還りの門は暁け色に輝く








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 ディセンダーとカノンノ達がエラン・ヴィタール攻略へ発った甲板で、ギルドアドリビトムのメンバー達は見送った。今出来る事は殆どやったと言える、後は希望が帰ってくるのを待つだけ。メンバー達の表情は心配そうでも暗くは無い、必ず成し遂げるだろう事は確信していたから。

 エステルやフレン、ユーリも甲板で世界樹を見上げている。向けられて刺さる白く巨大な牙が痛々しい、しかしそれもあと少しの辛抱だろう。
 ユーリがちらりと横目を見れば、半透明の体を落ち着き無くふわふわさせ、何時になく緊張した面持ちがぶらついている。甲板にはメンバーが多く居る分、密やかな会話でも気付かれるだろう。下がって密度の薄い場所まで移動した。人波を嫌っても同じ様に見守っているリヒターやリカルド達も離れて居るが、彼らならば無闇に首を突っ込んでこないだろう。
 空気に冷えた船の壁を背にし、憑いてきた彼を傍に呼ぶ。

「心配してんのか、ディセンダーを」

 心配していると言われて、髪と同じ朱色の眉はどうだろと言ってハの字になった。口元は少し笑って、皆と同じ様に空を見ている。

「ディセンダーってすごいな。生まれたばかりなのに誰に言われるまでもなく自分で世界を救っちまうなんて」
「世界の平和が乱れる時、世界中が生み出す勇者……。生まれもった英雄って奴か」
「……生まれ、か。本当なら生まれなんか関係無い事ばっかだったんだよな」
「ん?」
「王族に生まれただけで硬っ苦しい人生なんて嫌だって思ってたけど、実際は生まれじゃなくて生き方……なんだよな」
「出来る事とやりたい事なんて大抵違うもんだ、その上でどう動くかだろ」
「うん、そーだな。今更ながら俺が悩んでた大体が、勝手な思い込みって気がしてきた」
「……なんだそれ、今更だな」

 全くもって今更な言葉に、ユーリは思わず遠慮無く笑った。それに釣られるように幽霊らしからぬ明るさで笑い声が空に響く。傍から見れば一人で笑って変に思われるかもしれないが、甲板の皆は中央で雑談している。ちらほらと船内に戻る姿も出て来て、近くに居た寡黙人達は既に居なかった。

「あーあ、アッシュにもっと文句言ってから死ねばよかったなー。もったいねー事したわ」

 どこか吹っ切れた様子の現役幽霊に、ユーリは何となく薄暗い気持ちで苦笑する。笑っていいのか呆れていいのか怒っていいのか、分からなかった。

 少し離れたフレンが声を掛けてきた、何時までも海風強い甲板に出ていると季節柄風邪をひきかねない。返事をして戻ろうと足を向けるが、傍の朱色がまだ名残惜しそうに空を見ている。ユーリは少し考えて、フレンに返事をした。

「なぁフレン、毛布持ってきてくれよ。ディセンダーが帰ってくるまで待ってたい気分なんだわ」

 こう言えばフレンの顔は意外そうにして、隣で聞いていたエステルや他のメンバーも喜んで同意し始めた。話はあれよあれよと広まって、おやつや飲み物も用意しようと準備が着々と進む。
 船内に帰ったメンバーも少しずつ戻ってきて、見送った時と遜色無い程の人数が甲板を占拠した。ロックスやクレアやリリスが軽食を持ってきて、一部酒を手にしている悪い大人もチラホラ。
 まるで気の早い宴会だ、メインがまだ帰ってきていないがその内混ざるだろうと予測という名の信頼か。

「アドリビトムって結構人数居たんだな……」

 感心したように呟く声が届く、彼は常にアッシュかユーリの頭上にしか居なかったので、全体数を把握していない。確かに一つのギルドにしては、少々人数が多すぎる気もする。
 ガルバンゾでユーリが所属していたギルドは、少数精鋭みたいなものだった。勿論数を収容するギルドもあったが、アドリビトムはメンバー一人一人の能力が突き抜けている気もする。王族や貴族、科学者も様々在籍しておまけにディセンダーも。こうなると下手な国より権力を持っているかもしれない。笑えない笑い話に、ユーリは笑って済ませた。

 甲板の人間全員が期待して信頼し、帰りを待っている。その形は戦争に荒れたルミナシアの未来を乗り越えられると信じるに値する光景。ユーリの隣で小さな声がぽつりと、羨ましいな、そう零す。それに聞こえないフリをして、ユーリは離れた場所で目を閉じて黙った。





