anti, World denied








この世界を否定した
1

 カチャカチャカチャ……器具がぶつかる軽快な音がキッチンに広がっていた。その音を背中に、ユーリは今小麦粉を振るっている最中。さらさらと雪のように降り積もる粉はきめ細かくボウルを彩っている。
 後ろを振り向けばルークがひとりで、あの小さな体と手で一生懸命生クリームを立てていた。子供の力で生クリームを立てるのは苦労する、ルークでは無理だろう。だがユーリは止めずに見守っている。額に珠のような汗をかき一心不乱、口元はぎゅっと結ばれ眉間に皺を刻めば双子の弟にそっくりだ。
 そんな様子をユーリは笑いながら、背中で隠しつつこっそりとニンジンを摩り下ろしている。自分が作っている物がキャロットケーキだと知った時、ルークはどういう反応をするだろう。今から想像でも吹き出してしまいそうだ。ごりごりとサイズが小さくなっているオレンジ色を見ながら、ユーリは少し前を思い出していた。


*****

 ディセンダーがジルディアと共生の道を歩む為世界樹へ還り、新たな産声の花びらがルミナシア中に舞い散る中。ユーリはルークの口から直接過去を聞いた。どうして、なぜ、なんで自分が……疑問から始まり、もう、やっぱり、どうしようもない……そんな諦めの連なり。想像通りユーリと出会った時から、ルークは既に諦めていた。
 それが今、どうしても許せなくて。ルークが抱えているもの全てを否定したくなる。誰かの常識をそっくりそのまま聞き入れる必要が一体どこにあるのか。普段手足をばたつかせて我儘を言うのだから、同じように振り払ってしまえばいいのだ。生まれが、血がなんだ。そんなちっぽけな事でどうしてお前の生き死にや、息をする事でさえ縛られねばならないのか。
 言おうか、言うまいか。ユーリは深く悩んだ。ここでそう言ってやってもいい。ジェイドだって何も知らない他人からの、無責任な言葉がもしかしたらルークを揺り動かすかもしれないと言っていたじゃないか。皮肉で言ったのだろうけれど、あれもある意味可能性のひとつだとユーリは思う。ライマの人間は事情の全てを知っている、慰めや誤魔化しも双方からして言えやしない。
 言葉にして吐く事は簡単だ。言え、言ってやれ。ライマの彼らには出来ない事をユーリの手でやってやればいい。お前が悪いんじゃない、何も気にする必要はない、そう言ってしまえ。オレが助けてやるから何も心配するな。夜露の冷たさからも真昼の日差しからだって、お前を傷付ける全てから守ってやる、と。

 喉まで出かかって、ユーリの唇は閉じてしまった。ぽたぽた腕に触れる、痛い水滴。今まではっきりユーリの前では見せた事のないルークの泣き言が、形になったもの。その悲しみに触れ、どの口で言えというのか。
 自分ひとりだけの問題ならばいい、けれどルークの首を絞めているのは周囲だ。家族、そしてアッシュ。2つが対である以上、片方が逃げればその責はもう片方にいくだろう、自明の理であるように。ルークが成長しないせいで、時期継承者の重圧は全て片割れにいっている。それだけでなく実験に身を捧げ、身体精神と共に負担を敷いているという自責。全てはアッシュがルークを想うが故の行動、それこそが全てルークを逃さない鎖となっている。きっとアッシュならば気にせず逃げろ、いいや国を捨てろとまで言うだろう。その確信させる強さが逆効果になっているなんて、とんだ皮肉だ。
 例え逃げても宝珠の影響からは決して逃げられないという事実も拍車を駆けている。アッシュが心身を削っているのに自分だけ逃げられない、泣く事は出来ない。いっそ大人しく受け入れるしかない、と。そう、想像上でもルークが辿り着く思想の決着にユーリは苦々しくなる。

