chicken or the egg








*****

 ぱちりと目を開けた時、視界に入るのは壁。部屋の一番奥のベッドで眠るルークの真横は壁だ、真っ白い装甲が飾り気無く目に入った。白、連想して何故か黒色が出てくる。その流れで浮かぶ人物をインクで消して、手で丸めて捨てようとする手が止まった。想像の中で、何をしているのか。
 首だけ曲げて室内を見渡せば、誰も居ない。ガイ達は先に出たのか、そもそも今が何時なのか。サイドボードの時計を見れば、昼過ぎ。昨日ベッドに入った時間のまま、一体短針が何週したのだろう。

 日課である日記も書けずじまい、ペンを持つ事自体頭から抜けていた。どうせ机に向かっても何も書けなかっただろう、もういい。たとえ一行「何も無かった」すら書かなかったのは、初めての事。
 何も無かった訳が無い、いや最初から無かったのか。違う、そんな事……。覚醒したばかりの働かない思考で足を取られ、だらだら自問自答している時だった。部屋の外から声がかかり、扉が開く。おずおずとした足取りで、エステルが部屋に入ってきた。ベッドに寝たままのルークを見つけ、心配そうな瞳で大丈夫です? と。
 あまり大丈夫では無かったが、そんな事を言いたい訳でも無い。ルークはもぞもぞと起きだし、皺くちゃになった服を手で伸ばす。服のままベッドに入って、ずっとそのままだったから酷い有様だ。

「リタにドクメントを見てもらいました。それでやっぱり……以前のユーリの状態に戻っているみたいです」
「……そっか」

 寝起きの声は掠れて、ああ誤魔化せるなとルークは思った。傍にやってきたピンク色が目に優しくて、気遣いが深い瞳の色に現れていて自然苦笑が漏れる。頭をポリポリと掻き、手櫛で乱暴にくせ毛を直す。

「未来のユーリになった時にドクメントの記録を取っていたみたいで、それと比べてみたんです」
「うん、流石リタだな」
「ユーリ本人の記憶もやっぱり半年前のままみたいで……。昨日外に出た時、景色にすごく驚いていました。その時気付けれてば良かったんですけど……」
「半年前って言ったら牙1本の時だっけか。牙が無くなって世界樹がああも変わってたらそりゃ驚くよな」
「それで、ユーリの記憶なんですけど。未来のユーリがやってきたのが事の発端である以上、今の状態を記憶喪失とは呼べないそうです。でも記憶は必ず戻って来るって言ってました! だから……!」
「うん、もういいって」
「ルーク……」
「別に、元に戻るだけだろ。そもそも今までが異常だったんだし。なら別に……なんともないって」
「ならどうして、そんな顔してるんです?」

 ……そんな顔。言われてもルークは今自分がどんな顔をしているのか分からない、鏡が無いのだから見れるわけがない。けれどエステルの思ったより強い口調に、責められている気分になった。ルークは顔を上げて本人を見ると、その顔はやはり怒っている。

「今のルーク、泣きそうです」
「……泣きそう。俺が?」
「ルークのそんな顔、今まで初めて見ました」

 顔の筋肉を歪めたつもりになって、ルークは前髪を掻き上げた。だから見れないって、鏡が無いと。ぼそりと届けない音量で呟く、例えあっても見ないだろうけれど。エステルは視線を外さずじっと見つめてくるが、言葉を募る事はしなかった。それがルークには逆に辛い、黙って責められている。

「ユーリと会ってお話するべきです。私、ユーリを呼んできますから」
「待ってくれ! エステル……。頼む、もうちょっとだけ待ってくれ。せめて自分の考えは纏めたいんだ。ちょっといきなり過ぎて、正直おっつかねぇ」

 正直な気持ち、追いつかない。けれど実際追いつきたくないというのが正しいかもしれない、自分の中で加筆修正し続けて終わらなかった。ルークは呻きながら、みっともない姿も忘れて懇願する。
 エステルは優しく背中を撫で、少しの間黙った。

