anti, World denied








5

 ふと、目が覚めるとまず目に入ったのは白い天井だった。瞼は妙にぱっちりと開き、朝の目覚めのような気分。それに反して体はどこか重く、けれど心地良い。温かな何かがあるな、そう思って腕を探ればすぐ当たる、やわい肌。ああこれはルークか、と見ずとも分かった。
 ガルバンゾの時も同じベッドで寝ていたのでよく覚えている、湯たんぽのように温かくて心地よく離し難い重さ。シーツよりも肌心地が良くて、髪のさらさらした感触が少しくすぐったい。アドリビトムにライマの人間が来てからルークの寝床はライマ部屋に移ったので随分と久しぶりだ。
 自分の体がどこかガサゴソすると感じて、あの夜を思い出す。成る程これは包帯だなと冷静に、それからやっとここは医務室なんだろうと理解する。ぎこちない体をなんとか動かし、ユーリはシーツを軽く捲った。すると自分の包帯まみれな体に一生懸命引っ付いて瞳を閉じているルークを見つけ、勝手にホッと安堵が。
 目元が少し腫れている気がして、そっと擦る。小さく開いた唇と、呼吸に動く肩を目にして、ユーリの腕はルークを勝手に抱き締めた。けれど体が思うように動かず口惜しい、自分の体なのに随分と不便だなと思っていると急に声がかかり驚く。

「あまり動くな。ギリギリだったんだぞ」

 びくりと、まるで自分の秘め事を他人に咎められるような。デザートを一人こっそり食べていても跳ねない心臓が大きく動き、それに連動して体がゴキッと鳴った気がした。
 ゆっくり声がした方を向けば、ベッドのすぐ横にアッシュが座っているではないか。仕切られているカーテンの白い壁には深紅の髪が大変目立ち主張しているにも関わらず、ユーリは全く意識していなかった。最初目覚めた時の視界にも入りそうな程なのに、覚えある温かさばかり探して気が付かないとは。
 誤魔化そうと口を開くが、喉が貼り付き上手く声が出ない。軽く咳き込むとアッシュが立ち上がり吸い飲みをそっと差し出してきた。どうやら自分がベッドの住人になって1日2日ではないらしい、ユーリは大人しくそれを受け喉を潤す。常温の水はさらさらと体内に入ってきて、もっと寄越せと目覚め始める。空になるまで全て飲み干せば意識は随分とはっきりし、体は思い出したようにずきりと傷んだ。
 ぷは、と満足すれば声も出るようになり、それからやっとアッシュの方を見て、一応きちんと誤魔化す。

「い、いたのか」
「ああ、最初から。貴様は最初から兄上しか見ていなかったようだが」
「……そりゃすいませんで」

 不機嫌でも上機嫌でもない何時も通りのアッシュはシーツを捲り中のルークを一目確認してから、立ち上がり無言で出て行く。閉じられたベッドカーテンが揺れる影を呆然と見送り、ユーリは周囲を見回した。
 カーテンで囲まれているがやはり見覚えのあるもの、間違いなくバンエルティア号の医務室。アッシュの他に誰も居ないのだろうか、偶々出ているタイミングだったのかもしれない。とりあえずユーリは再度シーツを捲り上げ、懐のルークを見た。
 傷らしい傷は見かけない、まるい頬も記憶のまま。あの時こびりついた赤は自分のものだけだったようで改めて安心し、その温もりを抱き締める。近付いて見れば少しやつれている気がして頬に触れた。感触は変わらないが、肌が少し荒れているような。ルークの世話は事細かくされているのだから珍しいな、と思いつつもぷにぷに楽しんでいると途端、ぐうぅ……となんだか間抜けな音が。
 ルークだろうか、と思っていたらまたも音、自分の腹から。自分は空腹なのかと、すっかり忘れていたふうに驚いているとアッシュが食事を持って現れた。ベッドテーブルを準備し、目の前に置いたのは粥とすりおろしリンゴ。

