ぎゃんぎゃんと、兄弟なのか親子なのかよく分からない喧嘩を大声で。その光景ももう店内では慣れたもの、注目を集める事すら無くなってしまった。どうせもうすぐしたら沈下する、関わるだけ不毛だというのが共通認識。ギルドメンバー達もじゃあそろそろ行こうか? と言って立ち上がる。
「いやー一気に所帯染みて。一部では狼と呼ばれたあの青年がねぇ……プッククク……」 ジュディスが手を鳴らせば何時も通り、ここで終わりだ。ユーリはルークのほっぺたを両側からサンドする刑の執行を中断し手を離す。するとルークは慌ててぴゅーっと逃げ出し、カロルの背中に隠れる。このメンバーの中でカロルを選ぶとは、中々大変に良い千里眼を持っているようだ。
遊んでないで行くか、とユーリも立ち上がろうとした時ふと、テーブルに並ぶ食後の皿達を目にとめてしまう。それらは全て空なので、逆に忘れ物のカラフルさがぽつんと残っており目立っていた。さっきまで食べていた苺のクレープ皿はユーリの介錯で見事空なのに、その皿は少し横にずらしてあたかも自分の皿ではありませんと偽装している所がまた小狡い。
「こら、お前またニンジン残しやがって」
お子様用として星形に特別カットされたニンジンを前に、まだそんな事を言うとは。ユーリは最後の一つくらいは食え、と口元にやるがルークは精一杯顔を背け抵抗する。片頬をむぎゅーっと伸ばし口を開けさせようとしても、カロルの背中に強くへばり付く。引っ張られ引き摺られ、哀れなリーダーは苦笑しながら困っていた。
「この前の時は頑張って食べたじゃねーか、なんで今日は予定に無かったクレープまで食ったくせに残してんだ」
レイヴンが茶化してくるが、ユーリは最低限このニンジンを口に突っ込むまでは引かない覚悟である。毎回許していてはそれが習慣になってしまう、好き嫌いが悪いと言ってるのではなく、最初から食べる意思すらないのが問題と言っているのだ。
「他の事じゃ滅多にしないくせに、あの子の事となると長いのよね。おじさま、なんとか上手く切り上げてくださらない?」 ジュディスにお願いされ、レイヴンは渋々ながらに二人の間に立つ。少し熱が入りすぎてピリピリしている空間をわざと壊すように、茶化した空気を持ちだそうとするがあまり効果はないようだ。
「ま、ま、お二人共そう喧々せず!」 ユーリは教育ママよろしく目を吊り上げ、ルークは可哀想なポーズをして縋る。その割に表情が反抗的なので、しっかりバレているのだが。ユーリはひょいと抱き上げ席に着かせ、ニンジンを刺したフォークを握らせる。後はこれだけ、ぱくりとやればお終いという舞台をセッティングした。
「ほら、一口でいいから食え。ぱくっとやってごくんしちまえば終わりだろ?」
むー、とルークは半眼で眉は逆ハの字、口は大きくへの字を頑なに描いている。そのあまりの意固地さに、ユーリは呆れてここまでくれば逆に天晴だとも思えてきた。子供の好き嫌いに大人げない、とは思うが他の事は聞くのにどうして食べ物にはこれ程頑固なのだと問い質したい。 そんな様子の二人をなんとかしやがれと、周囲からの無言の圧力でとばっちり受けているレイヴンが場をとりなす。おちゃらけた普段の空気をそのままに、けれど妙に説得力のある言葉で。それは生きてきた年数分の貫禄を感じさせる、年上の作法だった。
「子供の好き嫌いは味覚の関係もあるんだから、あんまり叱ってやんなよ、ね?」
分かりやすく簡潔に、頭ごなしに駄目だと言わずやんわりと、けれど強制力を感じさせる。何時もはレイヴンが茶化しユーリが一歩退いて場を見るという図式だが、ルークの件になるとその立場がどうにも逆転する事が多い。
