anti, World denied








Epilogue

 心の重荷から開放され、小さな王子様はぐんぐんと回復していった。毒素を完全に体外へ排出するには少なくとも今より半年以上は必要になるらしく、それまではどうしても部屋に閉じこもりっきりになってしまう。それを憂い、リタが小型のマナ遮断装置を作り上げてくれた。しかしまだ手足の動きはぎこちなく走るまでには回復していない。なので紫黒の従者を乗り物にして船内をウロチョロ歩き回っていた。
 事情を知った皆は囃し立てず騒がず、むしろ水臭いじゃないか、と笑顔で済ませた。エステルやガルバンゾからのメンバーも表現は様々だが、安堵の笑みをこぼしていたのが印象的でもある。そんな顛末を終えてルークは……その我儘を最大限に発揮していた。

「ユーリ、今日の昼食は外で食べるぞ!」
「またかよ。昨日は甲板で食べてたら突風で飯飛ばされるわ鳥が集まるわ、挙句の果てに啄まれてお前ガン泣きしてただろうが」
「泣いてなんかねーよ! ただちょっと、い、痛かっただけだ!」
「あ、昨日の痕……ハゲてる」
「ええええ嘘だろっ!? いた、痛い触るな! いだい〜っ!」

 昨日の突付かれた痕はしっかり後頭部に残っており、毟られた部分の肌が見える。しかし宝珠の治癒により傷口自体は無いので問題ないだろう。痛い痛いと暴れているが、どう見てもただの思い込みだ。しかしルークの泣き声にきっちり反応したガイが、どこからともなく現れる。相変わらずルークの件に関してだけは神出鬼没だ、いっそ感心する。

「ルーク、今日は昨日より風が強いから甲板じゃなくて展望室にしたらどうだ? あそこなら景色も良いしゆっくり食べられる」
「えー、でもよぉ」
「ほら、昼食にと思ってサンドイッチバスケットを作ったぞ。お前の大好きなチキンサンドを多目に入れてる。これを鳥に食べられたくはないだろ?」
「チキンサンド! そうだな、また痛いのは嫌だし……それにやっぱ怖かったあいつら……」

 ぼそりと本音をこぼして、ルークはあっさり意見を鞍替えした。本当に、長年の先輩の手練は鮮やか過ぎて言葉も無い。正直自分ではあの域に達するのは無理だろうな、と諦めている。
 そんな先輩の、愛情も具材もたっぷり詰め込まれたサンドイッチバスケットをユーリは受け取った。やはりずっしりと重く、一体これは何人分なのだろうかと疑ってしまう。いくら治癒にエネルギーを使っていると言っても、ルークが食べられる量なんてたかが知れてるのに。いやまあ、沢山食べろよという気持ちはユーリも分かっているつもりだが、限度があるんじゃなかろうか。

 それからルークはうきうき気分で鼻歌を歌いながら、ご機嫌にユーリの背中にへばりつく。最近のブームは背中らしくて、安心し過ぎて移動途中で眠ってしまう事も多々あり、涎で服を汚してくれる事もしばしば。まあよく動いて食べて眠って、回復してくれればそれで良いのだが。
 ルークをおんぶして展望室へ向かえば途中すれ違うメンバーから声を掛けられ頭を撫でられ、今までよりも甘ったるく甘やかされている。周囲がそんな調子なので、我が王子様の鼻は天高く伸びて世界樹を越してしまいそうな現在。苦労しているのは同じ様に自分も思いっきり可愛がって甘やかしたい誘惑に駆られているユーリだけなので、誰からも不満は出ていない。

