anti, World denied








6

 ユーリはラピードにメモ書きを添え、カロルの元へ戻らせる。このまま今日の依頼をこなすにはあまりにも気になる上、離れる気が起きない。ルークを抱き上げて部屋に帰る事にした。

 先に下の店で、今日の手伝いや予定していたものを取り止めてもらう。残念そうにするよりもルークの真白い顔色を注意し、快く了承してくれた。腕の中の問題児は何時もと正反対に唇を引き締め、顔を上げないまま。
 お湯を貰って部屋に帰ればまず膝の消毒と手当てをし、それから汚れた手足を綺麗に拭いて服を着替えさせる。温かいタオルで顔を拭えば、顔色も多少はマシに見えた。けれどずっと、何も喋らない。萎れている天辺の朱毛を軽く撫で、ユーリは手を引いてベッドに入った。
 やっと上げた顔の眉は少し困惑しており、何か言いたげな瞳。ルークをころんと奥へ転がし、自分もどさりと枕に頭を沈める。毛布を被せて、真っ昼間から寝る体勢だ。サイズの関係上腕枕になっているルークの額が、どす、と脇腹へ突付く。
 依頼も手伝いもキャンセルして、ベッドで寝ようとするなんて自堕落だ。そんな無言の……いいや十分実力行使か、それを笑ってユーリは丁度良い抱きまくらを抱き締める。わぷ、と迷惑そうな声が上がり、けれど抵抗する様子は薄い。髪を優しく梳いていれば、小さな呼吸は静かになっていった。

「昼寝だ。お前最近手伝いいっぱいやってて昼寝してねーだろ」
「……子供じゃないんだから、昼寝なんてしねーよ」
「そうかぁ? 夕方になると頭うつらうつらしてるって、よく聞いてるぜ」
「し、してない! 誰が言ってんだよ!」
「いいじゃねーか偶には、オレも今日はまだ眠いからさ、付き合えよ」
「大人なのに、仕事サボって……大罪人だ」
「オレは悪い大人だからなー、反面教師として覚えとけ」
「もー、ユーリのあほ」
「牛が居やがる、ほれほれ」
「うわ、やめろよもう!」

 からかいながら鼻をぶにぶに押せばルークは嫌がり、目元をしわくちゃにして首を振る。顔を擦って手を振り払い、怒りながら胸元に激突してきた。朱毛の旋毛が鼻の付近でふわふわと舞うので、手で押さえて閉じ込める。

「いーから、ちょっとだけ寝ようぜ、な。おやつの時間には起こしてやるから」
「……しょーがないから、付き合ってやる」

 そう胸元でぽそりと言うルークの耳たぶは、ほんのり赤い。顔を隠そうとしているのか背中を丸め、そのまま毛布を頭から被ってしまった。ユーリも見ないようにしてやり、寝息が聞こえるまでゆっくりと撫で続ける。5分も経たない内に子供の体は温かくなり、そーっと覗けば瞼は穏やかに閉じていた。体を引き上げ頭を出してやる、涙の跡も見えない頬はふっくらと柔らかそうに。
 眠る邪魔はしまいと思っているのに、誘惑に負けて少しだけふに、と頬を突付く。眉も握り締めている小さな手も動かず、ほっとしながら肩を抱いた。近い体温は本当に温かい、熱が出たり風邪を引いてしまったらどうなってしまうのか心配するくらいだ。窓から差し込む昼間の光を強引に無視し、ユーリは自分が満足するまで味わった。


