ハートビートモード








 記憶喪失で倒れていた所をカノンノに拾われ、アンジュの好意でギルドに加入し世話になっている彼は、名をルークリウスと言った。目覚めた当初知っている事は自分の名前だけで、世界の何も分からない。けれどカノンノやギルド仲間達はそれを優しく受け止め、親切に教えてくれる。
 それに感謝し世界の知識をスポンジのように吸収して自分の物としながら、迷うよりも黙々と、自分に出来る事はこれしかないと言わんばかりに彼は物事を進めて行った。そして同時期まるで抑えていた蓋が開いたかのように世界に危機は溢れ、そしてギルドアドリビトムは規模を大きくしていく。

 最初は10人ちょっとだったのが、30、40……と。巨大戦艦に相応しく空き部屋が数多くあった当初に比べ、完全に空きの無い部屋数は徐々になくなっている。けれど同時に、それだけ多種多様な人間が集まって摩擦を産まない訳が無い。
 メンバーは子供が多かったが戦争難民としての側面を持つ者も多く、そしてそれを助けたいと願った側が多かった。その為悪い意味での軋轢は然程発生する事なく、摩擦と評したがそれはある種の刺激という意味合いが強い。
 我の強い性格も一つの表現、と思わせるくらいには根本として良い人間が奇跡的に集まっていた。

 ルークリウスは船内の営みを見ていると、何か言葉にしたい気持ちが高まる。けれどどう言葉にすればいいのか、相応しい物をまだ知らない。これは自分が記憶喪失だから覚えていないだけなのかもしれない、ならば早く思い出したいと願う。グツグツとした気持ちは高まっていき、どう表情筋を作っていいのか分からなくなってしまって仕方がないのだ。
 思いのままに手足は動けても、心を言葉にして表現する方法はまだ知らない。カノンノに尋ねれば、自然とその時体が動くように口から出てくるんだよ、にっこりと眩しい笑顔で答えてくれた。
 そんな時が自分に来るのか、思い出せるのか。不安な気もするし、期待する気持ちもある。その時上手く出来ればいいな、と思いながらルークリウスは今日も今日とて依頼を黙々とこなした。



 ある日ルークリウスはばったり、医務室前の廊下で通せんぼされた。ぱちくり瞬けば、目の前には長い朱金に白黒のいかにも上等な生地で作られた服がひらひらと、白裾を周りの評判通り揺らしている。ででんと仁王立ちして両腕を組み、半分も開いてなさそうな細い翡翠の瞳で睨みつけていた。ちらりと横を見れば、彼の部屋。もしかして丁度出てきた所? と思ったが彼は親の敵かというくらいに此方を睨んでいる。
 ルークリウスは自分の背後に誰も居ないのを確認してから、もしかして自分に対して怒っているのだろうか、と呑気に思った。しかし何かしてしまっただろうか? 覚えがない。確か彼は最近入ったライマ国王子様で、噂自体は他の船員達からちょこちょこと聞いている。けれどまあ、その内容はルークリウスがどうこう言えたものではないのであまり詳しく覚えていない。大半の人間が彼の名前を出して話している時の表情が似通っていたのを、ぼんやり浮かべる程度だ。

 接点が薄い現状で、一体彼はどうしてここまで強く自分を睨み付けているのか。分からないので取り敢えず、あちら側の出方を待つ事にする。すると彼はびしぃと指先を突き付けてこう言った。

「お前、俺に名前似すぎ! 改名しろ!」
「……改名?」

 ルークリウスは記憶を呼び戻して、目の前の彼の名前を思い出した。そう言えば彼の名前、ルーク・フォン・ファブレだったか。確かに言われてみれば、最初の部分が丸被りである。船内ではルークリウスの事を縮めてルーク、と呼ぶ者も居た。成る程似ている、と言うかそのままだ。
 此方が先に所属していたから「ルーク」という呼び方はルークリウスの事だと、浸透している。そうなるとこっちのルークは混乱するだろう。だからルークは怒っているのか。
 納得したルークリウスは、あっさりとその提案を受けた。

