anti, World denied








3

 下町のすぐ上には商業区があり、そこは大体の一般層が住んでいる。雑貨屋や食料品衣類や機械、魔法道具多々累々、工房もあるので一緒くたと言ってもいい。バザーは毎日のように開かれているし、大きな公園だってある。そのもっと上には一握りの貴族達が城の周りに住み、見下ろしている訳だ。と言っても貴族達からすれば貴族以外は全員下民という区分けなので、中央から彼らが下りてくる事は滅多に無い。

 ユーリはルークを連れ、商業地区に構えている飲み屋に赴いた。ガルバンソにはブレイブヴェスペリア以外にもギルドが幾多居り、依頼の窓口としての役目を担っている店が幾つかある。国が運営している正規のギルド館は勿論あるのだが、利用費を徴収されるので無難な依頼人と無難なギルドしか利用しない。安全という信用が最大の利点、と言った所か。
 大きなギルドは正規とそれ以外を利用しているのが殆どで、各ギルドで贔屓の場所があるのがお約束。ブレイブヴェスペリアもそんな一つで、子供ではあるがカロルの事はそれなりに知られているので、問題無く溶け込んでいる。
 それでも昼間から、見目麗しい子供を連れて入ってくる人間は注目されて当然な訳で。ユーリはすぐに、外よりも痛い視線を受けた。酒を扱う場所に子供を連れてくるんじゃない、そんな正論をビシバシと感じる。
 目当ての隅テーブルを見れば、ざわめきに気付いていたジュディスがひらひらと手を振っていた。ラピードを先に行かせ、テーブルに着く。ウエイトレスがすぐにやって来て、ルークににこりと笑顔を振りまいた後ユーリを睨み付けた。飲み物を適当に頼み、追い返す。この調子ではタバスコでも仕込まれそうで怖い。

「ユーリ、その子……どうしたの?」
「ん、レイヴンは言ってないのか」
「おじさまはババを引いたらしい、としか言ってくれなかったわ。その子がジョーカーなのかしら?」

 きょろりと見回すがレイヴンの姿は無い、まだルークの事を調べているのだろうか。カロルは不思議そうにルークを見て、こんな所に連れてきちゃ駄目だよ! と怒っている。ユーリはぽつぽつと、昨日あの後の出来事を話した。そして依頼人にはあの後会ったのか、尋ねればカロルは首を振る。

「連絡先に行ってみたけど、ただの空き家だったよ……」
「最初から、怪しさ爆発してたからなあの依頼」
「ごめん、僕が何も考えず受けたりしたからだね……」
「でもカロルが受けたからこそ、オレはルークを保護出来たんだからよ、いいじゃねーか」
「不幸中の幸いよ、私達も前金として十分もらっているんだからいいと思うわ」

 しょんぼりと落ち込むカロルを、ユーリ達は慰めた。確かに他のギルドはあまりの怪しさ故に手を出さなかったが、あの金額ならば遅かれ早かれどこかが受けていただろう。そこであの襲撃に会うのか、それとも無事受け渡しが済んでしまうのか。どちらも問題なのだから、今回はむしろ犯罪を未然に防げた事を喜ぶべきだ。
 まあ、それから先が今現在ユーリとしてはひっ詰まっている部分なのだが。朝からのレイヴンとルークのやり取りを話し、身元や話を聞けていない事を説明した。

「身元を聞きたいんだけどよ、オレ相手だと警戒してんのかあんまり話してくれねーんだ。って事でカロル先生、任せたいんだけどいいか」
「そうだね、小さい子だとユーリは怖がりそうだもんね。分かった、僕に任せて!」

 依頼の失敗を取り戻そうと、カロルは張り切ってルークの傍に寄る。その際の言葉がちょっとばかり気になるが、ユーリは黙って任せる事にした。振り向けばルークは何時の間にか小さなフルーツ盛りを手にしており、黙々と食べている。大きな苺を一生懸命ほうばり、果汁に苦心している様子を遠くで女性達がきゃーきゃー黄色い声を上げていた。

「こら、お前。何時の間にんなモン食ってんだ。まさか勝手に注文したのか?」
「ちげーよ、あそこの女の人がくれた」
「知らない人から貰うなよ、礼はちゃんとしたか?」
「言ったっつーの、うぜーなっ」

