不思議な事は扉の中で








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 翌朝、目が覚めて伸びをし、まず最初に確認するのは今日の天気では無い。ちらりと部屋の中心にあるコタツの傍、昨夜から変わらず朱色が散らかっている。はぁと朝から溜息を一つ、首をコキポキ鳴らせてベッドから下りた。

 長髪を踏まぬよう足を運び、キッチンの洗面台へ。顔を洗って歯を磨き身支度を整え、冷凍庫から一杯分に纏めた白飯を取り出す。ヤカンに火を掛けてレンジを押して……テキパキと準備を終えた。
 少し考えて、ユーリは冷凍庫から凍ったチャーハンを取り出す。以前纏めて作った時の分だ、あの精霊サンが何を食べるか知らないが取り敢えずこれでいいだろう。今日もまた夜バイトがあって帰りは遅い、しかし他人の三食まで心配してやれる余裕も義理も無いぞ。そう思って二人前はありそうな量を皿に盛ってラップをかけ、キッチンの台へ置いた。季節柄一日外へ置いても腐りはしまい、自然解凍で水が解けだしても食べられなくはないのだし。
 ヤカンが鳴り、簡易味噌汁を用意して注ぐ。レンジから取り出した白飯を器に盛ってリビングへ。相変わらずルークはグースカ眠りこけている、精霊サンでも眠るのか……なんて方向違いの関心を持つ。

 テレビを点けようか一瞬迷い、結局止めた。携帯のニュースで天気を確認して、一人黙々朝食を摂る。ユーリが家を出る時間になってもルークは起きて来ず、仕方なくテーブルにメモ書きを残して玄関を出た。何となく嫌な予感がしなくもないが、ずっと見張っていられる程自分も暇では無い。帰ってきたら家が全焼だとかはいくらなんでもあるまい、そう願ってユーリはバイクを走らせた。





 ……確かに家が全焼とはいかなかった、いかなかったが……。ユーリは手の鞄を力が抜けたようにドスンと落として、脱力した。

 ユーリが帰ってきて玄関を開けると、一目最初に視界が迎えたもの……丸焼けのキッチンとびしょ濡れの床。火除けのアルミが形無しに溶けて炭が換気扇まで届き、何故かコンロがベコベコにヘコんでいた。床は全体余す所なくびしょ濡れで、浸水でもあったのかと疑うくらい。ここは二階だが。
 玄関前でチョロチョロと水が流れてくるのを見て、正直開けたくなかった。しかし我が家はここだし、ここ以外無い。ある程度覚悟して扉を開けたとはいえこれは酷い、ユーリは自分の想像力の無さを嘆いた。
 犯人であろう張本人は、何故かその中心で胡座をかいて唸っている。腕を組んで人差し指をクルクルさせて、トンボでも捕まえたいのだろうか。眉を寄せてむむむ、と唸ってからクワッと瞳を開ける。……しかし何も起こらない、ユーリは玄関から動かず取り敢えず黙って見ていた。

【〜〜、〜〜〜〜、〜、〜〜。〜〜〜】

 ルークの口から奇妙な発音が部屋に響く、空気全体が震えているような錯覚。ユーリは妙に寒気を感じ、ブルりと震えた。部屋全体に何かが満ちている、見えはしないがそう直感する。目の前で半透明の何かが渦巻き、床の水がみるみるうちにそこへ吸い取られていく。それは一瞬で、あっという間に床の水は無くなっていた。呆気に取られてそれを見つめ、ルークが人間ではないという事実を今更ながら実感する。

「……くそ、やっぱあんま出ねーな……」

 悔しそうな声色で呟く、ルークは丸焦げのコンロを見て、渦巻きに命令するようにビシッと指した。

「よし、証拠隠滅だ。あれも纏めて全部やっちまえ!」
「待て待て待て、目の前で何言ってやがる!」
「げぇ、ユーリ! おおおお前何時帰ってきやがった!」
「たった今だ。なぁルークオレだって鬼じゃねぇ、いきなり怒鳴りつけたりなんかしねーよ。……だから何でこうなったのか言ってみろ、取り敢えず聞いてやる」
「顔こえーんだよ! だからその、あのー……。メモがあったから、温めろって……」

 確かに今朝ユーリは「キッチンに食事を置いてるからその気になったら温めて食え」そう書き置きしておいた。食べるかどうかは任せたが、この家にあまり余分な食材は無い。もしかしたら勝手に金を出して外で食べるかとも思ったが、どうやら家から出てもないようだった。

