chicken or the egg








6
「もうちょっとオレを信じろ」



 重い空気に知らず唾を飲み込む、緊張した体にはそれでも大きな動作だった。告げられた言葉は分かる、単純な一文だ。言った本人は恐らく善意のつもりで先に宣告してくれたのだろう、言えば否定するだろうが案外気に掛けられていた事を最近自覚している。
 部屋に二人きり、ルークとジェイド。アッシュは先日ヴァンの言葉を受けてやる気に満ち溢れていて積極的だ、今はディセンダーと共に次元封印に必要な2つ目のドクメント採取へ出ている。

 一時帰国の予定はもうすぐだ。一応世界の危機を優先すべきだろうし、ライマでパーティをしている最中ラザリスの牙が増えても困る。そしてその席で、王かヴァンかどちらからか継承権の話が出るだろう。
 いや、話自体は大分前から出ていたのかもしれない。でなければ今日ここでジェイドがこの件を語る事なんてしないはずだ。

 ルークは少々反応に困った。先に言うなよと言うべきか、心の準備をしておいて無様な姿を晒すのを防いでくれたのか……。少し考えて後者を取った、何の気無しに礼を述べると大袈裟に驚かれる。何だよ、そう言うと貴方から礼の言葉を聞くとは思いませんでした、そう返された。
 礼くらい言う、と言おうとしたが口にした事あったっけと疑問も浮かぶ。ルークは首を捻って考え、まあいいかと結論付けた。ジェイドは此方を観察するように見て、何か他に言うことは、と聞いてくる。それに師匠と父上が決めた事ならしゃーない、と言った。眼鏡のフレームを少し上げて、ジェイドは黙る。

 ジェイドから発せられる圧力が五月蝿い、何時もならもっとあれこれ言ってくる口が開こうとしない様子が可笑しかった。用件はそれだけか、そう聞けば静かにええ、それだけですと答え。じゃあ俺戻るから、引き摺るような痕も見せずさっさと部屋を出れば追いかけてくる声は無い。

 最重要機密をこっそり先に教えてくれた彼は、今部屋に残って何を考えているのか、バレたら処罰モノだと言うのに。ルークはそこだけ少し気になったが、朱色をひらひら遊ばせて、外が見たいなと思った。





*****

 甲板に出ると誰も居なかった、夕暮れの中に一人の影が伸びている。本体は朱いのに影は黒いのな、なんて下らない事で笑いが込み上げた。後方エンジン部の壁面に足を掛けてひょいひょいと登る、入り口と丁度真後ろの部分がお気に入りの例の場所。なのにそこで黒いのを見つけてしまって、うげ、そう思いながらもああやっぱり、と同時に出てきた。

「よ、お先にもらってるぜ」
「チッ……居るんなら先に言えよ、他の所行ったのに」
「他の場所ねぇ? ここ以外どっかあったっけ」

 そんな図星を言うものだから、腹が立つ。黄昏の世界に黒ずむ色は夜からの使者のようで、一足先にここだけそんな気配だった。ルークは戻ろうか、けれど顔を見てすぐに引き返すのも癪だと感じる。そんな風に足を止めていると、ユーリが手を振ってこっちへ来いと示す。
 この場所を誰かと共有したいと思っていない、しかしここ以外船内で一人になれそうな場所は無い。ユーリが居る時点で一人ではなくなってしまったが。この場所を先に見つけたのは自分なのだから、去るのならば相手であるべきだ。
 そう決めてルークは短い距離を進めてユーリの隣まで行き、軽く蹴りつけて黒いのを隅っこへ押しやる。相手は苦笑しながら隙間を空けるが、まだ近い。もう少しあっち行け、そう言って何とか一人分くらいの間を空けさせた。
 そこに座って海面を見る。空と海の狭間に一本の境界線が出来ていて、この画を見るのが好きだった。初めてこの場所と風景を見つけた時、感動したものだ。

