chicken or the egg








 あれから結構な時間、ひたすら剣合わせをし続けたが、最後までルークがユーリの膝に土を付ける事は出来なかった。それでも剣を鞘から抜かせ、途中慌てさせた場面もちらほら。それが相手の巧妙な演技なのかどうかが分からない所が少々気に入らない。
 結局ルークの体力が尽きて息を乱し、武器を跳ねてしまって流れが止まった。地面に直接座るのは嫌なので膝に手を付いてゼィハァと息を整える、流れる汗で貼り付く前髪が少しばかりうっとおしい。これでユーリは息を乱しておらず、カラリと涼し気なのが余計納得がいかなかった。

「くっそー、お前マジおかしい、マジ卑怯くせぇ! 未来の変な道具使ってんじゃねーだろうな!?」
「一応未来分の時間差はあるけどよ、まぁ経験だ。ルークも強くなるさ、むしろこれからだ」
「……あったりまえだろ、ヴァン師匠に師事してもらってんだから」
「相変わらず何は無くとも師匠、だな。いい加減飽きねーの?」
「なんで飽きるんだっつの。これくらいしか趣味ねーんだから飽きるとやる事無くなるじゃん」
「探せばいいさ、他の趣味。結構色々あるもんだぜ」
「どーせ許しでねーし、止めさせられるくらいならやらない方がいい」
「言うだけ言えばいいじゃねーか、ルークの十八番だろ」
「……時間の無駄だっつーの。そこまで俺も馬鹿じゃねー」

 ふん、とソッポを向いてこの話題を無理矢理終わらせた。こんな話は堂々巡りだ、幼い頃からガイや他の人間と何度同じ話をしたか分からない。あれこれそれどれ、城の教育の中でやらされた事は多かったが、したい事をした事は片手で足りる程度。いつもの我儘なんて、結局通る事は半分以下だ。
 普通の事を普通にやらせてもらないだけで、何度双子の弟と比べられたか。アッシュの出来が良すぎる事も拍車を掛けた、つくづくあの弟は権威向きだと実感する。

 勿論国の事を想う気持ちはあるが、どうにもライマの在り方はルークに馴染まなかった。方向性の違いと主張すれば、ジェイド辺りに蔑まれそうで言わないが。それも散々出した話で、今更どう言う事も無い。放っておけば周りが勝手に道を作るのだから、自分はそれに文句言いながら歩けばいいのだ。
 国元で何度も出した答えを、外でまで口にしたくない。特に目の前の男に、そんな弱音じみた言葉は吐きたくなかった。

「時間も頃合いだ、ちょっと休憩しようぜ」
「休憩って……帰るんじゃねーのかよ」
「さっき来たばっかりだろ、そんなすぐ帰ったらまたティアに怒られるけどいいのか?」
「ぐ……。わーったよ」

 ティアの名を出されては此方も言い難い、渋々とだが剣を仕舞う。何だかんだ言ってユーリとの手合わせは体力を使ったし、関心する部分もある。流派を型どった剣とはまた違った動きだ、そして戦闘中の目線も違う。

 利き腕からの死角はあまり気にしたことが無かった、そもそも人間相手に剣を振るう事があまり無い。ルークがその武器を振り下ろすのは大抵練習用の木人形か魔物のどちらか、人間を相手にする場合は基本的に修練か手合わせなのだ。

 しかし実力勝負というのならば、そうやって考えを巡らせて戦うべきなのだろう。剣術だけが実力とは言えまい、アニスやマオ達を見て充分分かる。だがルークはあまりごちゃごちゃ考えて剣を振るいたくなかった、何故なら最終的に行き着く先が命の取り合いになってしまうからだ。
 自分が誰かの命を奪いたいとは思わないし、ガイやティア達身内にもそんな事をしてほしくないと思っている。護ってもらっておいて勝手な話だとは重々承知しているが、誰かの可能性を奪う事は正直……怖い。

