なかよくけんかしな








「あのクソ野郎がさー、無駄に速いんだけど」
「無駄だと思うなら無視しておけ」
「ちょ、なんだよ一言で終わらせるなって! もうちょっと聞いてけよぉ!」
「語尾を伸ばすなと言っているだろうが屑が! 貴様のくだらん話なぞこれ以上聞いてられるか! もしまだ邪魔すると言うのならば……っ」
「な、なんだよそんなキレる事ねーだろ! 分かったってのもうアッシュみたいな心の狭いヤツとは口聞いてやんねーからな!」
「ああ、その方がせいせいするな」
「んだよばかやろー! ナタリアに言いつけてやるからなー!」
「待て、そこでナタリアを出すんじゃねぇお前は!」

 大体ナタリアに言いつけてあらそれではわたくしがアッシュに注意いたしますわ、なんて言う訳ないだろうが! ……しかし時々彼女は生来のおおらかさというか天然というか、身内からの言葉ならば嘘だろうというような事でも信じてしまう純粋さがあって絶対に無いとは言い切れないのが問題でもある。勿論それはナタリアの美点であるのだが、こういう時はその純粋さを利用され有ること無いこと吹き込まれるのではないだろうか。ルークの話を頭から信じるとは思えないが、あいつの話し方次第では勘違いさせてしまうかもしれない。なによりこの大馬鹿屑野郎と無駄な時間を消費させるという事自体が、ナタリアにとって大変な不利益ではないだろうか。無駄・ザ・無駄。無駄の極み。将来国を支えるべく民の為国の為に一生懸命なナタリアの時間を奪うなんて決して許されないのだ。
 と頭の中で高速に計算されたアッシュの体は、出ていこうとするルークの無駄にぴらぴらしている白い裾をむんずと捕まえた。決してナタリアが怒りに来るのを恐れた訳ではない、彼女に無用な手間と心配をかけさせない為である。引き止めた事により振り返ったルークの表情が、喜色満面に嬉しそうなのを見てアッシュはぶん殴りたいと正直に思った。

「俺達はほら、ヴァン師匠を師事してるから剣を持った時の動きとか結構決まってるだろ」
「ああ、アルバート流だな。貴様も剣の修行だけは怠らないんだから、勉学も同じようにやらんか」
「うっせーガリ勉なんて辛気くせー事やってられっか、言われた分はやってるだろ! んで型が決まってるから戦闘の時もまぁ大体流れがあるじゃん。てか大体そんなもんだろ普通。でもあいつの動きがさ、あっち行ったりこっち行ったりで、方向性が不明なんだけど」
「貴様の言語回路が意味不明だ馬鹿者め。つまりトリッキーな戦闘をすると言う事か? その程度ならばこの船にはいくらでも居るだろう、ケン玉やシャボン玉が武器だったりする人間も居るんだぞ」
「ばっきゃろーそーいう次元と一緒にすんな! あれはその……なんてーか、ちがうだろ!? 剣とさ!」

 妙に握り拳で力説する姿は珍しく真剣だ。まぁ唯一趣味だと自負する剣術なので、こればかりは多少なりともプライドを持っている、それは良い事といえよう。しかし不可解な武器を使用する者が現実として存在しているのだから、顔を逸らしても無かった事には出来ない話だと思うのだが。

「今はその武器はナシ! とにかく、剣持ってるくせに変な動きで……いきなり殴ったりバク転したりして掴めないってか予想出来ないんだよな」
「フン、大道芸と間違えているんじゃないのか。そんな動きでまともに敵を倒せるとは思えんな」
「それがムカツク事に妙に強いんだよなあの野郎。あ、でも時々隙を突かれてドジってた」
「実践のみの喧嘩殺法というやつかもしれんが……俺達流派持ちがやるような戦いじゃないだろうが。民や兵士が見ている前で無様な戦い方なんぞ許されんぞ」
「えーでも実際勝ってるしよー。ってかあいつ足速いんだよなガイくらい速いかもしんねー」

