オルタ・ヴィレッジ在住のやる気のないごく一般的な若者(16)の青臭い日常を綴る記録の内の極端な天災に出会った時の出来事








「……お兄ちゃん」

気が付いたのは妹の声。心配そうな声だったもので、つい振り返ればもう僕達兄妹以外誰も広場には残っていない。キョロキョロを辺りを見回すと、広場を出た少し先に人だかりが。どうやらさっきの演者が観客に取り囲まれているみたいだ。
逃げようにも隙間が無さそうだし、村を知らない人じゃどこに行けばいいのか分からないだろう。僕は特に何も考えず立ち上がり、フラフラとそこへ近付く。背中からまた妹の心配そうな声がしたけど、片手を返しただけ。今の僕は謎の使命感に支配されているのだ。

「アビスマンかっけー!」
「なーその仮面どうなってんだ?」
「馬鹿ね、正義の味方の正体は秘密に決まってるでしょ?」
「なんで秘密なんだよー、悪を倒してんだから給料もらえばいーじゃん!」
「なーなーさっきの、すっげー飛ぶやつもっかいやってくれよー! ひえんしゅんれーんざーん!」

アビスマンはあの格好のまま、子供達に囲まれて狼狽えている。ちびっ子は遠慮が無いから、仮面を剥ぎ取ろうと平気で体を登ろうとしてくるんだよな。けれど相手はやっぱり子供だから、乱暴に対処する訳にもいかなくて良いように遊ばれていた。
助けに入ろうとしていた騎士はこれまた女の子に囲まれて、顔は嬉しそうなのに足が震えている。そしてそのもっと横には、女の子や奥様達に囲まれている悪の大魔王が。
あのふたりは見捨てよう。僕の頭の中は素早く決断され、すたすたアビスマンに向かって歩く。

「おい君達、こんな所に集まってて良いのか? あっちのパーティ会場じゃでっかいステーキが出てきた所だぞ!」
「えっほんと?」
「お肉なんて滅多に食べれないよね、すごーい」
「ケーキは? デザートはあるの?」
「勿論だ、今日は特別だからな。ほら早く行った行った!」
「わーい!」

子供は食べ物で釣るに限るね。わさわさーっと急激に去って行き、後に残されたアビスマンは呆然としている。そして僕は流れるような動きでその手を取って、また誰かに声を掛けられない内にその場を脱出する事にした。
横を通り過ぎた時、騎士の人が助けて欲しそうな雨に濡れた子犬のような目で見てきたけど僕はそれを無視する。爆発すればいいんだよケッ。

「ここなら宿屋も近いし、今ならあんまり人通りも少ないから大丈夫だと思う」
「はぁ、そーかよ…っと!」

安全そうな場所まで逃げてくれば、アビスマンはすぐに仮面を外してしまった。すると一体どうやって収納してたんだろうってくらいの長髪がばさっと広がって本人の顔が晒される。
そういえば昨夜は声だけを聞いたから、誰がアビスマンだかよくわからなかったんだっけ。記憶を辿れば昨日案内した誰かだろうけど、名前まで聞いてた訳じゃないから……。

「あーもーマジさいっあくだったぜ! 主役だっつーから引き受けたのに、なんだよこのわけわかんねー話! おまけにアビスマンって、いきなり空気ちげーだろ!?」
「うわ、この人だったのか……」

正体を見て僕は再び肩を落としてしまった。何故なら正義の味方の正体は、しょっぱなから文句言いまくってあの金髪の人や綺麗な女の人にアレコレ世話を焼かれてた人だったから。
元・アビスマンはマスクを脱いだ途端、練習はキツイはマスクは汗臭いわセリフ暑っ苦しいわ……と、これでもかというくらい愚痴愚痴言い始めた。僕もそりゃ愚痴っぽい方だけど、聞く側になるとあんまり良い気はしないな。反省しよう。
まだ続くの? というくらいのアビスマンの愚痴に、僕は早速助けを決意した心が萎えていた。

「おまけによーあいつなんだよ悪の大魔王! なんで主役の俺よりあっちのがキャーキャー言われんだよ! どう考えても俺の方が格好良かったし強かっただろーがむっかつくぜ!」
「あ、それは同感かな」