「お前は丸5日眠ってたんだ、腹も減るだろう」
「ああ、悪いな」

 5日、そんなに。アドリビトムには治癒術者が多いので、病気でなければそれ程長く寝込んだりしない。そういえば先程アッシュはギリギリだったと言っていた、恐らく出血のし過ぎだろう。ちらりと自分の横を見れば点滴パックが吊り下げられているのも今気付く。
 ルークが気になったが起きてこない、アッシュも何も言わないのでそのままにして、もそもそと上半身を起き上がらせた。体は動きにくく骨が鳴る軽い音、ずっと寝ていた時のように鈍いが痛みはそれ程無い。
 粥をゆっくり消化し、すりおろしリンゴを飲めば口の中もさっぱりする。アッシュの手が横から伸びてきて、痛み止めを渡してきた。今はいいがまた後から痛み出すらしい、大人しく飲んでおく。
 ふぅ、とひと心地。腹も安心も満たされれば、当然の疑問がむくむくと湧いてきた。今まで散々誤魔化されていた事だし、聞かないでおいたのは自分だ。だがそれは全て許容内だったからに過ぎない、今回の件はそれを通り過ぎてしまった。
 それは自分が死にかけた事ではなく、あの時もし自分がルークを見つけていなければ、あの時ルークは1人で行ったはずだった件について。ラザリスは完全に話が通じる状態ではなかった、一見まともそうなのが余計に悪い。もしユーリが居なければ切り刻まれていたのはルークだし、ルーク1人ではアッシュが来るまで保っていたかも怪しい話だ。
 何時もそうだ。ルークが何かしでかす、その後始末をユーリがしている。ガルバンゾでも、アドリビトムでも。それは別にいい、嫌ならば最初から放っておく。だがいい加減その目的を知らなければ、本当に手遅れになってしまう。
 アッシュを見れば席も立たず、眉間に皺を寄せて黙っていた。あちらも機会だと思っているのかもしれない、ユーリは聞こうと口を開いた瞬間、先にアッシュからの言葉がぶつかってきた。

「何故兄上を外に連れ出した」
「……何?」
「他の誰にも言わず、俺の中の剣が反応したから良かったものを。何かあったらどう責任を取るつもりだったんだ貴様は」

 瞼を開ければそこにはルークよりか幾分濃い翠色がぎろりと。額には血管が浮かび、今にもブチ切れそうだ。そんなアッシュにユーリは、自分がそんな事をすると思われていたのかと呆れる。ルークは何も言っていないのだろうか、少し気になったがひとまず弁明をした。

「あのな、むしろオレは止めた方だぞ。なにせ最初見た時ルークは1人で外に出ようとしてたんだからな」
「なんだと? ユーリの所で寝る、そう言って部屋を出たと聞いたが」
「ルークは何も言ってないのか?」
「兄上は自分が悪いとしか言わず、ここから離れようとしなくてな」
「って事はルークもずっとベッドの住人だったって訳か」
「ある意味では。最初は食事も口にしようとしなかったからな、ガイが手を焼いていた」
「……心配かけちまったみたいだな」

 ユーリは自分の懐で、背中を丸めて眠る子供を優しく撫でた。ギリギリでも帰ってこれて良かった、もしユーリが死ねば目に見えない傷は深く残ってしまうだろう。原因が自分であるならば、余計に。

「いい加減、あんたらライマの中でひた隠しにすんのは止めてくんねーか。国家機密だかなんだか知らねーが、ルークとどっちが大事なんだっての」
「そんなもの比べる事すらおこがましい、くだらん」

 ユーリの言葉にアッシュは想像以上に強く反発し一閃した。国家機密だと言ったのはアッシュなのに、あの時以上に表情を憎々しくさせ、むしろ嫌悪しているように感じられる。そんな態度にユーリは、何か真っ直ぐなものを感じ取った。ジェイドと違いアッシュはまだ相手易い、事ルークに関しては律したいが抑えきれない部分が容易に見て取れる。
 表面上体裁を保っておきたいが、その心中では正反対のように見えてどこか歯がゆい。だからこそ頑ななのだろう、ルークと双子なだけはある。

「兄上は何をしに外へ出たんだ」
「ジェイドに頼んでラザリスにアポイント取ったみたいでな、結局詳しい事は言わなかったが……何か願いを叶えてもらうつもりだったみたいだぜ」
「ラザリスに? あいつに何が出来るってんだ一体」
「ルークは確か……もうラザリスに賭けるしかないって言ってたぞ。取り出せるかもしれない、ってよ」
「なんだと!? それは本当か!」

