anti, World denied








 ぎゃんぎゃんと、兄弟なのか親子なのかよく分からない喧嘩を大声で。その光景ももう店内では慣れたもの、注目を集める事すら無くなってしまった。どうせもうすぐしたら沈下する、関わるだけ不毛だというのが共通認識。ギルドメンバー達もじゃあそろそろ行こうか? と言って立ち上がる。

「いやー一気に所帯染みて。一部では狼と呼ばれたあの青年がねぇ……プッククク……」
「レイヴン、すっごいいい笑顔だね……」
「ほらほらいつまでもじゃれてないで、もう時間よ、行きましょう?」

 ジュディスが手を鳴らせば何時も通り、ここで終わりだ。ユーリはルークのほっぺたを両側からサンドする刑の執行を中断し手を離す。するとルークは慌ててぴゅーっと逃げ出し、カロルの背中に隠れる。このメンバーの中でカロルを選ぶとは、中々大変に良い千里眼を持っているようだ。

 遊んでないで行くか、とユーリも立ち上がろうとした時ふと、テーブルに並ぶ食後の皿達を目にとめてしまう。それらは全て空なので、逆に忘れ物のカラフルさがぽつんと残っており目立っていた。さっきまで食べていた苺のクレープ皿はユーリの介錯で見事空なのに、その皿は少し横にずらしてあたかも自分の皿ではありませんと偽装している所がまた小狡い。
 ユーリは一口大にカットされたニンジンを一摘み、ぱくりと食べて振り返れば朱金がさっと顔を逸らす。自分が残していると分かっていてあの態度、あざとい。皿に残っているニンジンを始末していき、最後の一口分だけをフォークに刺し、バレバレである犯人の背後に回り込んだ。

「こら、お前またニンジン残しやがって」
「し、知らない。俺の皿のじゃない」

 お子様用として星形に特別カットされたニンジンを前に、まだそんな事を言うとは。ユーリは最後の一つくらいは食え、と口元にやるがルークは精一杯顔を背け抵抗する。片頬をむぎゅーっと伸ばし口を開けさせようとしても、カロルの背中に強くへばり付く。引っ張られ引き摺られ、哀れなリーダーは苦笑しながら困っていた。
 ルークは譲らない時は絶対何があっても譲らないので、こういう時は本当に面倒臭い。一度外で残した時、食べるまで帰らないと脅し待てば陽が暮れた時は呆れたものだ。終いには周囲を味方に付け、なあなあで許してもらおうとするのだから始末が悪い。

「この前の時は頑張って食べたじゃねーか、なんで今日は予定に無かったクレープまで食ったくせに残してんだ」
「あれは、だってユーリが作ったやつだから……」
「お前ニンジン収穫手伝って、作る苦労ちゃんと知っただろ? このニンジンだってあの時のお前と同じくらい頑張って育てた奴が居るんだぞ?」
「うう、それはその……」
「ねえ、僕の背中でやるのやめてくれないかな……ねえ……」
「あーあ、青年の説教モードが入っちゃたよ」

 レイヴンが茶化してくるが、ユーリは最低限このニンジンを口に突っ込むまでは引かない覚悟である。毎回許していてはそれが習慣になってしまう、好き嫌いが悪いと言ってるのではなく、最初から食べる意思すらないのが問題と言っているのだ。
 ルークは理由を聞けばきちんと納得し受け入れる事が出来る子供だ、なのに食に関しては時々枠を外れて嫌がる。アレルギーだとか受け付けないだとか、何か理由があるのならば分かるが特にそう言った事はなく、本当にただの好き嫌いなのだ。頑張れば食べれる、でも頑張らない。そういう所がなんというか、食事という回数の多い事だけにユーリは溜息を吐く。

「他の事じゃ滅多にしないくせに、あの子の事となると長いのよね。おじさま、なんとか上手く切り上げてくださらない?」
「ええっ? ……も〜しょうがないなぁ、本当に青年ってばキャラ忘れて育児熱心になっちゃってからに」

