貴方を呼んで辿り着く場所を教えて








3

 ルークはその名前を聞いた時、驚いて飛び上がった。アドリビトムに在籍する事になって、今まで接して来た人数から膨れ上がり覚える事が多すぎて頭がパンクしそうな時、ジェイドがからかい混じりに在籍メンバーのひとりの経歴を教えてきたのだ。
 廊下でちらりと見かけた、エステリーゼの隣に立つ真っ黒い長髪の男。遠くから見た第一印象としては、なんだかいけすかねー奴。ただなんとなく、幼い頃の記憶のせいで黒色には好意的に反応してしまう。しかしああもあからさまに全身真っ黒だと、わざとかあの野郎? と自分の思い出を馬鹿にされているような気持ちになる。勿論そんな訳無いのだろうけれど、今までルークが出会った中あそこまで黒い存在はたった1匹しか居なかったから。
 しかし今、彼の名前を聞いてその考えが全て反転してしまった。真っ黒いなら当然だ、シュッとした身のこなしが記憶と重なるのも当たり前だった! 居ても立ってもおれず、ルークはすぐに駈け出して部屋を出る。まだ覚えていない彼の部屋をアンジュに聞き出し、転がり込む勢いで扉を開けた。彼は突然の来訪者に驚く事なく、ソファに座ったまま顔を上げて反応している。そんな落ち着いた仕草が、ますますそっくりだった。
 ルークは嬉しくなり、大声で名前を呼んだ。幼い頃の記憶そのまま、呼べば来てくれたあの時のように。

「ユーリ! お前ユーリだったんだな!」
「……は?」

 ぽかんと驚きに口を開ける表情が少し間抜けだ。ルークは相手に構わず部屋に入り、興奮そのままにはしゃいだ。

「お手!」
「おいおい、いきなり何なんだこのお坊ちゃんは」
「すぐにお手しない所がますますユーリっぽいじゃねーか!」
「初対面でいきなり人を犬扱いするってこいつはどういう教育受けてんだ?」

 呆れたような表情がどんどんそれっぽく見えて、ルークは我慢出来ずに直接聞いた。先にアッシュへ相談すればいいものを、この時は嬉しさと驚きが勝ちそれどころではなかったのだ。

「なあユーリお前……ユーリだよなっ!?」
「そりゃオレはユーリ・ローウェルですけどね。でもいきなり呼び捨てで犬扱いするような失礼な奴は知り合いに居なかったと思うんだが」
「え……でもお前ユーリだろ……黒いし」
「まぁ服と髪は黒いけどよ、お前の言ってるユーリってのはどこのユーリなんだよ」
「……犬のユーリ」
「お坊ちゃまは今目の前に居るオレが犬に見えるんですかねぇ」
「み、……見えない。あれ、そういやそうだな……」
「同姓同名はともかく、犬に間違われたのは初めてだな。いくら下町生まれだからってそこまで言われる覚えはねーぞ」
「えーあっれー? だってよー名前ユーリだし、黒いし……」
「いやだから、人間と犬は違うだろ。まさかカイウスと間違えてたりしないか」
「間違えたりしねーっての! でも、そうかお前人間、だよな……。なんでユーリだと思ったんだろ」
「さっきからお坊ちゃん相当失礼なんだがね。オレとそんなに似てるってのかよ」
「おう! 名前と黒い所がそっくりだぜ!」
「人名っぽいペットの名前なんていくらでもあるし、髪は染められるし服なんて着替えるだけでみーんな黒いな」
「そ……そうだな」

 ここまで論破されて、ルークは今更ながら犬と人間の違いに気が付く。普通そんなもの間違える訳が無いのに、会いたいと思って胸の奥にくすぶり続けた気持ちが名前を聞いて爆発してしまった。目の前の男は4本足で立ってないし尻尾も無いし言葉も喋ってるし……全く違うではないか。
 改めて考えれば全くそんな訳無いのに、ユーリでは無かったという落胆にルークはずーんと落ち込む。一般的に犬と間違えた詫びをしなくてはいけないのだろう、だが今気持ち的に沈んでそれどころではなくなってしまう。
 ユーリ……人間の方の彼は再度呆れて溜め息を吐き、足を組み替えてソファに沈む。その偉そうな態度が、本当に過去のユーリとそっくりなのだけれど……犬の方の。

