Happy un Lucky








5
《木を見て森を見ず》

 ある日ユーリはそれまでの結果として、私見混じりの報告をアッシュに伝えた。ライマの一部屋、それを慎重な面持ちでアッシュとジェイドは聞いている。ルークは現在ヴァンとガイに任せており、あの二人ならばそう機嫌が悪くなる事も不慮の偶然もなんとか出来るだろう。話が終わるとアッシュは思案顔で腕組む指先をトントンと叩き、眉間に深い皺を寄せる。

「なら外部からの監視はそろそろ外した方がいいか、……ったくあの屑は面倒事ばかりだ」
「最近は慣れてきたってのもあるから、以前程危ない場面は無くなったな。それにルーク、監視に気付いてる節もある」
「子供の頃から衆目のある環境でしたからね、彼は。貴方が居るなら二人は解除していいと思います、別に任せたい件がありますので」

 ジェイドもそれに賛同するように頷き、妙な信頼を感じる視線をユーリに向けた。評判名高いネクロマンサーからの奇妙なそれに、どうにも居心地が悪くなるユーリ。頬をかいて誤魔化し、視線を逸らした。

「しかしそうなると次は解決策の問題だな。一度ドクメントを診てもらうか」
「あれだけの現象をルーク一人で起こしているとは思えません、必ず何か外からの別要因があるはずです。それが分からなければ一生あのままですよ」
「つってもよ、外からってのが何かって話だろ。流石にそこまでオレは分からないぜ」
「発動条件を洗い直す必要があるか」
「……ルークのご機嫌、ですか」

 ふっ、とジェイドが漏らした苦笑が部屋全体に思わず響く。その音にアッシュは目に見えて片眉を上げる。ユーリもあまりいい顔はしない、直接面倒を見ているのが自分という事もあった。

「いえ、すみません。ただその発動条件……、何となくですが分かる気がします」
「眠る時と機嫌が良い時は起きない、だがそれはあくまで一時凌ぎの方法でしか無い。……いいからさっさと言え」
「申し訳ありませんが、まだ想像の域を出ていませんので」
「勿体ぶんなよ、ちっとくらい確証が無くてもヒントになる事もあんだろ」

 いくらアッシュとユーリが詰問しても、ジェイドは涼しい顔をして決して口にしない。付き合いの長いアッシュは早々に諦め、部屋に訪れた時よりも眉間に皺を寄せてユーリに言った。

「……取り敢えず護衛は続けろ、何か変化があれば必ず報告するんだ。どんな小さな変化も見逃すなよ」
「いいけど、経費後でくれよ」
「チッ。領収書を切ってるなら考えてやる」
「そんなもんイチイチ貰ってる訳ねーだろうが」
「では報酬の方から引いといてやる。足が出た分は後で支払えよ」
「なんで依頼受けて金払わなきゃなんないんだよ!」
「ライマに帰ったら報奨金が出せるかもしれませんよ、レートが違うかもしれませんが」

 今までに結構な金額を出費しているユーリからすれば割合深刻な問題であった、最近の食費はともかく武器はもう数回買い換えている。おいおい、と諦め半分怒り半分で肩を落とした。

*****

 あの日のやり取りを思い出し、溜息を吐いてユーリは野菜を切っていく。トントンとリズミカルな音に、材料は次々と刻まれていった。コンロの鍋に火をかけて熱し、頃合いを見て油と材料を投入。キッチンカウンターを越えてテーブルの方を見れば、ルークが暇そうにくあぁと欠伸をしながら突っ伏していた。
 ユーリがルークの食事を作るようになると、バンエルティア号のキッチンではなにかと不都合が多い。集団用のキッチン器具では一人分は作りにくいし、忙しそうに食事の準備をしている所に邪魔して一人分だけ作るというのも気まずい。なのでアンジュとスポンサーであるアッシュに許可を取り、街でキッチンを借りてそこで食事をしている日々なのだ。

 時折クレスやロイド、ガイ達が食べにやって来る。しかし基本的にユーリとルークの二人きりで、ここずっと食事を供にしていた。ルークの機嫌の良い時は何も起こらないと分かっているが、一般人や他者を巻き込んではならないと考えているのか、ルークもそれに文句を言った事は一度も無い。
 キッチンは危険だと一度叱ってから、不貞腐れてもけしてキッチンに入ろうとしないルークは暇そうだ。手伝おうか? と言い出さないのはなんだろうか、一応自らの料理の腕を自覚しているのか。それとも自分が料理をするだなんて思考に辿り着かないのか、いやバンエルティア号での食事は当番制だ。ガイ達の手助けが殆どであっただろうが、それでも料理の工程は意外と多い事は知っている筈である。……作り手を信頼している、という結論をユーリはして、微妙だなと思い直す。覗き込むなと以前言った言葉を撤回してもいい気がして、明日にでも伝えてやろうとユーリは鍋の中をかき回した。

