触れずに歩く








 元々フレンとエステルを追って捜索に出たアスベル達が、わざわざ教本を持ってきている道理も無く。科学者達の資料では専門的過ぎて理解が困難であるし、倉庫の奥にあった古びた本はボロボロで読めたものではない。
 いっそリフィルに頼んで詳しく授業してもらうのはどうだろう、と考えたのだがルークが自分に頼んできた事なのだから勝手に第三者を連れてくるのも気が引ける。
 ああどうしたものだろうか、と真剣に悩んでいるとふと覗き込んだ窓の風景にフレンは思わず立ち上がった。聖地ラングリース。ルミナシア中に漂うマナの入り口と出口。聖地程マナが濃い場所ならば、ルークも何かしら感じ取る事が出来るだろう。思い立ったが吉日と、フレンはすぐに部屋を出てルークを連れて行く事に決めた。

 こほん、と咳払い。演技ではなく、聖地ラングリーズはむせ返る程にマナが溢れている。あまりの濃いマナのせいで人間には動き辛く、うろつく魔物達は活発で手強い。一般人が畏怖と尊敬を込めて神聖な場所と信じている事もあり、土地全体の神格が高いのだ。
 だからこそ都合が良い。これ程までに濃いのだから、いくら魔法を使わない者でもこの重苦しい雰囲気は感じ取れるはずだ。その違いが判れば、入り口を抜ける事なんて簡単なはず。
 疑いの色濃く、面倒臭そうな表情のルークにぺこりと頭を下げて挨拶をした。手には船内でかき集めた資料から、分かり易いだろうと思った断片のメモ。欲を言えば一晩整理して下見をした後ルークを連れて来たかったが、つい勢いに乗ってしまった自分をフレンは反省した。それを誤魔化して教科書めいた説明を始める。

「魔法とはルミナシアに漂う精霊の力を借りて行使する力です。まずはその存在を感知し、受け入れなければ魔法は使えません」
「それ昨日の言ってたけどよぉ、見えねーモンを受け入れろって言われてもなー」
「しかし現実として私達は魔法をこの手から発動させ、力としていますよね? ヴァン総長やアッシュ様もこの仕組を理解して魔法を使っておられます。理屈はひとまず置いておいて、”ある”事を認めてみてください。そうしなければ、何時まで経ってもルーク様は魔法を使う事が出来ません」
「けどこのホウキは空が飛べますって言うから買ってみたら、ただのホウキだったってのに、信じれば普通のホウキでも空が飛べるようになるってのか?」
「それはただの詐欺だと思います。もしそんな人がいたらすぐに騎士団に連絡してくださいね」
「うーん、まぁ……とにかく信じなきゃ始まらねーって事だな?」
「はい、その通りです」
「分かった、フレンがそこまで言うなら信じてやるよ」
「ありがとうございます、ルーク様!」

 まだ不満は残っていそうな顔付きだが、昨日からずっと同じ事を言われて少々飽きてきたのかもしれない。ひとまず飲み込んで、自分の言葉だからと信じてくれたのがフレンには嬉しく思えた。
 溢れる濃いマナ、信じる気持ち、魔法の素質。それらを合わせれば今のルークに魔法が使えない理など無い。感触が掴めれば後はあっという間、戦闘センスのある者ならば使いこなす事も容易い。雁字搦めに固まってしまう前ならば、新しい事は案外簡単に受けれられるものだ。もしそれでも出来ないというのならば、その原因はやはり本人の心の中以外無いだろう。
 ルークの表情は己の手に集中しており、周囲のマナもそれに合わせて流動しているのが感じられた。目には見えないうねりが、重い風になって朱金の髪を揺らしている。キラキラと光る何かが、まるで遊んでいるように見えた。
 考えてみればルークの性格ならば、精霊に嫌われる事はあまり無いはずなのだ。物質体や個体を持たない精霊達だが、彼らは好みや性格があって、自分の好きなタイプの人間により力を貸す傾向がある。冷静さ、実直さ、優しさ、愚かさ。その人間の内側に秘めた色を捉え、好んで集まっている。
 多少捻くれてはいるが、隠し切れない幼さと素直さは精霊の好む所。現実ルークは術技ならば様々な属性を使いこなしているのだから、出力箇所が違うだけだ、スイッチを切り替えれば容易いはず、……だった。
 箇条書きしていけば出来ない理由が無い。なのに実際において、30分経っても1時間経っても、ルークの手からは魔法の魔の字すら発動する気配は無かった。
 周囲のマナは活発になってルークの力ある言葉を待っている状態なのに、何度詠唱しても現象が発現しない。ファイアボールの魔法式を教え頭に描いて詠唱させてみるのだが、手の平に力が集まるだけで結局は霧散してしまう。
 何度繰り返しても上がらない成果に、ルークのイライラは最高潮に達しあっさりと爆発した。

