光さす庭・Prologue








 さくさくと草を踏む音は、日付の変わる境目の空気によく響く。月は高く上り煌々と頭上を照らし、地上で生きる者に一時の休息を与えてくれる。何度も歩いた離れへの道、ルークの部屋。自分が来てから起こす役割と就寝をガイから半分与えられたのを覚えている。
 寝かせるのは簡単だが起こすとなると中々手こずらせてくれるのが最近のルークだ。ガルバンゾ時代は下の酒場で手伝いの約束があった分すんなり起きてくれたのに、実家ではそういった手伝いが一切無いので手持ち無沙汰になっている。
 ここでも何かさせた方が良いのだが、メイド達や執事長が中々許してくれない。外に出して遊ばせるのも、急成長している今は時期が悪いとしか言えなかった。

「中々、上手くいかねぇもんだな」

 ついボヤいてしまった言葉が虚しく夜に溶けていく。世界は助かった、ルークは生きている、良い事尽くめなはずなのに、付き纏う黒いモヤがどうしても晴れない。不安要素なんて探せばいくらでも出てくるものだ、わざわざ躍起になって探しやっぱり、なんてネガティブになる必要がどこにある。
 先に不幸を予想しておき、実際に直面した時の衝撃を和らげる為に? そうやって足を鈍らせ、掴み損ねるものだってあるだろう。そもそも性格的に愚痴だけ言って躊躇するなんて好きじゃない。それでもしておかなくてはいけないのはルークの為だ。
 何を置いても主の為に。健気過ぎて自分でも涙が出てくる程である。でもだからこそ、重く憂鬱な種が蠢いているのだ。自分ひとりの事ならなんとでもなる。ラピードやカロル、ギルドの皆は実力があるので心配していない。下町の人間はそれぞれの強さを誰よりも知っている、結束も硬い。
 誰かのひとりを特に強く、絶対的に、懐に隠しても守ってやりたいなんて傲慢を抱いたのは、ユーリにとってあの子供が初めてだった。

「ルーク、入るぞー」

 人目がある時はともかく、ふたりの間でノックなんてした事が無い。なので夜の時間でも変わらずユーリが足を部屋に踏み入れれば、明かりも無く真っ暗だった。シーンと妙に静かで空気は冷たい。外を歩いてきたので視界はあっという間に暗闇に慣れたのだが……ベッドにルークの姿が見られない事に気付く。
 まさか、誘拐? ゾッとした瞬間、パァンと軽い破裂音と火薬臭さ。襲撃か、と紐から剣を手繰り寄せた時、見慣れた暖かさが点く。それはロイドがプレゼントに贈った暖色のベッドランプで、細やかな細工が施された笠がぼんやりと天井に影を作っていた。
 そんな暖かな光を背負い、クラッカー片手のルークは険しい気配を飛ばすユーリに瞳を丸くしている。驚かそうとはしたが、まさかここまでとは思っていなかったのだろう。少し気まずい気配が流れて、どうしたものかとふたりの空気が固まる。
 先に動いたのはルークで、ぎこちないながらも口元をへにゃりと曲げ笑った。ユーリは遅ればせながら、その顔を見て緊張を解く。ドッドッド、と激しい鼓動に自分で動揺していた。

「お、驚きすぎだってーの。まぁ成功したからいーけど」
「あ、あー……。わりぃ」

 素直に謝れば、大きな瞳がぱちぱちと瞬きを。以前昼間に見た逆光と同じなのに、どうして今猛烈に苦しいのか、ユーリには判別がつかない。
 踵を返して、入り口のスイッチを入れれば部屋全体が一気に明るくなった。床はクラッカーの残骸が飛び散り、鼻を付く火薬臭がもうもうと。ルークの部屋であまり嗅ぎたくない匂いだと、ユーリは窓を軽く開ける。外の風はまだ冷たいが、今は構わなかった。
 それからズカズカと歩き、散らばる紙くずを蹴飛ばし小さな体を唐突に抱き締めてベッドに倒れる。腕を巻きつける度に大きくなって、どんどん成長している体。あっという間に大人になるに違いない、こうやって収まってくれるのも今の内だ。
 中間を味わえないルークを哀れに想いたくなくて、自分の慰めに狭い背中を撫でた。耳元で幼い吐息がかかり、胸元が収縮している。戸惑っている様子が分かっても腕を緩める事が出来なくて、ユーリはただ自分の為に時間をかけた。
 永遠、いやたった数分のち、恐る恐るといったルークの声がゆっくりと流れてくるのを耳に入れる。

