persona curtainCall

*カラー環境で見ていただけると嬉しいかも
*さらっとアシュナタ前提







1

 こんな悩みは自分のガラじゃない。そう思っても実際悩んでいる事実は変わりなく目の前を占拠して、足元を動けなくしてしまう。したいようにすれば良いと言われるが、流石に17年以上この立場で生きてきて無碍に扱うなんて事も出来る訳が無いじゃないか。どれだけ自分は無法者だと思われているのやら。
 つまらない気に入らないならばともかく、自分の為に方方手を尽くされ配慮されている事を知っているし、それを選択する事で親しい人間が僅かなりとも傷付くとなれば尚更慎重にはなる。けれど、その為にどうしても欲しい物を手放さなくてはならないという結果も選びたくない。
 実に困った、ここ最近はずっとそれで頭の糖分を使っている。なのに周囲はそうとも知らず好き勝手に喧嘩という名で好きなように暴れまわって、腹立たしいことこの上ない。だがその面々が悩みの種であり大事にしたい存在だったりするので、むしろ自分だけが無駄に悩んで置いてきぼりにされている気分だ。
 こんな時もっと、自分の立場に近い存在がいてくれれば。恥ずかしい事みっともない事でもあけすけに相談出来る、もうひとりの自分とも言える誰か。家族、親友、恋人……そう言える存在は確かに居るのだが、彼らの為でかつ彼らのせいである現在の悩みを告白するには少々都合が悪い。
 だからもっと近い、双子の弟よりも近いもうひとり。そう考えて浮かんだのは、随分前にルミナシアにやってきた、何もかも同じ異邦者。名前も、顔も、声も、見た目は髪の長さ以外全て同じだった。けれど、同じだからこそ違うと感じられたものもある。不思議な感覚だったが、それは双子の弟よりも違うと明確に言える差異。
 別れの際に交わしたあやふやな約束は今も宙に浮いたまま。自分から行くなんて事はしない、だから待っている。しかし今、あんな約束なんてしなければ良かったと思う自分がいた。
 会いに行こうか? いいや行くもんか! じゃあこのままにする? それもうっとおしい! 毎日そんな風に自問自答を繰り返し、飽々していた頃だ。世界最大のトラブルメーカーであり、世界に望まれた希望が不思議な植物を手に持って部屋を訪れたのは。


「ルーク、最近ちょっと元気ありませんね。私ずっと気になってて……これ、使ってみませんか? あと結婚を前提にお付き合いしてください」
「お前何にでもその語尾付けるの止めろよな、長ったらしいんだよ」
「すみません、私正直なのが売りなので嘘付けないんですディセンダーですから。あ、これは夢の実と言ってですね、これを食べるとぐっすり眠れて翌朝気分良く起きれるという食べ物なんですよ。あとユーリとは別れてくださいあの人今日も街で男にナンパされてましたよ浮気者ですよね!」
「話とっ散らかって面倒くせぇ! 1個ずつ喋れ!」
「私と結婚するかぱんつください」
「うぜぇから帰れ!」

 話が滅茶苦茶なクセに最終地点は全て同じなミアリヒとの会話は地味に疲れる。今日もしつこく部屋に居残ろうとする足をひっぺがし、強引に部屋から追い出した。ユーリは現在買い出し担当で外に出ており、珍しく船にひとりルークが取り残されている。
 普段は周囲がうるさい程に喧嘩やら言い合いをしているので滅多に無く落ち着いてぼんやり出来る機会だというのに、どこでチェックしているのやらディセンダーミアリヒがちゃっかり部屋を訪ねてきた、というのが先程の塩梅。何時もならば放っておくのだが、悔しくも彼女の言葉通り、最近のルークは少々沈み気味でピリピリしている自覚があった。
 ルークの周囲はそういった気配を敏感に察知する者が多いので、気を遣っている事を気取られないように動いているのが直感で分かる。その分かってしまう違いで余計にイライラしていしまう自分が嫌だな、と自己嫌悪に陥るのでこういったひとりになる機会は貴重だというのに。我儘な自覚がある分余計に早く解消したい。だがその急いた気持ちが余計にルークの余裕を無くしていた。
 落ち着いた時ならばミアリヒが訪ねて来た理由も、元気付けようとしているのだと受け入れる事が出来る。けれど今はどうにも、原因の一端である彼女の明るさが癪に障ってしょうがない。

