anti, World denied








5

「このっ……屑がッ!!」
「……ぐっ!」

 アッシュの大振りな拳を、ユーリは躱さず受けた。派手に吹き飛んだ体は背後の壁に叩きつけられ、衝撃で肺の空気が全て出て行く。ガイが慌ててアッシュを引き止めるが、これ以上の追撃はそもそも来る気配が無い。ルークに傷ひとつでも付けたら殴る、最初から言っていた事だ。殴られる覚悟もユーリは出来ていた。

「はいはい、もういいですか? 時間はありませんよ」

 ルークの弱さ故の結末をずっと危惧していた分、彼らの対応は早かった。後から船に入ってきたジェイドはタイミングを急かし手を打つ。アッシュもふん、と鼻息を飛ばしてすぐに立ち直る。フレンに支えられてユーリも立ち上がり、殴られた痣を忘れて現在の状況を詳しく説明した。
 メンバーを分けての休暇、海で遊んだ後別荘に行き、毒を飲んだ。ユーリは怪しいと思った足裏の魔法陣とチョコの事を残さず報告し、その包み紙をジェイドに渡す。

「おそらくその魔法陣は教団との連絡手段なのでしょう。ルークが以前誘拐された時の繋がりがずっと不明でしたが、それを使ったのかと」
「魔法陣を施されたのは一体何時だ、そんな隙は無かったはずだぞ」
「気になりますが今は後にしましょう。こういうのは本人から直接聞くのが1番早いものです」
「チッ、全くその通りだな」
「ジェイド、毒はどうだ」
「この包み紙自体は何も仕掛けはありません。チョコに包まれていたならば毒物反応も出なかったかと」
「そもそも他国の王家別荘に忍び込んで、ルークが手に取るか分からないのにチョコに毒を仕込むってのも怪しい話だが……」
「だから魔法陣で連絡を取った、とも考えられます。ひとまず医務室に行きますよ」

 ジェイド達は足早に医務室へ向かう。扉前の廊下には人が集まっており、エステルが青ざめて、クレスとロイド達は心配そうな顔を見せていた。それ以外にも今日の休暇のメンバーはあの血溜まりの現場を見ている。普通の状態ではない、無事に済むとは思えない……というのが共通認識だろう。

「ユーリ、ルークは……!」
「ああ、そんな簡単に死なせるかってんだ」

 縋るエステルを励まし、ユーリ達は医務室へ入る。他のメンバーは追い出されているので室内の人間は案外少ない。ベッドには血が乾いてどす黒く彩られたルークが横たわり、ミントがずっと集中し時間を止め続けていた。その額には大量の汗が吹き出しており疲労も濃い。だが詠唱を絶え間なく、折れぬ精神力を維持し続けていた。周囲にはリタ、ハロルド、ウィル、フィリアが。邪魔せぬようアニーとナナリーが心配そうに祈りを捧げている。
 ジェイド達が現れた事により、リタが怒りの顔を上げた。これが平時ならばファイアボールでも放ってきそうな勢いだ。

「ジェイド、解毒剤はっ!?」
「一先ずあるだけ持ってきましたが、先に正確な毒の成分を解明する必要があります」
「症状の発現からショック状態までが早過ぎる、何か別の物も混ぜられていると考えるべきだ」
「喉の奥が炎症により爛れていました、胃酸と反応してガスが上がってきている可能性もあると思います」
「体内に溜まってる毒素が強いから下手に掻っ捌く訳にはいかないわよ、ちゃんと準備しないと」

 アドリビトム自慢の科学者達が出す知恵の殆どは、手遅れだという結論しか導かない。別荘からライマまで、バンエルティア号の全力をもって飛ばした間で診断された結果がこれだ。ウィル達は痛々しい顔を隠さず唸っている。
 ライマで生成された毒ならば、ネクロマンサージェイドならば何か方法を知っているかもしれないという僅かな期待を胸に待っていたが、現実はそこまで甘くはない。ルークの時間を止めているせいで血液採取が出来ず、毒の確定も困難なまま。宝珠が露出した事によりドクメント展開は叶ったが、その結果はより残酷な宣言を下しただけだった。
 科学者側はお手上げに近い。時間停止を解除しすぐ様解毒と回復を試みても、宝珠という魂が出ている時点で手遅れなのだ。回復術も蘇生術も、命の灯が消え去ってしまったロウソクを再び灯す事は不可能である。それを良く知っているからこそ、ミントは決して詠唱を止めないのだろう。
 唯一の希望は長年ルークの主治医をして生体研究にも明るいジェイドだった。皆の期待を一点に集めるが、冷たい眼差しは赤く、悲壮感すら出さず淡々と説明する。