「分かりました、でも絶対会ってくださいね?」
「……うん、分かってる」

 撫で擦る手が止み、立ち上がってそう言う。最後にまた心配そうな視線を送って、エステルは部屋を出る。ルークは閉まった扉をただじっと見つめて、考えなんて纏まる訳が無いと思った。



*****

 昨日、一昨日。エステルにああ言ってから、時間だけが無駄に過ぎている。ルークは枕に突っ伏して、今日も頭を抱えていた。その傍にガイが座り、小さな機械を手元で弄っている。心配しているのだろう事が容易に分かって、ルークとしても焦っていた。
 会いにいかなければ、けれど会ってどうする。話さなければ、だが何を話すと言うのか。お前俺の事好きって言ってたんだけど、どうよ? 言葉だけ浮かんで自分を殴る、馬鹿の所業だと責めた。
 改めて考えれば、ルークからユーリの事で気にかける件が無い。仲間ではあるが、それはアドリビトムの範囲で言えば皆そうだ。同郷でも無いし顔なじみでも幼馴染でも親友でも友人でも無い、無い無い尽くし。そもそもユーリは貴族嫌いで、そこからルークもユーリをあまり好きではなかった。喧嘩だってするし揚げ足取られて皮肉を浴びせられる、なんてこった良い所が無い。

 そして噛み締める、何もかも相手からの好意から始まっていると。そして思い知る、それに対して自分がどれだけ何もしていないか。好意を渡されてありがとうと言った覚えも無く、感謝はしても口にした事はゼロみたいなもの。
 ルークは足をジタバタさせて、身悶えた。ああ馬鹿、アホ、恩知らず! 顔を埋めたまま両手の拳を叩きつけ、暴れるスプリングに任せて体も跳ねる。そのせいで手元が狂ったのか、ガイが情けない声を上げた。ビクッとして、暴れるのを止める。振り上げた拳を大人しくぽふりと落として、ルークは長く重い溜息を吐く。

 後頭部に手が乗ってきて、優しく撫でられた。ガイは何も言わず、ただ察している。付き合いが長いとこういう時助かって、困った。自分で言葉に出来ない分、まるではっきりと掴んでいるようだ。それを俺にも教えてくれ、とルークは言いたくなったが聞きたくない。



 コンコン、と訪問音。昨日からこの部屋の扉はよくノックが響く、ユーリの変化が知れ渡って心配したメンバーがよく訪れた。だが大概ベッドに変わりなく突っ伏しているルークの姿を見て、一言二言で帰っていく。その殆どがルークを心配する言葉で、それを聞く度なんだか重石が伸し掛かった。
 ガイの重みがベッドから消えて、訪問者の対応をしているようだ。枕と密着して離れるつもりのないルークは、ボソボソと耳に届いた声を聞いて体を硬直させる。
 プシュ、と扉が閉まる音。慌てて起き上がり振り返れば、ガイの姿は消えて黒いのが一人立っているだけに。
 ぽかんと口を開けて、久方ぶりのそれを視界に入れた。と言っても2日間程度ではあるが。

 ユーリの表情は呆れを含ませ、口角を片方だけ上げていた。何故ユーリが部屋まで来たのか、おそらく誰からかせっつかれたのだろう。

「なんかやたら色んな奴に言われて来てみれば、当のご本人はベッドの住人とは……。いいご身分だ」
「う、……うるせぇ」

 1日と半分ぶりに声を出すが音量が出ない。そして何よりも口へ出す言葉の選別が、今のルークには出来そうに無かった。

「散々色んな奴に言われたんだけどよ、それこそ耳タコできるくらいな。オレとあんたが所構わずベタベタしてたとか……冗談もここまで徹底されると笑えるわ。そんで? 実際はどうだったの、未来のオレとお坊ちゃんの仲ってのは」
「え、……あ」
「やっぱ違うじゃねーかあの野郎、いい加減言いやがって」

