Happy un Lucky








2
《泣きっ面に蜂》

 あの日は散々な目にあったルークだが、それ以来運に見放されたかのような不幸に見舞われ始めた。最初はバナナの皮で転ぶだけだったり、泥が跳ねて白い上着にかかったりそんな程度。だが日が経つにつれその度合は強くなり、ついには怪我が絶えなくなっていた。

 倉庫で探し物をしていれば上からレンチが落ちてきて直撃、依頼の出先ダンジョンで蜂に刺される、沼に落ちて運悪く物もらいに感染する、魔物に潰されて足を折って、とどめに崖から落ちる始末。数え始めればキリがない、最近は本格的に身の危険を感じた。怪我は治癒術で治療できるが感染症はそうはいかない、フィリアに調薬してもらいながらも毎日へろへろである。ガイやティアが常に付き添っているのだが、隙間を縫うように災難がやってきてはルークを襲った。



 ルーク達は三時のおやつにと食堂を訪れた、あまり出歩くと棒に当たる勢いで怪我をするので外出は控えている。それに左目の物もらいが中々治らないので、眼帯を付けて不便そうに体をフラつかせる姿は危なくて仕方がない。
 船内でルークの不運はいい話種で、哀れんだイリア達に誂われつつも労られて去り際にリンゴを貰った。近頃では一人で動くなと言われ、水を飲むにもトイレに行くにも誰かが付いて来て息苦しい。
 丁度喉が乾いていたルークはラッキーとそのまま齧り付いた、行儀が悪いわよとティアに注意されるがいつもの調子で無視。しゃくりと気持ちの良い音を立てれば、口の中に果汁が溢れる。昨日出来たばかりの口内炎が染みたので、避けるように顔を横に傾けて食べた。
 そのリンゴは糖度が高く新鮮で、ルークは久しぶりに落ち着いて無心で味わった。最近は食事の中に鷹の爪や野菜の留め具が爆弾として混入している事もしばしば、調理担当が××料理人だとかそんな事は関係ないとばかりに災難に当たるのだ。他の人間には当たらずルークの皿にだけ狙いすませたように入っているのだから、気も滅入る。

 しかしリンゴの蜜をこぼさず齧るのは、中々テクニックがいる。切り分けられた果物ばかりを食べるルークには殊更無理な話だろう。たらりと垂れる果汁に気付かず、つるりと左手からリンゴを床に落としてしまった。慌てて拾おうとするが、左は眼帯で覆われていて見えにくい。距離感のズレに苦戦しながらもリンゴを追いかけて身を屈めると、ぐわりと突然急に船が揺れた。
 バンエルティア号は普段空に浮いている、バランサーが余程素晴らしいのか無理な運行をしない限りは船が揺れる事は無い。しかしそんな事も忘れたように、大きな揺れ。食堂の人間は体をふらつかせ、ルークは元々しゃがんでいた。しかしそれが不運なのか、目の前には背の丈大の食器棚。バンエルティア号の収容人数を物語るように、中皿やナイフフォークがぎっしり詰まっている。それが何故か開き戸の磁石ごとバシンと外れて、衝撃で中の食器が上から下へと飛び出すように滑り出した。

「ルーク!!」

 誰かの叫び声が聞こえたが判断が付かない、スローモーションで此方に向かってくるナイフをルークはただ呆然と見つめた。

バタン――!!

「……っ!」

 大きな音をたてて、ユーリはトレイを手に棚を支えた。ルークへ向けて襲い掛かった凶器達は見事塞き止められて、斜めになる棚とトレイの間で渋滞を起こしている。開き戸が壊れたのは上部の分だけだったらしい、下の戸は何事も無かったかのように沈黙を保っていた。
 ぐっと力を込め、傾いた棚の位置を戻す。隙間から落ちたナイフ達がカチャンと床に刺さった。留め具の磁石を見てみれば、根本からパッキリ割れている。この棚はさほど古い物では無いはずだが、毎日大人数が開け閉めして摩耗でもしたのだろうか。

「ルーク! 怪我はない?」
「ルーク様!」
「お、おう……」

 息を吹き返したようにバタバタと駆け寄る皆、ルーク本人も茫然自失気味だ。今は偶々間に合ったが、後一秒遅ければルークの顔面に降り注いでいただろう。ユーリはゾッとして棚を見た。それに船が急に揺れた事もおかしい、あんな揺れ方普段は無い。以前クィッキーがチャットで遊んで落ちかけた事はあったが、また同じような事が起きたとは考え難かった。

 誰の目から見ても最近のルークの不運さは異様であり、疫病神でも取り憑かれているのではないか。船内で新たに噂になるのにそう時間はかからなかった。

*****

 その話を耳に入れ、アッシュはイライラと部屋の中を歩きまわった。あいつは普段からちゃらんぽらんで何も考えていないから怪我をするんだ! と腕を組んで愚痴っている。机で書類を整理しているジェイドからすればうっとおしい事この上ない。口では罵倒が止みそうにないのにソワソワと落ち着かない、まったくこの双子は揃って面倒くさい。ジェイドは眼鏡のブリッジをツイと上げて、アッシュに言った。

