anti, World denied








4

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 三つ目の次元封印が完成に近付いてきた頃だ。この頃になれば回っていない場所やダンジョンは無くなってしまったので、ルークが付いて行きたいと言う回数はぐんと減っていた。その代わりよく甲板で、不安そうにジルディアの牙を見ている姿が増えている。
 安全な場所に身を置いていても聞こえる話は防げない、自国か世界を憂う表情は悲しみに満ちて他者を自然に遠ざけた。その中でもユーリはわざと無視して、くしゃりと頭を掻き混ぜてやればなんでもない風を装い何も言ってこない。
 こんな時は流石に、今まで踏み込まず黙っていた事を少しだけ後悔した。ルークの心を占めている不安の一抹でも知っていれば、相応しい言葉を掛けられたのではないか、そう考えてしまう。世界の緊張が高まれば高まる程、ルークから聞き出すのは時期が悪いのではないかとタイミングを逃し続けていた現状。
 世界よりルークの方が大事だと言うつもりはない、その逆も同じだ。ユーリにとって世界もルークも、同じ重さに位置付けている、少なくとも今は。それが過剰なのか過少なのか、それともただの身内贔屓なのか、まだ答えを出すつもりはない。
 どうせまた、いざとなれば自分の体は勝手に動くのだ。ルークの身に危険が迫った時、いずれも目前で考えていたあれこれをすっ飛ばしている、そう結局考えるまでもなかった。

 だから深夜、甲板へ出た小さな朱金を目にした時も同じなのだ、直ぐに足が後を追う事を勝手に選んでいる。一人で考え事をしたいのだろう、と思いつくもこんな冷たい夜空一人なんて寂しすぎる、放っておけない自分を理由付けて外に出た。
 すると予想外に、子供は甲板に留まらずタラップを降りようとしている最中。静かなさざ波は邪魔せぬよう控えているので、そっと忍ぶ足音は聞こえもしない。だからユーリはよく通る声で、その背中を射止めた。

「こんな時間に、どこへ行くつもりだ?」
「……っ! ユ、ユーリ?」

 びくりと、ルークは悪戯が見つかった時の顔で振り向く。けれどこのパターンはガルバンゾで学習済みだ、黙って出て行こうとした時同様、今回も一体何をどうしようとしていたのやら。だがあの時と今では違う、今夜は確かライマ部屋でガイ達と一緒に眠っているはず、どうやって抜け出してきたのか。
 同室のガイやティア、ヴァンはルークに甘いが己の本分は忘れていない、部屋を出るルークの気配に気付かない訳がない。では恐らくだが、その甘い部分を突かれたのだろう、今夜はやっぱりユーリかアッシュの元で眠るだとか言って。相変わらず上手く利用している、人の弱みに付け込むとは無邪気に悪どい。
 言い訳をしようとしてどう言ったものやらと迷っている様子がありありと見え、ユーリの予想は間違ってなさそうだ。一先ず逃げ出さないよう小さな手を掴めばまたもびくりと震えが伝わった。

「今度はどんな計画立ててたのかは知らねーが、今日はもう止めとけ。どこか行きたい所があるんならオレが連れてってやるから、夜中に一人で行こうとするなって」
「その、でも……」
「今日は特に寒いんだ、風邪ひいちまうぞ」
「あ、ちょっ……ユーリ!」

 抱き上げれば既に少し冷たく、このままでは本当に風邪をひく。ばたばた慌てるルークは手足を精一杯伸ばし抵抗するが、ユーリが両手でしっかり閉じ込めれば簡単に一纏めになる。何時もならばこの辺りで頬を膨らませ諦めるのだが、今夜は髪を引っ張ってでも暴れる事を止めない。珍しい様子にユーリは問いかけた。

「悪い事でもしようとしてたのかよ? もしかして親の顔でも見に行くつもりだったとか」
「ち、違う! でも……黙っててほしい」
「へえ、お前を一人で、こんな真夜中黙って行かせろって?」
「お願いだユーリ! 行かせてくれ!」

 本当に珍しくルークからの懇願、こんな必死さは初めて見たかもしれない。だが相変わらずその理由や内容は言うつもりが無いのか、じっと待っていても言葉は続かなかった。またか、そう感じるのも幾度目か分からない。きちんと目的を言って頼ればいいものを、どうしてルークは肝心な所でそれをしないのか、些細な我儘はいくらでも言うのに。