 昇降階段でお目当ての展望室に上がれば丁度誰も居らず、天気は最高に良く海上運行の真っ最中であるが故見晴らしも抜群。強い日差しでもバンエルティア号の高性能エンジンは問題なく稼働し室内温度は快適に保たれている。ユーリは近くのふたり掛けソファを動かして窓の手前まで運び、特等席をセッティングした。
 机まで運ぶと窓の景色が狭まるので、あえてソファだけ。そこにルークを優しく下ろせば、手足を放り投げてごろんと大の字に転がる。勢いがついて頭を膝掛けにぶつけ、このやろこのやろ、と一人相撲を取る始末。一通り怒って気が済んだのか、何事も無かったかのように澄まし顔で座り直し、お行儀良く膝に手を置いて待った。1から10まで全部見ていたのだが、ルークは気にせず笑顔でニコニコと、ユーリが全て準備してくれると信じて疑う様子もない。実際その通りなので、ユーリは余計な突っ込みはせず笑って隣に座る。
 バスケットを開ければぎっしり詰まった美味しそうなサンドイッチ。コップとジュースの瓶、色から見ておそらくリンゴジュース、この濃さは紛うことなく果汁100%。セレブめ。きちんとデザートらしいプリンの容器がふたつ。そしてエプロンとナプキン数枚それにお手拭きまで完備して、実に完璧な仕様である。流石ガイ、年季が違う。
 ルークの手足はまだ細かい動作が出来ないので、ユーリが代わりにお手拭きで小さな手の平を丁寧に拭いてやる。それからエプロンを付け、サンドイッチを口に運んでやるのだが……。厚みがどう考えても入りそうにない。ルークの口を一生懸命開いても、半分も足りなさそうだ。しかし目の前にお預けされ、気を急いたルークは無謀にもがぶりと噛み付く。目算からして無理なのに願い叶うはずもない、口内に入ったのはパンの端っことレタスくらいで、チキンには辿り着かなかったようだ。サンドイッチの下半分にちんまりした齧り跡を付けて、ルークは悲しそうに呻いた。

「チキンサンドなのにチキンに届かねー!」
「ちょっと待て、半分に切ってやるから……。あーもう待てって、こぼしてるだろ!」

 諦めない心を持つのは大変良い事だが、ルークはがぶがぶといっそ怒りながらサンドイッチを齧りだす。製作者の多量に詰まった愛を表すかの如く、刻み野菜とソースがぼとぼと膝小僧に落ちていった。だが当の本人はやっとこさチキンゾーンに突入して嬉しそうだ。
 このままではエプロンの存在意義が無くなってしまう、ユーリは慌ててサンドイッチを持つ手を高く上げ、ナプキンで汚れを拭き取った。ルークは足をじたばた暴れ蹴り付けて、抗議の声を上げる。貴族でナイフとフォークを使わせれば綺麗に食べるのに、最近は食べさせてばかりのせいかとんと行儀が悪くなったような気がする。これではアッシュやナタリアに怒られるかもしれない。体が回復したらまずはお作法勉強だな……とユーリは自分に似合わず考えた。
 展望室にはカウンターバーが備え付けられており、そこの引き出しにナイフとフォークも置いてある。ユーリはそれを使って程良い大きさに切り分け、親鳥が雛に餌を食べさせる気分で差し出した。当然本人もそのつもりで、あーんと大きく口を開けて待っている。最早お決まりで何時も通りの光景、けれどユーリは毎回この表情を見て笑ってしまう。心の中では自分だってでれでれに溶けているのだが、表には出さず可愛がった。

「お前、ほんっとガキだなー」
「へーんだ、だってユーリは俺より年上なんだから、ユーリの前ではガキでいいんだっての」
「はいはい、変な知恵付けてきて全く……」
「自分で言ったんだろー」
「その通りでございますご主人様、では僭越ながらサンドイッチをどうぞ」
「おう、くるしゅーない!」

 大変に生意気だが、えへへと信頼溢れる笑顔で言われてしまえば従うより他ない。これも家来の役目だ、実に光栄である。そんな楽しい仕事に精を出して、ユーリはせっせとサンドイッチを運んだ。
 ルークの胃袋はすぐに膨らんでしまい、ユーリが食べてもまだサンドイッチは残っている。これ以上は無理……とデザートのプリンを泣きそうな顔で見つめ、ルークはギブアップした。食べ過ぎは確かによろしくない、しかしガイが腕をふるったサンドイッチは美味であり、デザートへの期待は高まったまま。小休憩して、また後で食べようと提案すれば大賛成! と元気な声が上がった。