僕はすぐさま同意して、アビスマンへの親近感が湧いた。なんて都合が良いんだろう。けれどあのきっぱりと2色に別れた派閥(子供と女性陣)を見ていれば、男ならばちょっとくらい同感する所はあるはず。
それで、気を取り直して僕はこの正義の味方に正直な感想を伝えた。あんまり誰かに気持ちを伝えたりする事が無いのでちょっと恥ずかしいけど、あの時の衝撃は確かにこの人の言葉だったから。

「あの、貴方のセリフは結構感動……した」
「へっ? どこのことだ?」
「悪の大魔王が、正義の味方なんて忘れられる存在なんだって言った後のセリフ。自分がしたいからするんだ、って所。台本だとは分かってるけど、なんかこう……格好良かった。本当に」
「あ、あーあそこ! ……あそこのセリフど忘れしちまって、アドリブで誤魔化したんだよな!」

まぁあの時あそこだけ変だったからそうじゃないかと思ってたけど、それこそ誤魔化しておけば良いのに。変な人だなぁと思うと同時に、僕の中でこの奇妙な正義の味方の株はうなぎ登りだった。

「僕の父さん、故郷の村に帝国の軍人が来た時に抵抗して殺されたんだ」
「へ……」
「大人しく逃げておけば良かったのに、中途半端な正義感で立ち向かって無様にやられちゃったんだよ。無事だった村のみんなと一緒に命からがらここに流れ着いて、今なんとかやってるけどさ、なんていうか……世界はもう争いなんてしないから、だから今までの悲しい事や死んだ父さんの事も全部忘れられちゃいそうで、僕は平和になるのが嫌だった」
「はぁっ? んな事ねーだろ!」
「うん、でもみんなどんどん死んだ人の話もしなくなって、墓参りに来る人も減っていって、笑顔になっていってさ。村の為に死んだのに誰も覚えてくれないなんて冷たいって、思うようになっていったんだ」

平和になったんだよ、と言われてから父さんの話を避けるようになったみんな。特に同じ故郷の友達は気まずそうにこっちを遠巻きに見るだけ。僕は父さんを忘れられるのが嫌だった。みんなの為に死んだのに、みんな忘れていくなんて酷い。
婚約者が亡くなって毎日泣いて共同墓地に立っていたお姉さんも、少しずつ忘れていって今では毎日あそこに通っているのは僕だけだ。僕以外誰も悲しんでいない。
それを、目の前の正義の味方は嫌そうな顔できっぱりと否定した。

「ずーっとメソメソしてたら誰だってうっとおしいっつの。お前の父上だってそんなつもりで命かけたんじゃないだろ」
「それは……分かっていても、簡単に納得出来る事じゃないっていうかさ……」

認めにくい事だけど、僕は責任の擦り付けをしていたんだ。どうして父さんが忘れられちゃうんだろう、どうしてみんな忘れるんだろう。みんなを帝国から逃す時間を稼いだのは父さんなのに。
理不尽からの疑問が抑えきれなくなる頃には、追及の手は父さん自身にも及んだ。なんで父さんはあの時逃げなかったんだ。どうせあの人数じゃ勝てっこないのに。無駄に格好付けて、それくらいなら一緒に逃げてくれれば良かったのに、と。
家族は生きているから最悪答えてくれる。けど父さんは死んじゃったから答えてくれる事は一生無い。じゃあ一生自分の殻に閉じこもっていなくちゃならないんだ、と人生を諦めていたのが今だった。

「なんだかんだで生きてる妹も母さんも大事だから、父さんを悪者にして無理矢理納得させてた。でもそれって辛いから……他の人に当たり散らさないようひとりで居たんだ」
「おっまえ、……最初会った時から思ってたけどマジ辛気臭せぇ」
「これでも元は村一番の元気少年で名を馳せてたんだよ、今じゃ村一番の引き籠もりだけど。でもさ、アビスマンは誰の為でもない正義を貫くんだろ? 誰かの為にやってる事じゃないって、アドリブでもそう言ったよね」
「まぁ言ったけど、んな深く考えて言ったんじゃねーぞ」
「多分父さんも同じだったんだと思うんだ。あの人単純だし。相手が大人数だろうが自分が死ぬかもしれないのも気にせず、ただ僕達家族と村の為に戦ったんだ」