「ユーリあのさ、今日が何の日か覚えてるか?」
「何の日……?」
「その様子だとやっぱ覚えてないみたいだな。下僕失格だぞ」
「そりゃあすいませんで」

 そういえばレイヴンもそんな事を言っていた。一体何があった日だろうか、こんなに責められてもちっとも思い出せない。
 誰かの誕生日、これはメイドや騎士達でも無い。何しろ誕生日の者にはルーク直々でほっぺにキスの権利が与えられているそうなので、皆漏らさず自己申告しているらしい。欲張り過ぎて誕生日が年2回になっている人物も少なくないとか。
 となると記念日。ルークはそういった事を気にするタイプだったろうか? むしろ忘れてガイ辺りに言われて初めて気が付くタイプだ。そもそもユーリとルークに関する事で、記念日になりそうなものが思いつかない。
 延々悩んでも出てこなくて、遂に降参の白旗を上げる。やっと腕を緩めて顔を見れば、満面に嬉しそうな笑み。期待を裏切って胸が痛い。

「降参だ、こーさん。お坊ちゃま、この哀れな下僕めにお教えくださいますか?」
「しょーがねーなお前はもー。俺がユーリに命を貰った日だぜ、ちゃんとメモしとけ!」
「……命を貰った日? 何の事だそれ。……って、まさか」

 言われて思い出したのは、バンエルティア号の医務室で叫んだ慟哭。せっかく他世界からのルークを召喚し、宝珠を再度体内へと戻し息を吹き返したのに、還ってこなかった横たわる小さな体。生きる事を放棄して瞳を閉じる姿は、今でも思い出したくない苦しみ。
 命があっても生きたくないのならば死んだも同然で、そんな事は許せない。人を全力で巻き込んで、髪まで切らせて、大事な場所を占領しておいて、全て知らないフリしてさよならだなんて。
 自分の求める気持ちの為にあの時ユーリは叫んだ。還ってきてくれ、還ってくるべきだ。ルークが悩み苦しみ選択した17年間の全てよりも、ユーリと出会ってからの1年を優先してくれと駄々を捏ねた。生きたくないというルークの全てを、魂の全てで否定したのだ。
 けれどその否定が……ルークの瞳を開けさせたのは間違いない。

 ルークにとって肯定は鎖。成長しない姿と望まれる死から守る為に、周囲は常に肯定していた。そのままで大丈夫だ。心配する事は無い。知らないままでも良いんだよ。数々の純然たる好意が、裏を返せばルークの命ひとつに集約されていた。
 ルークが生きているから毒味役は常に必要で、ルークが生きているから勤め人に家族の繋がりを絶たせて、ルークが生きているから裏庭の石碑に綴られる名前が増えていく。
 犠牲を隠している事を知っていたが、それは優しい暴いてはいけない嘘。無碍にしてはいけない、黙って知らないフリをしていなければ。けれどそんな全ても、ルークが死ねば早い話なのだ。
 死ねば良い。だが死んでは今まで犠牲になった者達が報われない。庇い優しくしてくれる皆の想いを踏みにじる訳にいかないのだ、それくらいしなければ子供にとって返せるものが感謝しかないのだから。しかし生き続ければやがて成人の儀がやってくる。それこそがルークにとっては真の恐怖なのに。
 そんな中で否定し続けたユーリはさぞ新鮮だったのだろう。あれも駄目これも駄目、時には怒りもする。そして最後、死ぬ事も否定して。
 還ってきたルークは間違いなく、ユーリが与えた命だった。