 珍しいトーンで、羨んでいる様子だ。剣技に関しては特に負けず嫌いなはずだが、それよりも物珍しさが勝っていると見える。アッシュは眉をぴくりと跳ね上げ他の事もこれくらい関心を持ってもらいたいものだと嘆息した。
 しかしこれを機に他の事にも興味を持つかもしれない。主に持ってもらいたいのは政治方面だが、正直諦めてもいる。最悪そちらは自分とナタリアでカバーすれば良い。そう考えてアッシュは穏便に薦めてみた。

「負けて悔しいなら技術を磨け。やられっぱなしのままで終わらせるなんてファブレ家の恥だぞ」
「技術って……あいつみたいに剣投げろって?」
「投げるな馬鹿が! 動きを観察して戦術の利点を見出し、それを自分の剣技に組み込むんだ。それで勝てるなら上手く行っている証拠だ、お前と相性悪いなら即負けるだろう」
「組み込むって、技を盗むっての? なんかそれ卑怯くさくね」
「技に権利なんぞあるか。大体ひとつの技をベースにしてそこから新しい技を閃いたりするだろう、それと似たような事だ」
「へー、そっか。確かにアレンジしちまえばもう俺の技だよな!」
「……微妙に聞こえが悪いからその言い方は止めておけよ」

 ご機嫌にやる気を出したルークは途端に体が疼くらしく、ソワソワ肩を揺らし左手をぎゅっと握る。単純な奴だ。技を盗んで自分のものにするなんて、実際は簡単にいく事じゃないというのに。しかしルークはテンションにムラがある分乗ってくるととんでもない技や戦闘でも成功させてしまうので、あながち馬鹿には出来ない。言ってみれば豚をおだてて木に登らせてる、みたいなものか。
 とっと行って来い、と追い出せば朱金の尻尾をひるがえして廊下を走って行った。毎回実力行使で追い出していたのに、現金な奴だ。

 翌日、アッシュが個室に入るとやたら自信満々な顔をした馬鹿が既に入り込んでいる。最早ロックの確認をするのも無意味だ、アッシュは思いっきり顰め面してそこを退け屑が、と椅子からルークを蹴飛ばした。

