chicken or the egg








5
「ちゃんと覚えとけな」



 真っ新な紙にさらさらとペンを走らせる。上等な羊皮紙でも無ければメモ帳でもない、ただの飾り気の無い紙だ。始めの2・3行を書いてから、せめてラインが入っている物にすれば良かったかと少しだけ後悔する。どうにも文章が勝手に斜めになっていき、それを修正しようとしてはまた斜めに。
 だがこれを読む相手は分かっている、そんな事を気にするような人間ではない。だからこそ書き連ねる、想いのままに。本当ならばもっと理路整然にすべき事を書いておいた方がいいのだろう、実際最初に協力してくれた天才科学者にもそう助言された。
 しかしそんな必要は無い、むしろ逆効果だろう。相手を考えれば変化球でいくよりも、直球ストレートでぶち当てた方がいいのだ。下手な言い訳は余計な不信を抱かせる、だから実直で真摯な想いを見せた方がいい。
 案外感動物に弱い奴だから、彼は。始めの内はぶつくさ言って抵抗するかもしれないが、きっとすぐに分かるだろう。

 最後まで書ききってからインクを乾かし、二つ折りに。そしてエステルから貰った妙に高級そうな封筒に入れる。中身と外見に随分差はあるが、まぁいい。そして外に簡易で宛名を書き、そのまま机の引き出しへ入れた。
 この宛先の彼は机へ座るよりかは動くタイプなので、本来ここに入れても眼に入るか不安な話ではある。だが確信がある、きっと彼はここを開けてこの手紙を読むだろう。だからこれでいい、この手紙を書けば自分が出来る事は後僅か。ぱたんと閉めて、ほんの少しだけ祈るように。

――後は任せるぜ。





*****

 コンコン、扉の内側から無意味なノック。侵入者は平然な顔で足を踏み入れてベッドシーツをどさりと置いた。部屋の中心では何時もの従者と主が戦争しているのだが、今日は少しばかり毛色が違っているらしい。ユーリはそれを面白そうに見つめ、黙って観戦席で眺める事に決めたようだ。

「まーだーかーよー! もういーだろぉ?」
「もうちょっと待ってくれって。……ああ、やっぱり。ルークお前……太ったな」
「……え゛。……マジで?」
「マジマジ。これ一昨年仕立てたんだぞ、覚えてないか? それがこの有様だ」
「ええええーっ!? あんっなにゴチャゴチャやったやつだろコレ! まじ、まじでまじかまじなのか! いやいや、せ、成長したって線は……!」
「腹筋は見事なのになぁ……無駄に。ちょっとブーツ履いてみろよ、……膝曲がるか?」
「くぬっ……! 問題…ねーし!」
「地面に立膝でき……そうにないか。股下伸びたのかも、今じゃなけりゃ喜ばしい事なんだけどなぁ。こりゃダイエットするしかないぞルーク」
「ままま、待ってくれって! ほらこれ裾、足りてない、腕も足も! だからこれは身長が伸びたってんでぶよぶよになった訳じゃねーぞ!?」
「うん、丈は仕方ないな、ここで作り直す訳にいかないし。けど幅がなぁ……。って事はアッシュの方もヤバイかもしれない、ちょっと測ってこなきゃ駄目だなこりゃ」
「アッシュがデブるとかまじ笑えるぜ! あいつ脱いだら俺よりやべーんじゃねーの?」
「いや、案外ナタリアの料理でリバースしてマイナスになってるって事も……」
「あー……、うん、ナタリアなら、有り得そうだな」
「ロックスに言って食事制限してもらって、ディセンダーに引っ張りまわしてもらおうか」
「そんな馬鹿みたいな事頼めるか!」
「じゃあジェイドに……」
「あいつだとダイエットっつーより削ぎ落としだろ!?」
「いくら旦那でもそこまで……いや、あるか」
「いやだーゾンビみたいに肉が溶け落ちるのは嫌だー!」
「一体ジェイドに何吹きこまれたんだよ……」