「そんで、だからー……。か、勝手に燃え上がったんだよ!」
「馬鹿か! コンロが勝手に燃えるか!」
「ば、馬鹿って言うな、俺は悪くねぇ!」
「今の言い訳のどこが馬鹿じゃないんだ、今時ガキでも使わねーぞ」

 素直に謝るならば許そうとも思ったが、バレバレな言い訳の上に自分の責任は無いかの物言い。ユーリはルークの頭をゲンコツで思い切り制裁した。いってぇ〜! と涙目で大騒ぎし、バタバタと暴れる。それに壁の向こうからドンドン! と怒りの抗議が。昨日に続いていい加減、大家から文句が来るかもしれない。唯でさえキッチンのこの有様を見られればどうなるか分かったものではない、これでは敷金は返ってこないと覚悟した方がいいだろう。

「お前まさか、このキッチン直してくれってオレにお願いして欲しくてこんな事やったとか……。ないだろうな?」
「んなしょーもねー事すっかよ、どうせぶっ壊すなら全開でやるぞ」
「すんなっつの。いいからもう、ほんと……。何もしなくていいから帰ってくれよマジで、叶えて貰いたい願いなんか無いって」

 しかしルークは頬を思い切り膨らませ、ぶすくれた表情のまま上目で睨みつける。自覚も反省も無さそうなその態度に、ユーリはとわざとらしく大げさに溜息を吐いた。考えるのが嫌になり、頭をグシャグシャと掻いて哀れなキッチンを見る。
 水気は全て無くなったが、一度ずぶ濡れになったコンロはもう駄目だろう。それ以前にベッコベコになっていて、ヤカンも置けなさそうだ。確か貰い物の電気ケトルがあったか……電気代やらコンロの修繕費を頭に浮かべて、……金額を想像して気分も落ち込む。ルークの願いをいっそ宝くじ当ててくれ、なんて言ってしまいそうだ。

「……今日はそこで反省してろ、分かったな」

 少し凄みを出してルークにそう命じて、ユーリは風呂場に入った。シャワーで簡単に済ませて、もう明日考えようと決める。問題の先送りは解決にならないと分かってはいるが、疲れた体と気分でゴチャゴチャと考えるのも嫌だった。
 いっそ金券でも出してもらうか、そんなヤケな思考も掠めるがブンブンと飛沫を飛ばすように否定する。一時の楽に負けては後がどうなるか、一人身で自然と身につけた堅実な思考がどうあっても良しとしなかった。





*****

 朝、雑音が耳に障ってユーリは目を覚ます。モゾモゾと布団の中で包まって、しばし一時。がばりと起き上がると、そこにはテレビを見ながらお茶を飲んでいる朱色が。コタツのテーブルにだらしなく肘をついて、感心するように画面を見ている。ユーリはパチパチと瞬きをして、ベッドから下りて声を掛けた。

「……何やってんだお前」
「何って、見てんだよ。これおもしれーな、命令してないのに勝手に喋ってる」
「テレビ分かるのか」
「お前、これ使ってたじゃん。それくらい覚えてるって」

 リモコンを手に、ポチポチとチャンネルを変える。見ただけで覚えたのか、最初思ったよりアレでは無いらしい。しかし家主が寝ている横で遠慮無くテレビを付けるとは、些か考慮が足りていないか。
 と思いながらもどうも色々足りていないのは仕方がないのかもしれない、ある意味遠い外国人みたいなものだ。そう考えれば多少は心も落ち着く、自分で自分を慰めるとは少しアレだが。

 ユーリは起きだして、身支度の為にキッチンへ歩く。しかしそこで目にした光景に呆然とした。昨夜コンロ一帯を中心に炭色が嫌になるくらい広がっていたというのに、今目の前にはそれが影も形も無い。あんなにベコベコにヘコんでいたコンロも焦げついた壁も、新品同様に傷一つ無く輝いている。むしろ本当に新品なのでは無いか、ユーリが入居した時からあった壁のシミや傷すら消えていた。数歩後ずさって、恐らく犯人だろう容疑者に声を掛ける。