 記憶を引っ張りだしてそう言えば、アッシュの目がカッと開き叫ぶ。ユーリは驚き、それからルークが起きてしまわないか見たがまだ大人しい。アッシュもルークを見てそれに気が付き、少し恥じてコホンと咳払いで落ち着いた。

「……すまん、取り乱した。だが、それは本当か、兄上が言ったのか?」
「あ、ああ。けどよ取り出すって何なんだよ、どういう意味なんだ」
「まさか、本当に? だがそれならジェイドが黙っているはずがない、……兄上の独断か」

 アッシュはぶつぶつ呟きながら考えこみ、ユーリの問いに答えてくれない。その溢れる言葉達を独自に拾い、ふと気になった。独断、まさにルークそのものだ、出会った当初からルークの行動は一貫して独断ばかりじゃないか。
 ガルバンゾに留まったり、黙って出ていこうとしたり、依頼に付いて行きたいと言い出したり。子供の幼稚さを装いながらなんだかんだと、大きな流れでは自分の思うがまま行動を取っていた。子供の言う事だから、子供の我儘だからこれくらいいいじゃないか。そんな周りの言い訳を言葉巧みに利用して、上手く立ちまわっている。叱ったりする事も何度かあったし、ルークの立場ならば大人しく従うべき所なはずなのにと、ユーリは違和感を覚えていた。だがそれらの殆どを、あの幼い笑顔と行動……ようするにルークの可愛らしさで誤魔化されていた部分だったのだ。

「そんで、あんたらはまだだんまりを続けようっての? こっちは散々面倒も迷惑も掛けられてきて、今回は三途の川まで見てきちまったんだがね。自分が死にかけた理由くらいは聞く権利あると思うんだけど」
「……」

 別段ユーリの本心でそんな気持ちは一欠片もない。ルークにかけた時間も金も血も感情も、その時自然と出したものだ、見返りを求めてやった事なんて一つたりとも無かった。だがアッシュはどうもルークに関してはどこか引っ掛かりを、重要視するあまり形式ばった順序を自らに強要している不器用な面が見られる。
 だからこうやって対価として求めれば答えてくれるのではないか、そんな狡賢い狙いでユーリは追い詰めた。しかしアッシュの顔にはどんどんと深い影が差し、やっぱり無理か……そう思った頃、彼は静かに口を開く。

「ローレライの剣そして宝珠。これが再び一つになる時、ライマはどの国よりも富むと預言されている」
「は? なんだよ突然」
「我がライマ国は代々、ある特別な預言の意に沿って国を動かしてきた。国民には決して知られる事のない、極一部の人間と重鎮らだけが知っている預言。それを秘預言と言う」
「秘預言って……それが何の関係あるんだよ」
「いいから聞け。その秘預言によってライマは建国され、その秘預言通りに動き繁栄を重ねてきている。そして現在は宗教という体裁を取り、国家推奨を受け強く結びつき王家と、国の行き先の決定権を握っていやがるんだ」
「宗教国家ね、そーいうの面倒臭くないの」

 ガルバンゾでも軽く情報として聞いた話だ。ユーリ自身はどうとも思わないが例えばもしその主義から外れてしまえばどうなってしまうのか、なんて方向に考えてしまいあまり相容れない。好きなように生きる事を理想としても、反して無軌道な暴走では意味が無い事も分かる。だが多種多様な存在を個にして纏めてしまうには、人はあまりにも繋がる手段を持たない。
 だからこそ繋がろうとする、その僅かな奇跡を大切にしたいと思っているからこそアドリビトムの面々は頑張っているのだ。

