貴方を呼んで辿り着く場所を教えて








2

 明日、ユーリを森に帰す。そこにユーリの家族が居るのかどうか分からないが、同じようなサイズの狼は生息しているので一先ずそこへ、という事らしい。例えそこではなくとも、ユーリ程賢いならば己の力で無事帰りそうでもある。少なくともずっと家の中で飼い、狼の本能を奪うより良いだろう、という事だ。何度もガイに説明され、ルークは悲しいが手を離すしかない。何よりユーリ自身が、外へ出たそうに壁を見つめているのだから。

 寂しいがお別れはしょうがない、しかしその前にルークにはどうしてもやりたい事があった。それはユーリと散歩する事。庭や裏庭ではなく、街中や広い外で。首輪や紐はユーリがどうしても嫌がるので街には行けない、だからせめて広く囲いの無い場所で思いっきり走り回りたいのだ。
 きょろきょろと周囲を見渡し、ルークはこの裏庭に自分とユーリ以外誰の姿も無い事を確認する。そして何時もの、秘密の隠れ場所。そこから少し先の壁には、下に丁度子供ひとり分が通り抜けられる位の穴がある。おそらく最初傷付いたユーリも、ここから屋敷に入ったのだろう。ここを知っているのはルークだけなので、当初屋敷の人間は一体どこから拾ってきたのか不思議がったものだ。
 地面に面したレンガの幾つかが崩れており、その下の地面をもっと掘れば穴はいくらでも大きくなりそうでもある。だがあまり目立たせて発見されては元も子もないので、ルークは適当に穴を広げて自分の体を強引に通した。土が付くのはかなり嫌だが、ここ以外ユーリと一緒に外へ出れる場所を知らない。ラムダスの様子では最後に外で散歩したいと言ってもきっと許してもらえないに決まってる、今まで傍にユーリを置いて良い顔をした事なんて一度も無かったのだから。

 ぷは、と土埃と一緒に顔を出せば……目の前に広がるのは大地だった。屋敷の窓から遠くの外を見た事は何度もあったが、実際屋敷すら出た事の無かったルークには初めての光景。遮る壁はどこにも無く、乾いた大地の地平線が見える。点々と緑が集まっているが、想像していたより範囲は狭く感じた。聞いていた話では、見渡す限りの緑と海らしいが……ずっと昔のお伽話だ、今は違うのかもしれない。
 頭をぷるぷると振り、髪や服に付いた土を払う。それからユーリを呼べば鼻先をもぞもぞ潜らせて、案外スムーズに外へ出る。全身ブルブル震え砂埃を払ってから顔を上げれば、嬉しそうに外の空気をフンフン嗅いだ。落ち着きなくキョロキョロとして珍しい様子、ルークが撫でても収まらない。やはり外に出れた事が嬉しいのだろう。

「ユーリ、なぁお前ん家ってどこなんだよ。俺でも行ける?」
「……ガウガウ」
「もしかしてライマじゃないのか? もし遠いなら俺が送ってやろうか」
「ガウワウ、ワンッ」

 ルークの問いにユーリは首を振るばかり。そんなに否定ばかりされては、何を言っているのか分からないじゃないか。絶対文字も言葉も分かる態度を取っているのに、ユーリは最初に名前を書いてから決して同じ事をしなくなった。なのであの時の事はルークの悪戯という不名誉なまま。
 遠いなら送ってやると言ってもではどこなのか答えない。これが普通の犬ならともかく、ユーリは絶対分かっているはずなのに。まるでルークに意地悪しているみたいで、ぷくーっと頬を膨らませた。

「もう、意地悪! なんだよ助けてやった恩を忘れやがって!」
「ワフゥ」

 ユーリの正面に座り、黒い鼻先ごと口をサイドからむぎゅーっと挟み込む。凛々しい毛並みも顔立ちも崩れてぶさいくだ、ざまあみろ。ユーリは決して抵抗せずクゥンと鳴いている。それが生意気で、ルークは手をパッと離しお手をしろと手を出した。

