花の絵の影を映す、その瞳は








 翌日、約束の時間にユーリはエントランスホールに立つ。午前中に闘技場に行って出先で昼食を食べ、その後大きな街でバザーでも見ようとルークは言っていた。人混みは嫌いなくせにバザーは好きで、かと言って買い物好きでもなく。大勢の人が集まる雑多な雰囲気が好きらしい。修行の旅に出るまではあまり家から出た事が無かったので、その反動だろうとユーリは分析している。
 ひとりでウロチョロさせると数分で迷子になる上、決して自分が迷ったと認めず面倒なので正直ユーリはバザーにはあまり行きたくない。なんとか方向転換させ、ひとつの店に留まるか船に帰るか誘導しよう。むしろ、ここで午後の依頼を取ればいいのではないだろうか。そうすれば戻らずに済むし一石二鳥だ、適当にルークを丸め込んでのせれば文句を言いながらも頷くだろう。
 そう考えて、ユーリは待つ間今日の依頼リストを見る事にした。ふたりなのでキツ過ぎない程度、しかし昨日ディセンダーが微妙な空気と言っていたので発散出来る程に。闘技場に続いて依頼ででも剣を奮えば頭も空っぽになり、気持ちの整理が進むだろう。手伝いというか、ただの要らない世話かもしれないが……。戦闘中気が逸れて怪我をするよりもいい、無駄になればそれはそれで問題無いのだから。

 だが、暫く待ってもルークはやって来ない。多少の時間はいいのだが、昨日の今日で、ルークのスケジュールはガイが把握しており遅れれば急かすはず。出る気分にもなれないのならば、最低限誰かを寄越して断りの連絡くらいいれるだろう。そんな気分にすらなれない、という事か……? ユーリは抑えていた分がどんどん膨らみ、猛烈に気になってきた。いっそ部屋まで迎えに行くか、どちらの場合でも顔を見れば多少の判断が付く。
 そう考えて足を向けた途端、廊下からの自動扉が開いた。そこには朱金を揺らして、どんより半眼の、何時も以上に相手を睨みつけるルークが立っていた。一目見て機嫌が悪いと全身発している、背中の暗雲が今にも雷雲へと変わりそうな程。
 だがユーリには、それ以上に見えるものがあった。あれは機嫌が悪い種類というか、おそらく、ものすごく落ち込んでいる。思い通りにならない苛つきではなく、困った事に悩んで寝不足で、でもまだ悩んでいる顔だ。その判別が付くくらいには、ルークの怒りの数種類をユーリは見ていた。
 どうやら昨日の依頼はルークにとって試練であったらしく、その尾をずっと引きずっている。これはリフレッシュが必要だな、とユーリに気合が入り声を掛けてやった。

「おそよーさん、お坊ちゃん」
「……おう」
「ひっどい顔はもう洗ったのか? 朝飯は? 食うもん食わねーと剣なんて振れねーぞ」
「一応、ガイが用意したの軽く食った……」

 ボソボソと言ってダルそうに視線を逸らす。眉の間はひん曲り皺が刻まれ、ルークの数少ない良い所である顔を台無しにしていた。これは相当だ、大好きなヴァン師匠に何か手厳しい事でも言われたのかもしれない。ユーリは意識をこっちに向けさせようと顔面の前で手を振り、おーいと呼べば皺はますます深まるばかり。この調子では闘技場自体を変更した方が良いかも、と思うようになってきた。

「今日どーすんだよ。気が乗らねーなら止めとくか?」
「……いや、行く」
「八つ当たりで記録更新出来る程、戦いってのは適当なモンじゃねーだろ。闘技場でも怪我はするんだ、迷いがあるなら止めとけ」
「うっせーな、うぜーんだよ」

 久しぶりに聞いた、割合本気そうな、ウザい。依頼を共にする数が増えてきてこっち、聞かなくなっていたのだが。吐き捨てるような言葉を吐いたのに、気持ち悪いものは捨てられていない、そんな表情のままルークはすたすたと外に出る。ユーリは溜め息を少し、それから手持ちの消耗品を確認してから後を追った。いざという時の為、回復剤を多目に持っていった方がいいだろうな。


 現在バンエルティア号を停泊している場所と闘技場は、残念な事に距離がある。高速移動出来るとはいえ、そう気軽に使いパシっては船長からのクレームは免れない。移動で馬車に乗るぞ、と言えばルークの表情はますます歪み、その場にしゃがみ込んでしまった。まじめんどい、だるい。不満と愚痴を詰め合わせて呟くが、全体的に力無く見える。怒る時はうるさいくらいに騒ぐのに、今日は全くの逆だ。ユーリは本日の予定を大幅に変更する事に決めた。

