってペンを執るより。ナタリアのように民の為にと身を粉にして働くよりも。一時の判断だけで簡単に結論を出しそうになる己の頭を振って、ルークは本当に開始されそうなふたりのゴングを無理やりに止めた。

「今日は……船に帰らず、街で一泊しようぜ」
「ええええっルークそれってお泊りですか? お泊り宣言ですよね!? そんな、私今日勝負下着じゃないので……あああ、ちょっと待ってください買ってきますすぐ買ってきますから! 先にシャワー浴びといてください!」
「ガキの妄想もそこまでにしとけよっ!?」
「泊まるって、でもアンジュにもロックスにも言ってないよ? どうしたのルーク」

 ミアリヒの戯言にユーリは頬を引っ張りあげてお仕置きをしている。そんな姿を無視してルークはさくさくと、船ではなく街に向けて歩き出した。後ろから軽い足音で一生懸命追い付いて来たカノンノは、心配そうな瞳と柔らかなピンク色の毛先を揺らす。

「あのね、ミアリヒはいつも今日のルークはここが素敵でしたここが可愛かったですって、嬉しそうに話してくれるんだよ。でも最近は、ずっとルークが元気無くて何か悩んでて、私はどうすればいいだろう……って、相談事ばかりなの」
「あいつ……カノンノに何みっともない事言ってんだよ」
「私はみっともないなんて思った事無いけどなぁ。とってもとっても、ルークの事大好きなんだなぁって分かるもの」
「だから俺は、……悪いけど、答えてやれねぇ」
「うん、それも分かってるよ。ただね、ルークが誰にも言わずに溜め込んでばかりじゃどうしたって心配するに決まってるじゃない。想い合ってないと、心配する事も許されないの?」
「んな事は、ねーけど……。でも」
「心配されるのが嫌なら、心配させないで。もっと私達に頼ってよルーク。私だってミアリヒ程じゃないけど、ルークの事好きだなんだから」

 聞いた事の無いカノンノの強い口調に、ルークは歩みを止めて隣を見た。自分より頭ひとつ分低い、可愛らしい少女はまるで姉のつもりなのか、えへんと胸を張っている。
 自分の周りはどうして、こんなにも強くて逞しい人間ばかりなのだろう。大きな頼もしさを感じて、同時に年下にまでこんな気を遣わせて、と恥ずかしくもある。一回り小さな手が、そっと指先に触れてきて握ってくれた。ユーリの時とは違う暖かさと柔らかさに少しだけ心臓がぎこちないが、振り解こうとは思わない。
 ミアリヒが大好きなだけはある。騒がしいふたりを後ろに置いてきて、ルークの心は童心に戻り素直にそのまま、街が見えてくるまで手を離す事は無かった。

 結局伝書鳩でアンジュに伝言を済ませ、今日は外で一泊する事になった。外での泊りは本当に久し振りで、妙に気分が高揚する。実家の自分の部屋の方が何倍も良い部屋だし、修行の旅の時はここよりも高い部屋に寝泊まりしていた。むしろ一般的な宿屋というものの方が自分には稀であり珍しい。船での微妙な広さにも飽きていたルークは少々ソワソワと、室内に置かれている小物や飲み物をあれこれ無駄に弄くり倒していた。

「おいルーク何時までやってんだ? もう寝る時間だぞ」
「分かってるっつーの。なぁユーリ、なんでこの絵の裏には変なお札みたいなモン貼ってるんだ? ゴミなら剥がしていいか?」
「止めとけ! いいか下手に触るんじゃないぞ、そのまま大人しく元に戻しとけ。……道理で、妙に安いと思ったんだよなココ」