「あ〜〜〜〜〜もうっ! なんだっつーの全然出てこねーじゃねーか!」
「おかしいですね、条件は全て揃っているのにどうして発動しないのでしょうか……」
「んなもん俺が知るか! ファイアボールファイアボールファイアボール! 出ねーーーっ!」

 やけくそに辺り構わす唱えても当然の様に何も起こらない。怒り狂ったルークは地団駄踏み抜き、頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜ暴れまわっている。
 フレンは騎士団見習い時代、魔法を使えない同僚を何人か見たが、彼らは魔法の才能が無かった為に剣の腕を磨く事になった。しかしルークは血筋と才能から見ても使えないはずがない。いっそ補助として魔導器を国から持ってこようか? だがあれは管理されており、フレンが持ち出せる類ではない。一時的にでも己の魔導器を……と一瞬考えたが、魔導器は個人に合わせてカスタマイズするので他人に貸しても意味が無いのだ。
 完全に頭打ちである。何が原因でルークが魔法を使えないかがさっぱり分からない。やはりまだ疑いがあるせいだろうか? 可能性としてはそれくらいしか思いつかないが、フレンの言葉だから信じるというルークの言葉を疑うのは嫌な気分だ。
 もしや、自分の教え方に問題があるのかもしれない。何しろ自分はただの騎士。ヴァンやアレクセイのような指導者ではないし、リフィルのような教育者でもない。リタやハロルドのように正しい知識があって、それを正確に伝えられる訳でもないのだ。元々自分には荷が重かったのかもしれないが、ルークが自分を頼ったという期待を裏切る訳にもいかない。
 苦悩するフレンだが、これ以上ルークの手を煩わせるのも悩ましい。一度自分の手を離れて、別の人間に託す案を提案してみた。

「ルーク様、やはり一度専門家の下で習った方がよろしいかと思うんです。今からでも私がリタに……引き受けてくれるかは分かりませんが、頼んでみますので」
「はぁっ? リタなんかに頼んだら馬鹿にされるに決まってんだろーが却下だ却下!」
「そっ……いやでも、私よりも余程知識がありますし、的確な指示をしてくれるでしょう」
「いーんだっつーの俺がフレンに頼んだんだからよ! お前んな事よりチャッチャと精霊ってやつをもっと集めろよなー」
「ルーク様の詠唱で十分過ぎる程集まって息苦しい程なのですが……何も感じられませんか」
「んー、なんか重苦しいなーとは思うけどそんだけだな」
「魔素は感じておられるようですし、後は発動させるだけなのですが……」
「さっきから何度もやってるっつの、こっ恥ずかしい詠唱も訳分かんねー計算式ってのもしたのによぉ。こんの、ファイアボールッ!」

 ルークの呼びかけに周囲のマナが動いて、ふわりと朱金を揺らめかせる。だが炎は現れず、力を蓄えた空気がぶわりと四散するだけ。フレンの頬を生ぬるい風が横切るが、それはイフリートの吐息なのかマナの流れなのか区別はつかなかった。
 フレンにとって魔法とは使えて当然であり最初から持っていた力なので、使えないという感覚が分からない。分からないのだからどうすれば使えるようになるかなんて、教科書に書かれている事以外では分かりようもない。特にルークのように条件は整っているはずなのに使えない、なんてパターンケースは見るのも初めてで、何が原因か皆目検討も付かなかった。
 昔からユーリや他人に、お前は何だかんだ言って何でも出来ちまうよな、とからかわれる事があった。なんでも出来る訳じゃない、ただ自分の目指す理想の為に努力して出来るようになってきただけ。それらの道のりは今の自分の自信になり、誇るべきものだと自負している。だがそれ故に、”出来ない”者の力になれないとは。
 自分を頼ってきた者に応えられない、その事実もフレンを悩ませる。なんとかしてルークに魔法を使わせてやりたい。そう彼が望んでいるのだから。

