anti, World denied








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***

「ただいまー!」
「お帰りなさいルーク、道中危険はありませんでした? 叔母様達の具合はどうしでしたの」
「大丈夫だって、ジェイドも白光騎士団の奴らも一緒だったんだから。母上はまだ寝込んでるけど、すぐ元気になるって言ってた」
「良かったです、何時か正式に訪問してルークのご両親にご挨拶したいです」
「アニス、貴方も一緒に来たの?」
「帰還道中の護衛も合わせてこちらに合流する事になったんですぅ。これからよろしくお願いしますねぇ、ご実家が裕福そうな方達は特に!」
「アニース、お仕事もちゃんとしてくださいねぇ?」
「勿論ですよぉ大佐、アニスちゃんは何時でも何処でも給金の出るお仕事を一生懸命頑張ってますから!」

 エントランスを賑やかす皆の声は喜びに上がっており、ユーリはその空気にホッとした。待っていたのは間違いない、けれど少しの間味わった気持ちに自分で辟易し、なんというか勝手に気恥ずかしい。ルークにとって親しい間柄や護衛の人間とはもう会えているのだから、自分が責任をもって見ていなくてもいいのだ。むしろそれはバンエルティア号に乗船した時からそうなのだが、まだ距離としての近さ故にユーリは積極的だった。
 ルークの一時帰国中、一種の冷却期間か。この間で随分整理をしたと思う。ポケットに入れていた櫛は引き出しに仕舞い、目線が斜め下を向いてしまうクセを戻した。これでよし、と自分で頷きユーリは一通り彼らを眺めてから戻ろうと考え朱色の小さな頭を探す。集団に埋まってしまい、残念ながら見えなかった。それがあの子供らしくて笑ってしまう。
 やっぱり、先に部屋に戻るか。後で部屋に来るかもしれないし、来なければ食堂かどこかで顔を合わせるはず。もう積極的に自分から足を向けなくてもいいんだから、そう考えてユーリは壁に預けた背中を離して歩く。すると偶然なのかわざとなのかレイヴンが正面に、意味ありげに笑い邪魔してくる。
 少しだけ考え、無視する事にした。彼は面白そうな顔のまま指を指してきて、なんだよと抗議すればその指は自分ではなく背後を向けている。ユーリは疑問に思い振り向けばドキリとし、体が勝手にしゃがみ膝を突く。細っこい足で精一杯駆け、とぅ、と元気よく抱きついて来た子供。

「ユーリーただいまー!」
「あ、ああ……。大丈夫だったか、怪我や病気は?」

 どうやら両手も勝手に広げていたらしい、ルークを包んで抱き上げ、ぎゅっと腕を強め一週間ぶりの体温を味わう。何度も言われただろう事を無意識口にしてしまったが、けれどルークは笑顔でそれに答えた。

「ぜーんぜん平気だってば、ほんとユーリは心配性だよなもっと信用しろっての」
「そりゃ安心して安心させてくれる相手ならな……」

 大きな翡翠は久しぶりに真っ直ぐ視線刺し、靴をきちんと履いた足をぷらぷらさせる。ユーリの長髪を掴んで引き、悪戯顔で肩に額を乗せてきた。近い息を感じて、ああ良かったと今更ながら思う。ジェイド達を信用していなかった訳ではないのだが、やはり自分の目が届かないと心配が尽きない。抱きまくらがすっかり習慣付いてしまったので夜寝入りが悪く、昼間も落ち着かなくなってしまう。
 一日に一回は、この朱色の頭を撫でないと座りが悪い。そんなしょうもない事実を再確認して、ユーリは朱毛の旋毛を撫でた。さっきまで色々整理整頓して捨てたものを拾いなおし、また散らかすかと考える。隣のレイヴンが意地悪く失笑していたので、ユーリはルークを抱き締めたまま蹴ってやった。


「なあユーリ、ラザリスの正体って何だと思う」
「ん? さーなオレも直接会った訳じゃないし……ただ元は赤い煙だった奴で、人間とはあんまり仲良くやれそうにないってのは聞いてるぜ」

 その夜のベッド、ルークは変わらずユーリの元で横になっている。風呂に入ってしっとり濡れた重い朱金を、タオルで水分を吸いながら答えた。放り出された手足は細く小さくて、真っ白いシーツの上だとまるでもがいているようで不安にさせる。顔を見せないルークだが声は割合はっきりと強く、単純に疑問を抱いたから聞いてみた、そんなニュアンスを感じさせた。