 ムッとした眉は上向きに、なんとも小生意気な言葉。隣のカロルはルークの見た目を裏切る言葉使いにびっくりして、ジュディスは口元を押さえて笑っている。それに呆れて、ユーリはカロルにバトンタッチした。カロルは少し緊張を巡らせ、ルークに挨拶をする。

「えっと、僕カロル・カペルって言うんだ。このギルドの首領をしてるんだよ」
「……首領? リーダーって事か?」
「うん、そうだよ!」
「……子供じゃん。名前だけ貸してんじゃねーの」
「な、そんな訳ないだろ!? それに子供って、君だって子供じゃないかー!」
「俺は子供じゃない! お前の方が子供だろー!」
「どこをどう見ても、君の方が子供だよ! 僕より全然背が低いし、ラピードの背中にずっと乗ってるし!」
「し、身長の事は言うな! お前子供のくせに生意気!」
「生意気なのはそっちじゃないかー!」

 本来カロルはそこいらの同年代よりもよっぽどしっかりして知識も豊富なのだが、ルークと同じ舞台にわざわざ立ち子供のような子供の喧嘩を繰り広げている。レベルを合わせてやっている、と言うよりもあれはただ単にムキになっているだけだ。やっぱり子供は子供同士の方がいいみたいだな、そうユーリは判断して放り投げた。遠くでこの子供の喧嘩を微笑ましそうに、煙たそうに見ている累々達の苦情を後でたっぷりいただきそうである。

「やっほ! 若いエネルギーは見てて眩しいねっ。おっさん浄化されちゃいそうよ」

 タイミングが良いのか悪いのか、レイヴンがやってくる。カロルとルークのやり取りを遠巻きに、本当に眩しそうに見ながら席に着いた。ルークの調べ物を頼んだ手前、それは単に徹夜明けだろうと生易しくフォローしておく。

「よう、なんか分かったか?」
「ん〜、どうでしょって感じ?」
「あら、おじさまの所でも分からないなんて珍しいわね」
「分からない訳じゃないのよん、ちょい時間かかりそーかなって所。こっちが調べるよりも直接聞いた方が早いと思って来たんだけど〜……どう?」
「ルークお坊ちゃん、だとよ。家名までは言ってくれなかった。子供にしては、って言う以上に警戒心があるな」

 いくらアルトスクでも、流石に一晩では分からなかったのか。それが意外な気がしているが、責める気にはなれない。本当ならばルークからの話で、終わってしまう件でもある。そこを聞けていないのだから、お互い様だ。
 レイヴンは顎を擦り、少し考えてから靴は? と聞いてきた。靴、そう聞かれてユーリはルークの裸足を思い出す。そう言えばルークは服装に不似合いに裸足だったのだ。

「あら、靴で何か分かるの?」
「靴は地域で結構作りの差が出るんだよねぇ。北の方なら雪で滑らないよう滑り止めが多かったり、暑い地方ならサンダルだとか。材料に使われる革からでも、生息地域で割り出せるし。デザインも地方でモチーフに特徴があったりね」
「へえ、そうなのか……。って事はだからルーク、靴履いてなかったのか」

 残念ながらルークは最初から履いていなかったと言えば、レイヴンは途端に顔を歪め不穏そうな事を言い出した。

「あらら……んじゃもしかして、相手さんは最初から身代金目的じゃなかったのかも」
「って言うと?」
「最初から買い手が付いてたのか、それとも……。ま、単に偶然脱げたのかも分からんし、一概には言えないんだけど」

 それとも……その続きは、ユーリはあまり考えたくないと思った。身代金目当てでない子供の誘拐なんて、食事が不味くなる話しかない。ガルバンゾは無駄に広く大きな国なので、ギルドなんてやっていれば知りたくもない暗部に触れる事だってある。ブレイブヴェスペリアはカロルがリーダーであるので、ユーリ達が意図的に避けている部分もあるが。
 ルークとは今朝からだが、この短い間だけでも十分変わった子供だと言うのは分かった。子供が背伸びして大人のフリをしている、と言い切ってしまうには首を傾げるくらいには。少なくとも普通の家庭に育った訳ではなさそうなのは、簡単に想像が付いた。