 疲労も積もっているだろう、この日は結局切り上げて戻る事にした。戦闘は行っていないが長時間マナの濃い場所に身を置くのはあまり良い事ではない。現にフレンの体はバンエルティア号に付いた途端、ドッと重くなった。
 しかし隣のルークはあまり疲れた様子は無く、ただ何の成果も得られなかった事が不満で唇を尖らせているだけ。魔法は発動出来ないのに、何故負担は感じないのだろうか不思議だ。何か彼特有の体質があるのか、それとも単に鈍いのか。
 なんて不敬な、とフレンは自分の考えに首を振りルークを部屋まで送り届ける。閉じた扉を目の前に、なんとしてもルークの願いを叶えねば。と熱く決意の拳を握るのだった。


 やはり分からない事は専門家に聞くべきだ。幸いにしてバンエルティア号にはルミナシアで1・2を連ねるだろう天才が揃っている。そもそもルークとて、彼らに頼った方がどう考えても早いだろうに。まぁ確かに彼らがすんなりと教えてくれるかどうか、分からない面々ばかりではあるが。
 それならそれで、学者のウィルやフィリア、本職だろうリフィルの方が余程適していると思われる。
 あれやこれやと考えてもしょうがない。実際ルークが望んだのはフレンなのだ。彼には彼なりの考えがあっての事だろう、多分。とにかく今はその期待に応える事が一番だ。

「いやよ」

 開幕一番、ばっさりと切り捨てられてしまったがここで簡単に諦める訳にいかない。フレンは再度、深々とリタに頭を下げアドバイスを求めた。

「上手く魔法を使えない人の為に、簡単なアドバイスでも良いんだ。初めて魔法を使う人がやりそうな失敗点とか、魔法を発動するコツとか」
「だからい・や! そもそもあんた、魔術と晶術と晶霊術と法術と思念術をぜーんぶ一緒くたにしてるでしょ。そんな奴が魔術を誰かに教えようなんて、ちゃんちゃらおかしいわ」
「僕の知識不足は分かっているんだ。そのせいで助けになれないってのも……。だから、リタに何か助言を貰えればと思って」
「第一教わる本人がここに来ないってのも気に入らないのよね。普通そっちが来るべきでしょ? 高度な知識を人づてで知ろうなんて奴、魔術を扱う資格すらないわ」
「それはその方なりの事情があってだね……」
「そいつの事情なんてあたしには関係無いじゃない。それにあんたに頼まれる事って大抵ろくでもない事ばっかりだし、とにかく嫌。これ以上あたしの研究の邪魔するってんなら……その頭にでっかいのぶち込んで威力を直接教えてやるわよ?」

 ガルバンゾからの顔見知り、とリタを訪ねたのは間違いだった。知り合いは知り合いでも、やはり国に居た頃の武器製造依頼が相当嫌な記憶になっているのか、フレンの顔を見ただけでも分かる嫌われよう。怒りのオーラが見えてもそれに怯む訳にいかない、と粘ったのも良くなかったようだ。
 特に専門の魔術関連の中途半端な知識が余計に癇に障ったらしく、必要以上に怒らせてしまい追い出されてしまった。レイヴンのように前振り無くファイアボールが飛んでこないだけ、彼女なりの手加減しているのかもしれない。リタの指先にマナが集まる気配を見て、もう数秒あの場に留まっていたら今ごろフレンの頭は松明のようになっていたかもしれないが。
 それに実際、本人が来いという痛い所を突かれたのも確か。学ぼうとする者の行動力を勝手に奪ってまで、得意でない人間が教えようとするのも正直あまり良くない気がしていた。剣技ならば訓練や練習で付き合う事は出来ても、魔法となるとセンスや素質が要求される部分だ。言葉だけでは簡単に伝わらない。
 やはり一番の問題は自分の知識と指導力不足になってしまう。これではますますルークを待たせてしまうだろう。それは良くない、とフレンは思い悩む。
 とりあえず、知識人の言葉を聞くのは悪い事ではないはず。そう考えてフレンはふたり目の天才の所へと足を進めた。

