anti, World denied








2

 ルークの瞳はゆっくり開かれた。まるで目覚めの朝のように、新しく産まれ還ってきた。医務室に集まる人間の歓声に包まれて、ユーリの腕にも抱き締められたその頬は涙に濡れている。けれど決して、悲しみではなくて喜び。
 喉が損傷しているせいで声は出なかったが、唇を動かしパクパクと、微笑みながら確かにこう言った。

 ただいま





 夜が終わろうとしている。ルークが目覚めた後、休暇の代わりだと船内で突発パーティが始まり夜中から始めるどんちゃん騒ぎ。廊下でやるな! とナナリーにエントランスまで追い出されるのも当然なのだが、そこで止めず食堂で再開し始めたのもアドリビトムならではの流れだと、ユーリは呆れながらも笑う。
 やはりルークの飲んだ毒は強く、そう簡単に解毒は終わらない。暫くの間は体内に残る毒素のせいで苦しむ事になるとジェイドは笑顔で怒りながら言っていた。手足もろくに動かせないし、喋る事も今は難しい。投薬治療もするが大部分は宝珠の治癒に任せるしか無い、とリタは苦々しく告げる。苦い薬をたらふく飲む事になるぞと脅せば、嫌そうな顔で嫌そうに歪める正直者を、ユーリの手の平は喜んで包んでやった。

 科学者達は毒のレシピを調べる為に、今夜は徹夜となるらしい。ユーリはルークを見守り朝には起こすと約束して、眠りを見届けた後外の空気を吸う為に甲板に出れば先客が居た。良くも悪くも、今日は色々な事が起こりすぎたのだ。一生分の怒りを吐き出したかもしれないし、一生分の願いも叶ったのだろう。
 アッシュが薄くなっている天高い星を見上げ、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。何を考えているのかユーリには何となく察しがつく。ルークが本当に死を選んでしまった。流れを大事にして穏便に済ませていたしっぺ返しが一気に来て、アッシュとしては辛い所だろう。冷たい風に紛れるように、そっと声を掛ければ無言で振り返る。そして胸に秘める不安を、珍しく正直に吐露した。

「兄上は無事生き返ったが……宝珠も戻ってしまったな」
「ああ、そうだな。今のままじゃ誰にも取り出せないんだろ? でも死んじまったら意味無いし……。仮死状態にして取り出すとか?」
「以前その方法を試したが、剣は出てこなかった」
「試したのかよ、流石だなお前……」

 確かに、ルークが還ってきたという喜びが大きすぎてユーリは考えていなかった。一見すれば良かったはずの出来事も、見方を変えれば結局振り出しに戻ったという事だろう。その振り出しすら随分手遅れの位置にあるが、そんな文句を言っても仕方がないのは分かっている。
 希望も絶望も内包する、パンドラの箱。上手に希望だけを取り出すには今の人類では不可能だ。欲しいものをねだるのだから、それに付随する絶望も受け取らなければならない。アッシュにとってそれは苦しいものだろう、だがユーリからすればもう、気にしない事に決めた。
 誰の不安や彼の気持ちを考えて、口を閉ざしてはご主人様と一緒になってしまう。我儘で自分勝手に苦労するならばそれでいい、どんと来いだ。守って愛して大事にしたい人が居る、自分の範囲でくらい、好き勝手させてくれ。流石に、それで1番苦労しそうな人物を前に直接は言わないが。我儘と無責任はまた違うのである。
 ふと、背中に気配を感じて振り返れば甲板に上がってくる人影。星の光に輝いた緑碧が、清濁併せ呑んで綺麗に見える。それはグラニデから来たルークとアッシュだった。

「あのさ、今の話。聞き耳立てて悪いとは思ったけど……多分俺なら宝珠を取り出せると思うんだよな」
「なっ……それは本当か!?」

 グラニデルークは触れた時の感触を思い出すような手付きで、手の平を持ち上げ空を掻く。表情は真剣に、不確かな思い込みを言っている素振りではなかった。

「あの宝珠は……俺っていうか、ルークっていう存在に引き寄せられてる感じがした。唯一無二、みたいな。だから多分、アッシュの方に入ってる剣もアッシュなら取り出せると思うんだ」

 ニアタが言っていた、親世界の影響というやつだろうか。あまりにも簡単に解決の糸がほつれて、アッシュとユーリは口元が引き攣る。信じたいような嘘だと言ってしまいたいような……複雑な感情の中で固まっていると、グラニデアッシュがあっさりとアッシュの体内から剣を取り出してしまった。だから、どうしてこのグラニデからの客人は一言声を掛けてくれないのだろうか。見ろ、驚きすぎてアッシュが石像になってるだろ。
 剣は宝珠と同じように、キラキラと輝き薄闇の世界の明かりとなった。眩い程の光量なのに、どこか優しい光線。初めて目にするローレライの剣は、刃が2股に分かれた奇妙な造形をしていた。これが剣? と不思議に思ったが、やはりユーリの手では掴めず通りすぎてしまう。