 ジュディスにお願いされ、レイヴンは渋々ながらに二人の間に立つ。少し熱が入りすぎてピリピリしている空間をわざと壊すように、茶化した空気を持ちだそうとするがあまり効果はないようだ。

「ま、ま、お二人共そう喧々せず!」
「甘やかすとこいつの為にならねぇ、おっさんは黙ってろ」
「レイヴン〜……」

 ユーリは教育ママよろしく目を吊り上げ、ルークは可哀想なポーズをして縋る。その割に表情が反抗的なので、しっかりバレているのだが。ユーリはひょいと抱き上げ席に着かせ、ニンジンを刺したフォークを握らせる。後はこれだけ、ぱくりとやればお終いという舞台をセッティングした。

「ほら、一口でいいから食え。ぱくっとやってごくんしちまえば終わりだろ?」
「……」

 むー、とルークは半眼で眉は逆ハの字、口は大きくへの字を頑なに描いている。そのあまりの意固地さに、ユーリは呆れてここまでくれば逆に天晴だとも思えてきた。子供の好き嫌いに大人げない、とは思うが他の事は聞くのにどうして食べ物にはこれ程頑固なのだと問い質したい。
 段々と周囲の視線が痛くなってくるが、そうやって何度も見逃してきた結果がこれだ、たった一口なのだから今日は退くまいとユーリも少し意地になる。ここはルークの家のように何でも思い通り許してもらえる場所ではないぞ、とそんな事を言ってしまわないだけでもまだ理性的だと思ってもらいたい。

 そんな様子の二人をなんとかしやがれと、周囲からの無言の圧力でとばっちり受けているレイヴンが場をとりなす。おちゃらけた普段の空気をそのままに、けれど妙に説得力のある言葉で。それは生きてきた年数分の貫禄を感じさせる、年上の作法だった。

「子供の好き嫌いは味覚の関係もあるんだから、あんまり叱ってやんなよ、ね?」
「オレもあんまりうるさく言いたくねーんだけど、ルークの好き嫌いは酷いからな……」
「それもわかるけど、少なくとも外でやりなさんな、みっともないっしょ」
「……わかったよ」
「ルー君も、嫌いな食べ物あるのはわかるけど、残して当然って考えちゃ駄目よ? それ作った人も料理してる人も、嫌いって言われて捨てられたら悲しいでしょ?」
「……ん」

 分かりやすく簡潔に、頭ごなしに駄目だと言わずやんわりと、けれど強制力を感じさせる。何時もはレイヴンが茶化しユーリが一歩退いて場を見るという図式だが、ルークの件になるとその立場がどうにも逆転する事が多い。
 それがちょっとばかり踏み込み過ぎていると言われているようで、ユーリは自分に対しても嫌になる。目の前の子供は頭をしょんぼりと下げ、手に持つフォークを震わせているのだから特に。レイヴンは胡散臭い笑顔で笑い、ルークの頭を撫でて顔を上げさせる。

「ほら、ニンジンさんとユーリにごめんなさいしよっか。ルー君は子供じゃないから、ちゃんと言えるよね?」
「……ごめんなさい」
「オレも悪かった、ちとしつこく言い過ぎたな」

 小さな声とそんな顔で言われては、ユーリも謝るしかない。ルークの好き嫌いは今に始まった事じゃない、それを外で言及するには体裁が悪すぎるのも事実。促されたとは言え珍しく先にごめんなさいが出たので、ユーリも詫びて朱色の旋毛を撫でた。
 ルークは恐る恐る星形の先っぽを齧りだし、もぐもぐ食べ始める。目元が少し潤んでいるので、食べ終えたら思い切り褒めてやろうと思った。