 ほんの僅かでも、その負担を軽くする事が出来れば。そんなささやかな願いを迷わせている間に、ルークの呼吸は落ち着いて涙の線は途切れた。ぐす、と鼻を啜り真っ赤な頬をごしごしと擦る。
 ユーリはその小さな手を取り、濡れた皮膚をぺろりと舐めた。……当然ながらしょっぱくて、苦い気もする。もっと小さな爪を見て、本当に、子供でしかないのだと今更ながら。不思議そうに見上げてくる瞳はまだ水分の膜を潤して、目元も赤く稚い。
 心の奥底から沸き上がる衝動のまま、ユーリはぐしゃぐしゃとルークの頭を撫でてやる。涙も、悲しみも、決意も、ふたり分を誤魔化すように。まだ今は言うべきじゃない、そう自分を無理矢理納得させて。


 ユーリは全てを、確かに聞いた。だからと言って何か、特別変わるものはない。ただ何時も通り、今まで通り、ユーリがやる事になんら変わりはなかった。そもそも最初からだったのだから。

 後ろのルークは踏み台に上り、ボウルを冷やしながら生クリームを立て続けている。昼下がりのバンエルティア号、船内の空気は穏やかで優しい。世界の危機が去り、人間間の戦争も自然鎮火している今、新たに発見される生物や進化で科学者達の忙しさは火を噴いている。
 当然メンバーも採取に駆り出されたり、新種が生まれ環境が変化した問題で、結局アドリビトムの忙しさも変わらなかった。その中でふたり、ユーリとルークはのんびり……ではないのだが、のんびりキッチンでケーキ作りに勤しんでいる。何故かと言えば珍しくというか、初めてルークの口からユーリへ、きちんとした形で頼み事をされたからだ。
 現在クレスやロイド、アッシュ達は依頼や様々な件で忙しそうにしている。船内で自分が出来る事を何か、手伝い以外でしたいと言ってせめて甘い物でも……と考えたらしい。ユーリは一も二も無く賛成し、こうやって教えつつ手伝っている訳だ。実際の作業量としては逆だが、この場でそんな野暮を指摘する者は居ない。
 ケーキ作りを始めてずっと、泡だて器で混ぜ続けていたルークからついに頼りない声が上がった。もっと早く言うと思っていたが、随分頑張ったものだとユーリは微笑ましい。

「ユーリ、もう腕が疲れちまったよ!」
「しっかり気張れって、オレは毎回やってんだぜ?」
「う〜……」

 デザート作りは繊細な見た目に反して体力勝負、筋力も結構に要求される。特に生クリーム立ては早さも必要とするので、本来ルークひとりの人力では難しいだろう。だがユーリは手を貸さず、言葉だけで励ます。一度任せたものに手を出す程、ルークは頼りなくない、そのつもりで。
 そしてルークもそれを感じ取っているのか腕は止めない。口はしっかりと疲れた、しんどい、なんて言うがこれくらいはいいだろう。スピードも力も無くなっているが、やってくれ、とは言い出さない。元々ケーキ作りを乞うたのが自分から、というのもあるのだろう。それとは別に任せられている事にどこか嬉しそうでもある。
 ユーリはうっかりしていると緩んでしまいそうになる目元を引き締め、新たなニンジンを取ってごりごり、摩り下ろした。


 食堂に広がる甘い匂いはオーブンを開ければもっと濃くなる。ユーリは四角い型を取り出して底を冷やし、ガンッと衝撃を加えてパウンドケーキを出す。弾力を感じさせながら跳ね、ほかほかと美味しそうに焼けている。ほんのすこーしだけオレンジ色も混ざっているが、焼き色と言って誤魔化せる程度。パンナイフでさっくりと厚めに切り分け、皿に行儀良く乗せた。それから、ルークが頑張った生クリーム。結局立ちが足りなくて、ロックスにルークを任せている間こっそりとユーリが仕上げておいた。味見をして、いい具合。表面が隠れるくらいの量を乗せ、ベリー2種と、彩りにミントを。
 椅子に座って足をぷらぷら、わくわくが抑えきれないルークの前に出せば翡翠の瞳はキラキラと輝く。フォークを渡そうとしたら、行儀良く膝に置かれ待っていた両手が震えている。どうした事か、と思ったがまぁ理由なんてひとつくらいしかない。それが分からないルークは不思議そうに、震える両手を見せつけるように伸ばした。