 月が斜めに昇って少し、カノンノとニアタ達が帰ってきた。その隣にディセンダーの姿は無かったが、ラザリスと共生する為の創造に旅立っていると言う。必ず帰ってくる事を約束したと語るカノンノの表情は明るい、ならば必ず戻るだろう、何でもないあの何時もの顔で。
 皆は少しだけ残念がって、とても喜んだ。歓声湧く甲板に、その場でパーティーが始まる。もう先に始めていたようなものだが、名目が有ると無いでは違うらしい。給仕を手伝う数人が慌ただしく扉を行ったり来たりしている、夜も深いのに海上である利点を思い切り使ってどんちゃん騒ぎだ。
 ユーリの手にもシャンパンが渡って、フルーツ盛り合わせチョコ掛けをしっかり確保する。エステルやレイヴンが呼んでいて、頭上の朱色に視線をやってから合流した。どこからでも乾杯が飛んできて、話すネタの大体はこれからの事。少しばかりの突飛や無礼講も今だけは勘弁してもらおうと、普段からテンションの高い数人のネジがより飛んでいる。それを笑ったり、気まぐれで混ざったり。その宴は起きている人間の気力と食堂の材料が尽きるまで続けられ、甲板から人の声が途絶える事は無かった。

 ユーリは少し離れた先のアッシュとナタリアを見れば、その隣でアニスがデザートを口にして嬉しそうにはしゃいでいる姿が映る。二人は互いに言葉を交わしているようで、遠目ではあるが穏やかに見えた。まだ少しアッシュの顔は硬いが、それも時が解決するだろう。あれならばもう勝手な心配もする必要は無い、ユーリはホッと息を漏らした。自分の隣で落ち着かない彼の双子の兄も、嬉しさを溢れさせてそれを見ている。声掛けるか? と聞くがそれに首を振った。見てるだけでいいんだ、十分だ。その声が穏やかで、ユーリの口角は自然に上がる。



***

 宴会をダラダラ続けていると、海面から朝日の光が差し出始めた。甲板で固まるようにザコ寝していた人間も起きだして、太陽が昇っていく軌道を眩しそうに眺める。世界樹に光が届いた瞬間、覆っていたリングが崩れて牙が消えていく。傷を受けた部分からどんどんと白い枝を生やして伸びていき、両色の花びらが世界に舞い始める。太陽の陽を浴びた部分が生まれ変わるように、大地は輝きを取り戻していく。

 舞い散る花びらの雨の美しさに、甲板の人間も船内の人間もそれに見惚れた。始まりの光に相応しい、始まりの世界。しかしこれもそう長くは保たないだろう、これからこの世界を維持する者次第だ。これからが頑張りどころだな、と誰かの言葉に誰もが頷く。だがそこまで難しい事では無くなっただろう、そんな気持ちも自然に湧く。



 これで心配事がやっと一つ減ったなと、移動して遠くから離れたユーリが安堵する。皆は今船首部に集まっており、これからの事を語っていた。そして隣を見れば驚く、普段から半透明ではあったが輪郭はきちんと見えていたはずだ。その下半身が少しずつだが崩れるように消え始めている。引っ掛かりながらも声を上げれば、当の本人も今気付きましたと言わんばかり。

「……お前、それ」
「あれ? あーもしかして、お別れってやつか」

 サラサラと砂が溢れるように解けていく、朝日に混ざりながら流れる光は幻想的で単純に美しい。その顔は笑顔で、消滅の場に相応しくなかった。けれどそれも当然だろう、世界の夜明けと人の夜明けが同時に見れたのだ。大事な人間の未来も安泰で、何を思い残すことがあろうか。願っていた時の筈なのに、遂に来てしまったのかと思い浸る。ユーリは目を細めながらそれを見た。

「……急だな」
「そうだな、まぁ元々俺死んでたんだしこんなもんだろ。それに丁度いいじゃん」
「なんかお前、最初に見た時と変わったな。もっとブー垂れてたろ、地縛霊っぽく」
「そーかぁ? でもなんか今はスッキリした気がするかも。ってだから成仏すんのか俺」
「オレに言われても。けどそうか、……成仏しちまうのかお前」
「へへーん、寂しいだろー俺が居なくなって! 泣いてお願いするなら、夢枕ってのに立ってやってもいいぞ?」
「そうだな、結構本気で寂しいかもな。……泣いて頼んだらまた会いに来てくれるか?」

 普通の流れで普通に言ったつもりの言葉は、思った以上に本気の気持ちが入っていた。門出の場面だというのに、この胸に襲来する想いはなんだろうか。ユーリは誤魔化しながら笑って、けれど直ぐにその笑みを消した。その一連を見た相手の顔の方が真面目で、そして元気付けるように笑う。

「……悪い、多分もう無理。なんかほんとに今日で最期みたいだ」
「そっか……。ならお願いはしないで泣いてやるよ」
「ユーリがあ? キモイなーやめろって、泣くくらいならもっと他の奴と絡んでやれよ。お前ローテンションだから爺むさいんだよ!」

