anti, World denied








6

 傷が完治するまで、ルークは装備品かというくらいユーリにくっ付いて回った。それまではユーリの方こそが世話をあれこれ、文句を言われながらも焼いていたのにまるで逆転している。と言ってもやはりルークなので、結局はユーリやガイがあれこれ手を回しているが。
 傷自体は塞がっているので後は血が減ったくらい、それもロックスの山盛りな食事で十分取り戻している。ルークが自分の皿からこれも食えあれも食えと、嫌いなものまで一緒に乗せてくるフォークを本人の口に詰め直したりなんやら。
 エステルの心配した、フレンのお小言を様々聞いて、休んでいた分鈍った体を動かせばもう過不足なく動く。剣のジャグリングをルークが殊更嬉しそうに見つめるのでつい調子にのって回しているとうっかり落とし、足へ刺さりそうになったのは笑い話。
 アンジュからラザリスの進展を聞けば、もうすぐエラン・ヴィタール、本拠地へ乗り込むそうだ。ユーリがベッドに沈んでいた間そこまで進んでいたとは、流石にアドリビトムの人間は皆有能で仕事が早い。そしてやはり……ルークの事は知らせていないようだ。

 ラザリスには期待できない、アッシュは確かにそう言っていた。けれど他に方法がないならば雫の希望にも賭けてみるべきではないか、もしくはリタとハロルドに協力を要請するべきだ。これだけの人材が傍に揃って、どうして黙っているのか理解に苦しむ。
 だからユーリは今、部屋の前に立っている。ルークはガイに任せ、少し時間を貰っている最中。ユーリの目的を察したのだろう、何も言わずあの爽やかな笑顔で頷いていた。ガイは10年近くアッシュとルークに仕えていると聞いている、その年月の重みと苦しみをユーリは知らない。あれだけの溺愛っぷりだ、ルークの為ならば亡命だろうがなんだろうがやってのけてしまいそうだと思うのだが、それをしないのは何故だろう。
 ……考えていてもしょうがない。ユーリには残念ながら特殊な力は持っていないし知識もない、あるのは自らの手足と、頭。停滞している場所を駆け、新たな風を巻き起こすくらいだ。その為の第一歩、ユーリはノックも忘れて部屋に入った。

「おい、ルークの事聞いたぜ」
「おや、それはそれは……アッシュからですか?」
「まーな、その様子だと読めてたみたいじゃねーか」
「彼は結局の所直情型ですからね、自然な流れでしょう」

 はしばみ色は振り向きもせず、穏やかにそう言う。さらさらと聞こえるのはペンを走らせる音、何やら書類を書いているのか、ユーリが入り扉を閉めても止めようとしない。背後を取らせても余裕があるつもりなのだろうか? 何時かこうなる事は予測済みだったと言わんばかりのジェイドらしい態度、それはそのまま自分からは決して口にする気は無かったと証明している。
 国家機密が過ぎる、預言は国自体が推進していると。ユーリは思い出して胸がムカムカと反感立つ。アッシュにとってルークは国家と同時に家族の事だ、あの燃えようにも慎重さも理解できる。だがジェイドは高官軍人、言うなれば本来ユーリが気に食わない辺りの立場。国の為ならば犠牲を出す事も厭わない、そんな言葉を今日耳にすればこの場で殴ってしまうかもしれないなと薄っすら予感する。

 ふとペンの音が止む。ジェイドは肩を軽く鳴らしてから、ようやくこちらへ振り向いた。相変わらずの表情、穏やかなのか人を舐めているのか判断つかない態度は踏んできた場数を思わせる。剣を振り回すよりも化け狸相手に弁を奮ってきました、といった所だろうか。ここで武器の腕も立つのだから才能だのなんだの、生まれ持ったものの差だろう。それもジェイドという人柄一つで、敵にも味方にも油断出来ない相手だと思わせるのだから流石、かもしれない。
 ユーリは周りくどい事は無しだ、そのつもりでずばり聞いた。