「ユーリ、腕の震えが止まらないんだけど! なんでだ!?」
「そりゃお前の細腕でずーっと生クリーム混ぜてればな……。覚悟しろよぉ、今夜は筋肉痛だぜ」
「き、筋肉痛ってなんだよ、痛いのかよーっ!?」

 筋肉痛になるまで体を使った事が無かったのだろう、お坊ちゃまでお子様ならば当然か。ユーリは笑いながら、ルークの隣に座りフォークを取ってケーキを一口大に切り分ける。そしてゆっくり、ガイ達のように口元へ運んでやった。奉仕される事に慣れたルークはあーん、と喉が見える程口を開けて待っている。これを……さっと避けてやったらどうなるだろう。ユーリはとてつもない誘惑を感じたが、吹き出しそうになる笑いを噛み殺しながら我慢した。
 広げても所詮子供の口のサイズだ、運んだパウンドケーキの端っこをポロポロと零しつつも、押し込んでやる。はぷ、と閉じたのを見てフォークを引き抜けばもぐもぐと、瞳を閉じていっちょ前に味わっていた。その姿が可愛くて、ユーリは無意識で頭を撫でる。
 さらさら指通りの良い朱金の髪は相変わらず完璧で、ガイの気合が1本の端まで届きわたっていそうだ。指先で動いている頬を、少しだけ邪魔する。むっとした瞳がすぐにじろりとやってきたが、ユーリは無視した。
 口の中をようやく空にすれば、ルークの顔面はふにゃふにゃ緩んでいる。甘いデザートは体も心も癒やすひとときを作り出す、だからユーリも好きなのだ。

「うんまぁ〜、マジ美味い! オレ才能あるんじゃね?」
「ま、初めてにしちゃ上出来なんじゃねーの。スイーツの道は長く厳しいぜ、精進しろよ」
「んだよ、もっと褒めてくれたっていーだろ馬鹿!」

 褒めれば調子に乗るのが見えていたので、ユーリは程々に抑えるがそれがご不満らしい。ルークは膨らませてもあまり変わったように見えない頬をぷくーっと丸めて、ユーリからフォークを奪い取ろうとした。だがそれをあっさりと躱し、次の分を切り分けて口元に運ぶ。半眼が見上げてくるが、ユーリはニヤニヤと笑ってケーキで突っついた。ぺちょりと生クリームを端に付けられ、ルークは諦めて口を開く。ふわふわでしっとりのケーキが入っていけば、どうせすぐその顔は崩れてしまうのだろう。予想通りの表情は、あっという間に現実になった。

 パウンドケーキを半分以上、ルークの口の中へ収めた後だ。ナタリアやガイ、他の面々からよくお菓子を貰うルークは今更ながら、このケーキの色合いと甘さに気付く。砂糖や蜂蜜、生クリームだけの甘さじゃない。舌の肥えたルークは違和感にざらついた舌で、不思議そうにユーリへ尋ねた。
 もうそろそろ種明かしをしてもいいだろう、あっさりと材料を告げてやる。メインであるニンジン、その単語を聞いた瞬間ルークの眉根は面白い程歪む。

「キャロットケーキって……ニ、ニンジンって事か!? ニンジンなのかっ!?」
「ああ、3本も入れたからなー、風味も結構しっかり感じるだろ」
「さっ、3本もっ!? え……マジで、ほんとか?」
「マジで。でも甘くて美味いだろ? お前が頑張った生クリームも乗ってるし」
「あうぅ……確かに、甘いけどぉ……」