「分かった、いいよ」
「ええっ!? おま、ちょっ……、自分の名前をそんな簡単に変えちゃっていいのかよ!?」
「別にそれ程拘り無いし。ルークが嫌だっていうんだったら、別にいいよ」

 自分から言い出した割に、ルークは大きく驚き逆に焦り出す。自分の要求が通ったのに、混乱した顔で眉を曲げて戸惑っている。それを見てルークリウスの方こそ、不思議に思った。嫌だったから口にして、そうして欲しいと直接来たのだろうに。なのに許可されれば困った顔をするなんて、彼は変わっているなと思った。

「……お前、すっげー変な奴だな」
「そうかな? じゃあみんなに僕の事、クリウスって呼ぶように言っておくね」
「あ、え……おう。そ、そうだな……」

 幸い自分の名前は少しばかり長いので、頭の部分を縮めても問題ない。それにノーマは独自のアダ名で呼び、元が誰だかよく分からない。最近ではどこから流行ったのか、二人を呼ぶ時に名前を縮めてまとめて呼ぶ遊びも流行している。
 もう一つ理由を付けるのならば、ルークリウスはあまり自分の名前に拘らなかった。確かに最初覚えていた事は名前くらいなのだが、それでもそこまで固執する物とは感じられなかったのだ。誰かが自分の名前を自分の事だと認識して呼ぶ、それがあるならばアダ名だろうが縮めて呼ばれようが、違う名前だろうが気にならない。

 最初見た時とは反対にぽかんとした顔のルークからの用件は、もう出てこないのだろうか。ならばもういいか、とルークリウス……いやクリウスはすたすた歩いて通り過ぎた。
 そしてエントランスでアンジュに、今日から自分の事はクリウスと呼ぶように広めて欲しいと頼む。するとアンジュは驚きどうしてなのか質問してきたので、正直にルークから言われたからだ、と答えれば彼女はああ……とすぐに理解した。

「ちょっとこんがらがっちゃうかなーとは思ったけど、まさか直接言っちゃうとはねぇ。流石王子様……」
「僕からも会った人には言っておくから、アンジュもみんなに伝えておいて」
「分かったわ、本人の評判がどうなるかは……まあ人徳の問題かしら」

 アンジュはそう微妙な顔をして言うが、クリウスにはよく分からない。呼び名を変えるだけだ、そこに評判が出てきた意味が分からなかった。自分は何も問題ないのだから、いいんじゃないのか? と言ったがそれにもアンジュは苦笑する。

 時々、人との感じ方の違いが分からない。これは自分が記憶喪失だから分からないのだろうか。他人と違う事に不安はないが、間違っている事を誰も何も言ってくれないのは少しだけ怖い、かもしれない。なにせ自分は感情の感じ方もスッポ抜けてしまったようで、どの感覚が怖いと言う事なのか分からないのだ。
 だがそれでも今の所、物凄く困る事でも無い。その内走っていれば拾うだろう程度、ウィルが貸してくれた本にも我思う故に我あり、とあったはず。とまあそんな理由の幾つかを適当に上げて、クリウスは自分で自分を納得させた。


 そしてその後特に気にする事なく、依頼と生活に戻った。呼び名の事を道すがらメンバーに説明していくと、首を突っ込みたがる面々から理由を聞かれそれも正直にルークが……、と言えばアンジュと同じようにああ……と呆れたような顔で理解される。
 入ったばかりだと言うのに、彼の評判は広まっているらしい。なので妙に納得され受け入れられた。後で聞いた話だが、この時同時にルークの評判はダダ下がったらしい。
 なにせこの事を本人がまた直接言ってきて、クリウスに激怒してきたのだから。そんな事言われても、と返せばほっぺたを限界まで伸ばされしまった。本人の言う通りになったのに、何故怒っているのか理解出来ない。ルークに説明を求めても、感情のまま怒るルークの口からは全く出てこなかった。
 間違えてしまったのなら、言ってくれないと分かりようがない。何しろ自分は記憶喪失で、前を向いて走る事しか知らないのだから。