「宝珠はどうやっても取れないのかよ」
「その辺りはアッシュも言ったのではありませんか? 取り出せるものならば今頃あの双子は揃って立派な17歳です」
「あんたの事だから不可能だって言っておいて、こそこそ裏でやってそうだと思ってな」
「それはそれは、高く買っていただているようで背中が痒くなりますねぇ有難うございます。ですが買い被り過ぎですよ、私はただのしがない軍人ですので」
「ネクロマンサー様が謙遜なんてそれこそ薄ら寒いじゃねぇか、そろそろ噂に高い実力ってものを軽く見せてもらいたいんだがね」

 どうしてもなってしまう嫌味ったらしい応酬、ユーリが負けじと食い付けば相手は意味有りげに笑い、椅子の背凭れに背中を預けてこちらへ真っ直ぐ顔を向ける。値踏みされている視線、ユーリは真っ向から睨み付けてみせた。反感意識だけならばいくらでもくれてやるが、今日はそんな事をしに来た訳じゃない。
 少しの時間そうやって沈黙を続け、先に降参したのはあちら。といってもジェイドの表情は変わらない、一見余裕そうに口の端を上げている。ユーリは何時か彼をぎゃふんと言わせたいな、と意味もない考えが浮かんだ。

「ルークの、成長が止まっていると分かってからですかね。アッシュは自ら率先してローレライの剣を取り出せないか実験に志願し身を捧げてきました。宝珠と剣は同質存在、剣を取り出す方法が見つかれば同じ方法で宝珠も取れると考えたのです」
「……実験、ねぇ。嫌な響きじゃねぇか」
「出来うる限りの全てを、アッシュはよく耐えてくれました、本当に。成長しないルークは大臣達から完全に見放されています、故に実質の王位後継者として忙しい中、休みもせず」
「立派なブラコンだな、あいつ。隠す気は特にないみたいだけど」
「剣と宝珠、どちらがどちらに渡るかは運命の采配でしたからね。もしかすると自分の方に宝珠が入り子供の姿に留まっていたかもしれない、もしくは片割れに押し付けてしまったという罪悪感……実際どうかは知りませんが」
「無駄に堅く考え過ぎてそうだしなアッシュは」
「目的をはっきり定めている点は評価出来るのですが、それ以外が疎かになるのは否めませんね。あの頃はルークよりも先にアッシュが倒れるんじゃないかという勢いでしたよ」

 思い返して苦笑するジェイドを目の前に、ユーリはふつふつと積もるものを感じる。天才とは一般人とどこか欠けているとよく言う、アドリビトムに在籍する数名がその証明をしているが……反してまともな人物も。むしろジェイドがその欠けている側なんじゃないだろうか、レイヴンから聞いたジェイドの功績と呼び名からして、あまり良い意味で呼ばれているとは到底思えない。

 ガルバンゾでのルークの言葉は確かにアッシュを羨んでいた。だが対象はあくまでも自分が出来ない…外出や剣等に限られておりアッシュ本人には及んでいない。双子だという意識がお互いを強く結びつけ支え、同時に差異を明らかにしてしまっているのだろう。
 医務室で語るアッシュの表情は苦渋に満ちていた。あの顔を見てはユーリは彼を責められない、そんな権利元々自分には無いとはいえ。だから余計に、あの双子共々をなんとかしてやりたいと胸が疼く。外から見て当然の事実がお互いを傷付けている、それをお互い想い合って表に出さないように振る舞う姿は涙を誘うじゃないか。
 だからユーリはあの双子の代わりと言ってはなんだが、ジェイドに強い態度で詰め寄った。身内としてルークの主治医もして実験にも携わっている、なのにこんな態度を見せる彼に疑念を持っても当然と言えよう。

「そんだけ時間かけたんだ、あんた程の天才なら駄目でしたなんて口が裂けても言えねーよな」
「残念ながら実験を重ねるも虚しく、一つの手段を残して全滅ですよ」
「その一つってのは?」
「今の貴方なら想像がつくでしょう」