「この近くの町で、美味いパンケーキ出す店があるらしいぜ。朝飯がてらそっち行くぞ」
「はぁ〜? 飯はもう食ったっつーの、なんでそんな甘ったるいモン食いに行かなきゃなんねーんだよ、俺は闘技場に行きたいんだよ!」
「どっちにしろ馬車捕まえなきゃなんねーだろ、こんな道の途中で座り込んでても迎えに来てくれる訳無いんだからよ」
「はーあ、バンエルティア号でパッと行きゃ良かったぜ……」
「タイミングが悪かったんだ、諦めろ。ほら、何時までも文句ばっかり言ってねーで、行くぞ」
「……めんどくせー」

 うんざりした声で、ルークは立ち上がろうとしない。ユーリは待たず、くるりと背を向けてすたすた歩き出した。子供じゃないんだから、駄々をこねて意見が通るとは思っていないだろう。アドリビトムで生活してきた今までがあれば特にそれを知っているはずだ。ユーリは決して足を止めず、背後を意識しながら耳を澄ませれば重そうな足音がやっと付いて来る。
 のしのし、と普段の態度同様に重い足取り。けれど今は気分を表しているような、憂鬱さが音からでも滲み出ている。本当に、ルークは嘘が付けない。出来て精々口を噤むくらいで、あまりにも子供過ぎるだろう。いいや子供が付く嘘よりも分かりやすいかもしれない、少なくとも子供は隠そうとするのだから。
 こういう時、育ちからくる素直さとは……面倒だな、ユーリは正直に思った。本人全くそのつもりがなく好き勝手動くというのに、周囲は勝手に気を使って察して、あれこれ考えて先回りだなんて損な役割にしか思えない。自然体な構ってちゃんとは本当に面倒だ、全くもって馬鹿らしい。

 ユーリは溜め息で切り上げ、くるり振り向いて数歩後を遅れる朱金の手を取った。少し驚いて瞳を丸く、それこそ子供のような表情で此方を見る翠色。肩を竦め、オレは朝飯食ってねえんだよ、とだけ言い手を引いて道を歩く。
 始めの方は引き摺られ歩いていたルークだったが、背後でブツブツと、なんだよそんなの俺悪くねーじゃん、腹減って機嫌悪いとかガキかよ、と聞こえてくる。それから暫くして、自らの足で歩き出す。隣には並ばす、一歩だけ後ろのまま。手の平は解かず、指先の第一関節だけ曲げて、此方が振り払えば解ける程度の力で握る。
 反抗するくせに拒絶されるのが嫌なんだから、本当に子供だ。ユーリは読めている心情に苦笑し、此方からも握らずただゆるく手を合わせ距離を保ち歩いた。話題に利用したが、実の所パンケーキは楽しみにしている。相手が嫌がるくらいに生クリームを増量して、怒らせるエネルギーを提供してやろうと決めた。


「……うえっ」

 予想通り、ルークは山盛りの生クリームを見て気持ち悪そうに一言。それを食べている張本人を前に、失礼な態度だ。ユーリは自分の目の前にある、5段重ねの大作に嬉々としてナイフを入れる。パンの間に生クリームとフルーツがサンドされ、皿の周囲にはブルーベリーが乗ったチーズケーキがこれでもかと装飾されており、カスタードと生クリームが交代で外側を彩って、シロップポットの中身は当然の事ながら空。倒れないよう中心に串が刺さっているが、ナイフを入れる毎に間の生クリームがはみ出してぼとぼとこぼれている。
 甘くて量も多くて、最高じゃないか。ユーリは当初の目的を忘れてパンケーキに夢中になった。反対側のルークは紅茶とヨーグルトだけで、お前は女子供か、と言えば顰めっ面で小さなプレーンケーキを追加注文した。
 どんどん食べ進めるユーリとは対照的に、焼きたてで運ばれてきたパンケーキを前にしてルークの手は鈍い。切り分けてバターとシロップを垂らし、フォークを刺したまま止まっている。流石にそれ食べないならくれよ、とは言えない。いや最悪残すくらいならば貰うが。
 相談したいならば聞くとはいえ、自分から言い出してもらわなければ此方としても引っかかりがない。何か悩んでるなら言えよ、と言える間柄ならばともかく自分とこのお坊ちゃんはそうではないのが難しい所。かといってこの様子だと兄貴分にも姉のような年下の護衛にも相談を吐き出していないようでもある。まあのんびり待つか、そう考えて半分程減ったパンケーキを始末しようとした時だ、相手からぽつりと言葉が出た。