「なぁに魔術を使いたい? そんなの簡単じゃない、計算式出してテキトーに唱えたら出てくるわよ」
「使いたいのは今まで魔法を使った事が無い方なんです。何度かは試したのですが、何故か発動しなくて」
「んー、つまり魔法の素質が無い人間でも使えるようになりたいって事? そっちの方が簡単じゃない」
「本当ですか!」
「まずマナを効率良く集める為のアンテナを両手両足に取り付けるでしょ。そんで心臓に魔術変換装置を移植してぇ、最後は脳に詠唱コードを詰め込んだチップを埋め込むの。これで使用者の生体エネルギーを源にして、どんな魔術でも使いたい放題ってワケ!」
「あ、あの……出来ればそういった埋め込みとか、改造とか……命に関わりそうなのは無しの方向が良いんですが」
「えー? これでもかなり人体組織残してる方なんだけどぉ。じゃ頭ごと取り替えるのは? マナは外からの供給になるけど、これなら頭だけで済むからそこから下は丸々残るわよ」
「……いえ、それもちょっと」
「なによーそれじゃこんなのはどう? 呪術エネルギーを纏ってそれを使役するの。攻撃能力はかなりの数値を期待できるし、手術もしないわ」
「それは凄いですね! それで、呪術エネルギーというのは一体どういったものなんでしょうか」
「えっとねー三日三晩もがき苦しんでいっそ殺してくれっていうくらい強い呪いを敢えて自分にかけて、それを制御するの」
「それは……出来るものなんですか?」
「私の予想じゃ99%近くの確率で死ぬけど、残り1%以下でも可能性があるなら、それはゼロじゃないからねー」
「ええと、その……すみません、今回は辞退させていただけないでしょうか」

 結局ハロルドは、まず方向性が違った。やはり天才とは常人の考えなんて及びもしないものなんだと、改めて考えさせられた結果になってしまうとは。しかし最初の、改造とまではいかないが機械で補助するというのはやはり有りだと思える。
 何しろガルバンゾでは魔導器がそれに当たるのだし、フレンからしても補助器は一般的なものだ。魔法アイテムは外にもありふれているのだし、きっかけを掴めさえすればルークだって使えるようになるかもしれない。
 フレンの足はぴたりと止まり、目の前の扉をじっと見つめた。ここまで来ればひとりを残すのもなんだし、彼はルークと同郷、むしろ部下なのだから何かしら良い言葉が聞けるのではないかという期待がある。
 ネクロマンサージェイド。彼の異名はガルバンゾの一部にも轟いており、戦歴の長い老兵士程恐ろしそうに語っていたのを思い出す。戦場で死体を漁るなんて死者を冒涜する許しがたい行為。しかし本人を知ってしまえば、それもただの恐怖が作り上げた噂話だとしか思えない。いやほんの少し程度には、あの人ならばもしかして裏で秘密裏にそんな事をしていても有り得るかも、と思わなくもないが。
 いやいやいや、見かけで判断しては失礼に当たる。とフレンは背筋をぴしゃんと伸ばして、扉のベルを鳴らした。

「……なのですが、魔法を発動出来ない原因として何か見落としやすいものはあるでしょうか」
「長々と前置きして律儀に隠そうとしなくても構いませんよ、どうせルークの事でしょう」
「え、いやその……」
「まったく、貴方も背負わなくていい苦労を背負う人ですねぇ。騎士ならばどこの誰でも守るつもりなんですか?」
「それが助けを求める人ならば、誰であろうと苦労とも思いません」
「呆れる程に立派な意思です、聖騎士に相応しい。ですが理想ばかり見ていては、いずれ体良く利用されるだけですよ。疑いを忘れるのは信頼ではなく、怠慢だと気付いた方が良い」
「ありがたいお言葉、頂戴いたします」
「と言って聞く気は無いんですから、若さというものは罪ですね。やれやれ」

 はあぁ、と大変に縁起くさい動作でジェイドは肩を竦めた。わざとらしく呆れているが、レンズ奥の瞳は面白そうに笑い奥底を見せない。正直フレンはジェイドを、軍人ではなく官僚としての方が似合っているのではないかと思う事が多々ある。
 それにしても即ルークの事を見破られるとは。散々前置きとして長ったらしい話をしたフレンの努力は全くの無意味だったらしい。やはり何かを隠して動くのは向かないな、と苦笑。

