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翌日、目が覚めるとクリウスは慌てずまずは朝食を食べに食堂へ行く。ロックス達が作ってくれる食事は美味しいし、焼きたてのパンはふわふわで幸せだ。いただきます、そう感謝を込めて食べる。パンを食べなければ人は生きれないけれど、それだけでは悲しい。好きな事を、出来る範囲で。クリウスは朝食を殊更噛み締めて味わった。
ルークが居るライマ部屋。ノックと声掛けをした後待てば、ガイが出てきた。正直にルークに会いたいと言えば、ガイは少し考えた後ウインクをして出て行った。通りすがりに肩をぽんと叩かれ、よく分からないが応援されたようだ。
遠慮無く足を進め部屋に入れば、相変わらずルークがソファで不貞腐れて寝転んでいる。昨日のまま世界を拒絶するように、扉側に背中を向けて。その背中と流れている朱金が、怒っているように見えなくてクリウスの口から勝手に声が漏れた。
「ルーク」
またもプンプン怒りだしたルークだが、クリウスの顔を見てすぐにぷいっと背ける。昨日の今日なのだから、当然とは言えどうして言い放った側が困惑と言うか、どうしようと迷っている空気を出しているのか。それもなんだか、ルークらしいと言ってしまうとそれまでなのだが。
クリウスはソファの横、ルークの顔が向いている方向へ遠慮無く座る。目が合った緑碧がきゅうっと縮まり、汗がだらだら流れていた。一種緊張感が張り詰めたが、それを破る勢いでクリウスは口を開く。
「ルーク、僕ね、あの後沢山考えたんだ」
そうはっきりと拒否すると、ルークの瞳は目に見えて傷付いている。それを悪いな、今すぐ謝りたいな、という気持ちが湧き出てくるが必死で抑えた。嫌われたくないから謝ったり取り消したりする事は、特にルークの前ではしたくない。深く心を知っているとは思っていないが、クリウスから見てルークは嘘を付かれたり誤魔化されたりするのを嫌っていそうだと思ったからだ。
「ルーク、僕の言葉を聞いて欲しい。国の中の100人中の1人じゃなくて、救世主であるディセンダーとしてじゃなくて。ルークリウス個人の、あんまり賢くないかもしれない……気持ちを」
立ち上がろうとするルークの手を引っぱり、どすんとソファへ乱暴な動作で落とした。いてぇ! と声が聞こえたが、そこから湧き出る感情があまりにも大きくて聞こえない。
誰かの言葉や気持ちを遮ってまで、声を大にして言いたい気持ちなんて初めてだった。それはただ走って平等に愛し助け救い捧げていた今までと、全く違うむしろ正反対のもの。止まって視界を塞ぎ胸を射止めて爆発させてしまうような、どこから湧き出ているのか不思議なくらいの大きさ。
「僕が倒れたあの時、夜にルークが手を握ってくれてたあの時間が……すごく、嬉しくて幸せで暖かかった」
あの手の持ち主が否定しても、あの時あの場所でクリウスはあの温度をしっかり受け取った。本人の手から離れてしまえば、後は受け取った側の自由だ。あの温度はルークの小さな優しさ、単純な心。
夢の中で道に迷っていたクリウスには、あの光がどれだけの希望だったか言い表せない。抜け道の無い暗闇から救い上げてもらったような安心感、きっと世界のみんなは同じ気持ちを救世主に求めている。
本当はあの時から、胸の痛みはあったのだ。けれどまだ温度が手の平に残っていたから、気付かなかっただけ。嫌いだと言われて、冷たい風に吹かれ今では寒々しい。その冷たい手を、ルークに向ける。もう一度欲しいなんて贅沢は言わない、ただ確かにあったあの温度まで、嫌いになってしまわないで。
「あの時から……僕の中で人を助けたいと、恩返しをしたいときちんとした形になったんだ。僕を産んでくれたのは世界樹で、僕を人にしてくれたのはアドリビトムのみんなで、僕を救世主にしたのは……ルークだ」
人を導き希望をもたらすものが救世主だと言うものならば、クリウスにとってはルークこそが救世主だ。クリウスに生きる道を決意させ、生まれた使命を我が物として自覚させた。人は神の言葉と共に生きるという教えがあるのならば、クリウスはルークの言葉を聞かなければならい。だってまだ何も、ルークの御心を聞いていないのだから。
クリウスはアンジュに相談した後部屋に帰り、電灯を点けた明るい室内と寒くないベッドでずっと考えていた。自分がルークを好きな事は分かった、胸の痛みの原因も。ではこれからどうするのか。忘れる? 無かった事にする? 言う通り顔も見せずに素通りする毎日を過ごす? どれも有り得ない、考えるだけ無駄だ。
「僕の趣味をね、ルークにしようと思う」
欠片もそう思っていない声で、そう言う。ルークも同じ様に聞こえたのだろう、キッと迫力を込めて睨み付ける。同じ場面に居て同じ気持ちになるって、なんだか気分がいいなぁ。そんな場違いな事を呑気に、クリウスは思う。
理解の範疇を超えたらしいルークの怒鳴り声は部屋中に、立ち上がろうとしているがクリウスが腕を離さない。
「消えちまえよ、もう! お前訳分かんねぇよ!」