「そんなに気になるなら一緒に行ってはどうです? なんでも物もらいがやっと治ったので今日はヴァンとクエストに出るらしいですよ」
「なに? 正気かあいつは……!」

 くそ! と舌打ちしながらアッシュは慌てて部屋を出る。心配なら素直にそう言えばいいのに難儀な方ですねぇ……、とジェイドは肩を竦めた。



 エントランスに出ればルーク達は出発寸前だった、それに難癖をつけて無理矢理PTに加わり出発する事に。ヴァンと僧侶のディセンダー、双子とで思わぬ修行じみたクエストとなった。

 場所は大森林・中部。ここの魔物退治を20匹、そう難しい話ではない。しかし妙に魔物達がルークを狙っている気がしてならない、気のせいなのか自分が気にしているせいなのか……。アッシュは気付かれないようルークの背後に付き、その死角を守った。当のルークは久方ぶりの外出と加えヴァンと一緒なのを無邪気に喜んでいる、後方でせっせとウルフをぶった切るアッシュを見てもいない。

 残りの討伐数もあと僅かという頃合い、思うより何も起こらなかった。ガイ達から聞いた話では外出すれば獣に襲われたり落とし穴に落ちたりと聞いていたのだが……、やはり今までの事はただの偶然だったのだろうか。アッシュは睨みつけるように周囲を警戒した。
 最後の魔物も狩り、そろそろ戻るかという話に。それじゃあ最後に原っぱで薬草を刈りたいとディセンダーが言い出した、採取もギルド資材還元なので断る是非も無い。
 最近は主にルークが薬草や湿布を消費しているので、珍しくルークも手伝い出した。ありがとー、とほにゃほにゃした声でディセンダーが礼を言ってはルークを照れさせる。アッシュが警戒の為にとそれに手伝わずにいると、不満そうな声で抗議が上がった。

「お前もちっとは手伝えっての!」
「ハン、一番使ってる奴が素材を用意するんだな」

 馬鹿にしたように嘲笑えば、その通りなので言い返せないルークは悔しがる。草の汁に手を汚しているので、手を振り乱す事もできない。しかしその隣でディセンダーが空気を読まずに、じゃあ自分が一番使ってるね、一番採ってくるのも自分だけど! と笑った。ヴァンは苦笑したが、アッシュは完璧に無視だ。仕方がないので空気を読んでルークが笑ってやった。
 はぁ、と溜息を吐きながら残りを刈ってしまおうとしゃがんだ次の瞬間、ルークの首筋が急に冷えた。鳥肌がゾクゾクと立ち、瞬間的に背筋を伸ばす。

「???」

 奇妙な気配を感じて辺りを伺うが何もない。その姿に気付いたアッシュが寄ってきた。

「……どうした、間抜け面で」
「いや、なんか。寒気がした気が……」

 不思議そうにキョロキョロさせるルークの頭を止めて、アッシュは自分の手袋を脱いでルークの額に手を当てた。熱は無いようだが、本人がこう言うならあまり楽観視はしないほうがいいか……。アッシュは踵を返してヴァンに引き上げの指示を出した。

「んだよ、あとちょっとで全部だから待てって」
「うるせぇ! こんなもん何時でも採れるだろうが!」
「お前が手伝えばすぐ終わってたのによー!」
「黙れ屑が! さっさと引き上げるぞ!」

 ぎゃいぎゃいと水掛け論のような、無意味な言い争いが始まる。この双子の何時もの光景とは言え、これでは時間の無駄だろう。心配して付いて来たという割にすぐに意識を逸らしてしまうアッシュに、まだまだ修行が足りないなと師匠であるヴァンは苦笑した。

「ルーク、お前も眼帯が取れたばかりなのだからそう無茶するものではない。ここは素直に言う事を聞きなさい」
「……はい、すみません師匠」

 しゅん、としおらしく尻尾を下げるように素直に謝るルーク。全く別人のようにヴァンの言葉ならば聞くのだからアッシュとしては面白くない、額に血管を浮かせてルークを責めた。

「ったく、そもそもお前がボケッとしてるから怪我なんざするんだろうが」
「ボケッとなんかしてねーし! 俺は悪くねーぞ!」
「もっと日頃から注意深く周囲を見て行動しやがれ! アホ面晒してんてんじゃねぇ屑!」
「誰がアホ面だ! 俺がアホ面ならお前だってアホ面だろ、双子なんだから!!」
「中身の問題なんだよ屑が!!」
「んだとぉー!?」

 せっかくヴァンが止めたのに、直ぐ様忘れたように喧嘩を始める二人。その声に森の鳥達も騒ぎ出して飛び立ち、他の魔物が獲物を探して姿を見せ始めた。

「いい加減にしないか、二人共」
「二人が喧嘩してる間に薬草全部刈り取っちゃったよ、もう帰ろ」

 ヴァンに諌められディセンダーに促され、二人はふん! とそっぽを向く。アッシュはやはりこんな屑の心配をした自分が馬鹿だったのだと、心の中で罵る。苛立つ心中で帰ろうと足を進めた瞬間、質量のある何かが物凄い早さで目の前を横切った。正体の分からない何かがルークの首元を通過していく。一秒にも満たない刹那の瞬間、ドサリと音が交錯した。