「煙だった時は、色んな奴の願いを叶えてたんだぜ、それってすごいよな」
「それ、噂が一人歩きしてたって言ってたろ。どっちにしろタダより高いものはないと思うけど」
「ジェイドはラザリスを見たけど、外見からして人間じゃないってさ。なんか難しい事言ってたなー、構成物質が違って高次元存在の可能性があるんだとか」
「高次元存在ってなんだよ、神様か?」
「そうなんじゃないかな? 神様とか精霊とか、神聖な生き物あたりとか」
「神聖な生き物ねぇ……ディセンダーとかも入ってんのかね?」
「知らねーよそんなの、救世主なんて……どうやって世界を救うんだろ」
「奇跡パワーってのでいっちょ纏めて解決してもらいたいもんだ」
「そーだなぁ、だったら楽なのによ」

 ルークは背中を丸めクスクスと笑う、逃げていく髪を追い駆けユーリはぽふぽふと、頭を撫でた。そろそろ夜も深く眠くなる頃だ、今日は疲れているだろうから早目に寝かしつけよう。あらかた乾いた髪を櫛解き、端にやっていた毛布を引き上げ肩まで掛けてやった。
 くるり振り向いた瞳はやっぱり少し眠そうだ、瞼が半分程降りて今にも完全に閉じてしまいそうに。けれどしぶとく、一体何に耐えているのだろうか寝まいとして唇をへの字に曲げている。

「ほら、もう寝るぞー。明日からはまた船の仕事が待ってるんだからな?」
「うん、そだな……。もう、だもんな……ふわぁ」
「目ぇ瞑れば、あっという間に朝だ。おやすみっと」
「ん、おやすみユーリ」

 ユーリは撫で付ける手をゆっくり顔に回し、そっと目隠しして閉じさせた。もぞもぞ懐へ潜り込んでくるルークはそのままじっとして、すぐに静かな寝息が訪れる。久しぶりに聞いた呼吸音、ユーリも瞼を閉じて聞き入った。暖かい体温がじんわり、布を伝ってやってくる。狭い背中をやわらかに撫で、うとうとやってくる睡魔にユーリ自身も意識を明け渡す事にした。




*****

 それからまた少しの間だが、平和な……そう言い難いがバンエルティア船内では平和な日々が続いた。ルークはロックス達と一緒に船内の手伝いをして、時々アンジュの真似事でカウンターに座ったりと、異変続く世界を依頼という形で直に感じるギルドメンバー達の僅かな癒やしとなっている。
 ユーリも流石に依頼に出る回数が増え、日中ずっとルークを見ている訳にもいかなくなった。まあアニスというジェイド直属の部下も合流したので任せている、ナタリアやティアは少々甘やかし過ぎるきらいがあるのは問題だが。

「ナタリア、あんまりルークに菓子ばっかりやらないでくれるか……」
「あ、あらごめんなさい。だってこのマドレーヌ、とっても美味しいんですのよ」
「ルーク、はいあーん」
「自分で食べるってば、子供扱い止めろよなー」
「ティア、赤ん坊じゃないんだからそれは止めてやれ」
「ご、ごめんなさい……」

 食堂で、ナタリアはルークを膝に座らせておりテーブルの上にはたくさんの菓子。街で買ってきたのか作りおきを出したのか、本来ならばユーリこそがその場に混ざりたいくらいだ、主に消費の部分で。ちなみにリオンはちゃっかり相伴に預かって角の席で黙々とケーキを食べている。
 ルークはナタリアの膝の上には平気で座るのに、食べさせられるのは恥ずかしいらしい。横からティアがプリンを乗せたスプーンを寄せるが拒絶し、自分の手で引き寄せて食べている。テーブルの菓子はどれもこれも、数口だけ食べて形が残っている物ばかり。なんて贅沢な食べ方、リオンは食べかけは手に取らずきっちり新しい分を食べているのだから尚更。
 ガルバンゾでのような監視検閲はもうしなくてもいいかと思っていたのだが、思わぬ伏兵だ。ナタリアは表面上では素直に謝っているのだが、チョコチップクッキーを静々とルークの口元に運んでいる。
 もっと強く注意した方がいいのだろうか。しかしナタリア達は相当心配していたのだし、先の一時帰国期間よりもずっと待っていたのだから好きなだけやらせてやりたい気持ちもある。けれどこのままではルークはころころおでぶちゃんまっしぐらだ、それはそれで可愛いかもしれないが。

