Happy un Lucky








7
《運を待つは死に等し》



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 ヴェラトローパ創世伝えし者の間、レベル的にもソロでここに辿り着くには少々苦労した。昨深夜から船を降りてここに来るまで、雨あられのように降ってくる武器や石礫。落とし穴はもちろん魔物達も容赦なく、此方が一人なのを良い事に休む間も無く襲ってきた。しかしまるで宝物庫に近づこうとする侵入者を排除するようなトラップ群も、分かってみれば逆効果。攻撃が激しい方へ向かえばその先に目当てがあるのだから、分かりやすい。
 魔物の層が厚い中心に飛び込んで、激しさを増す飛んでくる魔法や刃物。苛烈になる道先を、傷付きながらもルークは足を止めなかった。相当時間も掛かったし持って来ていた消耗品も使い切っている、しかしやっと目的地に辿り着いたのだから後は問題無いだろう。

 ディセンダー達が初めてニアタと出会ったという場所、そこにそれはあった。不思議な形をした剣、騒動が始まる前にルーク達はここへ納品依頼で訪れていたのだ。
 その時ここに、今とまったく同じように床に突き刺さる剣。一緒にPTを組んでいたクレスやロイドは物珍しがってそれを抜こうとしたが、どれだけ力を込めても一向に抜けなかった。クレスが全力で攻撃しても、微かにも動かない。空間に固着しているように、空気ごとただ静かに佇んでいた。
 不思議がる二人とは対称に、ルークはなんとなくだがこの剣を恐れた。どうして怖いと思ってしまうのか分からないが、とにかくただ近付きたくない。目にも入れたくない、この場に居るだけで空気を伝って自分を襲ってきそうで怖くて堪らなかった。一人なら直ぐ様逃げ出していただろう、しかし大事な友人が二人居る前でそんな事は出来ない。喚き出さない代わりに、少し離れた場所から一歩も近付かなかった。

 怖がるルークを二人は訝しんだが、雰囲気も異常なので取り敢えず依頼品を回収してその場は戻ったのだ。……そういえば、あれからだった。自分の周りでおかしな事が起こり始めたのは。いや、正確にはそう。その日の夜、変な夢を見てからだ――。  ルークは確信した、この剣が自分を呼ぶ為におかしな力を使ってあんな現象を起こしていた事を。理解すれば恐れよりも、腹の底からふつふつと怒りが湧いて出てくる。今までの鬱憤も、医務室で眠る彼の受けただろう痛みも乗せて叫んだ。

「なんなんだよテメー! 俺に文句があんなら俺に直接言えってんだ!!」

 そう空に響かせても、誰も何も答えない。シーンと静まり返る空間に、怒りで誤魔化していた恐れがジワジワと戻ってくる。しかしここで退くわけにいかない、今逃げればまた彼が傷付くだろう。

 その時、静寂を切り裂くように空気が震え、剣とルークを挟んだ目の前の空間に穴が空いた。驚くルークを他所に、そこから巨体が咆哮と共に現れる。
 その叫びは耳障りで、何か意味があるようにも聞こえ、しかし無いようにも聞こえた。凶暴性を曝け出すように牙を剥き、汚れのない白い体毛が神秘的だった。言語の混沌・ジャバウォック。本来ならばもう一段階下層の、今のルークでは1対1でも敵いそうにない相手。
 獣が地に足を着けると、途端にルークの命を削ろうとその爪を向けてきた。

「……っ! ここで大ラスかよ!」

 ギリギリ避けるが、魔物はレベルに相応しいスピードとパワーを見せつける。対してルークはここに辿り着くだけでもボロボロで、体はもう上手く動かない。来る途中の道だけで、HPも体力も使い果たしてしまった。おまけにパワータイプであるルークにとって、同じパワータイプのジャバウォックは不得手でもある。それに不運にもこの場所は縦に狭く、追い詰められては逃げ場が無い。フリーランで避けるにも敵のサイズが大きすぎて、追い越しざま簡単に爪の餌食となるだろう。
 それでもここまで来たのだから引き下がれない、むしろボスが居る方がそれっぽいなとルークは笑った。誰にも言わずに出てきたのだから、ここで倒れても迎えは期待できない。死ねばこの魔物に食べられて死体も残らないだろう、それは流石にちょっと困る。腐ってもライマの第一王位後継者なのだから、ギルドにも迷惑がかかるだろう。
 鼻息荒く後ろ足を蹴る魔物に、ルークは考えるのを止めて剣を握りしめた。





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 ユーリは急いだ、麻痺していた腹の痛みが復活してついでに脇腹も痛い。もしかしたら包帯から血が滲んでいる気もするが、今は構っていられない。例え本当に傷が開いていたとして、どうせ走るのは止めないのだから大した意味など無い。
 昨夜のあれが夢でないのならば、ルークは必ず一人で動くのだろう。これ以上被害を出さない為に。あれだけ一人で動くなと何度も強く言ったのに、やはりあのお坊ちゃんは肝心な時に言う事を聞かない。ガイ達従者が頭を痛める理由と、心を砕く理由を今更ながら理解した。