「生体活動が止まっている状態では解毒も治癒も出来ません、まずは蘇生が先です」
「その蘇生方法ってやつを聞いてるんだろうが!」
「宝珠をルークの体内に戻すのです。あの宝珠はルークのエネルギーを奪い成長を阻害していますが、同時に僅かながらも常に治癒効能を発し続けていますので」
「ルークは軽い怪我程度なら数秒で治っちまうんだ」

 ガイが追加でそう説明するのを聞き、ユーリは以前ラザリスのジルディ達と対峙した時を思い出す。あの時確か、自分を盾にしろだなんてのたまったのだ。あれにブチ切れて逆にユーリは自分を盾にしたのだが、今考えても苦々しい。不老で、簡単には死なない体なのに。毒を飲んで簡単に死んでどうするというのだ!

「強力な毒素すら、時間をかければ体内細胞の死滅と再生を繰り返し排出する事によって理論上では完治させる事が可能です。宝珠にはそれ程の力があるのです」
「けどオレ達の手は宝珠を掴めなかったんだぜ、どうやって戻すってんだよ」
「アッシュは? 剣と宝珠は同質なんでしょ」
「同質だからこそ反応し、吸収してしまうでしょう。鍵の完成で喜ぶのは世界と教団だけですよ」
「……クソッタレが」

 多少の怪我ではルークは死なない。多少の毒でも宝珠の治癒力により死には至らない。つまり、今ベッドで瞳を閉じている体内にはそれ以上の猛毒が入ったという事だ。治癒が間に合わずショック状態になり意識を、呼吸困難に陥り命を。結果として先に宝珠は体外に排出されてしまった。
 ならば宝珠を戻せばいい、皮肉ではあるがそれが唯一の方法だ。宝珠の人智を超えた力により、例えどれ程の毒でも治療する事が出来る。忌々しい話だ、正に生死を決められてしまうとは因縁かもしれない。
 同時に、だからこそ問題なのはこの場の誰もが分かっていた。宝珠に誰も触れる事が出来ないのは確認済みだ、ライマ出身ですら無い自分達が触れるとはそもそも考えていなかった。しかしアッシュが触れれば吸収され宝珠と剣は鍵となってしまうならば、一体どうしろと言うのか。

「鍵にしてもう一度ルークに戻すというのは?」
「剣と宝珠の効果は互いに反発しています、凝縮と拡散。それがひとつになり鍵になったとして、宝珠と同じ効果を生むかどうか分かりません。ましてや鍵を再度、本当に体内に戻せるかどうかも不明です」
「あれも駄目これも駄目って、じゃあ一体どうすんだ!」
「ジェイド、貴様が考える可能性の全てを上げろ。荒唐無稽でもポリシーに反していようが構いやしない、今は根拠だの何だの言ってられん」

 こんな時でも冷静なライマの臣下にユーリは苛立つ。いや冷静なのはむしろ良い、助かる。その根底にある冷静さが、動かしようのない事実に基いている事に腹が立つ。ジェイドは既に詰め状態だと言っていた、この場でそんな事を言ってしまうのか。
 眼鏡のブリッジを軽く持ち上げ、笑みを消したジェイドは己の見解を述べる。勿体ぶった言い回しに、リタだけでなく隣のアッシュが先にブチ切れそうだ。

「持ち主の魂に内包されていたのならば、剣も宝珠も持ち主と飽和性が高くなければなりません。ただし生命という枠がある以上それを越える事は出来ない、その線引きが千切れた時初めて融点を脱し表層化するのでしょう。しかしあくまでも表面上のものであり、独自の性質により現物化はしていません」
「いいから、結論を先に言いなさいよ!」
「命の枠線を超えて触れられるのはイオン導師だけ、境界が解けてもやはりルークかアッシュだけ。例外は無いと考えられます。ですが先に言った通りアッシュが触れれば宝珠は剣とひとつになり鍵となるでしょう。そうなればもう宝珠は返ってきません」
「お前、ダラダラ喋って結局……無理って言いやがるのか! こんな状況で諦めろってよ!!」