「お前は……なりたいものって、あるか?」
「ん? なんの話」
「将来の、……話」

 ルークの切れ切れに、こんな話題を口にしている自分自身に戸惑っている様がありありと見て取れる。けれど折角口火を切ったのだからと、喋れば少しずつ普段の調子を取り戻していった。

「お前、ガルバンゾでは何やってんの。アドリビトム抜けて国に帰ったらまたその家業に戻るのか」
「家業って程偉いモンやってねーけど……。あっちでも同じ事やってる、ギルドに入ってるからな」
「それって、親がギルドやってたからお前もギルド員やってんの?」
「親は物心付いた頃に死んだから、何やってたか知らないんだわ。けどそこらへんとは別だと思うけど」
「そ、そうか。……その」
「覚えてないくらい昔だからいいけど。それがどうした」
「あのさ、例えば……例えばだぞ? 例えば、お前が国に帰ってもさ、そのギルドじゃもうお払い箱だからいらないって、……言われたらどうする」
「一応創始者メンバーだからそんな簡単にはお払い箱にされないとは思うが……ま、そん時はそん時かな。思い入れはあるが無理なモンを無理に続けるのもつまんねぇし」
「けど金って必要なんだろ? 仕事しなくちゃ金貰えないんだし、どこで何すればいいかとか、そんなすぐ見つかるもんなのか」
「さーな、探してみなきゃ分からないだろ。けどこのご時世だから力仕事なら結構どこでも募集してるぜ、道中護衛とか。仕事選ばなけりゃわりとあるもんだ」
「そんな軽いもん、なのか」
「日々を生きるだけならそんなもんだ」
「……なんか、すげー適当だなお前。もうちょっと真剣に将来考えた方がいいぞ」
「そりゃすいませんで。これでも毎日真剣に生きてるつもりなんですけどね」

 なんだかフレンに似たような事を言われた記憶が蘇り、一瞬甘いはずのシロップが染み込んだパンが苦く味覚を刺す。おかしいな自分は相手の人生相談を受けるつもりで待っていたのだが、何故か自分の将来設計の甘さを叱られている。別にいいじゃないか、自分の守りたいものは身近で集まっているのだからその近くだけを守っていても。世界全体のお守はそれこそ救世主であるディセンダー様がやってくれるのだ。ユーリとしては自分の周囲だけで手一杯なので、許容量を超えて広げる気にはなれない。今は偶然、進行状況的に自分も世界を救う手伝いをしているに過ぎないのだ。
 嫌な横道に逸れていくくらいならば切り上げたい。ユーリは面倒になってずずいと聞いた。

「そんで? お坊ちゃんはオレよりも格好良くて強くて渋い大好きなヴァン師匠に、何て言われたんだよ。もうさっさと言っちまえ」
「な、なんだよ! 別に、……何もっ」
「何もって顔と態度がそれか? そうだなー今の例えてない例え話からして、継承権降ろされたとかそんなんだろ」
「っ! な、お前なんで知ってんだっ!?」
「……マジかよ」

 例え話と友人の話は本人の事、と良く言うがちょっと定石通り過ぎて呆気無い。嘘というものは本当の中に少しだけ混ぜなければバレてしまっても当然だろう、このお坊ちゃんは誤魔化すのが下手過ぎる。
 それにしても継承権の取り下げとは。それが事実ならばこれは結構にスキャンダルではないのだろうか。いや、それだけならばアッシュも呼んだ意味が無いので、おそらく継承権第一位という立場が無くなった、あたりだろう。となれば浮上するのが双子の片割れ。だから昨日ディセンダーは気疲れした、と言ったのか。相続権のドロドロした諍いは、産まれたばかりの彼には些か刺激が強そうだ。
 そしてそれは、今まで立場が守られそれを盾にしていたルークにとっても同じ。馬鹿みたいに信じこんで、王になるんだと疑わず。それが突然崩されれば、戸惑いもするだろう。それまで自分が怠っていた諸々に気付いているのかいないのか、そこが1番の問題だが。

