chicken or the egg








3
「無意識が怖い所は、相変わらずだな」



「お前ってほんと、丸わかりだよな。もうちっと行動パターン増やした方がいいぜ」

 そんな言葉を開口一番、朝から聞かされて怒らない人間はいるのだろうか。



 バンエルティア号はチャットのご先祖様が使っていた船だという、本人の証言と伝説からそのご先祖は海賊だったのだろう。けれど何故かこの船には緊急脱出口というか、避難退路のような裏口が存在していない。ただ単にまだ発見されていないせいかもしれない、チャット自身まだこの船の全機能は把握していないらしく、その可能性は大いに有り得る。
 だからどうしたって、出入り口はエントランスホールからの一箇所っきり。そこにはアンジュが常に立っているし、クエストに出る時でも代理を用立てて無人になる事は無い。まぁギルドアドリビトム本拠地、言うなれば玄関だ。このご時世当然かもしれないが、それは今回のルークには大いに問題になった。

 ユーリからの襲撃を避けるため、誰にも知られず外へ出る必要がある。船内は危険だ、基本的に未来から来ようが記憶喪失だろうが、ギルドメンバーならば皆疑う事をしない。だからこそ危険なのだ、ルークの居場所を簡単に知らされる。勿論頼めば黙っていてくれるだろう、けれど残念ながらギルド内での評判を鑑みて、いつまでも回避出来るとは考え難い。
 多少雑把ではあるが馬鹿ではないルークは、他者からの自評価をそれなりに承知している。むしろある程度それを理解してコントロールしている部分も持っており、それによってある程度の不自由を緩和させていた。
 だが最近はそれが裏目に出っぱなしだ。きっとまたルークがガイやユーリを困らせてるのね、そんな事を言われるだなんて納得がいかない。だから誰にも頼らない、自分の力でこの窮地を脱出しなければならないのだ。

 しかし腐っても王子、順当に行けば未来の王様。誰にも黙って一人外に出れる訳が無い、しかしやらなければならないのだ自分の為に。まず考えたのがアンジュに頼む、これは1秒で却下した。ギルドマスターとして責任を持っているアンジュにそんなお願いが通る訳がない、むしろユーリに追いかけろと言うだろう。では次、クレス達に協力を要請する。少し考えて、やはり却下した。依頼も無しの無断外出は知られれば処罰が下るだろう、それがゲンコツで済めばいいが、これを気にジェイド達に悪印象を持たれるのは嫌だった。せっかくの国元と関係無い友人関係に、勝手な口を挟まれたくない。まぁジェイドは勝手にどうぞ、とでも言いそうではあるが。
 ではどうするか、ルークはもう少しばかり考えた。そうして思いついたのが、食材補充のカート。アドリビトムの収容人数は膨大で、それを賄う食堂の購入食材も日々膨大だ。勿論毎日80人分用意しているわけではない、ある程度外で済ます人間も居る。けれどそれでも朝昼晩と用意するのだから、誤差の範囲だろう。食材の貯蔵庫はあるが、それは長期運行用での保存食の意味合いが強い。なので基本は毎日当番制で街へ買い物に行く事になる、その時がチャンスだった。



 食品用カートは人間一人くらいなら余裕で入るのだ、行きは空なのでそこに潜り込めば隠れられる。今日の当番が誰かは知らないが、ここで待っていれば街へ勝手に連れて行ってくれるという寸法だ。
 周りに人が居ない事を確認した後入り込み、カラーシートに身を包んでしばし待つ。すると人の声がしてカートが動き出したので、じっと息を潜めた。ガタゴトと舗装されていない道を進むカートの中身は振動が激しく案外痛いし五月蝿い、それに街の声も混ざれば今日の当番の声だって聞こえやしない。

 けれどピタリと突然止まって、少し外の騒音が落ち着く。おや、と思っていればリオンの声が聞こえてきた。

「では僕はこっちを担当する、その後は解散でいいな」
「ああ、構わねーよ」
「木苺のタルト、マロンシュー、後……」
「わあってるって、こっちもちゃんと買っとくさ。そっちこそ忘れんなよ」
「抜かりない。じゃあ僕は行く」

 リオン、スイーツ、今の声。ルークはこの作戦が最初から破綻していた事を、敵陣奥地で初めて気が付いた。やばい、どうする、エマージェンシー。けれど可哀想な事に、今は檻の中。獲物本人が自ら進んで入った檻なのだから、救えない話だ。
 カートの蓋が開いて、カラーシートを無慈悲に剥がされる。三角座りのルークが黒曜石に晒されて、口元がヒクついた。朝の日差しも燦々と、そして冒頭へ帰る。