 ニヤリ笑われて、アッシュの言葉が浮かんできた。再び一つになる時、と預言に詠まれている、それを前提として埋められたのだから別れたままではない必ず一つになるだろう。そしてアッシュが様々な実験に耐えても剣は取り出せなかった。
 ならば残る手段は少ない、ユーリが思いつくのは単純に時間経過か……宿主の死か。アッシュは言っていた、預言に従い成人すれば奪い合うのだと。剣と宝珠は魂と重なっている、命そのもの。だから取り出すという事は命を取り出す、そのままだ。
 予想出来る範囲に、ユーリはうんざりする。それを知ったアッシュとルークの苦悩は如何程だろう。答えを拒否する意図で手を払い、それを言葉にしない。そんな機微を読んだジェイドの口元の皺がどうしても気に入らなかった。

「自信満々だな、あんたが見落としてる方法だってあるかもしれねーだろ」
「剣と宝珠は特別なのです、あれはお互いのみを認めて他を拒絶している。マナもエーテルも星晶エネルギーも特殊鉱石も素材も……何もかも反応すらしませんでした。お互いを感じ合う事は出来るようですが、摘出までにはどうしても至らなかった」

 剣と宝珠はお互いのみを認めている。そういえばルークはアッシュが来ればすぐに分かると言い、実際バンエルティア号に乗船した時姿を見ずとも感じ取っていた。そしてアッシュも、医務室で剣が反応したと言っていた事を思い出す。成る程、双子であり剣と宝珠がその結び付きをより強くしているのだろう。
 そして宝珠の拡散性質はユーリも十分味わった。ルミナシアに存在するエネルギーでは傷一つ付けられないのは間違いないだろう、そうなると後は物理方法しか残っていない。ユーリはわざと軽く、侮る温度で口にした。

「ほっといたらそのうち出てくるんじゃねーの、預言はあくまでも一つになる時って言ってんだろ?」
「月が満ちる時……ライマ史から読めば成人を指します。もう後2年しかありませんね、その時になれば本当に、勝手に出てくると思いますか?」
「おたくらが盲信している預言さんがそう言ってるんだ、手段なんて探さなくても案外あっさり出てくるかもしれないぜ」
「確かにそういう可能性も無きにしも非ず、ですがねぇ。肝心の行動を起こす側がそう考えてくれないのでは、無意味というものですよ」
「はん、……狂信者って奴ね」
「貴方の仰るとおり何もせず、成人しても何も起こらなかった時の後手結果を想像する方が恐ろしいですね。彼らは何よりも預言成就を重視しますから」
「大事な国の跡取りでも殺すって?」
「元々預言から建国したのがライマですから、逆なのですよ彼らにとっては。国はあくまでの預言の為のもの、そこに住む人間もただの手段です。跡取りが大事なのではなく、預言を重ねて生まれた結果。そしてまだ預言に詠まれているからこそ脈々と跡取りを用意しているに過ぎません」

 なんて理由付けだろうか、ユーリがどれだけ聞いても理解出来る気がしない。宗教は心の拠り所になる。そんな風言っていたはずのジェイドの、この言い様を聞けば内心が伴っているとは到底思えなかった。
 アドリビトムで神職に就くアンジュやミント達を見れば、少なくともライマの宗教の在り方はいびつが過ぎる。目的の為に手段を選んでいない、その非常識が彼らにとっては常識なのだろう。

「随分ご立派なのを飼ってるみたいじゃねーか、いや国が飼われてるんだったな」
「ええ、残念な事に。上層部だけとは言えトップのカラーは下にも影響しますからね、同じ領土に存在しても言葉や思考は他所の世界なのですから、本当に面倒ですよ」

 最初から箱庭の実験場、今は亡き者の手の平、それがライマ。そんな所がよくもまぁ続いていると感心してしまいそうになる。もしユーリがその事実を知れば国を抜ける事だって厭わないだろう。
 同時に、余程上手くやっているのも苦々しいが想像がつく。アッシュが自分の事でなければ鼻で笑うと言っていた。例えばもし彼らが王家に生まれていなければ、王家ではなくただの貴族だったならば。いいやそれは結局被害者が変わるだけ、ユーリと出会うのがルークではなくなるだけだ。
 大きく根本的に、違う彼らはまるで異星人。いっそラザリスが生み出すジルディアの住人くらいに分かりやすければいいのに、同じヒトの形と言葉を持ちながら、ルーク達を同じヒトとは思っていない。そんな彼らが運命を握っているとは冗談ではないだろう。なのに簡単には抜け出せない、既に入り口はくぐり、出口も通り過ぎてしまった後なのだ、あとに残っている物語は蛇足に過ぎないなんて。

