猫耳大使に一目惚れするユーリの話








5
陸地に囲まれたガルバンゾを出て、初めて感激したのは海だった。
共に居たエステルが声高々に感激し、帝国に追われていた時だったからそんな暇は無かったのだが。
けどアドリビトムに所属するようになって、このバンエルティア号で上は空、下は海の毎日だ。火山や雪山は正直勘弁してもらいたいが。
別にそれ程執着してる訳でも無く、ただ依頼で外に出る時目線で祈るだけ。それだけで充分。
毎回ロマンティックに浸れる程子供でもないし、侵食を受けて風景を変えていくルミナシアを眺めるのも心が痛んだ。

いや、胸にしこりを感じるのは前からだ。
この甲板で、あの朱金の猫耳に出会ってから。

昼間、ガイが言った言葉の意味を反復する。
ライマ、アッシュ、テロ、ルーク、王家。
エステルの時といい、どうして俺はこう他人の何だかんだに首を突っ込んでしまうのか。誰が名付けたのか「放っておけない病」ってのが今更ながらに憎い。
俺が涼しい顔してお坊ちゃんをからかってたのが悪いのか?いいだろ別に、他の奴らの真似して可愛がらなくても。
俺だって許されるならあの猫耳を思う様猫可愛がりしたいけど、成人してるんだから大人ぶるくらい許して欲しい。
何が冷静でクールで落ち着いてて冷淡だっつーの。
あっちもこっちも力一杯出来る様な歳でもないってんだ、格好くらいつけてもいいだろ。
世界なんて全然思い通りならないんだから、自分くらい思い通りにしたい。

それがルークの興味を引いてガイの目に止まったんだとしたら、なんつー報いだ。
ガイが俺をクールだ冷静だ言うのはただの客観視で、俺の本心は何時でもあの猫耳だけに向いていた。そこにルーク本人は存在していない。
ただ口にしていないだけ。そんな俺が思った以上に深刻そうな話に手を出していいものだろうか。

夜の海に思考を沈めるだけ沈めて、体が凍るんじゃないかってくらいの時間までボケーっとしてた頃だ。

「……何やってんだ大罪人」

甲板に上がってきたのは俺を悩ませるお坊ちゃん張本人。
今日はセルシウスが泊まりのクエストに出かけているってんで、有難く一人黄昏させてもらってたんだが。

「晩飯に来ないって、エステルが心配してたぞ。こんな所でボケっと突っ立ってるくらいなら行ってやれよな」
「……ああ」

ガイの語った過去がどうしてもチラつく。上の空な俺の返事に、お坊ちゃんはムッとした。
光源が星影くらいしかない闇夜なのに、鈍く光る朱金が陽の下より何倍も美しく見える。
見ていたいような、見たくないような。逡巡しながらも目を細めて、下から上へ眺める。

「……何ジロジロ見てんだよ、ウゼーぞ」

初対面以来、真正面から見るのは初めてだ。
夜の海に反応してか、少し開いた瞳孔。いつも眠たげにしている分大きく見える瞳。
不満そうにへの字口にしてるクセに、困ったような、疑うように顰められた眉。 でもやっぱり一番目立つのは頭の猫耳と後ろの尻尾だった。
さざ波響く甲板でどんな小さな囁きも逃さないように、此方に向けて立つ耳。足元でゆらゆら落ち着かない尻尾。
このお坊ちゃまの場合、言葉より余程雄弁だ。
いや、もしかすると無意識にアピールしているのかもしれない。

「……気分悪いならアニーかルカか呼んできてやろうか」
「ああ、いや。なんでもねーよ。必要ない」
「そんな感じじゃねーけど?」

今さっき本当に関わるべきかどうか考えてたってのに、気がつくと意識がこいつの方を向いてしまう。
不満気なお坊ちゃまが睨みつけながら同じ様に船の縁に寄り掛かる。
そこでふと気が付いた。
なんで晩飯も終わったこの時間に、こいつが甲板に出てくるんだ。
何時もなら食事が終わったら部屋に帰るか、クレスやロイド達の部屋に遊びに行っている。甲板だって潮風を受けて腹出しの服じゃ間違いなく寒い。昼間ならともかく夜に好んで出ようとする奴はそう居ない。
そこまで考えれば答えは歴然だった。