「お前ってほんと、丸わかりだよな。もうちっと行動パターン増やした方がいいぜ」

 そんな言葉を開口一番、朝から聞かされて怒らない人間はいるのだろうか。ユーリが面白そうにカートの縁で腕を組んで、反論を待っている。ここで騒いでは相手の思う壺だ、あれから1ヶ月、いい加減ルークだって分かってきたのだから。

 此方が怒れば怒るほど、相手のペースに飲まれてしまう。そこで何度唇を奪われたか、ルークは毎日日記にその恨みつらみを書き連ねている。最近では唇を合わせただけで舌を入れられなくて良かった、なんて意味不明さに容認度が下がってきた。
 ユーリの周到さは毎回奇跡のようなタイミングだった、丁度人が居ない、視線が向いていない、図ったように隙を取られる。なのでこっちが騒げば逆に何をされたのか言って回ることになってしまう、自分で傷口を広げる訳にもいかず他者から見れば意味不明に短気を爆発させているだけだ。

「ま、せっかく出てきたんだから手伝っていけよ。今日は小麦の日だから結構重いぜ」
「なんで俺が……、当番はお前なんだろ」
「じゃあ当番じゃないルークはどうやって帰るつもりなのかね、さっきガイがお前を探してたけど?」
「く、くそ……! 子供じゃねーっつの」
「そーだな、最近の子供だって外に出る時はちゃんと行き先は言うもんだ」
「うぜー! 回りくどい言い方すんじゃねー!」
「はいはい、んじゃ大人しくお手伝いしてくださいませルークサマ」

 手を差し出して、カートから降りるように促される。その余裕たっぷりな動作にイラついたので、ルークはその手を無視して大地に足を着けた。長い朱金をくるりと遊ばせて、睨みつけるように視線を返す。けれど真っ向から反射される瞳も大概だ、何度見ても腹立たしい。

「ほら行くぞ」
「俺に命令すんなっつの」

 ユーリの左右に付けば何をされるか分からない、カートを挟んでルークは前に出た。勿論買い物先の場所も何を買うかも知りはしない。けれど後ろからそこを右、次の角の店な、とナビゲートが勝手に降ってくる。買い物は当番にさせればいいのだ、とルークは何もしなかった。



「はいはい、それじゃ小麦100キロね! あんたの所にはいつもお世話になってから、ちょっとばかりオマケしといたよ!」
「いいのか、こんなによ。そりゃ育ち盛りが多いこっちとしちゃ助かるが、これじゃ商売上がったりだろ」
「なーに、商売は大事だが命も大事さね! この前両方助けてくれたのはアドリビトムだ、これくらい屁でもないさ」
「あんまりオマケしてっと、ウチのリーダーに目を付けられるぜ? まぁありがたく貰っとくわ」
「またご贔屓にな!」

 商店の人間との騒がしい会話を終えて、カートは一気に満員になってしまった。ルークは商人特有のがなり声に眉根を寄せて、纏わり付く耳鳴りに首を振る。ばさばさと好き勝手に跳ねる長髪は、あっという間にこんがらがった。それを可笑しそうに笑いながら、ユーリが手を伸ばして整えようとする。
 しかしそれを視界の端に捕らえていたルークが、すざざと後ずさって追手を避けた。きょとんとするユーリの目と、警戒心バリバリのルークの目が噛み合うのが笑い話だ。すぐにブフッ、とユーリが吹き出して、堪え性の無いルークの着火点に火を点ける。

「オメーよぉ、なんっで毎回なにかしらそう吹き出してんだ!? すっげー腹立つんだけど!」
「いやー悪ィ、なんつーかこう、新鮮でな」
「はぁ?」
「お前にそんな警戒された事、無かったから」
「……はあああ?」

 よっと、そう言いながら小麦の詰まったカートを押していく。流石にこの量では買い物は続けられないので、一度船に戻るしかない。呆然とするルークを置いてユーリはさっさと歩き出す、別に他意は無いが置いて行かれるのも気に入らない、ルークは慌てて後を追う。



 ユーリの行動は不可解だ、ルークはずっとこの男に振り回されている。未来では恋人だと口にする割にマルタやエミルのような甘ったるさは見せないし、以前のような皮肉も変わらず言ってくる。そしてこうやってルークの存在を無視する行動だってするのだから、意味が分からなかった。
 普通恋人というものは、ベタベタしてイチャイチャしてうっとーしいものではないのか。そう参考にしているのはマルタや弟であるアッシュとナタリア、後は冒険物語にスパイスとして出てくるラブロマンスを少々。ルークの経験値は少ない上偏っているので、周りの人間からパターンを学ぶのは仕方がない。それを普通と言ってしまうには語弊があるが、それを訂正する人間も居なかった。