 ユーリが青い顔をして止めるものだから、ルークは手に持った絵を素直に元に戻した。トコトコ歩いてベッドへ顔からダイブする。実家のシーツやバンエルティア号の自分のベッドより少々ゴワゴワするなぁと思ったが、眠くなってきたのは事実なので強引に無視する事にした。
 今日は突然に決めた外泊だ、日記帳を持って来ていないので一日空いてしまうなと自分のした事なのにまるで他人事のようにぼんやり考えてしまう。紙とペンを借りて書いてもいいのだが、なんとなくそんな気になれない。どうにも昨日同様、書く事があっても文字に出来そうになかった。
 現実から持ってきた夢がずっと地続きのように引き継がれているような気がして、朝からの気分は完全には晴れないまま。体を動かしていた間は忘れられても、こうやってベッドに入ればまた思い出して纏わり付いてくる。夢の実は船に置いてきたから、今夜は見るはずもないのに。
 まるで逃げて来たみたいだ、と考えてまさにその通りじゃないかと呆れる。身勝手な嫉妬から逃げて夢の庭園へ、その夢からも逃げて現実へ、そしてカノンノにまで心配かけているとは情けない。
 実家に居た頃は大体の話相手はガイくらいで、他はメイドや騎士が大半なのであちらから話しかけてくる事すら滅多に無い。教育が行き届きすぎているというのも冷たいな、と小うるさい執事長を思い出した。
 誰かに、吐き出せるならばそれが一番良い。でもルークにとってその丁度良い相手が思いつかないのだ。流石にカノンノに言う訳にはいかないし、クレスやロイド達は以ての外。書き捨ててきてしまった夢の庭園、あそこに行くのは少し怖い。また断崖絶壁の風景に出くわすのもそうだし、どんな返事が待っているのやら。
 しかし……猛烈に、生身の彼らに会いたいと、ルークは強く思った。今すぐ隣に落ちてくれば良いのに、と都合のいい妄想を描いていると、ふいに自分のベッドマットが沈む。驚いてすぐ様顔を上げればなんて事はない、隣のベッドを使っていたユーリがこちら側に移動してきただけだった。

「なんだよビックリするじゃねーか」
「いやまぁ、考えるのは良いけど思い詰め過ぎるのも程々にしとけよ、と思ってね」
「思い詰めてなんかねーっての」
「ルークは今までサボってた分を今取り戻そうと必死で詰め込んでんだよな。でもな、ひとりの人間が処理出来る事なんてそんなに多くはねーんだ。素直に周りに頼っとけって」
「お前らって、揃いも揃って……過保護なんだよ馬鹿野郎っ」
「ま、甘やかしてやるのは弱ってる時だけだからな? 今の内に甘えとけよー」
「うぎゃ! おいこら髪がぐちゃぐちゃになるからやめろっつーのっ!」

 普段だってさり気なく甘やかしているくせに、こういう時はもっともっと甘やかしてくるのだからユーリという人間は本当にずるい。ルークは乱暴ながらも優しい扱いに頬が緩み、一時を忘れてその雰囲気に浸った。
 ユーリと恋人という関係になったのは最近だ。なのにこんな風に不思議な気持ちと不思議な関係は、まるでずっと昔から自分に与えられていたもののような気がしてならない。もしかしてそれは形が違うだけで、両親や家族や周囲から、変わらず注がれてきたのかもしれないとふと思った。
 内側に押さえつけた不安よ後もう少しだけ、ほんの少しだけ。つまらない嫉妬や妬みを引き連れないように、大人しくしていて欲しい。自分の心なのにそう強く念じて、ルークはユーリからの優しい気持ちと抱擁を受け取った。
 ……のだが、鍵をかけていたはずの窓ががらっしゃあああん! と大きな音を立てて、酷く冷たい夜の風と共に誰かが転がり込んでくる。誰だと問わずとも、ルークとユーリにはなんとなく分かっていた。何故ならば部屋割りを決めた時に、散々喰らいついて駄々を捏ねて鼻水を垂らしてゴネにゴネまくった救世主様のみっともない姿を知っているからだ。

「ユーリ、私言いましたよね、何度も忠告しましたよね? ツインで部屋を取ったんですからちゃんと別々のベッドで寝なきゃ許さないって言いましたよね! 何男ふたりで迫っ苦しいベッドに集まってるんですか!? はれんちですいかがわしいですルークにナニするつもりだったんですか許される事ではありませんよ!! キイィィ妬ましや恨めしや!」
「あー……お前を今日程うっとおしいと思った日はねぇわ。ちっとマジで、暫く、消えてくんねーかな?」
「ほほほ、その言葉そっくりそのまま返しますよ。昼間に蓄積させた疲労の詰まったその体で、私に敵うと思っている考えが浅はかというもの。私現在僧侶を務めていますが、このユーリが一年で稼ぐ分の金額をかけて合成した撲殺杖でご自分の血の味を思い知らせてあげます!」
「はん。あれがオレの限界だと思ってるんなら、お前はやっぱりまだまだだな。この際だから教えてやるけど、お前は何にでも全力過ぎるんだよ。底の浅さが簡単に見えてるって事だ。ま、生まれて1年のガキじゃ当然っちゃ当然だけどな。だからよ、そのガキの身の丈に合った力量ってものを、オレがみっっっっちり教えてやろうじゃねーか表に出やがれ!」