「……師匠は、俺とアッシュ両方に権利があって、今はどっちにも相応しく無いって」
「ま、妥当だね。お前らふたり分、足して割れば丁度いいんだけどな」
「なんだよ! 俺、……俺が悪い、のかよ……」
「お前、自分が何ひとつも悪くないと思ってそれ言ってんの」
「…………っ」

 分かってるくせに、人は間違いを簡単には認められない。間違いは否定される事で、否定されれば大抵の人間は傷付く。それが嫌で受け入れる事をまた否定するのだが、そんなに都合良くは進まない。けれどできれば人は、痛くないように生きたいと思ってる。楽して生きたいし、したい事だけをして生きる事が出来れば最高だ。苦労が喜びを浮かび上がらせる、と言うのも分かる。我慢も時として必要だ、全てを乗り越えた先に充実した未来があるのだろう。が、実際痛いものは痛いし、嫌なものは嫌なもの。将来の為に今は我慢しろとは大抵上から下へ放つ傲慢だ、実際我慢する者の声も知らないくせに。
 ルークは今まで致命傷を受けた事が無いのだろう。王族としてのしがらみはあったかもしれないが、最低限の人間的保証はされていたはずだ。だから無駄に汚れておらず、下手な子供よりも子供っぽい、良くも悪くも。だがそれが、人を束ねる余裕を形創る。それは王者には必要不可欠なものだと、ユーリはウッドロウを見てぼんやり考えるようになった。
 だから本当に、アッシュとルークは足して割れば丁度良いのに。この双子はまるでひとりからひとつずつ、奪い合って別れたみたいだ。
 自分の中でも思い当たる事があるのか、ルークは沈んだ顔でどんより俯いている。むしろこんなに真剣に考えたのは今日が初めてではないのかと言わんばかりに、辿々しく、自分の考えを整理しながら言葉を紡ぐ。

「でも俺、結構色々頑張ってたと、思うんだけど。……わりと。それも全部、駄目で意味無いっていうのかよ」
「努力してそれが絶対実になるってんなら、今のエネルギー問題なんてあっという間に解決するんじゃないのか」
「じゃあ無意味でもやれってのかよ。ムカつくクソジジイに頭下げたり、上辺ばっかの連中の話聞いたりさ」
「オレは王族でも貴族でもないから、そんな事知らねーよ。けどアッシュはその無駄な努力ってやつをやってるから評価されてるんじゃないの」
「……知らない。あいつ自分の仕事俺に教えてくれねーんだよな、聞いても理解出来ないだろうからって。ムカつく」
「あのプライドの高さだしな。ま、聞いてすぐ教えてくれるような奴じゃないだろ、もっと食い付けば」
「なんで俺が! そんなダセーの、やってらんねー……」
「ダサいって思ってんの、お坊ちゃんだけなんじゃないの」
「そう、……かな。カッコ悪いだろ」
「そーか?」
「ち、違う?」
「オレは別に」
「……そ、うか」
「アッシュにもお坊ちゃんに見習うべき所、あると思うぜ」
「マジで! どこだ?」
「目先しか見てない所とか、その場限りの思い付きで行動する所とか」
「テメーそれ褒めてねーだろ!?」
「いやいや、褒めてる褒めてる。ダラダラ考えて先延ばしするよりオレはよっぽど好みだね」
「大罪人の好みなんか知るか! 真面目に聞いた俺が馬鹿だった、あー馬鹿らしい!」

 怒りを爆発させ、ルークはダン! とテーブルを叩く。ガチャンと食器が揺れて、周囲が驚き注目を浴びた。しかしルークはそんな視線の束を意にも介さず、バッと片手を上げてウエイターを呼び、メニューを片っ端から注文する。どうやら発散の先に食欲を選んだようだ。
 戸惑いながらも次々と運ばれてくるメニュー達は、定食から始まってケーキまで。溢れんばかりにテーブルへ並べられ壮観だ。それを端からやけ食いの勢いで、ルークは食べだした。怒りながら食べているので頬がパンパンに、ぶつくさ相手の不明な文句を言いながら。テーブルマナー真っ青な具合だが、正直ユーリは此方の方が好感が持てる。

