chicken or the egg








8
「それこそ何度でも」



 世界の危機が去り、闘技場の活気は以前より沸き立つ。不安から解消され、瓶の蓋が飛んでいかんとする勢いで毎日観客・参加者共々で満員御礼。チャンピオン・コングマンが去り、現覇者だったディセンダーは未だ帰還していない。新しい挑戦者達は我こそが新チャンピオンにと毎日戦いが繰り広げられている。

 そしてルークもここ連日、闘技場へ繰り出しては対戦歴を伸ばしていた。依頼が終わって時間のある時や、時には一日中。
 今日も依頼終わりに闘技場へ寄り道し、幾つかのレコードを打ち立てたばかり。それに付き合いながら指南をするユーリのおかげで、ルークの戦闘能力はメキメキと上がっている。
 最近ではクレス達との手合わせも、勝率5割を越えるようになった。それを嬉しそうに報告し、ユーリも我が事のように喜んで聞く。

 試合が終わりロビーの片隅で寛ぐ二人、人の殆どは観客席で周りに人影は無いと言っていい。受付嬢は今日も中央カウンターで笑顔を振り撒いている、そのずっと後方ソファでルークは左腕を揉んで休めていた。
 ユーリの腕が伸びてきて、額の汗を拭われる。タオルを手に持つ本人は相変わらず汗一つかいていない。今のルークはそれを見てムカつく事は無いが、やはりまだ悔しさはある。まだまだ動きに雑さが抜けないと、さっき言われたばかり。けれどそれを今は素直に聞ける、今夜ベッドに入れば今日の復習だ。

 戦闘直後の興奮に任せるようにペラペラと口が滑る。少し子供っぽいな、と自分でも思うが止まらない。思春期を迎える前に済ませてしまうような、期待の風船が最近では膨らみっぱなしなのだ。

「国を出て戦う情報屋とか面白くね? ジェイみたいによ」
「止めとけって、人には向き不向きがあるぜ」
「どーいう意味だっつの!」

 スパイ・秘密工作員・エージェント、そんな肩書きに夢見がち。けれど前までそんな夢すら許されなかったのだから、今思い切り言いたい。そんな風に口にすれば、隣の笑みは殊更深くなる。

 最近は唇よりも抱きしめられる事が多くなって、ルーク自身もその肩に額を埋める時間が増えた。今もそう、仕事が終わったタオルを置いた手が肩に回ってきて、今すぐはちょっと嫌だなと流石に思う。
 けれどその考えもどうせ分かってやっているのだろう、ユーリは項に指を這わせ朱金を纏め上げ、ばさりと髪束を前にやった。空席になった首元を占拠するように、鼻先を埋めてくる。くん、と吸われて、ルークは我慢が出来ずその無礼者を摘んだ。ジロリと睨むが、全く悪びれない紫黒が。

「ルークは目立つからなぁ、人前に出る仕事でもいいと思うぜ」
「今まで外交はアッシュに任せてたから、それも面白いかも。でもパーティばっか出てつまんねーおべっか使わなきゃなんないなら嫌かも」
「そこはほら、ルークマジックでなんとか切り抜けろって」
「なんだそれ、俺魔法使えねーけど?」
「こいつは誰かが見てないと破滅しそうで危なっかしい……って思わせる天才だからな、ルークは」
「破滅って……そこまで言う?」
「じゃあ保護欲」
「それもなんかやだ、ガキかよ俺は」
「その内勝手に大人になるんだから、ガキって言われてる間はガキでいいじゃねーか」
「……そのセリフ、ガイから耳タコできるくらい聞かされたっつーの」

 ユーリは聞いた瞬間ぶは! と吹き出して口元を覆う。抑えきれていない声にイラッとしたが、放っておいた。時折ユーリは意味不明な所で笑い出す、その理由はどうせ未来にあるだろうから追求しないが。
 そしてルークは過去を思い出し、兄貴分の何時ものあの顔を思い返す。自然眉が寄って、けれどあの時の未熟さも思い出して恥ずかしくなった。考えてみればガイにも相当手を焼かせていただろう、きっと彼は今でもそうだと言うだろうけれど。