叫びすぎてぜいはあ喉が枯れ始めているルークを見て、クリウスはにこりと笑った。ガイ達程付き合いは長くないし、クレスやロイド達程仲良くもない。けれど全船員と付き合いのあるクリウスの耳には、きちんと評判という形で届いている。
頭に血が上ってカンカンのルークに、軽く引っ掛けを仕掛ける。経験のないクリウスの言葉に引っかかってくれる人間は少ないだろうが、その数少ない人間は今目の前。
「ルークは嫌いな人が倒れた時でも心配したり、手を一晩握ったりするんだね」
言いながらもルークは両手で口元を隠し、赤くなっていく頬も隠した。それを見ているともっと見たいなぁ、なんて欲求が湧き上がる。贅沢は言わないと決めたのに、それをあっさり覆してしまうなんて。ルークはとんだ救世主さまだ。
「僕はまだ生まれたばっかりだから、人になっても救世主になっても、知らない事が沢山ある。その中の一つが、ルークだよ。だから僕は知りたい、ルークの事を」
だから知って欲しい、僕の事を。そう本心から言えば、ルークの瞳は大きく揺れた。ビー玉みたいだ、なんて言えば怒られるかもしれない。でも綺麗だと思う気持ちは、やっぱりこれも本心から。
不安そうに歪む翡翠はクリウスへの嫌悪には向かなかった。だがそれがどこに向けてなのか、という事まではクリウスでは読めない。今まで大抵自分の言う通りになっていた世界が、この船に来てから全く思い通りにいかなくなった。その苛つきが顕になったのか、それとも……。
考えても他人の頭の中なんて当たっている気がしない。だから相手の口から出る言葉と行動が全てだ、例えそれが嘘でも。その嘘を本当だと思ってもいいし、嘘を暴いて本当を知りたいと思ってもいい。
分からない事を分からないままにする事だけ、それだけしなければいい、クリウスの心ではそう結論付けていた。
「……知って、どうするんだ。俺の事、なんて」
つまりは見切り発車なのだけれど、立ち止まって思考停止してしまうよりも、よっぽどいいと思った。ルークはとたん肩を落とし、眉をしゅんとさせて悔しそうな上目使いで見上げてくる。
「俺だって、よく分かんねーよ、自分の事。だって今まで言う通りに歩いてきたんだ、いきなり……この道を退けって言われたって、どうしていいか分かるかよ」
今までの怒りを忘れてしまったかのように、途端にルークは弱気になる。何時も大声で虚勢と意地を張っている姿と正反対のようで、こんな風に言っては失礼かもしれないが、どこか可哀想に見えた。
今の言葉を真っ直ぐ受け取るならば、ルークは自分でもどうすればいいのか分からないのだろう。きっとヴァンの依頼の時に何かあったのだ、自分の根底を揺るがす事が。その事にまだ戸惑っていて、処理出来ていない。クリウスが自分を知ってほしいと願いルークを知りたいと言っても、ルークは今聞ける余裕も無いし自分の事すら分からないのだ。
クリウスはそのルークの苦しみを、鼻で吹き飛ばすくらいの強さで笑った。このギルドに所属してずっと生活して、何を馬鹿な事を言っているのだろうか。毎日食事や生活環境を整えてくれるロックス達、ルークと仲の良いクレス達、従者で幼なじみのガイだって居るのに。
クリウスが笑っても、今度のルークは突っかかってこない。への字口に曲げて、眉も同じ様に曲がっている。悔しそうでなんだか、情けない顔だ。こういう顔もいいね、そんな事を思ってクリウスは握っていた腕を一度離して再度差し出す。
「じゃあ、僕と一緒に探そうよ」
何時までも笑っているクリウスに腹が立ったのか、怒りだして眉をきりりと上げる顔は、何時ものルークだった。自分で自分が分からない、と言っているが今まで生きてきた道で人格が形成されるものなのだから、今有りのままがルークと言う証明でいいんじゃないかと思える。けれどそれに気付くのは自分からでないと意味が無いのだろう。それに黙っておけばその分クリウスは一緒に居れる、言う事無しだ。
クリウスはやってこない手を自分から探しだして、ぎゅっと握った。あの日あの時あの場所で、貰った温度をじんわり感じる。ルークが困っているならば、助けたい。助ける事で自分も助けられている、案外そんなものだ。
誰かの手を引くのは慣れている、道を歩くのだって。けれどその隣に、ルークが居てくれるのならばこれ程嬉しい事はない。地獄だって天国にしてしまえる、そんな夢のようで夢のままにしていられない予感。
「ね、ルーク。一緒に探していこうよ。僕が外へ連れ出してあげるからさ!」
どこかピントのずれた怒り方をしているルークに笑い、クリウスは手を離さず部屋を出る。今は歩いてなんてちんたらしてられない、走りだすくらいの気分なのだから!
エントランスを颯爽と駆けて甲板に出る。今日はいい天気で、風が気持ち良い。一面広がる青い世界を背中に背負い込んで、クリウスはルークへと思い切り笑いかけた。
「さあ、さっそく自分探しに外へ出よう!」
そう言って1人は笑いながら、1人は怒りながら。手を引かれ助け合いながらも、各々自覚ある最初の一歩を踏み出し始めたのだった。 |