「ルークも素質だけで見るならば十分魔術も使えるはずなんです。ご両親もアッシュも使えていますからね」
「はい。私もそう考え、昨日聖地ラングリーズでマナに触れてみては…と思い足を運んでみたのですが成果が現れず。どうしたものかと」
「実は彼、元々魔素と馴染み易い体質なんですよ。もしかしてそのせいで使い分けが出来ないのかもしれません」
「使い分け、ですか」
「ルークは魔術に触れる前に剣の修行に集中したので、精霊の力は属性術技を使う時に使用する力だと思い込んでしまっているようですね」
「ルーク様の剣の素質が、魔法に関しては邪魔になっているという事ですか」
「攻撃手段としてまずは剣を、という人間は剣の使い手として出来上がってしまっています。ひとつの才能を熟成させた後では、新しい才能は開花しにくい」
「では、一体どうすれば……」
「そう言っても、あの子はまだまだ完成には程遠いですからね。今の内ならいくらでもやりようはありますよ。まずは魔術というものに触れさせるんです」
「触れるというと?」
「進み方が決まった迷路を知らずに抜けるのは無理があるでしょう、道筋を教えてやってください。後ろを付いてこさせればその内覚えますよ」
「具体的には、どうすればいいでしょうか」
「それを考えるのは頼られた者の役目です、まぁ精々頑張ってください。無理ならほっといても構いませんから」
「いえそんな! この御役目、必ず果たしてみせます!」
「貴方も相当ガッチガチに硬い人ですねぇ。もうちょっとリラックスしてやってみてはどうです? どうせルークの言う事なんて半分は思い付きなんですから」
「考えずの思い付きだからこそ、ルーク様の本心からの願いなんだと私は思います。それを叶えるお手伝いをさせていただく事は、大変光栄な事だと思っておりますので」
「まぁ、貴方がそれでいいなら構いませんけどね。しかし表だけ見ていては気付かない事もありますよ。これは忠告ではなく、年寄りからのアドバイスです」
「ありがとうございます、ジェイド大佐」

 ジェイドの言葉は覚えがあるものだ。騎士団でも上官にお前は真っ直ぐ過ぎる、と言われた記憶がある。皆を守れると憧れた騎士団は、そんな絵空事を裏切る出来事も多い。しかしだからと言って、それに染まるのもどうかと考える。
 不器用だと言われても、自分の信じたやり方でやるしかない。それが誰かによりかかられた時ならば特に。信頼には信頼で返したいのが、フレンなりの流儀だった。




*****

 先日ここに来た時、全く何の収穫も無く終わってしまったのは悔やむべき経験だ。しかしあの焦りが、自分にしろルークにしろ良くなかったのだと今ならば分かる。変に気構えてしまえば体が緊張し筋肉が硬くなり、それが精霊にも伝染してしまう。
 フレン自身、心を落ち着けて息を整えてから周囲をよく観察する。ボルテックス・トップから噴出される濃いマナの働きで、精霊達が活発になっているのを肌で感じた。おそらくここに立つ人間のテンションに強く同調しているのだろう。目の前の、少し不安そうな碧の瞳。彼を元気付けようと漂うものが騒がしい。それにフレンは柔らかく微笑む。

「今日はルーク様に、魔法というものに触れていただこうと思います」
「触れるって……なんだよカノンノの時みたいに、あの竜巻みてーな所に入れっていうのか?」
「いえ、そんな大層な事はしませんよ。…失礼します」
「おい、わっ!」
「ファーストエイド」

 一歩踏み込み、ルークの頬にそっと手をかざす。顎に指先を当てて、手の平で頬を包み込むような形のまま止めた。手甲の冷たさに驚いたルークの瞳が一瞬たじろぐが、きゅっと口元を引き締め我慢している。子供っぽくて負けず嫌いな性格は、陽の精霊達によく好かれそうに見えた。実際その通り、おぼろに光る精霊が周囲を楽しそうに踊っている。目に見えている訳ではない。だがフレンには分かった。
 呪文を唱えればその光はますます強く点滅し増えていく。そのままかけ続ければ、ルークの頬で遊ぶ光の精霊ルナはどんどん増えていった。元より傷ひとつない肌でつるんと滑ったり、心地良さそうに撫でたりと。見えないが分かる情景に、フレンの口元はついゆったり曲がってしまう。
 それを見て置いてきぼりにされたルークは取り残されて困惑しており、それが可哀想な声になって出ている。