こんな単純な事、母さんや妹はとっくに分かっていた事なんだろう。多分他のみんなもそう。ただひとり僕だけが、ぐじぐじ難癖付けて引き止めていたんだ。
守るべき相手に憎まれても、自分の意志で正義を貫くのが正義の味方。きっと父さんも同じ、僕らにとって正義の味方だったから。僕が悩んで恨んで、あの時引き止めていたとしても、父さんは同じ事をしていたはず。
溜め込んで鬱々としていたものを正義の味方が粉砕してくれた。僕にとってはそんな気分だ。だからつい、素直な好意を口にしてしまう。さっきも言ったけど僕は元々素直で元気な好青年だからね。自分で言うのもなんだけど。

「なんか、こんな事を言うのは変かもしれないけど、ありがとう。文句ばっかり言う人かと思ったけど、中身はちゃんと正義の味方なんだね」
「一言余計だぞ……。俺は別に何もしてねーよ、お前が勝手に納得してるだけじゃんか」
「まぁそうだけどさ、でも気付かせてくれたのはアビスマンだし。それに、あの時言ったセリフがアドリブだっていうならやっぱり貴方の素質なんだと思う」
「アビスマン言うな! もうやんねーからな絶対!」
「そんなの勿体無いと思うよ、せっかく練習してたのに。僕もどうせなら最初からちゃんと見たいし、またやってよ」
「だから嫌だっつってんだろ、褒めても無駄だっつーの! それにやっても喜ぶのはまたガキだけじゃねーか」
「僕は断然アビスマンの方が格好良いと思ったけどなぁ。特に大魔王とのアクションシーンは凄かった! あれもギルドで普段鍛えてるから出来るんだよね? 凄いなぁ」
「え、う……まぁ、そりゃ日頃から修行してるっちゃしてるけどさ……」
「ギルドの仕事ってあんまりよく知らないんだけど、やっぱり困ってる人を助けるのが主なんだよね? 今回のボランティアだってギルド側からの申し出だって神父様が言ってたし。って事は貴方は根っからの正義の味方って事になるのかな? 本当に凄いんだね」
「ちょ、ちょっと待てお前なんか勘違いしてるぞ! 別に俺はそんなんじゃなくってだな……!」
「謙遜なんてしなくって良いよ、でも謙虚な気持ちを忘れないって所はますます格好良いね!」
「きっ聞けよ馬鹿野郎ー!」

舞い上がった僕はついベラベラベラベラ、押さえ込んでいた生来の基質が復活した途端に爆発して喋り倒してしまった。父さんの件もそうだけど、僕は結構思い込みが激しいので一度凄い人だ! とか格好良い! とか思うと止まらないんだよね。
それで妹がよく止めに入ってきたものだけど、今妹は悪の大魔王様にキャーキャー言ってるだろうから誰も止める人がいない。
褒められ倒されるアビスマンは、晒した素顔をカーッと赤くして照れている。僕を止めたいんだろうけれど、僕は負けじと些細な事でも掘り起こして褒める体勢に持ち込むものだから、強く言い返せないみたいだ。
流石に仮面を被っていても滲み出る高貴さ、とかってのはぶっ飛び過ぎてたみたいで目を丸くされてしまった。でもそんな変化する表情が逐一親近感を湧かせる。
表情が見えるってのもあるんだけど、言葉使いは乱暴でも案外純真みたいで、ちょっと楽しくなってきた。あんまりにも僕が褒め続けるからアビスマンは遂に逆ギレが入ってしまった。

「テメーいい加減にしろ! これ以上馬鹿な事言ってんじゃねー!」
「僕は思ったままを言ってるだけなんだから、素直にそのまま受け取ってくれたらいいだけなんだけど」
「言いすぎて嘘くさいんだよお前のは! もうつまんねー事言うな!」
「つまんない事って……僕を救ってくれたのは間違いなくアビスマンだから、その演者である貴方を凄いと思うのは当然じゃんか」
「あーっもーっ! もうお前なんか知らねー!」
「アビスマンって、格好良いだけじゃなくって可愛い所もあるんだね。ますますファンになったかな」

あははと笑いながらと言うと突然、背中にゾクッと寒気が走った。春の初めに入ったばかりで、ちょっと肌寒い事もあるけど太陽の高い昼間でそんな事あるはずないのに……驚いて、僕はくるりと振り返る。
すると目に映るのはいつもの村の風景……ではなく、真っ黒い悪の大魔王だった。