「おい今からやるから、よーっく見てろよ!?」
「昨日の今日だぞ、もう技を習得したとか抜かすんじゃないだろうな」
「いいから、ちょっと見とけよ!」

 やたらと自信たっぷりな様子で浮かれ具合が酷い。調子に乗っている時のルークは予想以上の結果を出すか大失敗するか、の大博打状態になるので注意が必要だ。しかし一応剣技にかける熱心さも知っているので、一日で習得してしまったという可能性だってあるだろう。むしろ剣技くらいはそれなりの結果を出してくれ、という気持ちだ。
 椅子に座り観客として頬杖突いて待ってみれば、ルークは剣を手に持ちピシリとポーズを取る。相変わらず格好付け優先で脇が甘い。だがまぁ流れが美しいという事は隙が無いという事でもあるし、突き詰めればルークに合った型になるだろうからそれは良い。そう納得しておかないと細部まで気になってクドクド言ってしまうのだし。
 すらり、と美しい曲線を切っ先で描く。少し重めのソードだがそうとは感じさせない腕の力強さ。ルークが剣の修行だけは真面目に行っている証拠であり、アッシュは絶対に口にはしないがほんの少しだけ嬉しく思う。お小言ならばそれを他にも発揮しろ、と言いたいが今は黙っておいた。
 そしてそれをどうするのかじっと見つめる。そういえば昨日言っていた、いきなり殴ったりバク転したり掴めない動きをするそうだが……一体どんなものなのか想像が付かない。そもそも剣を持っているのにどうやってバク転するのか? 自分達も技として殴ったりはするが、剣を混ぜたりする訳でも無い。我流なのかはたまた奇想天外という型なのか、そんな人物がこの船に在籍していたという事すら知らなかった。
 自分は気難しい方だと自覚しているので、依頼で出掛けるのは大体似たり寄ったりなメンツばかり。ナタリアはそれを少し気にしていたが、これ以上面倒や心労が増えるのは御免である。
 ひゅん、と風を切る音。考え事で気を取られていた視界には、つい先程までルークの手に収まっていたはずの剣が消えている。音はしたのに、どこへ? 瞬間アッシュの第六感が猛烈に警告して、言いようのない不安が押し寄せる。何か分からないが危険だ! 考えるよりも先に体が動き、アッシュは姿勢を崩して立ち上がりかけた。
 すると丁度目の前、今の瞬間までつま先を置いていた場所にドスッ、と剣が突き刺さる。
 数ミリ目前で剣の柄の意匠がよく見えた。ポッポの店で買ったのだろう飾り気は控えめだがその分刃の密度が高い、質実剛健な造りだ。重さを乗せて叩き潰す事もスピードを乗せて切り裂く事も可能としている、実戦向けの剣。これが今、目の前に。体を崩し足を退いたのが功を奏したようで、もし立ち上がっていれば今頃床ではなく脳天に突き刺さっていただろう。
 何故先程までルークの手の中にあったものが今床に。答えは簡単だ、投げやがったのである。くるくると回転し真上へ、それから下へ落下。ごく当然の事だ重力があるのだから。しかしこの剣はあと少し位置が違っていればアッシュの脳みそを鞘にする所だったのである、とんでもない事だ。
 想像してアッシュは今更ながら、背中に冷や汗がぞわりと吹き出る。そして次に出てきたのは怒りだ、当然である今自分は殺されそうになったのだ。この大馬鹿は王の立場をもぎ取っておきながら命まで狙っていたのか! ギロリと殺気を返して睨めば流石にマズイと思ったのかルークの口元は引き攣っている。慌てて刺さった剣を抜いた手を見て、プチリと堪忍袋の緒が切れた。

「この……この大屑クソ野郎がああああっ! 俺を殺す気かっ!」
「ちがっ、ちげーんだよこれはこーいう動きなんだっつーの!」
「そうかこうやって殺す動きなんだな今度という今度は許さん!」
「違うってのマジで! 投げて、受け取って、そんでまた敵を切るっつー動きなんだよ!」
「何故戦いの最中剣を投げるんだ馬鹿者が! 意味が分からんしそもそも隙が多すぎるだろうがそれくらい貴様のスズムシのような脳みそでも想像付くだろうがああああっ!」
「誰がスズムシだ誰が! だってあいつそーやって戦ってたんだよ! 投げて! 受け取って! また切ってって!」
「そんな大道芸みたいな戦い方があるか馬鹿野郎お遊びじゃねーんだぞ!」
「だってマジでそいつやってんだから俺だって出来るって思うじゃん!」
「そんな器用な真似お前では一生出来ん断言してやる! ピエロと戯れたいなら今すぐにでもサーカスに売り飛ばしてやるから一生猿に回されてろ!!」
「ちょ、なんで俺が回されてる側なんだよ納得いかねー!」
「じゃあライオンの餌にでもなりやがれ! もうこれ以上貴様の馬鹿劇場に付き合ってられん! 今後一切俺の前に現れるんじゃねえぞ屑が出て行けっ!!」