「それで……貴方はどうするのかしら?」
「……取り敢えずこの後フレンに会いに行ってくる」
「フレンちゃん、今遠征で居ないんじゃないの」
「まじかよ? なんで知ってんだ」
「そりゃ国の動きで経済は変わるから、そこらへんは掴んどかないとね」
「例え彼が居たとして、忙しくて会う暇も無いんじゃないかしら?」
「団長さんでしょ〜、今が一番ピリピリしてると思うよ〜」
「やっぱ無理か……。けどよ、オレが騎士団に行って、信用してくれると思うか?」
「無理でしょ。子供を捨てる外道だって言われると思うよ」
「残念だけど、私も同感かしら」
「お前ら……」

 二人の言葉にユーリは自分でも同感だと思いつつ、信用の無さにがっくりと頭を打つ。確かにユーリは今までの態度から、騎士団連中に評判が大変悪い。と言ってもそれはまた一部の話で、別の一部からはそれなりに話せるはずなのだが……。現在星晶問題から勃発している戦禍で騎士団達は救助や遠征等、てんてこ舞いの忙しさだ。恐らくユーリと知り合いの大部分はそちらに周り、国内にはそれ以外の話を聞いてくれないだろう連中ばかりに。
 だが実際ルークは犯罪に巻き込まれてガルバンゾまで来たのだ、それを黙っていればルークの親への連絡が何時まで経っても付かないのではないか。それに事実人身売買・誘拐犯罪は起こったのだから、通報しておかなければ国内でも被害が増えるかもしれない。

「国内ならオレ達ギルドで処理しても、まあギリいいかもしれねぇが……国を跨ぐとなるとそうもいかねーだろ」
「同感だけれど……今の世界情勢、人道だけで通るかしらね?」
「そうさねー。もしかしたらもしかしたで、親が売り飛ばしたのかもしれないよ?」
「おい、んな訳……」
「無いって言い切れないっしょ、親じゃなくとも帝国の侵略を受けて逃げ出した所を捕まった、って可能性もあるし」
「可能性の話してたら終わらねーだろ」

 戦争になれば今までの常識は通用しない、人道だけでは通らない事も多くある。しかしそれを認可するかどうかは、それこそ人道にありけり、だ。ユーリは嫌な可能性ばかり挙げ連ねるレイヴンに肩を竦め、それ以上を切り上げる。
 不快に感じ取った事を感じ取られたのだろう、レイヴンも何時もの顔で笑って終わらせた。そうなると後は結局、これからどう行動するかという話だ。

「んで、青年はどうしたいの」
「そうね、ユーリが見つけたんだから、貴方に選択権があると思うわ」
「つってもよ、オレは単純にさっさと親元に帰してやりたいって思うぜ。大人の都合で振り回されるなんざ、可哀想だろうが」
「まあ、それもそうね。でもあの子……ルークは懐疑的なんでしょう?」
「そうだけどよ……。しゃーねぇ、一度騎士団に行くか。あいつらになら話すかもしれねーしな」
「もっと子供に好かれるように、笑顔を振りまいてみたらどうかしら?」
「そうそう、笑顔は大事よぉ〜」

 レイヴンとジュディスの笑顔を笑顔のまま使っていなさそうな二人にそう言われ、ユーリの口元は習うように歪む。そこまで自分が子供受けが悪いとは、思ってもみなかった。

 一先ずは騎士団、後はそれからと言う事にしてユーリはルークを呼ぶ。しかし返事が返ってこないので振り返って見れば、先程まで喧嘩していたと思っていたが奇妙な変化を迎えている。二人頭を突き合わせて、こそこそ話をしていた。隣のラピードは暇そうに、くあぁと欠伸。

「いい、ルーク。ギルドに入るからには、リーダーの言う事はちゃんと聞いてよね?」
「えー……言う事って、何すんだよ」
「えっと、……嫌いな依頼人だからって、サボったりしない事!」
「仕事なのに好き嫌いでサボるなんてあるのか?」
「だよねー、有り得ないよね!? ルークはそんな事しないよね?」
「任せろー! 俺部屋の片付け上手いって褒められた事ある!」
「掃除の依頼を受ける事はあんまりないけど……。じゃあ、見習いからね」
「見習いって、カッコ悪ぅ……。正式加入は!」
「まだ駄目だよ、ルークは子供なんだから!」
「子供じゃない! カロルの方が子供だろ!」
「だから、ルークの方が全然子供じゃないかー!」