*****

 ツリガネトンボ草の進化種ドクメントを集めていく過程、カダイフ砂漠でラザリスとまたも相対し、ルミナシアに生きる人そのものすら絶望し始めている事を突き付けられた。砂漠の一帯はラザリスの侵食を受けて大規模な変質で風景そのものを変えてしまっている。
 その変わってしまった光景そのものが、ルミナシアを拒絶しているように広がっていた。ルミナシアの世界樹から生まれたディセンダークリウスは、その時初めて悲しい、という気持ちを感じ取る。
 ルミナシアの生物をラザリスに奪われたから悲しいのか? ルミナシアの生物がルミナシアでは生きていけないと絶望したから悲しいのか? 自分の心なのに詳しく分からなかった。ただとにかく、悲しいと。
 ディセンダーの浄化能力で変質してしまった一帯の修復を、体が心と同じ位に痛むまで発動させた。見た目は元通り、綺麗に戻る。けれど分かり合えなかったラザリスとの亀裂は、表面を覆った程度では誤魔化せないぞと、その風景が強く言っているように感じた。
 言いようのない空虚な気持ちが足を立たせてくれなくて、地面に着けてもがくりと膝を折ってばたりと倒れてしまう。ただ走るだけでは拾えなかった者達が、自分の影から憎しみを向けられている気がした。




 夢を夢だと意識して見たのは、これが初めてだった。クリウスは一人ぽつんと立っており、足元を見れば道が。それを視線で辿れば、ずっとずっと長い線が前後に走っている。始点も終点も見えない、そんなものがあるのかと疑いたくなるくらいの長さ。
 辺りを見回しても、景色は何もなく真っ白。ただ地面に道らしき線があり、そこに立つ自分の影は太陽も無いのにまん丸と描いていた。
 声を出してみれば、普通に出て空間に響く。だが誰かが出てくる気配はしない。カノンノ、アンジュ、ロックス……知っている名前を全て呼んでみても、誰も何も出てこなかった。仕方がないので、クリウスは取り敢えず歩く事にした。どうせこれは夢なのだから、その内誰か出てくるか目が覚めるだろう。

 とことことこ……何も考えずただ歩く。夢の中なので疲れ知らず、どうせならば走ったっていい。ただ見た目が全く変わらないというのはつまらないかも、と少しだけ思う。
 増えていくアドリビトムメンバーは多種多様で、苦しい今の状況でも悲しい顔をあまり見せない。それがなんとなく、嬉しい気がしている。けれどそれがどことなく耐え忍んでいるように見える部分もある事を、薄っすら感じ取っていた。

 ルミナシアに絶望してラザリスに全てを捧げてしまったヒト。彼らの事を想うと、胸の辺りが痛む気がする。これが”痛い”と言うのかあまりよく分からない。ただ何となく、力が抜けてしまうような感覚に陥るのだ。自分のやってきた事は、間違っていたのか? 足りなかったのか? 世界という大きなものを救う為に走っていたせいで、人という小さなものを零していたのだろうか。
 ラザリスへ傾倒する者は僅かながらも確実に居る。いいや数の問題ではないのだ、居るという事が問題。けれど自分の手足は合わせても4本しかない、世界の全人口を助けるなんて無理に決まっている。けれど無理だ、と思いたくないのも本当だった。
 クリウスは世界樹から生まれ、人間ではないけれど。アドリビトムのみんなにヒトにしてもらった。だから彼らと同じ自分と同じ皆を、等しく大事にしたい。等しく、均一に。