 部屋の空気がビリビリと振動する程怒鳴り散らし、アッシュは勢いでルークを蹴り飛ばして無理矢理追い出した。バァンと廊下の壁に打ち付けた音が響くが、怒涛の怒りで聞こえない。閉じた部屋はその熱気で暑苦しいのに背中の冷や汗が気持ち悪くてしょうがなかった。
 今まで馬鹿だ馬鹿だとさんざん思ってきたが、もう勘弁しようのない大馬鹿屑だ。あいつに消費する時間の方が勿体無い。そもそも今日まで呑気に話を聞いてやった日々すら無駄で、無意味だったのだ。イライラしてムカムカして、アッシュは落ち着かなくなる。
 大体ルークの件になるとこうなるのだ。穏やかに話し終えた事などここ数年ろくに無い。間にガイやナタリアを挟めばギリギリ、アッシュが我慢するという結果になる。ええいこのクソが。何故か頭からナタリアの悲しそうな表情が離れず、どうにも居心地が悪くなった。この部屋は自分が取った部屋なのにどうして。
 そういえばナタリアや他のメンバーは、アッシュが個室にこもると遠慮して訪ねて来なくなる。だから自分以外に足を踏み入れたのはあの猿回されの馬鹿だけだ。そんなどうでもいい事に気付いてどうしろと。アッシュは何年も付き合いのある、うんざりした気持ちに襲われますますイライラした。




*****

 それからしばらく、アッシュの周囲は平穏だった。何故ならば連日だったルークの襲撃があの日からパタリと止み、日中でも見かけなくなったからである。アッシュを怒らせる一番の原因が出てこないので、実に速やかに書類処理出来るのは大変喜ばしい。あの苛つく声も聞かないし、金色の透けた毛先も目に入らない。
 どこで何をしているのかは知らないが、ジェイドが何も言ってこないのだから船内には居るのだろう。そのわりに食事も当番でも一切見かけないのは時間帯をズラしているからだろうか。そんな小賢しい事をする知恵があの大馬鹿にあるとは思えないので、誰かにいい加減にしておけと忠告され受け入れたのかもしれない。自分が散々怒り怒鳴っても不死鳥の如く部屋に来たくせに、誰かの一言で簡単に来なくなるとは少々気に入らないが。まぁヴァン辺りに言われたのならばパブロフの犬のように条件反射で頷くはずだ。
 コツコツと硬い床に靴音を響かせ歩いている。船倉下のフロアは使われていない倉庫や個室があるだけであまり人通りは無い。その為妙に静かで、本当に同じこの船に60人も乗船しているのかと疑ってしまう時がある。騒々しい面々は近付くだけでも分かる程なのに、極端なものだ。
 アッシュにとって騒がしい人間の筆頭はルークだった。日頃面倒臭そうにだらしなく姿勢を崩しゴロゴロしている、それだけならば無視すればいいだけの話。しかし偶にあるのだ、言いたくて言いたくてしょうがないけれど、誰に話そうか迷って結局アッシュにグダグダ吐きに来る。大抵こちらが忙しい時や余裕の無いタイミングに合わせて来るのだから、空気を読む能力は皆無と言ってもいいのではないか。
 本当にうっとおしいし、馬鹿だし、自分勝手だし、何もしないし、騒がしいし、苛つかせる事ばかりする。こっちがキレたとして、向こうがティトレイのような完全に気にしないタイプならばともかく地味に根に持ったりしてねちっこい。最近は罵倒しかしてないと思うのだが、それでもやって来るのだから相当だ。余程渦中の人物に対し不満を持っているのだろう。一番の話し相手であるガイではなく自分の元にせっせと通うのだから。
 しかし前の時以降ルークは部屋に来ない。気を使ったなんて絶対に無いだろうから、ガイかティアがいい加減にしておけと代わりに話し相手になっているのか、それともただの意地か。ルークは実力も伴ってないくせに無駄に意地っ張りで、ちょっとやそっとでは意見を曲げないし言う事なんて聞かない。17年の付き合いでアッシュにはそれがよく分かる。だから前者はありえないだろう。
 だが自分に甘いルークの事なので、意地を張ってもどうせすぐ来るに決まっている。2・3日保つかどうかすら怪しい。なのでその間にアッシュは書類の束をさっさと片付けなくてはいけないのだから忙しい事だ。
 ……少しだけ、ほんの少しだけ。自分に非があるとは全くもって欠片も思わないが、爪の垢程度には、言い過ぎたかもしれないという反省の気持ちが隅の方でうずくまっている。やはり毎日聞いていたうざったらしい文句タラタラの声が突然来なくなるというのは、あの無神経がちょっとでもショックを受けたのかもしれない、という罪悪感を思わせた。こっちが被害者のはずなのに、まるでこちらが何倍もの悪人ではないか。
 納得はいかないが来なくなってから余計に苛つく心があるのは事実。ナタリアからも気を遣われてしまった。これは良くない、彼女に心配させるなんてあってはならないのだ。だがこちらからアクションを起こすなんて事は絶対にするべきではない。どうせルークは数日中にはまた部屋にひょっこりやって来る、その時に多少相手をしてやればあっさりと機嫌を直すだろう。
 それくらいでいい、これ以上甘やかしてなるものか。というかむしろルークが謝りに来るべきだと思うのだが……やはり納得がいかない。
 ブツブツと考え事をしながら廊下を歩いていると、視線は勝手に床を見ていた。すると突然目に入ってきた色鮮やかな、カラフルなもの。奇妙に映ったそれはなんというか子供っぽいというか……。アッシュは立ち止まり、何の気なしにそれを拾う。
 見てみれば絆創膏だった。通常のものより少し小さ目で、表の柄がピンク色の下地でやけに掠れた印刷のデフォルメクマが濁った笑顔で手を振っている、実にファンシー。
 食堂やエントランスなど、人通りの多い場所ならばまだこんな物が落ちていても分かるが、ここは船倉下の利用者が少ない区画だ。深夜番や相部屋を好まない面々が個室を取っていたりして、こんな子供っぽい絆創膏を持つような人物は自分含めあまり当てはまらない気がする。一応第二倉庫もあるので、誰かが落としたという可能性も勿論あるのだが……。アッシュは何故か気を引く絆創膏をマジマジ見つめていると、後ろから珍しい声がかかった。