「あーあ、俺何やってんだ……」

 ますます落ち込む苦しさに重い溜息を吐けば、ふと床に植木鉢が目に入る。両手より少し大きめの植木鉢に、ルークの膝くらいまで伸びたツル科の植物。葉っぱの緑が元気よく繁り、電灯に照らされ青々としていた。

「夢の実、って言ってたか。ほんとかよ?」

 しゃがんでよく見てみれば、隙間から真っ赤な実が幾つか垂れ下がっているのが見える。実の大きさは飴玉より少し小さめ、形良くつやつやしておりミニトマトのようだ。葉をかき分けてちょん、と指先でつつく。何の変哲も無く植物は迷惑そうに揺れるだけ。
 図鑑や写真で野鳥が咥えていそうな程に、見た目はごく普通の植物。ミアリヒが口にした、ぐっすり眠れる効果がこの実に詰まっているとは少々信じられない。第一バンエルティア号での生活で多少マシになったとは言え、こんなただの実を口にしたいとは思わなかった。果物のようにもう少し食べ物っぽい風貌ならば……いやしかし。せめてウィルやフィリア達のような知識人からの差し入れならば口にしても、と考えてルークは直接聞きに行く事にした。
 悩んでいる事は本当だし寝不足なのも事実、最近はそれが合わさって目つきが酷いとガイに言われているのも確か。解決出来るならばさっさとしたいと思っている、それがクモの糸でも藁でも、掴めるのならば掴みたい。何故だろう、最近は立ち止まっている自分があまりにも時間を無駄にし過ぎているんじゃないかという疑念が強く、以前とは考えられない程に己を苛んでいた。

 ぐっすり眠れる効果のある植物の実なんてものが存在するのか、そうフィリアに聞いてみた所……彼女のどこに火を点けたのか分からないが、大きな図鑑を両手いっぱい持ちだして、結局3時間も捕まって懇々と解説されてしまった。ウィルはきっと話始めたら止まらないだろうから、と避けたのにまさかフィリアがこうなってしまうとはルークには予想外だ。落ち着いた普段しか知らなかったので、少々裏切られた気分である。
 暴走していても流石というべきか、フィリアの説明は分かりやすく、時間いっぱいに新しい知識を得たルークの頭は今パンパンだ。買い出しから帰ってきたユーリに会いに行きたかったのだが、今日はこれ以上何かを頭に入れるのはお断りしたいのでさっさとベッドに入る事にした。まぁ気分的なものもある。
 自分のベッド横、サイドボードにはミアリヒが持ってきた”夢の実”。放置して部屋を出たのだが、ガイかティアが気を利かせて置いてくれたらしい。土には湿った後があり、水やりもしてくれたようだ。
 フィリアの話によると睡眠剤の効果を持つ植物は幾つか存在するという。ならばこれは、その内のひとつなのだろうか。流石にディセンダーが劇薬を持ってくる理由が無いのだし、元気の無いルークの為にと心配して持ってきてくれたのだから本物だと思いたい。