「剣や宝珠は魂と同化してるんじゃなかったかのか? おいアッシュ生きてるよな」
「勝手に殺すな。凝縮の効果が俺の意識に左右されていたからそう予想していたんだ、しょうがないだろうが」
「なるほど、何となくだが……握っているとこいつの意思が流れ込んでくるような気がするな」
「へえ、何て言ってるんだ」
「好きなようにしろ、だとよ」
「……なんだそりゃ」
「なんだそれは! 俺達は今まで散々そいつに苦しめられてきたんだぞ!」
「そー言ってやるなって。剣も宝珠も自分からアッシュ達に入った訳じゃないんだしさー」

 今まで10年間、振り回された苦労を考えればアッシュの激怒は当然だ。しかしルークは気軽な態度で軽く宥めている。なんというか、こういう相手が得意でよくやっていた、ような手慣れた感。ちらりとグラニデアッシュを見れば、少し気不味そうに顔を背けていた。グラニデでは仲良く? ……仲良く双子をやっているのだろう。良かったな、とユーリは自然に落ち着いた気持ちで喜べた。
 ジェイドもガイも、聞けばきっと喜ぶ。今回の騒ぎでルークの事情も船内で広まってしまったけれど、下手な同情も励ましもやってこないだろう。ただ純粋に、解決した物事を喜んでくれるはず。むしろなんで黙ってた、とリタ同様お叱りを受けそうだ。
 何よりも早くルークに伝えてやりたい。もう心配する事はない、何も無いんだ。そう言って抱き締めて怒らせて笑わせて、目一杯甘やかそう。ああ楽しみだ、早く朝陽よ昇るといいのに。

 海を見れば、水平線の向こうがほんの少し明るくなってきている。夜明けだ。遠い光の線がおぼろげに差し、生命の黎明が見える。ユーリは世界樹が生まれ変わった時よりも、今この瞬間の方が、自分にとっての誕生なのだと感じた。




*****

 どんちゃん騒ぎを引き継いで、グラニデルークがグラニデの科学について科学者達に一日中拘束され、ついにグラニデの方のアッシュがキレて元の世界に帰る事になった。本来ならば世界間の移動は膨大なエネルギーを必要とする。だがアッシュがローレライの剣でマナを集める事によってその問題はあっさりと解決してしまった。手段があるとはいえ、先までエネルギー事情で戦争をしていたのだから、いくら潤沢になったからといって無駄に消費してしまうのは如何なものか。
 まあ、とにかく。グラニデからの客人は、3日も滞在せず甲板に立っている。目の前にはハロルドの機械。カイル達を呼び込んでしまった分、本当にきちんと送り返せるのか正直心配なのだが、正しく使えば大丈夫だとハロルドから笑って言われた。だからその自信が不安なのだが……そんな事を今から送り出す本人達には知られないように、ユーリは大人しく口を閉じる。
 ユーリとアッシュ、ジェイドは特に感謝を込め直前まで見届ける事にして、同じ甲板に立っていた。踊り場ではニアタの指示でガイが機械を調整しており、その後ろでプレッシャーを掛けるようにグラニデアッシュが顔を苛つかせ、神経質そうに指先をトントン、と腕を組んでいる。その隣のグラニデルークは……人懐こい笑顔で、ユーリ達の前にやって来ていた。

「剣は結局、宝珠と一緒に取り出す事にしたんだな」
「はい。この事はまだ教団に知られていませんから、暫く隠しておいて一気に処理しますよ」
「こんな物封印して、城のガラクタ倉庫の1番奥深くに突っ込んでやる!」
「アッシュは恨み心頭だなぁ」
「はは。まぁ取り敢えずさ、治療が終わったら呼んでくれよな」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
「兄上と共に成長する事を半ば諦めていたが……本当に、感謝する」

 丁寧に頭を下げるアッシュを目にしてグラニデルークの表情は随分と微妙に歪む。そして本当に勘弁してくれ、という態度で両手を上げた。もしかするとグラニデの方でもそれ程上手くいっていないのだろうか? と疑問が持ち上がるが、そこまで険悪そうな気配は感じ得ない。どちらかと言えば、つい最近兄弟になった、というぎこちなさ。

「アッシュの顔で頭下げられるとなんか痒くなるから、止めてくれって!」
「そうは言ってもこちらとしては恩人なのですから、きちんと礼くらいさせていただきたいですね」
「ジェイドからの感謝はちょっと、本当に怖いから遠慮したい……」
「おやおや、どういう意味ですかぁ〜?」