「後2つか3つくらいで闘技場制覇か、思ったより時間かかったなー」
「まぁ依頼帰りの足じゃこんなもんだろ。今日はもう帰ろうぜ、残りは次にしとけって」
「そーだな、いつの間にか夕方だし」
「明日また付き合ってやるよ」
「全制覇したらなんかくれるか? ユニーク武器とか!」
「それはディセンダーが帰ってきた時にお伺い立ててくれ。そうだ全制覇したらオレから熱い抱擁と告白を……っておい、切り上げるの早すぎるだろうが。せめて最後まで聞いてから無視してくれって」
「なんか最近慣れてきたわ、ほら帰るぞユーリー!」
「……やっぱ乱発しすぎたかね?」

 何やらブツブツ言っているユーリを置いて外に出る。放っておいてもちゃんと付いて来ると分かっているから後ろは振り向かない、もう本当に何時もの事だ。道すがら視界に散らばる夕焼け、世界樹に混ざる白色が特に反射して真っ赤に燃えている。
 ディセンダーの帰還は何時になるだろう、帰ってくるまでに良い報告は出来るだろうかと少し考えた。次元封印で忙しい時に、国の面倒事に付き合ってもらったのだ。事の顛末はきちんと報告したい、あの時はありがとう、と。

 遅れて聞こえてきた足音に振り向き、じろりと睨んで。言葉にせずとも分かっている、そんな顔で笑われた。そんな風にされるとガイのようで、最近よく昔のガイを思い出す。どちらかと言えば過去自分の不甲斐なさ・駄目さを思い知る時、そのセットとしてあの顔が浮かぶ。
 兄貴分兼使用人兼護衛剣士である彼には、よくよく苦労をかけているとしみじみ思う。けれどつい最近頑張りすぎて倒れるなよ、とも言われた。
 今までが今までだった訳で、別に心機一転とか言うつもりは無い。ただ少しばかり心構えが変わっただけ、それだけだ。その理由が手に触れてきて、指先を絡めてくる。

 ぱちくりルークが瞳を開けて隣を見れば、にこやかにユーリが手を握っていた。そのまま歩き出し、引っ張るように帰り道を歩く。船はまだ先で、この道には二人だけ。濃い影が長く伸び、間を繋いでいる。ルークはちらりとそれを流し目で見てから、特に何も言わず握り返した。
 船までどのくらい歩くっけ? その時間を噛み締めながら。



***

 就寝前の自室、ルークは机に向かって今日の日記をしたためていた。闘技場での戦歴、戦闘スキル、スパイなんてどうだろう、外交官とか? 今日ユーリと話した事を中心にさらさらと書いていく。
 もうすぐ闘技場全制覇! っていうか明日にはイケそうだ、帰りにまたユーリを引っ張って行く事にしよう。そう書いてペンを置く、ガタリと背凭れに倒れて一息。闘技場が終わったら次は何をしようかと、ルークは考えている。
 リタお薦めの論文は全部読み切り、ジェイドから渡された心理学の本もなんとか読破した。取り敢えず今は何でも勉強、の気持ちでやっているがそれが身になっているのかとの不安は尽きない。

 ふと日記の日付を目に止めて、気付く。ページをパラパラと捲って、分厚い日記帳の半分以上を過ぎていた。今使っている分は修行の旅に出る時新しくした物で、正直旅の間はそれ程書くことが無く進み具合は亀の歩み。一気にページの消費が進んだのは船に来てから、特にユーリが関わってきてから。
 指先で断裁面を辿ってから、頭の中で数える。正確に言えばもう1ヶ月くらい先だが、半年、あの時からそろそろ半年が経とうとしていた。