 抱きしめたりキスをして時々思い出したように愛を囁く、けれどそれ以外のユーリの行動は以前のままなのだ。上記の行動も二人きりの時しかしないし、他者が居れば雰囲気すら見せやしない。
 だからルークが一人で騒いでいると、自分だけが見ている幻か何かではないかと思う事がある。そんな訳が無い、けれど最近そんな事ばかり考えてしまう。
 もしくは、ある一つの可能性。ルークをただからかっているのか、好きだとか恋人同士だとか、実際そんな未来を証明する人間はユーリしか居ないのだ。幾らでも嘯ける、その意図は知らないが。
 しかし好きでもない男相手に、ベタベタしてキスまでして、些か体を張りすぎだろう。たかが一人をからかう為に、そんな事が出来るものなのか? ユーリに限って言えば、有り得ないとしか思えなかった。信頼している訳ではない、それくらいは共同生活の中で知れる事だ。
 毎晩ベッドの中で考えて、毎晩答えの出ない難問だ。とどのつまり、この男の考えが分からない。それが気持ち悪くてモヤモヤするのだ、落ち着かない。いっそ暗殺目的です! なんて言い切ってくれた方が気が楽だ、まぁ無いだろうけれど。

 ユーリの隣へ追いついて、重そうなカートを軽そうに押す腕を盗み見する。100キロとは、単純計算ルーク約2人分だ。それを一人で運ぶとは、少々気に入らない。別に隣で手ぶらのルークに、意地悪な視線が刺さっているのが気になる訳ではない決して。
 ユーリの懐に見えるメモを目にして、ルークはひょいと手を突っ込んだ。

「……っ! おまっ」
「んだよ、小麦以外は小物じゃん。面倒くせーからこれも買って帰ろーぜ」
「そーゆー無意識が怖い所は、相変わらずだな……」
「はあ? いいからさっさと案内しろよ」
「へいへい、仰せのままに」



 季節の野菜を少しと、乾麺を多目に。店を2・3件回れば済む量だった事もあり、買い物はすぐに終わった。途中デザートを数点買って、それをカートの上にちょこんと乗せればミッションは終了。紙袋を手にしたルークとカートを押すユーリの二人は帰船し、倉庫へと荷を下ろす。今日使う分を引き上げて、船内へ戻った。

 エントランスへ入れば、すぐにアンジュが声を掛けてくる。そういえばガイが探していたと言っていたか、忘れていた。

「それにしてもいつの間に外に出てたの? 出る時誰かに声、ちゃんとかけた?」
「いや、その……それは」
「悪い、オレが連れ出したんだ。今日の荷物多そうだと思ってな、お坊ちゃんが手を余らせてるみたいだったから」
「そうなの? まぁユーリが引率してたんなら大丈夫かな、けど次はちゃんと言ってね?」
「ああ、気ぃつけるわ。ほらルーク、行くぞ」
「え、ああ……ちょ! 引っ張んなっつの!」

 ユーリが手を取って、食堂へ連れ込む。迎えたロックスがありがとうございます、そう言いながら紙袋を受け取ってキッチンに下がった。テーブルにはリオンが先に戻っていたようで、ケーキとタルトを目の前に並べて優雅に食事している。じろりと上目使いで見上げられ、ユーリの手元に着地した。

「今そっち食ってんなら、これは午後でもいいだろ」
「そうだな、アフタヌーンの時で構わん」
「んじゃこっちも冷蔵庫入れとくぜ」
「ああ。今日買ってきた分も入っている、見ておけ」
「りょーかいっと」