「ライマにとって秘預言は未来への行き先を示す最重要なレールなのです、これを外れれば国が滅ぶと考えている貴族は多い、いや古参は全員だと言ってもいいでしょう。ですから教団に協力的な人間ばかりで、難色を示す現王に対して不満が多かった。そして教団幹部も、そんな王を邪魔だと感じるようになったが為……引きずり降ろそうと今回のクーデターを煽動したのです」
「おいおい、あんたの所のクーデターは暁の従者が煽ったって話だったんじゃないのか」
「体の良いカモフラージュです、彼らからすれば世界よりも預言の方が重要ですから。何しろ世界の混乱自体は分かっていた事ですし、後2年程耐えて鍵を完成させればどの国よりも富むと未来を約束されているんですよ」
「そんな胡散臭い約束を、よくもまぁ信じられるもんだ。大昔の言葉だろ? 外れないって確証があんのかよ」

 今を生きる者の実績ならばともかく、過去からの言葉を疑いもせず信じて誰かを死に追いやってしまうとは。ユーリからすれば逃げだとしか思えない、考える事を放棄している、操り人形とどう違うのか。本来占いとは迷える者の背中を押すもので、強制力をもつものではない。なのにそれを大の大人、それも大勢が信じきっている。
 他国の政策に口出ししたい訳ではないが、これ程穴だらけでは言うしかない。ジェイドは比較的現実主義者なのだろう、ユーリの憤りに肯定も否定もせずただ静かに聞いている。その冷静さがユーリの片眉を上げてしまう、恐らく相手も分かっていて煽っているのだろう、なにせジェイドだ。

「過去の歴史においては全て正確に言い当てている……教団側の資料にそう書いていますが、捏造の可能性もあるかもしれませんね」
「自分達の都合良いように考えて当て嵌める連中なら、それこそ改ざんだってしちまうんじゃねぇのか。あんたはそこら辺きっちり調べたのかよ? お膝元なんだろ、一応」
「敷地内にあっても治外法権と言いますかね、建前と実際の上での立場は逆ですので……調べようとすれば途端に首が飛んでしまいますよ、物理的に」
「まったくおたくん所の首は随分軽いんだな感心するぜ」
「そもそも疑いをもつ事自体が異常、という常識ですので。それに今回の件に関しては間違いなく的中すると確信を持たれています」
「えらく自信満々じゃねーか、その根拠は?」
「今まで決して、誰も触れる事が出来なかったローレライの剣と宝珠に、触れられる人間が現れたからです」

 そのジェイドの言葉を聞き、ユーリは瞬間思考を停止してしまう。その言葉の意味……考えると前提が崩れてしまうのではないか? 古い言い伝えに残る剣と宝珠が証拠として存在していた、預言の実績もあってだからこそ信じられてきたのだろうに。ユーリは胡乱な瞳を隠さずジェイドへ刺し、説明を求めた。

「国宝である剣と宝珠は過去の歴史の中で、例え王家であろうが赤い髪に緑の瞳を持つものであろうが、誰であろうと反応しませんでした。反応が無い以上あれは単なる古びた骨董品、切れない剣と石だった。なのでそれまではいくら預言であってもただのお伽話だと思われていたのです。実際ライマのような小国で、ガルバンゾや帝国を押し退ける力を持つとは正に夢が過ぎる……と、思われていました」
「おいおい、いきなり今までの前提ぶっ壊してるだろそれ。でも実際ルーク達は触れるんだろ? でないとなんであいつらに入ってるってんだ」
「あの子達は自らの手で触れた事はありません。7歳の時に教団の指示で、眠っている間に埋められたそうですから」
「さいで。んじゃその触れて、ルーク達に入れた奴ってのが最大の原因な訳だな?」
「……あらゆる意味で、その通りです」
「じゃあ話は早いじゃねーか、そいつに言って取り出してもらえばいい」
「ええまぁ、そうなんですけどね」