 自分があの時後を考えず、ルークを我が身で庇ったせいだ。そもそもアッシュも言っていたではないか、身内が傷付けば傷付くのはあいつだと。どうしてそれを忘れたんだ……! ユーリは自分で己を責める、あの時の行動は何時もの自分らしくなかった。自分でもそう思うのだから、庇われたルークの衝撃は如何程だったろうか。

 情はあるが基本執着の薄いユーリは、普段ならば仕事だとしても自分の身を使って庇う事なんて馬鹿な真似はしない。一人で護衛しているならばその後の事もあるし、手遅れになる程気付かない事も今までは無かった。何時も通り剣で受けるか、それこそルークを蹴り倒してでも避けれたはずだ。それをしなかった、いや考えていなかった。そもそも落とし穴に気付くのも遅ければ剣を手放した事すら愚の骨頂、あれだけでは無いと今までの経験上知っていたのに何故。

 答えは思うより簡単に出た。ユーリ自身、ルークの傍に居る事が楽しくなっていたからだ。我儘なルークの言葉を聞いてやり、兄のように諌めて、友人のように慰めてやる。朝から晩まで一緒に居て、ユーリこそ身内の……ルークを家族のように大事な存在だと感じ始めていた。
 親が死んでフレンと暮らし、そしてフレンだけが騎士団に残ってからユーリは一人だった。ラピードはずっと一緒に居たし、ガルバンゾのギルドや下町の人間もユーリとは懇意にしている。
 だが、相手が去ろうが自分が去ろうが、何が何でも留め置きたいと思える存在は無かった。ただ流し流されるがまま、ユーリは流れに棹差すように生きてきたのだ。

 けれどルークの傍でルークを見ていると、あまりに自分と真逆なのだ。不自由の無い身分なのに、不自由に生きている。大声で自分を主張しているのに、聞こえていないようなルークの世界。自分にも世界にも、ルークは逆らって生きていた。
 だのにそれが報われている所なんて何一つない、それが哀れで……なんとかしてやりたくなるのだ。悲しまぬように、怒らぬように、痛くないように。そうやってルークの世界を助ける事に必死で、本来の護衛の件が疎かになっていたのだから救いようがなかった。全くもって本末転倒、自業自得だとしか言い様がない。

 だから、絶対に間に合わなければならない。ユーリは走った、自分の前をふんぞり返って歩く朱色をもう一度目にする為に。





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 最初は、どうしてこんな奴と。それしかなかった、その次はうっとおしい奴。そして最近じゃ邪魔ではないかな、なんて。思っている事と口から出る言葉の乖離が激しい事は我ながら自覚している、しかしそれを直そうとも思わない。どうせ直しても変わらない、だから諦めている。そう思っていた、本当だ。

 それをあいつは、変なものを見る目で見るものだから。俺はそんなに変なのだろうか、少し後ろの紫黒の、皮肉気な表情を思い浮かべながら考えるようになった。でもどう考えてもあいつの方が変な奴だった、お節介なのか面倒くさいのかハッキリしろよ。
 我儘には皮肉で返して、不満を言うと慰める。好き嫌いには怒るくせに、無作法には同調しやがるんだ。アドリビトムの人間は大概変な奴だけど、俺が関わる人間はそんなに多くない、だから今の所俺の中で一番変なのはあいつ。
 護衛が嫌なら断ればいい、なのに今じゃ俺の飯を嬉しそうに作ってる。待ってる間は暇だけど、コッソリ盗み見してるだけでそれなりに満足な気にもなった。最初に俺が一口食べるのを待って、その反応を必ず見てる。美味い、とか言った事無いけどな。

 よく分からない、俺にとってユーリ・ローウェルって何なんだろうか。ただの護衛だ、それは分かる。けどもっと近い、でも遠い気も。分からない、そんな奴が傷付くのが嫌だから俺はここに来たのか? ……どうだろう、そうなのかな。

 聞いてみたい、全部終わったら。そんな事を血で滑りそうな柄を握りながら、考えた。





 ルークの体は限界だった。グミも無いボトルも無い体力も無い、無い無い尽くしで笑える。だからルークは笑った、不敵にニヤリと笑うのだ。相手は魔物だからどう変わる事などないが、取り敢えず笑っておいた。

 何故ならユーリが戦闘中、よく笑っていたのを目にしていたから。嬉しそうに、楽しそうに。本人もギルド仲間も戦闘狂だと、自他共に認めているユーリの戦いは美しかった。不思議な戦い方で、くるくる刀を回してよく手が引き攣らないものだと感心しながら見ていると、気が付くと戦闘が終わっている。
 本人の楽しそうな態度から、まるでワルツのようだった。少し過剰に褒めすぎているかもしれない、だからそんな事を本人に言った事など無いが。型が決まったアルバート流やガイのシグムント流とも違う、不思議な型。本人は我流と言っていたが、それだけであんな流れるように戦えるものなのだろうか。
 リッドも自己流で日々の狩りで鍛えたと言う、なのにあれだけ強い戦闘力は羨ましい。武器が違うのか辿ってきた道が違うのか、ルークも剣技を趣味として師を取っているというのに。よくよく理不尽だとは思うが、リッドもユーリもクレスもロイドも……アドリビトムの面々は大抵強かった。勿論自分とて負けているとは思わないが、胸を張って勝っているとも言い難い。