「……てかこれ、このまま食えるモンなのか?」

 外になっている実を直接食べた事はルークには無い。例え食べるとしてもそれはヴァンやガイが持ってきた食用のものだけ。ディセンダーの事は信用しているが、何しろ初めての経験なので躊躇もする。
 ルークはぷちり、と一粒実を取りよく観察してみた。一見すればどこにでもあるような、それこそ野草と言い切っても良さそうな見た目だが……。この世のものとは思えぬ程不味かったりしたらどうしよう、と思いつつもルークはぎゅっと目を瞑り勢いでそれを口に入れた。そして手近にあった水差しからドバッと溢れる程コップに水を注いで一気飲み。
 味を感じてしまう前にと一目散にベッドに潜り込んで靴を放り投げ、ドサリと枕に顔をうずめる。眠くなる眠くなる眠るなる! そう強く強く念じ続けて焼き切れそうな程に。
 瞑った瞼の暗闇に渦巻くのは沢山の物事。国や世界や両親の事、アッシュやナタリアの事、ユーリやミアリヒの事……。考えなくてはいけない事は大量にあるし、動かなくてはいけない事も山程ある。本当は何時までもアドリビトムに居てはいけない、居心地の良さに溺れていてはいけないのに。けれどもしこのぬるま湯から上がってしまっては、もう会えなくなってしまう人間が居るのではと、そう思うと抜け出す事すら足を止めてしまって。
 駄目なのに、駄目だけど。結局巡り巡ってひとつに集約されてしまう。ルークが最近頭を悩ませている事はただ単に……結論の尻尾がちらりと見えたと思った瞬間、深い深い穴に落ちてそれから一気に空までジャンプしたような浮遊感に襲われる。
 まるで雲の上を飛んでいるような覚束なさ。ふわふわと重力が無くなって足元が頼りない。自分は確かにベッドに寝ていたのにおかしいな? とぱちり目を開けた瞬間だった。本来ならばあるはずの枕はどこにも無く、電気も消して真っ暗なはずの部屋すら存在しない。
 ――そう、そこは紛うことなく、外だった。


「え、は? ……なんだ? どーなってるんだ!?」

 混乱したルークの大声はふわーっと広がり、近くの木々が返事のようにざわざわ揺れる。ぐるりと見回せば視界に入るのは池で、それ程大きくは無い。綺麗に石で仕切られており人の手が入っている様子が見えた。周囲をよく見てみれば敷き詰められた芝生に、色調を計算されたような花壇が並んでいる。この並び方はなんだか実家ででも見たような気がするな、と感じた。
 そうだ、庭園だ。思い出してルークはポンと手を打つ。実家で雇われている庭師のペールが、季節によって中庭を色とりどりに整えていたのを見た事がある。そういえばあの池も、夏にペールが造り上げた池の形にそっくりじゃないか。
 近寄って見ればまさにそれは確信に変わる。確か周囲に並べている石選びをルークも手伝ったのだ、幼い頃だがガイやアッシュと共に遊んだのでよく覚えていた。そしてある事を思い出し確かめようと石をひとつひとつ見ていくのだが、ぐるりと一周しても目的の物は無い。

「あっれ、おっかしいな。確かにあったんだけどな……鳥石」

 大量の石が屋敷に運ばれ、この中から庭に使う石を見繕うと聞いてそれをアッシュやガイと手伝ったのだ。その時に、歪だが鳥を象った石を発見して大興奮した思い出がある。最初は自分の部屋に飾ろうと思ったのだが、アッシュが次々と形の良い石を選出してペールに褒められているのを見て悔しくなり、これも使えと差し出したのだ。池が完成しても暫くの間未練たらしく通いつめていたので、無いはずが無い。
 なのにこの池には、その鳥の石が存在しないなんてどういう事だろうか。ルークは顔を上げて周囲を見渡し、他に何か気になる所は無いか探してみる事にした。歩いてみてすぐ、ふわふわとした足取りに気が付く。芝生が生えすぎて少々歩きにくい。もしもペールがこの庭を管理しているのならばこんな惨状ありえないだろう。
 しかし花壇の花々は実家で何度も見た事のある種類で間違いない。けれど点々と生えている木々はさっぱり記憶に無いものばかり。アドリビトムの依頼で様々な場所や植物を目にしたと思っていたが、どれも微妙に違うような気がした。
 似ているようで似ていない場所、記憶にあるけれど記憶にない池……ルークはハッと気が付く。