 ……どうやら子供同士、仲良くなったらしい。何やら当て付けをされたような気もするが、藪蛇になりそうなので黙っておく。ユーリは呆れてからルークの首根っこを引っ掴み、ラピードの背中に乗せた。

「遊んでもらうのはまた今度にしとけ。行くぞルーク」
「ユーリ! これは遊びじゃないんだよ!」
「はいはい、リーダーその話はまた今度にしてくれ。今からちょっくら騎士団行ってくるからよ、昨日の依頼人の痕跡、分かる範囲で調べといてくれるか」
「あ……分かったよ」

 昨日の依頼人を直接受けたのはカロルだ、どこの店から回ってきたものか、何時貼り出されたのか。誰もが使える掲示板のような場所だと足取りを追うのは難しい、恐らくあの依頼人の足取りも難しいだろう。正規以外の受付はこういう時に不便なのだ、書面に残す登録ではないので誰もが利用出来て、その分第三者として良いように利用される可能性が常にある。そこを判断するのも、ギルドリーダーの仕事ではあるのだが。
 しかし今回は前述の通り、犯罪を未然に防げたのだから良いとしよう。カロルはまだ未熟な部分はあれど、将来有望であるのは間違いないのだから。


 騎士団の詰め所は基本的に城だ。城内の広い土地内で騎士団員の訓練場も宿場も、何もかもがある。はっきり言うとユーリはその辺りが気に入らない、国の形をとっているくせに城の中だけ守っているのか、一番近い貴族達しか守らないのか。見回りの騎士達は精々中腹の住宅街までだし、一番真下の下町には最初からルートすらない。もっと端のスラムに至っては、見て見ぬふり。
 その辺り、騎士団見習い時期に散々悪態をついた話なのでもう今更言及するつもりはない。何と言っても今はフレンが上に上っている、それを希望とするだけだ。

 自分の心中でそう色々、抑える為に呟くがもうそろそろ緒が切れそうである。騎士団に行く為に坂を上がり貴族街に足を踏み入れている訳だが、先程から悪意の視線しか受けていない。具体的に言えば、足元のルークを見て顔を綻ばせる婦人や紳士達、そしてすぐ隣のユーリを見て不審者……いや誘拐犯じゃないかと今耳に聞こえた。
 分かっていた事だが、下の人間よりもダイレクトだ。この組み合わせがデコとボコ以上にデコボコなのは自覚ある所なので、もう放っておいてもらいたい。今にも手に持つステッキで殴りかかってきそうな紳士達を避け、ユーリは早足で歩く。ラピードの背に乗るルークは予想以上にバランス良く乗りこなしており、多少のスピードでも平気なようだ。

 もう少しで城の入り口だ、そう思っていると丁度そこから騎士が二人出てくる。入り口に立っている騎士に何やら話かけ、はっきりとユーリを指さしていた。そして遠目からでも分かる、罵詈雑言を混ぜたような表情。嫌な予感は十分しているのだが、ここで帰る訳にもいくまい。
 鎧の重そうな足音を鳴らしながら、騎士二人は真っ直ぐユーリの方へ向かってくる。そして手に持つ武器は、しっかり刃を此方側に向けていた。最初っから人に刃物を向けやがって、とユーリも初っ端ムカッとする。
 まだ数歩、遠い地点から騎士が大声を張り上げた。威嚇なのか警告なのか、よく分からないがその言葉の内容でユーリはやっぱりフレンに連絡を取れば良かったと後悔する。

「また貴様かユーリ・ローウェル! 通報があって出てみればよりにもよって幼児誘拐などと……この極悪非道の大罪人がぁ!」
「そういう人道に悖る悪事はしないと思っていたんだがな……許せん限りだ」

 どうやら、貴族街に入った時点で通報が行ったらしい。まあ入り口に立っていた騎士達からも、相当怪しまれていたのは確かなのだが。それにしたって、他の時もこれくらい早く動いてもらいたいものである。
 ユーリは諦めながらも、一応話し合いが通用するか聞いてみた。

「あのさぁ、オレの話を聞く気は……」
「悪人の言い訳など、耳が腐る! 覚悟!」
「牢屋に打ち込まれるだけで済むとは、思わない事だな」
「やっぱりかよ! ラピード逃げるぞ、ルークはしっかり掴まってろよ!」