「俺、あの日の事ちゃんと覚えてるぜ」
「あの日って、……毒を飲んだ時か」
「俺さ、もういいのにってずっと思ってた。俺のせいで死ぬ奴とか、俺が死ねば喜ぶ奴とか、全部全部面倒で、嫌で。アッシュに殺されるのも殺させるのも絶対嫌だったしさ。だからさっさと死ねば早いじゃんって。怖いけど、これ以上引き伸ばすともっと怖くなると思った」
「オレ達がなんとかするってあんなに言ってたのに、これっぽっちも信用されてなかったんだよな」
「なんとかしてもらっても、俺の体はなんとも出来なかっただろ? 何時までも足手まといなんてまっぴらゴメンだから、死ぬタイミングくらい自分で選びたかったんだ」
「……だからって、あんな死に方ねーだろーが。エステルなんてトラウマになったって言ってたぞ」
「びっくりしたのは俺だって同じだっつーの! 治癒の力でも間に合わない劇薬だからすぐ楽になるって言ってたのに、すっげー不味かったし!」

 何故か怒りだしたルークはぷくりと頬を膨らませ、毒がどれだけ不味かったのかあーだこーだと文句を言い出した。あの時の凄惨な場面を、そんなに軽く片付けないでもらいたいのは我儘だろうか。
 あれのせいでエステルは暫くチョコを口にする事を止めたし、ルークが食べる様子を凝視してちょっと怖かったくらいだ。他にも咳をすればぎくりと体が固まるし、リタやフレンが神経質にピリピリしていたのを思い出す。

「まぁいーじゃんか過ぎた事はさ。とにかく、そのくそまずい毒飲んで、これで何もかも終わりだって清々したんだよ。でも気が付いたら何か誰かの泣き声が聞こえてくるじゃん? しかもそれがユーリとか、俺そこでもびっくりしてよ」
「お前が死んだり寝たりしてる間、オレ達がどれだけ……ああもう、このお坊ちゃんはよ!」
「いでででで、いだいばかっ! ユーリやめろっ!」

 本人の口からあまりにもあっけらかんと語るものだから、あの時の自分達の奮闘がなんだか虚しく思える。いいや今だからこそこんな風に言えるのは分かっているが、だから許せるかどうかはまた別問題なのである。
 ユーリはぷにぷにしたほっぺたを思い切り引っ張り、久しぶりに実力行使のお仕置きをした。こうやって体に直接触るのは久しぶりで、もっとしていたくなるがこれ以上やると元に戻らなくなってしまうかもしれない。今は宝珠の加護は存在しないのだから。
 ちょっとだけ膨らんだ頬を何とか元に戻そうと、ご主人様は涙目のまま両手で押さえる。情けない瞳に笑い、ユーリは瞳から滲む水分を拭ってやった。

「俺にとってユーリは……言っちゃなんだけど、都合の良い奴だったんだ。丁度良い具合に何も知らなくて、守ってくれて、なんだかんだで言う事聞いてくれてさ。隠れ蓑っての? 死ぬのを止められたくなくて、甘えるフリして隠してた」
「まぁ、利用されてんじゃないかなってのは薄々分かってたけどな。でもそれを承知で利用されるのを選んだのもオレさ」
「ユーリは泣かないって思ってた。だってたった1年くらいしか一緒にいなかっただろ俺達。我儘もいっぱい言ったし、面倒だってかけたし……。俺が死んでもユーリは下町に帰って、何時も通りの日常に戻ると思ってた」
「一体オレはどれだけ冷血漢なんだよ。たった1年って言うけど、かなり濃い1年だったろーが。あんなに色々あったのに、さっさと忘れて気にもしない程薄情な人間でもないぜ」
「だってよぉ、ユーリ……大人だと思ったから」

 大人だから冷たいだなんて、とんだ誤解である。それならばティトレイが歳を取ったら冷たくなるのか? スタンはどうなる? 色々突っかかりたい所だがそんな事を言ってはキリがない。