「嫌だね、見つかったんだから大人しく今日は諦めろ」
「意地悪、馬鹿! 俺がこんなに頼んでるのに!」
「それが頼む態度かっての。お願いされてもそれを聞くかどかは別だろ? 聞いて欲しい事ならガイにでも言うんだな、じゃ部屋に戻るぞ」
「駄目なんだってば! あの、ほんとに……命令だぞ、主人の命令! ユーリは家来なんだから聞けよ!」
「給料貰った覚え一切無いんですがねぇ」
「だから……奉仕する事自体が給料でだな……」
「職業選択の自由を行使させてもらうわ。って事ではい、寝るぞ。今日はもうオレの部屋でいいだろ」
「ユーリぃ!」

 ルークは小さな体をじたばた暴れさせ、真夜中なのを忘れて夜空に響かせる。どうやら今回は本気のようで、自分が地面へ落ちても構わないという勢い。それに少し考え、ユーリは方向を変える事にした。

「一人でどこ行って何するつもりだ? 言ったら考えてやってもいいぜ」
「……本当か?」
「ま、とりあえずこのまま部屋にってのは止めておいてやろうかな」

 だからと言って行かせるかどうかは別だが、そこは言い回しの罠。ルークは気付かずむー、と唇と尖らせて考えこむ。冷たい夜風が二人になんら無遠慮に吹くので、ユーリは自らの体で壁になりながら待った。
 たっぷり時間をかけてから、ルークは本当に渋々と言った様子で口を開く。それがまるで、こうやって問い質さねば言うつもりはなかったと証明しているようで苦い気持ちが広がる。そう言えば雪山で一人離れた理由も結局、頂上に行ってみたかったからと誤魔化しじみた言い訳だった。
 ルークの口から出る真実は少なく、他人だから放っておけと言われているようでユーリは逆に気になる。

「……ラザリスに、会いに行く」
「本気か? 今の状況分かってんの」
「約束、だから……今日しかない」
「場所は?」
「コンフェイト大森林」
「途中のモンスターはどうするつもりなんだ」
「ホーリーボトル買い込んでる」
「そんで、肝心のラザリスに会う理由は?」

 また口を閉ざすルークを、ユーリはふぅと溜息を吹き飛ばし地面に下ろす。目線を合わせじっと見つめれば闇色の中でもその瞳は覚悟を決めている。ガルバンゾで弟を待つと言ったあの時と同じに見えて、これは自分では説得出来そうにないなと諦めた。
 ぷっくりと柔い頬の表面を撫で、首筋の細さを今更ながら確かめる。ラザリスの手にかかればこんな頼りなさ、枯れ木のようにぽっきり手折られるのは容易い。魔物相手でも夜道の自然ですら牙を剥きそうな程なのに。

「分かった。しょうがないから黙っといてやるし行かせてやる」
「ほんとか!」
「ああ、そんでオレもご一緒させてもらおうかね」
「だ、駄目だって、一人って約束なんだから!」
「あんなブチ切れてる奴に一人で会いに行くなんざ自殺行為だっての」
「大丈夫、だから……」
「ルークの大丈夫は信用度が低いんだよな、今度こそ諦めろ。会う時一人ならいいんだろ、後ろで見といてやるから気にするな」
「……絶対だぞ? 邪魔するなよ」
「ほんっと、ルーク様だなお前」

 呆れて言うがどうせ今更だ、聞かないし止めないと決めたのは自分で、離れないと決めたのも自分。ユーリは再度ルークを抱き上げ、マントごと包んで冷たい風と悪意から守ってやる。まだ少し不満そうな瞳が困ったように見つめてくるが無視だ、これくらいいいだろう。
 ホーリーボトルを受け取って、ユーリは船内には戻らず外へ歩き出した。手に掛ける剣紐が揺れ、これの出番が無ければいいのだがと考えこむ。サレの時のように上手くいくとは限らない、こんな夜中誰にも言わず勝手に出れば特に。
 危険なのは自分ではない、腕の中の子供だ。だからユーリは気を引き締めて強く、剣紐と子供を抱き締めた。