「お坊ちゃんよ、正義の味方のくせにいきなり誘拐されるから探したぜ。まぁ探さなくてもあんだけギャーギャーうるさいからすぐに分かったけど」
「うっせーないちいち追っかけて来てんじゃねーぞ悪の大魔王のくせに! テメーなんか女達に囲まれて鼻の下伸ばしてろばーか!」
「オレが何時鼻の下伸ばしてたんだよ。ああいうのは一時的なもんさ」
「あ、えーっと、いきなり誘拐してすいません……」

最初に見た時もそうだけど、この人は他人慣れしてるというか、大勢の知らない他人の中でも自己を強く持っている感じがする。だってあんなにも女の子にキャーキャー言われれば多少なりとも何か反応があるはずだろ? いくら現引き籠もりの僕でもあれだけモテれば格好良く顔を引き締めようとしても、どこかでデヘっと鼻の下を伸ばしてるぞ。同じようにモテていた金髪の人は愛想良くしてたけど、どこか腰が引けててなんだかよく分からないし。
まぁでも、とりあえず近くで見れば妹や奥様方がキャーキャー言うのも納得なくらいの格好良さだ。離れて見れば黒髪長髪のせいで中性的に見えるから、あっ綺麗な人だなーと思って近付いてみれば男でこりゃびっくり。身長は結構あるし胸元見せびらかしてる上どこか態度でかいけどなんとなくそれが似合ってるような。うーん、上手く纏まらないけど爆発しろ。
黒髪をさらりと翻し、僕の横を通り抜けてアビスマンの元へ。演劇の配役とは反対に、アビスマンは悪の大魔王が得意じゃないみたいでますます怒りだしている。

「大体テメーがちっとも戻らねーから船での稽古も出来なかったんだぞ!?」
「稽古なんかしなくっても俺の演技は完璧だ、っておっしゃる正義の味方さんならてっきり大丈夫だと思ってな。途中のセリフ、抜けてたみたいだけどよ」
「カ、カバーしたから良いんだよっ」
「まぁあそこはあれで良かったとオレも思うぜ。元々あの配役なら演技しなくっても素のままで十分だとは思ってたし」
「はぁ? どーいう意味だよそれ」
「そのまま元気に育てよー、って意味」
「馬鹿にしやがって!」
「今のでなんでそーなるかね、オレは褒めたんだぞ?」
「どこがだ馬鹿野郎!」

僕も馬鹿にしてるとちょっと思った。けど、なんとなく今ふたりの間に割って入ろうとすると、謎の悪寒に震えるのでやめとく。本当になんでだろう……。
悪の大魔王と一緒のアビスマンは、見た目以上に年下に見えてくるのが不思議だ。面白がってからかわれ、簡単に反応しちゃってるせいかな。でも怒れば怒る程悪の大魔王が楽しそうに笑みを深めてるのが怖い。やっぱり悪だこいつ。
悪にいじめられる正義の味方を助けてあげたいけど、僕のつま先がピクリと動けば大魔王の横目がちらりとこっちを鋭く射してくる。
引き籠もり期間中に得た敏感な危機察知能力(いい加減外に出なさい、とか最近どうなの? と言われそうな空気を読む能力だよ)が、非常にピリピリしたものを感じ取って動けなくしてしまう。
な、なんだろうこの戦場に出た時のような緊張感。僕出た事無いけど。

「どっちにしろ今日で仕事は終わったんだからもう戻ろうぜ。直前まで依頼だのなんだので、全然休ませてもらえなかったしな」
「ちょ、待てよおい引っ張るなって!」
「それじゃ、オレ達はここらで失礼させてもらうからよ」

じゃーな。と、余裕のある中に何かトゲみたいなものを感じて、ただの一般人かつモブである僕はコクコクと頷くしかないのである。これが主役と脇役の差なんだろうか。
夕暮れ始めた空の、ちょっと薄暗さが大魔王の闇色によく溶けて似合っている。作り物の角も刺々しい衣装も、影が誤魔化して本当に悪の大魔王みたいだった。通り過ぎた横顔は僕の方なんて微塵も見ていなくて、逃すまいとしっかり握った正義の味方の手だけを見ている。そのまま嵐のように去っていき、残された僕は呆然と見送るしかなかった。
大魔王が現れるまであった僕の興奮はすっかり落ち着いていて、追いかけようとまでは思わない。ただもうちょっと話したかったな、と残念な気持ちがあるだけだ。また明日会えるかな? 正義の味方の名前はその時にでも聞こう。
引き籠もりを脱却した僕はすぐに家に帰って母さんに今までを謝ろうか、それとも先に日課である共同墓地で父さんに手を合わせてこようか少しだけ迷った。けれどもうどっちでも良いかな、なにせルミナシアは今日も明日もこれからも、ずーっと平和なんだから。