 珍しく怒りの炎を背負ったユーリが物騒な顔をして、ゆらりニバンボシを手に薄笑いを浮かべている。出会った頃衝突ばかりしていた顔や、デザートを食いっぱぐれた時でも見た事のない顔にルークは慌てた。

「お、おい待てよお前ら! 真夜中に喧嘩なんてするんじゃねーよ!」
「止めないでくださいルーク。これは決闘なんです。愛を奪い合うデュエルマスターズなんです」
「お前の一方的な愛で奪い合いだとか、それこそちゃんちゃらおかしいね。ついでだからそこらへんも教えてやろうか」
「ふん、そうやって余裕ぶっこいていられるのも今の内ですよ。私知ってるんですから。この前デザートバイキングで女性限定スイーツの為に女装して行くかどうしようか丸三日悩んで結局行った事を!」
「なっ……なんでその事を! いやあれはリオンもやるって言ったからしょうがねぇオレも地獄に付き合ってやるかっていう男気の結果だ! 第一それならこっちにだってあるんだぜ。お前ルークの洗濯物をルーティから買ったんだってな。ドン引きされてたぞ」
「えぇ……お前それ、マジ?」
「るるるるるーく違うんです! あれは持ち物から体臭の香水を作り出すっていうのがあって! まぁ普通に詐欺だったんですけど! おのれユーリ! 私の株を下げようだなんて卑怯な……もう許しません!」
「元々お前の株なんて地の底だったんだ、今更二番底三番底だろうが変わりゃしねーさ」

 両名青筋を立てていい感じにブチ切れている様子がよく分かる。これはもうルークでは止められない勢いだ。外とはいえふたりが本気で戦えば何らかの被害が出るのは止らないだろう。建物や自然破壊の修復は当然張本人達にやらせるが、ギルドの名前に傷が付くのはアンジュが許すはずもない。今日は勝手に泊まりを決めた事もあるし、絶対に連帯責任にされるに決まっている。
 せっかく嫌な気分も薄れて落ち着いてきたのに、これでは台無しだ。別の意味でますます船に帰りたくなくなってきた。
 闘いの幕開けに目を血走らせたふたりは漏れる殺気を隠しもせず、ルークを置いて勢い良く部屋を出て行ってしまう。そして宣言通り、数分もしない内に窓の外からぎぃんガァンと鈍い音が真夜中の闇に響き渡った。
 この調子でやっていれば騒音で起き出す人間も出てくるだろう。しかしルークでも止められないのに一般人が止められるはずも無い。だが闘い始めた彼らを止める術などもっと無いのである。
 ルークは考え……諦めて寝る事にした。どうせ今夜は夢の庭園には行けやしない。逃げ場所なんて無いのだから、諦めて腹を括ろう。
 そう、もう一度あの夢の中へと。ついでにいうならばアンジュからのお仕置きからも逃げたいのだが、こちらも同じく無理そうだと覚悟を決める。止みそうにない闘いの音を聞きながらルークは瞼を閉じ、あれくらい強ければなぁと無駄に羨ましくなった。
 以前は自分勝手だの我儘だの我が道を往くだの、好き勝手言われていたのは自分の方だったし自分でもそう思っていたのは確か。俺は俺の好きなようにする、とずっと思っていたのに、変わってしまった自分は良いのやら悪いのやら分からない。
 でもそれを。変化した自分を良かったんだと思えるようになりたいから。だから、逃げてはいけないんだ。グラニデの自分、オールドラントの自分。そっくりそのまま彼らになりたい訳じゃない。自分のままに変わっていく自分を、結構良いじゃないかと褒めてやりたいから。






  


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