「ほら、ニンジンさんとユーリにごめんなさいしよっか。ルー君は子供じゃないから、ちゃんと言えるよね?」
小さな声とそんな顔で言われては、ユーリも謝るしかない。ルークの好き嫌いは今に始まった事じゃない、それを外で言及するには体裁が悪すぎるのも事実。促されたとは言え珍しく先にごめんなさいが出たので、ユーリも詫びて朱色の旋毛を撫でた。
見事に場を収めて、辺りに張られていた緊張の糸が解ける。はらはら見守っていたウエイトレスが硬そうなトレイを握りしめていたので、後少し遅かったらそれはユーリの頭に直撃していたかもしれない。こういう場合は例え大人側が正しくても子供に味方が付くのが世の常識なのである、危なかった。
「レイヴン、かっこいいー」 カロルはともかくジュディスに褒められ、レイヴンは折角の空気をでれでれと崩す。あのまま謙虚にいけばもっと評価を上げられるのに、この男は自らプラス分を差し引きマイナスにする事を忘れない。
「いんやー滲み出る経験って言うの? デキる男は怒らないのよね、もうこれはしょうがないよね! ユーリもおっさんに憧れてもいいんだぞっ」
ユーリは収めてもらったのは有難いが、こうやって簡単に鼻を伸ばす所に辟易する。おまけに言うとそれがまた、態とらしく見えないよう態としているレイヴンの性質なので別の意味で質が悪い。彼は表の顔を幾重にも巻いて、滅多に……いや全くと言っていい程見せないのだから感心してしまう。
「ルー君もね、好き嫌いせずなんでもいーっぱい食べなきゃおっさんみたいに大きくなれないよ〜っ」 するとユーリが止める間もなく途端に、ルークの様子が激変する。半分になった橙色の星形は残りを口に入れる事なく、フォークごと放り投げられ空を舞いべちん! とレイヴンの顔面にクリーンヒットした。先端にはニンジンが刺さっていたとはいえ、危険すぎる。 「ルーク!」
その行動にユーリは叱り飛ばすが、ルークの表情はそれ以上に燃え広がっていた。すぐに椅子から飛び降り、店の出入口に向かって駆け出す。こういう時だけ機敏で素早い動きにユーリの手は間に合わなく、空を掻くだけ。 「ラピード追え! 絶対に逃すな!」 ユーリが叫べばラピードは直ぐ様駆けて行き、入ってきた数人を蹴飛ばして出て行く。ユーリは剣紐を握って蹴りだし、急いでその後を追った。まるで一陣の風の如き早さで、後に残された側はぽかんとするだけ。 レイヴンは床に落ちたフォークを拾い、困惑している。自分の言葉でルークが飛び出したのはギリギリ分かるが、あれの一体何がどう引っ掛かったのか分からない。折角場を収めたというのになんだか後味が悪い空間に取り残され、あまり驚いていない様子のカロル達に尋ねる。
「……どゆこと?」 ***
ラピードの青い毛皮を追い駆け走るが、その足は商店街の屋台通りに向かう。ルークの小さな体は人波を縫いめちゃくちゃに進んでいるらしく、昼時という事もあってユーリは中々追いつけない。肩が何度もぶつかり罵声が飛んでくるが、謝罪している余裕なんて無かった。
「あいつはここらの地理には詳しくない、多分滅茶苦茶に動いてるだけだ。ラピード、ちときついがなんとか追っかけてくれ」 無茶な頼みであるがここで見失ってしまうと後が大変なのだ、どうせ一人でおろおろするくせにあの子供は後先考えない。人波をかき分けて匂いを辿るラピードを見送り、ユーリは裏路地を中心に走りだした。
前も下町の住民全員で探しまわり、見つかった時に必死でしがみついて来た。体を冷たくして震わせていたのに、泣きもせず無言で背中に張り付くのだ。それで一晩経てばケロリとした顔で、迷子になんてなってないと言い張る。