 長ったらしい説明は結局、この場で誰も何も出来ない事を証明する為のものだった。ジェイドがルークと共に居た時間はユーリよりも余程長い、綴った物語だって段違いだろう。なのに、その彼が誰よりも先に無理だと断言してしまうのが許せなかった。アッシュを実験に使い、ルークの信頼を得ているのに。10年かけて出た結論がそんなものとは、天才が聞いて呆れる。ユーリがそう罵ってもジェイドの顔は冷酷を崩さない。予想していた罵倒を予想通り受け止めているような冷静さが、今は憎らしかった。

「諦めろとは言いません。ただ……最初から手段なんてものは無かったのです。イオン導師が亡くなった時点で我々が取れる選択肢は無かった、それこそ秘預言が詠まれた時から」
「ふざっけんな! 世界だってなんとかしたじゃねーか、人ひとりくらい……子供ひとりくらい、意地でもなんとかしやがれ!」
「意地だのプライドだの、そんな程度でなんとかなるなら最初からしています」
「オレにはとてもあんたが必死こいてたように見えないな、最初っから諦めて何もしなかったんじゃねーのかよ!」
「奇跡に命が必要だと言うならば捨てる覚悟はあります。しかし捨ててもどうにもならないから生き続けてきたんですよ。貴方が無駄に吠えているように救世主が現れて何とかしてくれないかと願ってね!」

 言葉の終わりは激しく、一瞬の炎がちらついた。珍しく、いやユーリの前では初めてかもしれないジェイドの明確な怒りが発露する。吐き出した空気を悔しそうに、けれど途端に仕舞いこんでしまう。姿勢を正せばもう、次に映るのは何時も通り真っ直ぐ立つ冷静さだった。
 アッシュの舌打ちが響く。誰に苛ついているのか分からないが、この場の全員の気持ちを代弁しているような気がした。

 救世主を願い縋っていたのはルークだけではなかった。アッシュも、ジェイドも、ガイも、ルークの事情を知る者は皆誰も彼も、ディセンダーのような奇跡をずっと願っていたのだ。限界に達した風船を優しく包み込んで受け止めてくれる、神様のような気まぐれの可能性を。世界を愛しているのだから、地上に住む生物にも愛を注いでくれと。それこそ宗教に殉じる信者の真似事のような愚かさで、ずっと。
 研究と資料を深めれば深める程、自分達ではどうしようもない事実を知らされるだけ。その悔しさをユーリは想像が出来ない。だが、それを知っても収まるかどうかは別だ。納得いかない、どうしても認められない。秘預言が詠まれたせいで、産まれる前から運命が決まっていただなんて到底許せる事じゃない。世界は救われたじゃないか、世界樹が遣わした救世主にだけじゃない、人間の手によって。なのにルークは駄目なのか、最初から希望なんて無かったと言ってしまうのか!
 同じ生命ある者なのに、どう違うという。どこに違いがある。虫も草花も動物もヒトも天使もラザリスも……同じ魂ではないのか! いいやもう今では世界よりも、ルークの方が大事だとユーリは言い切れる。どちらを選ぶんだ、そう問われれば確実にルークの手を取る人間はこの場にユーリ以外にも確実に居るだろう。
 けれどそれでは駄目だと却下されてしまった。死ぬ結末が運命なのだと、まるで人間の一生と同じような重さと軽さで、慈悲無く連れて行かれる事が自然なんだと世界の理に断言されてしまい終わる。嫌だと叫んでも流れは止まらず、強引に引き止めている時間は長く保たない。ミントもそろそろ限界だ、けれど止めればルークの命がこぼれると知っては彼女は自分の命すら削る事を厭わないだろう。そうやって時間を稼いでも糸口は掴めず、手段を閃く者は出てこない。リタは悔しそうに、ハロルドすら目を閉じて考え込んだまま。
 今触れられるのはアッシュだけなのに、彼が触れては鍵が完成して宝珠は二度と返ってこないかもしれない。しかも魂の抜けた抜け殻を蘇らせたとして、ルークが還ってくる保証もなかった。