「もしかして俺を探しにきたのか」
「……はぁ? なんで俺が大罪人の心配なんかするんだよ! 自惚れてんじゃねーぞ!」
「心配してくれたのか」
「ちっげーってんだよ!! ただエステルとフレンがなんかグチグチ言うから! 食堂帰りに見かけたら声かけてやるって言っただけだかんな」
「それで態々このお寒い中、甲板まで出てきたのか」
「俺がどこ行こうが俺の勝手だろっ」

……前々から思ってたが、こいつは言動と態度が違いすぎる。子供みたいに近寄って来ては反抗期の様に攻撃的。無視されるのを嫌がるくせに構いだすと振り払う。
下々の人間が甘い考えで想像するより、王家城内ってのは優しくない世界なんだろう。ガイの話から想像するにこのお坊ちゃんはライマで捨てられて、弟にも罵倒されて、居場所が無いとか思い込んでいる。
頑なに思い込んで塞ぎこんでるから周りがチヤホヤしても信用できなくて疑心暗鬼気味なんじゃなかったのか?
それなのに。他国の他人の、自分に嫌味言ってくる奴の、ただ晩飯に現れないってだけの奴の為に薄着でウロチョロしてんなよ。しかも食事の時間結構過ぎてんだろ。
あの過保護使用人と行過ぎ従者に怒られるのはお前だろう。

「……悪かったな。ちょっと頭痛くて冷やしてただけだから、もう戻る」
「頭痛? 痛み止めなら俺の常備薬分けてやろうか」
「常備薬って、……お前頭痛持ちだったのか」
「今じゃもう慣れてるし、いちいち薬飲むのも面倒だから余ってんだよ」
「そんな前からなのか」
「ガキの頃からずっとな。国の薬師に調合させてるけど、効きゃしないし」

初耳だった。
お坊ちゃんが船に来てからそれなりの期間、それなりに見てたと思ってたが初めて聞いた。

っていうか、俺はこいつの何を知ってるって言うんだ。
猫耳で、尻尾がある。
我儘気質で気まぐれ、誰にでも横暴。優しい所もあるのに素直じゃない。優しさを他人に見せるのがかっこ悪いと思ってる。
偏食がアホみたいに多い。好物はチキン。魚は嫌い。
身長は俺より低い。体重はイイもん食ってそうだからそれなり。ああ、それから左きき。爪は手入れする人間がいるからツヤツヤしている。
旋毛の中心がアッシュの髪色に少し近く、深紅。そこから一気に色が抜けて朱色。毛先は完全に金髪。
名前がルーク・フォン・ファブレ。

馬鹿か俺は、んな事分かってる。こんな程度なら他の奴らだって挙げられるだろ。
けど、今初めて頭に入った気がする。
そういえば何時もお坊ちゃんだか猫耳呼びで、ロクに名前を呼んだ事が無かった。
てか、まじで口にして呼んだ事無いよな? 一度も。
まるで世紀の大発見かというくらい、俺からすればとんでも自覚だった。

「おい、大罪人お前本格的にやべーぞ。さっきから顔がおかしい」
「おかしな面で悪かったな。生まれつきだ」
「ちげーって! 茶化すなよな。……俺に言ってみろとは言わねーけど、フレンくらいには話してやれよ」

気まずそうに俯いて海に浮かぶ船の影を見つめる。
こいつなりに心配して、けど踏み込み過ぎないよう測っているのか。
行動が粗暴な割に、繊細だ。
いや、反対なのか。繊細さを気付かれないように粗暴でいたんだ。

なんてこった。
俺は今初めて、ルークという一人の人間を目に、認めていた。




新しく俺の胸に響いた感情は、初めての割に馴染むように入ってきて、今まで考えていた理屈や常識や葛藤を物の見事に粉砕した。
そうして生まれた心に突き動かされる俺は、頭でうだうだ考えるよりもただ素直に動くことができた。