「ほら、おまっとさん」
「お! チキンカレー」
「熱いから気をつけろよ」
「わーってる。んじゃいただきます」
「おう、おあがりなさいっと」

 船を降りてもロックスの厳しい教えを守り、手を合わせる。ルークはまず皮をパリパリに焼いたチキンをスプーンで掬い、優雅な動作で口に入れた。その姿はやはり王族で、向かいの席で同じようにスプーンを手に取るユーリの視線を奪う。エステルやウッドロウらといった地位が高い人間の食事作法は確かに美しかったが、それを今まで意識したことは無かった。ユーリはルークと一緒に食事をするようになって、自分が作った食事を綺麗に食べてくれるという事を嬉しく感じたのだ。
 口を小さく動かし、じっくりと味わってルークの顔はみるみる笑顔になる。その瞬間がユーリは好きだった。得意なのはスイーツ作りだが、一人暮らしが長かったので料理全般が出来るユーリの腕はルークの御眼鏡に適ったらしい。

「チキンだけ食うなよ、一応チキンカレーなんだぞそれ」
「いいじゃねーか、両方美味いって」

 へへ、と悪戯がバレたような笑顔でカレーに手を付ける。ルークは辛さに拘らないのか、ユーリとしても作りやすい。作業の最中大人しく待つルークに、材料のリンゴの余った分をウサギ形に切って差し出してやった時を思い出す。子供扱いするなと言いながらも、それを食べて待つ姿はどう見ても子供だ。
 サラダとカレー、おかわりもして満足気。それにデザートとして黒蜜みたらしアイスまできっちりと食べ、最後にご馳走様でしたと手を合わせる。残さず空になった鍋と皿に、ユーリはニヤリと笑って言ってやった。

「全部食ったな。今日のカレー、人参をすり下ろして入れてたんだぜ」
「うげぇ! なんで食い終わった後に言うんだよテメー!」
「ってかそもそもバニラアイスだってミルクだろうが。今更だろ」
「アイスはいいんだよ凍ってるし美味いだろ!」
「今日のカレーはどうだった? 不味かったか」
「……べ、別に。不味くは無かったけどよぉ」

 むしろ美味かったけど……、と小さな声は聞こえたが、ユーリは聞かなかった事にしてやった。代わりに頭を少し乱暴に撫でてやる。うぜぇ、と照れながら不貞腐れていても、撫でる手は振り払わない。ルークの怒りそうで怒らない境界線を、日々少しずつ探っている。段々と理解していけば、その心境もパズルが埋まっていくように分かるようになってきていた。


 外側からただ見ていただけのユーリからすれば、ルークはただの我儘な子供だった。あれが嫌だ、これが嫌だ。自分が嫌な事を自分では何ともしようとしない。以前はそれが気に入らなく、促しながらも皮肉って遊ぶ事も。しかし護衛を始めて一緒に食事を摂るようになり、立ち位置も大きく内側に入ってからユーリの心証は変わった。
 それはまるで自分を見てもらいたくて騒いでいる、小さな子供にしか見えなくなったのだ。素直にそれを言葉にする事は立場的に憚れる、だから態度で表している。自分を無視するな、と体いっぱいで言っているように。やり方を知らないのか随分と低レベルな行動だが、一度そう見ればもう、そうとしか見えない。

 ユーリの育ったガルバンゾの下町では物や金は無かったが、人情はいつでも溢れていた。子供や老人の面倒を見るのは当然であったし、上の子供が下の子供を血の関係無く世話する。大人が助け合っているのを見て育ち、子供同士も真似て互いを支えあうのだ。だから親無し子は多くても、寂しそうな子供は居なかった。

 青年とも言える年齢で未だに子供のようで、けれど時折諦めたような顔をする。ルークのスペースに入ってからそのギャップに戸惑いながらも、ユーリは下町の子供を思い出しては守ってやらねばならないという思いを強めた。



 皿とキッチンを片付けて、借家を出る。鍵を掛ける途中で気配を感じ、横を振り返った。すると首輪に筒を付けた犬が、素早く駆けて去る後ろ姿だけがちらりと映る。その影に国に残しているラピードを思い出しながら、一人待たせているルークを見れば、夕暮れの中で背を向けて何やら紙を手に持っていた。船を出てからここに居る間、無かった物だ。ユーリは訝しんで声を掛けると、ビクリと驚いてルークは振り向く。手に持つ紙は後ろ手で潰され、くしゃりと悲鳴が上がったのが届いた。

「それどうした?」
「……あー、その」
「何かあったか」
「…………っ」

 出来るだけ優しく問うユーリの声はそれでもどこかしら責めを含むが、ルークの口は開きそうにない。いい加減行動が読めるようになっていたユーリはただ待った、ヘタに押すと逃げられるからだ。動こうとしないが詰め寄ろうともしないユーリに、遂にルークが先に根負けした。

「……ライマのテロの、……首謀者の調査報告書」
「……ん?」
「いくら先導されたからって、そんな簡単に国家転覆されてたまるか。内部からの誘導犯が居たんだよ。俺にそんな話降りてくる訳ねーから、ちょっとツテで調べてもらってたんだ」