*****

引き籠もりが治ったからといって、体がすぐ付いてくる訳じゃない。毎朝惰眠を貪っていた僕は、今日から昔のように明るく元気だけが取り柄だとか言われてた頃のように生活するぞ、と決意とは裏腹に、妹がしびれを切らして起こしに来るまでちっとも目が覚めなかった。染み付いたものってそう簡単には落ちないんだよね、残念ながらさ。
妹はパンを食べながら、会場の片付けを手伝いに行くんだとやたらニヤケた顔で嬉しそうに言ってる。昨日悪の大魔王を近くで見てあまりの格好良さにファンになってしまったらしい。また会えたらなぁという狙いと、あわよくば名前を聞いてデートなんかしちゃったりなんかして! ときゃあきゃあ奇跡的過ぎるにも程がある夢を口にするもんだから僕は兄として恥ずかしいよ。
なにしろ僕も、引き籠もり脱却を記念して手始めに片付けを手伝いあわよくば昨日の正義の味方にまた会いたいなと思ってるんだから。兄妹ってほんとよく似てる。
妹が家を出る時に僕も行くと言って一緒に外へ出れば、妹は驚いた目で見てきた。なんだよその視線は、と言えばなんでもない、と素っ気なく返される。それから小さく元気になったのかな……と呟く声が聞こえてしまったのを、知らないフリしておく。
女性は男性より精神的成長が早いって聞いた事があるけど、全くその通りだと思うよ。故郷では僕の方が妹を守っていたのに、オルタ・ヴィレッジに住むようになってから立場がめっきり逆転してしまった。
けどこれからは兄としてちゃんとしないとな、と僕はあくびをしながら新たなる決意を胸に秘めるのである。

昨日の会場に着けばもう片付けが始まっていて、舞台は解体されている真っ最中だ。あんなに立派に作ってもらったんだからちょっと勿体無い気がするなぁ。
妹は悪の大魔王を探してキョロキョロ周囲を探すが、当然というかお目当ての真っ黒い奴は居ないのでがっくりしている。もしここに居たらまた囲まれて片付けなんて進まないんじゃないの?

「じゃあ私、料理の方片付けてくるね」
「ああ分かった」

切り替え早く集まっている人達に声を掛けて、ささっと混ざる様子は流石だ。快く返事した僕ではあるけど、ぶっちゃけ舞台を片付けている中に混ざっていくのは勇気が必要で二の足を踏んでいる。
だって僕今まで引き籠もりだったんだよ? そのクセフラフラと毎日墓参りに行ってブツブツ恨み事呟いてるもんだから、村の人達には頭がおかしくなったんだろうって同情されてるくらいなんだからね? 自慢にもならないけどさ。
どうしよう、決意した一日目から挫けそうだ。妹が戻ってきて、舞台を片付けてる人達に兄をお願いしますと言ってくれないかな。駄目かやっぱり。
広場の入口でウンウン唸ってると、聞いた事のある声がかかる。

「あら、こんな所でどうしたの?」
「あ、えと……片付けを、手伝おうかと思ってるんだけ、ど……」
「まぁ、それはありがとう助かるわ。それじゃあ教会でゴミ袋を沢山用意してもらってるから、それを取りに行ってもらっていいかしら」
「それくらいならいくらでも」
「中でルビアがお手伝いしてるから、すぐに出してくれると思うわ。お願いね」

シスターの、劇で最初に司会をやってた確か……アンジュさん、だっけ。にっこりと笑顔で言うものだから、元々手伝うつもりでボーっと立っていた僕は一も二もなく頷いた。
すぐに教会へ向かって歩き出すけど、頭の中の地図を広げれば少々遠い。どうしようかな、と考えた僕は夜中に彷徨いて見つけた短縮ルートを使う事に決めた。細い建物の隙間を縫って行けばあっという間のはずだ。
これで自然に混ざれるな、とちょっとウキウキして早くなる足に任せていると、ふと目についた壁がある。別にこの村の建物ならどこも見た事はあるんだけど、それとは別に記憶に残っている建物があって、特に目立つのは宿屋だ。
ここは最初に難民を受け入れる用に作られた宿屋だから、他よりも大きくて頑丈だし、目立つように造られてる。それは良いんだけどカラフルな壁の色よりも目立つものを見つけて、僕の踵はつい飛んでしまった。