今更、本当に今更ながらどうして自分が見知らぬ他人の子供の為に、こんなに必死にならなくてはならないのか。ユーリはここ最近の心労と苦労はほぼ100%の純度でルークのせいだと言える現状に、些かうんざりしてきている。
ユーリはつらつらと心の中でこれまでの不満を爆発させ挙げ連ねるが、全速力で走る足は決して止まらなかった。何やってんだオレは、あんな子供どうでもいいだろうが。そう本心から言ってしまえれば、どれだけ楽だろうか。口にすればきっと、自分で吐いた言葉なのにムカッとしてしまうのだろうなという予想が簡単についた。 「ちくしょううるせーそんな事分かってんだよ!」
ユーリは思わず叫んだ。やっぱり自分で言っているくせに、自分で腹が立った。そりゃルークは面倒臭いけれど、手ずから作ってやれば頑張って食べようとするし、ボロだろうが錦だろうが気にせず着るし、やる事の殆どが初めてらしく楽しそうにやる。驚いたのだがルークは大人顔負けに頭が良く、どこぞの学者の論文だとか政治学論だとか言って、レイヴンを感心させていた。テッドや下町の子供の勉強を見てやったりもするし、菓子や物を貰った時はちゃんと礼を言っているようだ。
そんな風に計画を立てているユーリの耳に、ラピードの遠吠えが響く。足を止めてそれをじっと聞き、どの辺りからか集中して探す。それ程遠くからではない、ここの地区からだ。続いて短い吠えが届き、すぐにそちらへ向かって走りだす。
大通りから随分離れた裏道、四方を住宅ではない建物に囲まれた少しだけ開けたスペース、遠い視線の先でラピードと黒い服を着た男が対峙しているのが見えた。そこでへたり込みながら、唸るラピードを抱き締めているルークの怯えた表情が見えた瞬間、ユーリの体はスピードを上げる。 「丁度いいじゃねーか、どこから雇われたのかじっくり聞かせてもらうぜ」
抑えつけない怒りは声にはっきりと出て、静かな迫力を呼ぶ。今ならば誰が相手でも叩き伏せられそうだ、そんな昂ぶりを感じている。それが相手にも伝わったのか、黒装束に身を包んだ相手はすぐに足を退いて逃げていく。
少し考えていると、足元を引っ張られる感覚。見てみればルークが、眉を弱々しく落とし必死の形相で見上げている。腰が抜けたのか立ち上がらず、半ズボンから見えている膝小僧が赤く滲んでいた。裏路地で転けたのだろう擦り傷を作り靴下まで泥まみれに、翡翠は緩んでるのに決して泣こうとせず、口元をぶるぶる戦慄かせているだけ。
だから、ルークの言葉次第でこれで本当に終わりだ。奇妙なごっこ遊びも、じゃれあいのような喧嘩も。そう思っているのに、ユーリの取った行動は自分を裏切っていた。しゃがみ込んでルークの小さな体を、目一杯抱き締める。さらさらした朱金があふれる肩に頬をすり寄せ、片手一本で覆えてしまえる背中の震えを静めてやりたくてゆっくりと擦った。膝からの血が服に付着する事も厭わず、蓋をするように覆い抱く。 「……ごめん、ごめんなさい」 悲しそうな響きは切なく、そんな事構うもんかと言いたくなる、けれどユーリは言わなかった。走っていた最中に考えていた不満も面倒だと思った事実も、ルークを見ると全て吹っ飛んでしまったと言うのに。可愛さだけで情に溺れたとは思っていない、そんな簡単に自分は変わらない。そうじゃなく、ただ正反対に……可哀想な子供だと思ってしまったのだ。
賢そうなのにそれを制限されている環境に身を置き、命すら疎まれているだなんて。隠しきれていない子供の感情を勝手に察して決め付け、ならばせめてここに置いている間くらいは子供らしく自由にさせてやろうと真意も聞かず。 |