「犬探してんの? クーデターで別れたとかなんか?」
「7年前に怪我した所を拾ってさ……半年くらいは一緒に居たけど、俺のせいで出て行っちまって、ずっと気になってんだ」
「ペットの家出かよ、んなもん7年も引きずるような事じゃねーだろ」
「だって! あいつが出て行ったのはきっと……俺のせいだからっ。俺が馬鹿な事しなけりゃあの時も……」
「動物の気まぐれに人間が付き合う事無いって。あんたが気にする程相手はそんな考えてないもんだぜ」
「そんな事ねーっての、ユーリはすげー賢くて強かったんだからな! だから余計嫌だったのかもしんねぇ……」
「あーはいはい、分かった悪かったって。いいから人の目の前で辛気臭くなるの止めてくれ。お坊ちゃんがそのペットを大事にしてたのはじゅーぶん分かったからよ」
「そうだぞ、ユーリはマジ賢かったんだ! 大人しいし優しいし落ち込んだら慰めてくれるしシャンプー嫌がらないし一緒に寝て毛布代わりになるし! あ、でもトイレだけは人前でしたがらなかったな……なんでだろ、変な座り方でないと出ないとか?」
「んな訳ねーだろ! ……いや一般的にな? はいはい、ペット自慢はもういいから」
「何言ってんだ自慢ならまだまだあるぞ! あのなユーリって犬のくせにやたら甘い物食べたがって半年しか居なかったのにお腹がぷよぷよになって仰向けにしたらすげー気持ち良かったんだぞ!」
「……いや、ほんとマジで勘弁してくれねーか」

 ユーリが出て行ってしまってから、屋敷内では話題自体がある種タブーになってしまったせいで、ルークは今までちっとも誰かとユーリの話を語り分かち合う事が出来なかった。そのせいで余計に思い出は苦いまま、忘れ去る事が出来ず引きずっていたのだ。なので無関係な……いや名前が同じで雰囲気が似ているユーリと会い、しかも自慢話を思いっきり出来る状況に歓喜する。思い出を一生懸命引っ張り出し、言葉にする事で綺麗になっていく気がした。なので自然と表情が緩み、口からはペラペラと沢山出て行く。
 初対面の人間にこんな気持ち、態度を取ったのは初めてだがユーリという名前にどうしたって親近感が湧く。ずっと無理矢理蓋をしていた記憶を表に出す事によって、ルークは7年引きずっていた重い鎖の鍵をようやく開けた。
 話をすればする程相手の顔が微妙に歪んでいくのだが、夢中になっているルークは気が付く事はなかった。




***

 それから、あの話がきっかけになってユーリとルークはふたり一緒に過ごすようになった。始めは自慢を聞いてもらうばかりだったが、時間が経つごとに段々と最近の世界やラザリスの事、果ては個人の深い部分までお互い手を伸ばすまでに。今でもやはりユーリの……犬の方の自慢話はするが、すぐにユーリ……人間の方の唇が落ちてきて終了されてしまう。それがちょっとだけ不満だが、もしかして嫉妬しているのかも、と考えればまぁ悪くない。

 ある日ふたり、依頼で町に降りて泊まりになった時だ。シャワーから上がって部屋に戻ったユーリの右腕丁度袖で隠れる部分に、腕半周程の傷跡を見た。昔の怪我のようで傷跡自体は既に薄くなっており、今の治療技術を受ければその跡さえ消せるのではないか、というくらい。
 ユーリが傷跡なんて気にするような性格では無いのは知っているが、なんとなく気になって聞いてみれば、予想とは違った反応が来てルークは少々驚く。

「ま、なんていうか……若さ故の痛手って奴を忘れないようにする為にわざと残してんだよ」
「へ? お前が……?」
「なんだその胡散臭そうな目は。オレだってやらかしちまう事くらいあるから、その象徴を残して省みてんだって」
「だってユーリはなんというか、やっちまったもんはしょーがないからクヨクヨせず次に進もうぜ、くらい言うかと思ってたから」
「それも大事だけど、反省も必要だろ。また同じ失敗を繰り返さない為にもな」
「まぁ、そりゃそーだけど。ふーん?」
「それに……苦い記憶だけど良い思い出ででもあるしな」

 なんとなく似合わないような、しんみりした言葉だ。悪い意味では無いが。もっとユーリは今の流れのままに生きているのだと思っていたので、形を残して過去を想っているとは思わなかった。じろじろ本人を、それから傷跡を見れば細く長い切り裂かれた跡。そっと指先で触れれば少しだけデコボコしている。鋭利な刃物で斬り付けられた、という辺りか。ここまで薄くなるには結構な年月が必要だろう、という事はユーリは子供の頃にこんな大怪我を負ったのか。それにルークは少しムカッとした。

「痛そうだなこれ。そん時は大丈夫だったのか?」
「ああ、運が良くて。……死にかけた所を偶然助けてもらった」
「へー、良かったなそりゃ! 俺も昔ユーリを助けた時は死にかけててよぉ、って犬の方な」
「あ、ああ……。何回も聞いたから、それ」
「やっぱ星晶とかマナが消費されて大地が枯れてるせいなのか、そーいうのってさ」
「どうだろうな、何かしら間接的に影響はあるかもしれねーが魔物も人間も、昔っから悪い奴は悪い奴で良い奴は良い奴だろ」
「んー、そうだな。アッシュもガイも昔からあんまり変わんねーしそんなもんか」
「いやあいつらは結構変わったと思うけどな。……どこがどうとは言わねーけど」
「は? ユーリってガイ達と会った事あんの?」
「いや、イメージだ。忘れてくれ」
「なんだよイメージって……」