 ルークは顔を顰めたいのか喜びたいのやら百面相。ニンジンが入っているのは嫌だが自分が頑張ったケーキ、しかも美味い。何度もユーリとケーキを見比べて、最終的に騙された怒りに落ち着いたようだ。事の本質を見逃さない賢さは相変わらずで、ユーリは勝手に満足気。

「お前このー!」

 ぽかぽかと軽い拳を、口元にクリームを付けたまま奮ってくる。ユーリは笑いながらルークを抱き上げ、自分の膝に座らせた。よしよし、と後頭部を撫でて犯人である自分が慰める。口元を汚しているクリームを親指で拭い、ぺろりと食べればやっぱり甘い。こんなに良い出来で、ルークが怒る意味が分からない。いやニンジンを入れたのは自分だが。
 手足をバタつかせて怒り収まらないルークへ、とっておきの説得をユーリは繰り出した。

「まぁそう言うなって。これを機にニンジン嫌いが治ったら、アッシュやヴァンが褒めてくれるぜ?」
「え……そう、かな」
「ほら、アッシュの奴もニンジン嫌いじゃねーか。出た時お前が食ってやったらすっげー感謝されると思うね」
「アッシュが……」

 ほら、たった二言でルークは簡単にグラグラ揺れている。アッシュの為、後出しせずに鼻頭に突きつけてやれば後はもう、頷くしかない。加えて背中を軽く押してやれば、赤子を騙すより簡単だ。

「このケーキにゃ確かにニンジン入ってるが、そんな言う程不味いか? ルークがひとりで頑張った生クリームたっぷり乗せても食えそうにないのかよ」
「うう、そんな事ない……」

 ユーリは新たにケーキを一口、クリームも付けてルークの口元へそっと運ぶ。尖った唇は迷いをそのままに表してもごもご、波打っているが次第に開けて、ぱくり。ゆっくり味わっている。今度は材料を知りながらも。もぐ、もぐ、もぐ、と時間を掛けて噛めば甘さはもっと強くなるのに、そうとは知らずルークはしっかり噛んでいた。
 口の動きが無くなれば、ルークの眉はふにゃーと蕩ける。だらしなく気を弛めて、甘さにうつつを抜かしている表情。ここが食堂ではなくベッドの上ならばきっと、ごろーんと転がって猫のように喜んでいるだろう。

「……うまいぃ」
「だーろ?」
「ニンジンなのにうまひぃ、生クリームもあまひぃ……」

 ふぇーん、と嬉し泣き。複雑なのだろう、見ていて面白い。ユーリはそのままルークを膝から下ろさず、残りのケーキも食べさせてやった。うまいよー、でもニンジンの味もするよー、とちっとも黙らない行儀悪さだが、この場にナタリアやアッシュは居ないのだから見逃されている。
 ふたりの様子を全て見ていたロックスが、微笑みながら紅茶のおかわりを持ってきて注ぐ。黄金色の液体と一緒に食べれば、ますますキャロットケーキの甘さを引き立ててルークは混乱する。もう素直に美味いって言っとけ、そう決めてやれば小さな声で、アッシュに褒めてもらおう……と呟いていた。


 結局一皿食べた後、悩んでおかわりを少しだけ。やっぱり美味い、と結論を出して穏やかな午後だった。食堂の扉が開かれ、騒がしい声と空気が一緒くたにやって来る。普段以上にご機嫌が続いている、マオがやっほー! と挨拶と同時に入ってきた。

「ねーねーちょっと聞きたいんだケド! この中で誕生日近い人いる? 過ぎてても近かったらいいよ!」
「あら、どうしたの急に?」

 騒ぎも元気も持ってくる年少組は相変わらず突然の嵐。ユーリはマオが屈託なく使う、誕生日という単語に、表には出さずどきりとした。膝に座るルークからの反応は無く、きょとんとした表情のまま。

「ほらーここって人数多過ぎるから普段誕生パーティーってやんないでしょ? でもさー新しい世界の誕生会って事で、近いみんなの分も集めて一気にやりたいねーって話してたらさ! じゃあやっちゃおーよって事になって!」