「アビスマンじゃないか、なんか顔色悪いけど大丈夫?」
「誰がアビスマンだ誰が! その名前止めろっつーの」
「だって僕それ以外知らないし。あ、正義の味方とかは?」
「ルークだ、ルーク・フォン・ファブレ!」

宿屋の裏路地をふらふら壁伝いに歩いてる朱毛はよく目立つ。昨日は気付かなかったけど、彼の長髪は毛先に行くごとに金色に透けてて綺麗だなぁ、とつい目が行ってしまう。
名前を聞けて嬉しいけど、ちょっと掠れた声でかなりダルそうに答えるから、僕は心配になってしまった。昨日は疲れも見せず大声で怒鳴ってたように思えるんだけど、見えない所で疲労が溜まってたのかもしれない。
ルークの足取りが覚束ないから、僕が気を使って肩を支えるとビクリと驚く反応をされた。え? と思って顔を見てみれば、眉をぐにゃーっと曲げてどうしたらいいのか困ったような顔をしているもんで、逆にこっちが困るんだけどな。
私服は初めて見るんだけど、お腹を出して寒そうってまず思った。これ冬でも出してるの? そして不自然に襟元をぎゅっと掴み首元を隠している。それじゃ片手が塞がって不便だと思うんだけど、ルークは頑なに手を緩めなかった。

「えーと、どうしたのどっか怪我した?」
「いや、ただちっと疲れた……だけだ」
「あ、やっぱり劇が大変だったんだ?」
「劇の方は終わっちまえばなんでもねーよ、結構面白かったし。どっちかと言うとその後がしんどいっつーか大変だったっつーか……」
「その後? 打ち上げでもしたの?」
「……………………まぁ、似たようなモン」

やけにたっぷりと間を開けて、苦渋に滲んだ表情で言うものだから、大人達が夜な夜なやる打ち上げとはそんなに大変なものなのか、と恐ろしくなった。
建物の影ってのもあるけど、ルークの顔色は暗いし腰を庇っているのか立ってるだけでもしんどそうに見える。なら宿屋で休んでればいいのに、と言えば休んでる方がしんどいんだよ! と何故か僕が怒られた。意味不明だ。
とにかくどこか適当な所を探して外に出てきたらしいので、正直な僕はチャンスだと思ってふらふらしたルークの手を掴まえた。

「あの、それなら森の泉に行かない? 静かで落ち着いてるし、水が冷たくて気持ち良いんだ。良かったら案内するよ!」
「あー、そうだなぁどうすっか」

シスターからお願いされたゴミ袋の件はすっかり頭の隅に追いやられて、僕は是非にでも彼にあの綺麗な景色を見てもらいたくって張り切った。以前は魔物が出て近付けない場所だったけど、ルミナシアに緑が復活してからは清浄な空気が生まれて体を休めるのに最適なんだ。流石に夜は行けないけど、時々あそこで時間を潰していた僕にとっては馴染み深い秘密の場所になっている。
そんな自慢を彼にしたいと思って、鈍い反応でも強く推し続けた。

「やっぱり怪我してるから動きたくないとか? 首押さえてるけど寝違えたの?」
「うえっ!? あ、ここここれは違う、関係ないやつだ! きききき気にすんな!」

気にするなと言われても、いきなり顔を真っ赤にしてどもる姿を見て気にしない方がおかしいと思う。
昨日ちょっと話しただけだけど、ルークが照れ屋で素直じゃない性格なのはなんとなく分かった。それと根が正義の味方並に良い人ってのも。だからやっぱり、変な寝方して首を傷めたのを恥ずかしがってるのかな。
昨日まで元引き籠もりかつ毛布と友達だった僕は寝違えた痛みというものもよく知ってるから、対処法を教えてあげようと思ってルークの首後ろを触ろうとしたんだ。熱を持ってるなら冷やした方が良いし、どこか打ったのならコブが出来てるだろうって。
でも僕の指先が、ルークの首を覆う白襟に触れる事は無かった。

