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 今日の目覚めは軽く、自然に瞼が開いて朝を感じる。普段は遅くまで眠るわ寝汚く何度も起こされるわと騒がしいのだが、夢の実を食べた翌朝はパッチリと爽やかな目覚めが続いていた。効果を疑っていた所にあの夢だったので忘れていたが、そういえばミアリヒはあれをぐっすり眠れて気分良く起きれるようになると言っていたのだった。

「おはようルーク、今日は珍しく早く起きたなぁ」

 感心したガイの声が挨拶をする。失礼な奴だ、と思いながらも自分でも珍しくきちんと起きれたと思うので黙っておく。ちらりと時計を見ればバンエルティア号基準の標準的な朝の時間で驚いた。ちなみにルークの起床時間は基本的に大体1時間遅れているのが標準だ。
 何も言わずとも勝手にルークの身支度をやってしまうガイを恨めしげに見つめるが、朝に相応しく爽やかに微笑まれて無視された。いい加減子供じゃないのだから自分でやる、と言ってもこれなのだからもう病気なのだろう。ルーク自身も起きたては正直面倒臭さが勝つのでそれに甘えているという自覚があった。アニスにふたり揃って駄目主従、と言われたのには少しばかり傷付いているが。

「ユーリが来る時間にはまだ早いんじゃないのか? どうする?」
「たまにはこっちから行ってやるかな」
「びっくりするんじゃないのか、腰抜かすぞ」
「たかが早く起きただけでなんでそんなに驚かれなきゃなんねーんだよ!」

 ねぼすけルークの為に毎朝ユーリが部屋まで迎えに来てくれるのだが、ほぼ毎回ミアリヒとバッティングするので結局朝の時間はずれ込むのが通例である。おかげでルークの寝坊グセがちっとも直らないし、毎朝エントランスでの喧嘩がバンエルティア号名物になりかけていた。
 どうしたものかと思っていたが、悩まずとも自分が早く起きて行けばいいだけの話。その案が面倒なので無視されていたのもルークの選択ではあるが。
 とりあえずユーリの驚いた顔を見てやろう、とルークは早速部屋を出る事にした。エントランスに出れば依頼に出発するメンバー達で賑わっており騒がしい。ルークが動き出す頃には大体が出払っており、エントランスに留まっているのはユーリとミアリヒの喧嘩をネタに賭け事をしている連中くらいなのが殆ど。1時間違うだけで随分と見える姿が違うんだな、とルークは今更ながら感心した。
 通り過ぎる途中、偶然クレスとミントの背中が見えたので声をかければやはり驚かれてしまう。そんなに自分はねぼすけの印象があるのだろうか? と日頃の行いを少しだけ恥じた。

「やあルークおはよう。どうしたの? 今日は随分と早いんだね」
「おはようございますルークさん」
「おっす、まぁたまにはな。お前らは今から依頼?」
「うん、良かったらルークも一緒に行くかい?」
「今から飯食うからパス」
「あ……そういえばユーリさん、朝から買い物に出かけて行きましたよ?」
「は? なんだよそれ……ってか、なんで俺が飯食うって言ってんのにユーリの名前が出てくんだっつーの!」
「だってルークは何時もユーリと一緒に行動してるじゃないか」
「心配しなくても普段ルークさんが起きられる時間には戻られると思いますよ」
「……そ、そうかよっ」

 確かに基本、ルークはユーリと共に行動している事が多い。多いがそこまで四六時中一緒ではない、別々に行動している時間も同じくらいあるはずなのだが……周囲には何時でも一緒だと思われているようだ。
 恥ずかしくて顔から火が出そうである。慌てたルークは足早に駆けズカズカと廊下に移動した。途中のガルバンゾ部屋の扉をきつく睨み付けて、そのまま食堂へ。ここも当然ルークが訪れる時間と違って大賑わいだ。狭っ苦しく満員に近い状況、来たは良いがどうしようか迷う。何時もはユーリが場所を探すか外食にするか手早く判断する為、席を探すか部屋に戻るかすら悩む。
 そもそも先に食べてしまってはユーリとすれ違うのだが、クレス達に何時も一緒と思われている今だと恥ずかしさが勝つ。しかし残念そうな顔がモヤモヤと浮かんで来て、ルークの胸をちくりと刺した。
 やはり戻って来るのを待った方が良いだろうか。迷う足先を彷徨かせていると、どすんと誰かが背中から抱きついて来た。