「生まれは誰にも無慈悲で平等だ。理不尽を嘆くのは何時だって気付いた後ってのが相場だろう」
「ま、真理の一つかもな。それで? そんな占いの言う通りにしてよくやってこれたな、そんなすごい奴がライマには居らっしゃるんですかね」
「いや、秘預言が詠まれたのは随分と古い時代だ。数百年前だとも言われている」
「んな化石みたいな占いを本気で信じてるのかよ、都合良いように解釈してるだけじゃねえの」
「預言の解析自体は全て終えているが、管理をしているのは教団だ。王家はそれを聞いているだけに過ぎん、馬鹿みたいにな」
「王様が占い聞いて政治してんの? へぇそりゃまた、肝心の的中率は?」
「外れた事は無い。……公式見解的には、だが。少なくとも大きな流れは全て詠まれていやがった。今回の星晶枯渇から始まる、ラザリスがもたらす滅亡もな。我々ライマは随分と前から星晶燃料から切り替え、機械駆動を中心とした生活になっている」

 その言葉にユーリは目を丸くする。そこまでいけば最早占いの範疇を超えている、予言、未来予知、その重要性は確かに大きそうではあるが、同時に噂話ですら知られていない事にも疑問が残った。世界滅亡を知りながらどうして触れ回らないのか、とてもじゃないが一国でなんとか出来る話ではないだろうに。

「なんでライマはそれを言わないんだ。もっと早く言ってれば対策だって出来たしラザリスは生まれなかったかもしれない、戦争難民だって出なかっただろうが」
「繁栄と滅亡を知って、人は冷静でいられるか? 秘預言はお前が考えるような占いではない、その重要度から公には出せない予知だ」
「その割にご自分の国はちゃっかり対策してたんだろ? 周りが潰し合って疲弊した所を漁夫の利狙おうとでもしてたのかよ」
「例え言ったとしても信じる者は少ないだろう、今の状況を考えれば特にな」
「そうかもしれねーが、知ってて黙ってたってのはまた違うだろ」

 故意と過失では大きな隔たりがある。それを高みの見物決め込んで自分だけは安全圏にだなんてユーリからすれば許せるものでもないし、アドリビトムに在籍する戦争被害を受けた者はもっと許し難いだろう。
 確かに滅亡を謳われても目の前に無ければ簡単には信じられないし疑う人間は多い。だがルミナシアの星晶不足は以前から問題視されていた上、僅かながらも別エネルギーを推奨する国家もあった。実績がある予知ならば公開し、そこから別軌道へ乗せられたのではないか。
 少なくともウリズン帝国の侵略を受ける人間は減ったはずだ、もしかしたらラザリスだって生まれなかったかもしれない。その全ての可能性を試しもせず傍観していたとは、それが人の集まりたる国家のする事だろうか。
 個人的な意見だ、だが今のルミナシアを知っていればそう言いたくもなる。ユーリはそれらをぶつけるがアッシュは眉尻を軽く持ち上げる程度で、そんな事言われずとも、と言った。

「秘預言を表に出す事を許さない奴らが居る、それが全てだ」
「それが自分所の推奨宗教ってか? あんたの所だってクーデターだの火事もらってるじゃねーか、そこに住む奴より大昔の言葉を優先するなんて気が狂ってやがる」
「王家の人間は古参や重鎮であればある程、秘預言の重要性を無視出来ない、いや無視する事を恐れている。もし外れてしまえば今までの歴史とこれからを詠んでいる繁栄を失う事になるからな」
「馬っ鹿らしい、間違うのが怖いから頭空っぽで言う通り従い続けます滅ぶまでって?」
「その考えがライマ国、王家ではごく当然なんだよ。正解が出てるんだからその通りすりゃいいって話だ」
「頭いてぇなそりゃ。それで、お前もそれに賛成なの?」
「縋りたい奴は縋りゃいい、問題はそんな事じゃない」

 自国の、それも直系が言うには随分と適当な言葉だ。異議を立てておいてなんだがユーリは肩透かしをくらい、そこからどうルークの話に繋がるのか意図がつかめない。先に話すのだから無関係では無いのだろうが、さっさと本題に入ってもらいたい。
 ユーリのそんな無言の訴えに気付いたのか、アッシュはちらりと今だ眠っているルークを一瞥してから少し、重い溜息を吐いてから続きを話し始めた。