 ガイはメジャーをくるくると纏めて何やらメモ書きをし、ベッドに頭を抱えているルークの肩をぽんぽんと叩く。ゾンビ、廃人、鬼畜眼鏡……そうブツブツ言いながら床を見つめる碧色は淀んでいた。
 いつも後ろに流している朱金はゆるく編んで前に纏めていて、服の上は漆黒のように見えて光の加減でインディゴにも見える生地に白銀の意匠。仕立てだけで高級品だと分かる逸品だろう。白くカッチリとしたズボンの膝下は、黒に赤い縁取りで随分窮屈そうなブーツ。赤い飾帯がひときわ目線を奪う。それらを思った以上に着こなしているルークが居た。
 普段の服装がゆったり目でダボつかせ、裾を思うがままヒラヒラさせている分、正装のギャップが凄まじい。これでも一応王族で王子様なのだが、とはガイ談。

 少しうんざりした様子の表情は何時も通りだというのに、服装と髪型で随分雰囲気が変わっている。気怠げなさまがむしろ気高いオーラのように見えて、今ならばアドリビトムメンバーは大いにルークの評判を気前良く上げるだろう。
 しかしそれも口から出る言葉で自ら地に落としそうだ、だりーきちぃーうぜー、おなじみ3連発。
 ユーリは邪魔せぬよう少し離れて無言でそれを見ている、その視線は中々の重圧で、ルークは訴えかけてくる視線をそれこそ無視していた。

 ガイがくるり振り向いて、ユーリへ挨拶をそこそこに部屋を出て行こうとする。それに不満の声を上げたのはこの部屋の主で、見本のような声だった。

「ちょ、ガイが今行ったらこの服どーやって脱ぐんだよ! こんなん一人で脱げねーぞ!」
「ここに丁度暇そうにしてるギルドアドリビトムが居るじゃないか、ちょっくら依頼すればいい」
「じょーーーだんっ! じゃねええええ!! 何でよりにもよってこいつなんだよ、俺は嫌だぞ!」
「ルークからの依頼なら特別割引で受けてやろうかね」
「頼むよユーリ、ボタン多いから気をつけてくれな。衣裳ケースはこっちで、皺にならないよう畳むには……」
「フンフン、オッケー大丈夫だ任せろ」
「聞ーけーよー!!」

 ケースを広げて何やら説明を受けている、相変わらずルークの意見は蚊帳の外。こんな時にティアすら居ないとはどういう事かと憤慨したが、正装のチェックをする前に自分で追い出したのを忘れている。

 話は纏まったらしい、ガイはそれじゃよろしく頼むな、そう言って部屋を出て行ってしまう。恐らくアッシュの衣裳合わせに行ったのだろう、一昨年仕立てた正装をルークが入らないとなると、その双子の片割れも体型変化があったかもしれないからだ。
 事実ルークはバンエルティア号に来てから体型が変わっている。勿論成長して身長が伸び筋肉がついたという点も多少あるが、それ以上にロックス自慢の高カロリー3食と、積極的に依頼へ出ないという問題。筋肉で、というよりも純粋に少しばかり太ったと言うのが正しいだろう。
 特に最近はそれに加えて毎日おやつを献上してくる黒いのも居る、断ればいいものを捨てるのも勿体無いと強気で攻められれば案外聞いてしまうというのがルークだった。

 がっくりと床に膝を付き、去っていった使用人の無い後ろ姿を求めて項垂れている。それがあんまりにも悲壮だったので、ついうっかりユーリは遠慮なく吹き出した。 部屋の中でそれは嫌になる程よく聞こえる、ルークは顔を上げキッと睨みつける。気に入りません、と顔に書いているようだ。

「……フレン呼んでこい、お前親友だろ」
「フレンは依頼に出てますよっと。ってか騎士に使用人みたいな事させんなって、あいつならやっちまいそうだけど」
「じゃあ、えーとロックスは」
「今この時間の食堂メンバーに声掛けるのは自殺行為だぜ? イモの皮むき100個か洗濯物80人分洗うか干すかしたいのか」
「ううう、嫌だ! けど大罪人ももっと嫌だあああっ!」
「はいはい、諦めてくださいませねー」
「さわ、さわんなぼけええええっ!」

