ハートビートモード








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 牙が3本になり、アドリビトムの忙しさは火を噴いていた。ジルディア生物が通常ダンジョンに徘徊するようになり、そこから生態系が崩れ浅い階層にまで影響を与えている。一般人が多い場所ではまだ目撃されていないようだが、侵攻が続けばそれも時間の問題だろう。
 クリウスは次元封印、通常依頼だけでもかなりの数をこなしていっているはずだが、中々改善の兆しが見えなかった。けれどそれで、焦る気持ちは湧いてこない。オルタ・ビレッジやルミナシアの戦争が一時中断された等、朗報もちゃんと届いていたからだ。

 そしてふと気付く、そういえば最近ルークと一緒の依頼に行っていない。倒れたあの後から、ちょくちょくPTに入れて一緒に依頼を受けていたのだが、最近重要任務が忙しくて行っていなかったのだ。
 思いつくと、とたんにルークへ会いに行きたくなる。最後に顔を見たのは確か……ヴァンから依頼を受け、双子を引き連れてロニール山脈へ行った時だ。内密そうな話はあまり聞かれたくないだろうと遠慮して、途中離れていたのだが……。船に帰った後の双子の顔は見事正反対だった。
 意気消沈しているルークに声を掛けたかったが、ヴァンに止められてしまったのだ。自分で道を見つけなければならない時期なのだ、そう言われてはクリウスも黙るしかない。
 あれから少し経つが、それ以来船内でもルークの姿はぱたりと見なかった。甲板でクレス達が行っている手合わせも、ルークは二人を見ているだけで参加していなかったのを思い出す。
 もうそろそろ会いに行ってもいいだろう、そう決めてクリウスはライマ部屋へ足を進めた。


 部屋に入ればルークが一人、ソファで暇そうに寝転んでいる。ティアやガイ達はおらず、ルーク一人きりなんて珍しい。暇そうにしてゴロゴロと、手に剣も持たず本当に何もしていなかった。
 なのでクリウスは依頼に行こう、そう直球で誘う。だがルークは怒るよりも苛ついた顔で、顔を顰めて断った。

「はん、お前は忙しそーだな。普通の依頼なんてやってる暇無いんじゃねーの」
「そんな事ないよ、さっき一つ受けたからルークも一緒に行こう」
「やだね、一人で行け」

 どう見ても一人暇そうにしているのに、何故断られるのか分からない。依頼内容だってルークが好きそうな、暴れられる討伐系だ。以前ならばしかたねーなと口では言いながらも、嬉しそうに一緒に行ってくれたのに。
 はっきりきっぱりと断られたが、クリウスは部屋を出るのを躊躇った。今日はルークと一緒に行きたいと思ったから、そういう気分なのだ。他の誰でもいいかもしれないけれど、でも駄目な気もする。せめてもう少し納得できる理由が聞けたならば、諦めてもいい。でも今の所目の前のルークには、見た目からして忙しいだとか怪我をしているような理由は見当たらなかった。

 出て行かないクリウスに、ルークは苛ついたように舌打ちする。それがアッシュそっくりだったので、少し笑ってしまう。その反応が気に入らなかったのか、ルークの眉はぴんと跳ねた。

「外出るなって言われてんだよ、ほっとけ」
「どうして? 前は普通に出てたよね」

 尋ねてもルークの顔は、苛つきながら不貞腐れたまま。じっと正面に立つクリウスを煩わしそうに、ぷいと顔を逸らして拒絶した。その動作が、なんとなく胸にチクリと疼く。

 外に出るなと言われて、素直に言う事を聞くルークではない。では聞かなくてはならない人物から、外出禁止が出たのか。それは誰だろう、クリウスは頭の中で候補を上げる。
 ヴァン・ジェイド・アンジュ……辺り、だろうか。一番言う事を聞くと言う点ではヴァンだが、彼が外出禁止を言い渡すと言うのも不自然な気がしている。もしも言うのならば、もっと最初から言うだろう。
 では思いつくとすれば、やはり先の依頼の件か。