 ルークの声は言葉に反して軽く、その表情もいつも通り。けれど視線は決して合わせようとしない、足も落ち着きなさげに彷徨いていた。カツカツ、と踵を鳴らす音がその心境を語っているように聞こえる。ユーリはすぐに誤魔化しているなと思い付く、しかしそれを暴露するべきかは躊躇われた。上手く言葉に出来る自信が無かったのと、国の問題に立ち入るべきかどうか迷ったからだ。
 思う事はあれどユーリは結局それを口にする事をしなかった、ただ静かにルーク の手を取り歩き出す。船への帰路に着く途中、落ちる陽がそれを責めるように背中を撫でる。しかし影と夜が混ざり合う隙間にかこつけて、どちらからの声も上がる事は無かった。





 船着場まで着き、沈黙もそのままに二人タラップを上がる。しかしその途中にルークの足は固まったように止まり、繋いでいた手を思うより強い力で解いた。驚いたユーリは上から見下ろすようにルークを見る。闇色の世界に朱色の旋毛が濃く輝いている、ふいに長髪だった以前の朱金を惜しんだ。

「主犯の一人、俺の事結構可愛がってくれてた貴族の爺さんだった。父上の盟友とかって言って、昔からライマに仕えてたんだけどよ。
けど、そんな奴でも案外簡単に……裏切っちまうもんなんだな」

 下段で俯くルークは表情を見せず、その声は少し低い。振りほどいた両手の拳は、耐えるように握りしめていた。

「やっぱあれか? 俺が国を継ぐのが嫌だったのか」
「……なんか事情があったのかもしんねーだろ。直接聞いた訳でもないなら、決めつけてやるな」
「そう、……かな?」
「ああ、そうだろ」

 国内部のゴタゴタなんか知るか、だなんて。以前の自分ならば捨て吐いただろう言葉を飲み込んだ。代わりに出た慰めの言葉は、どうとでも取れる先延ばしの言葉。いっそ何も知らない風に装って笑い飛ばせば良かったか、とユーリは言葉の選択を後悔した。

「……俺、は」

 顔を上げたルークの顔は、昇ったばかりの月の光に照らされて青白かった。光で色が飛んでいるんだ、そう分かっていてもユーリの心臓は動揺する。
 ルークは小さく口を開けて、言いたそうな言いたくなさそうな表情。例えるならば、痛みに耐えている顔だった。それを見たユーリの胸中に、苦い心地が占領してゆく。護衛の依頼を受けて結構な期間が経つが、自分は全く何も守れていない感覚に陥った。

 突然、ルークの足元に大きな穴が空く。警戒を忘れていた事と、夜闇に溶ける色合いにユーリの反応は遅れた。

「ルーク!」

 落ちかけるルークの腕を慌てて取り、ユーリは落下しないよう足を踏ん張らせた。その穴の底は真っ暗闇で、どこと繋がっているのか想像も付かない。おまけに吸い込んでいるのか、ルークの体は強い力で引かれている。
 片手ではとてもじゃないが保ちそうにない、ユーリは手に持っていた剣を捨てて両手でルークの腕を掴んだ。かなり強い力で吸われている、額に汗を浮かべるが中々持ち上がらない。

「ユーリ!」
「だま、……ってろ!」

 双方から引っ張られ、ルークの方も痛そうだ。しかし今はそれに構える余裕が無い、この時間は船内でも夕食で甲板に出る人間もほとんど居ないだろう。助けを期待するより自分で何とかするしかない、ユーリは汗で滑りそうになる手を持ち直し、改めて力を込めて引っ張り上げた。

「くっ……!」
「も、ちょっと!」

 ルークも空いた手を伸ばし、ギリギリ穴の縁に手を掛ける。そこを掛け足にして少しずつ這い出れば、二人の息は必死だった。息を整える間も無く、ヒュンと細く高い音。ユーリは掴んでいた手を引き寄せて守るように抱きしめ、立ち上がる暇も無くタラップを転げ上がる。

タン!タン!タン!タン!

 二人転がる後を追うように、タラップへボウガンが連続で突き刺さる。しかし登り切った先は船の縁で、勢いのままに二人はその落差をどすんと落ちた。

 ルークの頭を庇うように甲板に転がると、ボウガンは止んだ。しかしユーリが顔を上げた刹那、キラリ星の光に紛れて光る何か。ルークを突き飛ばす暇も無ければ剣も先程捨ててしまっている。ユーリは覚悟を決めて、飛んできた剣を自らの腹に受けた。ざくり、そんな陳腐な音を自分の体から聞く日が来るとは。

「……ドジっちまった」
「お前……なんで!!」

 ユーリはそのままルークの上に倒れ込み、もし次が来ても全て受けるつもりでいた。だが鈍器も何も降ってこない、空に響くのはルークの震える声だけ。じわじわと腹から広がる熱い痛みが全身を支配し、ユーリの感覚は溶けるようにブレてゆく。

「ユーリ! ユーリぃ!」

 それでも泣きそうな声で名を呼ぶルークの声は妙にハッキリと届いた。薄れる意識の中、ユーリは後で慰めてやらなきゃな、と場違いな事をただ思った。







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