「見てくださいカノンノ、私の愛の力がついにルークの幻影を産み出しましたよ。身長体重スリーサイズ体温匂いと完璧過ぎやしませんか? ちょっと自分の才能が怖いです」
「それ幻じゃなくて本物のルークだよ。おはよう、今日は早いんだね。ユーリは一緒じゃないの?」
「うっせーどいつもこいつも、別に何時でもユーリと一緒にいる訳じゃねーっつの。あとミアリヒは離れろよ」
「早起きするルークというのもレアで良いですね! ユーリは私の奸計で遠い土地に飛ばしておきましたから安心してください」
「おっお前マジかよっ!? どこにやったんだよ馬鹿野郎!」
「意地悪言っちゃ駄目だよミアリヒ。ユーリはポッポに頼まれて早朝バザーに行ってるだけだから、安心して」
「おまえぇ〜っ」
「すみません……ライバルを貶めたいという私のピュアで正直な心が勝手に口にしてしまったんです。ユーリなんか放っておいて私達と一緒にご飯食べましょうルーク」
「お前正直に言えばなんでも許されると思ってんじゃねーぞ……」

 ユーリと自分が関係すると、途端にミアリヒは面倒臭くなる。彼女が恋心を告白してくる前はもっと子供のように幼く、真っ直ぐで何にでも一生懸命だったのにそれが今では見る影もない。自分達以外では当然普通だし、依頼人や助けを求める者にはディセンダーの能力と行動力を駆使して救世主に相応しい働きをしているというのに。
 変わってしまったこの関係がとても勿体無いとルークは思った。見方を変えればある意味ミアリヒは前も今も変わっていない、自分に正直で一生懸命、自ら動いて道を切り開いている。だが近すぎるせいなのか、ルークからの視点では彼女が以前よりも俗世に染まったというか、悪い事を覚えてしまったように感じてしまう。
 もしもミアリヒがルークを好きにならず別の誰か好きになったら、いいや特定の誰かを好きになるのではなく、家族のようであるままならば……。そんなかもしれない、を考えて首を振った。

「ルーク、ここにしましょう私の隣に座ってください。さ、さっ!」
「別にどこでもいーけど」
「私、コップ持ってくるね」

 おそらくここは彼女達が普段座っている席なのだろう。あの混雑具合でもここだけは空けられており、新たにルークの為にと席を詰めてもらって無事座る事が出来た。基本的にルーク達の朝食は外食が多いので、なんだか新鮮である。
 パタパタとロックスがやってきて挨拶を、それから皿やナイフにフォークの籠を置いていく。コップを手にカノンノが戻れば、タイミング良くリリスが焼きたてのパンをテーブルの中心に運んで来た。
 ぼうっと見ていれば何時の間にかルークの前にはモーニングプレートが並べられており、隣のミアリヒ達は両手を合わせて丁寧にいただきます、と早速食べ始めている。なんだか目まぐるしいな、とルークもフォークを取った。
 バンエルティア号の朝食を食べるのはこれが初めてではないのだが、時間帯が違うと空気まで違う気がする。普段のルークの朝は大変のんびりとしているので、大勢がゴチャゴチャと賑やかに集まって食べるのは久し振りだ。確か船で生活するようになった始め頃はこれに混ざっていたのだが、人混みや騒がしいのが嫌で自ら起床時間をズラしていくようになったのだった。
 そんな事を思い出しながらもぐもぐと半熟目玉焼きを食べていると、頬にちくちく視線が痛い。なんだろうかと隣を見なくてもどうせミアリヒが原因なのは分かっている。彼女の視線はあまりにも強烈で痛く分かり易い。ユーリもよく、似たような温度でルークを見ている事があるので見知った痛みだった。