「もしかしてこれ夢か!」

 大変に今更ながら、ここに来る直前ルークはベッドに入ったんじゃないか。ミアリヒがくれた良く眠れるようになる実を食べて。ならばその次に目を開けた世界は夢だと考えるのが妥当だろう。こんなにはっきりと自分の意識があるというのにこれが夢だと分かるのは、やはり拭い切れない違和感が原因だった。
 どうにも目を開けた時から薄皮一枚通して世界を見ているような、現実感の剥離した感覚が纏わり付いていたのだ。変に記憶のある場所と、生えすぎたふわふわの芝生で騙されていたのだろう。改めて自分の頬を抓れば痛くない。いや、抓っている感触は伝わっているが、痛いという感覚が無かった。
 昔ジェイドに夢なのに夢だと自覚出来る夢があると聞いた事がある。聞いた時はそんなものある訳がないと思ったのだが、まさかこれがそうだとは。実に不思議な感覚で、ルークは少しだけはしゃいだ。
 重力を感じない足は大きくジャンプすればぴょーんと高く飛び上がり、周囲を見下ろせる。その心地良さと面白さに何度もジャンプしていると、少々離れた場所にぽつんと建物の屋根があるのが見えた。
 慣性に振られる体をなんとか制御してその建物に近付けば、石造りのちょっとした休憩所のようだ。全体を円柱にデザインされており、三角屋根は色味も少なく灰色のまま。丁度半分だけ壁があり、そこに椅子として台座が付けられている。そして中央には土台から床にくっついたテーブルが。基本的に飾り気は無く、小さな街のどこにでもあるような休憩所、と言うのが正しいかもしれない。ルークの身近で見た覚えは無く、これも夢の舞台のひとつなのだろうか。中に入ってみれば影になって少し薄暗い。なんとなくひんやりした空気が肌を舐め、腕に鳥肌が立った。

「なんか……変な所だな」

 口にしてみればますますそう思えてくる。明晰夢は自分の思い通りになると聞いたのに、この夢を自由に動かせる気がちっともしなかった。むしろ自分はどこかの舞台に落とされた客人のような感覚。気味が悪い、と思えばふとテーブルに置かれた一冊の本が目に入る。ルークはそれに見覚えがあり過ぎて驚く。

「これ俺の日記じゃねーか! なんでこんな場所にあるんだ?」

 すぐに触れて確かめる。色、大きさ、表紙の装丁……そのどれも間違いなくルークの日記帳だった。いや正確に言うと、日記帳、だった物。この日記帳はルークがヴァン達と修行の旅に出る前に実家で使っていた物だ。丁度使い終わって、旅に出る時新調して今は違う日記帳を使っている。
 誰かが持ちだした? 確かに今までの日記帳は机の引き出しに仕舞ってあるだけで、その気になれば誰でも持ち出せるだろう。しかしルークの実家はライマ国でも名高いファブレ公爵の屋敷、私設騎士団や数十名のメイド達が厳重に見回り警備しているのだ。それを躱して、わざわざルークの日記帳を持ちだして何の意味が? 日々のプライベートを書き連ねてはいるが、盗まれる程重大な事を書いた記憶なんて無いというのに。
 さっぱり意味が分からないが、とりあえずルークはペラリとページをめくってみる。この手触りは確かに自分が使っていた日記に間違いない、夢の中で確信するのもおかしな話ではあるが。
 だが、その感触を裏切るが如くに、この日記帳はルークの物ではないと気が付いた。

「なんだこのきたねー字は……ってか字にすらなってねーじゃん」

 まず最初に目に入ったのは、文字にすら程遠いミミズがのたくった線のようなもの。青色でぐるぐると、まるで子供がめちゃくちゃに書いたような酷い有り様が1ページ丸々占領している。奇跡的に文字にギリギリ見えるんじゃないか、とい線は幾つかあるにはるのだが……お世辞にも文字とは言えないだろう。
 もしやただの落書き帳なのか? これもただ偶然に同じ装丁だったというだけで、何の意味もない夢の産物なのかもしれない。むしろそう考える方が自然では、と考えたルークはまたしても裏切られる事になった。
 ページをめくる毎に、段々とぐちゃぐちゃの線が文字の装丁を成してきているではないか。そのペースは思ったよりも早く、ただの線だった最初から5.6ページめくった頃にはもう読めるものが幾つか。読める、と思った何よりの原因はその文字の羅列が、あまりにもルークにとって馴染み深いものだったから。