 ルークにはよく分からないが、この二人の間では会話が成立しているらしい。一人立ち尽くしていると、リオンが煩わしそうに声を掛けた。

「ボケッと立っているくらいなら座っていろ、見た目が五月蝿い」
「……はあっ!? なんだよ!」

 見た目が五月蝿いとは、初めて言われたイチャモンだ。瞬間着火に、ルークはカッとなって吠える。しかし声を聞きつけたのか、ユーリが奥からケーキを片手にそれを散らした。

「よーするに、買い物ごくろーさんって事だ。ほらルーク、ブルーベリータルト」
「……なんだそれ」

 コトリとテーブルに置かれたタルトはベリーのツヤが輝いて綺麗だった、ロックスもパタパタとやってきて紅茶を用意し始めればルークは黙るしかない。ユーリが隣にやって来て椅子を引く、それに渋々と座れば黙っていても用意が着々とされる。
 ナイフとフォークを端に置かれて、カップに黄金色の液体が注がれていく。さぁどうぞルーク様、そこまでされれば断れない。実際目の前のデザートは大層美味そうに食べられるのを待っている、朝食を抜いていたルークには殊更だ。
 美しいタルトの三角形は食欲をそそる、さくりと音を奏でるパイ生地も心地いいコーラス。ジャムのゼリー部分がぷるりと揺れて、中のベリーが丸々と太っていた。優雅な動作で一口に切り分けて口に運べば、甘酸っぱい芳香が鼻を通る。舌に乗る甘味に感嘆の息を吐いて、じっくりと味わった。

「……腹減ってりゃなんでも美味い」
「馬鹿の感想だな」
「ルーク、この場には甘味好きが揃ってるって自覚して口にした方がいいぜ」
「脅迫すんなよお前ら!」

 照れ隠しにぽつり漏らせば、この猛反撃だ。二人共口は曲がっても目が笑っていない、ルークは自棄糞気味に叫んだ。

「うめーよ! あーマジうめーっての、これでいいんだろ!」
「食事中に大声を出すな、喧しいぞ」
「まだあるぜ、チーズケーキ食うか?」
「もらおう」
「いや、ルークに……。へいへい分かりましたよっと」
「聞けよお前ら!」

 またすぐにキッチンに入ってしまったユーリの背に、この馬鹿野郎! と投げても届かない。届いても無視されるだろう、分かりきった事だ。無駄な労力を消費して、ルークは大人しく席に座り直した。そしてタルトの攻略に取り掛かる、実際美味いのは間違いなかったのだから。
 黙々と食べるルークに、おかわりを待つリオンがカップを置いた。コトリと静かな動作の割に、案外その音は響く。刺さる視線にふと気が付いて、ルークはジト目でその相手を睨み返した。

「んだよ」
「前々からあいつは変な奴だとは思っていたが、今では輪を掛けて可笑しい奴だ」
「何、……大罪人の事か? あいつ頭も中身もおかしーよ」
「だが、信念を持つ者とは傍から見れば奇人変人だ。今のあいつは以前のユーリに無かった物を持っているように見える」
「……何だよ、それ」
「自分で考えろ、時を超えて来たというその意味をな」

 リオンの不可解な言動に、言い募ろうとした寸前にユーリが戻って来る。両手に皿を乗せて、おまっとさん、そう言ってリオンとルークの前に置いた。冷たく冷やされたチーズケーキは爽やかでこれも美味そうだ、けれど今の言葉が喉に引っかかる。
 リオンを睨みつけても相手は既にフォークを手に食べだしている、答えてはくれないだろう。意趣返しに何かしようと思っても、リオン相手では恐らく返り討ちの未来しか見えない。ルークは大人しく口を噤んでチーズケーキを食べ出す、悔しい事にやっぱりこれも美味かった。





「先に行く」

 ガタリと立ち、皿をキッチンへ片してさっさと食堂を去るリオンに、さっきの言葉の意味を結局聞けずじまいのルークは尾を引く。けれどそれを分かって無視されたようにも感じて、胸のモヤモヤを膨らませっぱなしだ。少し考えながら、スプーンで紅茶をぐるぐるかき回す。

「どうした、リオンになんか言われたのか?」
「おめーにゃ関係ねーっつの」

 嘘だ、ド直球張本人の事だ。けれどそう言うのも変な話だし、どうせこの男は答えない。それに今ユーリはクリームソーダのアイスを満足気に掬って口に入れるのに忙しそうだ、どうせ適当に聞いてきたのだろう。
 紅茶のおかわりお持ちしましょうか? と気付いたロックスにも断って、下がらせる。行儀悪くテーブルに肘を突き、向かいに座る目の前の上から下まで真っ黒の、未来から来たと言って、ルークはユーリを好きになると宣言したこの男を見る。恋人よりかはクリームソーダの方が今は愛しているらしい、自分でそう考えて鳥肌が立つ。どっちに転んで解釈しても変な気分だ、腹立たしい。