「その秘預言に基き、俺と兄上にはある国宝が埋め込まれた。それが10年前、7歳の時だ」
「埋め込まれたって、体の中に? ルークを風呂に入れた事あるけどそれらしいもん見た覚えがないぞ」
「ローレライの剣そして宝珠。目に見えたり人の手に触れられる物じゃねえ。高次元物質、マナのようなエネルギーの塊が疑似物質化した物だと思えばいい。それが俺達の体の中に溶け込み存在している」
「目には見えない魔法具みたいな物って事か」
「そうだな、それが一番近い。俺にはローレライの剣が、兄上にはローレライの宝珠がそれぞれ体内に存在している」
「見えない魔法具ねぇ、ドクメントはどうだ? 個体の情報を読み取るんだろあれ」
「ドクメントはあくまでも遺伝子情報だ、外的要因からの混入は結果しか映さん。宝珠がもたらす影響を浮き彫りにしても、その物質自体は出てこない。あれはむしろ魂に存在を重ねている、命そのものと言ってもいいだろう」
「あー……、もうちょっと分かりやすく言ってくれるかね」
「宝珠の拡散性質の影響で兄上の成長は止まっているが、その原因がドクメントに描かれる事は無い。一見すればごく普通の子供と変わらないという事だ」

 唐突に出てきた内容に、ユーリの唇は閉じた。ルークの成長が止まっている。考えてみればそれはごく当然に行き着く答えだ、何しろ彼らは双子なんだとライマの人間は皆言っていたのだから。しかしアッシュとルークはあまりにもその姿形が違いすぎて、兄弟と言ったほうが信じられる。
 だが単純に、ルークが成長すればアッシュによく似るだろうその逆も然り、そう思わせるくらい似通っているのも事実。
 ユーリは瞬きを数回、自分の懐で眠る子供を再度確かめた。そういえば確かにルークの歳を、周りからも本人からも聞いた事が無い。見た目がどう見ても子供で、その態度も子供、だから歳なんて聞かずとも勝手に測り大して気にしていなかった。
 しかしいざ聞けばルークの利発さに頷ける箇所は多い。詰め込まれた作法や知識は広く多く、重ねてきた軟禁生活の長さを思わせる。

「拡散性質……晶術を消したあれか」
「そうだ。兄上の中にある宝珠の性質は強く、ルミナシアの空気中に多く存在するマナにも反応しちまってやがる。そっちにエネルギーを消費してるらしくてな、成長を阻害、いや宝珠が止めてやがるんだ」
「そんなに強力なもんなのかよ」
「森で俺の力を見ただろう。ローレライの剣は凝縮作用、超振動の力だ。あの威力がそのまま、常に兄上の中で発動している」

 あの時のユーリは出血多量から意識が朦朧としていたが、ジルディア生物を一瞬にして屠った威力はよく覚えている。破壊力だけならばディセンダーの力を超えているかもしれない、それ程の力を持つ魔法具。
 ルークが掻き消した晶術も高位ばかりだったが、ユーリ達には塵しか届かず全てを霧散させていた。もしかすると召喚術も消してしまえるかもしれない、試した事はないがアッシュのあの威力を見れば可能性は高い。
 そしてそれを常に発し続ける為に、ルークは自らの成長を犠牲にしている。勿論望んでいる訳ではないだろう、ルミナシアに自然と存在するマナそのもののせいだが、先にあった存在に文句をつけるのはお門違いだ。

「そうかじゃあルークは本当は……17なんだな」
「ああ、もうすぐ18になる、俺もな。そして後2年後の成人の儀で俺達は……互いの剣と宝珠を奪う為に、殺し合いをしなくちゃならねぇ」
「……おい、なんだって? 今なんて言った」

 とても嫌な言葉が耳から入ってきて、ユーリはそれを理解するのを拒みたくなった。自分の表情が随分と歪んだのが分かる、汗が冷たく流れ、痛み止めを飲んだはずなのに心臓が痛む気がする。
 アッシュをどれ程睨んでも、彼は遂に眉一つ動かさなくなった。分かっている、知っていて理解している事実だと態度で語っていて、ユーリはそれにすら腹の底から湧き立つマグマに触れた。不快と嫌悪を混ぜ込んだ感情は吐き出さずにはおれず、一瞬我を失ってしまう。
 二人の頑なさ、それは互いの命に直結していたもの。その考えにこそ、ユーリは気に入らない。そんな大事な事を何故言わない、どうして国家機密だなんだと建前てしまえるのか信じられなかった。アッシュはそんなものよりも、預言よりもルークが大事だと言った所ではなかったのか。