 ごく当然の結論、だがそれをジェイドは鼻で笑った。本当に失礼な奴だ、この男は。自分で隠しているカードを場に開けず笑うとは、性格に難が有り、では収まらない。
 そしてそれに付き合っているとこちらが疲れるのもいい加減分かってきた、ユーリは我慢で溜息を、すると相手も示し合わせたように、眼鏡のブリッジを軽く上げて言った。 

「ローレライ教団最高幹部であるイオン導師は、アッシュとルークにそれぞれ剣と宝珠を入れた後すぐにご病気で臥せられました。そしてつい先日、お亡くなりになっています」
「……イオン、導師。お偉いさんね。そいつが剣と宝珠をあいつらに入れたって奴か」
「ええ、幼いながらも類まれなる素質を持ち、秘預言を深く読み取る力をお持ちでした。ですがそれと引き換えに、でしょうかね……お体は弱かったと聞いています」
「病死……なんだろうな?」
「公式見解では病死、とだけ言っておきましょう、事実は闇の中に埋もれてしまいました」
「ローレライ教団って所は宗教やるより工作の方が長けてるんじゃないのか」
「元々宗教をやる為に組織された訳ではありませんので」
「隠れ蓑、ね……。匿ってる場所にも問題あると思うけど?」
「母屋があちらですので、文句は言えませんよ」

 にっこりと、ジェイドは定番の笑顔でそう言った。捩れている国家を問題視しても、それを作り変える力を持たない今の状況。ユーリはそれになんだか過去、騎士団に在籍していた頃に感じた苛立ちが胸に湧き上がる。
 憂うだけではあまりに微力、それを変えたいと思っても切っ先が届かない。ユーリの時はフレンがいた事もありあまり後ろ髪引かれずバッサリ切り捨てたが、ジェイドは今だ留まっている。それが彼なりの、アッシュやルークに対する情に段々と見えてきた。

「そのイオンって奴? 死んだのはそんな最近なのか」
「はい、そのおかげでアッシュは本格的にライマ後継者となるべく、継承の旅に出されました。大臣達は生き残るのがアッシュだと思い込んでいますので、着々と準備を進めていますよ」
「アッシュがよくもまぁ、そんなのに付き合うな。一番怒りそうだろあいつ」
「彼は真面目で高潔なのです。秘預言の存在は許せないが国を導きたいという気持ちは捨てられない、良くも悪くも王家らしい人材で……だからこそ抜け出せないのでしょう」
「頭でっかちとも言うな、もっと柔らかく考えりゃいいのによ」
「言いますねぇ、子供らしい若さと盲目さです。卑劣な手段を相手が使っても自分は取れない、……そんな事だから結局手遅れになってしまった」
「あんたがしてやれば良かったんだ。得意そうな顔してるぜ、悪役」
「そうですね、今ならば私もそう思います。グズグズするべきではなかった」

 やけにキッパリと言うジェイドの顔は硬く厳しさに溢れている。断罪する響き、それは何故か自分へと向けられているように感じた。アッシュと違いほぼ自分の感情を他人に読ませない彼の一瞬の隙、それは私見ではあるがどこか後悔に滲んでいる。
 そしてジェイドは今日初めて、ユーリの前で眉を潜めて溜息を吐く。重い空気に自らの結論を絡め、才能と知恵を持ってしても太刀打ち出来ないと弱音のようなものを見せた。正直それにユーリは少し驚く。

「……現状、殆ど詰めの段階なのです」
「チェックメイトだって? あんたがそんな顔でそんな事を言うなんてな……似合わなさ過ぎだぜ」
「ルークが自分から誘拐されたのは恐らく、イオン導師の死去により外部から宝珠を取り出す手段が無くなったからでしょう。ラザリスにも期待出来ない今残された手段は……三つでしょうかね、アッシュに殺されるか、アッシュを殺すか、秘預言を無視するか」
「答えなんてもう出てるじゃねーか、無視しちまえばいい。頭おかしい奴らの言う事に従って死ぬなんざ馬鹿げてる、ルークやアッシュにそんな義理どこにもないだろ」