 流石にルークと城の目の前で、ドンパチやらかす訳にいかない。ユーリはくるりと踵を返して脱兎の如く逃げ出した。ラピードはスピードをゆっくり目に、それでも騎士達には追いつかれない程度に走る。
 貴族街の裏通りを周り、通路を下りて商店街を通り抜け中央通りの人混みに紛れ込む。昼時は食べ物の屋台が盛んで、人が山程行き来するのだ。あのゴツイ鎧を着ている騎士達はここまで辿り着けないだろう。

 はあ……呆れと溜息を同時に吐き、ユーリは前髪をはらう。それにしたって、一言すら交わせなかったとはどういう話だ。頭に血が上るにしても、もうちょっと頭を使ってもらいたい。まあ自分の信用がそれをさせなかったのだろうな、という点も容易に想像は付いたが。
 ではこの後、どうしたものか。そう考えていると、ラピードの背からルークが恐る恐る話しかけてきた。

「……お、お前。大罪人……なのか」

 今まで見せた事のない、恐怖を乗せた色が瞳に広がっている。きゅっとラピードの毛皮を、震えながらもわし掴んでいた。怖いけれど逃げたい、そんな様子。けれどすぐには逃げ出さず、自分から聞いてくるとは。勇気があるんだかないんだか、不思議な子供だ。ユーリは少し考えながら、伝わりやすいように自分の考えを話す。

「お前はオレの事、大罪人だと思うか?」
「わ、分かんない……。でも、俺の事助けてくれた、……んだよな?」
「そうだけど、裏じゃもしかして非道な事してるかもしれないぜ。ルークの事は偶々、気が向いただけだったのかもよ」
「え……。でも、ラピードも、ご飯出してくれた人も、親しそうだったし……。カロルのギルドにも、入ってるんだよな?」
「それもぜーんぶ、表の顔で裏では全然違ってたりな」
「……そ、そんなの俺には分かんねーじゃん! どうしろってんだよ……」

 悲しそうな顔を見せて、ルークは戸惑う。子供に言い聞かせるには難しい事だが、子供だからこそ判断は自分でしなければならない事もある。その中でも、ただ誰かの言葉だから無抵抗に信じる、それはとても危ない事だ。白も黒だと決めてしまえる種類の人間が存在する、このガルバンゾでは特に。
 ユーリはしゃがみ込んでルークと目線を合わせた。大きな瞳は綺麗に澄んでおり、宝石だと言っても遜色ない。けれどその眉が下がり、真ん中へ寄っているものだから途端に可哀想で。きっと大人達はこの顔を見れば、どんな悲しみや苦しみも除いてやりたい誘惑に駆られるだろう。ユーリも瞬間そんな気持ちが湧くが、ぐっと耐え諭すように尋ねる。

「ルークは騎士がオレの事を大罪人って呼んだから、大罪人なのか? って思ったんだよな」
「……うん」
「じゃ聞くけど、騎士がオレは神様なんだって言えば信じるのか?」
「そんな嘘、子供じゃないんだから信じる訳ないだろ!」
「嘘って証拠がどこにあるよ、お前確かめられんの」
「え、んなの確かめるまでも……」
「じゃオレが大罪人ってのは? ルークはオレがどんな犯罪犯したのか、確かめられるか」
「し、知らない」
「神様は信じないのに、罪人なのは信じる余地があるのか。同じ騎士の言葉だぜ?」
「えっと……。神様は人間には無理だけど、犯罪は人間でも起こせるから、かな……」
「……お前頭いいな」

 褒められてルークはほんの少し、えへへと嬉しそうに笑う。その笑顔が初めて子供らしく、やたらと可愛く見えた。奇妙な感心で反撃されてしまい、ユーリは少し考え直す。子供騙しで適当を言おうとした訳ではないが、内情が入りすぎて遠回りになってしまったせいで分かり難かったのだろう。
 実際の所、法で言えばユーリは小さな犯罪記録を連々重ねた小悪党になる。その殆どが騎士達との喧嘩や執行妨害なのだが、どちらにせよ人に言える類ではない。それを下町の人達は罪じゃないと言ってくれるだろうけれど、国の保護を受けている人間ならば罪と言うだろう。ユーリは自分で罪を犯している自覚はあるが、悪い事をしているつもりはない。
 その辺りは難しい話だ、きっと永遠に片付かないだろう。けれどそれを、子供の前でそう言ってしまうのは躊躇われる。分かり合えないから、白黒付けられないから、譲り合えないから。だから手を取り合わないのだ仕方がない事だ、なんて。
 大人になれば嫌でも知ってしまうグレーゾーンを、子供の内から知らしめると言うのはなんだか気分が良くない、……気がしている。これも大人の押し付けだ、と言われればその通りなのだが。ユーリは難しいな、と思いながらも頭を掻く。