 若者からの手酷い評価に苦笑する。大人と言っても確かにクラトス達のような老練さは浅いが、だからと言ってカイルやシング達のようにもはしゃげない。どちらかと言えば性格の範囲の様な気もして、抗議を上げた。

「ひでぇ言われようだな、オレまだ21…いやこの前22になったばかりだぞ」
「へーあーそー」
「すんげぇ棒読みありがとよ。……てお前、もう殆ど消えてるじゃねーか」
「おお、こうやって喋れるのも後ちょっとだな」
「……そう、だな」

 言葉を続けようとしたが、頭の中をどう探しても出て来なかったので結局噤む。花びら止まぬ空を見上げれば、瞼にぶつかって視界の邪魔にも感じる。ユーリの長髪に絡まって簡単には取れそうにない、しかし手に触れてみれば花びらは溶けて消えた。マナの結晶か何かだろうかと考えれば、手向けの花には相応しいかもしれない。

「なんか、サンキューなユーリ。楽しかったし、今ならアッシュ達の事信じられる気がする」
「……ああ、心残りが無くなって良かったよ。お前みたいな奴が悪霊になったら、退治の方が面倒そうだし」
「なんだよそれ、俺って結構聞き分けいいんだぞ!」

 えっへんと胸を張る姿に、ユーリは素直に笑う。確かにこの幽霊、案外お願いすれば大抵聞き入れていた。きっと根が素直なのだろう、血みどろだと言わしめた王族の生活も、良い人間に囲まれていたんだと思わせる。……だから余計に、嫌だったのだろうけれど。

「……そーだな、お前って基本素直だよな。見た目じゃ分かんねーわ。っておい……」
「おっと、もう…  間だ。それじ な ーリ、縁が ったら来世で  会お ぜ」

 隣を見れば既に首元まで消えている。イメージなのかどうか分からないが、声も所々切れ切れていく。まるで音の虫食いのように途切れる音を必死に聞こうとするが、上手く聞き取れない。困った時の自分の顔を思い出しながら、ユーリは眉を寄せた。

「……何言ってんのか分かんねーよ」
「 ーかばーか、甘  食 過 でにっ ーい薬  飲 でろ!」
「おい、悪口は何となく分かるぞ……」
「へ  ! あ  シケ 面し  じ  ーって 、お   生 て   ら引き     よ! じゃあな!」

 ブツブツと切れた音なのに、最後の別れだけは図ったように聞き取れた。期待に答える奴だな、そんな言葉を呟く。今瞬きする前は半透明でも確かに存在したものが、今影も形も文字通り残って居ない。

 幽霊との独り言のようなやり取りをもう人目を気にしてする事も無い、本人が口にする訳でもない食事のメニューに文句を言われる事も無いだろう。初めて見た景色に上がる感嘆の声を聞く事ももう無くて、街の動物を案外優しい眼差しで見ていた緑碧を目にする事もきっと二度と無いのだ。

 どうしてか湧かない気力に、ユーリは体を壁に預けた。船首部先ではメンバー達が花びらにはしゃいでいる姿が目に入って喜ばしいのに、今同じ輪に入れる気がしない。世界は救われて星晶の問題も各国の問題も、これからの未来は明るいだろう。それなのに、どうして自分はここまで沈んでいるのだろうか。

 船内へ戻る人数もちらほら、その中でアッシュとナタリアも。まだ暗い影は無くなった訳ではないが、決意を秘めた瞳だった。先程成仏した彼の輝きと同じで、やはり双子だと思わせる。
 そしてユーリはふと気付いた。今まで彼とそれなり一緒に居たというのに、なんてことだ。……名前を聞いた事が無い。毎回「おい」だとか「お前」やら「幽霊」だとか適当に呼んでいて、他の誰も彼を呼ばないものだから。考えてみればアッシュが名前を口にした事は無く、あの時のナタリアは名前を出す事すら辛そうであった。
 ではライマの人間に聞いてみるか、名前を。浮かんだ提案に、ユーリは自分で首を振る。本人以外から、彼の名前を聞きたいと思えなかった。馬鹿な意地の気もしたが、その方がいい気もする。

 体も声も名前も消え去って、残っているのは記憶だけ。記憶は残っているじゃないかと、空元気も自分では出せそうにない。いやきっとこんな気持ちは今だけだ、時が経てば……忘れてしまうのだろうか。
 それは無いな、絶対に。神や世界樹よりも、ユーリは己の心に誓った。半年も居なかった、半年も居た一人を必ず忘れまいと。



 世界樹の花びらが舞い散る中、メンバーの殆どが立ち去っても中々動けずにいたユーリだった。







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