「ユーリお手!」
「……ワフ」
「おーてー! お手ってば! お手だよ、手を置くんだっ」
「クアァ……ワン」
「なんだよ、なんでお前毎回そうものすごーく嫌そうにお手するんだ!?」

 賢いはずなのに、いや賢いからなのかもしれない、ユーリはお手とおかわりを大変馬鹿にした態度で渋々とやる。お座りくらいなら簡単に聞いてくれるのだが、以前ルークが背中に乗って移動しようとしてから、それもあまり聞いてくれなくなった。しかし食事を出すメイドのお座りには従順なので、もっと餌付けをすれば良かったと今更になって後悔している。
 半年も一緒に居て懐いてはくれたが言う事はさっぱり聞いてくれない。アッシュがイヌ科は群れで暮らすから下の階級者の命令なんて聞くわけないだろ、と馬鹿にした口調で言っていた。つまりユーリにとってルークは下っ端なのだろうか。むー、と唇を尖らせ顔を胸に埋める。黒いふさふさした毛皮は太陽の熱を吸収して暖かく気持ちが良い、これがもうすぐ無くなってしまうのかと思うと残念でならない。やっぱり嫌だな、という気持ちがむくむく湧いてきて、ルークは殊更むぎゅーっと強く抱き付く。ユーリは分かっているのか、大人しくされるがまま。時々鼻先で頭を撫でてくれる。

「なあ、どーしても帰るのか? 俺ん家ならずっと安全でご飯の心配も無いんだぞ」
「……ワウッ」
「そりゃ時々ラムダスやアッシュがうるさいかもしんねーけど、俺がちゃんと言っとくからさ! 肉も好きなだけ食っていいし、生クリームもこっそり持って来てやるぞ!」
「ワァーウ、バウッ」
「だめ? どーしても駄目か?」
「ワンッ!」
「なんだよ……ばか、恩知らず! 俺が助けてやったってのに、なんで俺の言う事聞かないんだよ! ユーリなんか嫌いだばーか! 明日じゃなく今から帰っちまえ!」

 ばか、ばか、ばーか! 叶わない悲しみに、ルークは大きな声で罵倒する。しかしユーリは困った声で鳴き、離れようとしない。それどころかペロペロと頬を舐め、落ちる水分を勝手に拭ってしまう。べちゃべちゃで汚いから止めろよばか……そう言っても止めなくて、段々くすぐったくなってしまう。

「あは、あははっ! ほんとに止めろって、くすぐったいから! あっはははっ!」
「ワウワウッワンッ!」
「もー、お前本当我儘だな。行けって言ってるだろ外だぞ? 散歩じゃなくて、本当に外なんだからな……分かってんのかよ?」
「ワンッ!」
「今行っても明日行ってもどうせ一緒じゃん、なんで行かないんだ。……もしかして俺の事気にしてるのか」
「クゥン、……ワフ」

 じっと見上げるつぶらな瞳は黒の中に濃い紫色が見える。我儘な子供を心配してるから、そんな返事を瞳でしていた。動物は言葉を持たない代わりに体での表現がダイレクトだ、本で調べた犬というものにユーリは随分当てはまらないと思っていたが、こうやって人の心を読み取り慰めてくれるのは、最初から。
 犬だペットだとルークはずっと思っていたが、もしかしたらユーリの中では兄弟や家族みたいに扱われているのかもしれない。半年の間まるで対等の立場だと感じる事もしばしば。そうなると今の自分は、まるで兄が家を出るのを嫌がって泣き喚いているみたいじゃないか。流石に10歳にもなって、そんな姿は恥ずかしい。改めて自分を考えて少し俯いた。黒い体が、どすんと横に座って窺うように鼻先をぴすぴす嗅いでいる。まだ泣くのか? なんて言っているみたいだ。

「ユーリ、俺が大きくなったらまた会えるか?」
「ワァウ……」
「お前頑張って会いに来いよ、俺ライマ出る事無いだろうしさ。それくらいいいだろ? だって俺からじゃお前の家言ってくれないからわかんねーし」
「……ワン」
「なぁ約束。大きくなったら、また会いに来い」

