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*アッシュ あれから数日。別世界の俺だったという期間中の意識は、今やほぼ無い。どちらかと言えばあのボルテックス・ボトムから今まで意識が飛んだと表現する方が正しいか。 ハロルドの記憶を取り出す作業というものが余程上手くいったのか、オールドラントの俺の意識や記憶が残る事も無かった。少なくとも、俺は。 あれから周囲の目が生温い気がして仕方がない。元々ナタリアが発した奇妙な策略からこっち、余計な気遣いや苦労が重なっていた。そもそも何故ナタリアが手を尽くしてまで、あいつを何とかしてやらなければならないのか。あいつはもっと自分から自覚して動くべきだ。いかん、つい話が反れてしまう。 とにかく、俺は何も影響を受けなかったが、あいつは違ったらしい。 前はすぐに不満を口にしてやろうとしなかったのを、多少は改善されているとジェイドが言っていた。まだブツクサ言うには言うらしいが、姿勢が違うとあのジェイドが褒めるに至るとは信じられん。何でも今は世界情勢と地理を勉強していると、ヴァンとの剣術指南を控えてまで勉強しているらしい。あの考え無しで机に向かうくらいなら、剣を振り回す方がいいとかほざいていたあいつが。 周りの奴らへの態度も、変化が目に見えてあった。どうやらオールドラントのルークが、秘めていた本心をあっさり周りに言い回ったらしく、ティトレイを代表する暑苦しい奴らから押しの一手で絡まれている。以前ならすぐに腹を立てただろうあいつも、諦め半分で付き合っている姿をよく見かけた。 そんな姿の数々が、俺には信じられない。未だにあいつの中にそのオールドラントのルークが居るんじゃないのかと疑うばかりだ。 ガイやナタリア達にすれば異変があったにせよ、連続して見るあいつに変化を覚えないのは仕方ない。だが、単純に意識が飛んだだけの俺からすれば違和感だらけで、俺の過去の記憶をどう照合してもあんな風になったりしない。 あいつはどうしようもなく馬鹿で考え無しで、自分勝手で愚かな……。と、以前なら口に出して言うくらいの気概が確かにあった筈なんだが。 どういう訳か今の俺に、その言葉を最後まで言い切る事が出来ない。頭の中で過去のあいつの馬鹿な発言を思い出し、煮え立った腹をそのまま口にしようとする。だが途中で、何故か萎えてしまう。本当に分からない。 ただ胸の内で、グダグダぬかしてる暇があるなら自分から動け、と謎の焦燥感に駆られる。動いて、あいつを見てやらなければと……。 馬鹿な、何を言い出すんだ俺は。 充分だろうが、俺が何年あいつの尻拭いをしてきたと思ってるんだ。数秒後に産まれたというだけで、兄弟が決まり、継承権も何もかも優遇されている。あいつはそれに胡座をかいて努力を怠り、国政のほとんどをナタリアや俺に丸投げしているだろうが! それなのにあいつを目にすると胸の奥がざわざわと騒ぐ、落ち着かない。ナタリアと共に居るような幸福感でも無く、ヴァンのような安心感も無い。怒りに似ているようで、憎しみでも無い。人生の内でこんな感情を表現する言葉が見つからない。 こんな気持ち、俺の心であってたまるか。 オールドラントの俺なのか、こんな迷惑な代物を押し付けていきやがったのは。 「アッシュ、お茶会をしません事? 最近バタバタして落ち着けなかったでしょう。私と、アッシュとルークで。ささやかで構いませんの、どうでしょう」 そんな事をナタリアに懇願されれば、断れる訳が無い。三人でという部分に引っかかりを覚えるが、これもナタリアの為だ。 ただ問題は、それを俺があいつに伝えなければならないという状況。わざわざ部屋に出向いて、言わねばならんのか、この俺が。 隣の部屋前に立ち、これもナタリアの為だ、ナタリア、ナタリア……と必死で頭の中でナタリアの笑顔を描き、部屋に入る。 「よう、どうした」 「……貴様」 だが入ってみればそこに予想外の人間を見る。 ベッドに座ったユーリ・ローウェルが、膝枕であいつを寝かしつけている。その姿を見て、何故かとたんに怒りが込み上げた。 「今すぐそいつから離れやがれ!」 「静かにしろよ、ルークが起きるだろうが」 くぅくぅと場違いそうに上げる吐息が耳に届き、ギクリとする。あいつは反対側を向いているが、動きそうにない。眠っているのは本当だろう、近頃のあいつは以前と真逆かと思えるくらいよく動いていた。 疲れているんだろう、そう思うと勝手に音量が下がる。……だから、何故あいつを考慮して俺が動かねばならん! 違うだろうが! 「……いいから直ぐに消え失せろ」 頭の中の攻防は、結局声をひそめる方向で落ち着いた。眠っているあいつを起こすのも煩そうだからだ。 しかし対するユーリの態度は業腹で、気に食わない。 「なんでオレが? 邪魔してんのはそっちだろ、最近こいつ頑張りすぎて疲れ気味なんだから寝かせてくれ」 「貴様が言う事じゃないだろうが」 「言うね。