 アバウトな説明だが、言わんとする事は分かる。アドリビトムのメンバーは多い、いちいち誕生日の祝い事なんて費用的にも時間的にもやってられないのだ。しかし大人はともかく子供達はまだまだ、そういったものに夢と期待を持っていてもいいだろう。むしろ気を使って言い出さなかった今までが謙虚だと言える。
 ジルディアとの新たな世界の共生の始まり、と言っているがどちらかと言えばそちらの方がオマケのような気はしたが、突っ込むのは止めておこう。
 マオがわざわざ誕生日を聞いてきたのは、ギルド登録の際の誕生日は無記入だったりフェイクだったりする為だ。星晶戦争が長引いていれば自分の誕生日を知らない子供が今よりもっと数多く生まれていた、少なくともそれは阻止出来て良かったと素直に思うのは悪くない。
 しかし、どうしたものか……。ユーリの誕生日はとっくに過ぎてしまった、それはいいのだが。ちらりと下の子供を見て、なんと応えるか薄っすら汗をかく。

「私の誕生日はもう少し先なのよ」
「すいません、僕もなんです……」
「そーなの? んじゃユーリとルークは?」
「オレはもう過ぎちまったし、今更祝ってもらって喜ぶような歳でもねーからな」
「あ、俺は……」
「あ、ちなみにボク自分の本当の誕生日知らないんだよねーギルドに登録してるのってユージーンに拾われた日だからさー。って言ってもまだちょっとだけ先なんだけど、ついでに祝ってもらおっかなって!」

 あっさりと明るく言うマオに、ルークは頭をこてんと倒す。それから少し考えて、……もうすぐ、と小さく恥ずかしそうに言った。

「ほんと、んじゃルークも一緒に祝われる側ね! あ、でもプレゼントは用意してよねー他の人用にさ」

 元気良く言って、マオは嵐のように去っていく。何時でも元気を周囲に振りまく子供だが、最近は特に元気が有り余っている様子だ。微笑ましいような、ちょっとは落ち着けと言いたいような。ラザリスの問題が片付いてからこっち、世界情勢はトントン拍子に良くなっていた。オルタ・ビレッジの経過も順調だと聞くし国家間の戦争は終戦宣言が次々と上がっており、難民救助にも手が回っている。まぁ、顔を曇らせる理由なんて無いだろう。……普通は。
 クレアやロックス達は穏やかにクスクスと微笑み、作業に戻っていった。ユーリはルークの頭を優しく撫で、もうすぐって何時だ、そう聞いた。

「……もーすぐ」
「だから、何時だよ。なんか欲しいもんあったら考えてやってもいいぜ」
「いーっての、別に。俺、誕生日ってあんまり……好きじゃない」
「ま、普通なら美味いもん食って物貰う日だけどルークは普段からそうだしな」
「そ、そうだけど違う」

 小さな頭をますます小さく、俯かせてルークはどこか気まずそうに続ける。言葉の先をユーリは読めたが、あえて止めなかった。

「だって、歳とっても俺はどうせ変わんないし、それに……どんどんもうすぐなんだって、迫っているみたいで。……怖いじゃん」
「……でもプレゼントは貰ってたんだろ? ガイやアッシュからよ」
「それは……。うん、毎年色んなもん、くれた。俺は花とか手紙とかつまんねーもんしかあげられなかったけど」
「あいつらがお前から貰う物をつまんねーなんて思う訳ねーだろ」
「そ、そうかなぁ」

 ふと思い出す。以前アッシュが部屋で読書していた時、妙に似つかわしくない押し花のしおりを見た事。ガイが時々、机に向かって嬉しそうな顔でくたびれた手紙を読んでいた事。日常の些細な欠片に、お互いの影響が色濃く感じられる。そんな関係がとても好ましい、そうユーリは思う。
 宝珠の事が無ければきっと仲が良い双子に……一瞬考えなおし、ルークの性格を考慮して喧嘩しながらも仲の良い双子になるだろうと想像の翼を羽ばたかせた。