「大の大人がわんわん泣いてやがるし、下僕辞めるとか言ってるし……。ユーリが泣いてるんじゃ他の奴らじゃ気まずくて止められないだろーなって思ったから、しょうがねーから俺が止めてやるかって、さ」
「そいつは随分と……良いご主人様だな」
「だろだろ〜俺もそー思う! その、俺の素晴らしさを記念してこれやる!」
「ちょっと待て最初と言ってる事違わないか? って、これ……?」

 命を貰った日、と随分変わってしまったように聞こえるのだが、追求する前にずずいと出てきた物。ルークの小さな手にくるんと収まっているそれは、朱色のリボンだった。
 生地は分厚いのに手触り良く高そうで、縁はきちんと処理がしてある。これだけならばファブレ家ではよく見かける髪飾りだが、リボンの端にある黒の刺繍が目に止まった。
 ”L”。これをやる、と言って出された物なのだから、おそらくでなくともユーリ宛だ。ユーリ・ローウェルのL、と考えれば自然だろう。しかし常日頃呼ばれるのはユーリの”Y”なので、少々気にはなる。顔を上げてみれば、それこそ自信満々にドヤ顔した小生意気なご主人様がニヤついていた。

「これな、俺のLな! ルークのL! 俺が手縫いで入れたんだぞすげーだろ」
「お前、針持たせてもらえたのかよ? そりゃすげーな。けどなんでオレへのプレゼントでルークの名前が入ってんだ」
「だってユーリは俺の下僕だろ、なら俺のものじゃん。自分の持ち物には自分の名前書くのが常識なんだぜ、ジョーシキ!」
「まぁ、間違っちゃいねーけど」

 ルークに刃物、先の尖った物なんて手に届く範囲にすら許されなかったのに、それだけでなく刺繍を自分でいれたなんて。性格的に細かい事には向かないと思っていたが、それも場合によるのだろう。少々いびつだが、Lの文字はきちんと刺繍されている。おそらくメイドに頼んで教わっていたのだ。
 センチメンタルな先程の会話を置いてきぼりにされて、少しばかり納得がいかないのでユーリはまたもルークのほっぺたをにぎにぎ抓って意地悪をした。いひゃいいひゃい、と間抜けに歪む顔を見て気が済んだ。

「お前すぐ手ぇ出す! 暴力反対!」
「違うこれは愛の鞭だ、教育の一貫ってやつだ」

 下僕のくせに! と胸に飛び込んできてルークは苦しいくらいに抱き付く。その衝撃でスルリと手触りの良いリボンが白いシーツの上に落ちた。朱色のリボンはルークで、黒い文字刺繍がユーリ、という事か。どちらが主役なのやら。
 あれからユーリの髪は随分伸びて、背中にまで。もう少しすれば以前の長さに戻るだろう。もし戻ったらまた切ろうかなと考えていたのだが、これでは伸ばすしかないではないか。
 短さに慣れていたので、長い髪は案外邪魔だなと思ってしまう。そして同時に、長い髪の自分は、ルークを知らなかった頃の自分の象徴のようでなんとなく落ち着かない。知らないからこそ言えた言葉、とれた態度がある。今ではきっとあんな事は言えまい。故に片付けたい気持ちがあるのだ。

 ルークの生を脅かす存在を許さない、しかし連れて逝くと約束してしまった。ルークからの期待は答えてやりたい、だが殺すなんて事は死んでも出来ないだろう。今度はユーリがどちらにも進めず、立ち止まっている。
 知らない顔をして忘れてしまえば良かったのに、ルークははっきりと覚えていると口にした。どうしたものか、笑い話にも済ませられない。
 ならばあの時、主人が取った選択を、自分も選ばねばならないのかも。いいやそれこそが主従の証だ。それが最低の悪手だと分かっていても、取らなければならない。ルークの為に。為だけに。
 強く抱き締めれば、腕の中のやわい体は抱き返してくれた。嬉しそうに笑って、頬をすり寄せて。胸に湧き上がる感情はどす黒い気持ちを全て流して綺麗にしてくれる。たったひとつの、ひとりだけになる。
 丸っこいルークの頭がもぞもぞと動き、ぷは、と埋まった顔を出して見つめてきた。人工的な明かりだろうと変わらず、最初に見た時と同じ美しい瞳。少し恥ずかしそうに唇を歪め、先程までの自信はどうした事か小さな声を上げた。