「お前……視線がいてーんだっつの。何見てんだよ」
「はい、最近ルークと食事する事が無かったので見ていました」
「そりゃあだって、お前と飯食ってたらいちいちちょっかいかけてきてウゼーからだろ」
「だって好きな人へのはいあーんって乙女の夢じゃないですか。よくマルタがエミルにやっててそれはもう嬉しそうなんです」
「ふふ、ミアリヒってば興味が湧くとすぐマネしたがるもんね」
「周囲にらぶらぶな様子を見せつけて外堀を埋める作戦というものなんだと本に書いていました」
「偏った知識ばっかり仕入れてくんの止めろ!」

 ミアリヒはまだ生まれたばかりの救世主。産み落とされてすぐ戦いに明け暮れた日々、それを終えて平和なルミナシアの現在、確かに興味は尽きないのだろう。それは良い事だ、戦いばかりではない生き方を楽しんでもらいたいとルークとて思っている。しかしどうにも、彼女がどこかの本からだの小説からだのと、仕入れてきた情報は歪んだものばかりなような気がする。仲間の言葉を簡単に信じこんでしまう彼女を裏で操っている黒幕がいるような気がしてならない。

「おいカノンノ、お前こいつの保護者みたいなモンだろうが。こいつの行き過ぎを注意しろよな」
「うーん、でもミアリヒは本当に嫌がる事はしないよ。大好きなルークの事は本当に良く見てるもの。ね?」
「はい! 毎日毎時間毎分毎秒きっちりとこの網膜に焼き付けていますよ。今度ハロルドにお願いして映像を記録出来る装置を作ってもらう約束をしています」
「ルーク、ミアリヒの事そんなに迷惑かな? やっぱりユーリと一緒の時間が無くなるのが嫌?」
「だからなんでユーリが出てくるんだっつーの! そりゃあウゼーけど、迷惑ってまでは……。ただ、毎日毎日俺の名前叫びながら喧嘩すんのは止めろよな」
「すみません、あれは愛の取り合いなんです。魂の叫びです」

 恋人同士を引き裂こうとするならば迷惑なのは間違いないが、ミアリヒの行動も感情もあまりにもあけすけ過ぎる。子供が大好きな人を独占したがるような幼さがどの場面でも見えて、アドリビトムの人間は彼女の行動を止めようとする者は少ない。
 ルークもそれは覚えのある感情だ。剣の師匠であり尊敬するヴァン・グランツに褒められたいもっと相手をして欲しい、と思っていた事は一度や二度では無かった。
 だがそう決め込んで無視するには、余りにもミアリヒは直情的過ぎる。子供のような大胆さと大人のような行動力。本気で恋をしていると体全体で叫ぶ姿が余計に子供に見えて、どう相手にすれば良いのか迷ってしまう。
 幼い勘違いなのか、本気の思慕なのか。少なくともユーリはそれなりに、対等として毎日真剣に応えているのがあの喧嘩なのだろう。
 その結果ルークが放置されて、寂しく思っているなんて。流石に年上としてそんな事は口に出来ない。なんだか自分に都合が悪いので、無理矢理他人の行動を制御させているみたいだ。バツが悪くてルークはサラダのレタスにザクザクと意地悪をした。
 黙ってしまったルークを察したのか、カノンノが優しく笑ってミアリヒに言う。

「ね、ミアリヒがルークの事大好きなのはよく分かるけど、ユーリと取り合って喧嘩してる姿ばっかり見られたらイメージダウンだよ。もっと女の子らしい所で勝負しなくちゃ」
「むむっ……確かにカノンノの言う通りですね。ユーリと同じ土俵で勝負していては何時まで経っても勝てそうにないと感じていた所です。分かりました、では乙女らしくお淑やかに攻めていく事にします! 後で女の子らしい攻めというものを教えてもらっても良いですか?」
「勿論だよ! 後で街に降りて可愛い服を見立ててあげるね」
「ありがとうございますカノンノ」

 きゃいきゃいと可愛らしく弾む会話に、なんだかルークは場違い感で逃げたくなる。
 カノンノの鶴の一声でミアリヒの暴走が収縮されるのは良い事だが、こんなに簡単に解決するならもっと早くに言えば良かったと微妙に不満が残った。というか、やはりミアリヒにとってルークの言葉よりも、圧倒的にカノンノの言葉に重きを置いているのではないか。
 自分が軽く見られている、そんな風に感じてルークはどこか納得がいかない。だがこれで毎朝の喧嘩が無くなるのならば我慢するしかない。ユーリは、……暴れられなくなって残念に思うだろうか?