 結論は出ている。ルークの周囲に居る人間でそう思っていない者なんて居ないのではないだろうか。ジェイドだってそう考えているはず、だから嫌味を言いながらもこうやってユーリに口をこぼしているのだ。
 ラザリスに会う約束だって、周りを欺いてでも取り付けて、でもルークの安全を想って止めた。そうだ結局考えればジェイドも相当ルークに甘い。表向きにも軍属なのだから否定的な事は簡単には言えまい、そんな事をすれば人事異動かそれこそ物理的に、というやつだ。実験や研究もそうだし国の重鎮相手には対等な立場が最低限必要になる。
 人には人の役割がある、それを歩いて行けばいい。そうユーリも考えている事だ、だからこそジェイドもそれに徹しているのだろう。分かり難い男だな本当に、そう判断を下した。

 そんな分かり難いネクロマンサーは何度も繰り返したような、堂に入った仕草で腕を組みユーリを責める視線で刺す。僅か苛ついた感情を感じ取り、核心の当たりだと勘付く。

「無視して、ルークはどうします。宝珠はそのまま体内に残っているのですよ、アッシュとは違って成長しない体のまま。貴方はあの子に、我々が死んだ後も永遠に子供として生きろと言いますか」
「……不老、か。厄介だな」
「少なくとも今まで10年間、新陳代謝はあれど身体の成長は決して見られませんでした。ガイが健気に毎日取るデータはまるでローテーションコピーしたように同じなんですよ。そんなデータを見続けて時間が経てばある日勝手に体から出て行くと楽観的に言えますか? なんなら言ってみてください、ルークがなんと言うか少々興味があります」
「おい人を使って反応試してんじゃねーぞ」
「いえ、わりと本気ですよ。ユーリのように我々が重ねた時間の一欠片も知らず、無責任に言い放ってしまえる慰めが、もしかするとルークの心を動かすかもしれません」
「爪の先程も思ってねーだろ」
「爪の垢くらいは思っています」

 にっこり笑顔は正に悪の譜術使いだ、参謀役だと顔で書いている。アッシュやガイが自分の役割でルークに接しているようにジェイドも全うしている、解決に導く僅かな方法だと信じて。だから余計に、外から知りもしないで口を挟むユーリのような存在は気に入らないのかもしれない。表情には出ていないが話していると少しずつ見えてくる。
 そうなると今更息巻いてお節介をしにやってきた自分は、少し恥ずかしい気がじわじわと。だが何かしてやりたいという気持ちも本当だ、愚かを気取って山を動かせるのならば幾らでも踊ろうじゃないか。

「まだアドリビトムに依頼する気はないのか」
「この件は言うなればライマの独断です。世界的危機の最中に持ち込んで事態を遅延させる訳にはいきません」
「個人的って言うけどよ、秘預言はラザリスの事も言ってんだろ?」
「秘預言にディセンダーの出現は詠まれていませんでした、そして今彼の活躍で秘預言の内容とは外れはじめています」
「じゃあ教団連中は頭真っ赤にしてんじゃねーの」
「ええ、まったく大変に愉快ですよ。ですので現在この件はお国騒動みたいなものになりました、身内の問題くらいは身内で片付けさせてもらいたいものです」

 今日一番のいい笑顔なのだが、ユーリはつい背中が寒々しくなった。それにしても確かに、預言の信用が無くなれば殺し合うだなんて馬鹿な事は却下されるかもしれない。ただ同時に、信用が落ちたからこそ復権を狙って強行に及ぶ可能性もある。バンエルティア号に居れば身の安全は保証されているが、問題の解決にはならないのも確か。
 そしてやけに…軽く扱おうとする口調のジェイドに、ユーリは覚えのある引っ掛かりを感じた。

「おたくさん、狸相手にし過ぎて重要な事程軽く言うクセあるったりする?」
「おや、そう見えますか? どう取って頂いても結構ですよ」
「ふぅん、そうかよ」

 突付けば特有の、レイヴンと似ている裏方側の反応だ。全て話すとは思っていないが、当然に隠している事もまだあるらしい。となるとここで、じゃあもう大丈夫だな、なんて納得する訳もなく。先程ユーリに突き付けた問題点、あれをジェイドはどうするつもりなのか尋ねた。

