光さす庭・Prologue








***

 リタが来てから、ルークはリタにべったりだ。滅多に来ないという事もあるが、それ以上にはしゃいでいるようにも見える。こちらと毎日世話しているのに、偶に現れる者ばかり好かれて少々納得がいかない気がしなくもない。まぁ見ていると姉弟のような微笑ましさがあるので良いが、実際は兄妹、だと思うとなんというか……不思議にも思える。あの様子をアッシュが見たら嫉妬するのだろうか。ちょっと見せてみたい、とユーリはひっそり思った。
 そしてユーリは今日、ライマ城に来ている。目的はジェイドに会う為。ルークの身体計測結果を3日に1回は届けているのだ。解毒が済み宝珠が取り除かれたとは言え、それでめでたしめでたし、とは終わらない。宝珠から開放されたルークの体がどんな変化をもたらすのかは、起こってみないと分からないのが実状だ。なので毎日身長体重、体の変化を事細かく記録してジェイドに届けている。これでも前は採血も頻繁に行っていたのだが、最近ようやく1週間に1度で済むようになっていた。
 中々気が抜けないな、と重い息を扉の前で吐く。ノックをしようとする前に、部屋の中からどうぞ、と涼しげな声が。相変わらずこちらの考えを見透かすような人物であり気が抜けない。昨日のレイヴンをふと頭に浮かべ、似てるけどなんかこっちの方が負担だよな、と今更な事をユーリは感じた。

「お疲れ様です。記録上ではルークの成長は順調なようですね」
「元気過ぎて手に負えないくらいだ」

 ジェイドの仕事部屋は案外狭く、大佐という身分にしては不相応ではないかと最初思ったが、どうやら本人希望の下であるらしい。場所は1F、窓はごく普通の大きさで東にあるのみ、反対側の壁は一面書類棚で埋まっている。そしてジェイドの机はこれだけ場違いに豪華、というか頑丈そうな作り。それが中央から少し棚よりに設置されていた。
 初めてこの部屋に入った時は奇妙な感覚を覚えたが、これら全ては襲撃に備えて間取りした結果だそうだ。今はその必要も薄く、アニスは模様替えをしたいと言っていたが、当の本人は不便さに慣れて便利になってしまった、と笑っている。
 そんな部屋の中、ルークの測定結果を渡す時は毎回ふたりきり。日々の記録をじっくりと見つめる紅い瞳は真剣で、軍人というよりも医者に見える。だからこそこうやって、待つ時間というものにユーリは少し緊張した。時折ページをめくる指をピタリと止めたり、意味ありげに紙面をトントン、と叩くのだから当然だろう。もしかしてわざとやっているのでは? と思うようになったのは最近だ。

「今もルークは毎日身長が伸びてる、これならもう大丈夫だと思ってもいいよな?」
「その割にあまり体重は増えていませんね、もっとブクブク太らせてください」
「毎日3食おやつまで食って、これ以上はやり過ぎだと思うんだけど」
「ルークの成長が再開して1年、アッシュのデータを元にすれば現在彼は11歳相当にあたりますが、たった1年間で4歳分の急成長をしているんですよ? 中身の体つくりが急ごしらえ過ぎて、内臓器官が貧弱です。出される食事に関しては信頼していますが、もっと食べさせてもっと動かしてください」
「つってもなぁ、ルークだからよ」
「そこが貴方の腕の見せ所ですよ、下僕なのでしょう?」
「下僕ってのはトレーナーじゃねぇぞ」

 そう、ルークの解毒と治療期間を経て宝珠を取り出したのが2年前。ラザリスの事件が終わってあれから計3年になる。ルークの成長は目覚ましく、むしろ心配になってしまうスピードだった。取り出してからはあまり変化が無かったが、去年ライマの実家に帰って以降、毎日目に見えて成長している。今まで抑制されていたのだから、その枷が無くなったので成長を始めたというならば自然な事だろう。だがスピードが違う。まるで遅れていた分を取り戻そうとしている勢いなのだ。だからこそ周りはまだ安心する事が出来ない、特にジェイドは神経を尖らせている。
 しかし周囲がどれだけ気を揉んでも、ルークはルークなので……宝珠が無くなった開放感からか、楽観しきりで生意気さに拍手がかかっていた。相変わらず好き嫌いはするし、勉強が嫌になれば抜け出してくるし、今朝のように唐突にダラけたがる。
 変にネガティブで以前のように思いつめ、突飛な行動に走るよりかは良いのだが、これはこれで手を焼いている。特に最近はユーリへの接触を避けているように見えた。反抗期は別に構わないのだが、避けられるあまりルークの変化を見過ごす方が心配だ。