「な、なんだよ俺どこも怪我なんかしてねーぞ」
「ファーストエイド! ルーク様、何か感じませんか?」
「いや別になんも……」
「術を発動した瞬間が一番分かりやすいんです。ファーストエイド! ほら、マナが消費されて精霊達が踊ってますよ」
「どこにそんなのがいるんだよ! んなもんどこにも見えねーっての!」
「目を瞑って、回復した瞬間に集中してください。どんな些細な感覚でも違和感でもかまいません。僅かな違いを感じ取る事が出来れば、それがマナを源にして世界に働きかける力……魔法なんです」

 ファーストエイド、ファーストエイド……何度も何度も、フレンは魔法をかけ続けた。対象者に傷は無くとも、これだけ濃いマナの中ならばエネルギーが流動する様子がよく見える。段々と空気のうねりが視認出来るまでになってきて、フレンの息は苦しくなった。
 これ程の魔圧ならば逆に術者には辛い環境となってしまう。ルミナシアに満ちるマナだが、取り込み過ぎも人体に影響を及ぼす。利と害は常に表裏一体、上手く付き合う事が大事なのだと、昔読んだ教科書で感心した事をこんな時なのに今フッと思い出した。
 甲板でクレス達と楽しそうに稽古しているルークの姿を遠くから目にした事が幾度か。勝てば嬉しそうにはしゃぎ、負ければ悔しがって拗ねて。マジでお子様だな、と隣でユーリが面白そうに笑っていた。失礼だぞ、とフレンも口では注意したが同じように見えてしまった事は秘密にしている。
 子供だから素直で、子供だから嘘付きで、子供だから自慢して、子供だから羨んで。そして子供だから困難に直面するが、子供だからそれを乗り越えられる力がある。精霊は自らの力で乗り越えようとする者の味方だ、間違いなくルークに力を貸してくれるだろう。
 しかしフレンの自信と期待とは裏腹に……精神力が空になってもルークの表情は発見の喜びに溢れる事は無かった。ほわりと優しい光が何度も頬を照らしても、ただただ、瞳の端っこが泣きそうに垂れていくだけ。可哀想なくらいに眉が下がり、迷子になって途方に暮れる子供が立ち尽くしていた。

「……わりぃ、もーいいって」
「グミを食べて回復しますので、もう少しやってみましょう」
「いいっつってんだろ! 何度やったって同じだ、なんも分かんねーよ!」
「しかしルーク様……」
「どうせ俺はアッシュと違って魔法の素質なんか元からねーんだよ! それが分かっただけでも収穫じゃねーか。これでもう無駄な事せずに済むんだからよ!」
「そんな事はありません。今は焦りが邪魔をしているだけです、落ち着いてもう一度やりましょう」
「うっぜーなしつけーんだよ! ただの騎士が俺に意見すんな!」

 苛つきが頂点に達したルークの拒否は、フレンの手を跳ね飛ばす。手甲を装備しているのだから痛いのはルークのはずだ。その通り、物理的ではなさそうな痛みに表情を歪ませている。
 周囲の空気が途端にピリピリしたものに変わる。感情豊かなルークのヒステリックさが伝染し、耳に障るざわめきが大きくなった。発信源がこんなにも悲しんでいる怒っていると、精霊達が伝えてくれる。
 フレンにはこんなにはっきり聞こえるのに、どうしてルークには聞こえないのだろう。本当に不思議でたまらない。絶対に聞こえるはずなのだ、好条件が揃いすぎて怪しいくらいには。なのに現実ではどれだけ試しても、増えるのはルークの悲しみばかり。
 最初がヴァンへの憧れだったのに、今はアッシュへの羨望になっている。隠していた劣等感を引き出され苦しそうに歪める顔は子供ではない。普通の、悩んで苦しむただの人間だ。こんなにも悲しませるならば、傷を抉るのならばいっそ辞めようか。
 しかし、そう思ったフレンの口から出た言葉は何故か正反対だった。何も考えていない、今までを見てきて正直に思ったままを。