 だから剣技は趣味の範囲で納めておきたいのだ、できれば切磋琢磨する程度の、”まいった”で決着が付くくらいがいい。



「朝に食堂でサンドイッチ作ってきたんだよ。地べたは……お前嫌だろうから、ここのこいつに椅子代わりになってもらおうぜ」
「前から思ってたけどここの岩って他と違うよな、岩っていうか金属みたいだ」
「まぁこれ本当はギ…ってこれまだだっけ。嫌なら立って食うか?」
「じょーだん、……ってこれお前の手作りかよ」
「ああ、チキンサンドにエビアボカド。ほら、ナプキンをどうぞ? お坊ちゃま」
「ケッ、まずかったら承知しねーぞ」

 まぁ食ってみろって、そう言いながら渡されたチキンサンドは具沢山ではみ出る量だ。見た目は確かに美味そうで、昼を過ぎた今の腹にはてきめんだった。たらりと勝手に出た涎を拭って、ナプキンとサンドイッチ両方を受け取る。

 外に出て剣を握った手で食べ物を掴むのはあまり好きではない、ある程度は修行の旅で慣れたが、口に入る物はどうしても気になった。だからユーリのこの気遣いは正直助かったのだ。少し考えて、以前のユーリならば「じゃあオレが独り占めだな」なんて言っていたかもしれない。そもそも軽食を作ってくる事も無かっただろうけれど。
 岩盤の平たい場所に腰掛けると、臆面もなく隣にユーリが座ってくる。それに少しだけムッとしたが、食事前に怒る事なかれ、そう自分に言い聞かせて耐えた。

 ナプキンでサンドイッチを挟んで恐る恐るとだが、かぷりと齧り付く。口に入れた瞬間バジルの芳香が鼻を掠め、しっとりとした鶏肉とトマトの酸味が絶妙にマッチして爽やかだ。レタスのパリパリとした食感、オーロラソースの中にアクセントとしてマスタードが効いて全体を纏めていた。
 ユーリが甘党でデザート作りが美味いという話は聞いた事はあったが、まさか普通の料理もこれほどできるとは知らなかった。ルークは妙に感心して、ふと顔を上げた。

「……どうだ?」

 食べてもらえる事が心底嬉しいといった顔と期待するような声色で、問いかけてくる。その視線を受けていると腹の底がジリジリして、妙な焦りを煽られた。何より距離が近すぎる、隣同士で足が当たるとは何事か。ぷいと顔を逸らし、見なかった事にしてルークはまぁまぁだなと誤魔化す。

「ルークの口からまぁまぁって言われたのなら、合格点って事かね」
「なっ!? んな訳ねーだろ、別に大した事ねーし! アニスのがうめーっつの!」
「サンドイッチは結構自信あんだぜ?」

 そう言ってニヤリと笑うユーリのサンドイッチは、確かに美味い。アニスの料理と負けず劣らずだと思う。けれどそれを口に出して褒めるには、何か照れのような反発心が邪魔をする。だが不味いなんて嘘も言いたくはない、ルークは困って唸り始めた。

「はは、んな悩むなって。それじゃ次はもっと美味いの作ってやるから、食ってくれるか?」
「……どーしてもってんなら、考えてやってもいい」
「そりゃどうも、ってホラ。……つけてる」

 そう言って顔を近付けてきて、ユーリはルークの口元に付いたソースをペロリと舌で舐めとった。いつの間にか頬に添えられた手が風のように凪いで、そろりと項へ触れる。ルークはぽかんと間抜けに目を見開き、数秒遅れて思考が追いついた。

「……んなっ!!!?」
「席に着いて食う時は優雅にしてんのに、何で外で食うと毎回狙ったようにお弁当付けるかねお前は」

 ユーリは優しく笑いながらそう言い、去り際の腕で朱色の頭を撫でて帰る。怒りなのか驚愕なのか判断付かない震えでガタガタ揺れだすルークは、隣正面のユーリの口が開く度にちらちらと見える赤い舌に目線を奪われ、脳内処理が追いつかなくなり爆発した。

 ――何故口で言わない何故手で拭わない何故ナプキンで拭かない何故自分はこれ程までに動揺しているのか! ししし舌なんか毎日突っ込まれているだろう、が! ちくしょう思い出したら情けなくなってきたじゃねーか!!