「ルーク!!」

 ヴァンの声、ドスッ! と鈍い音。何がどの音なのか判断つかない、アッシュが振り向けば空中には赤色が舞っている。

「…………!」

 喉から水分が奪われて引っかかったように、声が上手く出ない。アッシュは自分の片割れの姿を目が痛くなる想いで探した。

「いてて……」

 足元から声がして、慌てて下を見た。そこには倒れこむルークとそれに覆い被さるようにディセンダーが。僧侶の白いレディアント装備に、散らばる朱。アッシュの心臓は気持ち悪い音を立てて跳ねた。

「いてぇ! 重てぇ!」

 此方の心中を無視して騒ぎ立てる何時もの声が安堵を呼ぶ、震えながら息を吐いてキッと止めた。散らばる朱はよく見ればルークの長髪だった、パラパラと上質な絹糸が哀れに舞い落ちている。切られた量もけっこうなもので、起き上がったルークの髪はザンバラに酷い有様だった。
 どうやら紙一重でディセンダーの手が間に合ったらしい、それでも右から左、首元から背中へと斜めに刃が通ったらしき髪の切り跡。少々かすったのか後ろの襟も巻き込んで引き千切られ、首筋に赤い線。それを見たアッシュは改めて背筋に冷たいものが走った。ディセンダーが後少し遅れればこの場に散っていたのはルークの朱金ではなく、首だったろう。
 反動なのか煩いくらいに騒ぎ立てるルークを、どうどうとディセンダーが宥めている。そちらを任せてアッシュは、ルークを襲った凶器が刺さる木を検分しているヴァンに近寄った。

「……これか?」
「ああ、物自体はただの斧だが……」

 太い木の幹へ半分以上の刃を埋めて、両刃斧が刺さっていた。大きさからして結構な重さだろう、これが視認できない早さで飛んできたのだ。改めてディセンダーの身体能力に感謝し、アッシュは迂闊な自分を罵った。
 扇状の刃に朱色の髪が数本絡んでいる、凶行に及んだのは間違いなくこの斧。しかしこれを、あの場の誰にも気付かれず豪速球で放てるものだろうか。どれほどの怪力で音も立てずどこから投げたのか、……少し上げただけでも無理そうな話だ。それとも無差別だったのか? この場の人間なら誰でもいいと。……いや、あれは絶対にルークの首をとらんばかりの勢いだった。
 考えこむアッシュに、ヴァンは自身でも疑いの色を混ぜて、それでも言った。

「私は少し離れていたのであの時全体が見えたのだが……。この斧、何もない空間から突然現れたようにしか見えなかった」
「……暗殺者の可能性は?」
「魔力の乱れは感じなかったが、空間の歪みははっきりと見えた。しかし空間転移の使い手は稀有だ、暗殺者では聞いたことが無い」

 他国の科学者が時空操作の発明に成功すれば、今の御時世それは必ず戦争に利用される。話が広まらない事は絶対に無いだろう、使い手の能力としても同じ話だ。アドリビトムには有能な情報屋やパイプ役も多い、僅かな違和感でも取り零しなく耳に入るはず。

「ヴァン、お前は……どう見る」

 ライマの第一王位後継者の命を狙っているらしい一連の出来事、無関係では無いだろう。自分の師として、優秀な軍人としてアッシュは意見を聞いた。

「こんな事を言うのもおかしいが、そうだなまさに……『超常的な力の関与』を感じる」
「幽霊があいつの首を取ろうとしているとでも? ハッ、馬鹿らしい」
「いっそ幽霊ならばまだ対処が容易いな」
「……っ」

 嘲笑って否定してしまいたいが、ヴァンの顔は何時になく厳しい。アッシュ自身、ルークと刃物が交差する瞬間は見逃したが空間が歪んで飛び出す瞬間を、確かに目にしたのは間違いない。クレスの次元斬に似ているような感じはしたが、使い手の気や空気のざわめきは感じ取れなかった。本当に、いきなり出現してきたとしか言いようが無かったのだ。
 ルークを見れば、背中を打ちつけたようだがあれで済んで幸運だった。本来ならば死んでいただろう、幹にめり込む刃の深さが物語っている。……ルークの不運さはやはり異常だ、アッシュは認識を改めた。



 その後船に帰り、ルークの髪の惨状を見たガイが発狂した。物ぐさなルークの髪の手入れは、基本的にガイがしていたからだ。ざんばらになった髪はティアが惜しみながら整えた。髪の切れ目が肩からだったので、仕方なしに根本からばっさりと揃えるしかない。生まれてからここまでの短さにしたのは初めてで、頭が軽い! と本人は妙に喜んでいる。楽天的なのは結構だがそろそろ張本人の自覚を促さなければ、明日にでも棺桶に入っているかもしれない。
 アッシュは当りをつけて動き出した。







inserted by FC2 system