 見事に場を収めて、辺りに張られていた緊張の糸が解ける。はらはら見守っていたウエイトレスが硬そうなトレイを握りしめていたので、後少し遅かったらそれはユーリの頭に直撃していたかもしれない。こういう場合は例え大人側が正しくても子供に味方が付くのが世の常識なのである、危なかった。
 レイヴンの手腕にメンバーの二人はぱちぱちと拍手し、滅多にない絶賛を送った。

「レイヴン、かっこいいー」
「素敵よ、おじさま」

 カロルはともかくジュディスに褒められ、レイヴンは折角の空気をでれでれと崩す。あのまま謙虚にいけばもっと評価を上げられるのに、この男は自らプラス分を差し引きマイナスにする事を忘れない。

「いんやー滲み出る経験って言うの? デキる男は怒らないのよね、もうこれはしょうがないよね! ユーリもおっさんに憧れてもいいんだぞっ」
「……あんまり簡単に褒めんなよ、すぐ調子乗るからな」
「あはは、ごめんつい」

 ユーリは収めてもらったのは有難いが、こうやって簡単に鼻を伸ばす所に辟易する。おまけに言うとそれがまた、態とらしく見えないよう態としているレイヴンの性質なので別の意味で質が悪い。彼は表の顔を幾重にも巻いて、滅多に……いや全くと言っていい程見せないのだから感心してしまう。
 レイヴンはくるくると踊り、ニンジンを頑張って食べているルークにいらないエールを贈る。しかしそのせいで、また別の問題を勃発させてしまった。

「ルー君もね、好き嫌いせずなんでもいーっぱい食べなきゃおっさんみたいに大きくなれないよ〜っ」
「あ、馬鹿っ……!」

 するとユーリが止める間もなく途端に、ルークの様子が激変する。半分になった橙色の星形は残りを口に入れる事なく、フォークごと放り投げられ空を舞いべちん! とレイヴンの顔面にクリーンヒットした。先端にはニンジンが刺さっていたとはいえ、危険すぎる。

「ルーク!」

 その行動にユーリは叱り飛ばすが、ルークの表情はそれ以上に燃え広がっていた。すぐに椅子から飛び降り、店の出入口に向かって駆け出す。こういう時だけ機敏で素早い動きにユーリの手は間に合わなく、空を掻くだけ。
 一人店から飛び出そうとするルークの前に、ラピードが先回りして塞ぐ。しかしルークはその背中を勢いに任せて飛び越えてしまい、周囲からの制止の声を振りきって外へ消えていった。

「ラピード追え! 絶対に逃すな!」

 ユーリが叫べばラピードは直ぐ様駆けて行き、入ってきた数人を蹴飛ばして出て行く。ユーリは剣紐を握って蹴りだし、急いでその後を追った。まるで一陣の風の如き早さで、後に残された側はぽかんとするだけ。

 レイヴンは床に落ちたフォークを拾い、困惑している。自分の言葉でルークが飛び出したのはギリギリ分かるが、あれの一体何がどう引っ掛かったのか分からない。折角場を収めたというのになんだか後味が悪い空間に取り残され、あまり驚いていない様子のカロル達に尋ねる。

「……どゆこと?」
「ルークにあの言葉、厳禁なんだ」
「あの言葉って何さ、おっさん酷い事言ったっけ?」
「大きくなれないぞ、ってやつ? 前もルーク、魚を残してユーリと喧嘩してた時、言われた途端ああやって飛び出しちゃったんだ」
「なにそれ? 普通子供って早く大きくなりたいって思うもんじゃないのさ?」
「僕もそう思うけど……ルークはすごく怒り出すんだ、理由は絶対言わないんだけど」
「意思が硬いっていうのも、考えものかしらね」