 言葉を濁すルークから何かを汲み取ったのか、ユーリは舌打ちをして苦々しく顔を歪める。その音に拒絶を感じて、何故かルークはショックを受けた。

「おたくの従者達の目が特に怖いんだけど? 本当の所オレは一体何やったんだよマジで」
「変……だったけど、別に。そこまで変だった訳じゃねーよ!」

 不信の滲むユーリの声に弁解するように、ルークは勢いで答える。ふぅん? と目で訴えられて、ルークの喉は続きを言い淀んだ。わざとらしい溜息が部屋に響き、うんざりとした声。耳を塞ぎたくなって、ルークは俯く。

「ったく、未来だかなんだか知らないけど、好き勝手してくれやがって……。人の評判踏み荒らしていくなって話だ」

 その言い方と態度に、ルークは既視感を覚えた。いつか何処かで見たような、言ったような感覚。思い出せそうで思い出せない、目元に皺を寄せて記憶を探るが出てこない。
 返事の鈍いルークを他所に、ユーリは足をくるりと戻して帰ろうとしていた。ルークは腰を上げて手を浮かせたが、続く言葉がやっぱり出て来ない。思い出したように振り向いて、ユーリは告げた。

「ま、取り敢えず今は抜けた分確認すんので手一杯だからよ。実際何も無かったってんならそれでいいんだ、邪魔したな」
「あ、……待て、よ!」

 エステルの言葉を浮かべて、追いすがる。腕の服をささやかに掴み、引き止めた。けれど次の瞬間、その手は思った以上の強さで弾かれ拒絶する。
 至近距離からの瞳は何かを語っている、だがそれは決して好意的ではない。数日前まで見せていた眼差しから反転、戸惑いよりも明確な否定。

「悪いけど、オレとあんたじゃ袖すら触れ合う気がしねーわ。縋りたいなら他所を当たってくれ、……誰がやろうが同じなんだろ?」



 目の前でピシャリと遮断され、その真白い扉をルークは呆然と見つめた。そして頭の中で繰り返されるユーリの言葉。「誰がやっても同じなんだっつの!」嫌になるくらい聞き覚えのある声で再生された。

 足が勝手に動き机へ、日記を取り出してパラパラと捲る。見慣れた文字達が踊り思い出として蘇ってきた。1週間前、1ヶ月前、3ヶ月前、半年よりちょっとだけ前――。
 目的の日付を見つけて指でなぞる、読み進めてみればそれは怒りの文章だった。内容は然程詳しく書いていない、ただ目標物の無い罵声が飛んでいるだけ。

 そしてルークは思い出す、あの日の事を。





 ギルドアドリビトムの名声は徐々にだが高まっていて、増えるメンバーに合わせて依頼も雪だるま式に増えていく。バンエルティア号の機動力に任せて各地で依頼を受けるが、その内容の多くは、戦争で人手を取られたり土地を奪われた人々を助けるものだった。
 ラザリスの牙の影響と混乱は当時ピークに達していて、それに煽られるのは大抵生きるだけで精一杯の、小さく集まる集落地方。散り散りにどこからともなく集まっているだけで、村と呼べる程の規模ですらない。
 そんな彼らは魔物から身を守る術も少なく、かと言って警護を雇える程の余裕も無かった。けれどアンジュや、各地から依頼を請け負ってくるメンバーはそんな人々を少しばかり優先して受けている。
 元々アドリビトムの成り立ちは、アンジュの”苦しんでいる人達を助けたい”という想いから。メンバーの殆どはそれに賛同し、昨日は我が身という気持ちからも積極的だった。

 ルークとユーリとガイがその日訪れた先の集落もそんな類の依頼で、魔物退治。魔物退治自体はすぐに終わったのだが、壁すらまともに機能していない家の様子にユーリがおせっかい病を出し、色々……ルークには目まぐるしく思える程色々していた。
 言われるがままあっちへ行ったりこっちへ行ったり、一段落着く頃には夕方になる始末。いい加減にルークがキレて、やっと開放されたのだ。依頼人からは感謝されたが、元の依頼報酬から考えると正直割に合わない。むしろその時は足りていなくて、けれどユーリは構わないと言う。
 金に文句を付ける訳では無かったが、ルークは無駄な労働を強いられた気になって不満だった。それをガイが宥め賺して、ユーリが呆れている。何時もどおりのそれに波紋が飛んだのは、帰り際小さな女の子が追いかけてきて、感謝と共に渡された花冠。