「あいつ時々関節が痛むらしくってな、夜中寝付けない時があるみたいなんだ」
「ふむ、成長痛ですか。一般的に言われる年齢からは外れますが、この成長スピードなら有り得ますね。身長が伸び体重は増すのに、それを支える骨組みが弱いのです。気を付けて見ておいてください」
「言われなくても。……あいつ、痛むって事オレにだけ言わねーんだよなぁ、ったく」
「おやぁ、反抗期ですかぁ?」
「そこ、嬉しそうにすんな」

 どこかの誰かとそっくりな反応を見せて、ユーリは少々うんざりした。何故周囲の人間は自分とルークの仲が離れると皆揃って嬉しそうにするのやら。まぁその理由を知ってはいるのだが、つまらない話なのでさっさと忘れる事にした。

「なんか最近オレに隠し事してるみたいなんだよな。別にそれはいいんだけどよ、体の異変があっても言わねーってのはちと気になってんだ」
「また何か良からぬ事を企んでいるのではないか、と?」
「反抗期ってだけならいいさ。けどルークの場合は前例があるからな。誰かさんと一緒で」
「全く困ったものですね、その誰かさんとやらも」

 ジロリと睨みつけても暖簾に腕押し。ジェイドの笑顔はレイヴン全く方向性が違うのに、全く同じように見える怪しい笑顔だ。

「もう紋様による連絡は使えないはずですが、どんな手段が残っているか分かりません。変わらず家からは出していませんね?」
「ああ、前は家の周囲までなら一緒に軽く散歩させてたんだが、成長が始まってからは一切」
「ふむ、分かりました。こちらでも探りを入れてみましょう」
「ああ頼むぜ。聞いておくけど残党の可能性ってのは無いだろうな?」
「団員名簿を押収しましたので、判明している分の所在は全て確認済です。ですが言ってしまえばそれだけ。ゼロと言うには足りませんね」
「あんたの所の監視機関は信用出来るんじゃなかったのかよ」
「古い人間程教団への信教は根強い。そして多少の改革があったとは言え、今もライマの実権を握っているのはその古い人間ばかりです」
「はぁ、アッシュやナタリアも苦労してそうだな」
「今まで良しとしてきた常識が、突然悪しと言われても簡単には受けいれられませんよ。実害を受けなかった民衆の為、表向きは教団も未だ通常通りあるのですから余計にね」
「見る側によって変わる善悪、か」

 ライマの民にとって、ローレライ教団は日常身近にある宗教に過ぎない。敬虔に祈りを捧げ、迷いを相談し背中を押してもらう、昔程では無いにしろ今でも敬うべき対象なのだ。古い秘預言なんてものは王家の古株にしか知られず、アッシュとルークを殺し合わせようとしたのも、ほんの一握り。その一握りが主導権を握っていたのが問題なのだが。
 取り出された宝珠と剣は現在宝物庫の奥に封印されており、その事実は関係者の一部、特に味方側しか知らない。だがジェイドも言ったように、ライマにとっては秘預言と教団こそが常識で正義だったのだ。何時どんな形で裏切られるか分からない。だからこそジェイドやアッシュは帰って来てからの方が余計にピリピリしている。
 教団自体の理念は悪ではない、それを信じる者も悪でない。宝珠と剣の伝説も、古くから当然行われるべきと思われ続けていたもの。言い換えればひとりの犠牲で国民全員の繁栄を保証されているのだから安いものだ。立場によってはそう断ぜるかもしれない。
 そんな事は到底納得がいくかよ、と即座に否定する。だからと言ってライマ国民全員に、お前達が祈ってきた奴らは裏でこんな暗躍をし続けてきたんだ、と責める資格も無い。