 影が斜めに伸びてきた頃、外の風を受けて汗が冷え、体がぶるりと震える。あんまりにも差が有り過ぎるのはきついな、そう考えながら腕を擦ればくちゃくちゃに伸びた服の皺が目につく。ずっと、あの路地から眠ってからも中々離そうとしなかった、震えながらもルークが付けた皺だ。それをじっと見ていると、心の中で暴風が吹き荒れる。可愛いだの可哀想だの、面倒だの守ってやりたいだの……自分の事ながら忙しい事だと呆れた。
 見上げれば自室の窓が、拒絶するように閉まっている。あれを閉めたのは自分なのに、今部屋で眠っている人間の心のように見えた。勝手な妄想だな、と思うがそこまで外れてもないだろう。何も言わないルークは、今どんな気持ちでどんな夢を見ているのか。
 そこへレイヴンが、相変わらず崩した笑顔で声を掛けてきた。カロルへの伝言で予想しているはず、このタイミングでやって来た理由はそれとなく分かっている。

「お疲れさーん、ルー君はどうしてる」
「寝かせた」
「そ、大丈夫だった?」
「見た目じゃ必死こいて何でもない風に装ってるよ、可愛いもんだ」
「そっか、相手さんは何か言ってた?」

 ユーリは首を振り肩を竦める、追おうと思えば追えたがそんな事よりも優先するべき事があったから追い駆けなかった、ラピードに叱られてから気が付いた事だが。それを見てレイヴンは顎を擦り、軽く唸りながら何か考えている。

「もったいぶらず言ってくれよ、今更何聞いても驚かねーぞ」
「んー、ライマにね、手紙を送ったんだけど返事が返ってこないんだわ」
「ライマ? ルークの国か」
「そ、ルー君てばそこの王子様みたいなんだよねー」
「へえ、まあ継承だとかなんとか言う時点でそんな気はしてたが……王子様ねぇ」
「一応、ライマの第一位後継者らしいよ? 婚約者も居るんだってさ」
「はっは、そりゃまた。気の早い話だな、あーんなクソガキに」

 血筋、という奴だろう。生まれた瞬間から生き方を決められているだなんて、可哀想な事だと思っているのは本当なのに、他人事のような軽さをユーリは自分で苛つく。丁寧に慎重に、優しく甘く育てられてきたのは本人を見ればよく分かる、隠し切れない作法や優雅さ、勉強もよくしているようで頭の回転は悪くない。悪いのは自分本位くらいなところだが、それもきちんと言ってやれば受け入れる懐も感じられた、きっと大きくなれば良い王様になる。
 その背後でちらちら光る悪意の刃が、こんなにも見えていなければの話だが。もっと上手く隠してくれれば騙されてやれるのに、あからさますぎて無視出来ない。背中を押して離せば、家路のどこかで死にそうな子供をどうして放っておけるだろうか。
 ここまでくれば貴族だの王族だの言ってられない、面倒かけられている以上にユーリは、有り体に言えば情を見出している。膝に置いた重さや頼りなく握り締める手を、何とかしてやりたいと思うくらいには。
 自分の心情を整頓して、ユーリは咳を払う。その横顔を盗み見してくるレイヴンの、含んだ視線を素知らぬ顔して次の本命を聞いた。

「それで、暗殺か?」
「ちょい微妙なんだわ、そこらへん。今あちらさんなんかきな臭くってさ、中でゴタついて情報が氾濫してんの」
「内輪揉めねぇ……じゃあこっちの事を罠だと疑われてるのか」
「かもしんないね、ただの一ギルドからの手紙じゃしょーがないと思うけど」
「使いを送るとも言ってこないのかよ」
「もしかしたら黙って送ってきてんのかもしんない、手紙を出したのが2週間前だから何かしらアクションがあってもおかしくないと思うよ」
「って事はさっきの奴……」
「漏れてる可能性もあるし、最初からそのつもりだったって可能性もある」
「そう、か」

 漏れているとしても最初からだとしても、ルークの素性を考えれば恐らく身内には変わりないのだろう。金銭目的でない誘拐なんて……碌なものじゃないのだから、どういう意味でも。地位、遺産、相続、適当に考えてもすぐ思いつくあたり、これだから貴族王族は。あの時ルークが絶対の信頼を持って、絶対ないと言い切っていたのを苦々しく思い返す。