 キューン、と鳴く声は困っている。そんなに遠いのだろうか、彼の住処は。でもこれくらいの約束はさせて欲しい。だってルークは大きくなればこの国の王様になる、下手に国外へ出る事は出来なくなるだろう。獣相手に酷な願いかもしれないが、口約束くらいはいいじゃないか。どうせこの約束が叶う事は無い、でも夢見るくらいなら。
 人間同士ならいいよ嫌だよの一言で済む返答を、狼のユーリに押し付ける。彼くらい賢ければ、もしかしたら本当にまた巡り会うかもしれない。そんな夢物語を未来の楽しみにするくらい、別れの代償にさせて欲しいのだ。

 おねがい、そう心を込めて言葉を。真摯な願いに返ってきた返事は……荒々しい唸り声だった。瞬間驚くが、ユーリの視線がルークの後ろに飛んでいる。すぐ振り返るとそこには……魔物の姿。ルークは知らないが、それは奇しくもウルフ種の魔物だった。
 突如現れた柔らかそうな肉に、森から出てきたのか群れの彼らは5・6匹で周囲を歩く。自分がごちそうだと思われている、その事にようやく気が付いてルークは青褪めた。家の壁とは言え裏庭側、大声を出しても簡単に人には届かない。今屋敷では、ルークが最後の別れにと自室で一緒に引き籠もっていると思われているはずなので特に。
 魔物なんてそれこそ、寝物語としてしか聞いた事がない。一見ユーリと似たようなフォルムで、彼らこそ家族では、と思ったがユーリは牙を剥き出しで敵対心を露わにしている。何よりも段々取り囲まれるように距離を縮めて来る相手は、飢えた瞳でギラギラしていた。そんな風に見られた事のない、捕食者の瞳孔。ルークは恐ろしくて震え上がる。ぺたんと地面に付く足は力が入らなくなり、体は勝手にガタガタと揺れ始めていた。

「ユ、ユーリー……」
「グルルル……」

 ユーリはやっと1年を過ぎた若い狼、いくらなんでもこれだけの魔物相手に敵いっこない。早く穴を潜って屋敷に入らなくては、そう頭では思っていても初めての魔物に体は震える以外の行動を取れなくなっている。
 せめてと手近なユーリの毛皮をぎゅっと握れば、ぶわりと毛羽立ち姿勢を落として、後ろ足をギリギリと魔物相手に引き絞っている。もしかして戦う気なのか。そんな危険な事させられない、折角傷も治ったというのに。しかしこの場で牙という武器、そして戦う意志を見せているのはルーク以外皆。膨れ上がる初めての殺気に触れ、怯えて泣く子羊だ。

「……グァウッ! ゥワンワンッ!」
「わっ……!」

 1匹の魔物が雄叫びを上げ駆け出す。4本足のスピードはルークでは捉えられない、疾風が舞ったかと思えば次に聞こえたのはキャイン! と悲痛な悲鳴。おそるおそる目を開ければ、黒い線を描きユーリが次々と魔物を突き飛ばしていた。恐ろしい程の速さそのままに、勢いを乗せて魔物の腹に思いっきり突進している。魔物は紙くずかと思う程豪快に吹っ飛び、散り散りに狼狽えていく。
 ルークはあんぐり口を開けてその光景を見た。前々からユーリは賢く、きっと強い犬……じゃなくて狼だとは思っていたが、恐ろしいと散々聞かされてきた魔物が相手になっていない。素早さと力を併せ持ち、次々と薙ぎ倒して悲鳴を上げさせている。むしろ狼が魔物を狩っているように見えた。
 ユーリも本能を刺激する戦いに興奮が乗ってきたのか、唸り声を上げて噛み付く。赤い血が飛沫き、魔物でも流れる同じ色にルークの体は訳もなく震える。動けない自分の為に戦ってくれているはずなのに、どうしてか……今この瞬間、あの黒い狼が蹂躙して血を貪っているように見えた。こんな風に考えてはいけないのに、周囲に漂う濃くなっていく匂いが気分を悪くする。

