anti, World denied








3

 ルークの喉が治癒により回復し声が出るようになったのはそれから1ヶ月後で、ベッドから起き上がれるようになったのは2ヶ月後だった。随分時間が掛かった事は否めないが、解明された容態から見るに、回復するという事態すらとんでもない奇跡だと言う。どんな手段を用いたのか、遅れてジェイドが毒薬のレシピを届けたのも大きな進展だった。最近レイヴンやジェイがよく船内から姿を消すのだが、無関係ではないだろうと薄っすら予想するが放っておく。裏も表もありそうな情報屋の裏なんて、疑う事すら億劫である。
 あれ程疎んだ宝珠なのに、本当にルークの命になり助けるとは……何度考えても、納得がいかない話だ。回復を待つ間先輩後輩となったガイと、よくその話をしたのも今では笑い話になるだろう。

 扉にはマナを遮断する結界。通った瞬間奇妙な感覚で体に鳥肌が立つが、唱術を扱うティアやナタリア、アニスはもっと全身をぞわぞわと身震いしていたのでマシな方らしい。治療が特殊な事もあり、ルークは医務室ではなく個室を与えられずっと眠っていた。中へはアニーとナナリー、科学者達以外出入り禁止になっている。見るだけすら不可、と言われて文句が各方面から上がったが、どうせ眠っているだけに加えて出入りが激しいと結界が緩む、それに許可を出せば際限が無いだろうと逆に怒られた。なのでユーリ達がこの部屋に入ったのは今日が初めてになる。
 中に入れば当然、まっ先に白いベッドへ視線が奪われた。その子供は相変わらずアドリビトム全室で使用されているベッドの面積を半分だけ使って、ちんまりと纏まって起き上がっている。背中を丸めているせいで記憶よりもずっと小さく見え、パジャマから伸びる腕は痩せてずっとずっと細く頼りなく。ベッドの横には先日まで使われていたのだろう点滴パックが、入ってきた人数の騒がしさで迷惑そうに揺れていた。しかし2ヶ月を共にした当の本人は嬉しそうに、大袈裟に喜んでますますベッドと一緒に揺らす。だが体が上手く動かないのか不安定にぐらぐらと倒れそうで、それをたしなめながら支えたのは意外にもリタだった。

「みんな!」
「ちょっと、急に動いちゃ駄目だって言ったでしょ。あたしと約束した事もう忘れたの?」
「う……ごめん、リタ」

 今日傍に付いたのはリタで、科学者というよりか心配する姉のような雰囲気でルークを気遣っている。海で見せていた不器用な優しさの棘は今や見る影も無く、最早こちらを姉弟と言った方がしっくりくるんじゃないだろうか。そんなほのぼのとした場面、真偽は不明だがアッシュがずずいと一歩前に出て声を張り、存在を主張した。

「兄上!」
「アッシュー、アッシュだ!」
「あまり声を出すな、声が出るようになったのも最近なんだろう」
「う、うん……そうなんだけど。嬉しくってさ」

 ルークには既に、体内の宝珠を取り出す手段があり成長する未来が叶うと伝えている。その事実を自分達の口から伝えられなかったのは残念だが、本人同士顔を合わせて通じ合うものもあるだろう。アッシュは膝を折り、ルークを抱き締めた。ぎゅっと強く回す腕は少々痛そうだが、リタは止めない。10年分の、いやそれ以上の困難と、憂慮に縛られていた関係が今やっと、雪解けたのだ。
 改めてジェイドの口から、宝珠を取り出す方法と治癒を説明されればルークの瞳からはぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。唇はわななき、言葉を紡ごうとしても震えて上手く喋れない。それでも懸命に言おうとしている言葉は、恐怖だった。

「アッシュ……俺、俺達もう、……殺し合わなくても、いいんだよな? 本当に……」
「当たり前だ、俺は最初からあんな言い伝えに従う気は無い。いくら教団から言われようと、それにより地位が危うくなろうと」
「ううううぅ〜……アッシュー!!」