「最初に言っただろうが。預言を信じ、それを成就する事こそが正義で常識だと言う者が、国を動かしているとな」
「いやさっきのは再び一つになる時って言ったんだろ。……まさか、取り出せないのか!」
「今までどれだけの手段を講じたか分からねぇ、そのどれもが無駄だったがな。少なくとも今のままじゃ人間の手には触れられないしどうしようもない。だから兄上は、かもしれない希望を抱いてラザリスに会いに行ったんだろうよ」

 見えないし触れられない、ドクメントにも映らない。無い物をどうやって取り出すのか、そんな話。恐らくラザリスに希望を見出したのは、赤い煙だった頃に流れた望みを叶えるという一点なのだろう。
 そう言えば以前ルークは、ラザリスの正体とはなんなのか聞いてきた事があった。あの時は単純な疑問を口にしただけだと思っていたので、ユーリは軽く答え返しただけ。
 しかし考えてみればあの時すでにラザリスと約束しており、既にルークの中では会うと決めていたのだろう。後にジェイドに止められても、聞き入れて諦めるわけにはいかなかった。

「ラザリスの事は俺もジェイドから聞いているが、期待薄にも程がある。宝珠はエネルギー性質を拡散させるんだぞ、世界そのものであるラザリスがそもそも触れられるとは考えられん」
「そんなんでルークは信じて一人会いに行ったって言うのかよ」
「悪魔の証明を立証したくなかった、そんな所だろうな。他に手段が無ければ待っているのは……」

 ”ない”事を証明するのは困難である。だがもし証明されてしまえばそれは事実と決定され、覆せない真実になる。ルークはそれが認められない、だから幻の希望でも信じるしかなかった。幻が消えてしまえば後はどうなってしまうのか……アッシュは言葉を止め、ユーリには向けない瞳でじっとルークを見ている。
 その複雑な視線を見ても、ユーリの怒りは収まるどころかますます煮え立つばかり。生まれは選べない、だが生き方ならば選べるはずだ。なのに全てを遠い昔の言葉に縛られ、何故言う通りにしなければならないのか理解出来ない。それを勧めているのが国だと言う事自体、考えられなかった。

「んな馬鹿げた事を本気で? 国のお偉いさんが真面目な顔して言うってのか!」
「馬鹿げた絵空事を全て真実として利益にしてきた、それがライマだ。俺とて自分の身に降りかかってる事じゃなけりゃ鼻で笑い飛ばしたいくらいだよクソッタレが」

 憎々しげに、苦渋が滲むアッシュの表情には年期を感じさせる。ユーリと違い当事者である彼の心中は、想像も出来ないものだろう。まさに10年、いや王家に生まれ17年間全てに付き合ってきたはずだ。
 だからこそ、ユーリの記憶で浮かぶガルバンゾでのルークが苦しい。秘預言の成就を絶対視している王家の人間、それはルークの両親の地位でもあるはず。あんなに楽しそうに親しそうに家族の話をしていたじゃないか、それらは全て上辺で、裏では二人が殺し合う時を待っていたと言うのか!

「落ち着け、馬鹿者が。父上と母上は秘預言の内容から批判的で、現王も同じだ。だからこそ兄上は屋敷で軟禁生活を続けている。下手すりゃ教団に出家させられて人質になっていたからな」
「出家ってな強制されてなるもんじゃねーだろ、しかも国の跡取りを」
「それくらいライマに対して影響力があるという事だ。むしろライマはただの傀儡と言ってもいい。それくらい深く根付き、そして利益をもたらすのが秘預言なんだよ」
「利益の為に犠牲になってもらおうって? それを安全な場所に居る奴が言うってんだからお笑いだな」
「表の顔はあくまでも宗教の皮を被っていやがるのが厄介でな。何も知らない国民や下っ端は心底信じきってるのさ、信じる者は救われる。そんな風によ」
「質が悪いな……そのせいで軟禁生活をずっとか」
「元々秘預言の存在があった分、俺も子供の頃は一切外に出してもらえなかった記憶がある。だが埋め込まれた日からはそれ以上に、兄上にとっては見えない二重檻に等しいものになった」
「見えない檻……軟禁以外に?」
「教団側が手元に置いておこうと画策したり、秘預言を信じる狂信者が手っ取り早く成就させようと命を狙ってきたりする対象は……成長する俺よりも、成長の止まったどう見ても子供の兄上だろう?」