恋人の権利さ」 「恋人だと? 男同士でふざけるなよ、こいつにはナタリアという婚約者がいるんだぞ」 「そのナタリア嬢と恋仲なのはどこのどなたでしたっけね?」 痛い所を突かれ、悔しさに呻く。分かっている事だ、何時か時期がくればナタリアを見送らねばならないと理解している。だがそれをこいつの口から指摘される言われは断じて無い。 流し目にニヤリと口端を歪ませる笑みは挑発的で、どう考えても言葉以上の意味を思わせる。 以前からあいつとユーリの関係については、しがない噂話として聞いていた。だがそれもこの船内だけの関係。国に戻れば情勢を立てなおさねばならん、愛だ恋だと言ってられなくなるだろう、それまでのお遊びだと温情をかけていた。 ユーリもどこかそれを自覚しているのか、必要以上に俺やライマの件を口出しする事は無かった。第二のガイにでもなったつもりか、ひたすらに甘やかしてあいつの逃げ道だけを作っていやがる。そんな風に横道ばかり周りが用意しやがるから、あいつは王の道を真っ直ぐ進めていないんだろうが。 将来を考えればどう接すればあいつへの為になるのか一目瞭然だというのに、大抵の人間がそれをしない。姦計をめぐらす一部の奴らの方が、余程その事を分かっているというのがより許しがたい。 視線で穴が飽きそうな強さでユーリを睨み、それを笑って受け流される。自分でもあまり気の長いほうだと思っていない。いっそあいつを叩き起こして実力行使に出るか……。そう思った矢先、ユーリが膝からあいつを慎重にベッドへ下ろし、額に口付ける。無意識に右手が腰の剣に手を掛けた。が、挑発に乗って剣を振り回すなんざ馬鹿なことをやってられるか! 気を落ち着けるように息を吐いて、気が付けば眼前にユーリが立っていた。親指を立て扉へ向ける。外へ出ろと言っているらしい、最初からそうしやがれ屑が。 「そんなに拘るなら、もうあんたが王様になればいいんじゃないか? ルークを自由にしてやれよ」 下の人間は大抵、王族は贅沢をして優雅に暮らし遊んでいると夢見ている。その世界を知らないんだから仕方がないとは言え、端にすら触れた事が無い奴にこうも無責任に言われると、逆に腹も立たない程だ。 「……何も知らない下賎が、好き勝手に言いのさばる。そういうのは自国の奴らにでも言っていろ」 そもそもこいつはガルバンソの人間で、ライマに何の縁もゆかりもない。いかにも他国の奴が知らないていで好き勝手言いそうな話だ。 そう思えばとたんに頭が冷え、ユーリと向かい合う事すら面倒に感じる。だがユーリは態度を崩さず、むしろより挑発してきた。 「国の為にルークを使い潰すってのがあんたの主張なら、オレはルークを攫う」 「屑が! テメェなんかが好き勝手できる立場じゃねーんだよ!!」 クソ、今頭が冷えたとかなんとか言ってこれだ。だがユーリの言葉は、到底落ち着いて聞いてられたもんじゃない。責任を持たない人間が馬鹿をほざいてる内はいいが、それを勝手に巻き込むんじゃねぇ! 「……あんたはさっきから国の為だ民の為だばっかりだな」 「あいつは次期国王だ。何千人という民の未来を支えるんだぞ、個人の意見で左右されてどうする」 「そんなんだからルークの苦悩にも気付かねぇんだろうが」 「……なんだと?」 苦々しげに言うユーリの目には怒りが見え、俺はと言えばあいつの苦悩だとかに揺らされる。一体何を悩まされると、あいつはただ真っ直ぐ歩いていれば全てを周りが用意してくれる位置にいるんだぞ。 そしてユーリは今度は挑発じゃない、明確な意思を乗せて宣言してみせた。 「言っても分からないみてーだし、ルークはオレが貰う。オレはあんたも、ライマも認めねーからな。 オレはガルバンゾでも犯罪者だから今更罪状の一つや二つ増えてもかまやしねぇさ」 その無責任極まりない発言に、遂に我慢の尾が切れて怒鳴る。 「拐かすのもいい加減にしろよ、あいつに罪人の様な惨めたらしい生き方をさせるつもりか!」 「欺瞞渦巻く王城で一生幽閉されて擦り切れるよりいいんじゃねーの? 少なくとも自由に生きる事はできる」 「誰がさせるか、そんな事!」 「……口だけのお坊ちゃまに何が出来るんだ? ここじゃあんたが一声かけても、兵士や家臣が何でもやってくれはしないぜ」 ――よく分かった、今まで温情を掛けていた俺が馬鹿だったんだ。こいつの存在は、あいつの……兄上にとって有害でしかない。 俺はスラリと腰の剣を抜き、切っ先をユーリに突き付けた。 視線で人が殺せるというならば、今この瞬間一人の死体が出来上がっていただろう。 俺は迸る殺気に反して、静かな声で言った。 「……決闘だ」 「分かりやすくていいんじゃねーの」 普段の飄々とした態度が嘘のように、感情を込めて俺を睨んでくるユーリ。ハン、それがテメェの本性か? 頼れる大人の面でも被ってあいつに近づいたんだろうが、俺は騙されやしねぇ。 「明後日、場所は追って伝える。逃げるなよ」 「負けたからってお兄さまに泣きつくのは無しだぜ?」 「……屑が!」 |