「……しゃあねぇな。けどお菓子は一日一個にしてくれよ」
「えー、三個くらいは食べたい!」
「三個も食ったらお前飯食えなくなるだろうが、駄目だ」
「横暴、横暴だ! 家来のクセに主に楯突きやがって……」
「なんとでも言いやがれ、後で泣きつくのはお前なんだぞ」
「泣きついた事なんかねーよ! 適当言うなっつーのっ」
「前にケーキ食い過ぎた時晩飯に女将さん特製エビグラタンが出て、意地でも食ってゲーゲーやってたのはどこのどなたでしたっけねぇ」
「あ、あの時は偶々で……その、いつまでもぐちぐち言ってんじゃねーようぜー!」
「ふふ……二人共何時の間にそんな仲良くなったんですの? わたくしが妬いてしまいそうですわ」
「どこがだよ!」
「どこがだよ……」

 二人ぴったり揃って口にし、食堂で笑いが漏れる。リオンも食べる手を休めてまで、顔を反らし体を震わせていた。向かいの席で紅茶を飲んでいるエステルがにこにこ笑顔で、リタは肘を突いて生温く薄笑いだ。

「あんた、ナタリアにルークの椅子役取られて悔しいんでしょ。素直に言いなさいよね」
「私もルークを抱っこしたかったのに、恥ずかしがってさせてもらえませんでした……。羨ましいです!」

 各女性陣、随分好き勝手に言ってくれるものだ。だがリタの言うようにそんな可愛らしい嫉妬ならば良かったのだが、なにせルークは椅子役を選ばない、女性以外ならば簡単に誰かの膝に座り食べ物を奢ってもらっていた。
 しかしそうなるとやはり、ナタリアの膝に座るのは特別なのだろう。

「ナタリアは……姉上みたいなもんだから無しなんだよ!」
「ナタリアはルークの婚約者だから、おかしい事はないと思うわ」
「ええ、そうですわね。わたくしはルークの姉でもあり婚約者ですもの……うふふ」

 婚約者、その言葉が出てこの中でリタだけが目を丸くしている。ユーリは前々からそうではないかと思っていたし、エステルは同じ立場であるので婚約者の話はごく当然なのだろう、リオンもウッドロウの国の剣客剣士をしている身だ、そういう事もあると分かっている。

「子供のうちから結婚相手が決まってるなんて、王家って面倒臭いわね」
「血筋を守る家系ならばごく当然だろう、珍しい事じゃない」

 ユーリと近い感覚でリタは割合不満顔でそうこぼすが、珍しくリオンが答える。それに僅かムッとして、リタは顔を背けてしまう。奇妙な空気になってしまったがリオンは気にせずタルトを皿に取り、さくりと軽快な音でフォークを刺した。

 どうすんだよこの空気……ユーリは仕方なく、テーブルの上で半分以上形が残っているケーキやタルト達の処理をしてしまおう、そう思って自分もフォークを手に皿を引き寄せた時だった。
 あ、と小さな声が上がったので見てみれば、ルークの口がぽかんと開け放たれている。ナタリアからのスプーンに乗るゼリーが落ちてしまい、テーブルマットの上でぷるぷる揺れていた。目測を誤ってこぼしてしまったのか、ユーリはナプキンでそれを拭こうとしたが……ルークの様子がどこかおかしいのでぎくりとする。
 ルークの瞳は白いテーブルマットの中央、何も無い箇所を凝視して呆然としていた。その様子に気付いたエステルやティアがナタリアを見て、膝に座らせたままのナタリアが声をかけようとする。けれどその前にルークは突然席を降りてしまい、何も言わず食堂を走り去ってしまった。

「お、おいルーク!?」
「ちょ、がきんちょはどうしたの?」
「もしかして……アッシュが着いたのかもしれませんわ」

 ナタリアがそう小さく口にして、ユーリは追い駆けようとした足を一瞬止める。するとティアが先に行ってしまったので、慌てて追い駆けた。アッシュ、ルークの双子の弟。ガルバンゾに留まる理由にした名前の彼は確か、継承の旅の途中と言っていた。それからジェイド達が連絡を取り、バンエルティア号に向かっていると言っていたのはルークが一時帰国して帰ってきた後。
 旅のルートは極秘につき、何時頃到着するかは教えてもらえなかったが少なくとも今停泊している地方からは遠いと。何時になるか分からないがもっと先だと思っていたのだが……。
 しかし食堂に居たと言うのに、何故ルークは分かったのか。食堂には窓があり外が見えるが、位置的に甲板を見ることは出来ない。それにあの反応の仕方は、なんというか……カンだとか虫の知らせ、そんな類ではない気がした。