 必死で成長しようとしているのは、何も産まれたばかりの救世主だけじゃない。今やっと自覚して、自ら成長しようとしている子供が目の前に。それがなんだか不思議と面白くて嬉しくて、ユーリの心中に疼くものがあった。
 きっと今辛い時期だ、しかしそれを乗り越えれば、待っている大きな世界を期待できる。痛いのが嫌なのは当然だが、それを知って乗り越えれば同じ痛みの誰かに手を差し伸べられる。その光に、ヒトは集まっていくのだ。こうやってヒトの可能性を見てしまうから、信じてしまうのだろう。
 ユーリは並べられた皿に手を付け、どう考えても許容量オーバーな処理を手伝ってやる。今は怒りに任せてがっついているが、どうせすぐに青い顔して限界を迎えるのだ。言い難そうに食べるのを手伝えと言われる前に手を出してやればスピーディー。ルークもちょっと頼みすぎたと段々後悔してきたのだろう、ジロリと睨みつけるが黙ってハンバーガーを口に詰めた。
 この後闘技場に行って腹を減らせば、いい感じに発散されるはず。後はルークの問題だ、結局答えを出すのは本人より他ない。ユーリとしては後悔の無い選択を選べる環境を、ほんの少しだけ手伝ってやるくらいしか出来ないしするつもりがない。後は好きなようにしろ、って事で。黙々とひたすら食べるふたりの間に、何か通じ合うものは……無さそうだな、とこっそり笑った。




*****

 ラザリスを倒し、ジルディア世界と共に歩むルミナシア。環境は思った以上に変化をもたらし、星晶以外のエネルギーが世界に溢れかえった。晶術を使えないユーリにも、なんとなく肌に当たる空気が僅かに違うと感じている。生物は新たな進化を迎え、新種の発見も日々報告されており科学者達は忙しそうだ。
 ディセンダーがまだ帰らない今、人間達自身の結束を緩めるわけにいかない。幸い戦争も終結し、国同士がゆっくりとだが協力する体制を見せていた。その上で、ギルドアドリビトムの面々にも変化が訪れている。焼けた故郷を復興させたい者やオルタ・ビレッジで難民の救助をしたいと望む者、今の所はまだ資金的に在籍するが将来的には離れるつもりの者。実の所ユーリも、ガルバンゾでの誘拐嫌疑が晴れれば一度戻りたいと考えている。下町の皆の心配は然程していないが、国を出た理由が理由なので顔を見せに帰りたいのだ。
 一度、というかいっそ帰ろうか、とも考えている。アドリビトムは居心地が良いのだが、ずっと在籍するつもりはあまり無い。救世主が在籍していたネームバリューは想像以上に大きくなってしまったし、このギルドの活動範囲は広すぎて少し忙しすぎる。世界平和は結構な事だが、暑苦しいのが性に合わないのも事実。
 だがそれを未だに、頭の中の計画だけで済ませている。アドリビトムを脱退して戻るにせよ、顔見せだけするにしても、バンエルティア号でぱっと行ってさっと済ませてしまえばいいのに、色々理由を付けて後伸ばしにしていた。
 その理由のひとつが、今隣で溜め息を吐く。場所は甲板の、縁の上。海辺で停止しているバンエルティア号は静かなもので、真昼の頭上では太陽と鳥がうるさい。曲線的なフォルムのバンエルティア号外観の、数少ない影が被さる縁にユーリとルークは座り、足を外に投げ出してプラプラと黙り込んでいた、ふたり共だ。

 そもそも、今日は闘技場に行く予定だった。依頼に行けよ、という話だが最近ルークが頑なに闘技場に誘ってくるので、もうすぐ制覇しそうな勢いである。別にそれ自体は構わない、ユーリも戦いは好きだ。だがルークの戦い方が、あまりよろしくないなと思っている。胸に溜まるもやもやを戦いで吹き飛ばそうとしている剣が、あからさまに姿勢を崩していた。隣でフォローしていても危なっかしい。どうやらあの継承権のゴタゴタが、ちっとも片付かないせいでルークのイライラが積もり積もっているのだ。ヴァンがどちらにも等しく権利があって今は無いと言った意味を掴めておらず、苛つきに身を任せている。こりゃ駄目なパターンだな、とユーリも思うが口を出すのも躊躇われていた。
 初めての事で上手くいかないなんて普通だ、だからといって他者が口出し手出ししては、成長しないだろう。しかし継承権という直接的な未来の進路を考えると完全に放っておくのも可哀想な気がなんとなくする。だが、未来の王が自分の選択も出来ずして、国を導けるのかという気もやはりして。第一どんなアドバイスをしろというのか、いくらなんでも王族の進路相談なんてユーリには思いつかない事ばかりだ。面倒なら放棄すれば? といっそ言ってしまおうか。何時までも隣が辛気臭いのはたまらない。