 感極まってルークはわっと、止められたのを忘れて大声で泣き出す。すぐに咳き込んでしまい、リタが慌てて背中を擦った。アッシュも同じ様に、いや慈しみながら手を広げて撫でる。もう心配ないんだ、としっかり教え込むように。見ていた女性陣からは、小さく鼻を啜る音。ちらりと横向けばガイは既に泣いていた。ジェイドは都合良く背中を向けていたので表情を確認出来ないが、どうせ何時も通り笑顔なのだろう。普段よりか、笑顔なのかもしれない。
 それからルークは涙を落ち着けて、恥ずかしそうに照れてはにかむ。そこへタイミングを見計らい、アッシュが殊更声を優しく聞いた。

「それで兄上、すぐこんな事を聞くのもなんだが……ひとつ聞きたい事がある」
「うん、なに」
「兄上はどこでどうやって、あの毒を手に入れたんだ? 毒のレシピはジェイドが手に入れてきたが……出てきたのはある大幹部の金庫からだったそうだ」
「……その」
「教団の襲撃を心配する必要はありませんよ。彼らは今それどころではありませんので」

 結局今の今まで、ルークがどこで毒を受け取ったのかが解明されていない。声も出て起き上がれるようになったとはいえ、まだまだ体内に毒素は残り内蔵をじわじわと侵食している最中。宝珠の治癒が僅かにそれを上回っている為、時間をかけて修復しているのだ。なのでこれを機会に、とリタにも事前に許可は取っている。
 ルークは言い辛そうに口元を歪め、アッシュ達の顔色を窺い上目使いをよこす。毒を受け取り飲んだという、裏切り行為を告白させているのだ、当然に気不味いだろう。しかし気になる事でもある上、発信機のように居場所や情報を知らぬ内に抜き取られてしまうものならば放置しておけない。ルークはアッシュに優しく諭され、声を潜めて過去を語った。

「足の裏の魔法陣……紋様を刻まれたのはずっと昔、教団で宝珠を入れられた時なんだ」
「10年、いや11年前か? しかしあの時俺達は眠らされ運ばれたはずだぞ」
「うん、でも俺は途中で起きちゃってさ、その時……イオンと会ったんだよ」
「ほう……それはそれは」
「そこには他の大人も居たんだけど、剣と宝珠を入れた後イオンが大人達を追い出して、俺に声掛けてきたんだ。でもその時の俺は本当にただのガキだったから、正直難しい事言われても全然わかんねーし、それになんか……怖かった」
「イオン導師は幼くして聡明ですが、同時に子供らしからぬ冷淡さを持ち合わせていた、と聞き及んでいますが……」
「なんか、俺と大して変わらないはずなのに冷たい目だったってのは覚えてる。でもよく分かんねーけど、あっちは面白がってさ、俺の足の裏にこの魔法陣みたいなの紋様を刻んだんだ。確か……ストーレとか何とか言ってたと思う。譜術振動で肉体に直接書き込むから、宝珠の影響を受けないんだって」

 そう言ってルークは足をベッドシーツから出し、右足の裏を晒す。あの時確かに見た赤い魔法陣は今沈黙しており、影も形も光も無い。ルークの瞳は懐かしむような、哀愁潜む眼差しで足裏を見つめ確かめるように撫でた。

「気が向いたら連絡するかも、って言ってたけど……結局連絡なんて無くって、正直忘れてたんだ。でもイオンが家に来た時が、1度だけあったじゃん?」
「ああ、確か……8年程前、だったかな。あの頃はまだ軟禁状態では無かったか」
「うん。俺とアッシュの成長の差が、はっきりしてきた頃だ。その時会ったイオンは、前に会った時より全然優しくって、なんか良い奴だったから思い違いなのかなって考えて、聞いてみたんだ。あの時の紋様ってなんだったんだ、って」
「ちょっと待ってくれ。そのイオンって奴は怖いんじゃなかったのか?」
「最初に会った時は怖かったけど、2回目に会った時はすっげー弱っちくてほにゃほにゃーってしてたんだ。多分、病気で弱ってたんじゃないのかな……よく咳してたし」
「……ふむ」

 ライマ出身ではないユーリとリタでは教団の影響力というものにあまりピンとこないし、イオン導師とやらも想像がつかない。個人的感情を大部分寄せて、あまり良い感情は湧かなかった。ちらりとジェイドを見れば、背中からでも窺える考え込む様子。明らかに何やら思い当たる節があるらしい。けれど説明をするつもりなんて無いようで、ルークはゆっくりと話を続けた。