「悪ぃ、それオレの」
「……貴様、ユーリ・ローウェル、だったか」

 第二倉庫から出てきて、古臭い箱を手に持った真っ黒い人物、ユーリ・ローウェル。アッシュはあまり彼とは面識が無い。エステルやフレンとよく一緒に居るような記憶はあるが、生活階層が違うので食事時くらいしか顔を見ないのだ。それすらも最近は個室で食べているので、名前を引っ張りだすのに少々時間を要する程。
 アドリビトムはメンバーが多い分、自分から積極的に関わらなければそれ程親しくもならない。ユーリとアッシュはまさにそんな間柄であった。ナタリアやエステルという間接的人物は居れど、不思議と一緒になる事は無い。なので彼がどういった人物なのか、アッシュはよく知らなかった。しかしこんな子供っぽい絆創膏を持つような人物にもあまり見えないのだが……。

「貴様がこんな趣味だったとはな」
「薬屋でやたら大量に貰っちまってね。見た目はこんなでも絆創膏には間違いないんだし、捨てんのも勿体無いだろ? 大部分は医務室に寄付したけど、まだ余っててな。良かったらそれ、あんたにやるぜ」
「いらん。傷を作る程自分の力を把握出来ん馬鹿じゃない」
「ブフッ……!」

 突然、何故か突然ユーリが吹き出した。あまりにも脈絡が無いもので、アッシュの眉は怒りよりも不審を露わに跳ね上がる。

「何だ、いきなり笑い出しやがって薄気味悪い」
「いや悪い、笑うつもりはなかったんだって。ただあんまりにも聞いた通りなもんでついな」
「聞いた通り? 誰にどんな話を聞いたか知らんが、あまりろくな話ではなさそうだな」

 アッシュとユーリに関係ありそうなのはナタリアかエステルだが、あのふたりが誰かを悪く言ったり笑い話を吹聴する訳が無い。という事は他のろくでもない誰か、だろう。しかし自分の悪口を流されたとして、アッシュはあまり気にならない。自分を貶めようとする画策に屈する程、柔な性格はしていないのである。