「な、お坊ちゃん。お前ずっと船に居て、外に出ないのか」
「なんだよ急に。俺だって出れるなら出てーよ。……ジェイドが出してくんねーんだよ」
「アッシュやナタリアはクエストに出てるじゃねーか。なんでお前だけ駄目なんだ」
「そりゃ……」

言葉を濁して遠い顔をするルークの肩を掴んで、俺の方を向かせる。
今度こそ俺は正面からルークの目を見て、ハッキリと言った。

「俺が連れ出してやろうか?」
「はぁ? 大罪人が何言ってんだよ!! お前が言って出してくれるんならとっくに出てるっつーの!」
「やってみなきゃわかんねーだろ? ジェイドが許可くれたらいいんだな」
「……本気か? ジェイドだぞ?」
「まぁ、期待して待ってろって。ほら、いい加減寒いから戻ろうぜ」
「ちょ、引っ張んなよ! お前マジ訳わっかんねーよ!!」

どさくさに手を握ると、当然ながら冷たかった。
自分だって冷たいんだから仕方ない。けど次この手を掴む時は、必ず暖めてやろうと勝手に誓った。






「ルークを連れてクエストに出たいと?」
「ルバーブ峠へ採取依頼だ。あそこなら船も近くに置けるしいいだろ」
「いいですよ」
「……マジか」
「何がです。嫌なのですか?」
「いや、んな事ないけど。正直駄目だって言われると思ってたからな」
「ルークが言えば許可しません。体面というものもありますから」
「ガイやヴァンも何も言わないのか? ヴァンなんかルークの師匠なんだろ」
「ガイやティアは過保護ですからね、取り除ける障害は取り除こうとします。ヴァンは国と板挟み状態ですから、責めるのは酷でしょう」
「あんた、見た目通り厄介だな」
「評価いただき光栄ですよ」

眼鏡をキラリと光らせて笑う姿は、誰かが言っていた『鬼畜眼鏡』が正式名称じゃないかってくらいピッタリだった。
予想外にあっさりと許可をとれた事で、自分が浮き足立つのが分かる。

「それで、貴方はどういった魂胆でルークに近づいているのですか?」
「魂胆って、嫌な言い方してくれるじゃねーか。同じギルドメンバーを誘って悪いのかよ」
「他のメンバーならともかく、貴族嫌いと名高い貴方からのお誘いですから。それを差し引いても、自国の人間以外を目に掛ける行動を取るとは、らしくないのでは?」
「よく観察してんじゃねーか。それならなんで俺がここに居るのか、その賢い頭で弾きだせばいいだろ」
「言葉遊びは貴方が思うより高等な遊戯ですよ。立ち位置の違いすぎる相手と上も下もチグハグな会話をしていられる程、暇では無いのです」
「チグハグなのはそっちだろ。らしくない事をしてるのは自分でも分かってんだから、変な言いがかりは止めてもらいたいね」
「おや? そちらから引っ掻けてきたのでは?」
「勘弁してくれ。あんたと舌戦できる程、俺の神経は図太くないんだからな」

おやおや。そう言って肩を竦めるわざとらしいその態度にドッと疲れを感じるのが分かる。
傍目からも面倒臭そうな人物ではあったが、やはり直接相対するともっと面倒だった。アッシュやナタリアはよくこんな奴と同室でいられるな。

「真面目な話、ルークの姿を外に晒すのはあまり好ましくありません。ライマの外聞もありますが、国でのルークの立ち位置にも響きます」
「それさ、聞きたかったんだがあんたはルークをどう見てるんだ」
「それは国に属する軍人として? それとも王家に属する臣下としてですか?」
「聞きたいのは国としてのあんたの立場からで、知りたいのはジェイド個人として。かな」
「そうですねぇ。軍人としても個人としても、そこまで騒ぎ立てる事では無い。というのが正直な所ですね」
「王位継承者サマから信頼を置かれてる人物とは思えない日和った意見だな。それがあんたの本音かよ?」
「古来より兄弟での相続争いは腐るほどあります。むしろ双子で血みどろの争いになっていないあの二人の方が珍しいのでは?」
「そりゃルークを兄としてるからだろ?」
「片方が全てを手に入れるんですよ。兄だろうが蹴落とすのが普通でしょう」
「普通はそうかもな。でもあいつらは違った。それだけだろ」
「それが不幸なのです。ルークにとっても、アッシュにとってもね」
「…………」