 そこでふとクリウスは、足を止めた。道の前後を改めて見て、きょろりと振り向く。そしてやっと、重要な事に気が付いた。

「これ、どっちが前なんだろう」

 景色も何も無い、ただの道だけ。標となるものがどこにもないので、どちらから来てどこへ行くのか分からない。なんて今更だろう、既にクリウスは結構な距離を進んでしまっている。
 ここまで歩いておきながら実は逆でした、となれば大変だ。また戻らなければならない。けれどそれを確証してくれるものが、どこにもないのだ。戻るのは構わない、どっちにしろクリウスは歩くだけ。けれどもし間違えているのならば、意味が無いどころか……破滅に導いてしまう。そんな事をしてはいけない、カノンノ達を悲しませてはいけないのだ。

 けど……自分は今、どちらへ行けばいいのか分からない。自分は前にしか進んではいけないのだ、と言わんばかりに道は左右を許してくれなかった。見えない壁に遮られて、前後にしか行けない。
 クリウスは来た道の遠くを見る。なんとなくあちら側の方が明るい気がするので、遅れを取り戻そうと走った。疲れないので全速力で走れば、きっとすぐに終点だ。そこならばカノンノ達は笑顔で迎えてくれるだろう。
 けれどどれだけ走っても、ゴールは見えなかった。最初に気付いた地点を過ぎただろうか? そう思って振り返れば、視線の先の光景は全く同じ。両方どちらも同じように少し明るい気がする。

 どっちなの? そう問うても誰も答えてくれない。人の声も物も何もかも、クリウスの前に現れない。こんなもの、夢なのだから覚めてしまえばいい。そう考えて自分の頬を抓るが、痛くもなかった。
 自分が助けるべき人はどこにも居ないのに、ただ前後も分からず走っている。そしてその道だって、破滅か救いかすら分からない。ディセンダーとは、いったい何なのか。救世主とは、どういうものなのか。クリウスは生まれて初めて、迷いというものを自覚した。

 アドリビトムのみんなからは、嬉しい事楽しい事しか教えて貰わなかった。だからこんな、どうすればいいのか分からない感情は困ってしまう。どうして自分の胸が苦しいのか、そしてどうすれば晴れるのか分からない。溢れ落としてしまった者達と同じ様に、もう救えない。
 世界樹はどうして自分に中身を入れて送り出さなかったのか、不思議で仕方がなかった。最初から分かっていれば、もしかしたら救えた存在があったかもしれないではないか。理解を深めている間に、零れ落ちてしまう存在はどうでもいいと言うのか? それで救世主と言ってしまえるのか。自分は……前を向いて走る事しか、知らないのだ。本当は誰かを救える大層なものではない。ただ出来る事をしているだけ、本当にそれだけ。本来それはルミナシアに生きる誰もが出来る事のはず、わざわざ特別に送り出さなくとも、アンジュ達のような世界を憂う存在がいればいずれ何とかなったのではないか。

 夢の中とは言え自らの存在否定を始めたクリウスの足は、呼応するように薄まっていく。ああ、こんな事考えてはいけないのに。そう思っても想う事を止められない。どうせ前も後ろも分からないのだ、半分の確率でカノンノ達を破滅に導いてしまうのならばいっそここで朽ち果てよう。
 そう決めて、クリウスは目を閉じる。段々と自分が消えていく感覚が足元から這い上がり、このまま溶け消えようとした時だった。

 ふと背中に、太陽のような暖かさを感じ取る。ぱちりと開いて振り向けば、道先に大きな光が此方へ射していた。その方向はやはり最初に進んでいた方向で、先程まで走っていた反対側。
 大きな光は一点目印のように煌々と、こっちへ来いと叫んでいる、そんな気がする。クリウスは数回瞬きをして、消えない事を確認してからゆっくりと歩き出す。消えているはずの足元は、進むごとに戻っていき歩幅を広げた。あの光を見ているとちんたら歩いていられない、早く早くあの場所に辿り着きたくなって駆ける。
 全力疾走すれば、今度はぽつんと小さな影達が見えた。遠くからなのでよく見えないが、カノンノ達アドリビトムメンバーのような気がする。ああ、彼らが居る。ならば自分の場所はあそこなんだ、早く行かなくちゃ。想いと体が重なって、クリウスは飛ぶ。