「ユ、ユーリ……もういいから、帰ってこい! ユーリィ!」
「グルル……ガウガウガアァッ!」

 ルークの掠れた静止は全く歯止めにならず、大地に落ちる血の量は増えていく。それらは全て魔物のもの、数はあっという間に減っていった。それはフラフラと逃げようとしていたり、地に倒れ伏していたりと様々。少なくともついさっきまで、彼らは自分達の圧勝を疑っていなかっただろう。それが全くの逆転。ルークもまさかユーリがここまで強いとは思っていなかった。しかし、今日初めて外に出て初めて魔物を見たルークが感じるのは、最早恐怖だ。対象は魔物ではなく、自分を守っているはずの狼へ。
 何度呼んでも自分の元へ帰って来てくれない、魔物の血肉を噛み千切りながら追い掛け回している。強者と弱者が反転してしまい、今捕食側に回っているのはたった1匹の黒い狼。ルークにはそれが怖い。震える声でも泣きそうな声でも、呼べば必ず傍に来てくれたのに。あれが野生の生き物、野生に生きる狼というものなのだろうか。

「ユーリィ!」

 恐怖を振りきって必死で叫んでも、走り回る漆黒の足は止まらない。もうあれはルークの知っているユーリではなく、寝物語で聞いた魔物のひとつにしか見えなくなってしまう。そんな事思いたくないのに、爛々と輝く瞳は遠くからでも紫色が濃く光っていた。怖い、あれが魔物というものなんだ。本能的な恐怖が肩に伸し掛かり、ルークの体を地面に縫い付ける。
 しかしハッと気付く。今ならば屋敷に戻りガイ達を呼べば止めてもらえるかもしれない。そうだ、男が腰抜かして怯えてるんじゃない、そう必死に自分を奮い立たせる。アッシュ、俺の弱気を叱ってくれ! そう双子の怒り顔を思い出しながらルークは立ち上がろうとした。笑う膝がガクガク揺れてちっとも言う事を聞かないが、爪先に力を込めて腰を上げる。

「はぁ、はぁ……ガイを呼ばなきゃ……っ」

 目の前で暴れている魔物はユーリだ。けれど優しくて賢いユーリの方が、今まで何倍も見ている。今は少し怒っているだけ、落ち着けばきっと戻ってくれるはず。そう期待してルークは屋敷に戻ろうと振り向いた。
 だが次の瞬間、視界に入ってきたのは壁のレンガではなく薄汚れた灰色だった。え? そう疑問に思う暇もなく、足に激痛が走る。熱湯に触れた時のように体が熱くなり、急に汗がどっと噴き出す。

「あっ……!」
「ガウガァアッ!」

 1匹の魔物が気付かぬ内に忍び寄り、ルークの細くやわい剥き出しのふくらはぎに牙を立てた。子供の体重は魔物の力にあっさり振り回され、ブン、と首を振ればその通り引きずり倒されてしまう。どすんと無様に転ぶが牙は離れず、むしろ噛み千切ろうと牙を深く埋める。驚きと恐怖、何よりも今まで感じた事の無い痛みにルークの精神は限界だ。大きな悲鳴も何も上げられず、ズキズキと支配する電気信号に頭の中がパンクした。
 ぶちり、と魔物の爪が皮膚を切り裂く。どこが痛いのかもう分からない、だって全身痛くてたまらないのだから。こわいこわいこわい、いたいいたいいやだ! 神経は過敏に痛みを騒ぎ立てるのに、ルークの意識は何故か薄ぼんやりし始める。これ以上の恐怖を体に詰め込まないように脳が制御しているのかもしれない、瞼を閉じてしまいたくなる誘惑。だが果たして次に開けられるのか。こわいからいやだ、そう思っているのに肉体は勝手に瞼を閉じていく。
 意識ごと真っ暗に閉ざされてしまう直前。ルークが見えたのは黒い流星。まさに星が墜ちるようなスピードで此方を駆ける線。それが辿り着く直前で、ルークの瞳も意識も完全に閉じてしまった。