「……っ!」

動物的直感、てやつ? 昨日とは比にもならない寒気が僕を襲って、すぐさま振り向く。するとそこには逆光で真っ黒い誰かが道を塞ぐように立っていた。いや、逆光じゃなくて単純に黒いんだ。昨日の、悪の大魔王。

「ったく、人に片付けさせてる間に消えんなよ」
「……うっせー、おめーがわるい」
「はいはい、申し訳ありませんでしたお坊ちゃま」
「へ? えっと……」

僕と大魔王の間で、冷たい糸が張ってると思ったのは勘違いなんだろうか。そんなもの知らない、とばかりに僕の横を通り抜けてルークの肩を支えた動作は悔しいくらいにごく自然だった。
それと、これも気のせいなのかどうか分からないけど、大魔王が剣を持つ手が嫌に主張してくるなーって気もするんだけど……。ギルドの人なら日常武器を携帯しててもおかしくないし、ちゃんと鞘に収まってるから問題は無いはずなんだけど。
大魔王が現れた途端に、僕はぽつんと取り残されて呆然としてしまう。昨日みたいにルークが怒って喧嘩しちゃうのかな、と思ってたら別にそんな事は無くて、むしろ正反対みたいな? あれ?
ルークの表情は怒ってはいるけど、それだけじゃないようにも見える。まぁようするにふたりの距離が近すぎると思うんだけどどうだろう。もしかして世間一般じゃその距離がスタンダードなの? 僕が自分の殻に引きこもってる間に一体どんな事になってるんだ。
目の前の入り込めない空気に僕が狼狽えてると、ヒソヒソ話は終わったみたいで大魔王が有無を言わさない笑顔を向けてきた。

「こいつ、まだ昨日の疲れが残ってるみたいだから宿で休ませとくわ。悪いな、森の泉はまた今度にしてやってくれるか」
「あ、うん……。それは良いけど、大丈夫?」
「大丈夫だって、オレがちっと張り切りすぎただけだ」
「へ?」
「いや、こっちの話」

気にすんな、と似たような事を言われたけど……悪の大魔王には返事を許さない謎の迫力がある。僕は謎の寒気に襲われて、こくこくと頷くしかない。
顔の赤い、ちょっと不満そうなルークは去り際軽く手を上げて行ってしまう。頼りない背中を見送って、明日また誘ってみようかなと僕はぼんやり考えたんだけど、背後から遠慮無く刺す痛みにビクリと振り返った。

「え、……と?」
「ん、どうした」

後ろには悪の大魔王はにこやかに立っているだけ。剣は鞘から出てないし距離もそれなりにある、いきなり斬りかかってくるなんて有り得ない、はず。けれど僕は今の瞬間、確かに痛みみたいなものを感じ取った。
自分の感覚が信用出来なくてキョロキョロ不信がっていると、相変わらず聴きやすい声が冷たく僕の耳に入ってくる。

「天然ってやつは厄介だよな、それと気付かず人のツボ押しちまうんだから」
「ツボ……? 僕はあんまり健康療法っての興味ないなぁ」
「まぁ、オレも昔から天然ってやつには勝てないからわざわざ藪は突かないけどよ」
「??? なんの話してる?」
「好奇心は猫をも殺す、って話。本当の猫ならそんな事しねーけど、猫じゃないなら……」

冷ややかな瞳は刃のように鋭くて、僕の心臓は一瞬切り刻まれたかのように止まってしまった。故郷に帝国の軍人が侵略しに来た時の恐怖とは違う、もっと別の……そう、魔物に命からがら追いかけられた時の恐怖を思い出した。
あの時はすぐに逃げ帰れたけど、今僕の足は竦んでちっとも動けない。目の前に立つのが本当に、あの劇のように悪の大魔王ならば僕はどうなってしまうんだろうかと本能的な慄きで体が震えた。

「ま、大人気ないか……。気にすんな、もう無いだろうからさ」
「……え、えぇ?」

僕があんまりにもガタガタ震えるのが笑えたのか、大魔王はさっきまでは何だったんだってくらい表情を崩して、朗らかに笑う。突然寒気が解けて僕の頭は大混乱だ。
余裕気な態度、皮肉めいた口元、整った顔立ち。目の前で見る大魔王は総合して綺麗だと思う。でも謎の寒気を体感した僕からいうと、彼は仮面で誤魔化し裏で爪を磨いてる凶暴な獣のように見えた。
用は済んだとばかりに、さっさと僕を置いて彼も宿屋に向かって消えてしまう。昨日と同じように取り残された僕は呆然とするしかない。何なんだろう、あのふたり。ギルドの人間ってのは普通じゃないといけない決まりでもあるのかな。