「じゃあ言い換えるか。誰かがそうした方が良い、そうすべきだって言うその言葉を、ルークは疑いなく信じるか?」
「……」

 出来るだけ心情や内情を取っ払い、簡潔に言う。これも火のないところに煙は立たない、と言われてしまえば黙るしかないのだが、正義の裏も悪の表も知っている者として単純な2種類を使いたくなかったのでこういう形になった。するとルークの瞳は揺れ、俯いて黙り込む。その反応が少し気になったが、ユーリは続けた。

「多数派が少数派を、数で決めれば世間的にはそりゃ勝つし、正しいって事になる。それ自体は悪い事じゃねーけどな」
「……うん」
「ルークはどう思う、オレを大罪人だって思うか」
「まだ、分かんない」
「オレの事全然知らないもんな、オレもルークの事全然知らねーよ」
「う、うん……」
「んで、だからオレはお前の事知りたいんだけど?」
「え?」
「お前を帰したいと思ってる、家にな。その為にはお前の家の事、知りたいんだけど。……教えてくれるか? もしオレが信用出来ない大罪人だってんなら、さっきの騎士達の所に行くと良い、保護してくれるから」
「……ユーリは、悪い奴……じゃないんだよな?」
「騎士達から見たら、確実に悪い奴だな。国に任せた方が安全っちゃ安全だぜ、衣食住も心配ないし」

 ユーリは敢えて自分をそう評し、ルークの様子を見る。子供の顔は困り果てて、悲しそうに歪む。けれどへの字の口元と、動きそうにない足が投げ出さないと主張していた。その素直さが、子供そのままで喜ばしいと勝手に思い浮かぶ。
 本当は国に任せた方がルークの為ではある。通報の意味でも、恐らく違いすぎるだろう生活レベルの意味でも。しかし色々考えてユーリは面倒半分乗りかかった半分、乗ってもいいかもしれないと思い始めていた。だから最終的に、選択肢をルークへ丸投げしたと言ってもいい。ある意味無責任かもしれないが、どう転んでも親元には帰すつもりなのだから、もうどちらでも構わなかった。恐らく放っておいてもレイヴンは一枚噛んでくるだろうから、連絡の辺りは任せよう。

 ユーリはルークの言葉を待った。時刻は何時の間にか昼を過ぎて、辺りから食べ物屋台の良い匂いが漂ってくる。ラピードの背中に乗りながらぷらぷらさせている小さな素足を目に入れて、一先ず靴を買いに行かないとな……そう考えた頃にルークの口は開いた。

「……帰らない」
「何?」

 ルークはぴょこんとラピードから下り、裸足のまますたすた歩き遠くに見える街門を指差した。ぴゅう、と不意に風が吹き綺麗な朱色がチラチラとばら撒かれる。その毛先が、ほんの少し薄まり金色になっている事にユーリは気付く。まるで端から空に溶けそうな、そんな錯覚を途端に抱かせる。
 くるりと振り向けばその翡翠は濃く光り、決意の色を湛えていた。その姿が、例えて言葉にするのならば高貴。王族の人間には会ったことはないが、きっとこんな王様ならば誰もが喜んで傅くだろう、そんな気にさせる姿だった。

「多分、アッシュが通ると思うんだ」
「……アッシュって誰だ」
「オレの双子の弟で、今継承の旅で師匠とガイとで、世界を回ってんだよ。んで、この国にも寄るはずなんだ」
「継承の旅? お前は?」
「オレは、留守番……。危ないからって、置いてかれた」