「綺麗だな、まだちょっと邪魔な物は見えるけど」
「白い牙はちょっと違和感あるな、あとデカすぎんだろ」

 ラザリスの石灰岩のような牙は夕陽を浴びると濃い影を作り出し、そのコントラストは見る者の不安を誘う。あの暗闇からジルディアの生物がまろび出て、現実というより夢に出てきそうだった。
 二人の距離は一人分ぽっかり空いている、それに少しだけ安心して、ルークはちょっと寒いなと思った。片膝を立ててそこに手と顎を乗せ、太陽が完全に沈みきるのを待つ。今バンエルティア号は海上を走行中だが、夜になれば近くの街で停泊する。だから他になんの邪魔者も無い海平線を見られるのはこの一刻だけ。
 黙ってじっと見ていれば、ユーリも一言も喋らない。この場所を未来のルークが教えたと言う事は、ここの楽しみ方も教えているという事なのだろう。考えて、やはり気に入らなかった。



 陽が沈めば辺りは一気に暗闇が支配する、隣の男は殆どが隠れてしまい開けた胸元から顔周辺しか分からない。それに少し吹き出し、声が出る。

「何、いきなり元気になったな?」
「ばーか、テメーの間抜けさに笑ったんだっつの」

 肺から空気を出して、雰囲気も気持ちも切り替えた。そして前々から気になっていた事を聞いてみる気になった。今まではこんな事を言い出しては気にしていると思われるのが嫌で黙っていたのだが、何となく今聞きたいと思ったのだ。隣を見ながら口にする、相変わらずユーリの表情は穏やかで此方だけに笑みを向けている。そろそろ慣れてきたはずの顔は、まだ少し素直に受け入れられない。

「なぁ、未来のお前がここに居る間って……。元々居たユーリはどこ行ってんだ?」
「どこにも行ってないって、順番が入れ替わってるだけだ」
「けど、今お前がこうやってここで夕陽を見てるから、元々見るはずの奴は見られないんだろ。それってやっぱ、……奪ってるって事になんねーの」
「別々の人間なら、そうなるな。けど何度も言うけどタイムリープの中身は同じなんだ、別世界別時空って訳じゃない。自分のグミ食って誰かに食われた! なんて言うか?」
「んー、それじゃもしここで元のユーリが戻ってきたらどうなるんだ? そいつはここに居るお前の体験した事は、記憶にないだろ」
「元のオレが戻ってきたら今のオレは追い出されるな。けどそれで未来に帰るってんじゃなくて、飛んだ先で止まってる。だって過去・現在・未来が同時進行で時間が進んでる訳じゃないからな、過去から進んで現在になってそれから最後に未来のオレに成る」
「じゃあ……戻ってきたユーリが未来のお前の時間まで行けば、自動的に記憶は一緒になって、……一つって言うのかこの場合? そうなっちまうのかよ」
「ああ、まだ体験した事無いから実際は分からないけど多分そうなる」
「ふーん、なんかそれってやだな」
「何でだよ、同一人物だぜ?」

 何度考えても、ルークはいまいち納得がいかない。恐らくそれは過去と未来のユーリの態度があまりにも違っていて、同一人物だと思い難いからだろう。切り替わった当初、相当混乱したものだがこれが元に戻ればまた混乱してしまいそうだ。しかしその混乱する理由の心当たりが容易に想像付いて、自分の心情にも納得がいかない。
 最後に記憶が一つになるとは、よく分からない言い方だ。推理小説みたいなものだろうか? 幼い頃少しだけ読んで、結局冒険活劇の方が面白いと感想を漏らした事を思い出した。
 こんな混乱するならばいっそ別々のユーリの方が整理しやすいんじゃないかと馬鹿な考えが浮かぶ。Aユーリは元々のユーリ、ルークに少しばかり意地悪い。Bルークは未来から来たこのユーリ、ちょっと気持ち悪いくらい優しい。自分で想像してやっぱり無いわ、そう首を振る。

 そこまで考えて、嫌な結論がぽろり浮かぶ。かなり嫌な話だ、自分にも相手にも。けれどこれが正直な気持ちだったので質が悪い、くさくさする話になってきた。暗闇のカーテンに仄かな灯りが目に点き始めて、ルークは瞳を閉じる。