「お金足りなくてごめんなさい。少しでも足しになればって思って、これ……編んだの」

 ユーリはそれを受け取り、帰り道気をつけろよ、そう言って子供を見送った。夕暮れに伸びる影の尻尾をずっと見ているものだから、ルークは呆れる。同時不満を漏らした自分がまるで悪者のような気持ちになって、つい口を尖らせた。

「花って……。こんなんで足りる訳ねーのに」
「まぁルークそう言うなって、きっとアンジュはこれでお釣りがくるって言ってくれるさ」
「別に変な物持ってこなくても、足りないなら最初からそう言えばいいのによ」
「足りないのを悪いと思ってくれたんだ、それでいいじゃねーか」
「こんな物枯れちまえばゴミじゃん」
「……目に見えるモンしか見ないってーのは、ある意味可哀想ではあるか」

 ルークの言葉にユーリは気分を害したらしく、何時もの皮肉と少し違う声色を出した。それが馬鹿にしたようなものではなく、まるで哀れんでいるかのように聞こえ、疲れたルークの尻尾に火を点けた。
 諍いは無意味にヒートアップして、ガイの仲裁も耳に入らない。バンエルティア号を目の前にして、ルークは最後にこう言った。

「花なんかどこにでも生えてんだろ、んな物編もうがどうしようが、誰がやっても同じなんだっつの!」





 誰がやっても同じ。そうあの時確かにそう言った。その言葉を聞いたユーリの顔が苛ついて歪んだのを思い出す。

 王族として生まれたルークには、金銭に不自由するという感覚自体が分からなかった。だからその惨めさも何もかも、想像すらした事が無い。
 実際あの当時の大地では花も案外珍しい物だったのだが、金品かと言われれば違う。申し訳無さそうに、けれど指先を擦り傷だらけにして渡してきた小さな子ども。そこに込められた意味なんてあの時のルークに分かるわけが無かった。
 そしてそれがユーリの気に触ったのだろう、今なら分かる。



 はっきりと思い出して愕然とした、ずるずると床にへたり込む。ルークからすれば半年前だが、ユーリにしてみればほんの数日前のまま。元に戻るなんてどころではない、きっと彼の中で評価は地に落ちているだろう。いや元々それ程高くなかったか、もしかしたら王族貴族以上に蔑まれていたかもしない。
 ルークだってだからこそ嫌っていた、相手が嫌っているのにわざわざ懐に飛び込むなんて真似はしたくない。けれど、外部の人間があんな風に遠慮無く言ってきたのも初めてだった。だから最初は興味が湧いたのだ、結果すぐ手の平返されたが。

 けど、でも、だから。そんな言い訳じみた単語ばかり浮かぶ。ルークは両手で前髪を掻き上げて、膝に顔を埋めた。





*****

 ジルディアと共生するようになってから、ルミナシアの天気は基本的に良好だ。シーツがパリッと乾いて気持ちいいです、と誰かが言っていたのを思い出す。甲板の先前頭部の踊り場に大量のシーツが今日もバタバタ泳いでいて、空を飛ぶバンエルティア号には必要のない、けれど丁度いい帆。
 停泊している土地柄風が強いのか、目の端からでも元気に暴れている白色を焼き付ける。ぎゅっと瞼を閉じ、開けた次に映ったのは遠い黒色。
 少し先に人影が船へ向かっていて、その色合いは予想通り。それでも一番目に付くのは、どうしたって例の色。ルークは30分前補給したばかりの水分を乾かして、喉を鳴らす。

 上がってきたエステルが最初に気が付き、日陰も忘れて立っていたルークへ声を掛けてくる。その声はやはり心配そうで悲しそうにしており、申し訳ないな、と思わせた。

「ルーク……」
「悪いエステル、ちょっとユーリ借りたいんだけどいいか?」
「あ、……はい!」

 パアッと明るくなって、後ろを振り向く。視線の先の黒色はまだ少しだけ先、眩い甲冑が目印のフレンと何か言い合っていた。声は聞こえないが、苦い表情なのは僅か伺える。
 ジュディスがやってきて、勇気付けるように肩を叩いていく。