 答えないルークにクリウスは、もう一度どうしてと問う。顔は背けたまま、つまらなさそうな声が返ってくるだけ。

「テメーにゃ関係ねーだろ」

 そう言われてしまうとそうなのだけれど、そんな理由で引き下がれる程安くはない。ルーク全体から出ている気怠げで苛ついた空気に、クリウスは馬鹿正直に漏らしてしまった。

「ルーク、暇なんだ?」
「うっせーそーだよ、お前は忙しいんだろどっか行け!」

 その拗ねた様子が誘え、と言っているようにクリウスは見えた。ルークはよくよく、言葉と態度があべこべだ。それが面白いと思っている人間は船内にも結構居て、からかいの種になっていた事もある。
 誰が出した外出禁止なのか分からないが、クリウスはルークを外へ連れ出したいと正直に思った。なので率直に誘う。何か心配があるのならば、それを跳ね除けてみせると意気込んで。

「一緒にいこ、ルーク。僕が守るよ」

 ぎこちないけれど、一生懸命表情筋を動かして微笑む。手を伸ばして待つが、相手の手は伸びて来なかった。

「だから俺は外には……。っていうかお前に守ってもらわなくても俺は十分強いっての!」
「じゃあどうして外に出ちゃ駄目なの?」
「……ジェイドが外に出るなって」
「どうしてジェイドは今更ルークに外へ出るなって言ったの?」
「そ、れは……。だからおめーにゃ関係無いって言ってんだろうぜーな!」
「関係あるよ。だって僕、ルークと一緒に依頼に行きたい。ルークが分からないなら、僕聞いてくるね」
「え、ちょ……待て馬鹿!」

 ジェイドがルークに外出禁止を言い渡した意図は分からないが、もし何かの心配や問題があるのならば、それを取り除けばいいのだろう。ルークの世話ならば最近コツを掴んできたし、武力系ならばレベルの高い職を使えばいい。
 自分は自由な分、沢山の選択肢がある。こういう時こそ活用するべきだ。そう思ってクリウスはくるりと踵を返して部屋を出ようとする。だが慌てたルークが後ろから追いすがり、がしりと腕を取られた。
 振り向けば困った顔があり、何か心配かけているのかな? とクリウスは不思議に思った。外に出られない事で暇なルークは苛つき機嫌が悪い、ならばそれを解決しようとする行動を、何故止められるのか。

「何か出ちゃいけない問題があるなら、僕が片付けるから任せて」
「待て、待て待て待て馬鹿野郎! 片付けるとかそういう問題じゃねーんだよ!」
「掃除上手くなったって、リリスに褒められたよ」
「そりゃよかったな馬鹿! 国の問題なんだよ個人の力じゃどうしようもねーの!」

 ルークの口から思ってもみない言葉が出てきた事により、クリウスは余計に混乱した。何故ルークが外に出られない事が、国の問題になっているのか。ヴァンの依頼は一体どんな内容だったのか少し気になったが、まさかルークの外出禁止を言い渡しただけなんてないだろう。
 それに合わせて、国の問題だから自分にはどうしようもないとは思えなかった。

「……国の? どうして国の問題だと僕の力はどうしようもないの?」
「はぁ?」
「国って、人の集まりでしょ? なら一人の力だってちゃんと意味があるはずだよ」
「馬鹿か! そもそもお前ライマ国民じゃないだろ!?」
「国籍って要るの? アドリビトムには色んな国の人が居て、色んな国から依頼を受けてるよ?」
「それはここが異常なんであってだな……! と、とにかくこの件はお前がどうしようが無駄なんだよ!」
「じゃあみんなで考えればいいよ、ジェイドに話を聞いてくるね」
「だから待てっつってんだろが馬鹿阿呆ノータリン! 一部の人間が文句言っても聞いてくれるかっての!」
「どうして? 1人だろうが100人だろうが、人の話はちゃんと聞きなさいってアンジュは言ってたよ」
「……だからっ! そういうんじゃねーんだよ! お前が思ってるみたいなのとは……!」
「どう違うの、ルーク。僕に教えて」

 ルークの口から出てくる言葉達は、クリウスには理解出来ない事ばかりだ。できれば分かるように最初から順序良く説明して欲しい、それが納得出来ない内は引き下がるつもりはなかった。
 間違えたくない、と言うよりもルークの事だから。クリウスの中で少しずつ変化している心内に、今はまだ気付いていなかった。