 ユーリの言葉を思い出す、記憶は統合されるのだと。半年未来のユーリが時間経過を経て、半年を過ごしたのならば結局の所同じ地点、という事になるのだろうか。
 その辺り気になってリタかハロルドに聞こうかと、数回科学部屋の前を彷徨いた事がルークにはある。けれどそこまで気にしている、という自分が恥ずかしくなって逃げ帰るに終わった。あの時は今程気にしていなかったが、いざその時が来ると思うとやっぱり少し怖い。
 拳を握りしめ、想像できる範囲で考えた。タイムリープは別軸へ移動する方法では無い、ただユーリに”半年間跳んだ自覚はあるが、飛んだ間の記憶も保有している”という意識が残るだけのはず。少々ややこしい、結局どっちだよ? 理不尽な怒りをぶつける。

 ……いや残る、そうでないと許さない。自分をこれだけ変えて、その間の事は何も知りませんよなんて言ってみろ、ぶん殴ってライフボトルで起こしてまたぶん殴ってやる。
 想像の中でユーリにウサギ耳を付け、お似合いだと指差して笑う。それだけで少し気が済んだ、その内本当にやろう。



 不安をピシャリと閉めだして伸びをする、すると次いで欠伸が出てきた。それが聞こえたのかそろそろ寝ろよ、と後ろから声がかかり返事をする。ベッドにもぞもぞ入り、ガイが上からシーツを首元まで被せる。眠気の足がやってきて、薄っすらと金髪を見上げた。

「……ガイ、さんきゅな」
「どうしたいきなり? ルークがそんな事言うなんて明日は雨か」
「折角人が感謝してんのに水を差すなっての」
「はは、分かった分かった。明日も依頼受けて闘技場行くんだろ、もう寝とけって」
「うん、……お休み」

 前髪を撫でられ、手が遠のく。それをぼんやり見つめてから、ルークは瞼を完全に降ろした。閉じれば世界は闇色、けれど明日もその色にお目に掛かるのだから安心だ。そんな事を思いながらルークは眠りについた。





*****

 ガイに起こされのろのろ着替え、ボケーッと一人部屋で待つ。寝汚い自覚があるので半分寝ながらベッドに座って涎を零しつつ、ハッとなる。時計を見ればいい時間だ、ルークはあれ? と不思議に思った。
 朝食から戻ってきたガイが珍しい事あるんだな、と笑っている。何時もならばとっくにユーリが迎えに来ている時間のはず、なのに今日はまだあの紫黒が姿を現さない。

「途中で足止めくらってるんじゃないか? ユーリはよく声掛けられるだろ」
「……有り得そうだなー、まーたなんか手伝い頼まれてそう」
「偶にはルークから迎えに行ったらどうだ、もしかして絡まれてたりしてるのかもよ」
「んー、そうだなぁ。それもいいか」

 ユーリの朝の迎えは本当に時々だが、こうやって遅れる事があった。途中で声を掛けられていたり絡まれていたり手伝いをしていたり、理由は様々。以前は無視して一人行動していたのだが、偶にはいいかなという気分になっている。
 ぱん、と両膝を打って立ち上がり、ルークは意気揚々と部屋を出た。この俺を動かすなんて、どうしてやろうと鼻歌が漏れ出す。嬉しがって抱きついてくるかもしれない、その時は容赦無く制裁しようと拳を握りしめた。

 エントランスを抜けてガルバンゾ部屋にノックをしてから入るが、誰も居ない。エステルやジュディス、フレンすら。ではやはりユーリは途中誰かに捕まって、何か手伝わされている可能性が高いのかもしれない。
 ルークは視界に入ったすぐ横の扉を見てふと考える、……今日くらいは自分から行ってやってもいいかな、と思ったのだから。もう一度自分に言い聞かせて食堂の扉をくぐった。
 するとふよふよとやって来る小さくて黒いの。ロックスがお早う御座います、とにこやかに挨拶してきた。ルークは答える前にぐるり室内を見回すが、やはり求める色は無い。ぽりぽりと誤魔化すように頬を掻いていると、小さな声が思わぬ事を聞いてきた。