「どーすんのさ? これ以上あの子を置いとくのはどういう意味でも得策じゃないと思うよ」
「分かってる、そろそろ潮時だろうな」

 潮時、そもそも何時までガルバンゾに居るかすらルークは明かさない、弟が来るまでなんて何時か分からないのだから。やたら自信満々に来れば分かると言っていたが、謎の根拠だ。ルークが居着いてから1ヶ月と少し、たったそれだけで下町の住人と一般層の商店街の人間、飲み屋のウエイトレスとガタイの良い冒険者達や貴族街の人間少々、見事に虜にしてしまった。
 服の代金の代わりに受ける依頼で、貴族の元へ嫌々通う内に入り口を守る衛兵を籠絡し、そこの屋敷を出入りする問屋の目に止まってデザートからの餌付け、高級菓子店からの献上品。ルークが味を占めて強請り、店まで行けばそこの客の婦人達から可愛がられユーリは胡散臭そうな目で見られ、ああはいはい。
 驚くくらいにすんなりと、いいやそこどけそこどけと無理矢理周囲に場所を空けさせ収まってしまう、乱暴なやり方なのに誰も文句も拳もふるわず可愛がられてしまう。子供は得だな、と言う以上にルークの魅力というものなのかもしれない。

 その盛大に占領している部分が消えてしまえばきっと、自分の腕はすかすかになるのだろうな。ペットレス、そんな風に片付けて思い出に出来ればいいのだが。遠い場所でも笑って過ごし大人になってくれればいい、そんな親みたいな考えに苦笑する。それもこれも、ルークの身の安全という大前提があればの話ではあったが。

「フレンちゃん、もうすぐ帰ってくるってさ」
「もうすぐって何時だよ」
「んー、2・3日中だとは思うよ。詳しいスケジュールは部外秘だからぁ〜」

 その部外秘を一体どこで手に入れてくるんだと聞きたくなったが、まあ何時もの事なので黙っておく。ユーリはくるりと背を向け、結局何も言わず部屋に帰った。レイヴンの視線はこんな時だけ妙に理解的でうるさくない、それが助かるような苛つくような。

 結局は他人事なんだから、いいじゃないか。投げやりな言葉を吐いてみようかと思ったがそんな考えを浮かべる自分に胸がむかむかする、これは駄目だ。ベッドで眠る小さな、全身で保護を必要だと訴えている子供を見て、ユーリは考えた。どうするべきが一番良いか。


 おやつの時間を少し過ぎてルークが起きたので、ユーリは腕を奮ってやった。下のキッチンを借りてケーキやらパフェやら、勿論半分は自分が食べる為でもあるのだが。普段貢がれている菓子の事を棚上げして、けれどルークは呆れながらも嬉しそうに少しだけ食べた。
 それから陽が落ちるまで女将さんの元で手伝いをして、依頼を終え帰ってきたラピードと共に夕食を食べ、風呂も入ってまた二人でベッドに潜る。昼間あった事はまるで禁忌のように触れず、ただ穏やかなふりをして。

「昼間寝たから、全然眠くねーよ」
「そう言うなって、頭から毛布被ってればその内眠くなるさ」
「そんなんですぐ寝れるのはガキだけだっつーの。第一ベッドが狭くて暑苦しい、俺は抱きまくらじゃないからな!」
「何言ってんだ0.5人前のくせして。ルークが抱きまくらだったらとんだ欠陥商品だぞ、うるさくって寝れやしない。ま、冬場に重宝するってのは利点か?」
「俺を湯たんぽ代わりにするな馬鹿! ちくしょうガイみたいな事言いやがって!」
「あ〜あ〜、悪かった悪かった暴れるな。悪かったからもう寝ろ、今日は休んだからその分明日働くんだから」
「サボったのはユーリなのに……」
「家来のサボりは主の監督責任だ、罰として眠くなくても寝る。ほらほら」