 廊下を抜けてティアに追い付きエントランスに出る前、はっきりとした声が響く。目の前には濃い深紅色に大きく衛士のような黒い制服の人物が、小さなルークを覆うように抱き締めていた。

「兄上! 無事で良かった……っ」
「アッシュー! アッシュは旅で怪我とかしてないか、お腹壊してないだろうな?」

 むしろルークが保護者のように、必死に掻き抱く大人を慰めている。隣のティアをちらりと盗み見るが、彼女は動こうとせず顔を綻ばせていた。という事は、あの深紅色の彼がアッシュであるのは間違いのだろう。
 エントランスで感激したように抱き合う二人は、なんとも対称で非対称だった。確かに赤毛の長髪で緑の瞳、顔の作りも似通っており双子だと言うのも頷ける。だがユーリの目から見て、それはあまりにも不自然だった。
 何故ならば兄上と強く感情を込めて抱き締める彼の姿はどう見ても……十代後半の青年そのもの。双子だという事は同い年、同じように小さな子供を想像していたのだが、むしろこの場ではルークが弟と言う方が正しく見えた。

「ルーク!」
「ガイ!」

 入り口からまた新しい人間、金髪碧眼の青年は他には目もくれず真っ直ぐルークの元へ駆け寄る。ガイ、ルークの口から何度も聞いた名前だ。兄貴兼親友兼従者、そう言っていたがそれはどちらかと言うと年齢的にアッシュの方がしっくりくるように感じる。彼とルークではまるでユーリのように、保護者と言うべきか。
 アッシュは閉じ込めた腕を名残惜しそうに解き、ルークをガイの元へと背中を押す。喜んで飛びつく子供と、取り乱す程感激している大人はぎゅっと抱き締めて感動の一面だ。それを傍から見て、もしかして前の自分もこんな感じだったのだろうかと過ぎる、いやいやあそこまでじゃないぞと心の中で言い訳をした。

 ふと気が付くと、アッシュが目の前まで来ている。どうやら隣のティアに気付いたようで、彼女は姿勢を正し一礼し一言二言、硬い言葉の応酬をしている。
 彼の真剣な顔は一見厳しそうな印象しかもたらさず、眉間に皺が刻まれているように見えた。目線はユーリから見て少し下程度、ルークのように真下を探す必要もなさそうな身長、そして腰に下げている剣が目に留まる。確かに、彼ならば継承の旅に出ていても違和感は無い。あったのはルークが、あの通り子供だったから、けれどその前提が崩れユーリは少し混乱する。

「アッシュ、彼がユーリ・ローウェルよ」
「なんだと。……失礼した、俺はアッシュ・フォン・ファブレ。ライマ国王家に連なるファブレ公爵家の人間だ。兄上を誘拐犯から助け、保護してライマまで届けてくれようとしていたと聞いている。……深く感謝の意を捧げさせてもらう」
「あ、あーいやいいって、そーいうのもう十分だから」

 アッシュはユーリを正面に、深々と頭を下げた。ジェイド達の時よりも恭しく、命の恩人のように礼をされて少し後ろ足を退いてしまう。だが何か謝礼を、そう言い出すので強引に話題を変えるつもりで聞いた。

「そんな事より、オレはあんたがルークの双子の弟って聞いてたんだがな。さっきから兄上って言ってるし、……どう見ても反対だろ?」

 この質問にアッシュははっきりと反応し、眉をぴくりと跳ね上げる。ティアを横目で見て、彼女はそれに答えるように首を横に振った。その言葉無きやり取りに、ユーリはどこか触れてはならない雰囲気の秘匿さを感じ取る。
 ルークの怪しさは保護した最初から、王家のなんたらでややこしそうなのは予想していた所だ。けれどアッシュはそれ以上に、慎重さを表に出すことによって警戒しているとはっきり口にはせずとも言っている。

「悪いが兄上……ルークに関する事は全て国家機密に属している。命の恩人であっても例外ではない、ただ俺とルークがファブレの人間なのは揺るぎようのない事実だと思ってくれ」
「それって、どういう意味だ」
「そのままの意味だ」

