Happy un Lucky








6
 医務室の白いシーツは、何時でもどの瞬間でも人を責めている。波打つ皺が人の形を浮かび上げて、責任の所在を明らかにしていた。ルークを庇い腹に剣を受けたユーリは、治療を受けて眠りに着いている。貫通した穴は塞がったが、再生したばかりの皮膚は薄い上、流れた血はどうしようもない。それでもゆっくりと上下する呼吸だけが、唯一ルークを慰めた。

 時刻はそれなりに深い、ガイ達に促されてルークも部屋に戻ったのだが、どうしても気になって深夜ベッドから抜けてきたのだ。眠るユーリの姿は変わらず、まだ意識は帰らない。椅子を持ち寄ってベッドの横に腰掛け、ルークは自身の膝を震えて握りしめた。



 どう考えてもおかしい、自分がおかしいのか? 世界がおかしいのか? 何をどうすれば今の現状がどうにかなるのかが分からない。渦中のルークですら、原因が掴めていなかった。
 何よりジェイド達が何も言ってこない、つまり対処法がまだ分かっていないのだ。……なら自分に出来る事があるのだろうか? いくら考えても思慮の足りない自分の知恵など高が知れている、大人しくジェイド達からの解決策を待ったほうがいい。下手に勝手に動くよりかは、余程周りの面倒は抑えられるだろう。
 だが、そうすればユーリはこれからもっと傷付くだろう。今までの護衛もそもそもライマとして依頼されたのだろう事は想像に難くない、国元に居た頃は下らない権力争いで、護衛の人間がよく替わったのを覚えていた。伊達に王子などやっていない、分かっていたから何も言わなかった。
 狙いが自分なのは間違いない。双子のアッシュが狙われていないので、最初はライマからの暗殺者かとも思っていたのだ。だからわざと一人離れてみたり、隙を見せて誘っていたのだがあまり効果は無かった。それにあまりにも場所を考えていない、ダンジョンだろうが船内だろうが町中だろうがお構いなしだ。だからもっと別の何かがあるのだろう、その別の何かが重要なのだろうけれど。

 一体何が自分を取り巻いているのか? まずはそこからだ。ルークは深呼吸を数回、体の震えを止めて記憶の糸を探りだした。怪我をし始め、ガイやティアが傍を離れなくなった時を思い出す。もう少し前、何も無い所で足を取られて転び、町中で泥水が跳ねて白い上着を汚された。改めて意識して遡れば、結構な数だ。1ヶ月、……いや2ヶ月程前だろうか。薄れていく不確かな記憶の中で、そこだけは鮮明に覚えている事がただ一つだけあった。
 記憶の尻尾を掴みかけたその時、ベッドから微かな声が上がる。

「……、」
「ユーリ!」

 ユーリの黒く長い睫毛が震え、ゆっくりと薄く瞼が開く。中の黒目がゆらゆらと左右にぶれ、覗きこむルークの瞳とかち合った。それが分かったのか、数度瞬きをして少し息を吐く。けれどすぐに眉根を寄せ、痛みに耐える顔になる。傷が痛むのだろう、痛み止めの効果はとっくに切れた頃だ。その顔にルーク自身申し訳なくなり、やりきれなくなる。

「……、……」

 ぱくぱくと、何か言いたそうに口を開くユーリ。意識はまだ朦朧としているのに、必死で何かを伝えようとしている。ルークは椅子を蹴倒し膝を床に突き、口元に耳を近付けて聞いた。

「ルーク、……無事か?」
「お前! ……この、……っ!」

 聞いた瞬間、ルークは大声で叫びたくなった。恥も外聞も無く喚きたい、しかし目の前のユーリの体に障るだろう。体の奥底で噴火する感情が、溢れんばかりにいっぱいになる。こんな大怪我をして、ボロボロになっているのに、まだ自分の心配をするユーリ。怒りと嬉しさと苦しみが、名前を付けられない衝動となって暴れた。
 眼の奥が絞られたように痛み、じわりと水が出そうになる。だが両手で自らの頬を打ち、無理矢理引っ込めた。頭をぶんぶんと振り、深く息を吸って、吐く。両目を大きく開き、意識の浅いユーリを見る。

「ユーリ、もう俺を守らなくていい。大丈夫だ、俺が決着をつけてくるから。何となく分かるんだ、場所もさっき思い出した」

 聞いていようといまいとどちらでもいい、これは決意表明なのだから。ただこれ以上自分のせいで誰かが傷付くなど、真っ平御免なのだ。

「行ってくる、ヴェラトローパに」

 そう言ってルークは立ち上がり、薄く開くユーリの瞼を手の平で覆って閉じさせた。触れる体温が暖かい、この温度に今はただ感謝する。ルークは最後に眠る姿を見納め、踵を返して医務室を出た。

 ルークが去った後、残るはベッドのユーリ一人。閉じた瞳、沈む意識の中。また勝手に一人どこか行こうとしている、早く起きなければと思えば思う程、湯に浸かるように意識が沈んでゆく。ぼんやりとしながらも、ユーリの記憶はそこで途切れた。