 昼間太陽を浴びている緑は生命に溢れているのに、その加護が失せた夜はとたんに様変わりする。コンフェイト大森林、縄張りを夜行性の生物達に明け渡している今、知らない存在こそが恐怖だと正しく言っているように不気味な世界が広がっていた。
 ユーリ達のざくざくと進む足音は闇を切り裂き、体はホーリーボトルの神聖な効果により薄ぼんやりと光を纏っている。それを嫌うように魔物も影も息を潜め、隙あればやわい肉に歯を立てたい欲望をキィキィ騒ぎ立てていた。
 四方八方からのそんな視線にユーリはザッと剣を奮い、雑魚を蹴散らしていく。腕の中のルークは今の状況を恐れるよりも、これからラザリスに会うのだという緊張に体を硬くしていた。ユーリは後ろで見ているとは言ったがあまり賛同していない、一歩が手遅れになる事だってあるのだ心配もする。だがこういう時のルークが意見を曲げた事なんてない、我儘な作法を盾にとり他者の心配も無視してしまう。
 大人しい良い子供ならばこんな面倒を見なくてもいい、だがそうなればユーリの出る幕なんて無いだろう、ライマの人間達はよくやっている。我儘で言う事を聞かない悪い子供だ、ルークは。知っているのに放っておけないのはユーリの性格上の問題と、やはりどうあっても子供だから。
 約束していると言うヘーゼル村星晶採掘跡地までの道、自然と無言になっているがユーリは今の間に疑問に思っていた事を聞いた。ラザリスと会う約束だなんて、一体何時取り付けたのやら。

「それにしてもお前、ラザリスとの約束なんていつの間にしたんだよ。そんな隙無かっただろ」
「ジェイドに相談して頼んだんだよ、それでライマに一時帰国する事にして会いに行った。人の形を取ったラザリスはルミナシアの色んな場所に現れてるらしくって、目撃証言自体は結構多かったんだ。それで実際会えたのは運だったけど」
「って事は今日の事、ジェイドは知ってんの」
「知ってるけど今のラザリスじゃ人間との約束なんて守る訳ないから止めとけって言われた。俺は諦められなかったから、その時はうんって言って……」
「あのジェイドを騙したのか、そりゃすげぇな」
「だって、もうラザリスしかいないんだ」
「会ってどうするつもりなんだよ、ルークは何がしたいんだ」
「……赤い煙の時みたいに、人の願いを叶えられるならもしかして……取り出せるかもしれないから」
「取り出せる? どういう意味だ」
「…………」

 あからさまなだんまりで、ルークは前髪で表情を隠してしまう。後ろめたい事があるとはっきり態度で表している、なのに口は決して開こうとしない。頑なな鎧の中身は一体なんだろうか、それ程までに恐れる事なのだろうかとユーリは考える。
 ルークが望むのならば自分は大概の事に手を貸すつもりだ、今までの付き合いでそれはルークだって分かっているはず。ある程度までの事は素直に曝け出す、けれど一歩境に近付けば途端にぴしゃりと口を閉じる明確さ。それは最近感じた類だ、アッシュによく似ている線引き。大事な物を共有しているのかもしれない、例えばそれは一体何だろう。
 少ない間だが仲が良いのは目に付く、けれど王家の生まれなのかどこかピリピリとした刹那も時々醸し出す。スタンとリリスやヒスイとコハクのような、アドリビトムで見かける一般的な兄弟のものとはどこか違って見えた。

 気が付けば目的地に辿り着いていた。ルークがくいっと髪の毛を引っ張り知らせる、もうここまでだと。ユーリは下ろす前にそっと、採掘跡地を覗き込む。あそこはエステルの依頼から何度も訪れている、開けた空間に行き止まりで誰か居ればすぐに分かる上周囲は木々なので身を隠す場所も困らない。
 そこにぽつんと強烈な違和感を発する一人の少女が、じっと静かに立っている。

「……マジで居やがったし」
「良かった、約束忘れてなかったんだ」

 ユーリがラザリスと会った事は無いが、カノンノの似顔絵書きを記憶している。人に近い形なのに到底人には見えない、ルミナシアには異質な存在、生まれるはずだった世界。ゆりかごから人の欲望で呼び起こされ、自らの世界の生存を賭けて叫んでいるラザリス。どちらが悪いかなんて一方からで言い切れない、最早これは生存戦争なのだ。
 ラザリスは静かに瞳を閉じてじっとしている。ルークとした約束を律儀に待っているらしい、崇拝していた信者は見捨てたのに。ジルディア生物も魔物達も恐れているのか近寄らず、激昂しそうな様子は無かった。
 最初からルークを傷付けるようならばユーリが表立つつもりだったが、これならば大丈夫だろう。けれど過信出来ない、何しろ相手は世界なのだから。ユーリはそっとルークを下ろし、念入りに注意した。