「まーたなんか妙な事考えてんだろ、お前偶に卑屈になるからなぁ」
「はぁ? 誰が卑屈だっての、んなカッコわりー事しねーよ」
「口で言い切る辺りが怪しいんだよな、頭ん中を自分だけでゴチャゴチャ考えてる証拠だ。……止めとけって、良い事ないぜ」

 いつの間に距離を詰めたのか、ユーリが隣まで来てルークの髪を梳く。さらさらと落としても風には飛ばされない、バンエルティア号のこの場所は形状上安定しているのだ。その遊びをぼうっと見ながら、ルークは何故この男はここに居るのだろうかと今更ながら思う。今の言葉からして元気付けようとしているのは分かる、けどそんな事は前からそうだった。
 ユーリはこのユーリになる前から、ルークの気分が落ちると目の前に現れる。そこでからかわれたり、デザートやお菓子のお裾分けを貰ったり。エステルがユーリの事を何度か「放っておけない病だ」と称していた事を思い出す、確かにユーリはよく誰かの手伝いをしていたり助けていた姿を見た。
 ルークもぽつりぽつりとだが思い当たる節はある、けれど言葉を直接掛けられた記憶は無い。この未来のユーリになってからだ、スペースを侵食するように距離を寄せてくるようになったのは。

「未来のオレでも今のオレでも、中身は一緒だ。それとおんなじさ、ルークだってどこに居ても変わってない」
「……未来の俺と一緒にすんなっての、俺は絶対お前になんか告白したりしねーぞ」
「じゃあオレから告白しようか、ルークが好きだってな」
「お前それ散々言ってんじゃん、今更どってことねーよ」
「うーん、ちょっとばかり安売りしすぎたか。……じゃあ前のオレからだったらどうする?」
「前のユーリから……? それこそぜってーありえねーって、絶対無いっつの!」
「なんでそんな力一杯否定するかね……、お前オレの事嫌いなのか?」
「何言ってんだよ、俺を嫌ってんのはそっちだろ!」

 妙にヒートアップする会話の中で強く断言する。しかし言い切った後の正面の顔がぽかんとし、眉根にぐわっと皺が寄って”はぁ?”という表情を作った。そして少しだけ顔を逸らして考えだし、ああ、そうぽつりと零す。

 そんなユーリの行動にルークこそ呆然として、言葉を失ってしまう。今までから見て随分大袈裟な態度だったので、もしかして違うのか? そんな都合のいい事を考えてしまうのも無理は無い。
 確かにユーリの性格から鑑みて、同ギルドメンバーに対してそんなあからさまな行動は取りそうにない。全く繋がりの無い他人か嫌っているお手本のような貴族達ならば、案外容赦無いのだけれど。

 ユーリは顔を上げて薄く笑い、軽い調子でとんでもない事を言い出す。

「オレがルークを嫌った事なんかないって。というか、あの時期だったらオレはもうお前に惚れてたはずだ」
「……はあああぁ?」
「今ふたつ目の次元封印が終わりそうな頃だろ? 間違いない、そもそも初めて会ってからそんな経ってないくらいからだからよ、お前の事気になってたのって」
「いや、いやいやいや……。テメーちょっと待てって、馬鹿言ってんなよ? ユーリだぞ、ユーリなんだぞ? 俺はユーリから皮肉と意地悪しか聞いたことねーんだぞ、んな始めの頃からとか……んな冗談いっくら俺でも分かるわボケ!」
「だから同じオレだって言ってるだろうが、何で信じないんだ? しょっちゅうルークの後追いかけてたからバッタリ会ってたりしたろ」
「え……!? あれって何、俺の後付け回してたのか!?」
「偶然3割・追っかけ6割ってとこか……。いやぁ、あの頃のオレは若かったな」
「ちょ、ちょっと待て……。衝撃的すぎて追っつかねぇ! いやでも、その割に俺に当たりきつかったじゃねえか、あれはどう説明するんだよ!」
「そんなきつかったか? まぁまだルークは優しさだけが愛情って思ってるクチだったから仕方ないっちゃないな。あれはオレの、世話したい病の一種だから気にすんなって」
「……ちょっと、マジでもうちょっと待ってくれ……。今大前提が崩壊しかけてるから……!」