***

 ラピードの青い毛皮を追い駆け走るが、その足は商店街の屋台通りに向かう。ルークの小さな体は人波を縫いめちゃくちゃに進んでいるらしく、昼時という事もあってユーリは中々追いつけない。肩が何度もぶつかり罵声が飛んでくるが、謝罪している余裕なんて無かった。
 必死で追い駆けてもこの人混みの中で、子供の姿なんて簡単に見えなくなってしまう。食べ物の匂いに撒かれてラピードも追えなくなったのか、クゥンとユーリの元に戻ってきた。

「あいつはここらの地理には詳しくない、多分滅茶苦茶に動いてるだけだ。ラピード、ちときついがなんとか追っかけてくれ」
「ワン!」

 無茶な頼みであるがここで見失ってしまうと後が大変なのだ、どうせ一人でおろおろするくせにあの子供は後先考えない。人波をかき分けて匂いを辿るラピードを見送り、ユーリは裏路地を中心に走りだした。

 前も下町の住民全員で探しまわり、見つかった時に必死でしがみついて来た。体を冷たくして震わせていたのに、泣きもせず無言で背中に張り付くのだ。それで一晩経てばケロリとした顔で、迷子になんてなってないと言い張る。
 ルークが迷子になると責任問題はユーリに飛び火する、自分から手を離してウロチョロするくせに。そりゃ保護を決めた訳だし子供はじっとしていないのだから見ていろと言われるのは分かるが、言ってもルーク本人が聞かないのだから根本的解決にならない。

 今更、本当に今更ながらどうして自分が見知らぬ他人の子供の為に、こんなに必死にならなくてはならないのか。ユーリはここ最近の心労と苦労はほぼ100%の純度でルークのせいだと言える現状に、些かうんざりしてきている。
 せめてもう少し聞き分けのいい、ありがとうと感謝の言葉が言える子供ならばまだ違っていただろう。ルークの口からそんな礼を聞いた覚えなんて全く無いのに、仕事を増やして貴族からの依頼を受けてまで、どうしてそこまでしなくてはならないのか。
 確かに偶然とは言え最初にルークを見つけたのは自分だが、騎士団に行く事を何度も薦めた。おまけにここで弟を待つ、と言うのはルーク独断の都合ではないか。家のゴタゴタがあるんだとして、それを口にせず黙ったまま世話にだけなり続けようという根性はどうなのだ。
 全くルークの家の教育はどうなっていやがる。特にガイとやら、聞いていると甘やかし過ぎだ! こいつのお陰でどれだけ要求がエスカレートしたか、一言文句を言ってやらなければ気が済まないくらいだ。一から十まで従者が手取り足取りやってしまい、それが当然になっている環境も問題じゃないのか? そんな育て方をしているから貴族ってやつは、そう蔑まれるのは当のルークだと言うのに。

 ユーリはつらつらと心の中でこれまでの不満を爆発させ挙げ連ねるが、全速力で走る足は決して止まらなかった。何やってんだオレは、あんな子供どうでもいいだろうが。そう本心から言ってしまえれば、どれだけ楽だろうか。口にすればきっと、自分で吐いた言葉なのにムカッとしてしまうのだろうなという予想が簡単についた。
 あんな子供、可愛い以外に本当に取り柄が無い。好き嫌いは多いし、着替えも一人じゃ出来ないし、すぐ文句言うし、妙に金かかるし。ルークに関わるとつい口煩く言ってしまい、自分の立ち位置を忘れて踏み込んでしまう。それをレイヴンが調子に乗ってからかってくるものだから、良い所が皆無だ。