 だが先に、ルークは爆発してしまう。眉をキリリと上げて激しく、大きな動作で掴んでいた腕を自ら振り払った。

「……うっとーしいんだよお前はいちいち!! あれもこれもって……口にしてられるか! もう俺の前に出てくんじゃねー消えろ!」
「やだよ」
「なっ……俺の言う事が聞けねーのか!?」

 クリウスは何も考えず、心のまま即座に返事をした。自分が世界樹から生まれたんだと分かってから、人の感情を勉強する事もライフワークの一つとなっていた為、誰かの言葉を返事する時にはよく考えるようになったのだ。
 けれど今ルークの前から消えろ、と言われてすぐに嫌だと思ったからそう言った。反射というかなんというか、頭で考える前に口が勝手に開き声が出ていたのを、自分でも少し驚いている。
 だが別段、失敗したとは思わない。きっとどんな風に言われても、自分は拒否しただろう。理屈ではなく、心で思ったからだ。

「僕は……僕がしたいと思った事をして生きる。今までそうしてきたし、これからもそうする」

 正直に、クリウスは今の自分をそう評した。人類の救世主として使わされた者の言葉からすれば、酷いかもしれない。実際目の前のルークは目を丸くして呆れていた、口をぽかんと開けて珍しい表情。
 クリウスはそれにくすりと微笑み、またもルークはハッと気付いて怒りだした。

「お前、世界樹から生まれた救世主サマなんだろ? なのにそんな自分勝手にやっていいと思ってんのかよ! お前のこれからの行動言動一つで、もしかしたら世界は消えちまうかもしれないんだぞ!?」

 ルークの言葉は随分大袈裟だな、クリウスは他人事のようにそう思った。この言い方はなんだかアドリビトムメンバーっぽくないなぁ、とふと考える。だって彼らは今までディセンダーだけが主軸となって動いていた訳でない事を十分知っているはずだ、ニアタや科学者達の知識、カノンノの隠された記憶、ドクメント集めで世界中から届いた助け、他にも上げれば沢山ある。
 それを知らないなんて、このギルドに所属していて言える言葉ではないはずだ。では何故ルークは、今言ったのか。彼が感情的になっているのは目に見えて分かったが、自分の気持ちを知ってもらう為にもクリウスは反論した。

「僕は確かにディセンダーとして生まれたけど、その為だけに生きてる訳じゃない。それに世界樹から直接何かしろって言われてる訳じゃないしね」
「な、お前な!」
「多分、僕が動きたいように生きればそれがディセンダーとしての役目になるんだと思う」
「そんな都合のいい事あるかよ、現にラザリスは!」
「僕はただのきっかけで、最初の灯火なだけ。今じゃ僕は居ても居なくてもみんなやってくれてるし、事態は勝手に進んでる。そんなに気にする事じゃないよ」
「無責任、だろそんなの……! だって、だってお前から始まった事じゃねーか」
「そんな事ないよ、最初って言うんならそれはルミナシアがジルディアを取り込んだ所からになっちゃうし」

 ラザリスの件がディセンダーから始まった訳ではない、最初から、このルミナシアに生まれた時点で全存在に責任のある事だったのだ。実際星晶の採り過ぎで赤い煙は生まれ、そこからラザリスが形作られた。ディセンダーはむしろ結果の産物。

 ルークもそれが分かったのだろう、声は途端に沈み肩の力が抜けていく。視線は未だ床に向けて、悔しそうに眉を潜めて言った。

「……けど、今お前が居なくなったら困るだろ。……みんな」
「心配かけちゃうかもしれないけど、困らないよ。みんな自分のやるべき事、もうちゃんと見つけてる」

 あっさりと言い返せば、ルークは酷く傷付いた顔をする。俯いたまま視線を左右に投げ、顔を上げた時は泣きそうに歪んでいるのに溢れない。クリウスはその時初めて、もしかして間違えたのかもしれない、そう思った。