「いいか、危なそうだと思ったらすぐに大声だせよ。体を伏せるだけでもいいからな」
「そんな怒り出しそうには見えないし大丈夫だと思うけど……」
「そうかもしれねーが、そうじゃなかった時が問題だろ。お前に何かあったらオレがアッシュやガイにボコられるんだぞ」
「……分かったって。でも出来るだけ邪魔しないでくれよな」
「それはお前の手腕次第だ、どうするのか知らねーが成功させたかったら上手くやるんだな」
「うん、それは分かってる。どうせ後はもう残ってないんだから」

 そう言うだけ言って、ルークは小さな足音でラザリスの元へ真っ直ぐ向かう。……後は残っていない、どういう意味だろうか。ラザリスしか居ないと言った先程の言葉と合わせれば、何かの手段だと想像できる。だがアドリビトムにはリタやハロルド、ニアタというルミナシアの粋が在籍しているのだ、何か手段を頼むのならば彼らが先だろう。
 ルミナシアの人間には無理で、ラザリスには可能な何か。……さっぱり想像が付かない。さくさくと草を踏む音が途切れて、ユーリは気配を厳重に消して二人に注目する。もしルークに刃を向けたりすれば例え意に沿わずとも飛び出すつもりだ、何かあってからでは遅い。じっと一挙一動、神経を注いで木の影から窺えば彼らの会話が聞こえてきた。

「ラ、ラザリス!」
「……本当に来たんだね」
「え?」
「どうしようか考えてたんだ、自分勝手な人間が自分からした約束を放棄するなら……また牙を新たに穿とうかどうか」
「約束は破らない、俺はちゃんと一人で来た」
「僕に殺されるかもしれないって考えなかったのかい? もしかして子供相手なら僕は君を殺さないなんて思った?」
「……どっちも考えない程馬鹿じゃない。その危険を掻い潜っても、どうしても叶えたい願いがあったから」
「そう」

 ラザリスの声は穏やかだ、むしろルークの方が緊張して硬く聞こえる。ディセンダーからラザリスの様子は感情的で人間に対し全体的な憎しみを抱いているから危険だと聞いていたが、今見ている分には冷静に見えた。
 このまま様子を窺い、約束とやらが何か聞ければ丁度良い。だがまだ気は抜けなかった、確率としては低いが、もしもルークの約束が物騒なものなら止めなければならないのだから。破壊や破滅を願うとは到底思えないが、誰よりもラザリスに賭けているという現状が不安にさせる。
 ユーリは何時でも飛び出せるように鞘を握り、腰を落としてじっと彼らの様子を見守った。