 つまり、これ以上踏み込むと権限を持ち出すぞ、という事か。ここ無国籍ギルドに避難しておいて、やけに強気な言葉だ。アッシュの言葉は過信とも取れるし過剰とも。そして堅牢に律してる堅苦しい空気はどこか覚えがある。騎士団時代に先輩騎士から散々言い聞かされた、人よりも権威を守る時に似ていた。
 そんな感覚が浮かび、一瞬ユーリも同じように眉を潜める。ぴしりとどこか冷たい緊張が二人の間で走り、異様な空気。だがそれをぶち壊したのは、一番の問題である話題の主だった。

「アッシュ! なぁ師匠置いてきちゃったって本当か、今どこに居るんだよ!」
「兄上、……背中から飛びつくのは止めろと何度も……」
「なー師匠は、師匠はまだなのかよっ!?」 

 がばりとルークが思い切りジャンプし、アッシュを背中から強襲する。その重みで背中が曲がり、アッシュは足を震わせながら必死で耐えていた。見た目は鍛えていそうなのに、妙に力無い様子に少し不思議と感じる。するとその答えなのか、ガイが苦笑しながらへばりつくルークを抱き上げた。

「勘弁してやれって、アッシュも俺も寝てないんだ。今ならお前のバックアタックで簡単に倒れちまう」
「え、ほんとか? よしじゃあ勝負しようぜ!」
「こらこらこら……ヴァンは夜には追い付くと思うからさ、待っててくれって」
「兄さ……ヴァン総長とは別行動を取っているの?」
「いや、俺達が急いだんだよ」
「でも聞いた場所からはもっと時間がかかると思っていたのだけど……。まさかアルビオールを使って?」
「まさか、許可を取る方が時間かかっちまうだろ? ちゃんと体力を考えて歩いて来たよ、寝ずに」
「……寝ずに」
「ああ、寝ずに」

 寝ずに。隣で聞いていたユーリは聞いただけで疲労が伝わった気がする、そりゃ足も棒になるだろう。どこから向かったのかは知らないが、ティアが絶句している様子から見るに相当離れていたようだ。そこから体力を考えて徒歩で寝ずに。……言葉が噛み合っていない。
 そう言われて見ればアッシュとガイは疲れを飛び越えて顔色は紙のように白く、どこかふらふらしてる。何日徹夜したのだろうか、あまり考えたくないような。ルークは気にした様子もなくばたばた暴れて、アッシュの曲がった背中を蹴り飛ばしていた。可哀想だから、流石に止めてやれ……。不安定に持つガイの腕から受け取り、ティアにジェイド達を呼んでくるように言った。

「やっぱり、アッシュ。聞いていたより随分早かったのですわね」
「……ナタリア、無事のようだな」
「アッシュ、お久しぶりです」

 ティアがジェイドを呼びに廊下へ消えた入れ違いで、ナタリアとエステルがやって来た。ガイはさっとジャンプする勢いで下がり、疲労の濃い顔でにこりと挨拶している。二人は親密そうに会話し、それからアンジュの元へ。最初から見ていた割に蚊帳の外だったギルドマスターはようやく来たのか、と苦笑しながら受け付けていた。

「エステルはアッシュの事知ってたのか?」
「はい、パーティや会食で数回、顔を会わせた事があるんです」
「双子だって言うのは……」
「いえ、聞いた事はありません。ですから……」

 エステルはちらりと、まだ膨れているルークを見て言葉を濁す。エステルがルークの身柄を知ったのはジェイド達が来てからだ、あの時もファブレの名前を出さなかったので今初めて聞いたのだろう。にしてもアッシュはエステルと面識があった、対してルークの口ぶりは家から出た事が無さそうで。
 隠し子にしてはアッシュははっきりとルークはファブレ家だと言ったし、ナタリアという婚約者が居るわりに存在が国家機密。考えれば考える程、ルークは外側から内側まで謎だらけ。
 本人は師匠とやらの行方に答えてもらえないせいで頬をリスのように膨らませ、ユーリの体をよじよじ登ってくる。髪を引っ張り土足で腰肩を蹴りつけ、自力で肩車をセッティングしていた。話題の中心のくせに、本人はどこ吹く風で気にしていない。

 このときふと、ユーリはこんな姿のルークがもしかして……わざと子供の無邪気さを装っているのではないかという考えが過ぎった。元々自分の容姿を無意識で利用していた節があり、ルークは見た目以上に賢いのも知っている。
 けれど、まさか? 疑う以上に強く打ち消し、そんな不審を拭う。けれどその疑惑は元々、それこそ出会った当初から抱いていたものだ、今更簡単には消えてくれやしない。ルークの身内が現れ、なのに塗り重ねるように秘密にされれば余計。






  


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