「まぁ以前のような強行手段を取れる力が無くなったは保証します」
「誘拐に暗殺な。わざわざ遠い国まで遠征してくれて、ご苦労さんって言いたいわ」
「レプリカ装置もどうやって復元したのか……下手に記録を残すのはやはりよくありませんでした。徹底的に破棄しなくてはいけませんね」
「レプリカ装置って何だ?」
「いえ、こちらの話です。とりあえず今はルークの成長だけを気にしてください」
「また気になるような言い方しやがって。まぁいいさ、あんたの事は信用してないけど、信頼はしてるからな」
「最近よくそう言われるんですよね、こんなに一生懸命働いているというのに……悲しい事です」

 ならその胡散臭い言い方を止めろ、と言いたいが、これがジェイドなりの戦い方なのだろう。国軍人でありながらルークを生かす側へと立っている。相当上手く立ち回らなければやっていけない事だ。味方においても気が抜けないのはもう、彼の持ち味として認めるしかないのである。
 正直ルークの自殺を止めなかったのをまだ少し根に持っているが、あの当時誰が止めたとしてもルークの耳に入らなかったのは確か。結果論ではあるが、ルークは一度死んだからこそ今生きているのではないかと、最近はそう考えるようになった。




*****

「何コレ?」
「何って、見て分からないか?」
「分からないから聞いてんでしょ、何よコレ」
「天才少女と名高い魔導器研究者からあっさりそんな言葉が出るとはねぇ」
「あーもーうっさい! 大体これどう見ても魔導器とは無関係じゃない! というかコレが何かは分かってるわよ!」

 コレ、を指してリタはプンスカ怒っている。場所はファブレ家の玄関、入ってすぐの大柱前だ。そもそもリタは自分に興味ある事には無視する程なのに、そんなにもコレが奇異に映るのだろうか。
 確かに豪華で貴族そのものの屋敷、家の顔ともいえる玄関入ってすぐこんな物を目にすれば誰だって疑問に思うかもしれない。初めに訪れた時は先にルークが突撃し、強引に手を引いて行ったので目に止まる暇が無かったのだろう。メイド達はごく当然に周囲を掃除して回っているし、警護に立つ白光騎士だって怒るリタを前に黙ったまま。いや少し甲冑が揺れているので、こっそり笑っているようだ。
 今ユーリとリタが立つ前には大きな白い柱があり、素材から見て大理石だと何となく分かる。だがこの大きく美しい柱には、ユーリ達の腰下の高さに幾つかの線が引かれていた。傷を付けて線を引いており、下から上へ、5.6本程度ではあるがそれなりに目立っている。その横線が途中で途切れ、一番上には現在、技巧の美しい鞘に収められた剣が妙に低い位置で飾ってあった。
 事の成り行きを知る者は、リタの疑問に我慢出来ずクスクスと笑っている。勿論ユーリも口元が歪んでしまうのだが、それを見て余計に怒りを買ってしまった。

「ちょっと! 笑ってないでさっさと言いなさいよね!」
「いやだからな、コレ。ルークの成長が始まってから、あいつの身長をここに刻んでるんだよ」
「まぁなんとなく分かってたけど……。でも途中で途切れて、剣が飾ってあるのは?」
「執事長サマが柱を傷付けるのは止めてくれって、泣きながら頼むもんでな。けどルークは毎日伸びる身長を見せびらかしたくてしょうがなくってよ。だから線を引くのを止めて、元々飾ってあったこの剣を使おうって事になって、こんな事になってる」
「剣なんて使ってんじゃないわよ、抜けたら危ないでしょ」
「いやなんか、ガイが言い出したらしいんだよな。折角だからこれ使ってくれって」
「折角の意味が分かんないんだけど。ってかそれでOK出しちゃう方もどうなのよ」
「知らねーけど、公爵がすげー歪んだ顔で許可だしちまったらしいし。家に来る奴なんて限られてるからいいだろ」
「あたしが身長測る機械、作ってあげるわよ?」
「いやルークは伸びる身長見せびらかしたいだけだから、多分使わねーと思うぜ」
「……ガキっぽい」
「そりゃガキだしな、今まで出来なかった事だからいいじゃねーか」