「ユーリ、約束……。あれもちゃんと、覚えてるよな?」
「……ああ」
「まだちゃんと続いてる?」
「そうだな、いっそ忘れたかったんだけどよ」
「なんでだよばかやろー! 俺はあれで還ってきたんだぞ!」

 明言したくなくてボカしていた部分をはっきりと言われ、ユーリの心臓はズキリと割れた。やはりあの約束でルークは還ってきたのだ。生きる事を諦めたが、何時でも終わられるならばと。出会った時からルークの求めていたものは死ぬ手段。全て片付いたではないか、それでも必要なのか? その謎はライマで生活して嫌という程理解した。
 ライマにとってローレライ教団は日常的なのだ、常識といっていい。禁忌のように取り上げてしまえば逆に民から反感を買うだろう。完全に消す事なんて出来ない以上、常に危険は纏わり付く。だからこそ、何かあった時の為の手段がまだ必要になる。
 今度こそ何時でも死ねるように。ルークの体ひとつで起こる問題を、首ひとつで簡単に片付ける為に。出した結論にユーリは吐きそうだ。ろくな事を言わないルークの口を今すぐ縫い付けてしまおうか。

「ルーク、オレはな……お前が思う程大人じゃねーんだ。あんまりなんでもかんでも、無茶言うなよ……」
「ユーリ、な……泣いてるのか? ユーリ?」

 あまりにも弱々しい声に驚いたのだろう。ルークは焦ってそっと、傷ひとつ無い指先で瞼に触れてくる。ユーリはその手を奪い取り、食い尽くして腹の中で守ろうか、と思った。
 けれどそんな事出来る訳がない。大事なのだ、大切なのだ。守る為なら裏切ろう傷付けようと、ジェイドの前で大見得を切った自分は一体どこに行ったのやら。自分で自分を笑いたくなる。何してるんだしっかりしないか、と親友の叱咤が飛んできそうだった。
 本当に泣いて縋れば、ルークは約束を忘れてくれるだろうか。みっともなくお願いだと叫んで。それが出来れば本当に良かったのに、現実は雫の一粒も零れていないのが自分という冷たさ。けれど、ルークの為ならば涙を流しても良いと思ったのは本当だ。

「どうしたんだよ、お前。すっげーへなちょこな顔してる」
「このへなちょこな顔は生まれつきなもんでね。気に入らなけりゃ今すぐ切ってくれ」

 皮肉めいた口調も変わらずペラペラと出てくるものだから、もしかして自分は最初から覚悟を決めていたのかもしれない。
 何かを感じ取ったルークは神妙な表情で唇を噛み締め、ゆっくりと少ない隙間を閉じていく。
 影が触れてこそばゆい。ぺろり、と目元を慰められた。動物が癒やすように、子供の戯れのように。細く繊細な朱金の束が目の前で揺れていて、これが世界の全てだと唐突に思った。

「ユーリ、へなちょこでも良いけどさ。でもちゃんと、俺の最後まで傍にいろ。それが約束のはずだぞ」
「……最期?」
「最後までだよ当然だろ!? ユーリがくれた命なんだからユーリの責任に決まってる。だから俺がいっぱい歳取ってしわくちゃのじじいになるまで、いーやなっても一緒に居るんだぞ」
「ちょっと待て、……じじいになるのか? ルークが?」
「お前何笑ってんだ!? 決まってんじゃねーか外に出れるようになったら世界中を回って魔物ぶっ倒しまくって、闘技場も制覇して、美味いモン食って、好きなだけ遊んで、あとちょっとだけ勉強とかもして、アッシュとナタリアのひ孫に世界一格好良い名前付けてやるんだからな!」