「ルーク様、もしかして……ユーリ様をお探しですか?」
「……へ? あ、…………まぁ、うん」

 そのものズバリを言い当てられて動揺するが、探しているのも事実。少しばかり逡巡した後諦め、素直に答える。すると今度は何故かロックスが眉を困らせて不思議な事を言う。

「もしかして喧嘩でもされたんですか? ユーリ様、今朝はもう朝食済ませておられましたよ」
「……え、まじで?」

 どこかで引っかかってでもいるのかと思っていたルークには、寝耳に水。喧嘩らしい喧嘩なんてここ最近していない。したとしてそれは相変わらずの、ルークが一人わぁわぁ言っているだけのもの。それすらも10分保ちはしない、宥め賺すのもガイ並に手慣れられてきた。

「ええその……、フレン様とご一緒でした」
「フレンと?」
「はい、けれどどこか様子が可笑しかったような気もしました。何時もルーク様とご一緒に来られるはずでしたのでお聞きすると、不思議そうに返されてしまいまして……」
「……今どこか分かるか?」

 いいえ、と首を横に振り、ロックスは朝食はどうされますか? と尋ねる。ルークは視線を床に落としてたっぷり考え、結局一人食べる事にした。別に必ず一緒に食べると約束していた訳ではない、ただ毎朝迎えに来るから流れでそうなっていただけだ。そんな言い訳を頭の中でして、眉間に皺を寄せて席に座る。
 ロックスが苦笑しながら配膳し、案外相手は気にしていないものですよ、とアドバイスらしき物言い。ギルド内で謎の評判が広まっているせいか、どうあってもルークが何かやったのだと思われているようだ。

 少しばかり納得いかないが、噛み付いて弁明するのもなにか違う。仕方なくその生温い視線に耐え、ルークはオムレツを食べた。あの野郎、まず最初に飛び蹴り食らわせてやる、そう決めて。



 こうなったら絶対見つけてやる、とルークが次に向かったのはエントランスホール・受付カウンター。ドスドス足音を鳴らしてアンジュに駆け寄り、ユーリ見た? と少しばかり地を這う声で尋ねる。

「ええ、今朝依頼を受けてもう出ちゃったわよ。えーと、フレンとエステルと一緒に」
「……まじか」
「ユーリは最近ずっとルークと一緒に組んでたから、偶にはっ…て事だと思ってたんだけど。……違った? もしかして喧嘩でもしたの、懺悔したいなら聞こうか」
「してねーよ!」

 思わず叫んでハッとなり、ルークは顔を真っ赤にした後、逃げるように甲板へと出た。外はいい天気で空が高い、気持ちいい風が当たって熱を冷やす。誰も居ない甲板をコツコツと鳴らし、降ろしているタラップの先を見た。

 確かに半年前からユーリはずっとルークの傍に居るのが常だった。始めの頃は別々を推奨していたのに、いつの間にか息をするように普通の事になっている。
 けれどもユーリは元々ガルバンゾ繋がりで、フレンやエステル達とよく組んでいた。手伝いで駆り出されている姿もよく見かけはしたが。ルークはもしかして最近占領しすぎてエステル達が怒ったのかもしれない、とちょっとばかり考えにくい事を考えた。

 頭の中で一日の割合を思い出す、自分の隣にあの黒いのが居る時間。朝、迎えに来る流れのまま朝食。昼、依頼を一緒に受けてそのまま。夕方、依頼の続きだったり最近では闘技場。晩、風呂に付いて来たがる腹を殴って別行動。眠る直前までどこかで適当にだらだら。
 羅列してルークは頭を抱えた。なんだこれは、正直同室のガイ達より時間が長いかもしれない。そして改めて、確かにちょっと寄りかかり過ぎているかもしれないと自覚した。

 天気が良すぎて甲板では照り返しが少々暑い。ルークは日陰を探して、ちょこんと座った。
 いい機会だし誰か別の奴を誘ってどこか行こうか……。ユーリだって出ているのだから、こうやってボーッとしていても時間の無駄だ。そう思うのに、一度座ったルークの腰は思うように上がらない。むしろ根を張りだし、陽の陽気に任せてフツフツと育っていく。