「ラザリス、約束を……願いを叶えてくれるか?」
「……ふふ、そうだね、うん。何だったっけ、確か面白い願いをしたんだよね」
「全然、面白くないっての」
「生死を願うでもなく、力や金を願うでもなく……。一体君は何をしたいの? 是非聞かせてもらいたいなぁ」
「聞いても多分、ラザリスには面白くないと思う」
「僕が面白いかどうかなんて僕が決める。ルミナシアの常識と一緒にしないでくれるかい、反吐が出るよ」
「……さっき自分で言ったんだろ」
「そうだね、僕の世界の理は僕が決める。だから僕がどのタイミングで面白いか面白くないかとか……決めるのは僕だ」
「そんなの、俺が分かるわけねーし……」
「お前に分かってもらいたくないんだよ、人間が! 命も死も力も金も、何もかも望むくせにそれ以上も望む! 世界が存在するって事がどれだけ傲慢か知りもしないで……」
「……何もかも望んでるのは俺じゃない。俺がずっと望んでた事なんて……ほんの少しだけなんだ」
「そのほんの少しを叶えれば、じゃあ次はこれも叶えてくれと言い出すんだろ? 僕が形を持たない煙だった時、嫌と言う程生き物の声を聞いたよ! その中でも人間は自分の事だけ、欲望に限りがない……その傲慢さ」
「傲慢なのは知ってる、でもそんな奴らばっかりじゃない!」
「君がその傲慢じゃない側だって言うのかい? 僕に願いを叶えてもらおうとのこのこやって来たのに!」
「しょうがないだろ、もう他に……方法が無いんだ!」
「世界を食い潰してきたのはお前達なんだよ! 僕の世界すら吸い取って消費してしまう、なのに自分達だけは違うとでも!? 何もかもお前にだけ都合良くしてるだけじゃないか、多数の顔をしてこれが正義だって言い切るつもりか! 生きる為なら僕を殺してもいいって言うんだね!?」
「違う! 違う違う違う!! 俺達は知らなかっただけなんだ、お前が居た事を……世界を食い潰してるなんて夢にも思ってなかった!」
「君達が生きる為に僕の世界が閉じ込められ殺されていくなんて……君なら納得できる? どうぞ養分になってくださいと自分を差し出せる? 黙って食い物にされれば平和だから、君達の世界じゃ平和だから大人しく死んでくれって……僕に言うのかい?」
「……っ! ち、違うんだ俺は……っ!」
「言えるから君は今日ここに来たんだろ? ルミナシアの侵食も世界の戦争も星晶の枯渇も……そんな事は全部どうでもいいから、自分の願いだけは叶えてもらいたくって来たんだろ? ルミナシアが本当に無くなってしまうなんて露程にも考えてないんだろう、ねぇ?」
「あ、……そんな、事」
「ディセンダーが居るからだよね、ルミナシアの救世主が……。本当は僕の救世主になるはずだったのに、ずるいじゃないか……」
「ディセンダーは、あいつは……っ」
「ルミナシアは勝手に僕を取り込んで芽吹くことを奪い、好き放題大地を荒らしてもディセンダーのお陰で滅亡したりなんてしないのにさ。僕は良いように利用されてお前の願いを叶えても、消えていく運命しか残されてないのか!」
「違うって言ってるだろ!? 死ぬだけの運命なんて……あってたまるか!!」
「そう導いているのは他ならぬ君達人類なんだよ君が僕を殺す! 僕は生まれたからには死にたくない! ……自然な事だよね?」
「……死にたくなんて、ない」
「そう、だから僕は戦うのさ、勝ち取るつもりだよ。奪われるだけなんてもう終わり、今度は僕が……奪う側だ」

 きな臭い流れを肌で感じながら、ユーリはラザリスから光が見えた途端飛び出した。ルークの真正面で盾となり、剣を構えて衝撃に備える。すぐに強烈な裂波が連続で襲いかかってきた。ラザリスは自身の爪から波状に衝撃波を出し、誰であろうと丸ごと切り刻むつもりらしい。まるで人間のような激情を膨らませ、狂ったようにルークを責めた。

「どこが一人で来たって? ほら結局さ、自分でした約束だって守らず要求するんだ! ルミナシアの人間は強欲で嘘つきばかりだね!」
「違う、俺は本当に!」
「もう話し合いなんて呑気に成立するかよ、下がれ!」
「駄目だユーリ! もうあいつしかいないんだよ!!」
「お願いとやらを叶える前に揃って微塵切りだ、逃げるぞ!」
「確か君はアドリビトムの人間だね? 君の首をあの船に届けてあげるよ、そしたらディセンダーは僕に会いに来てくれるかもしれないね!」

 ラザリスが空に浮き、大気中のマナを掻き集めている。上級晶術はマジックガードだけでは受け切れない、自分は軽減出来てもルークは直撃だ。ユーリは迷わず範囲外へ逃げる事を選択しルークを抱き抱えた。だが怒り狂うラザリスの詠唱は恐ろしい程早く正確に、足を付けた大地全域へと開放させた。

「悠遠を支えし偉大なる王よ、地に伏す愚かな贄を喰らい尽くせ! グランドダッシャー!!」
「しまった間に合わねぇ……!」
「ユーリ、大丈夫だから!」

 空気を震わす大振動が足元を射止め、巨大な岩が理不尽に隆起する様はまるで鮫が食らい尽くさんと海から飛び上がっているよう。外側から波状に中心へ向かって、ユーリ達へ襲いかかったのは一瞬。ルークを懐で守り覚悟を決めてマジックガードを展開しようとするユーリは、すぐに呆気にとられた。
 ユーリ達のすぐ周囲……半径3メートルも無い距離で巨大な岩は全てぱらぱらと光の粒子を残し分解されていく。ラザリスのグランドダッシャーはその地点で全て掻き消え、解かれて漂うマナのエネルギーが空気を途端に重くし息苦しい。
 地面は強大な力の爪痕でグチャグチャになっており、確かに放った晶術の威力と消え去った事実を突きつけている。