「ライマ王族の中で、血縁の方でも無理なのですか?」
「アッシュとルークが適応者だと分かる以前は、全ての王族の人間に反応を試したようです。ご両親も、血縁関係である陛下も全て反応しませんでした」
「どんな状態でも生きてればいいっていうなら取れる手段はあるけど……機材が揃ってない今じゃ間に合わないわね」
「冷凍装置に入れて状態を停止させるのはどうだ」
「ルークはもう心停止してるのよ、生体反応が止まってちゃ肝心の解毒が進められないでしょ」
「毒に侵された器官を入れ替えたとしても呼吸が止まっていては蘇生は難しいでしょう。手術に時間を使えば使う分だけ蘇生率は下がり、解毒が終わっていない状態ではそもそも蘇生しても無意味です」
「電気ショックも正直微妙なのよね、適当に電気流したからって成功するとは限らないし」
「そうですね、むしろ細胞を破壊してしまうかもしれません……」

 それぞれ口々に方法を上げるが、どれも成功を導くものではなかった。むしろ数々の手段が却下されていく、消去法により残るのは……解決は無いという事実だけ。

 どんな状態でも生きてさえくれれば、そう望むのは本人以外だから。また成長しない体となってしまってもルークが還ってくるのならば良いと言いたい。だが運命から逃れて死を選んだのに、死んでもその鎖から開放されないとなればルークの絶望は想像に難くないだろう。けれど彼の絶望を対価に戻ってくるのならば戻って来て欲しい。いや駄目だ。けれど死ぬなんてもっと嫌だ。
 どうすればいい、どんな奇跡が降り注げばこの運命をねじ曲げられる。手段があるならばユーリはどんな手を使っても行う、この身を堕としても構わないのに、堕ちたって還ってくる可能性が欠片も見当たらないのが何よりも悔しかった。
 ねじ切れそうな身悶えと怒りの中、科学者達とは対照的に黙るしかないユーリは爆発しそうな我が身を必死で抑える。吠えても泣いても叫んでも黙っても、刻々と時間は無慈悲に進んでいく中、出来る事を探しても無い事実が肩を打ち据えた。今まで自分がしてきた事は、それ程までに無意味だったのか。ルークに注いだ感情は本人の何ひとつも動かす事が出来なかった。最期の子供の遺言は宝珠の行方。最期の、最後まで。

 今から追い駆けて叱りたい。やわらかな頬を手の平で包み、ムッとする眉間の皺を優しく撫でて。最近お気に入りだったピーチパフェを作ってやり、昼寝を隣の位置でする。夜には甲板に出て星を探しては喜び、背中が冷えてしまわぬよう温めるのだ。そんなささやかで小さな、大層な願いでもない日々で十分だったのに。
 10年の月日は、ユーリの言葉も行動も何もかも響かせなかった。天秤に未来の希望を乗せても、反対側の絶望が大きすぎて覆せない。説得も信頼も信用も実績も、足りなかったのだろう。髪を捧げても手足、瞳をくれてやっても、何もかも無意味なのだ。
 ――遅かった、何もかも。覚悟を決めた時も事実を知った時も出会った時も、既に終わっていたんだ。歴史書で過去を知るような、手の届かない場所へ既に遠く遠く。遠すぎて、ルークの声はもう聞こえない。出会った時から否定していた命を、星の光になって初めて知るなんて残酷でも足りない程に。
 ユーリは、怒っても悲しんでも叫んでも、生きても死んでも、応えない世界の虚しさに拳を握り締める。強く握り締めて血が出ても痛いと思わなかった。いっそ全て出て行けばいいと、ぼたぼたと床に垂らす。この色が、あの子供で、体内に巡っていた色だというのに。夜の世界に置いてきぼりにしてしまった、海が見えるあのロッジテラスへ。ルークの命がこぼれたあの場所で。救い上げても還ってこない、悲しみの末路。そんな迷路に迷い込むくらいなら、……最初から。
 そうユーリが思考を詰みそうになった時だ。

「僕、心当たりがあるよ」

 そう場違いに涼やかな声が響いたのは一瞬。あまりに簡潔で簡単に言うものだから、誰の反応も遅れた。ユーリがゆっくり顔を上げて声の主を見れば、何時の間にか入ってきたのかそこには……世界樹が遣わした世界の救世主、ディセンダーが居た。






  


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