***

 ぱちりと目を覚ますと、最初に入ってきたのは深紅色。重すぎる瞼をゆっくり数回瞬けば、ぼんやり滲む輪郭がルークの知っている形を作り上げていく。つるんとしていた眉間にはいっぱいの皺が刻まれ、目元の隈が顔色を悪くする。それは双子の弟だった。瞳を見開き、一瞬嬉しそうにした後すぐにキッと睨み付けてきた。そして聞き覚えのある、いやそれよりも少し掠れた声が耳に入ってくる。

「この馬鹿が、目が覚めたなら早く起きろ!」

 よく分からないが無茶な事を言われているような気がした。言い返そうとしても喉が張り付いて上手く動かす事が出来なくもどかしい。アッシュ、と呼ぶ前に彼は医者を呼びに部屋を出てしまう。
 なんだかずっと眠っていたみたいに体が鈍く、ぼんやりとする。なんでだろう、とルークが考えようとした途端、瞳を閉じる寸前の光景を思い出した。そうだ、ユーリ! 意識では起き上がっているのに実際体は指先がぎこちなく動いただけ。まるでベッドに固定されているみたいだ、捩って周囲を見渡せばまず揺れるカーテンが目に入った。
 見覚えのある絵と模型、窓の形。多分ここはルークの自室。左手を少し動かしてベッドの隙間を撫でるが、あの黒い毛皮には当たらない。半年間ずっと一緒のベッドで寝ていたのだ、触ろうと思えばすぐ触れる位置という安心感があったのに。
 確か自分はあの時、残っていた魔物に足を噛まれて……。ぼんやりと思い出せば、呼ばれたのかずきりと足に響く痛み。おそるおそるシーツを捲れば右足全体に真っ白い包帯が巻かれていた。あれから危機を脱し、屋敷に運ばれたのだろう。ユーリなのか、それとも部屋に居ない事に気が付いて捜索されていたのか。ずきずき痛む足が頭痛を引き起こしていると、アッシュが医者を連れて戻ってくる。そして上半身を起こしているルークを見てすぐに怒鳴った。

「この馬鹿、まだ安静にしてろ! 傷は塞がっても感染症で熱が出てるんだぞ!」
「……あっしゅ、ゆーりは?」
「ルーク様、今は一先ずご自身が先です。さ、ベッドに入って」

 医師はカバンを広げテキパキと注射を用意している。それを真隣で見てルークの顔は自然と歪んでいく。隣に着いたアッシュは顔を怒らせながらこれくらい我慢しろ、と言った。

「お前は3日3晩寝てたんだぞ、意識が戻ったからと言ってまだ油断はするな」
「みっか……。なあアッシュ、ユーリは……」
「馬鹿、なんで自分の事よりあの犬の事を聞くんだ! 全くもう……。あいつなら擦り傷程度でピンピンしてる、扉の前で座り込んでる」
「菌を持ち込む訳にいきませんからね。でも彼もそれを分かっているみたいで、扉の前から微動だにしないんですよ。狼とはあんなに賢いものだったんですねぇ」

 注射を打たれ、水を飲んでルークの意識は段々はっきりしてくる。そしてアッシュがあの後を、怒りながら説明してくれた。

「あの犬が血に濡れて吠えてるのをガイが見つけてな。付いて行ってみれば裏庭のレンガ壁に穴が空いて、隙間から血だらけのお前が倒れてるって言うじゃないか」
「ガイが……」
「あんな所から外に出れるっていうのにも驚いたが、あの犬があれだけの数の魔物を倒していたというのにも驚いた。それでいてあいつ自身は怪我らしい怪我もしてないし、ルークを助けたっていうんだからな……。犬のくせにやる奴だ、ちょっとだけ見直してやる」
「ですがルーク様、どうしておひとりで外に出ようとなさったのです。あれ程外は魔物が出て危険だと言っていたでしょう」
「あ、それはその……」
「どうせ何時もの後先考えない思いつきだろ! 全く本当に馬鹿だ大馬鹿だ! 散歩したいなら言えばいいだろう、騎士を付ければ外に出したってのに! お前がこんな大怪我してりゃ世話ないぞ!」
「ご、ごめんってば」