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 浮くような感覚で、ユーリの意識は覚醒した。体の中心が軋むように、少し痛む。けれどそれが現実だと実感し、がばりと跳ね起きた。少しばかり呆然とする、夜の世界で剣を受けた腹。恐る恐る傷を確認してみるとそこには包帯がしっかりと巻かれ、手当されていた。治癒はされたが皮膚がまだ薄いのだろう、動きにくい分少し違和感が拭えない。
 受けたのが剣1本である意味助かったか、そう思ってふぅと一息吐いてハッとした。そうだ、ルーク。短い朱毛を思い出し、ユーリはキョロキョロと周りを見渡した。するとそれに気が付いたアニーが、心配そうな顔で此方にやって来る。よく見ればここは医務室で、ユーリはそのベッドで寝かされていた。

「大丈夫ですか? 熱は?」
「……ああ、平気だ」

 額に手を当てられ、熱とその後に脈を取られた。安定しているようで、アニーの顔は少し緩む。それを見たユーリは、自分は意外と危なかったのかと自覚した。もしもあの剣に毒が塗られていたら、流石に洒落にならなかっただろう。でもまだ絶対安静ですよ? そう言ってニコリと笑うアニーに同じように返す。
 改めて一息吐けば、外が何となく騒がしいのが気になった。医務室前は基本的に静かだ、廊下を跨いで騒がしいライマ部屋の王子様が騒がなければ。あの部屋を思い浮かべてユーリは少し胸が騒いだ、夢の中でルークが心配そうに見下ろしていたのを薄ぼんやりだが思い出す。

「なんか、騒がしいな」
「そういえば、どうしたんでしょうか」

 アニーも知らないようだ、頬に手を当てて不思議そうに。先程から膨らむ不安が、痛むユーリの体を揺らした。嫌な予感がぐるぐると溜まって、気持ち悪い気がする。そして猛烈に、ルークに会いたいと思った。
 きっとあのお坊ちゃんは怒るのだろう、今やもう馬鹿にして馬鹿にされる間柄ではない。恐らくもう自分はルークの身内の輪に入っている、それを自意識過剰とも思わない。決して自惚れではない、ハッキリとユーリは自覚している。だから、早く。ルークの怒鳴り声が聞きたいと思った。

 少し動けば体は軋むが、気力を奮い立たせて動いた。それを見たアニーが慌てて止めるも、どうしても気になる。騒がしい医務室前の廊下はすぐそこ、扉を開ければすぐなのだ。何もなければ気も済むし、もしかしたら本人が居るかもしれない。少し見てくるだけだ、そう言ってアニーの眉を困らせる。我儘だと分かっても動かずに居られなかった、落ち着いていられない。

 仕方ないですね、そう言わせて肩を借りて廊下に出る。するとそこには、焦った顔のティアが。常に冷静で居ようとしている彼女のこんな表情は珍しい、どうしたんですか? そうアニーが聞く。気が付いたティアが此方を振り向けば、ユーリの姿に目を見張る。

「あなた大丈夫なの? 昨日の今日でしょう、まだ安静にしていた方が……」
「いや、ルークに……」

 会いたくて、そう言いそうになって言葉を濁した。怪我をした身でも会いたいなど、幾分熱烈すぎるだろう。軽く首を振って改めて尋ねた、ルークはどうした? しかしそこでティアの顔色がますます曇る、ユーリの胸中にいよいよ不安が襲った。

「朝からルークが見当たらないの、船内のどこにも居ないのよ」
「……なんでだ! 今のあいつ一人にしたら、何が起こるか……!」

 ティアの言葉を聞いて、瞬発的に反応する。しかし急に出した大声が腹に痛みを呼び、体を曲げて口を閉じた。アニーが慌てて手を貸すが、それを制してユーリは見上げる。ティアの顔色は心配そうで、困惑が覆っていた。

「……昨日の夜、貴方の様子を見ると言って部屋を出たきり、帰ってないみたいなの」
「……!」

 そう言われて昨夜を思い出す、不確かな意識の中で見たルークは夢だと思っていた。だがやはり現実であったのか、しかしそうだとすれば……。ユーリはアニーの支えを抜け出し、急いで自分の部屋へと駆けた。



 エントランスを抜けて廊下に出て、部屋の扉を開ければ驚いた顔のフレンとエステル。しかし今は構っていられない、ベッド横に置いてある消耗品を纏めた小袋を目にして、手に取る。そしてその傍に、見慣れない剣が。
 深い蒼色の刀身に、同色の鍔。鍔の中心には不思議な輝きを放つ宝石のような文様、じっと見つめていると何か吸い取られそうな、体の中に入り込んできそうな感覚。以前ポッポが言っていた合成が完成していたのか、しかし元は刀だったというのにこの変わり様。合成アイテムの宝剣とやらが余程影響しているのか、しかし今はそんな事どうでもよかった。
 それも纏めて引っ掴み、すぐにまた部屋を出た。後ろからフレンの叫び声が上がったが、ユーリの足は止まらない。さっきまで痛みで軋んだ体も、今は忘れたように麻痺する。
 ただ、急がなければとユーリは思うよりもまず、足を動かした。







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