「はい、私は騎士ですから。だからルーク様の本当に叶えたい願いをお手伝いしたいんです」
「本当に叶えたいって……お前が俺の何を知ってるんだっつーの! 別にマジで魔法なんか使いたいなんて思ってねーよ、ただ暇だったから、思い付きだ!」
「ただの思い付きかもしれないですけど、でも嘘じゃないですよね。でなければこんな所にわざわざ2回も来たりしないでしょう」
「そっ……そんな、別に……っ」

 たじろいで一歩後退る。フレンの足は一歩進んで彼を追い詰めた。今を逃したくない、誤魔化して無かった事にしたくない。思い付きかもしれないが最初に魔法を使いたいと言ったルークの気持ちはきっと純真だったはず。
 尊敬する人物が使っているから自分も使ってみたい、それは誰にでもある感情だ。王子だの騎士だの関係無い、ごく普通の気持ち。それを叶えてあげたいと、手伝いたいと思う事の何が悪いのか。
 誰かを理由にして憧れるのは良い。けれど誰かを理由にして諦めるなんて事をルークにしてほしくなかった。これは我儘かもしれない、自分勝手な理想の押し付けだと断罪されそうな思考だ。本人がもう嫌だと言っているのを跳ね除けてまで続けるような事じゃないと、言ってしまうのはあまりにも簡単であっけない。
 だが目の前のルークの表情を見て、一体誰がじゃあ辞めようかと言えるのか。期待していた願いを、外からの原因で諦めさせられたような子供の顔だった。自分じゃどうしようもないから、理由をこじつけて駄目だったんだと自己防衛をはかる。
 そんな風にルークに諦めてもらいたくない。悔しさで唇を噛む跡を付けさせたくない。これは確かに、フレンの我儘かもしれなかった。けれどそれでも押し通したい願いでもある。
 願いが叶った時の喜びと達成感を、ルークにも感じて欲しいから。

「ルーク様には貴方が思う以上に力があります。それは権力や名前の力では決してありません、ルーク様自身のお力なんです。貴方が続けてこられた鍛錬や、お優しい所、分け隔てない所……それらは一朝一夕で身についたものではありませんよね? ルーク様が生きて、少しずつ自らで育ててきた才能という力です。魔法だって同じですよ、簡単に使えたりしないのが普通なんです」
「な、バ……馬鹿じゃねーのそんな、んなもん才能とか言わねーよ!」
「少なくとも私はそう思います。ルーク様の優しさは、貴方の才能です」
「そんな才能あったって意味ねーよ、何の役にも立ちゃしねーし」
「そうでしょうか。私はルーク様のような優しい方が王になられる事を嬉しく思いますよ」
「だって部下より出来ねー王様とかかっこわりーし、そもそもアッシュの奴が何でも出来るから俺の立場ねーしさ」
「ルーク様とアッシュ様では出来る事が違います。おふたりは別人なんですから、当たり前の事じゃないですか」
「だ、だからそれが……それが、ウゼーってか、……困るんだろーが」
「人と違う事が出来なくても、出来る人間がすれば良い事です。そうやって人はどこまでも繋がっていけるんだと、私は、青臭いと言われるかもしれませんけど思っています」
「それは! それはフレンがただの騎士だからだ! ここに立った事が無い奴に俺の事はわかんねーよ!」
「では教えてくださいますか、ルーク様」
「な、えっ……」
「貴方の苦しみを助けられるなら助けたいと思うんです。それは私が騎士だからではなく、……個人の考えとして」