「ならアンジュへの報告はやっておくわ、どこへなりとも連れ回してあげて。彼、あの日からご機嫌悪いみたいだから」
「うん、ありがと」

 意味有りげに微笑まれ、どういたしましてと妖艶な顔で中に入っていった。エステルは少し気にしながらも、姿を見せ始めた影を確認してから入る。その視線を辿るように振り向けば、フレンとユーリが。彼の表情を認める前に、先制をかけた。

「ユーリ、ちょっと顔貸せよ」
「……じゃあ僕は先に行ってるよ。ではルーク様、失礼します」

 ユーリはちらりと視線でフレンを追い駆けたが、素知らぬ顔で無視されて、ガチャガチャと鎧を鳴らして中へ入っていく。はぁ、と大きな溜息。ユーリはわざと顔を逸らし、けれど呆れた顔をしていた。

「それで、オレみたいな下々の者になにか御用ですか。第一継承者サマ」
「継承権はもうアッシュに移ってる、今俺の立場は宙に浮いたままだ。……次その名称使ったらぶん殴るからな」
「……そうかよ、悪かったなお坊ちゃん」

 何か反応されるかと思ったが、返ってきたのは歪んだ口元だけ。立場は変わってないと思われているのだろうか、そう考えて胃が痛む。
 深く息を吸って、そのまま一度止めた。肺いっぱいに酸素を取り込んで、昨日整列させた言葉達を思い返す。

 言い訳、ありがとう、ごめんなさい。記憶は未来に置いてきたままだろう、なんの意味があるのか。もっと伝えたい事があるはずだ、今まで相手に任せて閉じてきた口を今開かないでどうする。
 考えるだけで行動に移さない・言わないのならば、結局無かった事と同じ。突っ立ってるだけならそれこそ誰でもできる、人間である必要性が無い。

 だから――



「偶にむかつくし言う事無視するし適当に相手される事もある、後で考えたら馬鹿にされてたとかしょっちゅうだ! そんで一人で気にしてたらお前は忘れてたりするし、間抜け面でアイス食ってやがる!」
「はぁ、そりゃすいませんね」
「人の意見聞かないなんてお前だって同じなくせに大人ぶりやがって、揚げ足ばっか取りやがるし。一匹狼気取ってる割に妙にフェミニストぶって株上げて、フレンにはしょっちゅう怒られてるクセによ!」
「ごもっともで。……そんで終わりか?」
「まだあるってーの! 今まで黙ってた分がこれで終わりな訳あっか、山ほどある!」
「悪いけど付き合いきれねーから、お空に向かってやっててくれ。帰ってくる奴らの邪魔すんなよ?」

 弾丸を放つように、言葉。けれど相手は盾を持っていない、受け止められる事すらされず躱される。戦闘時見惚れた軽やかな動きは今だけは憎らしい。だがそんな事を思ってる暇があれば、伝えろ、と。
 区切って一音ずつ、頭の中で確かめるように。自分で確認して、間違いなくそう思う。目の中に姿を入れて直視した、逃げられぬように。ユーリはまだ此方を見ない、避けているのは明白だった。その姿にルークは過去の自分を重ねる。
 自分に向けて彼に向けて、はっきりと想いを乗せた言葉を放った。

「俺は、ユーリ・ローウェルが好きだ」

 からりと高い空に声が届く。ここで初めてユーリが目を合わせてきて、迎え撃つ。紫黒の長髪が瞳か体の代わりに揺れて、一瞬遮った。その髪を耳裏に掛け、ユーリはまた顔を背けて否定気味の声を絞り出す。

「……何、文脈に一貫性無さ過ぎるんじゃないの」
「ある。最初からお前が好きって事しか言ってない」
「反対言葉かなんか?」
「中身はおんなじものだ。どっちにしろ気にしてる」
「……そうかよ」
「もう一度言う。俺はお前が……ユーリが好きだ、嘘じゃない。冗談でもない、騙されてもない!」