「……俺が、嫌いだから」
「え?」
「お前の事、俺が死ぬ程嫌いだからもう金輪際顔見たくねーんだよ! これが理由だ分かったか出ていきやがれ!!」

 そう大声でルークはまるで自分に言い聞かせるように怒鳴り、無理矢理クリウスの背中を押して部屋から追い出されてしまった。慌てて振り向き扉を叩くが、許さないとばかりに動かない。中からロックされてしまったのか。

 廊下に一人、クリウスは呆然とする。最後にちらりと見えたルークの顔は拒絶でいっぱいになり、もう此方の言葉を聞いてくれそうになかった。
 反応のない扉を正面に、反対の壁に背中を預ける。今すぐルークが出てきてくれまいだろうか、そしたらすぐに謝れるのに。けれど何をどう謝るのだろうか、自分で考えたくせにそれはおかしいと自分で反論する。
 さっきの言葉の中で、クリウスは正直に思ったままを言った。まだ少しの間しか生きていない中で見つけた、自分の生き方だ。アドリビトムのみんなから教わり感じたそのままを、自分の言葉として言ったまで。
 自分で間違っていないと思っているのに、謝るなんて変だろう。変と言うよりも、したくないと思う事だ。もしもルークから見てクリウスの生き方が間違っていると言うのならば、納得のいく理由を聞かなければ。
 だがルークは終始感情的で、理由らしい理由は結局最後まで出てこなかった。そうなると、もう自分はルークと仲直り出来ないのだろうか。それは嫌だ、またもすぐに口から出てきた。

 けれど嫌いだと言われた、拒絶の声と顔で。あの映像を頭の中でリピートすると、クリウスの体は動かなくなり思考を停止してしまう。嫌いだ、嫌いだ。ラザリスがルミナシアの生物へ向けた感情とは違う明確で単純な、嫌いだ。
 ぐるんぐるんと頭の中をいっぱいにして、足がふらふらする。背中を壁に預けているはずなのに、地面が揺れている気がした。何か、状態異常だろうか。そんな事を考え、クリウスは覚束無い足取りでその場を去った。




***

 その日は結局一日、ろくに動けなかった。受けた依頼を取り敢えず済まそうとPTを組んで外に出るが、足がふらふら武器がふらふら。他のメンバーのお陰で依頼自体はなんとか完了したが、またも心配されてしまった。

 駄目だなぁ、そう思うけれど思考が占領され体が引きずられる。夜中に一人甲板に出て、クリウスは諦めて深く考える事にした。

 今まで生まれてから、自分は自分のしたい事を出来る範囲でやってきた。出会ったカノンノを手伝いたくて、ギルドに入れてくれたアンジュに感謝したくて、困っている人を助けたくて。そしてラザリスが悲しそうだから、とにかく自分がそうしたいと思ったから走ってきた。
 上手くいかない事もあったけれど、それでもなんとか良い方向に皆で行けていると思う。だが、そうしてきた自分が、ルークは嫌いなんだそうだ。

 何が駄目だったんだろう、どうして自分はルークに嫌われてしまったんだろうか。痛む胸を無理矢理抑えて、嫌われたんだという事実を再確認する。嘘でも冗談だとしても、ルークに嫌われるのは悲しいなと思った。
 じゃあ他の誰かに嫌われるのは悲しくないのか、そう対比が浮き出てくる。カノンノやロックス達に嫌われたら、それは勿論悲しい。けれど同じ様に胸が痛むだろうか、とも思う。
 どうして胸が痛いのか、まずそれが分からない。誰かに嫌われるのは悲しいけれど、沢山生きている中で全く衝突無く好かれるなんて無理だろう。例えば帝国のサレとは、あまり分かり合える気がしないし彼も分かり合いたくないと言いそうだ。
 同じギルドメンバーだから、距離が違うから。様々な理由を上げるが、どうにも当てはまらない。月が斜めから真上に昇るまで、クリウスは一人でずっと考えたが答えは出なかった。

 月明かりの下でクリウスは手の平を見る。あの日ルークが握ってくれた手は、今夜の空気に冷えて温度を忘れていた。それが悲しい、嫌いだという言葉がまた降ってくる。胸の奥がギリギリと軋み、いくら憂鬱を吐いてもどんどん膨らんでいった。
 こんな事、初めてでどうすればいいのか分からない。あの時記憶の中で暖かった分、今全身が痛いと思った。