「じゃああんた達はルークをどうするつもりなんだ、そこまで偉そうに言うんだから何か考えがあるんだよな?」
「そうですね、我々がやれる事といえば国に帰って独裁を敷くくらいでしょうか」
「はあ?」
「アッシュは皮肉にも剣を内包しているが故に政務での発言権が大きい。現在就いている大臣達を全て降ろし、秘預言の存在を知らない若者を就かせます、そして政教分離を完全に浸透させる……一先ずはこんな所ですね。幸いにも民達は預言をただのお伽話だと思っていますし、秘預言自体も知る人間は限られていますので」
「それってあくまでも庭を鎮火させただけであって、肝心のルークの事じゃないと思うけどその所は?」
「少なくとも、国家からの脅迫が無くなれば精神的負担は減ります。宝珠はまたそこからですね」
「って事は実質、何も方法が無いって事だろ。もういっそルークを亡命させられないのかよ」
「それこそ、してどうします。結局宝珠が残るのは同じではありませんか。それならば資料や施設がある国で研究を続けた方がいい」
「一応聞くけど、ファブレの名前を捨てさせるのは」
「王家の直系、それも第一位後継者が亡命、逃亡となれば信用は地に落ちるかと思われます。もしかすると没落するかもしれません、血縁である現陛下にも飛び火する可能性がありますね」
「……命より家名が大事だって言うのかよ」
「家名に背負っているものが一般とは違うのです、残念ながら貴方には分からない事だとは思いますが……今の私個人としては貴方の意見に賛同してもいいと思っていますよ」

 権利の事ばかり続いてうんざりする中、意外な言葉がジェイドから飛び出てユーリは少し驚く。まじまじと見れば、口角を上げた笑顔が胡散臭げに返ってきた。

「立場が違うのはどうしようもない事です、そこから自分の出来る事をするしかないでしょう。だから貴方も直接、私の元に来た……違いますか?」
「まぁ、そうだけどよ。あんたに言われるとなんだか……微妙だな」
「称賛として受け取っておきますよ。私の話はこれで終わりです、納得いかない事があるならばルークに直接言ってください。これ以上は……あの子の範囲ですので」

 それはどういう意味だ、尋ねるがジェイドはくるりと椅子を回転させ、ユーリに背中を向けてまたペンを持ち書類と向き合ってしまった。さらさらと響く音が無言の返事。これ以上話す事は無い、と拒絶が見える。

 ユーリは諦めて部屋を出た。しんと静かな廊下に、自分の溜息が響く。ジェイドの話は結局、ユーリの手ではどうしようもない事が分かっただけ。要するに生まれの悲劇だ、あの双子は王家に生まれたから体に異物を混入され、大人達に振り回されて、生死にまで関わっている。そして血筋の歴史が逃走を許さない、誇り高く国を想う気持ちと家族の愛情が足を引っ張っているのだ。
 やっぱりろくなもんじゃねぇな、そう毒づいてしまいそうになる口を抑える。取れる手段は限られているのに、それでも全て解決する訳でもない。時間が解決するかも怪しい話、何より当の本人が悲観的だ、ルークの範囲……あれは自ら終結を望んでいる事を指している。話してくれるまで待つと言った手前、今ユーリが説得するのも不自然だし説得力が薄い、なんて体たらくだろう。
 正に手詰まり、とは思いたくない。そんな未来しか待っていないなんて……酷すぎるじゃないか。




*****

 ユーリは今、操舵室に立っていた。本来の住人であるカノンノとニアタはディセンダーと共にエラン・ヴィタールへ行ってしまった、あの少女の温かな名残がどことなく残っている気がする。
 最終戦にはアッシュも同行している、ディセンダーにだけルークの事情を話し、ラザリスと話が出来るか試すそうだ。試すだけ無駄かもしれない、だが万が一億が一、奇跡の可能性が答えてくれるのならばやってみる価値はあるだろう、アッシュはそう言った。ユーリもそれには同感だ、むしろ自分が行きたいくらいだったが我慢した。