 ぐわんぐわんと頭が痛い、例の頭痛ではない痛み。大量の言葉達が脳内で踊っている、またまたワルツで大行進中だ。ユーリはルークを好きだった、この時点で既に? 本人の言葉でそう聞かされても、どうにも信じがたい。いやもしかしたら信じたくないのかもしれない、だってあまりに有り得ないから。
 しかしこうも猛烈に否定してしまう裏返しを恐れる、壁紙の裏を捲るような、それに至る思考。考えてはいけない、自分で自分をセーブした。

 混乱するルークを呆れながら笑い、ユーリは唐突に抱きしめてくる。頭の中で精一杯だったルークは突如外側からの接触に、大袈裟に驚いた。肩を跳ねあげて、そろりと離れない温度に振り向く。
 膝を抱えて座るルークの足の隙間にユーリの膝を捩じ込んできて、僅かなスペースも許さないというように密着される。両腕を回して反対側の肩と腰を押さえつけるように抱きしめられた。引き倒されて傾いて、こてんとルークが開いた肌色に着地する。
 相変わらずこいつは胸元だけ開き過ぎだとルークは思った、今関係ない事をランダムに拾う。

 ユーリの鎖骨から視線を上げて顔を見る、少し複雑そうな表情をしていて意外に思ってしまった。それでも息をふぅと遊ばせて苦笑し、ぐんと顔を近づけてくる。かぷり、そんな軽い音を立ててルークの鼻先を甘咬みしてきた。いてぇし、痛くないがそうルークが呟く。

「痛くないだろ、……優しくしてる」

 優しい声が今限定で痛いな、そんな勝手を思ってルークは眉に皺を寄せた。するとそんな顔すんなと言わんばかりに唇がその部分へ降りてきて、上唇でほんの少しだけ触れてすぐ離れる。
 その後目元と頬を軽く巡回していって、最後に唇。そこだけ去り際にぺろりと舐められたが、もう今更だ。今更だから聞けなかった事を聞いた、わりと最初から気になっていた事で、今その誘惑が強く湧いた。

「……なんでユーリは俺の事好きなんだ」

 ユーリ程の男ならば他に引く手数多だろう、下賎な話だがエステルとならばいいロマンスだ。顔もいいし、自分を持っていて他者の言動に惑わされたりしない。少しばかり納得いかないがまぁモテるだろう、男からでもモテそうな容姿だと笑ったのは幾分昔の自分。
 こいつと自分ではあまりにも噛み合わないと信じて疑わない、自分の事を卑下する意図は無いが。身分の差を持ち出すつもりはないのだが、先に持ち寄っていたのは相手からだ。ユーリは貴族が嫌いだと誰かから聞いたからこそ、ルークはユーリが若干苦手だった。
 その通りに例の態度を取られるものだから、信じていたのに。それが違うだなんて、まるで詐欺だと言いたかった。

 だから今どうしても聞きたい、何故自分を好きだと言うのか。未来から来て言う程の事なのか。ユーリの中で自分が占めている割合を知りたいと思ったのだ。

「今となると、それを答えるには難しいな」
「なんでだよ、やっぱ適当言ってんのか」
「違うって、ルークの事に関して嘘言うつもりはない。ただ気が付いたら気になって、知らない内に好きになってたってだけ。何時何で惚れたとか、考えた事ねーわ」
「それってなんかすげー適当じゃね? 自分の事なのに分かんねーのかよ」
「分かんねーだろ、ルークはそんなに自分の事に詳しいか? 自分でも理解できない事って案外あるぜ」

 自分でも理解できない感覚は最近頓に覚える、特にユーリが未来から来てからは。けれどそれをこのユーリが理由として使うのは、どこか卑怯だとも思う。だって気が付いたら好きになっていた、などと。簡単に付ける嘘のような言葉の代表としか思えない。しかしこうやって体温を分けられながら間近で口にされると、まぁそういう事もあるのかな、なんて許容してしまいそうだ。