 ジェイドの意地悪い笑顔が本領発揮して楽しそうだ。あちらでもいたぶられ……いや可愛がられ……似たように遊ばれているのだろう、ルークは慌てて会話を切り変える。丁度タイミング良く、ガイが作業を終わらせて戻って来た。得意かつ趣味を役立てる事が出来て、本人大変満足そうだ。その様子をグラニデルークも嬉しそうに笑う。

「こっちの準備は終わったぞ、あっちのアッシュがピリピリしながらお待ちかねだ」
「サンキューガイ。それにしてもこっちでもガイって本当にガイなんだな、機械好きだし、女苦手だし……。別の世界に生きてるのに、そっくりで、でも違ってさ。こういうのって運命っていうのかな」
「はは、そっちの世界でもルークの従者やってるなんて俺も大概筋金入りだ」
「種子は親世界の影響を強く受けると言っていましたが……ルミナシアとグラニデはもしかすると同じ世界を親にしているのかもしれませんね」
「世界樹はそんなに世界を産むものなのか?」
「さぁ。しかし根源の世界樹は様々な世界を産んだとされていますし、そう考えた方が面白いじゃありませんか」
「まぁ、確かに今回はそのおかげでルークは助かったんだしな。いいんじゃねーの」

 ジェイドが面白さでものを考える、というのは少々企みを考えてしまうが、ユーリはそれには言及せず黙っておく。助かったのは事実であるし、双子であるルークとアッシュが別の世界でも双子で、世界すらも双子星だなんてここまで徹底されればスリーセブンだ。
 しかしグラニデルークはくるりとユーリに振り向き、不思議そうにまじまじと見つめてくる。大きくなったルークに凝視されると、こっちだって不思議な気分になってしまう。何だろうかと思えばルークはう〜んと唸り声を上げた。

「でもこっちのユーリは髪の毛短いし、俺の従者……なんだよな?」
「それこそ、運命ってやつなんじゃないの」
「うーん、俺の知ってるユーリは誰かの下に就くとか、槍が降ってもしなさそうなんだけど」
「まぁ、貴族様とか王子様の下なんて冗談じゃねーけどよ……ルークの下ならいいかなってな。でも別に後悔はしてねーよ、ちゃんと自分で選んだ道だ」
「……そっか、ならいいけど。こっちの俺の事、よろしく頼むよ」
「言われなくても。つってもガイが居るから家臣っていうより遊び相手みたいなもんさ、専属のな?」
「はは、ガイは何でも出来るからなー女関係以外! あ、でも結構甘やかす所あるよな、俺が言うのもなんだけど」
「その辺りはバランス取っていくさ。な、ガイ先輩」
「こんな時だけ持ち上げないでくれよ、まったく……。ルークの家来歴は俺の方が長いんだからな?」
「ガーイ、それは自慢になってませんよ」
「そこはほら、飴担当を譲ってやるって事で許してくれって。実際の所オレはルークの便利屋扱いだから」
「それも自慢気に言う事ではないだろうが……」

 幼馴染ゆえの長い付き合いを知っていて、アッシュが笑いながらも呆れている。ユーリから見れば彼も十分飴担当だと思うのだが、知らぬは本人ばかりなりというやつだろう。
 無事解決した安心感からだらだらと談笑していると、痺れを切らしたグラニデアッシュが眉を吊り上げて、のしのし怒りながらこちらにやってくる姿が目に入った。いい加減にしろさっさとしやがれ、と声に出さずとも態度で表しており大変に分かりやすい。グラニデルークもそれを察して、会話を切り上げた。

「それじゃもう行くから。元々半永久機関の設計書を持ってくる役目を譲ってもらったのに、急いでたから忘れてきちまったし……」
「貴様はいつもいつも、肝心な所が抜けていやがる!」
「ごめんって! でも次来る時は俺にも会えるんだし、楽しみにしてるよ!」

 こちらのルークは今治療に専念しており、マナを遮断した結界の中で強制的に眠っている。やはり毒素は強く、下手に意識を持ち続けていると尋常ではない痛みに襲われ体力を消耗してしまうからだ。そのせいで折角還ってきたのにほぼ面会謝絶状態、ユーリやライマ関係者は少しだけやきもきしている。これも無事に解決したから上がる不満なので、どうしようもないのだが。