「……みんな、だ」

 ふわりと終着点に着けば、大勢の人間がそこに居た。アドリビトムメンバーは勿論、今まで受けた依頼人や、街で知り合った面々も。そして一番奥、眩しくて見えない光を背に、ラザリスの影。悲しそうな怒った顔をしている、気がした。だからクリウスは手を伸ばす。
 全てを助けたいと思っているが、無理な事もあるだろう。だからって、諦めるなんて事は自分には無理なのだ。
 それは世界樹にディセンダーとして生を受けたからではない。空っぽから始めた自分が、自分で決める事。世界樹はクリウスに何も教えなかったからこそ、選択の自由を与えた。それは前後が分からなければ大変危険な事だ、先程の道を間違えかけたように。

 みんなの所に辿り着けて、良かった。そう安堵の溜息を吐くと、意識が浮上するのが分かる。ああ、目が覚めるな。もっと早く起きればいいのにとは思ったが、こうやってゴールに辿りつけたのだからいいか。
 それにしても途中までこんな大きな光、どこにもなかったのに。どうして突然光が射したのか。不思議に思ったクリウスだが、目覚めていく意識はすぐそこで身を任せた。そして、その光の原因を知る。




 医務室、倒れたクリウスは運び込まれたのだろう。ベッドの白いシーツと消毒液の匂いですぐに分かった。けれど分からない事が、一つ生まれている。
 寝ているクリウスの右手がシーツから出ており、その手先が暖かい。あの迷った道で受けた光のように、とても暖かかった。どうしてだろう、不思議に思って顔だけ動かせば、目に入ったのは鮮やかな朱色。このギルドに朱毛はそれなりに居る、髪色だけでは判別付かない。なので首を少し持ち上げて、その人物を見た。

 朱色から毛先に向けて薄まり、金色が白いシーツに描かれている。白の上着をくちゃくちゃにして、枕元のすぐ横で朱い睫毛を閉じて眠っていた。そしてその手には、緩くだがクリウスの手を掴んでいる。
 ルーク・フォン・ファブレ。自分と名前が似ているから改名しろ! そう怒っていた彼が、医務室のベッドで手を握って眠っていた。キョロキョロと辺りを見回せば周囲のカーテンが閉められており、電気も消えている。という事は今は就寝時刻、夜中なのだろう。
 そんな時間にルークがたった一人、どうしてこんな場所でこんな事をしているのだろうか。そう言えば前に初めて浄化能力を使った時も、ルークは医者を呼べと騒いでいたとガイが言っていた。もしかして、今回も心配したのか。

 ルークの性格からして、心配だって見舞いだって、こんな風に夜中傍に居るなんてしなさそうなのに。いいやもしかしたら、此方こそがルークという人物なのかも。最近はクレスとロイドと楽しそうに依頼へ出ていたり甲板で手合わせしている姿を見かけていたし、船内でルークの悪評も聞かなくなった。ある意味ルークという強烈さに慣れた、と言ってもいいかもしれない。けれど実際の所、ルークの本心はあまり表に出ていなかったのか。一部の人間からは馬鹿正直そう、と評されていたのでその心証を覆された。

 クリウスはまじまじと、その繋がれた手を見つめる。この温度が、夢の中で自分を導いてくれた。人の暖かさは光、いつか何処かで聞いた言葉がじんわりと染みた気がする。
 ルークは座りながら眠っていて、体勢が少し苦しそうだ。それでも手を離さないのだからと、クリウスの胸にも温度が移る。握り返したいと思ったので、その通りにぎゅっと握った。反射なのかルークの指先がピクリと動くが、瞼は開かない。