 闘技場に行く予定を、出発前にこうやって座り込んで海を見て潰すルークを発見して隣に座る。それからずっと、相手は黙ったまま。いい加減行くか止めるか、どっちかにしてもらいたいもんだ。自分から立ち上がる気は無いユーリが伸びをすれば、緩慢な動作でルークが頬杖を突き、唐突にぼそりと言った。

「俺達、もーすぐ国に帰る」
「は?」
「いい加減戻って来いってよ。継承権の発表もそこで正式にするって」
「へー、どっちかって決まってるのか?」
「知るかよ、んなの。こっちが聞きてーよ」
「ふーん、お坊ちゃんは自分が選ばれる気あんの」
「……どうかな」

 これは随分自信喪失してるな、とユーリは思った。意地の勢いが完全に無くなっており、まるで空気の抜けた風船だ。しかし、その空気の抜けた状態で初めて自分や周囲を真剣にじっくり考えるようになったのも、事実らしい。ルークは真剣な瞳で水平線を見つめ、煮詰めた思考を自分なりに口にした。

「多分、アッシュが王になった方が国としてはいいんだろうなって思う、……ようになってきた」
「あの怒りん坊が王になったら規律が厳しそうだなー」
「アッシュは民にはそんなキツくねーよ、臣下や大臣にはキッツいけど。まーそこらへんナタリアが上手くフォローすると思うし」
「そういやお前とナタリアは婚約者なんだったか。それってどうなるんだ?」
「アッシュが王になるなら解消だろーな。元々あっちのふたりが恋仲だったし、俺としてもその方が気が楽だしよ」
「なんか、完全に負け犬思考になってるんだけど。お坊ちゃんってそんな奴だったっけ?」
「俺だって自分を客観的に見る事くらいあるっつーの! まあ見れるようになったのは最近なんだけど……」

 負け犬に反応してルークは一気に噛み付くが、以前のように全身を怒らせたりはしない。なんだか大人になったというか、一皮むけた落ち着きにユーリは……悪いと思ったが、物足りないなと感じた。

「別に、俺は自分が駄目な奴だとは全然思ってねーけど!? でも、アッシュ以上にやってるかって言われると、ちょっと自信は……無いかもしんねー。でも完全に負けてるつもりはマジ無いからな! だってあいつすぐキレるし! 自分が出来る事なら他人にも出来るだろって考えてるし!」
「あー、そりゃウザいな」
「ウザいよな!? 俺の事考え無しの馬鹿だとか言うクセに、あいつ俺の話全ッ然聞かねーんだぞ!」
「そりゃあれだ、お前さん格下だって思われてんだよ。犬の階級みたいな感じだな」
「誰が犬だ格下だ! とにかく、アッシュのそーゆー所がある以上は、俺は簡単には譲ってやんねーぞ! せめてアッシュがお願いしますって言いに来るまで待つつもりだからな!」
「というかルークってマジで王様になりたいのか」

 話している内に、ルークは自分の中の怒りが込み上がって以前の調子に戻り始める。なんだかアッシュの悪口を言う姿は生き生きと輝いているような気がした。相変わらず双子間で自給自足しているようで、なにより。そして聞いていてユーリは気になった事を、率直で聞く。きっかけは継承権であるが、ルークが王位に拘る部分はあまり見ない。精々威張る材料にしていたくらいじゃないのか、船内で効果を発揮していた場面なんてフレンやアスベルくらいだ。
 そしてそれは本人も自覚ある所だったらしく、うーんと唸って面倒そうな声を出す。便利なものだから使っていたが、詳細はあまり見ていなかった。そんな道具感覚を正直に口にした。

「うーん、それがさー……。最近王様って面倒だなーって思うようになってきてよ」
「そりゃ王様は面倒なもんだろ、国を束ねてるんだからな」
「だって俺、今までそんなつもり無かったし。ガキの頃から将来俺が王様になるんだからな、って言われてただけでさ。そのクセ政務とかあんまり関わらなかったし、家から出してくれなかったし」
「大事に育てられてたって訳か。ま、王子様だし当然だろ」
「聞こえは良いけど、ぶっちゃけ軟禁だったぞあれは! 俺は今でも大臣の奴らの顔と名前ほとんど知らないんだからな!」
「それって変じゃないのか。普通媚売ったりする為にしょっちゅう顔出すだろ」
「だからー、俺城自体上がった事ねーし」
「ライマの王子ってそれが普通なのか?」
「俺が知るか! とにかく、なんにも知らないのに俺が王様になったら、勉強しなくちゃなんねー事多すぎだろ? でもアッシュは裏方で色んな政務やってっから、そこらへん顔広い訳。ってなるともうアッシュがやった方が早いじゃん!」
「ふーん、変な国だな……」