「……っ! 消えた? ……ルークか!」
「晶術なら……全部掻き消せるから、だからラザリスを落ち着けてくれ!」
「んな余裕あるかっての! ほら次来たぞ、頭出すんじゃねぇ!」
「で、でもっ!」
「無光なる最果ての渦。永遠の安息へと導け……ブラックホール!」

 夜よりも濃い闇が木々の隙間から這い出て、黒にすら例えられない深淵があっという間に二人を取り囲む。ぽっかりと切り取ってしまったかのように見える空間はエネルギーの坩堝であり、うねりをそのまま放出して潰そうと広がった。
 だがそれも、ユーリ達の至近距離で全て掻き消えてしまい届かない。闇が光となって千切れる光景はいっそ美しく、こんな時でなければ見惚れていただろう。

 ラザリスは次々と上級晶術を放つが、傷付くのは大地と木々達だけ。縄張りを滅茶苦茶に荒らされている魔物や動物達は哀れにも巻き添えか、大人しく隅で震えている。このままではここの地形が変わってしまう、だが連続して放たれる晶術は隙が無く、いくら全て掻き消えると言っても今度は足を縫い止められ動く事すらままならない。いいやこのまま動けばむしろ破壊の道が続くだけだ、ラザリスの魔力切れを狙うか隙を付いて討つかのどちらか。
 だが先に展開を動かしたのは相手。撃つだけ撃って大地を削っておきながら、晶術が効かないと分かって手を変えてきた。ラザリスは両手を振り上げ、生命の光で創生を始める。

「僕の世界の住人を紹介するよ。君達と違って創造しない、生きる為に産まれたヒトさ……素敵だろ?」

 光の中から産まれたのは、人間のように四肢を持った形。だが表面を覆う皮膚はまるでガラスのように硬質化しており、肉を排除し直線と刺で描かれた体は人の骨に見えた。手に剣と盾を持った者、大剣を持つ者、拳を構える者、杖を持つ者……彼らはまるで冒険者のようにそれぞれ武具を持ち、誕生の産声として大地に足をつけた。

「さあジルディ達……自分の生命を勝ち取るんだよ」
「問答する暇は諦めろ、手ぇ離すんじゃねーぞ!」
「そんな、待ってユーリッ」

 ラザリスの傷跡で露出した大地を、杖のような足が軽やかに跳ねる。ジルディアの住人達は人間を超えるスピードで動き、ルークを抱えて走ったユーリをあっという間に追い越し追い詰め、取り囲んだ。
 ルークの力は物理には効果が無いだろう、でなければアサシンの襲撃を受けた時あれ程震えまい。そうなると今度こそユーリの出番だ、状況としては最悪だが。何しろルークを庇いながら四方八方、物理を流して逃げなければ。少なくとも晶術は無視していい、だがそれを囮として視覚を遮られたりすれば手が遅れる。
 ごちゃごちゃ言っても仕方がない、何がなんでもやらなければならない場面。自分はともかくルークは傷一つ付けない、そう決めてユーリは鞘を投げ捨てた。

 ジルディアの住人達はたった今産声を上げたばかりだというのに、最初から刻まれたように見事な連携を魅せる。ルークを抱えている以上晶術は効かない、だが動きも制限される事を理解していた。
 剣士が盾となり正面から、正々堂々と剣撃を刻む。それだけならば幾らでも捌ける。だが他に大剣士と格闘家が長短のリズムで隙間を埋め、後方の魔術師が逃げ道や視界を奪うために大魔法を周囲へ次々展開させていった。
 四対一であまりにも差がありすぎる。刹那の見切りで躱しても躱しきれない、では自分を盾にするしかないだろう。ユーリは切り刻まれる傷で剣の持ち手が滑りそうになっても、腕に抱いている右手は絶対に緩めるつもりがない。
 はじけ飛ぶ皮膚から血が噴き出す、それがルークの頬に何度も飛び散って錯覚させる。慎重に確実に避けても次手の刃が容赦無く、ディセンダーのガンマンを思わせる程の厚い攻撃層を必死で耐えた。
 逃げても追い付かれるし、距離を取ってもそれは誘導された先。森の外側へ行ければ良かったのだが、追い立てられ続け気が付けば元の採掘跡地。ラザリスの姿は空にもなく、興味を失ってしまったのかそれとも自分の民の勝利を確信しているのかもしれない。