 その導きに、ユーリは苛々と腹の底が煮えて仕方がない。弱者を狙う事もそうだし、アッシュの話は全体的にユーリの許容を超えている。正に許せない、という意味で。ガルバンゾで権威だけに跪く騎士のやり方に感じたものとは違う、もっと嫌悪激しい唾棄すべきものを。

「教団の教えはライマにとってごく一般的であり正義だ。その人脈は細部に渡り、真実を知らん使い捨てを寄越すことも多かった」
「鰯の頭も信心からってか……ガキを相手にする事じゃねぇな」
「奴らからすれば俺達は人間じゃねーんだよ、ただ預言を叶える為の道具だ。子供だの地位だの、取るに足らない事なんだろうよ」

 アッシュは自分の言葉に対して、酷く眉間を顰める。地位も名誉も、国に属する一般人ならば重要視するし有用だ。だが相手はその上に立ち、自分達とは別の倫理を振りかざし凶行に及んで来るとは恐ろしい。刃が振り下ろされる対象がルークだと思うと、ユーリの腸はぐらぐらと煮え落ち着かなかった。

「一心に狙われても、成長の止まった兄上には身を守る術が少ない。出来る自衛と言えば子供である自分を振りまき、周囲に保護欲を抱かせるくらいだ」
「狙われてるって分かってんなら貼り付きゃいいじゃねーか、ルークは時期王様なんだから人員なんて幾らでも割けるだろ」
「新人は教団の手先の可能性が高く、長年勤めてる者でも脅しや買収ってのが日常茶飯事だったんだよカスが。調査してもクビにしても、ネズミかってくらい出てきやがる。だから奴らの手を止めるには直接同情や憐憫を買うってのがある意味では一番効果があった」
「成る程、子供らしさを振りまいて罪悪感を直撃させるって訳か」
「ああ、恐らく本人は無意識だと思うが。兄上は……子供だという自分の体を疎ましく思っているからな」
「オレには好き勝手してるようにしか見えなかったが……演技だと?」
「そう子供の戯れだと思われなければ生き残れない。無意識にだが意識的に、自分を騙し続けているのが現状と言ってもいい」
「……そうか」

 ルークは出会った当初から、自分の容姿を理解していた。子供らしい可愛さと脆さ、子供らしい我儘さに素直さ。あれらは全て自分の身を守る為、生きる為の手段。子供が可愛いのはその可愛らしさで保護欲を抱かせる為、ガルバンゾで散々見てきた事だったが、まさかそのままその通りだったとは。
 ユーリだって見事にその通り、ルークの可愛らしさで絡み取られている。面倒を掛けられる分心配になり目を離せない、困った事があれば助けてやりたくなってしまう。大人ならば小狡いと断じてしまう範囲でも、子供だから甘えていると許される。
 けれどそれは甘えじゃない、甘えと言えてしまえる方がどれだけ良かっただろうか。必死なのだ、それ以外方法が無い。アサシン襲撃を受けたルークは、あんなにも震えていたじゃないか。自分自身を騙してでも、子供のフリをしなければならないのはルークのせいじゃない、生きる為。

「……その宝珠ってのはどうにもならないのか」
「なるのなら最初からしている」
「預言を無視するってのは?」
「ファブレの名を冠している以上無視できない問題だ、もしも破棄を宣言すれば一族処刑か内戦あたりだな、例えそうしても体内にある以上逃げられない」
「聞いときたいんだが、お前さんはどれを選ぶんだ」
「決まってる。預言は無視するしむざむざ殺られるつもりない、かと言って尻尾撒いて逃げ出すなんざしてたまるか。同胞面していちいち口出してきやがって、うっとおしいってんだよクソが」

 今日一番に顔を歪め、アッシュはそうきっぱり言った。その後胸に溜め込んだ何かをふぅー、と吐いたのを見て、彼なりの強がりにも見える。だが強がりだとしても、ユーリにはそれが心強く見えた。