「ルーク・フォン・ファブレ」

 必死な文字達は、全てルークの名前を練習している青色の線だった。しかしそんなはずは無い、ルークが同じ装丁で使っていた日記帳はほんの1年前の事で、こんな文字を習いたての子供の頃じゃない。
 少し怖くなった。自分の知っているものが点在する風景、なのに知らない物が幾つも混ざっている世界。ここは本当に夢なのか? 何か……全く別の世界に迷い込んでしまったんじゃないのか。途端に不安になる胸中、変化を求めてページをサラサラとめくっていくとふいに赤色が目に止まる。

「文字、だいぶ上達したな」

 今度は青色とは違い、きちんとした文字で読める。しかし微妙にクセのある字体で、ルークはどこかで見たような気がしてしょうがない。読めなくはないが綺麗とも言いがたいこの文字、絶対に知っているはずなのにどうしてもひっかかって出てこなかった。
 突如現れた青色に、赤色は初めてルーク・フォン・ファブレ以外の拙い文字で返事を書き込んでいる。そしてその続きで青色が返事を書き込み……日記というかなんというか、段々と交換日記のようになっていた。

「おれ、るーく。るーく、ふぁぶれ、がい」
「ガイは違うだろ? ルーク・フォン・ファブレ、だよ」
「がいちがう? でもがい、せしる、おしえてもらった」
「ガイの名前はそれで合ってるって。お前の名前だよ、ルーク・フォン・ファブレ。というか名前だけそんなに熱心に練習しなくっても良いと思うんだけどな」
「もちものに、名前かくって。がいにおしえてもらったから、れんしゅう。がいにもいっぱいかいた」
「ガイにも書いたのかよ、駄目だろそんな事したら。怒られたんじゃないのか?」
「うん、ガイ怒ってた。けど、こんどはけせるぺんでかいてくださいねっていってた。また書いてもいいよね?」
「駄目だって、ガイは物じゃないんだぞ」
「ガイはガイだよ」
「知ってるっての。あー、もうとにかく、人に直接書いたら駄目って事だ。花瓶やカーペットや壁にも駄目だぞ、書くなら紙にしろ」
「すげーなんで知ってるんだ、なんで駄目?」
「遅かったかぁ。あのな、紙以外に書くと掃除しなくちゃいけないんだ。掃除はガイがするだろ? その間お前遊んでもらえなくなっちまうけど良いのか?」
「やだ」
「じゃあ、掃除しなくても良い紙にしとけ。分かったか?」
「うんわかった。紙に書く」

「……なんなんだよこの頭がふやけるようなやりとりは」

 一通り文字列を読んでルークの頭は起きてる時のように痛くなった。赤文字と青文字のやりとりはまるで子供と親のようで、読んでいて恥ずかしくなる。諭している方はどちらかと言えばリフィルのような教育者という立場ではなく、もっと身近なものを文面から感じ取れた。
 他のページを見てみれば赤文字の人物は率先して今日はどうだった何してた、と聞いて青文字から様々な言葉を引き出しているように見受けられる。日にちが進んでいるのか、始めは拙かった青色の文字も少しずつだが確実に読めるものになっていた。
 青文字は自身をルーク・フォン・ファブレと名乗っている。赤文字はまだ名前を出さない。読み進めていく内に、ルークも知っている名前がどんどんと出てきて止められなくなっていた。