 近付く誕生日はタイムリミットを突き付ける。だからルークは誕生日を好きじゃないのだろう、その分余計にガイやアッシュ達は祝おうとしていただろうとも予想出来た。だからこそこうやって、ルークの顔は複雑そうだ。キャロットケーキを食べた時のように、喜んでいいのやら悲しんでいいのやら。
 ユーリは同情も同調もせず、軽い調子で言ったやった。ルークとルークの周囲に合わせては、自分の意味が無い。知っていてもそれを飲み込んで、あえて言葉にする。

「ま、でもそんなのお前ん家の話じゃねーか。今はアドリビトムに居るんだから、素直に喜んどけって」
「でもよ……」
「ルークのちっさい脳みそであーだこーだ、考えて解決する問題か? ジェイド達が頑張ってんなら、あいつらに任せとけよ。ずっと見てきてくれてんだろ?」
「……うん、そだな」

 不意にクスリと、ルークは小さく笑った。吐息だけで笑う線の細さ、ユーリはそれを振り切るように小さな背中を抱きしめて頬ずりする。くるしいだろ、呆れたような声が下から不満を漏らすが無視した。腹に回した腕は簡単に1周してしまい余るくらい。その頼りなさと暖かさに、ユーリは溜息を微か。
 こういった、誰かの突然の行動にきっとルークも慣れているのだろう。それ以上は抵抗せずじっとしている。それから今度は慰めるように話題をふってきた。賢いもんだ、ユーリは感心しながらも腕を緩めない。

「プレゼント、どうすっかなー」

 ルークの声は少し困っている。今までとは違い出歩ける範囲は広く、金額もある程度自由になる環境。かと言って豪華な物、もルークでは思いつかないだろう。何しろ金銭の存在は知っていても価値を知らなかった期間が長かったのだから。今度は正真正銘困り、眉根をぎゅーっと寄せてユーリに聞いてくる。

「ユーリは? お前何プレゼントするんだ?」
「オレはケーキでも作って免除してもらおーかね」
「えー、何だよそれずりー!」

 恐らくマオはあの調子で船内中を回り、結局船員の殆どを巻き込むのだろう。つまり総勢80人のプレゼント大交換だ、ユーリは想像するだけで疲れる。となれば誰に渡っても喜ぶような物、なんて考えるだけ無駄だ。ならば自分の得手から選択するのが冴えたやり方。
 ルークはずるいずるい! と怒り体を捩らせてユーリの髪を引っ張ってくる。毎回これは紐じゃねーぞ、と言っても聞きやしない。いい加減括ろうかなと最近ちょっとだけ思う。

「何言ってんだ、80人分のケーキ作りだぞ? どんだけの重労働だと思ってんだ」
「う……今日のを80人分か……」

 実際は手伝う人間が多く出てくるだろう、このギルドには料理自慢も多い。だがそういう部分は巧妙に出さず、ユーリはまだぷるぷるしているルークの腕を取って、空中で生クリームをかき混ぜる動作を作る。するとルークの顔は思いっきり歪み、やめろばか! そう叫んで振りほどく。

「どうしよっかなーガイに相談してもいいよな?」
「こーいうのは相手を想って贈りゃ何だって喜ばれるもんさ、だからせめて自分で選んでみろよ」
「えー? でも俺、何あげたらいーのか見当もつかねーよ!」
「お前が貰って嬉しいもんでいいんじゃねーの」
「なんだよ、一緒に考えてくれたっていーじゃんか! ユーリのケチ!」
「ヒントは十分出してやってるだろ。お前も大人ならひとりで考えねーとな」

 そう言ってやればルークの頬は目一杯膨らんでから、ふにゃっと嬉しそうに緩む。それからすぐにハッとして、やっぱりまた頬をぷんぷんと怒らせた。けれど目元が戻っていないので余計に可笑しい。ユーリは笑いながら崩れてガタガタになっている眉の位置やほっぺたを戻してやれば、ルークは恥ずかしそうに、悔しそうに唇を尖らせる。