 普通逆だと思うのだが、文化と言われてしまえば他国の人間には口出しできない。というか、城にすら上がった事が無いとは。本当にルークは第一位王位継承者なのだろうか。もしかして子供の頃誰かに言われた冗談を信じてしまった、とか? いやいくらなんでも訂正されるに決まってる。どちらにせよ変で面倒な国だ、とユーリはこっそり呆れた。
 理由はともかく、……面倒だという理由で王位を辞退するのもどうかと思うのだが、本人の考えもあるのだろう、多分。ルークとしての結論は既に出ているようだ。自分の場所を譲るとは、彼の性格からして有り得ないと思っていたので少し意外だ。なんで俺が退かなきゃなんねーんだよ! と怒り散らしてアッシュと大喧嘩をすると思っていた、物理的に。まあそこまでやっては本当に王位を降ろされてしまいそうなので、流石に無いか。
 隣の顔を覗けばまだ少しモヤモヤ顰め面ではあるが、決意を口に出した事で少しずつ険が取れていくのが見て取れる。

「今まであんまりさ、自分の将来って考えた事無かったから……丁度良かったのかもしんねー」
「よくそれでオレの将来設計に文句付けられたなお前」
「うるせーな、いいだろ別に!」
「それで、ルークは王様止めて何するんだ。参考までに聞かせてもらおうかね」
「何すっかなー、もういっそここにずっと居よっかな。剣振り回せるし、外出れるし」
「貴族なんだから王位に就かなくても城の仕事とかあるんじゃないのか?」
「やだよめんどくせー。第一城だとアッシュ居るじゃん、命令されたりこき使われるなんて絶対に嫌だね」
「こいつ社会不適合者だな」
「お前に言われたくないんだよ、この大罪人が!」
「冤罪だし、もうその嫌疑晴れたから罪人じゃないんだけど」
「フレンが言ってたぞ、何度もとっ捕まって牢屋に打ち込まれてる犯罪歴があるって! えーと、小悪党!」
「うっわ一気にみみっちくなったなおい……」

 余計な事を教えやがって、と自分の過去を棚に上げてユーリは舌打ち。ルークはこんな程度で鬼の首を取ったように喜び、ウザいくらいだ。一通り指さして笑った後は、少し考え込むように大人しくなる。

「まあ、俺の方はそんなもん。だから、もうすぐ国に帰る。お前ともお別れだ、せいせいするぜ」
「そうか、お前あっちで自堕落に過ごして太ったりしそうだな……」
「師匠から言いつけられた修行はちゃんとやってるから太ったりしねーんだよ! ってかさ、むしろ最近アッシュの奴が体調悪いみたいなんだよなー」
「自分にチャンスが巡ってきたからって張り切っちまったのかもよ」
「んー、あいつ他人に厳しいけど自分にも厳しいから、体調崩すなんて滅多にないんだけどな……。カッコつけだからナタリアの前で膝なんて絶対突かねーし」
「ふーん、良く見てるんだな」
「あいつうるせーんだよ、俺に好き嫌いすんなとかだらしない格好すんなとか」

 教育ママか、と一瞬思ったがユーリの口は閉じる。ちょっと前では悪口を言っていたのに、今は体の心配とは忙しい事だ。
 それにしてもアッシュの調子が悪い、とはユーリは全く気が付かなかった。元々ルークの方にばかり構っていた事もあるが、確か姿自体をあまり見かけなかった気がする。彼のプライドの高さならば、弱っている場面を他者に見られたくは無いだろうから、部屋に引きこもる可能性が高い。しかも同室にナタリアが居るのだから、簡単には弱っている隙すら見せないのではないか。その隙間を見逃さないルークは、やはり双子として通じ合っているのだろう。本当にこの双子、お互いもう少し腹を割って話し合えばもっと仲良くなりそうなのに。喧々と離れていなければならない何かでもあるのだろうか、見えない神の手が邪魔しているとか。