 体が冷えてもまだじっと外で手の平を見ていると、アンジュが毛布を持って出てきた。

「なーにしてるの、こんな所で。いくら貴方がディセンダーでも、駄目だよ」

 にこやかに、我らがギルドマスターは聖女の微笑みでクリウスに毛布を巻いていく。依頼を終えたのにふらふらと甲板を出た自分を心配して、外に出てきたのか。また心配させてしまったなと思うが、今は大丈夫だと言える気力が湧かない。
 その様子にアンジュは隣へ座り、優しく問いかける。

「元気がないね、どうしたの?」
「アンジュ、僕……なんだか体の内側が……痛い、んだ」
「あら、医務室には行った? ヒールかけてあげるわね」

 胸の痛みはあの部屋を出た後からおかしいくらい大きくなっており、もしかしたら後の依頼で何か状態異常を受けて増幅してしまったのかもしれない。戦闘中は申し訳ないくらいふらふらしていたので、知らない間に何か貰っているなんて可能性があるかも、だなんて。
 そんな自分でも説得力の無さそうな事を口にするが、アンジュは疑わずにヒールをかけてくれた。暗い夜の中でその暖かい光は小さいながらも力強く輝き、クリウスの体を回復させる。
 だが当然ながら痛みは止まなくて、分かっていた事なのにクリウスはがっくりと肩を落とす。

「どう?」
「まだ、痛いや」
「もしかして病気? 駄目よ、君は働き詰めなんだから。偶には休みなさい」

 病気、言われてみればそうなのかもしれない。クリウスは怪我をした事はあれど、病気にかかった事は無かった。怪我はないのに体内が痛いなんて、確かに病気に間違いないだろう。
 となると、医務室でアニーに診察を受けてベッドで休まなければ。けれどあの場所を思い出せば、どうしてもルークの暖かかった手の平を思い出す。あの手はもう味わえないのだな、そう思うとズキリと剣で刺されたように痛む。
 この痛みは本当に病気なのか、休めば治るものなのか。分からないが、アンジュがこう言うのだからやってみるべきだろう。だがクリウスはまたも、自分の不得手な分野で固まってしまった。休めと言われたが、ベッドに寝ていればいいのだろうか。それだけで本当に、治るのか。

「休むって、ベッドで休んでればいいの?」
「それもあるけど、少しくらい世界の事を忘れてリフレッシュするのはどうかしら」
「リフレッシュ? ……何したらいいのかな」
「自分のしたい事をしてみればいいんじゃないかしら?」
「僕は今まで、依頼を受けるのもみんなの頼みを聞くのも、したいからしてきた事なんだ」
「あらあら、困ったディセンダーさんね」

 クリウスの答えに、アンジュは苦笑する。正直に答えたのに、こんな反応をされるのは懐かしい。まだ自分がただの記憶喪失だったと思っていたあの頃の反応だ。あれからそれなりに経って自覚も持ち、こんな風に返される事は少なくなってきたと思っていたのだが。自分はやはりまだまだ分からない事だらけだな、そんな事を今更思う。

「じゃあ何か他に好きな事を見つけるっていうのはどうかしら?」
「好きな事?」
「そう、したい事をする以外に、これをしている時が楽しかったり嬉しかったり、夢中になれるものを探すの」
「楽しかったり、嬉しかったり……」
「人はパンのみにて生きるにあらず、よ」

 突然アンジュがそう言い、クリウスはぱちくりと瞬く。パンだけで人が生きている訳がないのは当然ではないか、毎日ロックスのデザートを迷いながらも山盛り元気良く食べているアンジュが何を言い出すのだろう。クリウスは単純な意見をそのまま口に出した。

「パンが駄目ならお菓子を食べろって事?」
「違います! 人はパンだけで生きるものではない、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるのだ。っていうありがたーいお言葉よ?」
「??? 神様の言う通りに生きろって事?」