「そりゃ何時までも寝てた俺も悪いけど、なんか一言くらい……」

 上がると思ったメーターはがくんと下がり、次の瞬間やっぱり急上昇した。闘技場付き合うって言ったじゃねーか、別にいいけど。と、なんとなく気に入らない、そんな気持ちに落ち着く。

 一人そうやって座って待っていると、帰って来たメンバーや出るメンバー達に声を掛けられる。その殆どが、今日は一人? バカップルも喧嘩するんだね。早く謝っちゃいなよ。等どういうつもりでその言葉を選択したのか問い詰めたい内容ばかり。
 普段俺達をどう見てるんだ……! と頬に血を巡らせてルークはぶつくさ愚痴を零す。これはもう全てあの黒いののせいだ、絶対殴るからなちくしょう、そう言いながら膝を抱えた。





 太陽が真上辺りまで昇った頃、待ちに待った黒色が姿を見せた。どうしてか長い間見ていなかった気持ちになったルークは、差入れで貰ったジュースのストローを行儀悪くガジガジと噛んだ。
 珍しく一人先を歩き、その少し後ろにピンク色と反射する白色。黒色が甲板に足を踏み入れたのを狙って、ルークは立ち上がった。じろりと視線を捕まえて、勝手に頬が膨らんでいく。怒ってないぞ別に、と心の中で怒りながら。

 顔を上げたユーリが此方に気付き、意外そうな顔をした後少し眉を潜めた。口を軽く開いて、言葉を探している様子。けれど一度閉じて目線を横へ流し、瞬きしてから再度ルークを見てきた。
 その顔に浮かんでいる表情は少しばかり挑発的で、ルークの予想を広げる。何と言って弁明してくるだろうか、いやまずオレが居なくて寂しかったのか? なんて言われそうだ。もしそんな事を言ってきたら殴ろう、腹を。そう決めて声を待った。

「こんな所でどうした? まさかお出迎えに来てくれた訳じゃないだろうな」
「んな訳あるか馬鹿野郎、どっかの誰かのせいで待ちぼうけしてただけだ」

 思ったより無難で、ルークは肩透かしを食らった気持ちになる。自分が勝手に待っていただけだが、そう口にするのも嫌なので愚痴るような調子になった。それを聞いたユーリの足は速度を早める訳でも無く、むしろ止めて肩を竦める。

「そりゃご愁傷様、ボケッと待つくらいなら洗濯物でも干してたらいいんじゃないか? いい天気だぜ」

 その言い方にムカッときたが、確かに無駄に浪費するには勿体無かったかもしれない。ルークはこの前リリスからシーツを綺麗に干すやり方を教わった所で、それを試す絶好の機会だった気がする。それもそうだな……と呟いていると、追いついたエステルが後ろからやって来て、どこか気まずそうに声を掛けてきた。

「あの、ルーク」
「エステル、……どうしたんだよ?」

 言い難そうに、何か言葉を彷徨わせているエステルは珍しい。隣のユーリをちらちら見ながら、口元に手を当てて言い淀んでいた。見られている側のユーリはそれこそ不思議そうにして、空に視線を飛ばす。埒が明かないと判断したのか、口元を軽く上げた後エステルの肩を叩き、足を進めた。
 扉に向かって歩き出し、ルークとすれ違う。その際見もせず、こう言った。

「まぁオレは先に入るわ。それじゃなお坊ちゃん、あんま一人でウロチョロしてっとまーたガイに探されるぜ」
「……え?」

 ユーリは振り向きもせず、すたすたと船内に入る。ルークは閉まった扉の装甲を呆然と見て、今言われた言葉を反復した。
 お坊ちゃん、かなり久しぶりに聞いた気がする。全く言ってこなかった単語では無い、時々冗談交じりの声色で言ってくる事はあった。けれど今の温度はそれとは違う気がして、ルークはどこか他人行儀に感じた。