 理解したリタは呆れた顔で、しかし笑っている。このエピソードを聞いた人間の大体の反応で、やはり周囲も微笑ましそうにしていた。今まで成長しなかったルークの、日々大きくなる視界のはしゃぎようは凄まじい。そしてそれを喜んでいるのは周囲も同じだ。
 毎日何ミリ大きくなった! と朝起きて身長を測り、屋敷の端から端まで駆け回っているのだ。テンションの高いまま玄関の柱で高さを刻み、毎日これだけ成長した! とはしゃぐルークを止められる者はこの屋敷に存在しない。
 それでも高価な大理石に刻まれる傷が両手を越えそうになって、流石に長年務める執事長は我慢出来なかったのか、本当に遠回しに、ルークをなんとか傷付けまいと柔らかく柔らかく説得しようとしていた姿は涙と笑いを誘った。あれは今でもメイド達や騎士の間で、酒の席の良いつまみになっている。
 飾られたいた剣はライマの物とは微妙に毛色が違うように見えるが、どこからの物かはユーリは知らない。ただ最初にルークの身長を残そうと、この柱を選んだのはガイだと聞いている。リタが言うように機械を置くか紙を貼るか、いくらでもやりようはあると思うのだが、こうして落ち着いてしまった以上急に変更してはルークが悲しむから、という名目で剣を測りにして残したまま。
 一度ガイに聞いてみたのだが、何時もの爽やかな笑顔で誤魔化されてしまった。よく分からないが、この家で納得がいっているならば口を出すべきではないのだろう。ガイは時々感慨深そうにしみじみとこの柱を……ルークの成長を見ている。

「ライマにはどれくらい滞在する予定なんだ?」
「一応技術監督としても呼ばれてるから、もう暫くは居る予定。でもアドリビトムに残してる仕事もあるから、長居は出来ないって感じかしら」
「それは良いけどルークとも遊んでやってくれよ」
「遊ぶのはあんたの役目でしょ。まぁ、ちょっと見るくらいの時間は取るつもりだけど」
「最近ルーク、あんまりオレに構ってくれないんでね。下僕も飽きられたのかも」

 少々自虐的に言えば、リタはいかにも馬鹿にしてます、という表情を満面に鼻で笑った。馴染み深い知り合いは容赦が無くて手厳しい。これがフレンとなれば、きっとお説教コースが始まっていたな、と簡単に予想出来てユーリの肝は久しぶりに冷えた。


 午後の時間、ユーリは中庭に面した廊下で立ち止まった。見ているのは日差し眩しい日向の中央、大事なお坊ちゃんと怪しいおっさんが戯れている。はしゃいでいると言えば聞こえは良いが、あれは下手すれば一種のオヤジ狩りに見えなくもない。ルークの有り余るパワーにレイヴンは哀れにも悲鳴を上げていた。
 それもそうだろう、遊ぶとなればユーリやガイでも息切れする程の現在、くたびれた顔で誤魔化すレイヴンでは保たないのは明白。降参降参、と泣きながら逃げ回っている尻を、ロイドに貰ったゴム竹刀で追い掛け回していた。やはりどう見てもオヤジ狩り。しかしこの家であんなに楽しそうなルークを止めようとする者なんて、存在しないのである。それは勿論ユーリも……と言いたいが、あんまりにもボロボロになっているので、もうそろそろ止めてやろうかなという気持ち。
 あの笑顔が止んだら庭に出るか。そう決意するが中々ルークの太陽は陰らない。喜ばしい事だが、加速度的にレイヴンのボロ雑巾具合が増しているのはどうしよう。傍に付いているガイはこれまた輝かんばかりに笑顔だ。あれはおそらく獲物がボロボロになるまで使い潰す気満々だろう、四面楚歌という言葉が浮かび上がる。
 動かない足はタイミングを見失ったというよりも、やはり下僕としては主の笑顔は保っていたい心情のせい。最近自分の前で笑顔を見ていないとなると特に。