「ルークこれ、……お前が直したのか?」
「そんくらいラクショーだし」

 こちらに顔を向けず事も無げに言う。そういえば確かに昨日帰ってきた時、床の水浸しもなんとかしていた。そうなると、昨夜は少し怒りすぎたのかもしれない。急に悪い気になって、ユーリはポリポリと頭をかく。
 身支度を整え、朝食を作り出す。卵を二個取り出し、フライパンを温める。他の材料もテキパキと用意して、二人分。お詫びと言う訳では無いが、ルークは昨夜から何も口にしていないかもしれない。本人から何もアクションが無いが、まぁ用意すれば断りはしないだろう。
 リビングの中央を陣取りテレビを真剣に見ているルークを通って、テーブルにコトリと皿を置く。ルークの目の前にも目玉焼きとベーコンとポテトサラダ盛り、パンはもうすぐ焼ける。
 顔を上げた瞳が不思議そうにしている、それに笑って返して朝メシ、と言えばルークは目の前に置かれた皿をマジマジと見つめた。

「別に食いたくないなら食わなくてもいーけど?」
「……食べ物、か。人間って何か食べなきゃ生きてけないんだったな……」
「そっかお前って人間じゃないんだっけ? ならそれ、食えるか分かんねーのか」
「肉体自体はこっちに降りる時に三次元へ変換するんだけどよ、お前との契約負けしたから俺の能力殆ど再現出来ないんだよな。だから中途半端に人間っつーか人間じゃねーっつか……」
「何、なんて……。意味が分からん」
「俺が先に名乗っちまったから、元の能力出せねーの。だからそれに合せてこの肉体も、半分くらいマジで人間。でも半分は精霊みたいなモン」
「先に名乗るって、あの電話のあれか……」

 思い出せばそんなやり取りがあったような気もする、それをルークは苦々しげに睨みつけた。

「ったく、精霊に先に名乗らせるなんざ前代未聞だっつの。アッシュに知られたらぶっ殺されちまう……」
「そりゃ悪かったな、けどあの話し方でまともに相手してくれる奴なんてそう居ないぞ……」
「んだよそれ、聞いた話と全然ちげーじゃんか……。楽勝って言ってたのによぉ」
「はいはい、んじゃコレどうする? 食えないなら片付けるけど」
「……分かんねーから、取り敢えず食ってみっけど……。後で食う」

 一応、食べてみる気はあるらしい。テレビに興味を奪われたままのルークを横目に、ユーリは朝食を終わらせる。この訳の分からない精霊サンとやらが来て三日目だが、何となくなし崩し的になっている気がした。正直今のユーリに誰かを養える自信は無い、食費やら電気代やら、殆ど家に帰らない事で節約の一つとしているというのに。これは少し本格的に追い返す事を考えなければならないか、そう思案して頭を痛める。楽してどうこうを否定するつもりは無いのだが、リスクが全く見えないのはやはり怖い。

 出る時間に、ユーリは鞄の中をチェックしながら今日の講義を思い出す。玄関へと立った時、ルークがテレビから視線を外さずポツリと言う。

「……欲しい物が無いなんて、お前ほんとに人間かよ」

 酷い言われようだ、ユーリは苦笑した。正直本当に叶えてもらえるならば、願いは腐る程ある。しかしそれをルークに叶えてもらいたいと思わない。何故かと言われれば、明確な理由として……そう、信頼が無かった。
 ルークが人間でない事は分かる、そして思う以上に純真そうなのも何となく想像がつく。しかしだからこそ、訳の分からない事に巻き込まれるのは嫌だった。漫画やアニメでよくある、巻き込まれパターンというやつだ。大概女の子に囲まれてハーレムみたいになっているが、それはあくまで二次元の話。生きてるだけで金が必要な現実で、そんなお話に付き合っている暇は無い。

「人間にも色々あんだよ。オレはルークに叶えてもらいたい事なんてねーから、それ食って満足したら帰れ。なんならそれを願いにしてもいい」
「……ユーリが心底そう願うなら、ムカツクけどそれでもいい」

 むすっとした声で、表情は見えないが多分顔も同じようになっているのだろう。ユーリは時間を確認して慌て、靴を履いて玄関を開ける。リビングのルークに向かって、少し強めに叫んだ。

「じゃあ今夜帰ったら言うからな、大人しくしてろよ!」

 返事は無いが、声は届いただろう。バタンと閉めて鍵を掛け、バタバタと走った。あの騒がしい朱色も明日には居ないのならば、少しだけ残念かもしれないと思ってしまうのは現金かもしれない。







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