「私、ロックスのお手伝いしてくるね。ルーク達はまだゆっくりしてて良いよ」

 カノンノは食べ終わった食器を持って、忙しく不自然に立ち上がる。去り際にパチンと可愛らしくウインクして、頑張ってと口が動いた。それにミアリヒがぐっと親指を立てて任せて下さいと真隣で言うものだからヒソヒソ話も立場が無い。そういうのは本人の目の前でやるものではないと思うのだが、カノンノ観の女の子らしさというのも少々疑問が残る。

「ルーク、ニンジン残ってますよ。あーんしてくれたら私が食べてあげますから是非どうぞ」
「うぜぇ」

 どすんと椅子を寄せて肩をぴったりくっつけて来た。前々から思っていたが、やはりミアリヒのお淑やかな女の子というイメージは間違っているのではないか。まぁこの船に乗っている女子達は様々であるので、勘違いしてもしょうがない。流石にそんな事をこの場で口にすれば自分の身が危ないと分かっているのでやらないが。

「お前な、さっきカノンノが女の子らしくいこうって言ってただろうが」
「はい、女の子らしく積極的に迫っていこうと考えを改めました。ルーク、露出させるならお腹と足と胸とどれが好きですか? あっお腹はルークが出してますし胸はユーリが出してますね……じゃあ私は足を出すのでじっくり見てください」
「どこも出さなくていいっつーの! 女らしさってんならミントとかを見習えよ!」
「ミントは……胸のサイズ的に無理そうなので……。やっぱりルークはメロンが好きなんですね、だってティアもメロンですものね。分かりました、私これから毎日ミルクとタンパク質を摂って育乳します! 全てはおっぱい大好きルークの為に!」
「おいこら勘違いされるような言い方すんなああっ!」

 ミアリヒは本当に自分の事が好きなのだろうか、むしろ貶める為の策略ではないかと疑うのはこういう時だ。人の集まる食堂で、大声でそんな宣言しないでもらいたい。この場に居合わせた一部の女子からは剣よりも鋭い視線がやってきて、一部の男からは賛同するように優しい視線が降り注ぐ。
 すっきり目覚めて普段より早起きしたら、結局酷い疑惑を振りまかれるとはとんだ災難である。やはりミアリヒと食事をするのは今後も止めておこう。
 決意の拳を握りしめているミアリヒの姿はあまりにも力強く、ルークはうんざりした。彼女はあまりにも真っ直ぐに純粋で何よりも行動力がありすぎる。迷惑だと言ってしまうと何故か自分が悪者になってしまう。確かに本気で迷惑とは思っていないのだが、疲れる時は本気で疲れるのも事実だ。
 だから少しだけ、軽い意趣返しのつもりでルークは意地悪を言った。

「お前、ほんとカノンノの言う事はすぐ聞くよな」
「そうですね……確かに、一番最初に出会った人で私に沢山の事を教えてくれた人ですので、カノンノ言う事は絶対、みたいな感じはあります」
「ふーん。実は俺よりも好きなんじゃねーの?」
「カノンノは家族みたいな人です。ルークへの好きとは、違います」

 懐く様子をからかえば、予想以上に強い口調で否定された。それにギクリとしてルークはどこか狼狽える。散々子供の感情だと思っていたのに、こうして本人に違うと言われてしまうとそれはそれで焦ってしまう。
 幼い愛だから軽く見ていた事に釘を差されたような、どこか罪悪感を抱かせる。しかしルークはそれを受け取る訳にいかない。だからもっと、自分でも答えにくいような意地悪をミアリヒに言った。