「好きって気持ちに理由は要らないだろ、自己弁護は嫌いになる時だけにしとけ」

 その言葉を聞いて、ルークの心中はぐちゃぐちゃになる。ルークはよくよく言い訳をしてきた、理由になってない理由を並べ立てて拒否をしてきた事も多い。けれどそれが本当に嫌だった時なんて半分程度、もう半分は単純に気に入らないだけ。しかしその気に入らないという理由だって大した事の無い事ばかり。いや、ヴァンの関心がアッシュに行った時だとかそんな程度だった記憶。かと言って自分はアッシュが嫌いだという訳ではない、嫌われているかもしれないが。
 嫌いの範囲が占めるように、代わりに好きだと公言した物は少ない。好きな食べ物、尊敬するヴァン、剣技、両親、……並べ立ててその少なさにルークは呆れた。半分くらいは普通の事だ、食べ物と親と趣味、では後に残ったヴァンと言えば実際ルークだけに掛かりきりな訳でもない。目の前のお気に入りの場所で見るお気に入りの風景でさえ、誰に口を零した事も無いのだから。

 自分の持ち物の少なさに、今更ながらルークは溜息を吐く。分かっている事知っている事理解している事諦めている事、未来からのユーリはルークを根底から揺さぶるのが本当に上手かった。

「ずっと昨日から明日が過ぎても……何時の中でもオレはお前が好きだぜ、嘘は言わない。もうちょっとオレを信じろ、ルーク」
「だから、未来の俺は……俺じゃねー。今の俺は……」
「一緒だ、人間そんな簡単に変わらねーよ。良い意味でも悪い意味でもな。ルークの価値は自己暗示しなけりゃ保てないモンなのかよ」
「え……」
「必死で固めなきゃならない砂上の城なんて脆いもんさ、ルークの17年間は……その程度か?」
「馬鹿言え、そんな訳あるか!」
「じゃあなんも問題ねーだろ、オレは未来の分までお前を見てきて知ってる。そのオレが言ってるんだから……だから、大丈夫だ」

 何を、なんて言わなくてもここまで言われれば分かった。だからこの場所へ先回りしていて、こんな言葉をかける。未来から来たユーリは知っていたのだろう、だからこうやって慰めているのだ。ルークが何故こんな気を沈めているのかその理由も。

 最初からお釈迦様の手の平だったという訳だ、気に食わない。しかしその手の平に慰められて、それをルークが受け入れたのも事実。全くこいつは未来から来たくせにやる事と言えば俺の世話かよ、なんて文章にすれば笑える。こんな下らない事の為に来たのだろうか、それとも偶然飛ばされたのか? ああそういえば何故過去に来たのか聞いた事が無かったと思い出す、けどまぁまた今度でいいかとも思った。

 未来からの使者に気を使われる程未来の自分は駄目人間なのだろうか、と少しばかり空恐ろしくなる。だから逆に威勢を張ろうという気にもなった、こんな面倒くさい奴にウロチョロされなきゃならない自分じゃないぞ、そんな風に。

「王になるだけが……俺の価値じゃねーよ。それ以外を選択する事だってできるに決まってんだ」

 そう言った瞬間、ユーリが抱擁を強めてきた。ぎゅううと、本当に強く、絞め殺されそうだ。その反応にルークは、これが聞きたかったのかと浮かぶ。
 拘束してくる腕を軽く握り返して、体を任せるように体重を寄せた。ユーリの紫黒がさらりと揺れて頬を擽る、世界はすっかり真っ暗闇で、隣の男も真っ暗だというのに。どうしてか安心する影だと目を瞑る。



 少し眠いかもしれない、そう思って目を開けると目の前に同じ物があった。ああ、ユーリの色かと判断が付いてまた瞑る。すると唇に触れる温かさ、今度はきちんと合わせてきた。
 調子付かせるのも嫌だったので大人しくはしてやるが、開けてはやらない。無駄な抵抗でも出来る内はしておきたいというのが、正直な所。