「そんな悪く言ってねーよ、むしろあれは惚気け話だったぜ。やれアッシュは頑固過ぎて後ろが見えてないだの、すぐ怒鳴って額がやばいだのさ」
「それのどこが惚気けだ、十分悪口じゃねぇか」
「まぁ近すぎるとそう感じるのかもな。けど言ってる本人は結構自慢気だったぞ」
「む? ……誰だ一体」

 どう聞いても悪口にしか聞こえないのだが、ユーリの表情に悪意は感じられない。アッシュは城で、背後に企みを隠しつつ自分に取り入ろうとする輩とうんざりする程接しているので、そういった腹は大抵読めるつもりでいる。
 一体誰がそんな事を言っているのか、僅かながら気になってきた。それ程付き合いのある人物だろうか、ジェイドやガイか? 自分の悪口の出処の大半はルークであるが、自慢気に言う事は決して無いだろうから却下だ。ならばアドリビトムに所属してからの人間という事になるが、アッシュ自身付き合いが狭いので、誰だか全く想像が付かない。
 お手上げだ、と肩をすくめて顔を上げれば、ユーリは笑いを我慢して口元を歪めている。悪意は感じられないが気に食わないのは間違いない。ピクリと額に血管を浮かせれば、遂には背後で笑っている。大変に失礼な奴だ、とビキビキきた。

「おい、貴様笑い過ぎだぞ」
「わっるい、なんつーか似てないようでソックリだな、あんた達さ」

 その言い方でルークの事を言っているのだとすぐピンと来た。ふたりの事を同等に知る者は、大抵同じような事を言う。アッシュは日々自分に厳しく弛まぬ努力を重ねているというのに、あのぐうたらで自分勝手な大馬鹿者と一緒にされて大変に不愉快だ。どこがソックリだ、同じなのは見た目だけで中身は正反対だろうが! そう反論すれば、そんな所もソックリだと言われる事も多々ある。非常に非常に腹立たしい。

「ふざけるな、あんな屑と一緒にされるなんざ死んでもごめんだ」
「あんたから見ればそうかもしんねーが、あれはあれで良い所もあると思うけど」
「ほう? それはどこだ、言ってみろ」
「あんたじゃないって所。これ以上の良い所ってあるか?」
「そうか、どうやら聞くだけ無駄だったようだな」
「その余裕の無い所が青臭いんだけど、自分じゃ気付かないもんだね」

 どうにも、ユーリは先程から微妙にこちらを煽りたい意図がチラチラと見えている。政治的駆け引きではない、なんというか単に皮肉りたいといった感じだろうか。普段ならば他人の戯言だと捨て置いてもいいのだが、何故だかこの時は非常に引っかかりを覚えて気に入らない。つい先程までどうでもいい、とさえ思っていたのに何故。
 厳しい視線でユーリを刺すが、相手はどこ吹く風とむしろ笑っている。挑発的。悪意は無いが敵意はあるように思われる。ほとんど顔も合わせない面識の無い相手と仲良くなる事は無いが、険悪になるとは思わなかった。
 暫くの間咬み合わない睨み合いを続け……先に切り上げたのは相手だった。フッ、と軽く笑いスタスタと昇降階段の方へ。アッシュには特に何も言わず消化不良。
 ああいう自分は余裕があります、なんて態度のやつが一番アッシュは気に食わない。いや普段ならばジェイドでかなり鍛えられていると自負しているのだが、不思議と今のユーリは我慢出来なかった。危うくルークのように怒鳴り散らす所だ。
 どこか納得のいかない、奥歯に何かが挟まったような感覚。正体が掴めなくて自分でもイライラする。とりあえず、アッシュからのユーリの評価は地に落ちたと言っていいだろう。






  


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