 あまり深く考えると、今度は愛って何だ、なんて思考散策に迷い込む。けれど愛だなんて、ルークには分からなかった。軽くだろうが重くだろうが同じ事、自分が理解出来ない事ならば意味は無いのではないのか。もういっそ煙に巻いて誤魔化してなぁなぁに無視しようか、そんな考えだって浮かぶのだから重症だ。
 だがどうせそんな作戦もすぐに破綻する、今朝のように。無視を決め込めば体に触れてくるし、逃げまわっても簡単に見つかる。ユーリは何度も何度もルークの妙案を破ってきた、考えが読めるのかと疑う程度には。
 確かにある程度稚拙な部分があるのは自分でも認める所だが、それらが全て防がれればまな板の鯉の気分にもなろう。そんなに自分は単純なのだろうか、それともやはり未来の自分で学習されているのか。学習される程、未来の自分達は一緒に居るのだろうか……。

 思案に沈むルークの目の前に、真っ赤なチェリーが乗ったスプーンを差し出される。突然視界に入った彩色に、ハッと現実世界へ引き戻された。ぱちくりと瞬けば、そこにはユーリの手。

「……なんだよ」
「クリームソーダのチェリーは特別なんだぜ? それを分けてやるって言ってんの」
「くだらねぇ、ガキか。いらねー」
「そう言うな、今朝の採れたてだから美味いぞ」
「あっそ、なら自分で食えっての」
「このチェリーがルークに食べてもらいたいって言ってんだ、ほら早くしろって」
「……うぜぇ」

 妙にせっつくユーリに、イラつきが帰ってくる。こんな風に相手が構いたい時だけ構われて、ペットか何かかと思われているのではないか。これも受け入れるまで諦めないのだから面倒だった、実力行使で断ると相手も実力を行使してくる、その場合負けるのは常にルークだ。
 さっさと食ってさっさと部屋に帰ろう、そう言えばガイが探しているんだったか。そう決めてルークは手を伸ばすが、すると途端にスプーンが避けられる。ジト目を向けて抗議すれば、ユーリは自分の口元をトントン、と叩いて指し示す。あーんしてやる、という事らしい。ルークは滅べ、そう思った。

 深い溜息を吐いて、口を開ける。しかし目標物の距離が些か遠い、相手が腕を伸ばしてくれれば届きそうなものだが。怒りを込めてギロリ睨んでも、涼しい顔で返される。ああもうちくしょう! そう心の中で吐き捨てて、ルークは椅子を立ってテーブルに手を突き、向かい側へと体を伸ばした。
 しかしその瞬間、目の前のユーリはチェリーの乗ったスプーンを自分の口の中に入れる。は? そう頭の中が一瞬空になった隙を取られて、テーブルの手を奪われた。引かれた事でバランスを崩して肩が落ちた刹那、視界が黒と肌色に染まる。

「……ッ!」

 唇にぬるりと舌が触れて、何かやわい物が口の中に入れられた。甘い味が広がり、つるりとした触感はすぐにチェリーだと気付く。それを右の奥歯の方へ押しやられ、じゅう、と舌を吸われる。
 奪われたままの腕を握る相手の接触部分が痛い、もしかしたら熱いの間違いかもしれないが。いいように弄ばれる舌の上に、何か冷たくてドロドロしたものが渡る。味覚を刺激して、甘い、とだけ直感した。その冷たさも甘さもすぐ分からなくなって、唾液に溶け消える。
 薄く開いた視界の端っこに、キッチンの奥で作業するロックスの小さな背中が映った。今にも振り向かれそうで、ルークは震える。その振動が伝わったのか気紛れか、口内の侵入者はあっさりと退いた。たらりと溢れる唾液を迷惑そうに、テーブルクロスは受け止める。

 口の中の残滓に、赤い果実。少しの力を加えて噛めば、広がる甘酸っぱさ。今日この瞬間から、ルークの中でこの味はキスとイコールになった。

「……ごちそーさん」

 何事も無かったかのように、ユーリは既に着席している。けれどその視線が熱い、幻な訳が無かった。ルークの腕には少し赤い跡、すぐに消えるだろうけれど。

 感情がぐちゃぐちゃだ、何が正常なのか分からない。けれど一つだけ分かる事がある、それがリオンの言っていた意味なのかどうかはこれからだ。



 ユーリ・ローウェル、この男は危険過ぎる。どんな意味で? そう瞬間的に尋ねる自分に答えられる自分は、まだ存在していない。いつの間にか名前を自然に呼ばれる事に違和感を抱かなくなってきた近頃、それに気付いたのも今やっと。
 知らずの内に侵食されている、まさか僅かながらも望んでいるとでも言うのだろうか? そんな訳が無い、ではなぜこうも簡単に遊ばれる。どうこねくり回して考えても今の自分にはやっぱり答えが出ない、未来の自分ならば分かったのかもしれないが。







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