「ルーク、あの……。ユーリが変なんです、いえ変じゃないんですけど」

 エステルの声をハッとして聞く。振り向けば眉がハの字に下がっていて、混乱というよりかどこか悲しそうに見えた。
 ……変、そう確かに変な気がルークにもしている。足元から冷気が触れるような、ざわざわとする感覚。知りたいけれど知りたくない、でも知らないままでは気持ち悪い、そんなモヤモヤした嫌な気持ち。
 遅れてやって来たフレンが横に付き、神妙な顔で言う。

「ルーク様、もしかしたらユーリの記憶が……」
「……記憶が?」
「無くなった、というよりも……以前の状態に戻った。そう言うのが近いと思います」

 以前の状態、そう言われてもルークは以前のユーリを思い出せない。もはやルークの中でユーリと言えば、自分の周りを彷徨いてベタついて好きだと言って抱きついてキスしてくるもの。
 ……考えてみればその状態こそが始めはおかしかった訳で、それが元に戻った。タイムリープで未来からやってきた分の記憶が無くなったという事か。

 記憶、そう行き着いてルークは正直に動揺した。けれど同時思い出す、彼は言っていたはず。順番が入れ替わるだけ、記憶は最終的に統合されるのだと。昨夜整理したばかりだ、なぞるようにもう一度。
 半年未来から来たユーリの記憶が無くなったとしても、今現在はその半年未来地点なはず。それ以前にあれからまだ半年に満ちていない、早すぎるのではないか。どういう事なのか、意味が分からない。考える先から混乱する、けれどルークの心を占めたのは何よりも不安だった。

「リタに見てもらってきます、ルークも一緒に来ますか?」
「……いや、いい」

 心配そうなエステルの声、それを聞いても浮かぶのはどうして自分にそんな事を聞くのか。ユーリの仲間はエステル達ではないか、本当に心配しているのはそちらだろう。なんて誰を責めているのか分からない文章、言葉にはせず噤む。



 ルークは纏まらない思考を棚に上げて、ふらふらした足取りで戻った。もしかしたらエントランスにユーリが居たかもしれない、けれど黒色を見た記憶が無い。気が付いたら自室のベッドに転がり込んで、シーツへ顔から突っ伏して呼吸困難に陥っていた。途中の記憶が無く、自分の足は動いていたのだろうかとも思い付かない。

 ユーリの事を考える。昨日の事だ、何時もどおりで特に何も言っていなかったはず。普通に起きて一緒に朝食を食べて依頼に出て昼食でその後闘技場、船に戻って夕食を隣同士で展望室でやっぱりだらだらした。明日……今日の予定を適当に羅列して、確かそう、今日辺りで闘技場制覇だとか。
 そして言葉巧みに操られて膝枕をした、やたら嬉しそうに太腿を撫でてくるものだから耳を引きちぎる勢いで抓ったのだ。男の膝枕なんて寒気ものだとルークは言ったのだが、そう否定するとまたよく分からない理屈と感情論で押し負ける。
 けれどすぐに足が痺れたので容赦無く頭を落として、ユーリの腹を枕にしてやった。筋肉が張っていて寝心地は悪かったが気にしない、ちょっとばかり情けない声が耳に心地良くて、そのまま眠るまでの時間を過ごした夜。
 部屋に戻る際、何か言っていただろうか? 深く探っても特に何も無かったはず、何時もどおりキスで別れた。ぺたりと頬に手を当てて思い出す、毎晩してくるので逆に感触を忘れている。

 それから……、何も無い。今日起きたらユーリの記憶はあの通り戻っていた。これは記憶喪失と言うのか? けれど半年分の体験は未来からのユーリが持っている訳で、喪失という事は元々持っていたものが消える、という意味。
 元々のユーリは最初から持っていない。ただ時間が跳んだだけ、時間跳躍・タイムリープ。そう飛んでいるのだ、時間も記憶も。だから、だからつまり――。

 結論を出したくない。そう結論付けてルークはシーツを引っ張りあげ身を守るように全体へと被せた。久しぶりの拒絶は懐かしく、瞼を固く閉じてもどうにも出来ない。昼過ぎの部屋に一人、眠気が来るわけも無いのに眠りたい、ルークはそう思った。





*****







inserted by FC2 system