「みんなは俺に優しくしてくれんのに、ユーリはいつまでたっても意地悪だ……」

 ぽつりと零す声は拗ねているが、嬉しそうな顔色は戻らない。まるで先ほどのマオのような表情。他と違っていた事が自分の味方になってくれた、そんな思わぬ喜びに小さな体は正直に反応している。それが伝染している事を悟られぬよう、ユーリも表情を作って言った。ぷにぷに、とほっぺたの膨らみを潰しながら。

「お前の手が誰にでも通用すると思ってんなよ? 少なくともオレから見ればルークもアッシュも全ッ然ガキだっての」
「……アッシュもガキなのか?」
「そりゃそうだ、だってあいつ年下だし。すーぐ怒るしな」

 軽く馬鹿にするように笑って言えばルークの顔はあっという間にまたムカッと怒らせて歪む。けれど一度視線を外し、突然思い出し笑いで体を揺らした。顔を見せぬようにだろう、ルークはユーリに抱き着いてぎゅうーっと胸元に押し付ける。それでも肩が小刻みに動くし、くすくすと笑う吐息が吹きかかってこそばゆい。何よりも耳たぶが真っ赤に染まって、ちっとも隠れていなかった。
 ユーリもなんだか釣られて、腹の奥から込み上げてくる。だが思い切り笑ったらきっとルークの機嫌を損なうだろう、気を付けながら、でもしっかり笑えば抱き着くルークの腕は強くなった。少しばかりちくりと痛みが刺し、フッと気が付けば子供の笑い声なんて聞こえてこない。クレア達が食事の下準備でトントン、とリズミカルにまな板を叩く音が静かに響いているだけ。

 昼間の日差しが暖かくて、なんだか汗ばむな。急にユーリはそんな事を思う。窓から差し込む光は眩しくて直視出来ない、どこに居ても2色の世界樹が見えれば特に。ラザリスは還っていった、ルミナシアに解けて。雫の奇跡は幻になってしまったその、結果がこの暖かな世界。
 そうだ。大多数の、殆どの人間にとっては喜ばしい事なんだ。喜ばない方が異常でおかしい。幻に縋ったって、掴める訳なんて無かったのに。それがはっきりと分かっただけじゃないか。最初から無かった、ただそれだけ。

 たったそれだけの事で、どうして。
 瞬間、ユーリは今すぐ懐の小さな子供を抱えて逃げたくなった。世界もライマもファブレもローレライも、もうどうだっていいじゃないか。全て捨てちまえ、無かったんだよ最初から! ぶち撒けたい衝動は業火となり一瞬でユーリの心を灼き尽くす。それを、ルークの髪をさらさらと梳く事で台無しにした。冷たい糸を指に絡めて、でも頭を撫でれば子供らしい少し高めの熱。何度も繰り返していけば段々と落ち着く。
 世界に花びらが散ってからは、一日に数回こうやって、ユーリは自分の感情を黙々と冷淡に処理する。足元に残った煤は積もり積もって消えずに残り続け、今ではそれに埋もれそうだった。目を閉じて暗闇に沈む。以前はそうして静かになった感情は、奥に仕舞い込まれるだけで消えず炙り続ける。
 けど、これでいい。ルークの前では大人であれ、それはきっとガイやジェイド達の共通認識だろう。それにユーリも習った。そうするしかない。

 静かに沈んでいく自分の心を自覚しながら、ユーリは足掻く。言葉だけじゃないものを探して。
 ルークの誕生日、もうすぐ18になる双子。もうすぐ、後2年。1年なんてそれこそあっという間だ、だってユーリとルークが出会ってもうすぐ1年が近い。未来から聞こえそうな足音に目を閉じて、プレゼントは何をやれば喜ぶだろうか。ルークと同じように悩んで、ユーリは同じように気付かないフリをした。






  


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