「じゃあ……もし俺とカノンノが今にも崖から落ちそうだった時、片方しか助けられないとしたらお前はどっちを助ける?」
「片方、だけですか?」

 突然の質問に、彼女の瞳は珍しくきょとんと大きく開く。まさに初めて見たような、奇想天外な例えを出されて理解が追い付いていない。
 こんな質問は実に意地悪だと、ルークも自分でも思う。だがある意味このどちらを選ぶという問題は、今の自分を如実に表わしていた。ガイやティアやユーリにも話せないような、出会った事のない問題を抱えているのが今のルークの悩みだ。それを……救世主であるディセンダーはどちらを選ぶのか、興味が湧いた。
 家族か、好きな人か。ルーク自身にも重ねられる内容に、知らずごくりと唾を飲む。もしもミアリヒが家族を選ぶのならば、自分だって家族を選んでもおかしくないじゃないか。もしもミアリヒが好きな人を選ぶのならば、自分だって恋人を選んでもいいじゃないか。
 そんな勝手な投影を無自覚に。ドキドキと命運を預けて、ルークは彼女の答えを待つ。どんな回答が得られるのか期待と恐れを渦巻けば、ミアリヒは考える時間も無くあっさりと答えてみせた。

「そんなの決まっています。両方助けますよ」
「あのな、片方だけって言っただろうが。両方なんて無し、ずりーぞ」
「どうして両方だと駄目なんですか? ひとりを助けるよりもふたり助けた方が良いに決まってるじゃないですか。それに助けるのがカノンノとルークなら、どちらかを諦めるなんて私には出来ません」
「だから場所は崖で、片方助けてる間にもう片方落ちちまうくらいギリギリな状況なんだよ! どっちかなんか無理!」
「カノンノなら生きる事を絶対に諦めません。私が助けに来たと分かったなら余計に、です。きっとルークを助ける間は頑張ってくれますよ」
「俺を先に助けてんじゃねーよ! カノンノ助ける間くれー俺だって我慢出来るっつーの!」
「じゃあやっぱり大丈夫じゃないですか。ほら、両方助けられたでしょう」
「いやちが、あのなぁ!」
「私はディセンダーですよルーク。無理だと言われてもやってみせます。それが私の大切な人達なら、特に」
「お前……ばっかだな」

 ずるいと、口にするのはあまりにも惨めになる。だから精一杯の意地で呆れた。そう答えてくれて嬉しいような、ガッカリしたような、劣等感に駆られるような。
 自分の身勝手な悩みを、勝手に人に投影して選択させようとした自分を、あざ笑うよりも強く一蹴されたような気分。
 ディセンダーの意志は強すぎる。人間と比べるにはあまりにも差があり過ぎて、逆に自分の惨めさを浮き彫りにさせた。幼いが故の蛮勇、けれどそれが羨ましい。ルークは初めて、ミアリヒが眩しくて直視出来なくなった。

 日記を書く手が止まってしまう。朝の事を思い出して、書き出しから迷うのだ。今日は目覚めが早かっただけで、その後は何時も通り。あの後ユーリと合流して、早い朝に驚かれて、ふたりで依頼に行って、村で昼食を食べて帰ってきた。特筆する事無く、本当に普通の日だったのに、日記を書く事が上手く出来ない。
 この日記は昔怪我をして、記憶が一時的に無くなってしまった時にまた同じ事が起こっても大丈夫なように書くよう医者に進められて始めたもの。今ではそれが習慣化して、ほぼ惰性で続けているといってもいい。結局記憶だって戻ったし、成長した今記憶喪失になるような事故に会うとは思えない。ただなんとなく、止めるキッカケが無くて書いているものだ。
 だから書きたくなければ今すぐにでも止めれば良い、一日二日飛ばしたって誰も困らない。屋敷に居た時、書く事が何も無い時は何も無かったと一言で終わらせた事だってある、同じようにそうすれば良いのだ。けれどルークのペンはどうにも、置く事も書く事にも気が進まない。
 夢の中の日記は確かにルークの日記だった。もしかしたらオールドラントのルークも同じように日記を書いているのかもしれない。彼らはもしも書きたくない出来事があった時、どうしているのだろうか。