「ちくしょううるせーそんな事分かってんだよ!」

 ユーリは思わず叫んだ。やっぱり自分で言っているくせに、自分で腹が立った。そりゃルークは面倒臭いけれど、手ずから作ってやれば頑張って食べようとするし、ボロだろうが錦だろうが気にせず着るし、やる事の殆どが初めてらしく楽しそうにやる。驚いたのだがルークは大人顔負けに頭が良く、どこぞの学者の論文だとか政治学論だとか言って、レイヴンを感心させていた。テッドや下町の子供の勉強を見てやったりもするし、菓子や物を貰った時はちゃんと礼を言っているようだ。
 何、って事はオレだけなのか、ありがとうって聞いた覚えが無いのは! やり場のない怒りをエネルギーに、ユーリは足を早める。息が切れてきて、脇腹が痛い気がするが無視した。
 あんにゃろう、見つけたら罰としてぐるぐるぶん回しの刑だからな。ぐるぐるぶん回しの刑とは文字通り、両手だけを掴み自分を支点にしてぐるぐるっと大回転するのだ。抱っこして回転する訳じゃない所がミソで、カラフルに混ざる朱金から密かに回転コマと命名している。
 これをやるとルークは大変喜び、目をぐるぐる回して足はふらふらになり、転けるのを恐れてユーリに抱きついてくる。その隙を突いてほっぺたを思う存分ぷにぷにしまくってやるのだ、この前やりすぎて頬がりんごのように真っ赤になってしまい女将さんに怒られた記憶も新しい。周りに見つかるとルークの肩が抜けそうだから止めろ、と必ず止められるので封印していた遊びだ。

 そんな風に計画を立てているユーリの耳に、ラピードの遠吠えが響く。足を止めてそれをじっと聞き、どの辺りからか集中して探す。それ程遠くからではない、ここの地区からだ。続いて短い吠えが届き、すぐにそちらへ向かって走りだす。
 ラピードが吠える、という事は緊急事態。ユーリはケースを狙ったアサシンを思い出し、この路地裏で襲撃に適しているポイントを必死に考えながら走った。


 大通りから随分離れた裏道、四方を住宅ではない建物に囲まれた少しだけ開けたスペース、遠い視線の先でラピードと黒い服を着た男が対峙しているのが見えた。そこでへたり込みながら、唸るラピードを抱き締めているルークの怯えた表情が見えた瞬間、ユーリの体はスピードを上げる。
 風のように駆け数歩前で跳び、勢いのまま思い切り殴りつければ男は横っ飛びに吹っ飛ぶ。狭い場所なので壁にバン! とひび割れる程ぶつかり、その衝撃の強さを知らせる。
 ユーリは庇うように真ん前に仁王立ち、鞘を投げ捨て剣を握った。後ろから小さく震えた声が掠れながら自分の名前を呼ぶので、猛烈に答えてやりたいが燃え盛る怒りで我慢する。男から一時も視線を外さず、一挙一動に注視した。

「丁度いいじゃねーか、どこから雇われたのかじっくり聞かせてもらうぜ」

 抑えつけない怒りは声にはっきりと出て、静かな迫力を呼ぶ。今ならば誰が相手でも叩き伏せられそうだ、そんな昂ぶりを感じている。それが相手にも伝わったのか、黒装束に身を包んだ相手はすぐに足を退いて逃げていく。
 ユーリは後を追うつもりでいたが、ワン! と後ろから制止の声が飛んでハッとする。相手が一人とは限らない、罠の危険を潜ってまで追い駆ける利点は少ないだろう。あっという間に見えなくなった細路地の影を憎々しく見つめ、ユーリは鞘を拾い収めた。
 最初に襲ってきたアサシンと服の系統は似ていたが、同じ組織だったのだろうか。今までずっと静かに機会を窺い、ルークが一人になったのを見計らって出てきたと。ならこれまでもおそらく、危険な場面は数回あったのだろう。殆どの場合、大勢の人間で大捜索をしてすぐに見つけていたのが功を奏していたと考えられる。