「今日はどうだった?」
「今日はナタリアがきた」
「ああ、お茶会かな。楽しかったか」
「約束おもいだせない? ってきかれたけど、なんのことかわかんない」
「そりゃまぁ無茶な話だしなぁ。ナタリアと会うの嫌か?」
「ううん、ナタリアすき。おかしいっぱい持ってきてくれる。でもおぎょうぎわるいですわよってすぐ怒るのはこわいかも」
「テーブルマナーは大人しくナタリアに教えてもらっておけって、その方が穏便だしな。ひとつ忠告しておくけど、ナタリア手作りだっていうお菓子はまだ食べない方が良いぞ。それはもうちょっと後にした方が良い」
「でも今度とっておきのまどれーぬつくってくるって言ってた」
「じゃあ、覚悟決めておけ。先に言っておくけどナタリアが悪いんじゃないからな」
「よく分かんねーけど分かった」

「……ナタリア」

 ナタリアはルークが産まれた時からの婚約者で、初めて顔を合わせたのは物心ついた程幼い頃、ファブレ家自宅でのパーティだ。出会った時から凛々しく、ずっと婚約者だと聞かされていたルークは子供心に淡いときめきなんてものを育んでいたのを覚えている。
 現実会ってみると婚約者というよりも口煩い姉のような感覚で、恋の花は咲く気配すらなかった。なによりも、我が双子のくせに幼い時からクソ真面目に育ったアッシュと相性が抜群だったようで。真面目は真面目同士が良いんだろうな、と納得したものだ。

「今日は何してたんだ?」
「あのなー今日おひるごはんに赤くてかたいへんなのでてきてよぅ、母上がいっぱい食べなさいっていうからひとくち食べたんだけどなんもあじしねーの」
「ニンジンかぁ。うーん今のお前にとってはマズイ食べ物かもしんないけど、今の内に慣れておいた方が後々良いと思うんだよな」
「まずいっていうよりも、なんもあじしねー」
「あー多分素材の味を活かした風ってやつだな。子供舌だから当時はそんな事分かんなかったんだよなぁ」
「食べなきゃだめ? でもほんとにあじ無いぞ」
「シェフにそのまんま言ってみると良いぜ、もっと濃い味にしてくれって。シェフもプロだからなんか上手くやってくれるだろ、多分」
「分かったー」

 連々と描かれていく日常は、ルークにも何となく覚えがある日々だった。違う所もあるにはあるが、幼い頃は外に出してもらえなかったり勉強がつまらないと愚痴ったり……自分では忘れてしまったような取り留めのない出来事ばかり。
 しかし赤色の文字はそれらを経て少しずつ成長していく様を文章から読み取れた。ヨレヨレの文字はきちんと形を成し、最初は思考すら拙さを見せたのが今のページでは世界の情報を取り込んで喜びも不満もいっぱいになっている。そして青色の文字は、それらをひとつひとつ受け止めて答えを出してやっていた。
 まるで弟と歳の離れた兄のようなやりとり。いいやこれぞまさに家庭教師、のような? ルークにとってアッシュは双子、ガイは年上ではあるが学び教わるというよりも共に育つ兄弟だった。近いとなればヴァンかもしれない。だがヴァンでは恐れ多すぎて緊張してしまう。
 この時点でルークはなんとなく、この2色の人物が誰だかぼんやり分かりかけている。もう少しだけ読み進めてみよう、とどんどんページをめくっていくと、遂に最近の書き込みにたどり着いてしまった。次をめくっても白紙、という事はこの文字は昨日今日書かれた物。

「なー、そのうちって何時?」
「いきなりどうした、なんの話だ?」
「前にまた遊んでくれるってやくそくしたのに、全然来ない。来てくれたのはガイとアッシュ兄上だけじゃん。ティアとかアニスとかミアリヒはいつ来んの? そのうち会えるって何時だよ」
「あー、そういやそんな約束したな。お前今いくつだ?」
「いち、にい、さん、しぃ、ご。ごの次なんだっけ」
「いやとりあえずまだ先ってのは分かった。ってかアッシュとは会ったのか?」
「うん、俺がいっぱい勉強したらあそんでくれるって。でもいっぱい勉強するってどれくらいなんだろ」
「そうか、そんな初期から会ってるなら次会う時は俺の時とは違うかもしれないな」
「なーそんな事よりしばらく先ってどんくらい先なんだよーなー」