 宥めすかしても中々寝ようとしないルークに、仕方がないなとユーリは寝物語の代わりに今まで依頼を受けた話なんぞをしてやる事にした。戦闘や後味の悪いものを省きごく簡潔に、こんな依頼人がこんな理由でこんな依頼をしてきた、その途中でこんな面白い事があったと。
 眠らせなければならないのに、当のルークは面白そうに食い付いてくる。こりゃ作戦失敗だったと反省し、苦笑しながらもせがんでくる強さに負けて話し続けてしまう。
 いい加減そろそろ話のネタが無くなり逆に自分がうとうとしてきた頃ようやく、腕の中からすぅすぅと穏やかな寝息。癖なのだろう、体を丸め縮こまって眠る背中をゆっくり撫で擦る。
 どんな結果になるにせよ、こうやってやれるのもあと僅かかもしれない。むしろ惜しんでいるのは自分だ、だから思う存分撫でている。色々考えた末に浮かんだものを少しだけ忘れ、この温度に浸った。




*****

 朝の早い、窓から差す光がまだ鈍い頃。そっと雁字搦めの腕を起こさぬよう抜け出し、ルークはベッドから下りた。膝に貼った絆創膏を剥がせば肌に跡は無く、昨日の事が嘘のような幻想を一瞬抱く。けれどもう限界だ、そもそもが無理だったと言うのに。硬い床はひんやり冷たく、今からの行動をまるで叱っているようだ。後ろ髪は引かれるが、グズグズしていられない。自分こそを奮い立たせ、暖かい世界から離れる決意をする。
 傍で寝ていたラピードが気付き立ち上がろうとするが、それにしぃ、と人差し指を立てて制した。青い毛並みを愛しげに撫で、最後の別れにぎゅっと抱き締める。

「ラピード、今までありがとな」

 犬だけれどまるで人間のように空気を読むラピードは本当に賢い、ユーリが相棒だと言うだけの事はあると思う。この部屋に居座ってからルークは、今まで話だけだった外の世界を沢山楽しんだ。驚くくらい人が居てそれぞれ暮らし、色んな考えで生きている。国は違うけれどまるで実家のように沢山優しくしてもらい、嬉しかった。
 ルークは靴を履き、ベッドで背中を向けて眠っている紫黒をじっと見つめる。靴も服も自分で着れるようになったし、お風呂だってもう平気だ。最初モノ知らずであれだけ呆れられたその殆どを、今では一人で出来るようになったのはユーリのお陰。
 家では絶対されないような言葉使いと、ちょっとだけ乱暴に掻き混ぜる頭を撫でてくる手の平。ルークにはそれがとても新鮮で嬉しくて、楽しかった。だから、最後に礼をきちんと言わないと。されて嬉しかったら、ちゃんとありがとうって言うんだぞ? と金髪碧眼の彼の教育が浮かんでくる。
 ちゃんと言わないと駄目なのに言えない状況が悲しい。小さな小さな届けない声で、ルークは囁くように言った。

「ユーリ、ごめんなさい、ありがとう。俺の事……忘れていいから」

 起きてこない事を確かめ、ルークは音を立てずにそっと部屋を出た。小さな体に相応しい小さな影は、名残も落とさず去っていく。一人分ぽっかり居なくなったと言うのに、まるでそれが普通なんだと言わんばかりに世界は静かだ。鳴いているのは鳥の声くらいで、違和感も無く。心配そうに扉を掻くラピードの爪音がカリカリと響き、ウロウロと歩きまわる。
 何時も無駄に察しのいいユーリは昨夜長らくベッドでした寝物語の影響か、起きてこない。無理にでも起こすべきか、いいや今すぐ追い駆けねばあの小さな後ろ姿はすぐに見えなくなってしまうかも。ピクリともしない紫黒の頭を睨んでは、もしやユーリはルークを見捨てるつもりで起きてこないのか? そんな事ある訳がない、けれど当の本人はベッドの中で静かなまま。
 去る者は追わず、このまま静かに消えていく空気に任せて終わっていく。そんな結末を受け入れるのか、はたして。






  


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