「そんで、その時この紋様で、繋げるのはイオンからの一方通行になるけど通信する事が出来るって知ったんだ。それからちょくちょく俺達はお互い連絡しあってたんだよ」
「そんな素振り全く無かったと思ったんだが……」
「声じゃなくて、骨を振動させて直接会話するんだってさ。それに寝るちょっと前に、ほんの少しだけ話すだけだったから……。でも、そのおかげで俺は秘預言と、剣と宝珠と、自分が置かれてる状況を知ったし、イオンと友達になった」
「ジェイド大佐はご存知だったのですか?」
「私がルークの主治医に就任したのはその1年後ですので、その時はお互い存在すら知りませんでしたよ」

 言ってしまえば敵対勢力の親玉と繋がっており、懇意にしていたという事だ。確かにこれは言い難いだろう。ルークに沈む宝珠を何とか取り出そうと、必死に実験を受け続けていたアッシュを見ていれば余計に。
 ごめんな、と瞳を伏してアッシュに詫びる。散々自分の為に尽力してくれていたのに、それをずっと裏切っていただなんて。ルークの頭はどんどん下がり、今にもベッドに付きそうだった。アッシュはそれを掬い上げ、またも潤んでいる目元をそっと拭う。

「その頃はまだ俺も、剣だの宝珠だの考えもしなかった頃だ。呑気に勉強だけして、兄上の事を見ていなかった。むしろ疎ましくて軽んじていたんだ、その事に気付いたのも兄上が誘拐されてからで……謝るのは俺の方だ。兄上、すまなかった」
「あれは、俺が本当に馬鹿だったから!」

 アッシュとルークは途端にふたりして落ち込み、どんよりと暗雲を背負う。今の会話の時系列から、ずっと昔にもルークは誘拐された事があったようで、おそらくその時にルークが軟禁される決定的な事件が起こり、ふたりに大きな傷跡を残したと考えられる。ジェイドが忌々しそうに色々あった、と言っていた事件。他の皆の顔色は同様に沈んでおり、彼らにとっても口閉ざす事件だったのだろう。ユーリは推察しようと試みるが、ルークの泣く姿を想像しただけでギブアップしたので止める事にした。未だ癒えていない過去を無理矢理ほじくり出す必要も無く、時が経てば何時か彼らの口から語られるはずだ。

「それで、イオンに聞こうと思ったんだけどそれから連絡が無くなっちまって。あんなに毎晩話してたのに、なんでだろうって……」
「俺も兄上の誘拐を機に教団に疑いを持ち、秘預言を調べ企みを知った。その頃からだな? 兄上が毎日ひとりでこっそり泣いていたのは」
「う、うん……。だって俺達、イオンに見捨てられたら剣も宝珠も取れなくなっちまうって考えたら本当に怖くてさ。またあんな目に遭うのも嫌だったし」
「それで、それきり連絡は来ず終いなのですか?」
「ううん、来たんだ。イオンが死んだって聞いてから暫くして……相手はイオンじゃなくて、知らない奴だったけど」
「知らない……?」
「分かんないけど、多分の教団の奴なんだと思う。その時の俺は、もう何もかもどーでもいいって、思ってたから。イオンが死んだって事は、俺の友達が死んで、剣と宝珠はもうずっとこのままで、俺は一生子供のままなんだ……って自棄になってたから」
「ルーク……」

 軟禁状態という閉鎖空間に閉じ込められたまま、一生を生きる。愛し愛されるが故に重荷と苦しみは増すばかり、自分が枷になっているのは一目瞭然で息苦しい。そんな生き方、ユーリは考えてゾッとした。
 いっそルークがもっと愚かで、守られる事を疑問と思わぬ程依存していれば穏便に済んだのだろう。見た目通り子供のままで居られればどれだけ幸せだったか。だがその場合ユーリと出会う事は無く、こうやって解決する事も無かった。なんというか、世の中上手く出来ている。どこか軽く後付けで扱ってしまうのは、ユーリがライマの人間ではないからだろう。

「でも、ユーリと出会って、ガルバンゾで目覚めた時……俺は外の国を知って初めて、もうちょっとだけ生きてみたいって、思ってさ。楽しかったよ、すごく。夢みたいな毎日だった。な、ユーリ」
「あの苦労が夢であってたまるかってんだ、ちゃんとお前は生きてるし起きてる」
「うん、すごいよな本当に。俺ほんのちょっとだけ、あのままあそこで生きるのもいいかなって思った。俺が失踪すれば教団も諦めるんじゃないかって思ってたけど、そんな訳なくって。でもユーリはまた助けてくれてさ。ありがとな」
「どーいたしまして。家来の当然の役目だ」