 頭を枕にぽすんと落とし、クリウスは同じ様に瞳を閉じた。手から伝わる暖かさは、まるでこれがルークの心だと言うように心地良い。これが安心する気持ち、なのかな。自覚しながらもクリウスは、やってきた睡魔に体を安心しながら明け渡した。
 またあの道だけの夢を見ても、今度はきちんと道標が居るのだから大丈夫だと。夢の中で決めた自分の心を、もう一度深く刻もう。世界樹が世界を愛しているから、自分も愛している訳ではない。自分が愛しているから、愛するのだ。




*****

 翌朝、目を覚ました時にルークは居なかった。あの一時こそ夢なのだと、手もきちんと行儀よくベッドの中に収まっている。けれどクリウスはあの温度をちゃんと覚えていた。右手を握ったり開いたりして、確信する。


 アニーが気が付いて、その後軽い検査を受けた。やはり力の使いすぎで倒れてしまったらしい。眠っている間中様子を心配そうに尋ねる人間で、医務室は大変だったとか。それを聞いてクリウスはまた、嬉しさが胸に募る。
 体は大丈夫だが、あまり無茶は駄目だと嗜められる。それに礼を言い、クリウスは一先ずエントランスのアンジュの元へ行った。同様に心配されたが、安心した顔も見せてくれる。他の皆も心配していたから、顔を見せに行きなさいと言われて各部屋を回った。
 大体は良かったと安堵され、同時にジルディアの牙による侵攻を憂いている。甲板に出た時見た牙は2本になっており、世界へ噛み付いていた。
 けれどクリウスはそれを見ても、みんなのようにあまり胸を締めない。ただ、今自分に出来る事をしようと想うだけ。どうせやる事に、大して変わりはないのだから。

 そして依頼帰りのルーク達と、甲板でばったり鉢合わせた。あ、と思って待てばやはりルークは途端に怒り出す。

「あ、お前ー! 倒れるまで力使ってんじゃねーよバッカじゃねーの!?」
「やあクリウス、体はもう大丈夫なのかい?」
「みんな心配してたんだぜ」
「うん、ありがとう。大丈夫だから」

 一緒のクレスとロイドは心配しながらも笑い、噴火しているルークを抑えていた。なんだか手馴れてるなぁ、と感じて少し微笑ましくなる。そして怒りながらもルークの言葉はやはり心配していて、言い方が全く彼らしいと。
 不器用ながらも優しいんだな、今更ながら彼の人格というものをきちんと認識する。そしてクリウスは、昨夜の事が気になっていた。どうしてルークは一人、夜中に医務室で手を握ってくれていたのか。心配しながら怒っているのは今分かったが、それでもわざわざ夜中あんな事をするのがルークであるのかとほんの少し疑っている。
 それは今までルークとはあまり関わりあいが無かったせいもある。重要任務には選ばれないし、本人はクレス達やライマ関係者で固まって動いていた。だからもしルークという存在に、もっと気になる部分があるのならば知りたいと思ったのだ。

「ルーク、昨日の夜……医務室に居たよね?」
「はあ? なんで」
「僕のお見舞いに、来てくれたのかなって」
「昨日は俺達も昼間行ったんだけど、あんまりにも出入りが多かったから邪魔だっ〜! ってナナリーに追い出されちまった」
「なんでわざわざ夜中起きて、お前の様子見に行かなきゃなんねーんだよ俺が。めんどくせっ」
「こう言ってるけど、ルークが一番心配してたんだよ」
「ばっ、馬鹿言ってんな! んな訳ねーだろ! 夢でも見たんじゃねーのっ」
「そうかなぁ……」

 本人の口からは否定されてしまったが、クリウスは昨夜の事をちゃんと覚えている。あの暖かさは忘れられなくて、決意させた心は初めての自覚。
 ルークは取り付く島もなく否定して、一人すたすた歩き出した。ぷりぷり怒っている後ろ姿は、いつも通り。クレス達は苦笑しながら詫び、その後を追いかける。甲板に一人取り残されて、クリウスは暫しじっと考えた。

「ルークのほっぺた、ちょっと赤かった」








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