「……なんで俺、こんなイライラしてんだ」

 どうしても進まなくてぽつりとこぼした声は、自分で分かる程に苦しげだった。自分が迷って出せない答えを、彼女は自信に満ち溢れて返した。子供の戯れだと思っていたミアリヒの感情、なのにその精神はルークよりも強く、大人だ。
 自らの使命がある者は迷う必要が無くて羨ましい。書きそうになった手を右手で押さえる。ディセンダーの運命も知らないで、随分勝手な話だ。羨ましい部分だけ欲しがって、自分の方が苦しんでいるのに、なんて可哀想ぶる。
 簡単に、嫉妬しているのだと気が付いてルークはペンを置いた。蓋の開いたインク瓶も片付けず、さっさとベッドに入って夢の実をぶちりと千切る。水と一緒に勢いで飲み込み、そのままばたりと枕に顔を埋めて眠りに就いた。
 早く、早く逃げ込もう。自分しかいないあの場所へ、優しい自分の返事が待っているはずの夢の庭園へ――


 瞼を開く前に、ふわふわとそよぐ風が頬に当たって気が付く。ここは夢の中、自分達の楽園。夢の中なのにきちんと意識はここにあって物にも触れる、まるでもうひとつの現実世界のようだった。ぱちりと目を開けばここ数日でお馴染みになった風景が広がっている。
 左右には外で見るような木々が管理された状態で茂り、ルークの記憶にあるファブレ家の庭をもっと広げたような景色。過去ペールが育てていた花々が美しく飾られており、動物の形にカットされた植木が今にも動き出しそうで目を楽しませている。あれは幼い頃、自分が喜ぶのでよくやってくれていたが、今ではめっきり見なくなった飾りだ。
 この庭園はオールドラントのルーク達の記憶も混ざっているというのならば、子供のルークはこれこそ今毎日見ている風景なのかもしれない。そして自分では見た事のない、熱帯風の木や刺々しい植物達はもうひとりのルークの記憶。そういえば前にルミナシアに落ちてきたのは旅をしている途中だとユーリづてに聞いた記憶がある。
 旅をしている、とはどういう事なのだろう。自分のようにギルドに所属している様子でも無かったので、修行の旅に近いものだろうか。もしそうなら、彼の方でもガイが世話を焼いて何もさせてもらえなかったりしたのだろうか? すぐにアッシュが怒って火も点けさせてもらえなかったりと。鞘を抜いたのは数回で、魔物相手に剣を奮った事だって、修行の旅の間では稀だった。
 もしそうなら、同じように愚痴を言い合えるかもしれない。あいつらは俺を子供扱いし過ぎだ、もっと好きなようにさせろと揃って文句を言えたら楽しいかも。
 歳も同じで生まれも同じなら、自分達はアッシュよりも近しい存在になる。反発するばかりだったアッシュよりも、余程良い兄弟関係を築く事が出来そうじゃないか。こんな事ならば前の時拗ねずにきちんと話しておけば良かった。惜しい事をしたと後悔しても過去だ、今は夢の中の日記を通じてとはいえ、また会えるようになったのだからいいか。
 落ち着かない足元はもがきながら進んで、望み通り休憩所へと辿り着く。テーブルには変わらず日記とインクが置かれており、ルークは早速目的のページへと捲って返事に目を通した。

「るみなしあってなんだよ、ルークは俺だぞ。俺明日ガイと母上と一緒に庭でおべんとうってやつ食べるんだぞ、良いだろ」
「母上は体調崩しやすいから、お前が気を付けて見ておくんだぞ。それとルミナシアはティア達と会った所だよ、まだ覚えてるだろ? 俺の方はあれから色々あったけどなんとかやってる。そっちはどうだ? アッシュ達は元気か?」