 あれもこれも、とやりたい事を幾つも上げるルークを改めて見てみれば、ユーリが頭の中で思い描いていたネガティブさなんて欠片も無い。ごく普通に、ごく当然に、希望ある未来に夢を羽ばたかせて生きる子供だった。
 余りにも間抜けな自分の考えに、ユーリの表情筋は何時まで経っても動いてくれずぎこちないまま。どうしようか、さっきまでと同じ言葉なのに、随分と馬鹿らしく感じる。

「びっくりする、くらいの……一大プロジェクトだな」
「流石に玄孫まで出張るのは悪いかなって思って、一応遠慮はしてるんだぞ」
「そう…だな、そこまでいっちまうとじじいじゃ済まないくらいの年寄りだ」
「今まで出来なかった分を取り戻して、もっと、もーっと生きるんだからさ。下僕のユーリもじじいになるまで付いて来るのは当たり前だろ? ずっと一緒なんだから、最後だって一緒じゃんか」
「ああ、そうだな。そんな最期なら……喜んでお供するさ」

 考え過ぎるとろくな事がない。昔の自分は確かにそんなスタンスでいたはずなのに、何故あんなにも出口の無い迷宮を彷徨っていたのだろう。
 遠い土地に違う常識、変化する世界、何よりも成長するルーク。変わり続ける周囲に置いて行かれないよう無意識に自分さえも変わっていたのだろうか。それとも、あんまりにも突飛なお坊ちゃまの為に変化した、なんて。案外自分もまだまだ柔軟なものだ、と変な所で感心してしまう。
 思わずユーリはルークの頬にキスを落とし、そのままがぶっとやわい肉を喰んだ。歯型が付かない程度に加減して、数回試しに噛む。柔らかいが味なんてしないし、何が面白い訳でもない。腹の中で守りたいなんて猟奇的な事を考えたが、そんな事をすればじじいになったルークを見れなくなってしまう。約束は守らなければいけない、だからそんな事をする必要は無くなったのだ。
 顔を上げれば、唾液でべたべたになった頬を物凄く嫌そうに袖で拭くルークが。表情だけは一端の大人だな、と笑ってしまう。

「何すんだよ汚ねーなぁ」
「いや何となく」
「何となくで食うなばか野郎! 次やったら俺も食うぞ!?」

 それは願ったり叶ったり。ユーリはまたがぶりとルークの頬を喰み、強く抱き締めた。小さい体は大人以上のものを詰め込んで精一杯生きている。これからもどんどん大きくなり、自分の手足では溢れ出す日が絶対に訪れるはず。ユーリは生涯、ルークと共に生きたいと思った。
 宣言通り噛み返そうと腕の中の子供はもぞもぞ動くのだが、あまりにもユーリががっちり掴まえ抱き締めているので、動けずにいる。頑張って振り解こうとしているのだが、逃したくなくてついつい強固に抱き締めた。

「ぐるじいばか! 絞め殺す気か!?」
「おっと悪い。つい力が入っちまったもんで」
「げ、下僕のくせに……!」

 やり返せない不満で頬を膨らませ、疲れたのだろうルークは諦めてユーリの肩に頭をこてんと預ける。すりすり、と懐いているように見せかけて頬の唾液を服で拭いている事は見抜いていた。ユーリが自分で付けたものなので文句は言わないが、そんなにも汚い物扱いされると少々傷付く。仕返しとして、背中に回した手をより締め付け抱き締めた。
 くるしいぞばか、と小さな声で小さな文句。ちっとも不満そうに聞こえないので、ユーリはそのままベッドに転がる。夜の時間にベッドへ入れば、子供の瞼は重たくなって当然だ。大人しくなる吐息を耳元で聞き、ユーリの胸はまた苦しくなるのが不思議でたまらない。
 眠くなってきたのだろうルークの声は、発音があやふやになって聞き取り難くかった。