「う……っぐ、まずいなこりゃ」
「ユーリ、ユーリィ! もういいから俺を置いていけって! お前一人なら逃げられるだろ!?」
「あーあ、出血し過ぎで幻聴まで聞こえるわ」
「ふざけてる場合かよ! いいから……なあって、聞けよ!」

 腕の中で馬鹿な事を叫ぶルークを無視し、ユーリはせめてと壁を背後に置いた。四方からはやはり分が悪すぎる、ジリ貧どころかこれで完璧に追い詰められた訳だ。どすんと壁に凭れ掛かれば思った以上にドッと疲れが足元を重くする。なのに頭の中は沸騰しているように熱く沸き立ち、切り離された気分だけが高揚していた。戦闘時特有のハイテンション、ユーリにはよく覚えがある感覚だが今回の症状は些かよろしくない。
 周囲に流れる張り詰めた空気の流れが肌を刺激し、感じ得ないはずのマナの集まりもピリピリと痛い。敏感になっている感覚は、ユーリの足をどろどろと流れる血すら捉える事に成功している。今そんな事を知ってもどうしようもないが。どうせ血なんてどこででも流れている、流れていないのはルークを抱える腹部だけ。
 ルークは抜け出そうと暴れてがぶりと噛み跡を付けてくれるので、お仕置きのつもりで背後足元に放り投げた。後ろ手で封鎖されている扉の鍵を切り壊し、採掘場の中へルークを蹴って押し込む。わぷ! と慌てた声でごろごろ転がる音をなんとか聞き取り、ユーリはこの地点で足の裏を縫い止めた。

「よっし、これでなんとか両手が空いたな」
「ユーリこの馬鹿! こんな事して……俺の事置いてけないならせめて盾にしろよ! 少しくらい痛くても平気だ、俺は……っ」
「うるっせぇお前いいから黙ってそこに居ろ!!」
「ユーリ、ユーリ頼むからぁ……!!」

 叫ぶ悲鳴をキンと耳に響かせ、痛む体も何もかも無視する。小さな手のひらが自分の足を震えながら掴んでいる、それだけが源だ、命を離してもこの場所は離れない。
 朝が訪れればバンエルティア号でルークが消えた事が発覚して捜索が行われるはず、いやガイ達ならもっと早く動くかもしれない、何しろあの過保護病だ。ならばその時までここを死守すればいいだけ、簡単な話で拍子抜けしてしまう。壁を背にする事で守るのは正面に限定された、ますますイージー。剣を握る手は既に感覚が失せ、血で固まったのか掴んだままピクリとも動かないので固定されたも同然。最高潮の気分に合わせてか、視界の全てが赤いのも丁度いいではないか。夜と赤が混ざっているのにジルディアの住人達の武器は光り輝き動きはスローモーションに見え、受けるのも流すのも容易かった。
 最初からこれくらい体が動けばこの数相手でも逃げられたのに、自分の体のくせに温まるのが遅いとは問題だな、なんて。ユーリは浮つく気持ちに任せて剣を振り続けた。
 後ろにルークを閉じ込めている分晶術は無効化される、だが物理攻撃は180度でやってきてユーリの肉体を左右に切り刻む。視神経が痛い程見えているし腕も増えたくらい動くのに、流れる血の量は減りそうにない。自分の呼吸が頭の中で煩いくらい響く、耳のすぐ横でびったり張り付かれているようだ。
 その中でも決して、何があっても足だけは動かさなかった。地面から離すくらいならば剣で受け、刃の欠片を飛び散らせる。剣にはヒビが見え、あまり長くない先で折れるだろう。