 だから今だけ、ユーリの余裕を見習う形で、力を借りたかった。何時までも誰にでも、守ってもらうばかりなんて冗談ではない。自分だって剣を手にしている、傷付けている。その責任は放棄していない、そのつもりだ少なくとも。
 だから死なない負けない、絶対に勝つ。負ける訳が無い、ユーリの力を借りたのなら負けられない――!



 ジャバウォックが突進してくるのに合わせて、ルークは力を溜めた。深呼吸、落ち着いて。ニヤリと笑って挑発を忘れるな。

 人間一人なら踏み潰してしまえる太い足で、突き刺されば哀れなピン留め蝶のようになるだろう凶器じみた角。ドドド、と分かりやすいくらいの迫力で此方に向かって走りだす。このままならば予想できる未来はあからさまで、ボロ雑巾すら優しい表現だろう。
 しかしその哀れな獲物の心中は落ち着いており、冷静だった。極限の状態で今、自分が高まっているのを感じている。

 一寸先に、敵。血塗れの体中から気力の全てを振り絞るように、ルークは秘奥義をジャバウォックの鼻先に最大限叩きつけた。





 大きな衝撃、爆発、血の匂い。激痛の中悟る。倒し切るには、血が流れ過ぎた――!





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 ヴェラトローパの通路を走るユーリの足は迷わなかった。道中に刃物や鈍器、岩の破片、魔法で焼け焦げた跡。ルークの護衛を始めてよく見るようになった光景だ、この跡を辿れば先に居るのは間違いないだろう。それにこのまま行けば、行き止まりの創世伝えし者の間だ。場所は分かったも同然、だがユーリの胸中はもっと急げ間に合わないと喚いている。

 道すがら落下物と一緒に血が点々と落ちているのを見かけた、ルークの血だ。魔物は死ねば残らない、その血すら世界に溶けてゆく。だから恐ろしい、今まで道端で見かけた血の数はそれなりに多く、中には大きな血溜まりも。それを見た方のユーリの血が、凍ったかと思った。

 伝えし者の間は直ぐそこ、そう思った途端大きな衝撃音が響く。

「……!?」

 よろめきながらも、走る足は止めない。顔を上げれば視線の先で光の柱が天に立った、あれは……ルークの秘奥義だ。

「ルーク!!」

 大声で叫ぶ、届かないのは分かるが言わずにおれようか。ユーリはもう何かを考える余裕もかなぐり捨てて、目の前の門をくぐった。








*****

 創世伝えし者の間、辿り着いたユーリの目にまず映ったのは赤。朱はよく見た色だった、この2ヶ月以上、前か横を向けばふわふわした毛先を遊ばせるように揺れている髪が目に入るのだから。

 何時もそれを目に入れてはぐしゃぐしゃとかき回し、次いで現れるイラついた視線を受けるのがクセになっていた。最初は一分の隙無く跳ね除けられていた手だったが、何時からだったか。仕方がないなといった顔で、まるで此方が許されているような態度で。
 気が済むまで撫でて、手を頭から下ろせば待ってやらないと言わんばかりに先を歩く朱毛。けれど知っている、その頬が赤いのを誤魔化す為に先に行くという事を。そんな彼を出会った当初とまったく違った心持ちで見る、自分の気持ちが不思議で心地良かった。

 だから朱は、特別な色だ。彼の存在を示している、それだけで特別だと許されているのだから。

 ……だが、赤は。





 ユーリの体中の血が沸騰する。今まで生きてきてここまで怒りを覚えた事があるだろうか? いや無い、断言する。
 鞘を放り投げ剣を握る手に全ての力を込めた。

「瞬け、明星の光――」

 剣を受けた体を無理して走ったせいで、体中が軋む。しかしそれもアドレナリンが過剰分泌され、掻き消された。痛みも苦しみも何もかも後でいい、今はただ激情を素直に爆発させるべきだ。そう、ユーリは決めつけた。

 持ち主の感情に呼応するように、剣は輝く。深い蒼にエネルギーが集まり出して、その光源から剣身の色をエメラルドに見せる。集めた魔力を上乗せして、望むがままの力を作り出した。
 大きな光のエネルギーが集合体となり、断罪するに相応しい形状を形作る。発光する白がまるで一本の羽毛のように、数十メートル大の大きさでユーリの真上に集合した。

「オレ以外の奴が、そいつに触るんじゃねーーーーっ!!!!」

 真正面に、膨大な力が振り下ろされる。通路一面を覆い尽くす光の攻撃が、ジャバウォックを跡形も無く消滅させた。魔物の断末魔さえ、秘奥義に掻き消されて。







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