「お前さぁ、最近メイドとか騎士の奴らと遊びすぎだぞ。俺のいない所でいちゃいちゃしてんじゃねーよばか」
「あれのどこがイチャイチャしてるように見えるんですかねぇまったく。むしろオレは被害者だぞ」
「デレーっと鼻の下伸ばして、俺以外の奴に毎日欠かさずデザート作ってやがる」
「それは恨みを和らげる為にだな……。ったく、肝心の張本人が一番勘違いしてるってどういう事だよ」
「言い訳すんな! ユーリは俺のなんだから、俺以外の奴になんかするのは禁止だかんな。そのリボンが所有物の証だぞ、明日から毎日着けるようにしろよ」
「はいはい、分かりました分かりました」
「返事は一回!」
「お任せくださいご主人様」
「なんかばかにしてるように聞こえる……」
「どーしろってんだよお前は」

 聞いたら聞いたでこの言われよう、酷い話だ。しかしユーリは楽しくなってきて、ルークの顔じゅうに唇を降らせる。それからベッドの端で落ちそうになっていた、話題のリボンを救出して懐に入れた。
 思い違いと分かってからは現金なもので、仕舞った所がぽかぽかと暖かい気がする。ルークから貰った証。誰かの物の証明。昔の自分ならば首輪なんて死んでも御免だと言っていたに違いない。いいや今でも、これがルークからではなければ切って捨てるだろう。
 お坊ちゃんの嫉妬も可愛らしいもので、報われていない気もするがまぁいいか、という気分。というかむしろするんだな、と驚きだ。では最近つれなく反抗期だと見えたのは、ルークなりの嫉妬という訳だ。考えに至って思わず吹き出すと、我慢の限界を迎えたルークはがぶっとユーリの鎖骨を噛んできた。

「いてぇ痛いって悪かった! 気を付けるから許してくれって!」
「んっとに、ユーリはむかつく下僕だ。俺のじゃなかったら許してねーぞ!」
「あーオレお坊ちゃんの下僕でほんと幸せ者だな、世界樹に感謝しとく」
「俺に感謝しろばか!」

 嬉しくて腕を緩めてしまい、ルークは隙間から抜いて自由になった手でユーリの顔をぺちぺちと無遠慮に叩くがあまり痛くない。甘えられているように感じて優しく背中を撫でれば止めてくれた。上に乗って全身を預けてくるルークの体重が暖かく心地良くて、自分の瞼もゆったり落ちてくる。
 このまま眠り、明日も素晴らしい日が訪れるのだ。以前のように迫り来る日々を恐れるような生き方ではない。誰も怯えない、新しい世界。腕の中に大事なお坊ちゃんを抱えているのならば、どこででも生きられるとユーリは思った。
 お互い眠気で幕が落ちてきているらしく、ルークの声は随分と舌っ足らずになっている。聞いてやらないとな、とユーリも思うのだが、つい習慣として優しく頭を撫でて眠りへと誘導してしまう。

「なぁユーリ。俺の体がちゃんと、元の年齢に成長してほんとの俺に戻ったら……欲しいものがあるんだけどさ」
「んー? なんだよ欲しい物って。戻ってからでなくても、オレがなんとか出来そうなら用意するぜ」
「ばかやろーお前はマジで分かってねーよなぁ。こーいうのはケジメってのが大事なんだぞ」
「はぁそーですか。それは良いけど、無茶すぎるもんじゃないだろうな?」
「無茶じゃねーよ、全ッ然。むしろお前が喜んでって差し出さなきゃおかしいやつだから」
「喜んで、ってねぇ……。今から怖いなそれは」
「へへー、その時になったらちゃんと言うからな。楽しみにしとけよ」
「はいはい、分かったからそろそろ寝るとしようぜ。お子様が頑張って起きてたからもう深夜じゃねーか」
「てめーお子様扱い出来んのも今の内だからな覚えとけよ。俺は欲しいものは絶対に諦めないんだからなっ」
「そりゃ良い事だ。諦め悪い方が最後は勝つもんさ」
「このにぶちん野郎。後で酷い目に合わせてやる……」