 どうにも、ここ数ヶ月だがルークはユーリに隠し事をしている気配がする。船ではあんなにベタベタベタベタ、引かれる勢いで世話をしていたというのに。増えた体重を確認したくて抱っこするが、すぐに逃げられる事もしばしば。女性のように恥ずかしい、という訳でもないのにどうした事やら。反抗期だと思い至ったのは周りの言葉から。
 公言する通りルークから嫌われてもユーリの胸は傷まない。それを超えた信頼がふたりの間にはあるので、一時的なものだとお互い理解している。何よりも強い繋がり、……約束。

 約束を思い出す方がユーリにとっては気が重い。その理由は嫌になる程分かっていて、言いたくないが忘れる事も出来ない苦しいものだった。
 連れていくと言った。もしどうしても駄目な時は、自分が連れて逝くと。
 ルークが成長を始め日々大きくなっていく体を傍で見て、喜ばしいはずなのに、自分が一番喜ばなくてはいけないのに、あの時交わした約束が比例して胸を締め付けるのだ。
 生きる事を願っても還ってこなかったのに、終わりの約束をして還って来たルーク。今ではそんなつもりもう無いはずだ、あれは追い詰められた末の暴走だったはず。でなければああやって誰かと笑い過ごす訳がない。
 生を強烈に感じさせるルークを見るとどうしても、終わりの約束を思い出す。最も遠ざけるべき思想を、最も近い自分が抱えているという矛盾はユーリの胸を日々突き刺していた。
 ルークがもし願えばユーリは連れて逝かなくてはならない。そんな事をするつもりはないが、絶対に、約束を破っても。だがそのせいでルークがまた絶望の眠りに就いたらと思うと震えが走るのを誤魔化せなかった。
 今でも時々、閉じている瞼が恐ろしくて呼吸を確認してしまう。いいや呼吸だけでは駄目だ、起こさなければ安心出来ない。当然として生きている現実を確かめなければ、自分が望んだ夢の中ではないかという恐怖が付き纏うのだ。
 可笑しな話で、昔はそんな考え方しなかったはずなのに、どうして幸せなはずの今を疑問無く享受出来ないのか。未だ不安要素が残るから? ルークに隠し事をされているから? そんな話ではない、もっと満ち足りたものが欲しい。それは一体何だというのか。
 ルークと出会ってから様々変わったが、それに合わせて悩み事も山積みである。やはり昔のように、ふたりと一匹でガルバンゾでただ暮らせたら……なんて。両親の笑顔を見た今では出来ない事をまた悩む。

「流石オレのお坊ちゃんは一筋縄ではいかねーな」

 頭の中でゴチャゴチャしそうな悪手を、投げやりな声に出して処理してしまう。問題の先送りだが最近はそうやって誤魔化していた。視線は光の中のルークから離れず求めているのに、ユーリの足はあの中へ入ろうとするのを拒否している。求めているが、こんな危険思想な人物を傍に置いておけない。涙が出る程主想いだと、自分でも思うくらいだ。
 重だるい海に浸る背後、何時も通りの気配が警告している。ユーリは一気に空気を入れ替え、苦笑しながらさっと振り下ろされた拳を躱した。すると白光騎士団のひとりが慌ててたたらを踏み、転びそうになるのを素晴らしいバランス感覚で立て直している。

「騎士サマが背後を狙うってのは卑怯なんじゃねーの?」
「ええいこの! 貴様がツッコミを入れなければならんような事を言うからだぞ!」
「人の呟きを勝手に聞いておいてよぉ。そもそもあれのどこにツッコミが必要なんだっての」
「誤魔化しても無駄だ、俺はしっかりこの耳で聞いたのだぞ! いいか新入り、ルーク様の紹介で入ったとはいえ、この家のルールはしっかりと守らねばならんのだからな!」
「へーへー、すいませんで」

 毎日1回はやるやり取りだが、ユーリは案外気に入っている。一見すれば先輩風を吹かせた嫌味なのだが、これの結末が分かっているのでつい楽しんでしまうのだ。だから余計に、過剰気味で煽ってしまう。