 見た目通り高級な生地は分厚く固い、わちゃわちゃと暴れようとするルークの動きは普段より鈍かった。ぎゅぎゅっと首・腰・足と締め付けられて腕が上がっていない。その様子にやっぱりユーリは吹き出して、僅かばかりの気遣いのつもりか背を向けて口を手で塞ぎ声を籠らせる。
 それがまたルークの癇に障る、それくらいならいっそ思い切り笑え。だが実際言って本当に爆笑されればもっと腹が立つので黙って耐えた。むしろピンチをチャンスに変えんばかりに、ルークはダッシュする。取り敢えず部屋を出て誰かに着替えを手伝ってもらおう、ユーリでなければ誰でもいいのだ。

「そうは問屋がおろさない……ってね!」
「どわっ!!」

 瞬時の足払いでものの見事にすっ転ぶ、服の動きにくさも相まって体の重心が斜めになった。普段着ならばともかく今の服を汚せば洒落にならない、ルークは万歳ポーズのまま固まって流れる景色を無情に眺める。
 それをガシリと危なげ無く掴み、ユーリは物を放り投げるようにポイとベッドへ捨てた。右から左へ勢いよく投げられて、慣性の法則に従ったルークは真白いシーツを皺だらけにして頭から突っ伏している。上げたまま忘れられた両手がピクピクしていた。

「皺にしたら怒られるのはルークだろ? 大人しくしとけって」
「てめぇ……今テキトーに放り投げたのはどこのどいつだ……!」
「どこのどいつだ? オレのルークを乱暴に扱う不届き者はよ」
「だぁれがお前んだ! んでテメーだろブン投げたのはあああっ!」

 がばり起き上がって上半身を後ろへ捻り、犯人へ抗議文を上げようと見れば、迫ってくる黒い影と本体。ぎょっとして立ち上がろうとするが、ベッドへ乗り上がってきたユーリがルークの膝裏を素早い動作で抑え、自身の両膝で挟んで動きを止められた。そのまま座られ、うつ伏せ状態のルークは下半身の動きを完全に封じられる。

「退けよテメェ、皺になる!」
「だからルークが暴れなけりゃ、皺にならないんだって」

 後ろを取るユーリを跳ね除けようと手を突き起き上がろうとするが、腰の方まで乗り上げられて人間一人分の重みを直で感じる。ぐぇ、と蛙が潰れたような声で息を吐いて、それでも両手を崩さず抵抗は止めなかった。

「お〜り〜や〜が〜れええええっ!」
「びっくりするくらい色気無いなお前。普通もうちょっとこう……きゃーとか無い訳」
「テメー相手にあってたまるか! ってかマジで重いんだよデブ!」
「適正体重だってオレは。毎日4食のお坊ちゃんと一緒にしてもらっちゃ困るな」
「その内1食の間食はお前が毎日作るからだろ!? この甘味狂信者!」
「それを毎日ちゃんと食べてくれるルークは偉いこったな、今度エビピラフ作ってやるよ」
「え、マジでやった……。じゃなくって話すり代わってんだろうが!」
「そうだな、さっさと着替えようか」
「どわーっ!」

 ルークの脇の下からユーリの手が伸びてきて、伸し掛かる背後から器用にベルトを外された。そして比翼仕立てのボタンをプチプチと下から上へ外していく。無礼者の腕を止めようとルークは脇を締めてホールドするが、後ろから耳たぶをいきなり甘噛みされて驚き、体の力が抜けてもろとも突っ伏した。

「ちょ、ちゃんと上半身上げてろって。ボタン外せないだろ」
「い、言いたいことはそれだけかあああっ!」
「馬鹿だな、背後を取られた時点でお前の負けだ。イタズラされたくなかったら、大人しく脱がされろって」
「お前それおっかしくね? どっちに転んでも俺にピンチだよな!?」
「何言ってるんだ、着替えを手伝ってるだけだろ。いやぁ思春期のお坊ちゃんは妄想過多で困るわ」
「ガイー! ガイ今すぐ帰ってこいいいいいっ!!」