 酷い目とは一体なんだろう、笑いユーリはルークの瞼にキスをした。閉じさせて暫くすれば規則的な吐息がスースーと。今夜の為に相当我慢して起きていたようで、勝ち気な口ぶりとは真逆にあっさりと夢の中へ。
 離れがたいがユーリは立ち上がり部屋の電気を消し、また直ぐにベッドへ戻る。自分とルークの靴を放り、寝苦しそうなボタンを開放してやり毛布をひっ被った。それからベッドランプの明かりも消せば部屋は真っ暗で、子供の寝息だけが穏やかに響く。
 我慢出来なくてついぎゅっとルークを抱き締めるが、良いか悪いのか起きもしない。なので思う存分、全身で抱き心地を味わう。今更やらなくとも十分知っているのだが、自分の抱えていた気持ちが違うのだから全くの別物である。とりあえず理由を付けてくっつきたいだけだ。

 不安なのは自分だった。移りゆく世界に変わっていく大事なもの。なのに自分だけは大人で変わらない。置いて行かれるのが怖かったのかもしれない、まるで以前のルークのように。
 だが証を、違えない証明を貰ったのが自分で思うよりもずっと嬉しく、羽でも生えて飛び回りたいくらいだ。嬉しさと愛しさが体中を駆け巡りじっとしていられない。しかしひとりで飛んでしまうとルークを置いてきぼりにしてしまうではないか、やはり大地に足を付けておかないと。
 目が慣れてくるとぼんやり浮かび上がる窓からの月光。ほんの少し開いた隙間から外の空気が入り込んでも、寒さに震える事はない。それは気温だけの話ではなく、心に灯る光。救世主を切望しなくとも、自分の足で歩ける指針を手に入れた。
 ユーリにとってそれがルークだ。生かす為の犠牲なんて吹き飛ばす程の力を貰ったのだから、悩む必要なんて無くなった。ただふたり、世界と共に在り生きる。当然の理として在れば良い。
 もしもそれが許されないのならば、それこそ救世主でも神様でも持って来いという話だ。世界が相手でも勝つ自信がある。その根拠が腕の中ですやすや眠っているのだから、負ける要素が見いだせない。

 約束は鎖ではなく、共に生きる証。それは空に浮かぶ月や太陽のように、永遠に灯される光。ユーリはゆっくりと瞼を閉じ、愛するお坊ちゃんと同じものを見る為、夢の中へ入るのだった。
 遠くない未来、ルークからねだられるものが一体どんなものだろうかと、楽しみにしながら。








カヲル様、リクエストありがとうございました
子ルク(もう自分でもタイトル言うの面倒になってきた)が成長したユリルクをいただきまして、私張り切りました
自分の好みを詰め込んで無事終わらせた長編でしたので、思い入れももにゃもにゃーっといっぱいある作品です
あれもこれも、あーあの話も詰め込もう!とかやってたら……無駄に長いわ散らばってるわ時間だけかかるわ……散々たる有り様!
なんとかカットしたりくっつけたり整えたりなんかして、最終的に納得いく形に出来て自分でもホッとしています
本当は成長痛に苦しんでい゛だい゛よ゛〜って泣きべそってる子ルクの為に世界一のマッサージ師を目指すローウェルを書きたかったけど我慢しました!

成長した後のユリルク、と言ってもあんまり成長しませんでした
いやほら、だって大きくなりすぎると普通のユリルクだから!普通のユリルク大好きだけど!
子ルクの話を書いたので残るは子ユーリの話ですね^▽^
しかし子ユーリは子ルク以上に絡ませ方が難しそうですブルブル
子ルクはそもそもショタルークが書きたかっただけの、ごく普通のきゃわきゃわした話を書こうとしたのが始まりだったんです
でもルークだけが子供である理由を捻り込んだら何故かシリアスに……なんでや!
もう理由とか理屈とか、どうでもいいんじゃないでしょうか!?
ラヴ・アンド・ピース!愛があれば必要ないんですよそんなもの!
よし次はそれにしよう
俺はようやくのぼりはじめたばかりなんだからよ……このはてしなく遠い男坂をよ……

ありがとうございましたすみません(震え声)






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