「その腑抜けた返事ぃ! 全くアッシュ様やガイから推薦されているとは言え、騎士団の練習にも来ないクセに……!」
「オレ一応ルーク専属の従者って事で入ったもんで」
「だからそれが! 許されんと言ってるのだあっ! いいかユーリ、よぉく聞いておけよ! ルーク様はみんなのルーク様、我々の使える主の可愛らしいご子息! 貴様が独占していいものでは決してないのだぁ!」
「あー、また始まったよ。毎日毎日あんたらもよく叫ぶよなぁ」

 1年前にユーリがファブレ家に入った時から既に、ファブレ家のメイドも騎士も基本的にルーク親衛隊のようなものだった。確かに考えてみれば、家族や人質を取られないよう隙の無い、何が何でもルークを守る事を優先する人物像となれば残るのはこういった類だろう。実際ユーリもルークを守りたいと思ってこの家に来た訳だ。
 少々加熱気味とは思うが、これも安全が確保された現在だからこそ、とガイは語る。こんな状態でも一番激しい時は、毎日メイドの顔が変わっていたらしい。自分や家族以上に優先されるには、やはり好意しかないのも当然だった。だからこそルークは日々愛想を振りまいて子供らしく振る舞い、余計に自分を追い詰めていたのだが。
 今では笑い話で済まされているのだから、新参の自分も笑い話にしておくのが一番だろう。いびり倒される日々だが、それもある種の優越感となっている。

「けどお前らだって時々言い合ってるじゃねーか。俺のルーク様の可愛さはルミナシア全土を照らす! だとか言って」
「馬鹿者! ちゃんと周囲を確認してひとりの時に言っている! 今のはツッコミが入るような事をツッコミが入るような場所で言うのが悪いのだ!」
「滅茶苦茶な持論は流石ファブレ家だなほんと」

 似たような事を白光騎士団員の大体に言われれば、いい加減ユーリとて呆れもする。ルークの推薦、ルーク専任、ルークとべたべたいちゃいちゃしている、が相当許せないらしい。特に恨み節を感じるのは最後だが、最近はそれ程近付いていないというのにこのイチャモン付けである。もう笑うしかない。
 それでも根底がルークへ、ひいてはファブレ家への忠誠心であるし、大事なお坊ちゃんを守っている騎士達だ。ルークの事さえ持ち出さなければ気の良い人物ばかりだと、屋敷での生活でユーリもよく分かっている。
 しかし少々柄が悪いし、愚痴っぽい。長々と続けられてもユーリにはそうですか、としか言い返せない。こういう時は交代の時間まで待つか、ガイが助けに来てくれる事を祈るしかないのである。
 だが今日は風向きが悪い日だったらしく、助け舟どころか援護が現れてしまった。

「そうよ、ユーリが悪いわ!」
「あー、またうるさいのが来た」

 メイドのひとりが怒り顔で拳を握り、ユーリに詰め寄ってくる。彼女はメイド隊の中でも特にルークの可愛さにやられているひとりで、部屋には自作の特製ルーク人形がひしめき合っているとかなんとか。よくよくティアと話し合っている場面を目撃するので、その手のやつだ。少々病的な。

「だってユーリが来てから至福のルーク様お世話タイムが私達にほとんど回ってこなくなったのよ!? ガイはしょうがないけど、ぽっと出の新人がルーク様の寝顔を拝める朝の目覚まし役を独占するなんて……酷いと思うの!」
「あんたらの仕事を奪っちまって悪いとは思ってるけどさ。詫びとして毎日デザート作ってるじゃねーか。人数分以上作ってるはずなのに毎回ぺろりと綺麗に無くなってるしよ」
「しょうがないじゃない、ユーリのデザートが美味しすぎるのが悪いわ! おかげで先月3キロ太ったのよ!」
「それは流石に自己責任……いや、なんでもない! そうだぞ、ユーリが悪いぞ! もっと先輩を敬うべきだ!」
「日々ルーク様に笑いかけてもらえるよう、一生懸命働いて見える場所でさり気なくミスしてるのに、貴方が居ると寸前で助けられちゃうんだから!」
「そうだそうだ! 貴様がルーク様の前で曲芸のような剣技をするせいで、我々の所に来てくださる事が無くなったんだぞ!」
「いやミスすんなよ、メイド長に怒られんぞ。それとルークは元々騎士団の宿舎に行かないだろ、ガイの部屋に行く途中で通るだけだし」
「いーや何か奇跡が起きて、ある日突然ルーク様が寂しいから一緒に寝てくれよぉ、と仰るはずだ!」
「ユーリの馬鹿馬鹿! せめてルーク様の可愛らしいお姿を写真に撮ってきてちょうだいよ! 隠し撮りでいいから!」
「あんたらをジェイドの所に突き出した方が良いような気がしてきたわ……」