 共に生活したあの時期がルークの助けになっていたのならば、それだけで満足だ。だからこそ余計に、暗殺者に見つかった時は恐れたのだろう。自分の浅はかと、教団の刃に。ルークの微笑みはまた急転直下し、どんどんと曇る。
 アドリビトムに到着してジェイド達と合流し、人の願いを叶えるという赤い煙に一縷の望みを見つけ、約束を取り付けた。話を聞けば周囲の顔も険しくなり、知恵を貸したジェイドへと視線の矢が飛んだ。しかし彼は普段通り、胡散臭い笑顔で意にも介さない。

「でも結局、ラザリスも無理だったから……タイミング良くあいつらから連絡も来て、言う通り……毒を受け取って飲んだんだ」
「毒は別荘に置いてあったチョコだったのか?」
「俺も最初はそう思ったけど、全部食べても何も起きなくって。でも夕方に外を見てみたら、教団で使ってる鳩が見えたから、多分それかなって」
「あ……お前、だからいきなり餌よこせって言い出したんだな?」
「うん。足首に取り付けてたから、捕まえて取って、すぐに食べた。後にすると、……怖くなるから」

 楽しみにしていたバカンスを最後まで味わえば、また生きたくなる。ユーリと共に過ごしたガルバンゾの時のように。そう言ってから顔を俯き、ルークは口を閉じた。
 聞けば聞く程、ユーリは呆れの傍に恐怖を呼ぶ。今の話が本当ならば可能性として、チョコに紛れていれば直ぐ様食べたルークはユーリが呑気に砂浜で考え込んでいた間に死んでいたかもしれない。もしくはユーリが夕食の手伝いをせずリタとずっと話していれば。トウモロコシに伸びる手に気付いていなければ。どれもこれも少し運命が違っていれば、ユーリの気付かない内にルークは死んでいたのかもしれなかったのだ。もしもあの時、自分は後から知ればどれだけ心を乱したか計り知れない。
 数々の危険な分岐点をすり抜けて、あの瞬間に立ち会えた。あの場で自分が居ても居なくても然程変わらなかったかもしれないが、今考えればきっと最高の条件だったに違いない。

 疑問だった毒の入手経路から、思わぬ過去話が飛び出し室内は少ししんみりする。喋り過ぎたのだろう、またルークが軽く咳き込みリタが水を差し出した。大丈夫だと頭では分かっているが、咳を聞くとどうしてもどきりとしてしまう。また血を吐いたりしないだろうかと。あの現場に居合わせたリタも同じ事を考えたらしく、今日の面会はこれで終わり、ときっぱりとした口調で言った。

「ええ〜、もうちょっと……」
「駄目よ、軽く食べて薬を飲んで、今日はもう寝るの」
「またお見舞いに来ますわ。その時に沢山お話しましょうルーク」
「お土産持って来ますから、期待しててくださいね!」
「もっと元気になったらお前の好きな物いっぱい作ってやるから、今日は休んだほうがいい」
「その紋様の件、こちらで使われないように調べておくから兄上は心配しなくていい」
「譜術を利用しているというなら、私も協力出来ると思います」

 ライマの皆に説得され、ルークは渋々と頷く。そして皆が出ていこうとする前に、ぎこちなく両手を大きく広げて抱擁をねだった。言う事を聞かない体を必死で動かす表情は健気で、本当の幼子が親に甘えるようなたぐい。ルークの実年齢を知っていても保護欲をそそられる仕草だった。一番最初に反応したのは当然にガイで、晩年の想いを込めてぎゅっと強く抱き締めている。その次はナタリア、ティア、アニス……そしてジェイドも、皆の視線に背中を押されて一歩前に出た。

「……ルーク、貴方が無事で生きられる事を喜ばしく思いますよ。本当に」
「ジェイド、みんなに黙っててくれてありがとうな」
「悔しいですがそれくらいしか、あの時の私に出来る事はありませんでした。今こうやって過去を過去とする事が出来そうで、何よりです」