「自慢のご主人様だから、あんまり期待するな」
「どういう意味だよそれ!」

 ユーリの言葉に笑いながら、騒がしくもふたりは帰って行った。夜の世界で見せた希望の流星、真昼の今でもキラキラ輝いている。空に溶けていく時空の乱れはあっという間に元通りになり、今日も気持ち良い青さ。胸に広がる小さな寂しさは、あの姿に未来を期待してしまうからだろうか。
 少し抜けている所もあるが、やはりグラニデルークは全体的に大変良く出来た王子様だった。その抜けている部分も親しみやすさに繋がっているのだろう、周囲がカバーすればいい程度に済んでいる。ガイも言っていたが、うちのルークはちゃんとああるんだろうな……? と嵐が通り過ぎた今、ほんの少しだけ心配になった。
 我儘だけどネガティブで、自分の考えに固執してしまう一面がある。駄目だ、現時点で良い所が無い。いやいや、これは今までの歪んだ環境のせいなのだから、これからどうにでも出来るだろう。ある意味世渡りは完璧なのだから。

 そんな楽しそうで苦労しそうな未来を思い描いていると、ジェイドが突然真面目な顔をしてユーリに礼を言ってきた。グラニデルークも言っていたが、ジェイドが頭を下げると企みを感じてしまうので本当に止めてもらいたい。彼はもっと、気の置けない笑顔で怖いくらい用意周到に、裏で手を回してもらいたいものだ。もちろんこれは褒めているのである、とユーリはあくまでも心中に留めておいて。

「我々も決して諦めていた訳ではありませんが……長い時間を共に過ごし、臆病になっていた部分もあったのでしょう。貴方がルークと出会った運命とやらに、感謝しますよ」
「だから、あんたに頭下げられると背筋凍るから止めてくれって」
「礼を言うのは一度だけです。貴方も貴方で、随分とかき乱してくれましたし。結局あの時でもユーリは青臭く叫んでいただけですしね」
「俺は結構グッときたけどな。心に響いたよ」
「そうだな……澄ましたツラのユーリが髪まで切って、人目も憚らず叫んで。中々熱かったんじゃないのか」
「……あんたらなぁ」

 彼らも彼らで、褒めているのか微妙な線である。今までの自分の行動を端的に上げられると本当に、何やってんだオレはと正気に返りそうだ。いや別に正気であろうがなかろうが、ユーリは同じ行動を取っただろうと確信している。あの自分勝手さも、無力さも、青臭さも、今までの自分が辿ってきた結果なのだから。そのどれもが1本、通っている芯は全て自分で決めた事。後は暫く続くであろうこのからかいを笑って無視するだけだ。ここでガイがいち早く宥めに入るのだから、よく役割分担されている。

「まぁまぁ、こう言ってるけど本当に感謝してるんだぜ。ジェイドだから素直に言えないだけなんだ」
「本当かよ……」
「本当ですよ。真面目な話、閉鎖した状況を打破するには外からの異質さが必要になる時もあります。ユーリは自己中心的にかき回して、見事ルークの我儘を超えてくれました」
「だからあんたさ、褒めてるのか貶してるのかどっちかにしてくれるか」
「両方だろう。ジェイドだぞ」

 アッシュが止めるでもなく涼しい顔でケロリと言うので、ユーリはがっくりと肩を落とした。ライマの人間はちょっと濃すぎるな、と自分を棚に上げて苦笑する。彼らはそれぞれ本当に深くルークを愛して察して、手を回してきた。その歴史は並々ならぬ苦労があったはずだ、簡単に括るのが失礼な程に。まだ根本的な解決はしていない、むしろ大変なのはこれからだろう。だがそんな苦労は苦でもないと笑っている姿はおそらく、ユーリが清々しく感じている理由と同じに決まっている。
 そしてこうやって褒めそやされてもユーリは今回の一連を、自分が関わり始めたから解決に向かっただなんて思っていない。ただの偶然が導いた軌跡。誇れるとすれば自分の声にルークが応えてくれた事だ。どんな心境の変化が起きたのか想像が付かないが、けれど確かにルークは自分の叫びに頷いてくれた。それを、一生刻みつけようとユーリは胸に秘める。
 なにせ本当に危険だったあの瞬間、ルークの命を繋いでくれたのはアドリビトムの皆だ。リタという頭脳が素早い応急処置をし、ミントが時を止め続け、ディセンダーの閃き、治療での科学者達の知識。どれかが欠ければきっとルークは無事に済まなかった。蘇生が叶わないか、蘇生後のトラブルが発生していただろう。

 道のりは長かったが、もしかしたらこれが運命というやつなのかもしれない。秘預言が詠まれ、ライマが生まれ、ルーク達が産まれ、剣と宝珠が埋め込まれ、ユーリに出会った。これだけの羅列が運命だというのならば、こうやって解決した事もきっと運命だ。秘預言とやらも、案外そう書かれていたのかもしれない、そう考えると大変に愉快である。






  


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