 本当に、一歩踏み外せば彼らの方が犯罪者っぽいのはなんとかした方が良いのではないかとユーリは常々思っている。アッシュに相談した時は、鍛えぬかれた精鋭達だからな、と不敵に笑っていたので万が一にもそんな事はなさそうだが。
 2対1でやんやの言われていると、突然メイドの眼の色が変わった。ハートでも浮かんでそうな瞳でユーリの後ろを見るものだから、振り返って見れば顔の少しだけを覗かせてちまっこい朱金の髪が、庭に通じる入り口からはみ出している。綺麗なビー玉のような翠色が光り、上目使いでこちらのやり取りを見つめていた。

「ルーク様!」
「おうルーク、おっさんと戯れるのはもう止めたのか?」

 黄色い声がふたり分、声量高く上がるが呼ばれたルークは躊躇するように壁際でもじもじしている。唇をツンと尖らせ、何やら拗ねているようにも見えた。庭を見ればレイヴンがぐったりと伸びており、ガイが笑いながら飲み物を差し出している最中。どうやら遊び尽くされて飽きられたようだ。
 それに口元で笑っていると、ルークの狭い歩幅がトタタッと勢いよく駆け、ユーリを通り抜けてメイドの手を取った。

「なぁアレ、例のやつ! ユーリなんか放っといて続きやるぞ!」
「あ、はいルーク様! 今すぐに!」

 小さな両手できゅっと握り、甘えるように上目使い。表情を作ればもっと完璧なのだが、生憎ルークがそこまでやらないのはそんな事をせずともファブレの人間は甘ったるいからなのかも。掴まれたメイドは完璧に陥落しており、声がピンク色になっているのが分かる程弾ませている。
 ルークはへの字に曲げた唇をもっと曲げて、意味有りげにムッとした不満そうな瞳をユーリへと強烈に刺す。しかしすぐにぷいっと背を向け、メイドの手を早く早くと先導し廊下を行ってしまった。
 なんだろうあの態度は。今まで見た事が無いパターンである。大体のルークは怒るか笑うか生意気言っているかのどれかで、拗ねるのは我儘が通らなかった時くらいだ。それも実家であるファブレ家ではあまり見なくなっていたのだが……。

「なんだよ、つれないね」
「うう、俺もメイドであったならば……!」
「あんたがメイドだったらそれはそれで怖いからやめとけ」

 騎士が心の底から羨ましそうに行ってしまった扉を見るのて何となくユーリもそれをに続いていると、先程の幼い瞳を思い出す。ユーリなんか、と言われてしまった。拗ねているのか嫌っているのか、全くよく分からない反抗期具合である。
 むしろ微笑ましいのだが、見た目に伴って成長し続けている証拠なのだと思うと、ユーリの胸に渦巻くのはやはりあの約束なのだった。


 ライマに滞在する間、リタ達は街の宿屋で寝泊まりしている。ファブレ家に泊まれば良いと勧めるのだが、特にリタが性に合わないと言って断られている。ユーリも最初はこの家に慣れるのに苦労したもので、分からなくもない。仲間と言ってもやはり貴族、公爵家は何かと堅苦しいのは否めなかった。
 だが毎日訪れてルークと遊んだり遊ばれたりするのならば、素直に泊まっておけとも思う。相変わらずリタは素直ではない。それを口にするとレイヴン共々ファイアボールの餌食になるので言わないが。
 レイヴンと言えば、彼はあの胡散臭そうな笑みでルークと何やらコソコソ相談している姿を見かける事がある。ベンチがあるにも関わらず地べたに、レイヴンの股の間に隠れるように座り込んで羽織のせいですっぽり隠れてしまう。白光騎士達は何時でも武器を抜けるように警戒しているのだが、当のルークは輝かんばかりの笑顔なのでどこか笑える光景だ。
 ガルバンゾからアドリビトムの時まで、あのふたりがあんなに近付いている所を見た事が無い。一体何時の間にあんなに仲良くなったのだろうか。