 ぽかぽかあたたかい日差し、室内なので音も少ない。ふたり掛けソファなのにルークはユーリの膝に座り全身を預けだらりと力を抜いている。ゆっくり梳かれる手櫛に瞳を細め気持ち良さそうにして穏やかな時間。子供のお腹を擦ればまん丸くぽんぽんだ、叩けばいい音がするかもしれない。
 体を辿って宝珠が埋まる心臓の位置に、ユーリは手の平を置く。今日も一生懸命健気に動いて、ルークを生かしている鼓動。毎日聞いているが、毎日聞いていたい。宝珠の治癒効果が肌を伝いこちらにも流れてくるような癒やし効果で、ユーリの心もすっかり骨抜きになってしまいそうだ。いや、もう骨は無いくらにぐにゃんぐにゃんかもしれないな、と自分で自分に笑う。
 早く良くなって、宝珠を取り出し大きくなればいい。子供のルークは本当に可愛いのだが未来のルーク完成図を見てしまったので、あれくらい立派になった姿を早く見たくてしょうがないのだ。グラニデルークは有望な王子様だったので、うちのルークならばもっと良い感じに育つだろう。いやあっちもそりゃ中々にパーフェクトだったが、それはそれ、これはこれ、うちのルークならばその上を目指せるはずだ、間違いない。

「お前、大きくなったら格好良くなるからな、飯いっぱい食えよ」
「おう! 俺、ヴァン師匠みたいになるぞ!」
「あー……、まぁあれくらい身長伸びれば良いよな。現実はどうあれ目標は高い方がいい」
「引っかかるなーその言い方。俺はユージーンよりでっかくなって、ヴェイグみたいに大剣振り回して、師匠みたいにヒゲ生やすんだからな!」
「……でっかくなるのと剣振り回すのはいいが、ヒゲは駄目だ」
「えーなんでだよ、レイヴンとかリカルドだってヒゲで格好良いじゃん!」
「お前ヒゲにどんだけ夢見てんだよ! このまま育てば可愛くて格好良くて高貴になるんだからな?」
「だからヒゲがあればもっと格好良いじゃねーか!」
「ヒゲは駄目だっつってんだろ!」
「なんでだよユーリのばかーっ!!」

 下らないヒゲ談義で喧嘩して、途端に不機嫌になったルークはぷいっとそっぽを向く。頬が後ろからでも膨らんでいるのが見えて、餌をたっぷり詰め込んだハムスターみたいだ。背もたれにべたーっと体重を寄せて拗ねているが、隣同士の隙間は開いたりしない。こういう所がずるくて可愛いご主人様だ。ユーリは自分から白旗を上げて、申し訳ありませんでしたと殊勝な態度で謝った。するとチラッとだけ振り向き、目で反省した? と訴えかけてくるので頷けばすぐににこーっと笑顔で頭を倒し、ユーリの膝に乗ってくる。言葉を使わずやりとりをして、繋がっている確かさにユーリの口元は緩んだ。
 ごろごろ、とルークは懐こい猫のように頬をすり寄せ、綺麗な朱金を散らばせる。瞳を閉じて、撫でて良いぞと偉そうな自己主張をしているので仰せのままにと撫でてやった。穏やかな日差しと世界、あまくてやわくて、いとしいもの。ここにパフェがあればもっと最高なのだが、とユーリはこっそり思う。後で食べる予定のプリンに期待をしておこう、ガイが作ったのだから美味いに違いない。

 最初に出会ってから今日まで、随分と世界も自分も変わったものだ。しみじみと考える。救世主に導かれヒトは希望を知った。そして自らでも手を繋ごうと意識を高め、今少しずつ広がっている最中。結局の所自分達で危機に導いた事実は覆らないし、問題はまだまだ残っている。だがそれを反省しより良くしていく事だって出来るはずだ。何しろ自分達は生きている、世界樹を愛し愛されてるのだから。
 耳にさらりと触れる、短い紫黒の髪が何度でも決意を主張する。姿形が変わっても、変わらないもの。そして信じるに値するものを、自分は見つけた。未来が欲しいから望むのではなく、過去を捨てたいから忘れるでもなく。今を生きているから、ヒトは歩くのだろう。その道中にどれだけの事を出来るかは分からない、もしかしたら自分の力では及ばない危機もあるかもしれない。だからといって足を止めていては、その先で待っている星に手が届かないではないか。

 ユーリの心は決まっている。今もこの先も、過去ですら。手を握ればやわく握り返してくれる感触、微笑めば笑い返してくれる愛しさ。目に見えなくても信じられる、形が無くとも捕まえられる。ルークという存在と共に生きていくだけで、それだけで簡単にユーリの世界は円満に平和なのだ。世界平和とはなんて容易い事だろう。
 本日のルミナシア、バンエルティア号展望室窓際のソファ。ここから世界は始まって、幸せというものを満たしていた。






  


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