 ふたりの返事を読んでルークは……何故か心底ガッカリした。どう書いてあれば正解なのかはルーク自身にも分からない、ただどうにも、眠る前から引っ張ってきた妬ましさが逃げられないぞとここにまで追い付いてきたような気がしたのだ。
 子供の方のルークはあの時、記憶喪失直後だったらしいので自我が薄くあまり覚えていないのかもしれない。それでも数日間ルミナシアで過ごし、ティア達の事はこの日記に書く程きちんと覚えていたじゃないか。その時、同じ存在であるはずの自分の事なんて一文字すら書かれていなかったけれど。
 確かにルーク自身、あの子供を意識したのは最後の最後、別れの一瞬だけ。ガイ達を盗られたと勝手な嫉妬をして無視していた自分にも責任はある。だがそれでも、同じ自分という意識はどこかにあったのに。自分は認めていても、あちらは存在の認識すらしていなかったようだ。
 そしてもうひとりの、オールドラントの同い年のルーク。彼こそ俺だと、そっくり同じだと思っていたのに。最初に見た時から思っていたが、彼はどうも自分より経験豊富のようで周囲をよく観察する癖があった。それを自分は顔色伺いだと唾棄していたが、他者から見れば思慮深さと写り印象が良いのだろう。そして経験と時間を重ね、日記の文面からでも伝わる一歩先行く大人のような態度。
 俺のくせに、俺のくせに、俺のくせに!
 ……俺のくせに、どうしてこいつらは何も不満が無さそうなんだ。脳天気に平和を享受して、悩みも無さそうで、何も困っておらず、誰からも助けてもらえそうで……どうして。
 求めていると思っていた。だってルークは去り際に言ったじゃないか、また来ると。だから待っていたのに、何時まで経っても来る気配も無くて。
 もしまたルミナシアに来たら、話したい事や聞きたい事は沢山あった。父上と母上に会わせたらびっくりするかなとか、オールドラントではどんな生活をしているのかとか。
 なのに、自分には会いにこずこんな誰も手出し出来ない場所で、自分だけを除け者にして会っていたなんて酷いじゃないか。何かの事情があって来れなかったから夢の中で、ならば分かるけれど、それならもう少し日記の中で自分の話題を出すべきだ。まるで最初から居なかったようにされては、楽しみに待っていた自分がピエロのようで惨め過ぎる。
 あのふたりは楽しそうに毎日過ごして、こちらの存在は忘れられて。本当に、自分は馬鹿みたいだ。同じように迷っていたり悩んでいると思っていたのに、相手の方は遥か彼方の高みから見下ろしていた。
 裏切りだ、ずるい、卑怯者。文句を言いたくてもこの場には自分以外誰もいなくて、楽しげな日記が目の前にあるだけ。ルークはページを乱暴にめくり、思いのままに感情を書き殴った。

「俺だけわざと除け者にしたクセに今更白々しいんだよ! もうお前らだけで勝手にやってろ馬鹿野郎!」

 卑怯者、無事に帰してやったのに恩知らず! 繋がりもない、文章ともいえない言葉を稚拙に書き綴る。白いページの三分の一を埋めた所でルークの手は止まった。
 勢い余ってたっぷり付けたインクが自分の左手を汚しており、乾いていない文字が掠れ酷い事になっている。汚いページ、汚い言葉、汚い心を見せつけられているようでますます嫌になった。
 自分は何をしているんだ。どうして夢の中でまでこんな惨めにならなくちゃいけない? どうしてこんな裏切られた気持ちになる。分からなくて、でもムシャクシャして。
 壁にペンを放り投げて、その場から逃げ出した。カツン! と迷惑そうに響く乾いた音を背中で無視して、とにかくこの夢から覚めたいと走りだした。