 時々ユーリはアッシュとガイに対して、どこか知っているような口ぶりを漏らす事がある。アッシュに隠れブラコンだと言い切ったり、ガイには雰囲気変わったなと不信そうに言ったり。正直ルークが初対面で犬扱いした時よりも失礼な奴だと思う。これがユーリでなければ気に入らない奴だと怒るのだが……。
 何故かこの顔で皮肉を言われても、犬の方を思い出して許せてしまうのだ。そういえば昔犬のユーリも、ルークがボール遊びをしようとして転がしてもやれやれ付き合ってやるか、とでも言わんばかりの緩慢な態度だったのを懐かしく思い出す。真っ黒の顔でも、案外分かるのが面白かった。

 それから夜を迎えて、ベッドに入る頃合いだ。ツインで取っているがふたり座っているのは同じベッド、今日あった事や最近の話、明日の予定をだらだらと話しているとルークの瞼は自然と重くなっていく。それを察してユーリがベッドランプを灯した。そろそろ寝るか、という合図だ。
  ぼんやりしてくる思考、片足をベッドに上げれば部屋の電気が消えて窓からほんのり星の光が見えた。それをぼーっと見てると、肩に手を置かれそのまま後ろ、ぽすんとベッドに倒される。2回瞬きをすれば気安い紫黒の瞳が近き、額に挨拶をされた。そしてそれが唇に降ってくる前に、ルークは唐突に口を開く。

「お手」
「……は?」
「ユーリ、お手」
「…………はいはい」

 ユーリは諦めた顔で渋々、寝ながら出したルークの手にお手をする。それが嬉しくて、にんまり勝手に笑顔になってしまう。やれやれ、と相手が苦笑しててもそれが似合っていたのでますます嬉しい。

「一体オレは何時までこんな扱いされるんだ?」
「悪い、だってユーリほんとにユーリそっくりだからさ……。なんかついやっちまうんだ」
「第一、犬じゃなくて狼だろ」
「どっちでも一緒じゃんそんなの。ってか俺言ったっけ、ユーリは狼だって」
「あー……ガイに聞いたんだ」

 ユーリの視線は少しだけ横に逸れてどこか誤魔化し気味。ルークがあんまりにもユーリを犬扱いするものだから、周囲に話を聞いてみたのかもしれない。そう考えてルークはちょっとだけ反省した。いくら過去の思い出が大切でも、今目の前に居る人間を疎かにするのは違うだろう。これからはもう少し気を付けないとな、と考えた。
 それに、ユーリと親密になればなる程……ルークの中で犬のユーリは人間のユーリと繋がっていくのだ。同一視しているつもりは無いし、犬のユーリの存在を軽んじたり忘れてしまう訳ではなくて、1匹とひとりが続いているような、そんな気がして。上手く言葉には出来ないので誰にも話せないのだが、そうやってルークの心は処理している。
 できれば犬のユーリに会えるなら会いたいし、あの時の恐怖を謝れるなら謝りたい。しかしそれを辛い思い出にして奥底に仕舞うのはもう無しだ。もう一度会ったら謝るのではなくあの時はありがとう、と礼を言えたら良い。それまでの楽しい出来事を沢山教えて、お前にあの時助けてもらったお陰だ、と言えればますます重畳。そして人間のユーリにも、話を聞いてくれて感謝している。彼のお陰でルークの思い出は綺麗で大切なものにやっと昇華出来たのだ。これからも、過去を語るのではなく一緒に居れたらな……とはまだ恥ずかしくて言えないが。

 降りてくる唇に今度こそ瞼を閉じて受け止める。優しく触れて、頬を撫でられ気持ち良い。ルークは両手を相手の首に掛けゆるく抱き締めれば、大きな腕が肩と腰を抱き返してくれた。昔一緒のベッドで寝ていた黒い毛皮を思い出すが、暖かくてほっとする、犬のユーリには無い腕。けれど安心感は全く同じ、いやこちらの方が大きいかも。とにかく、嬉しくて。
 上書きしない、増えていく思い出。国に居た頃は自分は家から国から出れる訳が無いと思い込んでいたが、今ならば……世界危機を片付けて平和になった後、ユーリを探して世界を回るのもいいかもしれないと思うようになってきた。王様が彷徨いては困ると言われるかも、ならば王位も譲ってしまおうかな。ユーリを探すついでに外交官として各国を回れば丁度いいだろう。こんな計画、アッシュに言ったら全身で怒るに決まっているのでまだ胸に秘めておく事にする。
 もし言い分が通り、探しに行けるとしたらユーリにも一緒に来てもらおう。そしたらユーリがふたり、ルークにとっては嬉しさ2倍だ。計画を立てるだけでわくわくしてきて、勝手に口元がゆるむ。それを見られたらしく、小さな微笑みが真上から。
 そしていい加減寝ろよ、と低く耳に響く声で囁かれる。ユーリ、と唇だけで呼びルークは夢の世界にゆっくり、優しく歓迎されていった。同時に薄っすら聞こえてくる声は、届くような届かないような……。ただ、ユーリの楽しそうな声だったのでバックミュージックとして黙って眠りに入った。

「オレも約束を果たせて良かったよ、まさかこんな気持ちになるとは意外だったけど。……でもいい加減マジで襲っちまおうかな、そろそろ限界だぞ」






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