 今日もふたりが帰る時間になった頃合い、大変に不満そうなルークが声を上げてガシッとリタにしがみつく。リタがちょっと離しなさいよ、と言いつつ悪い気のしていない顔で抵抗しているので、押せば勝てると踏んだルークが止めようとしない。笑える悪循環である。これを2・30分はやってから帰るのだから、その時間を織り込んで帰ろうかなんて言い出すレイヴンは悪い奴だ。
 彼も毎回玄関でメイド達にデレデレ顔で言い寄り、冷たくあしらわれるのだが今日は少々違うらしく、じゃれあうリタ達を尻目にヒソヒソ話の体でユーリに話しかけてきた。

「ねぇ青年、今日って何の日だか分かる?」
「は? 晩飯のメニューくらいしか知らねぇけど」
「誰かの誕生日とかってのも無し?」
「ファブレ家の誰かがそうなら今頃パーティーの準備で大忙しだろ」
「それもそうだわねぇじゃあなんで……まぁいっか」

 レイヴンは自分で聞いておいて勝手に切り上げてしまった。そんな事をされてはこちらが気になるではないか。片眉を上げて睨めば、どこ吹く風と胡散臭そうに笑っている。

「まぁ、末永く仲良くねって事かな? んじゃおっさん先に宿に戻るわね」
「なんだよ、気になるじゃねーか」
「きっとすぐ分かる事よ、いいじゃないの。あ、それとルー君からの伝言。今日の夜日付が変わってから部屋に来る事、だってさ」
「どういう意味……おいコラおっさん!」

 止める暇も無くレイヴンは手をひらひら遊ばせ、じゃあね〜、と行ってしまった。後ろでリタがちょっと待ちなさいよ! と必死でルークを引き剥がそうとしているが、あの様子では後10分は掛かりそうである。
 ルークからの伝言を何故レイヴンが? 本人目の前に居るではないか。先程言ったように誰かの誕生日でも無いし、特別記念日になりそうな日でも無いはず。ユーリとルークが出会った日、というのも考えてみたが違うし、そもそも最初のルークは眠らされていたので正確な日は分からないはず。
 何か言い辛い事……真っ先に解雇、と浮かんだが有り得ないので即行で却下する。反抗期だのなんだのと言うが信頼関係は健在だ、外からでは分かり難いかもしれないがルークからの視線でそれは十分理解している。
 ではなんだろう。次に思い当たったのはやはり約束の事だった。現在一生懸命生きているルークが死を恐れ始め、殺す約束をしたユーリの存在が怖くなった、もしくは……今でも望んでいる、という可能性。
 はっきり言ってどちらも嫌だ。だがルークが来いと言うならば自分は行かなくてはいけない。何か別の可能性を必死で考えるのだが、どれもこれも決め手に欠ける。
 ルークを見れば遂にラムダスから諌められてリタから手を離し、悔しそうにしている真っ最中だ。どうせ明日も同じ事をやるのだからもっと駄々のレパートリーを増やせばいいものを。いや推奨してどうする。
 あの様子を見れば死にたいと口にするなんて絶対に無いはずだ。しかし以前はその裏で自殺を考え進めていた事も知っているのだから、絶対と言い切れないのも事実。どうする、どうするべきだろうか。ユーリは熱視線でルークを見つめ続けるが、その日は結局ずっとこちらを振り向く事が無かった。不自然なまでの避け具合。やはり夜に行く他無さそうである。
 大事なお坊ちゃんが変な事を言い出さないように。ユーリはルークが生き返ったあの日以来に、世界樹へとささやかな祈りを捧げた。






  


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