 閉じた歯列をノックするように数回、舌で啄かれる。擽るのは卑怯だ、含み笑いをしてしまいそうで危ない。肩に回された手で耳裏を撫でられ、すりすりと指先で遊ばれる。ついに我慢できず吐息で吹き出せば、這い寄るようにそろり入れられた。
 熱い塊を甘いと感じるとか、そんな夢を見る性格ではない。ただ以前キスの時にバニラアイスを突っ込まれたあれのせいだ、だからそういう事にしておけ。
 舌の表面を何度も擦り合わせてきて、唾液が零れそうになる。ユーリの手が顎を取って上向けさせられると、どうしたってこっちが飲む事になるのだ。雰囲気で押して調子に乗りやがってちくしょう、そう掠めながら相手の服を強く掴む。それを分かっているのか抱きしめてくる腕がいよいよ狭まって、肺の空気が全て出て行く。

 次は息を吸わなければ死ぬだろうな、ぼんやり浮かぶ考えを余所にユーリの息を器官に通した。二酸化炭素が充満して迷子になりそうだ、そんな訳ないけれど。
 呼吸をしろと言うように唇が離れていって、少し間を置いてまた口付けられる。それを繰り返し数回、5回を超えた辺りから数えるのを止めたのでルークは分からない。

 熱い、そう思った外側の皮膚は冷たかった。瞼を開けて背景を確認すれば夜闇はたっぷり敷き詰められていて、スパンコールが高々と散っている。春の季節にはまだまだ早い時期、マントも何も持たずに外へ出ずっぱりなど自殺行為だ。バンエルティア号はいつの間にか停止していて、ざわざわと木々が騒ぐ音が遠くから聞こえる。
 一体どのくらいこんな事をやっていたのか、馬鹿らしい。早く中に入って夕食を食べて風呂に入ってティアの小言を聞いてあったかいベッドに入って眠らなければ、けれど腰が上がらなかった。ユーリが押さえているのか自分が動きたくないのか、考えて半々だな、そうルークは判断する。



 口端から垂れるものをぐいと手の甲で拭い、離れがたそうな腕を引き剥がして拘束を解く。ひょいと立てば案外軽い、人間が根を張る訳がないのだ。それを少し勿体無いと思って、じろり真下のユーリを見る。
 さっきの空気を忘れたように肩を竦めるものだから、イラッとした。その余裕げな態度はやっぱり相変わらずで、過去から未来だろうが人はそう変わらないのが絶対とは言わないが事実だと実感する。なら変わらなければいい、そう自分に言い聞かせてルークは足を進めた。

「……先に戻る。テメーはそこで風邪でもひいてろばーか」

 そうわざと冷たい温度で口にするが、背中で笑い声。ひょいひょいと壁面を降りて着地して、振り向きもせず中に入った。どうせ明日もあの顔に会うのだから、構いやしない。取り敢えず今は晩飯だな、思い出したように腹が鳴りだす。部屋には戻らずその足で食堂へ向かった。





*****

 結局自分はユーリに優しくされて嬉しかったのだ、見て分かる程に大事にされて気分が良くなっていた。だから以前のユーリと比べてしまい、元のユーリに戻ってしまう事を恐れる。
 また以前のように自分だけが怒って変なすれ違いをする日常に戻るのを惜しむ、好きだと言われて抱きしめられなくなってしまう事が無くなってしまうのだと思うと、すごく嫌な気持ちになった。

 それくらいならば少し嫌でもキスくらいならば許してもいいかな、なんて譲歩も提案する馬鹿な自分。こんな自分だけに都合のいい考えで、反吐が出そうだと思った。他人を良いように使ってる。別にいいではないか自分は王家の人間だ、他者は使ってなんぼだろう。
 けれどこのギルドに来てそんな考えを持っていられる訳がない、自分以外の人間がどんな風に考えて生きているのかと見てきて知った事が沢山ある。それを無かった事にしたくない、それくらいには大切な存在になっていた。
 その大切な輪の中にあの紫黒も入るだろうか、それはまだルークには決め兼ねている。いや、入れないでおこう。どうせ追い出しても入ってくるのだから。







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