「ま、アッシュの事もあるから早めに帰るかって事になってよ。ここも個室部屋はあるけど、やっぱ騒がしいじゃん」
「お節介焼きが多いからな。病人に構いまくりは流石にしないと思うけど」
「ナタリアが居るからさ、おかゆとか食事食わされたら治るモンも治らないだろ……」
「ああ、成る程ね」

 こういう時、恐怖の料理人は困るな。ふたり恋仲だからアッシュは断らない、それがより悲劇を産む。誰かナタリアにまともな料理の作り方を教えてやればいいのに。フレンのように味覚破壊系オンチではないのだから、まだ救いようはあるはずだ。

 ルークはトン、と床に足を付け伸びをする。コキポキと軽い骨の音が聞こえ、短時間なのに妙に凝り固まった体をほぐした。振り向いた顔は、さっぱりとしている。辛い時期を終え決意を固めれば後の気は楽なものだろう、ニカッと珍しく、いやもしかしたらユーリは初めて正面からルークの笑顔を見た。

「ま、お前には世話になってねーけど、一応礼くらいは言っといてやるぜ」
「はいはい、そりゃどーも」
「帰るまでに闘技場は絶対制覇するんだからなっ!?」
「あー分かった分かった。そんじゃさっさと行こうぜ」

 そう言って急かし、ユーリはさっさとタラップを下りる。背後から待ちやがれ、と慌てた声が追い駆けてきて少しだけ楽しいかもしれない。そうか、ルークはもうすぐ帰るんだな。そう思ったら、寂しい……のかもしれない。今までうるさいくらいに騒がしかったから、ぽっかりと隙間が空いてしまう。不思議なものだ、最初は絶対に合いそうにないと思っていたのに。
 これまでを振り返っていると、背中を引っ張られる感覚。足を止めて振り返れば、手を伸ばしたルークが視線を逸しながらもごもごと、少し頬を赤くして呟く。

「帰るけどさ、落ち着いたら……また、こっち来てやっても、いいぞ」
「……ああ、そうだな。待ってる」
「……おう、待ってろ」

 寂しいなんて、言葉にしなかったのにまるで慰められているようだ。こんな気遣いは今までルークにされた事が無かった、だから唐突でユーリは驚くと同時に、湧き上がる訳の分からない感情が体の内を取り巻いて動けなくする。なんだろうか、これは。正確に描写できないのだが、例えるならば、初めて自分で野菜を種から植えて実を収穫した時の、ような。……自分で例えておいて微妙だな、とユーリは口元を閉じた。
 なんというか、不思議な満足感。ルークと一緒に居ると、大なり小なりそんな気持ちになる事が今まで多かったのを今更ながら思い出す。子供がひとつずつ新しい事を学習していく様を隣で見て、親のように喜んでいるような。オレは親馬鹿かと笑って、ユーリは瞼と一緒に蓋をほんの少しだけ。そのちょっとだけの隙間が、顔を覗かせてぽつり。思ってもみない事を口にしていた。

「最後なんだから、オレを名前で呼んでみる気ない?」

 予想外の言葉を、自分の声で聞いてユーリは目を開ける。隣の朱色を見れば驚いて、くりっとした瞳孔があっちこっち動き、それから吹き出して大笑いした。

「だーれが! お前なんか一生大罪人で十分だばーか!」

 まあ、笑い飛ばしてくれた方が自分には良かったかもしれない。そう考えてユーリは自分でも笑う。歩きながら、ふたりで笑って変な連中だ。それもいいかな、と思ってしまう辺り変だな、と。

「ま、ルークしか呼ばないってんならそれもそれで特別なのかもな」
「んなっ!? ばっかじゃねーのっ!」

 ぎょっと驚き拳を振り上げ、狙いを定めて拳を打ってくるがユーリはそれをヒョイヒョイと躱す。当たらない的に怒りを、今度は正真正銘ルークらしく怒りだした。そろそろいい加減、怒りとただの照れ隠しを見分けられるようになっていたユーリはその手を取る。そして指先2本分だけ絡ませ、ほら行くぜ? と笑い足を進めた。
 ぐん、とひとり一歩分だけ先に。今回は引き摺らない、すぐに腕の間はゆるんで円を急角度に描く。足音は隣から追いついて、ちらりと視線だけ動かせば鮮やかな朱色が目に入る。透き通る金色が輝いて、落ち着いたはずのユーリの胸を疼かせた。それは恋だよ、何時かディセンダーが言っていた言葉がぶり返す。それは変だな、とユーリはぽつり聞こえないように呟いた。






  


inserted by FC2 system