 じたばた暴れるルークの首元のホックをぷちりと外し、上の留めを全て開ける。後ろからユーリがバンザーイしろ、と指示するが言う事を聞くわけも無く。仕方が無いので背後からルークの腕を取り、ぐりっと容赦なく後ろへ回した。いででで! と悲鳴が上がるので、それを聞きながら腕裾を持って引き抜き、上着を纏めて脱がせた。
 腕を離した瞬間ルークはバタリとベッドに顔から倒れこみ、露わになった首筋を髪色と同じような色にして唸り声を上げる。ユーリはそれを聞いて、少しだけラピードを思い出す。別に欠片も似てはいなかったが。

「お前さ、もうちょっと……もうちょっと普通にやれよ!? お前俺の事好きなんだよな!?」
「おお、好きだぜルーク。だからこそいじめたいっつーか、よくあるだろ」
「意味分かんねーよ!」
「ほら次はズボン……の前にブーツか、起きて座ってくれるか」
「ズボンくらい自分で脱げるわ! ってかもうお前出てけ!」
「ズボンの裾にボタンあるんだろ。ガイが言ってたからな、ルークは3個以上のボタンは自分で外せないって嘆いてたぞ」
「んな訳あるか馬鹿野郎、あいつは俺を何歳だと思ってやがる……」

 私服のボタンが大き目2個きりである事を本人は忘れているらしい、今度こそがばりと起き上がってルークはユーリを蹴りつけようとする。それをやっぱりひょいと避けて、ユーリは上着をハンガーへと掛けた。
 そしてベッドのルークがトサカを立てて警戒している傍に跪突いて、飛んでくる蹴りを受け止める。ぐいっと高く上げればバランスを崩してルークはまたうぎゃっと悲鳴を上げて背中を倒した。どうにも学習する気が無いらしい、罵詈雑言を上げてジタバタしているがただ無駄に体力を使っているだけだ。
 ユーリはルークの動きを制御しながら、少しきつめのブーツをすぽんと抜く。手際良く両方ささっと脱がせ、暴れる片足を脇に挟んでもう片方のズボン裾のボタンをぷちぷちと外していった。

「ほらルーク、ズボンくらい自分で脱げるんだろ」
「ゼィハァ……。なんかもー疲れた、ちくしょう完全に無視しやがって」

 ベッドで大の字にくったりとしているルークの額には汗がうっすらと見える、ここまで抵抗して全く無意味だというのだから自棄にもなる。中は元々の黒インナーのままだったので、気が付けばルークの姿はそれとズボンだけ。

 ユーリは後ろを向いて、上着にブラシを掛けている。その間にさっさと着替えろと言っているらしい、言うとおりにするのは癪だがズボンまで他人の手で脱がされるわけにいかないので大人しく従った。
 乱雑にズボンを脱いで、傍に畳まれた何時もの私服を黙々と着だす。あれだけあちこち締め付けられる正装の後の私服は、サイズもゆるめで楽ちんではあるが妙な頼りなさを感じた。主に腹部分、普段から丸出しだが。

 ガイの言葉には否定したが、実際着てみて思ったよりサイズに違いがあったのは分かった。ルークは以前何度も採寸とデザインの合わせに付き合わされてウンザリしたのをまだ覚えている、ピッタリに作ったから今日着てみてこれ程窮屈になっていたとは思わなかったのだ。

 身長ならばともかく別にどのくらい太ったなど、年頃の娘のように騒ぎ立てる問題ではない。しかし今回に限って少々問題があったから、ガイは慌ててバタバタと駆け回っていた。
 暁の従者扇動のクーデターがやっと沈静化し、ライマから一時帰国の命があったのだ。ガタガタになった王政内部の権力復興という意味で、簡易ではあるがパーティをする予定も。その際問題になったのが、ルーク達の正装だ。
 抱えの仕立屋は自国ライマで、時間的にも間に合いそうにない。まだ丈はなんとでもなるが、横幅だけはどうにもならないのだ。流石に歩く動作に支障が出るレベルでは話にならない、そこで宣告されたのが先のダイエットという訳だった。







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