 あのジェイドが表情を柔らかく、目元に皺を寄せて微笑んでいる。作り笑顔ではなく、自然な笑みだ。雰囲気が変わった様子を誰かがからかおうとはせず、温和な空気。……を、止めたのはアッシュだった。険しく眉を潜め、ちょっと待てとジェイドの肩に手を置く。

「おい、今黙っててくれて……と言っていたが、お前何を黙っていたんだ?」
「…………さぁて、何の事でしょうか?」
「確かに、わたくしも聞こえましたわね」
「大佐は秘密主義な所もありますが……今の内容は少し気になります」
「ち、違うんだジェイドは悪くないって! ただ俺が死ぬ事を先に言っといただけなんだよ!」
「へぇー、詳しく聞きたいなそれは……」

 爆弾発言を投下して、個室は戦場になった。ルーク以外全員の、視線の切っ先がじろりと集まる。患者が居るにもかかわらず空気は一気に最悪に、曖昧にいっても一触即発。ジェイドは慌てもせずやれやれ、と肩を竦めた。
 つまり、ジェイドはルークが死ぬつもりだった事を知っていた。いや元々ルークは生きる意欲を失っていたが、変化した環境と状況により払拭されたんだと周囲は呑気に考えていたのだ。それを裏切って、死を決意していた背信。それをジェイドだけは直接、ルークから告白されていたらしい。時期を考えれば恐らく、ラザリスが倒された後、彼らがアドリビトムを出る前辺りか。だからまだ隠している事があると、あの時ユーリに忠告したのだろう。
 ジェイドの立場ならば何か手を打てるはずなのに、何故口を噤み何もしなかったのか。手遅れの過去を悔いていた彼ならばいくらルークの望みでも、見て見ぬふりをするとは考え難い。まさか、その対策があの時の忠告だったのか? それはいくらなんでも甘過ぎるだろう。もしくは、周囲の望みよりもルークの望みを優先した……。考えられそうだが、そんな決断をジェイドがしたという事がユーリから見て、冷たく仮面を被る男の一欠片の情に見えてしまいどちらにせよ微妙な気持ちになる。
 他ライマの皆も、ルークの弁明に心動かされ酌量の余地を受け入れた。……ように表面上見せかけ、笑顔の裏で怒気の鬼が陽炎のように立ち昇っている。ユーリはその推移を余すことなく観察し、全面的に見て見ぬふりをした。リタは最早怒るのも面倒なようで、呆れ返っている。

「まあジェイドが隠し事するなんて何時もの事だろ。それにルークの性格を考えたら下手に止めても余計に意固地になるだけだしな」
「……チッ! ジェイド、城に帰ったら覚えていろよ。寝る暇も無い程こき使ってやる」
「大佐ぁ〜、アニスちゃん暫く休暇貰いますね、その間の雑務はぜぇ〜んぶおひとりでやってくださいっ」
「私も暫く、自分を鍛え直す為に休暇を貰いたいと思います」
「そう言えば大臣達が大佐に相談した事が沢山ある、と言っておりましたわよ。その頭脳と気遣いで捌いてくださいまし」
「はっはっはっ。旦那ー、しばらくファブレ家には来ない方がいいぞぉ」
「いやー、予想はしていましたが散々ですねこれ」
「日頃の行いってのは大事だな」
「ご、ごめんジェイド! みんなには俺から言っておくから!」

 殊更ルークがぎゅーっとジェイドに抱き付くのだが、その強さに比例して集まる視線の刃はざっくりと深く刺さっていく。庇えば庇う程、後でジェイドが被る被害は増していくのだがそこまではユーリの預かり知らぬ所である。むしろもっとやっていいぞ、とこっそりほくそ笑んだ。

 そして最後に、ルークの腕はユーリへ伸びる。子供の遺言を聞いたのは自分だ、ユーリはたっぷりあった時間の間で、結局ルークは自分の存在を最初から最期まで利用しようとしていたのだと結論を出した。おそらくそれは間違っていない。その証拠に今ルークの表情は複雑で、どう形作っていいのやら分からない、とそんな顔。
 散々茶番を続けてリタの目が尖っている、さっさと終わらせて休ませろと眉が釣り上がっていた。なのであまり時間は掛けられない。話を後にしてももう大丈夫なのだという安心感が余裕を持たせていた。そっと近付いて、床に膝を折り抱き締める。子供の体はやわくて細っこくて心配してしまいそうな程脆かった。その頼りなさに心臓の奥がキリキリ痛み、食事はたっぷり多目に作ってやろうとこんな時でも決意を固める。そして殊更潜めた、申し訳なさそうな声を耳に入れた。