ふぅー、と深呼吸すると背中にドッと汗が噴き出してきた。肩に重りが乗ったみたいな疲労感が体いっぱいにかかり、その場にしゃがんでしまう。ああ、何故か腕に鳥肌立ってるや。
僕の意識は引き籠もりを脱したばかりで軟弱なのに、まるで何かの試練かそれとも今までサボっていた罰なのか、一気に負担がかかって心臓が痛いや。すみませんでした世界樹様、明日からお祈りちゃんとします。
ドキドキうるさい心臓が治まった頃には、汗が冷えて寒々しい。元々ゴミ袋を取りに教会まで行く途中だったけど、もうそんな気力はすっかり無くなってしまったじゃないか。でも行かないと怒られるだろうし、このままだとまたずるずると引き籠もりに戻っちゃう。ああ、世の中世知辛い。
よっこいせ、と精一杯の気力を振り絞って僕は立ち上がり、のそのそ歩き出す。ちょっと顔を上げれば宿屋の窓が並んでいる。このどれかにルークの部屋はあるんだろうか。次会った時は森の泉、見せてあげられたらいいなぁとぼんやり思う。
けど正直、大魔王が隣に居たんじゃ声もかけられそうにないな……と気弱な僕は思い出して震えるのだった。
ようやく目当ての教会の近くまで来た時、僕は自分の視界に入る風景に瞳を見開く。教会の裏で飼育されている馬達が、相変わらずのんびり草を食べている様子。それを見て先日おばばが言っていた事を、今更ながら思い出したんだ。

「ほんでなぁ、馬には気ぃ付けるんじゃぞ」

馬に蹴られて死んじまえ、と唐突に頭の中に浮かび上がる言葉。でもこれだけじゃ足りないはず、他に足りない意味があるはずなんだ。
なんだったっけ、なんだったっけ。必死で思い出そうとしても思い出せない僕がようやく恥を忍んで妹に聞いてみたのは、ギルドの人達が完全に引き上げて空の上に帰ってしまった頃だった。








きぬこ様、リクエストありがとうございました
かなり具体的な案を頂いてこりゃ書きやすくて楽しいぜ!とウキウキ書いてたら気が付いたらなんだか違う着地点に離陸したような気がします
なんかこう、ビーフシチューを作ろうとしたら完成したのは肉じゃがだったみたいな
でも最後のユーリが嫉妬から見せつけてやろうぜ状態に入ったのを書けて楽しかったですウヒョー

嫉妬をテーマにした話って事なら少女漫画!王道少女漫画テンプレ大好きです!
まず先輩(ユーリ)を用意して、その先輩に淡い恋心を抱く主人公(ルーク)周囲の後押しもあって付き合うんだけど、学園で人気の先輩なもので当然他からやっかみが降ってくる
最初は陰口を言われたりする程度だったものが、次第にエスカレートしていき最後には机の端っこに油性ペンで鮭の産卵漫画を書かれるまでに!
俺は魚が嫌いなんだよどうせなら鶏にしろ!と怒り狂ったルークは直接対決を望み主犯格を呼び出す!しかし少女漫画なんだから暴力はご法度だ、考え抜いた末ルークはエンジェルさんを呼び出し、どちらが先輩に相応しいか尋ねる事にした
だがここで予想外の事態に!
恋する乙女のパワーは無限大でなんと本当にエンジェルさんを召喚してしまう!
だが愛する先輩を奪われてなるものか、とルークと対決する女の子はエンジェルさんの力を無視し、互いに百円玉で己の名前を書こうと死力を尽くし、結果二人揃って人差し指を骨折してしまうのであった……!
あれ…少女、漫画……?

おかしい折角きぬこ様が素晴らしく萌えるテーマを提案してくださったのに
嫉妬するユリルクとか超可愛いじゃないですかやだー束縛するユリルクって字面だけで萌える
外からじゃ嫉妬なんて全然しそうにないユーリが二人きりになると超独占欲強くって痛いくらい求められるのが新鮮なルークもそれに引きずられ嫉妬深くなっていくとかうーんドロドロ萌えた

嫉妬という王道を勉強し直してきます(ノ∀`)
ありがとうございました






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