 まさか何も無いと思わせて警戒を解いた後にやらかすとは、しかも距離は近く両手は敵の作戦によって塞がっていた。なんという策士、なんという非道な謀略! ちょっとでも気を抜いた自分が馬鹿だったのだ! そう後悔の嵐の中でルークは顔を真っ赤にし、ショックのあまり背中から倒れこんだ。

 ここは山頂で椅子代わりにしている岩の大きさに、多少余裕はあるとはいえ崖っぷち。スキップでもしない限りは落ちっこない部分だ、しかしふらり眩んだ体は目の前の黒衣から逃げようと大袈裟に動く。カランと岩の端っこが掛けて谷底へ落ちていく、それにハッと気が付いた時にはルークの体は盛大に傾いた後。

 危ない落ちる、そう他人事のように頭に浮かんだ次の瞬間。サンドイッチを掴んでいた腕を強く握られ落ちそうな反対側へ引っ張られる、その勢いのままユーリの胸元へ収まった。腕を掴まれた時の痛みで手の平を開いてしまい、せっかくのサンドイッチがべちゃりと崩れて地に落ちる。ああ、勿体無いと残念に思った。

「危ないだろうが、気ぃつけろ」

 ぼそり聞こえてきた声は思ったより真摯で、ルークはぱちぱちと瞬きをした後そろりと見上げた。心配そうな瞳で、眉が微かに寄っている。少し遅れてホッ、と息が鼻先に届き、背中に回されている腕がぎゅうと締め付けてきた。
 確かに少し危なかったが、あの位置で本当に落ちる訳がない。よくて落ちそうになった、程度で済むだろう。それなのに包んでくるユーリからの振動で、相手が震えているのだと知れる。

 落ちると思って、心配して、怖くなったのか。……この目の前の男が、本気で。ルークは信じられない気持ちと、信じたい気持ちが両方湧いた。そしてほんの少しだけ、悪かったなという思いが掠める。
 しかし続けて耳に入ったセリフに、ルークは最近緒が見つからない堪忍袋が底ごと破けた。

「オレが隣に居るから無防備になってんのかよ? そうだとしたら……ご期待に答えようか」

 囁くような低音を耳元で、ユーリの艶やかな紫黒の長髪が鼻先をくすぐる。目の前には白い鎖骨が艶かしく、相変わらず無駄に晒している胸元が風に揺れて影を作っていた。
 元から近かったユーリの顔が、重なるように近寄ってくる。少しずつ目を細めていく様をスローモーションで目にし、睫毛長いな、とよく分からない感想が浮かんだ。

 無意識の内にルークは両手を思い切り突き出して、相手の腹を押し出していた。ちなみに効果音は”トン”なんて生易しいものではない、”ドガッ!”である。しかしそれも体を先に後ろへ倒して直撃を上手く逸らしたらしい、ユーリの背筋が後ろの地に着く寸前で止まった。
 追撃としてルークは腰の剣を躊躇い無く抜き、紫黒に向かって真っ直ぐ振り下ろす。それすらも察知していたのかゴロリと転がって、それを避けた。キィン! と岩らしからぬ硬い音がして黒の毛先を歪に整える、そしてピュウ! と称賛の口笛が。

「不意打ちとは中々やるじゃねえか」
「黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れこのっ!」

 その声色と物言いに、ルークはキレた。うっかり声が裏返りそうになる、というかもう許さん。朝からオーバーリミッツゲージが溜まりに溜まっている、これを発散するに丁度いいサンドバッグが目の前にあるのだ。何を我慢する事があるのか、取り敢えずこいつを闇に還そう。そう決めた。

「お前はここで埋まってろおおおおおおっ!!」



 ルバーブ連山頂上にて高らかに響き渡る叫び声は、麓の街にまで届いていたらしい。光の柱が何本か連続で上がったのを、目撃者は恐ろしい物を見たといった口調で語った。







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