「こいつ、やっぱりあの時のチビかよ!」

 幼い時、ガイやティア達の名前、会う約束……。同じ顔同じ名前、幼い自分。この赤い文字の人間は以前バンエルティア号に落ちてきた子供の自分だとはっきり確信した。ではおそらく、相手をしている青い文字の人間は年齢も同じオールドラントのルーク・フォン・ファブレに間違いない。
 こいつらは同じ人間のくせして夢の中で何故に交換日記なんぞをしているのだ? と思ってルークはハッと気が付く。そうだ、ここは自分の夢の中なのにどうしてこんな物がここにあるのだ? 日記はどう考えてもふたりの人間が時間をかけて綴った物。ルークの夢が造り上げた舞台装置にしては精巧過ぎる。
 まさか、ここは夢の中ではなくどこか不思議な空間で、迷いこんでしまっただけなのか。それにしては自分と繋がりのある人物と上手い具合に繋がったような気もする。いいやむしろ、自分同士だからこそ呼び合ったのかもしれない。その割には自分は随分と出遅れたな、という悔しさが残るが。
 ふたりのルークは先に楽しそうに会っていたのに、これでは自分だけが除け者じゃないか。もっと早く声をかければいいものを、こうしてここを訪れなければ自分はずっと知らないままだったなんて許せない。
 ルークは懐かしい人物に会えた喜びと、自分だけ呼ばれていなかった悔しさに腹を立てた。テーブルに置いてあるペン立てと、カラフルなインク壺が幾つか。その中から適当に選んで勢いで書き込む事にした。

「おいおめーらこんな所で何やってんだよ。俺の夢の中で好き勝手しやがって、ちゃんと俺に許可取れっつーの」

 こんなものか。そもそもこの夢はルークの夢なのだから、それを間借りして待合所として使うなんて図々しいのである。そういう事はきちんと持ち主に許可を取ってもらいたい。ルークだって口にはしないが、彼らと再び会える事を楽しみにしていたのに。
 特に最近の現実世界における不似合いな悩み事を抱えて、ほんの少し逃げ場が欲しいと思っていた所だ。アドリビトムは心地良いしバンエルティア号は快適だが、ひとりになれる空間は案外少ない。ぼんやり考え事をしようとウロチョロしていると、必ず誰かしらに見つかってどうしたんだと親身に聞かれる。彼らが良い人物なのは重々承知だ、分かっているがだからこそ相談出来ない事もある。
 ガイやティアらのライマの人間では近過ぎて、クレスやロイド達では恥ずかしい。ユーリやミアリヒは問題外である、そもそもの原因の一端が彼らなのだから。
 だから、ルークはもうひとりの自分に会えた事が嬉しくなった。正確にはまだ文字の上ではあるが、全くコンタクトを取れない状況より断然マシだ。

「……てかこれ、返事はどうやって返ってくるんだ? もしかしてこのまま待つのかよめんどくせー」

 じっと待ってみるがどれだけ見つめてページは真っ白なまま、何も変化しない。もしやこれは、返事は眠るごとに待たなくてはいけないのだろうか。これはまた随分と気の長い交換日記だ。人と人の間で行われる物ならばそれが当然かもしれないが、ルークは自分なのに。
 ルークが書いて、ルークが返事をして、またまたルークが書き込んで……。考えてみると少々馬鹿らしい。けれどどこか心躍る嬉しさは間違いない。久方ぶりの親友に会えたような、無事だったのかという安心感。そういえばオールドラントのルークは一度消えたとミアリヒから聞いたのだが、今はどうしているのだろう。
 日記に付け足そうかどうか悩んで、自分からガツガツと食いつくのは恥ずかしいと思って止めた。こんな無意味な意地で悩むという無駄さは分かっているのだが、これも自分なのだからしょうがない。
 ルークは椅子に腰掛け、夢から覚めるまで日記をもう一度読み返す事にした。






←  


inserted by FC2 system