「……あの、ユーリ」
「ルーク、ひとつだけ聞かせてくれるか」
「あ、……何?」
「お前の家の台所、オレが入っても追い出されたりしないだろうな?」
「……へ?」

 いきなりぶっ飛んだ内容に翡翠の瞳はまん丸に、呆然と口を広げている。その間抜けな様に吹き出し笑いを軽く、頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて2ヶ月ぶりに感触を味わった。ふらふら揺れている頬を受け止めて、細い首筋をゆっくり撫で上げる。言いたい事も伝えたい事も、考えれば考える分だけあるだろう。だがユーリはそれを言葉にするつもりは無かった。むしろ必要だとは思っていない。考えている間に動けばいいだけで、単純な事だ。

「いや偶に居るだろ、素人は入ってくんなっつって追い出すシェフ。食いたくても夜とか買いに行くのは面倒だし、簡単な物は自分で作りたいじゃねーか」
「えええ……し、知らねーよそんなの。それよりもっとこう、……俺に言いたい事、あるんじゃないの」
「特に無いけど?」
「でも、怒ってるんじゃ……」
「怒ってるように見えるかオレ?」

 ユーリはベッドに腰掛け、腕をルークの背中に回して抱き締めながら聞いた。優しく髪を梳き、頬をぶにーっと引っ張ってやればよく伸びる。手を離せば少し赤くなってしまった、自分でやったくせに自分でよしよし、と慰め自作自演。ルークの表情はようやく困惑から抜け出し、その手を重ねてきた。ちんまりした指が乗ってやわくあたたかい、ユーリの手の平は翻して更にそこから重ね直す。
 せっかく水たまりが途切れていたのに、宝石から染み出すようにじんわり潤み、大きな涙が出来上がっていく。ユーリはそれを笑いながら吸い取る。泣き過ぎて顔が真っ赤に、熱を持ち始めていた。まだまだ体は治療の途中なのだから、あまりにも激しい感情は良くない。しかしこの場の誰も、今は止める事は無かった。それに感謝しながらユーリはゆっくり目元を撫でていれば、ルークのもう片方の手は裾に縋り付き皺を強く痕付ける。それからやっと、震えた声で本心からの言葉。

「ごめんな、俺……」
「これからは何かするなら、まずオレに言え。オレがお前の手足で、剣と盾になる。その為の家来なんだから好きに使えよ。気に入らなかったらちゃんと言うさ、辞めないけど」
「はは、どっちだよそれ」
「言っただろ、オレはオレの好きなようにしてるんだって。ルークの家来になってもそこらへんの主張は変える気ねーから、そのつもりで頼むわ」
「うん、……うん! ありがと、ユーリ。俺ユーリの声ちゃんと聞こえた、聞こえたんだ……」
「そりゃ良かった、あんだけ必死になった甲斐があったってもんさ」

 主人が帰ってくるべき標になれて、これ以上の従者冥利があるだろうか。心に育てた種は今花開いて、過不足なく満開だ。どうせならば世界樹の花びらも今舞えばいいのに、そんな人間の勝手な望みが届くわけも無く、届かなくても世界は滅ばない。ルークも死を選んだりしない、最高だ。

「もう二度と勝手な事は無しだ、分かったな?」
「うん!」

 やっぱり元気良く返される返事は頼れるような、頼れないような。まあ今から心配しても積もるのは気苦労だけだ、そういう役目は主にガイだろう。これからは特に心配症の過保護に磨きがかかるだろうなと、簡単に予想出来るのも笑える話。
 だがいいじゃないか、そんな幸せな苦労ならばユーリだって大歓迎だ。見果てぬ夢だと諦めていた遠くのバラは一面に敷き詰められて、今では何本でも積み放題である。これからはもっと、そんな楽しみが増えると思うと待ちきれない。ああ世界よ、祝福しろ。そんな馬鹿みたいに浮かれた芝居を心の中で。
 しかしユーリは我慢出来なくて、つい目の前の幸福で祝福で愛で希望で星で世界を、つよくつよく抱き締めた。抱き締めても潰れない消えない、その現実を腕の中に閉じ込めて。






  


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