 そして、今窓の外に広がる光景。操舵室の窓は広く、世界が生まれ変わっていく様子がよく見える。世界樹に刺さる痛々しい刺は溶け消え、新たに白い枝葉が世界樹から生えていく。世界の中心から広がる光の円に大地が触れれば、生命力を取り戻しきらきらと輝き出す。海も空も、新たなる命を歓迎していた。
 白い、ジルディアの花びらが世界中に舞い散っている。生命に溢れ、なんて幻想的な光景だろう。ユーリも他の皆のように、これを新世界の産声だと祝福できればどれだけ良かっただろうか。そんな事とてもじゃないが言えない。操舵室で一人、小さな背丈で震えている背中を見つけてしまえば。

 ラザリスが産まれ還ったという事は、悪魔の証明が立証されてしまったという事実。これでルークに残された運命はたった二つ。この姿のまま生きるか、死ぬか。世界はこれ程までに希望に満ち溢れているのに、ルークにはそれが……切れて散らばる蜘蛛の糸に見えるのだろう。
 声をかけるべきかユーリは迷った。自分がなんと言えばいいのか見つからない、他者からの励ましがどれだけ無意味で的外れなのか、それにより余計に傷付ける事を恐れる。だからと言ってこのまま一人にさせるなんて事も出来ない、まるく斜めに崩れる肩の線が今にも崩壊してしまいそうで怖かった。
 そしてルークの掠れる声が、懺悔のように溢れる。今まで頑なに閉じていた口がぼろぼろと壊れていく瞬間をユーリは目撃した。

「本当は分かってた、もうどうしようもないって事くらい」
「……ルーク」
「でも俺だってみんなみたいに希望に縋りたかったんだ、幻でもいいからまだ諦めなくてもいいんだって……救世主が現れて助けてくれるんじゃないかって夢見てた」
「ルーク、お前……」
「ごめんなユーリ、お前に迷惑ばっかりかけてるって自覚はあるんだ、これでもさ」
「そう、だな……。今更だけどよ」
「うん、今更だよなぁほんと。俺って自分の事ばっかりで周りが見えてない、自分だって見えてないのかも」
「分かってるんならこれからいくらでも変えられるだろ。何せお前の後ろにはアッシュもジェイドもガイも、他の奴らも……アドリビトムのお節介焼きも、勿論、オレもいる。こんだけ居るんだから、救世主なんか待たなくてもなんとかなるさ」
「……ユーリ」
「いい加減、一人で抱え込むのは無しだ。何時もみたいにもっとあれこれ我儘言やいいんだよお前は。なんとかしろ! ってな」
「でも、俺……」
「ルークが大きくなったら返したらいい、出世払いだから受け取っとけって。かまいやしねーよ、それくらいの余裕はあるだろ。何しろ世界を救ったギルドなんだからな、アドリビトムは」

 力強く口にして、ユーリはその頼りない背中を包んだ。うつむくつむじが小さく震えている、優しく労るように撫でて抱きしめた。ルークの体は日差しとは別に温かくなっており、回した腕にぽつりぽつりと濡れた感触が。
 それから、ようやくルークの心。湿りが混ざった音と、引き裂くように上がる嗚咽。一生懸命意地で抑えていた蓋が抑えきれず、本心共々が悲鳴をあげて爆発した。散らばる涙がそのまま飛んで、悲しみの酸素を増やす。

「ユーリ、俺死にたくない……っ! 死にたくないよ!」
「ああ、そんなの当たり前だろ。死にたくないなんて気持ちは、生きてりゃ当然なんだ」
「でも、でもな、こんな姿のままで生き続けるのも嫌なんだ。死ぬのも嫌で、生きるのも嫌で……。俺はどうしたらいいのか、分かんねぇんだよっ!」

 死にたいけれど生きたい、 死にたくないけれど生きたくない。矛盾している。そんな二律背反にルークは10年間苦しんできて、今もまだ。息苦しくされてしまった世界をそれでも必死でもがいて、けれど溺れている、そんな姿を目にして誰が見捨てられるだろうか。
 ユーリの心は最初から、あの部屋から決っているも同然。今それが明確に形になった。助けてやりたいから、助けてやる、助けられなくてどうするんだ。

 ユーリの腕の中、初めて見せた涙を流しルークは叫んでいる。しにたくないしにたくない、同じくらいに、いきたくない。迷路に閉じ込められた悲しみを導いてやりたいが、その方法をまだ知らなくて、抱きしめる事しかできなかった。それでも。
 それでもユーリは、決意した。






  


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