 有難い言葉、そう言えばアンジュは神に使えるシスターだった。あまりにもそれらしくないと言うか、クリウスはそもそもシスターという存在がどういうものなのか知らない。だからシスターと言えばアンジュで、シスターの役割は知らないがアンジュと言えばシスターなのだ。彼女らしくない言葉はシスターとしての言葉なのだろうか、そんな事を考える。
 だが今の言葉は、クリウスにはよく分からなかった。パンだけで生きている訳じゃない人が、何故神様の言葉で生きるという事になるのか。食べ物がなければ人は生きていけない、それとも神の言葉とは食べ物の一種なのか。
 混乱をそのまま表情に出し、降参だとアンジュを見た。彼女は笑いながら、砕けた調子で言う。

「前後が無いとちょっとわかりにくいから、まぁざっくり言っちゃうとね、精神に余裕のある生き方は大事だよって事かな」
「余裕のある生き方……」
「神様からの安心感もいいけど、それとは別に趣味は心を豊かにするでしょう? チャットやガイは機械を前にすると夢中になるし、リオンやユーリはデザート食べてる時は幸せそう、みんな自分の好きな事をしてる時はすごく楽しそうだよね?」
「ルーティやアニスがお金の話している時みたいな感じ?」
「そ、それはちょっと違うかな……いや、そうなのかも」

 食べ物の事ではなくて、それ以外の”食べ物”。そう言われれば、すとんと落ちるものがある。リタやハロルド達科学者は知識や研究が楽しそうだし、ノーマは宝物が大好き、マルタはエミルが大好きで、クレスやロイド達は楽しそうに手合わせしていた。
 ただ生きているだけでは味わえない、自分を形作る過程の一つ。それが自分にもあれば、この痛みは無くなるのだろうか。楽しい事嬉しい事で押し出して、無かった事に。

「まあとにかく、ただ日々を過ごすのとは別に、何か目標や目的を持って生きる事が成長に繋がるって事よ。クリウスは何か今までで、楽しかった事や嬉しかった事はないの?」
「あるよ、……うん、いっぱいある」
「まあ依頼やお仕事を趣味にしてもいいのよ、私もそうだし。ただそれ以外にも目を向けて、自分を充実させるっていうのも大切な事よ」
「自分を、充実させる……。好きな事を、すればいいのかな」
「それを考えるのも、充実させる第一歩よ。趣味探しが趣味ってのも、面白いんじゃないかしら?」

 クリウスの心の中で、嬉しい事と痛い事は現時点で同一だった。嬉しい事、みんなと出会えた事、助けになれる事、あの日ルークが握ってくれた手。痛い事、理解し合えない事、嫌われる事、ルークに嫌われた事。
 けれどこれまではっきりと線で区切っていなかった事が、明確に整理された。好きな事、クリウスはルークの事が、好きだと思った。好きだから嫌われたら悲しいだけでなく、痛い。胸の痛みの原因は病気でもなんでもなく、ルークの言葉ただ一つ。

 原因が分かったのならば、後の自分は進めばいいだけ。嫌われたから動けない、なんて言い出すのはディセンダーではないのだ。クリウスの心は晴れ、清々しい気持ちでアンジュに礼を言う。

「分かった、ありがとうアンジュ」
「どういたしまして、悩める子羊を救うのも神の教えの一つよ」
「それがアンジュの趣味なんだ?」
「ちょっと違うかもしれないけど、今となってはそう言ってもいいかなって感じね、フフ」

 否定と肯定を同時に使って、アンジュは微笑む。その表情は深みがあって、クリウスには読み取れない。きっとアンジュの人生は沢山の事があって、だから彼女はアンジュとして生きているのだ。
 もしかしたら自分の解釈は違うかもしれないけれど、今最大限に納得出来たのは間違いない。クリウスは立ち上がり、毛布を握りしめて星空を見る。沢山の星が輝いて綺麗だな、そんな単純な事を思う。
 そしてこの星空をルークに見てもらいたい、もっと言うならば笑ってほしいな。小さな願いは少しずつ大きくなっていき、じっとしていられなかった。けれど流石に今から突撃すると怒られてしまう、今日怒らせたばかりだと言うのに。

 明日、明日会いに行こう。そう決めてクリウスはアンジュと共に船内へ戻った。








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