 しょんぼりと頭を下げて悲しそうにしているルークの表情で、仲が良い双子なのだろう想像が付く。それにしても双子の片割れは旅に出して、もう片方は家に。それは随分と陰謀の匂いがするな、とユーリは思った。それ以上にこの歳の小さな子供を、親から離して旅? 他人事のように酷なことをする、と言ってしまいそうな口を黙らせる。けれど同時にルークが継承、という言葉を使った事でなんとなく予想出来る範囲ではあるが。

「それって何時になるんだ?」
「……知らない」
「なら先に家に知らせて、迎えにすっ飛んで来てもらえよ」
「帰っても、同じだと思う」
「同じ? 屋敷の警備は?」

 ルークはまたも俯き、朱色の前髪をばらけさせた。隙間から見える唇は尖っており、どこか悲しそうで悔しそうな複雑な表情を見せる。大人でもしなさそうな、そんな入り混じった顔は違和感と同時に相応に見えるのが不思議に感じられた。下がっていく音量は簡単に風にかき消されてしまい、傍に居ても聞こえない。

「どうせまた、攫われると思う。それで今度は……」

 それ以上の続きをルークは言葉にしなかったが、ユーリはレイヴンの言葉を思い出し嫌な気分になった。子供本人がそうなる予感を抱いている、そんな環境に居る事を。けれどそれが本当に事実なのか、この場のユーリには知る手立てが無い。むしろ知る為に、知らなければならない事だ。どちらにせよルークの身元は知っておかなくてはならない。

「俺、ここでアッシュを待つ。家には帰らない」

 帰らない、10もいってなさそうな子供から決めた声色でそう宣言されて、ユーリは一瞬視線を外す。一度瞬きをし、ズバリ聞いた。

「お前、親に捨てられたのか?」
「父上と母上がそんな事する訳ない、……他の奴も、絶対にしない。でも、今は帰らないから」
「なら居なくなって絶対心配してるだろ、せめて連絡くらいは取ってやれ。家に帰るか、ここで避難するかはそれから決めろ。生きてる間は無用な心配かけてんじゃねーよ」
「どこから漏れるかわかんねーから、駄目だ」
「何がどう漏れるってんだ、お前がここに居るって知られちゃ問題なのか?」
「そうじゃないけど、意味ないから」
「この押し問答も、意味ねーだろ」
「…………」

 意味が無い、そんな事を言われても。断言した後黙りこむルークに、ユーリは溜息を吐く。この子供が見た目以上に厄介な問題を抱えているのは、もう十分分かった。これはババを引くどころの話ではない、超弩級なやつだ。かと言って放り出す訳にもいかず、騎士団に投げっぱなすのも気分じゃない。
 どうしたもんだか、ユーリは自分に纏わり付く厄介の種に今更ながら頭を抱えたくなる。この子供を助けるのは良い、どうせ放っておけない事は間違いない。しかし出来ればもう少し、事情を知りたいのは確か。
 さっきからルークは意味深な言葉を使う割に、何一つ説明しようとしない。オレは便利なお助け屋じゃないんだぞ、と大人相手ならば突き放せるのだが、子供にそれをするというのも酷だ。送り返すにしても迎えを待つにしても、明らかに問題の種があって放置するのは座りが悪いし気になる。
 拾ってしまった以上は最低限の自己防衛と準備。保護していたら誘拐犯に間違われて逮捕、だなんて笑えないし、預かっている間に別の……あの時襲撃してきたアサシンを思い出し、物騒な問題が降り掛かってくる事も考えられる。手間取って最悪の事態に、だとかそれこそ目覚めが悪いどころじゃない、後味が悪くなる事にだけはしたくない。自分の為にもルークの為にも、もう少し踏み込む必要がありそうだ。
 じっと見つめてくるルークは、この場から動かない。このままアッシュとやらを待つつもりなのか、少なくとも騎士団に行くつもりは無さそうだ。となると、ユーリが保護し続けるしかない。面倒臭い、と言ってしまいそうな正直者を抑えつけ、離れた距離を縮めて隣にしゃがみ込んだ。

「……弟が来たら、分かるのか?」
「分かる、絶対」
「見逃したりは?」
「絶対絶対しない。すぐに分かる」
「そーかい。んじゃお前は暫くオレの所の居候だ、分かったか?」
「……いいのか?」
「そりゃこっちのセリフだな、ルークは大罪人と一緒に住んで大丈夫なのかよ?」
「ユーリが悪い奴なら、俺も一緒に謝ってやるよ!」
「そりゃ心強い事で。……ほら、靴買いに行ってそれから昼飯だ」