 ルークの行動にアッシュは怒り心頭のようで、ますますヒートアップだ。しかし医師が宥めて、なんとか肩で息する程度に。プンプン怒っているが、目元は少し腫れてるし髪は軽く乱れている。きっとずっと心配してくれていたのだろう。たかが勉強で寂しがっていた自分は、本当に馬鹿だった。こんなにもアッシュは心を傾けてくれている。
 ごめんな、と細い謝罪をすればムスッとした相手の口元。腕を組んで顔をそっぽ向き、それから小さな囁きで、無事で良かった、と聞こえてくる。それに嬉しくなって、ルークは体を無理矢理動かし抱き付いた。

「こら、馬鹿動くなって言ってるだろ! いいからじっとして体を治せ」
「えへへ、うん!」
「……あの犬の事は心配するな。今回ルークを守ったって事で父上も褒めてくれて、家で飼ってもいいと許しをもらったからな」
「ホントか! あ、でも家族が居るんだよな……?」
「調べたけど、あんな真っ黒い狼この辺りじゃ生息してないんだ。もしかしたら密猟者に捕まえられて、そこから逃げ出して来たのかもしれない」
「そうなのか……」

 家族と会えないなんて、それはそれで可哀想だ。そう考えて俯くが、またあの黒い毛皮を撫でられると思うとやっぱり嬉しさがこみ上げる。先程まで頭が痛いと思っていたのに、今ではそれを追い出してしまった。
 ユーリに会いたい。そうお願いすればアッシュは似合ってきた難しい顔をして医師を見る。彼は苦笑して、見るだけですよ、と注意して呼びに立ち上がった。あの扉からユーリが心配そうに駆け寄ってくれる事を期待してルークは待つが、何時までたっても何の足音もしない。おかしいな、と思ったのはアッシュも同じだったのだろう、立ち上がり扉を開け外に出れば医師と同じ様に中々帰ってこなかった。
 どうしたんだろう、そう不安に思いながら待っているとアッシュが戻ってくる。ますます眉間に皺を寄せ、今度は気まずそうな口ぶりで。

「ユーリがどこにも居ない。ついさっきは確かに扉の前に居たのに、屋敷のどこにも居ないんだ」
「え! な……なんで?」
「分からん、が……メイドのひとりがついさっき、屋敷から出て行く黒い犬を見たと言っていた。その時はたまたま方向が同じなだけだったと思ったらしく気にしなかったそうだ。何しろユーリはお前が寝てる間ずっと部屋の前に陣取ってたから、別の犬だと思い込んでいたらしい」
「そんな、なんで……せっかくずっと一緒に居れるようになったのに! なんでだよユーリ!」
「あの賢い犬の事だ。ルークが起きるまで待って、それから1匹で帰ったのかもしれないな」
「今すぐ追い駆けてくれよ! 俺まだ礼も、……怖がった事謝ってもないんだ!」
「ユーリが出て行ったって事は、この屋敷に留まるつもりは無いんじゃないのか。やっぱり野生の生き物は野生で暮らすのがいいんだよ……諦めろ」
「そんな、そんなユーリ……うわあぁん! ユーリのばかああああっ!」

 命の危険から救われて助けてもらったのに怯えてしまった、あんなに仲良くしていたのに。謝ってずっと一緒に居たい、そう思っていたのにもう帰ってしまったとは酷いじゃないか。確かにユーリ自身は帰りたそうにしていた、それを繋ぎ止める為にも飼う許可を貰って嬉しかったというのにまるで見通していたみたいだ。
 自分の勝手な都合を……慰めにだったり怖がったり引き止めたり、それを嫌がられているみたいにユーリは消えてしまった事がよりルークの後悔を増幅させる。せめて一言、別れさえも許されないなんて。自分はそれ程までに愚かな選択をしていたのか。自分のせいでこんな結果になってしまった。ルークはその事に深く悲しみ、体の奥から沸き上がる感情に身を任せて泣いた。それこそ大声を上げて、わんわんと。






  


inserted by FC2 system