 結局はそこに行き着く。ジェイドに対して答えたものと同じだ、助けになりたいから。
 自国の民が苦しんでいるならフレンはその国の騎士として当然に動く。しかし別に、他国で他国の民だろうがそれは同じだった。元々が下町の皆を守りたいから、家族が安心して暮らせるようにと志願したから。そこに選民意志は無く、求められるならばそれに応えたい。
 ある意味では自分勝手で考えなしかもしれない事は重々承知の上で、自分ではそれを辞める気が無いのだからしょうがなかった。
 他国の王子であるルークが命令するならそれに応えるのは当然なのだが、もう止めろという命令は聞く気にならない。本来ならばあってはならない事で、場所が場所ならば国際問題に発展しかねない事案だろう。
 だがフレンはギルドメンバーとして過ごすルークを知っている。我儘で短気で怒りん坊、よく人を困らせる。ガルバンゾでヨーデルやエステリーゼを知っている分、同じ王族としての違いに最初は驚いたものだ。
 しかし共同生活を通して見れば良い所も見えてくる。ルークの良さは王族や貴族としての振る舞いではなく、もっと単純で素朴なものなのではないかと思う。そしてそれは滅多に無い、失くしてしまうには惜しすぎる良さなのだと。
 だからフレンは今、王族の王子様の命令で動く騎士ではなく、純粋にルークという人間を好ましく思っているから力になりたいと、そう考えて引き止めていた。
 礼儀を忘れてはいけない。だが国と民の差を感じさせないルークの前ならば、その立場は必要ないと思わせてくれる。それは国元で貴族と下町の扱いに差を感じていたフレンにとって、喜ばしくてしょうがない事だった。

「ルーク様の力になれる事が嬉しいんです、叶えるお手伝いがしたい。でもそれは私の勝手な考えなので、それが押し付けで迷惑だと言われるなら……止めるしかないんですが」
「そりゃしつこいのはウゼーけど……」
「……すみません」

 顔を伏せる直前のルークの顔は、またも困り果てた子供のようだった。しょんぼりして元気がない、落ち込んでいる。普段怒ったり面倒臭そうな表情ばかり見てきたものだから、こんな顔を見ては胸を苦しくさせた。
 特別扱いをしたい訳ではないし、子供扱いで何もかも手出しして補助しようとは思ってはいない。けれど何故かルークの困った顔はすっかり子供のようでじっとしていられなくするのだ。子供時代下町で、年下の小さな子の世話を見ていた時のような気持ちになる。こんな事を言っては怒らせてしまうだろうから絶対に言えないけれど。
 静まり返る空気が、精霊達のざわめきで震えた。尖った緊張が肌を刺し、ルークの慰めに差し出したフレンの指先は無自覚で舞い戻り腰の剣を取る。右足を力強く踏み込み、流れに任せて振り向けばその地面には見覚えのない影が落ちていた。

「ルーク様、引いてくださいっ!」
「おわあっ!?」

 ――どすぅん! と、重圧感のある巨体が空から降ってくる。背中の甲羅には痛々しいトゲを生やし、人間の何倍もありそうな体から太い手足を生やしていた。フレンは驚くより先にルークの前に立ち、左手に盾を持って体勢を整える。
 本来ボルテックス・トップはあまりの濃いマナにより魔物は近付けないはず。しかも強襲してきたチャージトータスは、ここよりも下の階層の魔物。だが考えている余裕など無く、魔物は自分の手足を甲羅に仕舞い、大きくジャンプしてフレンを下敷きにしようと攻撃してきた。

「ハァッ!」

 敵がどすん! と着地した後、あの巨体からは信じられないようなスピードで地を這い、恐ろしい牙を晒して噛み付いてくる。それを盾で防ぎ一閃、剣を奮うが甲羅にはかすり傷すら付かない。
 周囲を見ても他に魔物は現れないようで、フレンは冷静に位置取りをしつつルークを背中で守った。

「ルーク様、すぐに終わらせますのでお待ちをっ」
「何言ってんだ俺だって戦うっつーの!」

 ごく当然に放った言葉がルークの癇に障ったらしく、踵を蹴って飛び出す白い背中がフレンの前を走ってひらひらと舞う。魔物とぶつかる目前で大きくジャンプし、重力を乗せて斬り付けたルークの剣がガギンッ! と真上から響いた。

「かっ…てぇ!」
「ルーク様危ない!」

 やはり傷ひとつ付かない甲羅。むしろ流しきれなかった衝撃でルークの方が固まり、ふらりとバランスを崩して空中落下しようとしている。魔物がその隙を逃すはずもなく、ぐるんっと体を回転させ、落下地点目掛けてあんぐりと口を開いて待ち受けていた。
 重い鎧を羽根のように鳴らし、フレンは魔物の大口に滑りこんで盾を噛ます事で止める。真上から降ってくるルークを受け止めようと顔を上げた瞬間、やってきたのは白い背中ではなくチャージトータスの硬い皮膚で覆われた刺々しい尻尾だった。






  


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