 大きく高く宣言し、その強さに比例してユーリは動揺した。目に見えて表情が歪み、顔を逸らし髪で隠す。隙間からちらり見えた下唇は噛んで赤くなっており、たっぷりの沈黙を吸う。
 ルークは待った。なんと言われるか想像は付いていたが、本人の口から聞かねばならない。あの時のユーリだって、待ってくれたではないか。

 苦虫を噛み潰したような顔で、苦しげにユーリは口を開く。半分下がっていた瞼を開放して、決めた声色で告げた。

「……無理だ。オレとあんたじゃ価値観が違い過ぎて噛み合う気がしない。仲良くお手々繋いでる姿が想像つかねーよ、……嫌いって訳じゃないが好きになれる気がしない」

 想像通りだな、そう笑ってルークは踵を蹴り出す。一直線に襲いかかり、ユーリを硬い床に組み敷く。派手な音が空に響き、詰まった声が漏れる。
 腹に乗って胸ぐらを掴み、噛み付く勢いで唇を寄せた。舌を突っ込んでかき回す、何度も何度もされた動きを真似て。
 嫌がって逃げる獲物を追いかけ回し、根本をなぞって裏筋を吸う。舌の表面を無理矢理擦り合わせ、終いには噛んだ。むぐ、と呻き声が震えたが無視する。こっちだって何度無視されたと思ってんだ、頭の中でそう叫ぶ。
 噛んで、緩めて、思い出せる限り再現した。正直正気じゃ出来ない、だから今やってやるという気概。この間誰も通らない事に世界樹へ感謝しつつ、ルークは記憶が尽きるまで唇を貪った。

 いい加減息が限界で、ゼィハァ荒い息を吐いて離れる。銀糸の光が二人の橋渡しをして、ぷつり途切れた。影が離れる事が許しがたく、ルークは大きく瞼を開けまた食い付く勢いでキスをする。けれど今度は折れそうな強さで肩を掴まれ、引き剥がされた。
 嫌そうな顔と声で迎えられて、ルークはこの野郎、とあやふやに腹を立てる。

「止めろって、こんな事されても絆されるつもり無いぜ」
「うるせぇ馬鹿、先にやったのはお前だろうが」
「未来のオレが何やって何言ったのか知らなけどな、それはオレじゃない。同一視すんのはやめてくれ」

 その言葉に何度目かの既視感、今ではその正体も分かっていた。そう、ユーリの言葉は過去放ったルークの言葉そのもの。だから今のユーリの気持ちも分かって、同時過去のユーリの気持ちも分かった。
 ああちくしょう、やっぱり俺はどうしようもない大馬鹿野郎だ。罵倒の矢印を自分に向けて、それこそ大声で叫びたくなる。本当に言い出してしまう前に、ルークは正面を見て、やっぱり過去ユーリの想いを浮かべて言った。

「だからどうしたっつーんだよ! 何時の話してやがる、俺は……今のユーリの事しか言ってない! 俺はユーリが好きだ!」
「……っ」
「出会った時からむっかつくと思ってた! 馬鹿にするし、気にしたりしやがるし、飯ん時いっつも俺の近くに座るし! 小姑みてーに細かいし、そのクセ偶にサボって街に連れ出して! ちくしょう今思い出したけどあん時テメーアイス奢ってくれただろうが、小銭くらい持ってるっつの! 何度でも言ってやる、過去だろうが未来だろうが、俺はぁ……今ユーリが好きって想ってんだよ!!」

 ルークが真上で息継ぎをするたび、ユーリの瞳は揺れが激しくなる。段々と目元に皺を寄せ、今日何度見たか分からない苦しそうな顔をした。普段と逆の立場だ、しかし本当に優位に立っている側はどちらなのか。

 あの時のユーリは諦めなかった。その想いからルークも諦めるつもりはない。けれど張本人の口から出たのは……どうしても拒絶。

「……何度言われようがあんたは無理だ、オレには荷が重すぎる。はっきり言わなきゃ諦めないって言うなら言ってやるよ、それこそ何度でも。……オレはあんたが嫌いだ」

 嫌いだ。その3文字は矢よりも鋭く飛んでルークの心臓に突き刺さり、処刑した。







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