 少し考えていると、足元を引っ張られる感覚。見てみればルークが、眉を弱々しく落とし必死の形相で見上げている。腰が抜けたのか立ち上がらず、半ズボンから見えている膝小僧が赤く滲んでいた。裏路地で転けたのだろう擦り傷を作り靴下まで泥まみれに、翡翠は緩んでるのに決して泣こうとせず、口元をぶるぶる戦慄かせているだけ。
 頭の中では、ルークの口から何か出てくるのを待つべきだと考える。二度目の襲撃はルーク自身が狙われている事実と、その危険性をはっきりさせた。このまま希望通り弟を待っていては、その内周囲にも危害が及ぶかもしれない。つまりこれで本当に、厄介者だと証明してしまったのだ。それでもまだルークは自分の正体や事情を語らないのか、試すべきだろう。
 もし言わないのならば、フレンと連絡をつけて正式に国家問題にするべきだ。何時迄もこのギルド一個人で扱っていていい問題じゃない。レイヴンはまだ何も言ってこないが、あれから結構経っているのだ、恐らく身元の調べはついているはず。

 だから、ルークの言葉次第でこれで本当に終わりだ。奇妙なごっこ遊びも、じゃれあいのような喧嘩も。そう思っているのに、ユーリの取った行動は自分を裏切っていた。しゃがみ込んでルークの小さな体を、目一杯抱き締める。さらさらした朱金があふれる肩に頬をすり寄せ、片手一本で覆えてしまえる背中の震えを静めてやりたくてゆっくりと擦った。膝からの血が服に付着する事も厭わず、蓋をするように覆い抱く。
 ルークの方からも一生懸命身を寄せ、指先が真っ白になるくらい強く服を掴み引き寄せる。肩から止まらない震えで揺れ、ぐす、と鼻をすする音。そして耳元で小さく、本当に小さく囁く。

「……ごめん、ごめんなさい」

 悲しそうな響きは切なく、そんな事構うもんかと言いたくなる、けれどユーリは言わなかった。走っていた最中に考えていた不満も面倒だと思った事実も、ルークを見ると全て吹っ飛んでしまったと言うのに。可愛さだけで情に溺れたとは思っていない、そんな簡単に自分は変わらない。そうじゃなく、ただ正反対に……可哀想な子供だと思ってしまったのだ。

 賢そうなのにそれを制限されている環境に身を置き、命すら疎まれているだなんて。隠しきれていない子供の感情を勝手に察して決め付け、ならばせめてここに置いている間くらいは子供らしく自由にさせてやろうと真意も聞かず。
 綺麗事の上澄みみたいな思い付きでルークの世話をしている今までに気が付き、ユーリはそんな同情を感じた自分を何様のつもりだと罵倒した。結局は犬猫のようにペットのつもりで可愛いから、他にきちんと居場所がある事を知っているくせに手元に置きたくて言い訳しているだけじゃないか。ルーク自身ここに身を置くので都合が良い、だからそれに自分の都合も乗せている、だのに面倒だなんだと文句を零す。
 ルークだって自分の事を打ち明けないのだからお相子だと、自分の為に勝手な天秤でバランスを取って納得していた。踏み込むまいと聞かずに置いたのはユーリ自身、だからルークも口にしないのは当然の事じゃないか、それに苛つくなんて。
 お互いの都合で見て見ぬふりをしながら続けていたごっこ遊びを、結局は壊れても仕方がないと感じている無責任さを抱えている。どうせルークだって家に帰ればこんな僅かな間の事、すぐに忘れてしまうに決っている、貴族なんてそんなものだ。そんな結末になる事を期待して、そして恐れていた。
 自分勝手で無責任なのはそれこそ同じなのに、一方だけが責めるなんて出来やしない。だからルークがごめんなさいと、置いているだけで迷惑を被る事を謝る必要なんてどこにも無いのだ。むしろすまないと言いたいのは自分だったけれど、それを言葉にすると余計にルークはごめんと言う気がしている。
 だからユーリは代わりに、ただぎゅっと抱き締めた。両手いっぱい使って、小さな体を掻き抱く。大人の誤魔化した言い訳が伝わらないよう、けれど心配しているんだと伝わるように。ルークには言葉にするよりも行動の方が響く、だからこの想いが届くと願って。






  


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