備え付けの机から椅子を引いて、深く掛けるジェイドの口元は歪んでいる。けど同時にその瞳は思案に沈んでいた。

「アッシュを深く想っているから、身体の原因が言えないルーク。けれど大臣達から手の平を返されて、釈明も反論もしない兄を一番歯がゆく思っているのはアッシュなのです。それまでルークの影として教育されてきたのですから、余計にね」
「まぁ自分の兄貴がいきなり猫耳になったら嫌だわな」
「二人が二人共、一人で勝手に喧嘩してるんですよ。思い込んだら一直線なのはそっくりです。嫌になる程」
「……あんた、態度の割に保護者みたいだな」
「私もあの二人とはそれなりの付き合いですからね。昔はあの二人の家庭教師をしていた時期もありましたよ」

どうりでルークが妙にジェイドを信頼してビビってる訳だ。

「さっきはああ言いましたが、心配してはいます。友人としてはね」
「いちいち勿体ぶった言い方すんなよ。あんた唯でさえ分かり難いんだから」
「性分なもので」

今度こそニヤリと、嫌味に笑うジェイドはそれはそれは様になっていた。
しかしこうやって話を聞けば聞く程、ルークと周りとの想いが乖離しているのを感じる。
やはりあの使用人、恐ろしくルークを理解している。
今は足元にも及ばないかもしれないが、まぁスタート地点から違ってるんだからそれは仕方がないか。

「それでは、ルークのお守りを頼みますよ」
「分かってる。俺も望んでやってんだ、もう中途半端な事するつもりはないさ」

それは誓約だった。
誰に誓うでも無い、自分自身に誓う。



「て事で、明日クエスト行くぞ」
「マジかよ……お前、すっげーな! いやマジで!!」

許可をもらったその足で、さっそくルークに伝えてやる。きっと喜ぶだろうと思ったら、明日まで我慢できなくなったからだ。
ジェイドの奴、どんだけ恐れられてんだよ……。ルークがヴァンを見る時の瞳で俺を見てくるんだが……。
家庭教師時代、一体何されたんだ?

「良かったなぁルーク。ルバーブ峠だろ? 弁当作っておいてやろうか」
「弁当? なんだそれ」
「携帯用の食事。外で広げて食べるんだ。お前そんなのした事無かったろ」
「外で食うのか? レストランじゃなくて?」

笑える突飛な会話も、今までのルークの事を思えば仕方ない。
むしろルークの初めてに付き合えるんだ、僥倖と思えばいい。

「それで明日なんだが、流石にライマの護衛を付けろって注文されてな。あんたも付き合ってくれるか」
「俺も? 俺は構わないが……いいのか?」
「ガイも来んのか!?」

意外そうな顔。そりゃ俺だって二人きりで行けりゃ文句無しだったが。

「あんたが来てくれないと、ジェイドが来る事になってるからな」
「そりゃまた……。分かったよ」
「うわ、うわ! まじかーやべーなすっげー楽しみなんだけど!!」
「落ち着けルーク。今からはしゃいでたら保たないぞ」

苦笑するガイだが、その実目元はデレデレだ。くそ、自覚してから見るとやっぱりむかつくな。
興奮で頬を赤らめ、嬉しそうに体全体でガイに巻き付いて擦り寄せているルークは半端なく可愛い。しかし実際ジェイドに許可をもらってきたのは俺なんだから、そのガイの足に巻き付いている尻尾くらいは、俺にも与えられるべきじゃないのか!?

「ほら、ルーク。ちゃんとユーリにもお礼言えな?」
「ああ、サンキューな!」

俺の刺すような視線に気付いたのか気まずそうに促すガイ。やっと気付いたとでも言わんばかりだったが、それでも喜色満面の笑顔のままで振り向いたルークの破壊力は秘奥義級だった。









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