「そうは言っても預言の根は深い。殆どの大臣達は強硬派ではないが預言に従うべきだって意見なのは変わらねぇ、反対してんのはファブレの人間くらいだな、国王も立場上そうおおっぴらに否定出来ないのは事実だ」
「けどお前は従う気なんてないんだろ?」
「当然だ。だが……兄上はそう思っていないらしい」
「なんだって?」

 ようやく指針が見えた事により自分の心を僅か鎮めた耳に、アッシュは不穏な影を落とす。その意外な言葉に戸惑い、ユーリは身を乗り出した。
 アッシュはユーリを制止させた後懐のルークを一瞥し、それから音量を落として静かに言った。

「俺達が継承の旅に出た後、兄上は誘拐されたと聞いている。だがそれは本来あり得ない事だ、家の警備は昔よりずっと強固で騎士達もメイドも信用のある弱みの無い者のみ、外から出入りする人間は精々家庭教師くらいだが決して二人きりにはしない」

 その最もな話を聞いてユーリの心にはまたもざわめきが渦巻く。ルークが軟禁生活を強いられている期間は長く、その警護は余程強く確立されているのだろう。だが事実ルークは誘拐されガルバンゾに入り、ユーリの手が拾った。そうなるとどこに穴があるかなんて考えなくても分かる。

「もしかしてわざと誘拐されたって言うのかよ」
「そうでなけりゃファブレ家から兄上が出れる隙は無い、絶対にだ」

 絶対。その言い切った強さに、ルークが以前言った絶対、という言葉を再び思い出す。あの時ルークの瞳は決意に満ちていたが、その真意は決して語らなかった。連絡を取れという忠告を意味が無いと蹴り、戻ってもどうせまた……そう言葉を濁す。
 家族は秘預言に否定的だし外部の人間には不可能、けれど自分ならば。自分の意思で動けば隙は出来る、そこで攫わせてしまえば後は。
 身代金目的じゃない誘拐なんてろくなものじゃない、その通りだ。ルークはそれを目的にして自分を攫わせた。その目的は明確じゃないか。

「ルークは……死のうとしてんのか」
「その可能性が高い。なにしろ兄上は結局の所他の、いや俺の気持ちなんて無視するからな」
「はは、独断ってやつ?」
「……そうだ」

 ガルバンゾで一番最初、ユーリの部屋で目を覚ましたあの時のルークは既に覚悟を終えていた。あの時はなんて生意気なお坊ちゃんだと思っていたのに、今ユーリの胸は無闇やたらに痛んで仕方がない。
 まるでルークの目論見通り、保護欲を抱き可愛がって守り、アドリビトムまで来た。全てユーリ自身が選んで来た道だその選択は間違ってなかった、間違っていたのはただ一つ、踏み込まなかった事。王家の子供だから何か複雑な事情がありそうで、ルーク自身賢いから何か考えがあるのだろう。そう思ってあえて任せていた。その考えがまさかこんな事だとは。

 多くを語ったアッシュは少し疲れを見せ、今まで溜め込んでいた重責を溜息にして吐き出す。ゆっくりと立ち上がり、腰の剣に手を掛けてユーリを厳しい瞳で見下ろした。

「ユーリ・ローウェル。聞いたからには全身全霊で兄上を守ってもらうぞ、……兄上自身からもな。それが出来ないのならば今すぐこの瞬間から、その手を離せ」

 今すぐ、この瞬間から。そう聞いてユーリの手は無意識に、懐でうずくまるルークの丸い背中を蓋するように撫でていた。
 ルークの事情は衝撃的で、数時間前まで他人の領域だったユーリから提案できる解決策なんて思いつかない。だからと言ってこの手を離せるか、そんな事考えるまでもない。これはもう同情でも憐憫でも無かった、最早対象に賭けるものではないユーリの問題だ。
 これが返事だと言わんばかりに、アッシュへきつく睨み返せば相手は満足そうに鼻を鳴らす。そして眠るルークの柔らかな髪をゆっくりと梳き、感情と言葉を詰め込んでいる。ユーリはその光景を見て、言葉にできない苦しみを噛み殺した。






  


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