 ぱあ、と笑うルークの表情は一気に子供に見える。嬉しそうにしている反面、裸足のつま先が冷たそうで痛々しい。この子供、どうにもちぐはぐだ。子供の様に不遜なのに、大人のように悟っている。その背景を色々想像巡らせてしまい、見捨てておけない。けれどあちらからは、頑なに口を噤むとは。
 取り敢えずルークは思った以上に意思がしっかりして硬そうだ。言い出したらテコでも動かないだろうし、自分の口から全てを打ち明ける事はしなさそうで。仕方がないので一先ず傍で保護を続け、普段の生活から色々割り出すとしよう。

 そう決めれば、後はなるようになれ。フレンが出来るだけ早く帰ってくる事を願いつつ、レイヴンに頑張ってもらおうと決めた。何はさておき奇妙な共同生活の第一歩として、まず必要なのは靴だな。ユーリは立ち上がりルークをラピードに乗せ、靴を買いに店を探す事にした。
 ほれ、行くぞ。そう言って頭を撫でればさらりと手触りが良い。見下ろせばルークはぶぅ、と何が気に入らないのかまた頬を膨らませている。子供の扱いは慣れていると思っていたのだが、ルークはその経験が通用しなくて困る。だからと言って褒めちぎるのも自分のスタイルではないので、その辺りは適当に折り合いをつけよう。


 食欲をそそる香りをなんとか振り切り、手近な雑貨屋で靴を買った。店の前で早速履かせようと、ルークを抱き上げて下ろす。やっと開放されたラピードはぶるぶると体を震わせ、恨みを乗せてユーリを睨み付けてくる。それに悪かったと言いながら、地面にちょこんと買ったばかりの靴を置く。
 すると目の前のルークは不思議そうな顔で見上げたまま、履こうとしない。それにピンときて同時、ユーリはがっくりと肩を落とす。そうか、自分で靴を履くという発想が無いくらいのお坊ちゃんなのか……。
 保護するのはもう決めたが、どうにも別の意味で嫌な予感がする。ユーリは最初くらいいいか、そう考え靴を履かせてやった。小さく細っこい足で一瞬サイズを心配したが、きちんと丁度良く収まる。それにホッとしてから、全体像を見た。
 買った靴自体はシンプルなデザインの、どこにでも有りそうな物。けれどなんだろうか、いざ履かせて見ればどうにも……とんでもない違和感を見る者に与える。ふと気付き、ユーリはすぐに雑貨屋に戻り靴下を買い履かせた。けれどやはり、違和感は消えない。
 ルークの容姿と服装に靴が見事と言うくらい負けており、足部分だけやたら貧乏臭い。これはまさか……高い靴を買わなければならないのだろうか、と懐を叩く。しかし何度ルークの全体像を見ても足元だけ変で、気持ち悪かった。これならば脱がしたままの方がまだマシだが、裸足というのもやはりまずい。
 ユーリはかなり悩み、自分の懐具合と相談して無視する事に決めた。背に腹は代えられない、本人が全く気にしていない事だけが救いだ。

「ラピードが良い〜……」
「自分で歩けっつの、アッシュを待つんだろ?」
「……うん!」

 足元を見ないふりして、ユーリは手を差し出し指先をぷらぷら揺らす。目の前のルークは大きな瞳を真ん丸に、少しぽかんとして顔と手の平を視線で往復させた。口が無防備に開いていて、子供らしい間抜けな顔にこっそり苦笑する。

「ほら、さっさと帰って昼飯にするぞ」
「え、あ……。なんだよ、お前。こ、子供扱いするんじゃねーぞ!」
「子供を子供扱いして何が悪いってんだ、あーもういい置いてくからな」
「あ、待てよ馬鹿!」

 美味そうな屋台が誘っているが、これからの家計事情を考え自炊にする事にした。ユーリが歩き出せばルークは慌てて手に飛びつき、ぎゅっと握ってくる。握り返してやれば、どこか嬉しそうにその手をじっと見つめている。
 全く、変な子供拾っちまったもんだ。取り敢えずユーリは、それで事を片付けた。






  


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