 それでも構うものか、剣が折れてもまだ体がある。化石のようにここを塞ぎ、ガイ達が来ればそれでいい。その後の事は知るもんか、考えるエネルギーがあるなら腕を動かしている。
 ぎらりと光る晶術が眩しく、一瞬ユーリの視界をかき消した。その中でも大剣士と格闘家の拳が繰り出されるのが感覚で分かり、先に届いた拳を流して捨て、上から降ってきた大剣を鍔で受け止める。だが一瞬、消え失せた痛みが熱として込み上げた。焼けた鉄棒を喉に突っ込まれた気分に、ユーリが口を開ければそこから驚く程の血が飛び出て正直驚く。まだこれ程残っていたのか、ではなく熱はどこから。
 けれど血を追いかければ自然と辿り着く、探さなくとも自分の腹部にざっくりと、剣が生えているではないか。いいや違う逆だ、刺さっている。ぎこちなく顔を上げればそこにはどこで読めばいいのか検討も付かない表情が、つるりと能面のように。剣士がその獲物の半分を、ユーリの腹に突き刺していた。
 しまった、この高さだと後ろのルークにも当たるかもしれない。先に考えたのはそんな事だ、それ以上でもそれ以下でもない。
 腹の剣が乱暴に引き抜かれ、ユーリは一瞬背骨まで抜かれたかのように上半身を揺らす。がふ、とまた口から血を吐き、黒いのか赤いのか服のせいで見分けが付かない腹部を見た、そこからも血が噴き出している、多分。視界の端からノイズが走って邪魔をし始めている。
 ボロボロの剣を地面に突き立て、それでもユーリは体を崩す事を己に許さなかった。もういいもう面倒だ、流す動作も疲れるのでこのまま、目を閉じていよう、そう決める。抜けた血の分軽くなった気のする体と、遠いような意識。
 いやまだだ、まだ後ろで声が聞こえていた。泣いているのかもしれない、そう言えばユーリは今までルークの涙を見たことが無い。涙目はちょくちょく見るのだが、はっきりと泣いた現場はついぞガルバンゾでも見なかった。そう考えると偉いじゃないか、遠い土地に一人ぼっちになったのに、泣きもしないなんて。偉いな。
 最近ライマの人間が甘やかすので、ユーリから褒めてやる事が減っていた。だからそうだな、これが終わったらめいっぱい褒めてやろう、あのどこもかしこも手のひらで収まってしまいそうな小さな子供の頭を撫でて、優しく。
 笑顔を思い描いていると、外が完全に切り離された。体の中では痛そうな音がそこら中で鳴っているのだが、まるで他人事に聞こえる。こりゃ便利だこのままでいいや、そうユーリが捨てようとした時だった。

 光が空に奔ったのを、無音で聞く。ジルディアの住人達の背後から、視認できる程圧縮したエネルギーが風船のように膨らんでいる、彼らは気付いているのかいないのか、ユーリから見ればまるで間抜けだった。
 ぶわりと範囲を広げる何かが住人達を巻き込めば文字を消したように綺麗さっぱり掻き消えてしまう、一瞬で。彼らにも断末魔はあったのだろうか、どちらにせよ今のユーリには聞こえない。
 そう数えていいものか、四人をあっという間に塵すら残さず屠り、その力はユーリに届く前にルークの加護によって強烈な風だけを残して終結した。呆然と見ていると、現れる人影。新手か? そう考える前に大きな声でユーリの意識をぶっ叩く。

「兄上! 兄上は無事か!!」
「……ア…ッシュか」

 眉を思い切り立て、怒号と共にアッシュが駆け寄る。その瞳は目の前の、血溜まりに立つユーリよりも自分の兄を探し、額に血管を浮かべていた。そんな彼にユーリは逆に気が抜ける、崩れ落ちる余裕すらなくて背中を背後に預けたが。

「ユーリ貴様、兄上は無事なんだろうな!?」
「この状況見て、まずそれかよ?」

 さっすが、筋金入り……。そう声にも弱い呟きを零してホッと、ユーリは息を吐いて瞳を閉じる。ミンチにならなかったのは助かったが、これじゃ出血死だな。ぼんやり霧散していく意識を前に、ユーリの心中は慌てなかった。
 自分は最初から自分の事なんて考えていない、だから別に心配もしていない。いや嘘かもしれない、流石にまだ20年と少しで死ぬには若すぎるだろうと、なんとなく。と言いつつもどうせ今夜の行動、何時どんなタイミングで遭遇しても自分は同じ事をするはずだ。
 ルークを庇ったつもりはない、ただ自分の考えに従っただけ。だから別に後悔はない。ただもしかしたらルークは気にするかもしれない、変な所で繊細だから。
 ああ、だからそうだな……。ここで死んでしまってはルークが気にしてしまう、なんとか頑張ってみるか。ユーリはそんな風に薄ぼんやり考え、滲む光景に血以外の朱を記憶してから意識も完全に閉じた。






  


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