 現実世界から逃げたくて夢の庭園に来たのに、ここでも逃げ出す事になるなんて滑稽でみっともない。けれどルークは受け入れてくれない自分達の場所を、これ以上見たく無かった。
 今すぐ起きるんだ、起きたい。どうすれば目が覚めるのかは分からないが、走っていれば少なくともあの場所からは遠ざかる事が出来る。夢の中なのに息が切れる苦しさすら、自分を受け入れない彼らのせいだという被害妄想に取り憑かれた。
 自分は会いたかったのに! とがむしゃらに走り抜けると、気が付けば行き止まりの崖に辿り着く。棘々しく伸びる断崖絶壁の下は余程深いのか、赤黒い底で地面が見えない。そして崖より向こう側はカーテンを引いたように不自然に真っ暗で、ここが夢の終点……いいや世界の終わりなのだろうか?
 足を止めてキョロキョロと周囲を見渡すが、ここはあまりにも庭園と雰囲気が違う。ルークはこんな場所なんて知らないし、子供の方は家から出ないはず。ではここは……オールドラントのルークの記憶? こんな見ただけで恐ろしい場所を、違う世界の自分は知っているというのか。
 狼狽えたルークはふらりと足を崩しその場にしゃがみ込む。夢なのにこんな所まで来て、自分はどうしたいのだろうか。現実でミアリヒに、夢の中で自分達に嫉妬してなんと醜い姿だ。
 でもどうしても、今の自分には吐き出し場所が無かった。ユーリやガイには到底出来ない、赤裸々な本心を相談出来る相手が欲しい。もうひとりの自分ならばどんな事でも聞いてくれる、そうかそれは大変だなと言ってくれると期待していたのだ。
 でも、自分を弾き出して充足している彼らを見て酷い劣等感を抱いた。同じ自分なのに、同じ自分だから。アッシュよりも明確な違いが浮き彫りになり、その差異に耐えられない。積み重なった小さな苦しみが、弾けそうになるくらい胸いっぱいに詰まってどうしていいのか分からなくなった。
 ルークは目覚めたいような、このまま夢の中にいたいような。自分の身の置き場に困り果てて首を振る。この寂しい場所がお前にはお似合いだ、と嫌味を言われているような気持ちになった。
 しかしふと、崖に目をやれば驚きにギョッとなる。よくよく見れば、崖のふちに人間の手が必死で掴まっているではないか! 微かに震えて今にも落ちてしまいそうで、声すら聞こえないのは限界が近いからなのだろう。
 助けようと慌てて立ち上がった時、違和感を覚えて少し離れた反対側を見ると……同じように崖のふちに人間の手が引っかかっているではないか。丁度対称の位置、まるで鏡写しのように配置されている。距離は微妙に離れており、片方を助けていては片方は間に合いそうにない。
 この光景に気が付いて、ルークはギクリとする。これはまるで、ミアリヒに言った意地悪な質問と同じだ。
 ふたりは限界のようで、こうしている間にもじりじりと手がずり下がっていく。ようく見てみれば片方は少し陽に焼けてガッシリとした男性のような手。もう片方は白く小さく見えて女性の手に見えた。もしやこれは……ルークの胸中には親しい男女が描かれて、今にも落ちそうだと苦しむ彼らの顔がありありを浮かぶ。
 迷っている時間は無い、今すぐ手を取らなければ両方ともあの恐ろしい谷底に飲み込まれてしまう。早く、今すぐに!
 だが駆け出したルークの足はどちらに行くべきかのか迷い、すぐに止まってしまう。体力面を考えれば女性の方を先に助けるべきだ。だが男性の方が体重が重く、自重で先に落ちてしまうかもしれない。どちらの体力が先に尽きるかなんてルークには分からない事だし、もしかしたら持ち物の関係で女性側の方が重いかも。
 いいやそんな問題ではない。男か女かではなくて、もしもぶら下がっている男女がルークの思い描く彼らならばどちらも助けたいに決まっている。けれどひとりを助けている間にもうひとりが落ちてしまっては……。選んでいる立場ではない、迷っている暇もない。ミアリヒが言っていたように両方助けたいのは当然だ。けれどこの場で手が届くのはひとりだ!
 どうすれば、どうすれば。夢の中だという事を忘れ、ルークは追い詰められる。選ばなくてはいけない、けれど選べない。迷っている間に時間は過ぎて、遂には両方共手が届かなくなってしまう。ルークにとってそれが何よりも恐ろしい。
 焦燥感に足を絡ませ藻掻く。どちらを、どちらを? 迷いながら選んだ先に駆け出そうとした瞬間……突然足元の地面消えて、ルーク自身が谷底に真っ逆さまで落ちて行ってしまった。






  


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