29〜32

29///天使はいたんだ9
30///天使はいたんだ10
31///天使はいたんだ11
32///天使はいたんだ12




















29///天使はいたんだ9

 近頃のルークは飽きていた、翼にではない、船内の生活にだ。一応自分が普通の人間とは離れた形状になってしまった自覚はある、なのであまり街には行っていない。それでもまぁ外やダンジョンには問題なく出歩けるのだから構わないと思っていた。切除の痛みよりも少しの不便を選択したのだ。
 だが、最近になってそのしっぺ返しがストレスとなって増えていた。街に行けないという事は、買い食いが出来ないという事。ホットドッグは何故かルカが差し入れてくれるのでいいのだが、ぶらぶら歩きながら屋台で食べ歩くというのはまた違う。あれが恋しい、あのどこの肉を使っているのかよく分からないソーセージに効き過ぎたマスタードたっぷりのケチャップ。どこの当てもなくぶらぶら歩いて、気の向くまま食べながら回るのだ。ティアに見つかればみっともないから止めなさい! と言われるだろう予想が容易に出来る。
 だが食べたい、どーしても食べたい! 一度頭の中でそう疼けば欲求はどんどん高まり、ルークの心をがっちり掴んで離さない。一も二もなく食べに行きたいのである。買ってきてもらうのでは駄目だ、一人悠々ぶらぶら食べ歩きが至高なのだ。

 しかしこの望みを叶えるには、かなりハードルが高い。まずティアとアッシュが、見ていないようで地味にきっちり見ている。一人出歩こうものならばすかさず声をかけてきて、トイレだと言っても本当にトイレかどうか疑って付いて来る。俺ってそんなに信用ないの……とちょっぴり傷付いたが、実家に居た頃その手を使ってしょっちゅう抜けだしていたのだからまぁ自業自得かも。
 それにユーリ。ガイの代わりにこき使え、とジェイドが言うのでこき使っていたら案外便利過ぎて困る。何よりもユーリは、背中と羽根を撫でるのが上手すぎるのだ。例えるならば虫刺されの場所をずっと我慢して、一気に掻き毟る! という快感に近い。ふおおぉ〜! っとなるのだ、なんだろうあの気持良さは他に類を見なかった。
 今では気が付いたら一緒に居て、余分な羽根も落としてもらって助かっている。料理も上手いし、デザートが特に美味い。おかげでルークは少し太ってしまった、このままでは本当に飛べなくなってしまう。一応まだ飛ぶ野望は終えていない、せっかく翼があるのだから一度は大空を飛ばなくては。
 話が逸れてしまった。それで、ユーリもユーリで積極的にルークの世話を焼くので、離れる機会が無い。水浴びに外へ出る時も、必ずユーリが一緒に来る。そもそも翼が生えた今のルークは船内でも目立ちすぎて、一人不審な行動をしていると必ず声を掛けられるのだ。

 これではいかん、とルークは作戦を立て始めた。それが少し前の話。


*****

 その日ユーリは、食事当番だった。バンエルティア号の食事当番は過酷だ、何しろ総勢80名近くの食事を作らなくてはならない。勿論全員が全員、食堂で食事をする訳ではない。依頼で出ている者、外食する者多々。けれども半分近くはやはり食堂を利用するので、どちらにせよその忙しさは戦争に近い。下準備も調理も、朝から晩まで拘束される。それをクレアやロックスは毎日やっているのだから、感謝するしかない。
 だが本当にこの当番が過酷であるが所以は、その忙しさではない。同じ食事当番メンバーによって、天国か地獄かに別れるのだ。人数も人数だが、食堂の広さもあって当番選出は大体2・3人。アドリビトムメンバー全員から、別け隔てなく選ばれる。この別け隔てなく、というのが曲者で問題だ。
 アドリビトムメンバーは全員が全員、料理が出来る人間ではない。様々な人間が集まるとは言っても大抵が戦う者だ、よくて最低限食べられる程度の腕前くらい。不器用で包丁を任せられない者はまだいい、問題なのはアドリビトム誇る恐怖の××料理人の存在だ。彼らが組めば実質一人減る……いやフォローの為に手を取られる。
 そしてそんな人種と組まされるのは、大抵料理上手な人間だ。マイナスをプラスで埋めよう、という考えなのだろう。気持ちは分かるが組まされる方は溜まったものじゃない話。

 そして今日のユーリの当番は、そんな××料理人と当番になっているのだ。それを朝から、どよーんとした顔で憂鬱そうに言っていた。ルークはこれを、チャンスだと考えている。ちなみにルークは翼が生えてから、食事当番は免除されていた。羽根は落ちなくなったが動く度に翼で立て付け戸棚を破壊し、キッチン内で羽根の端っこを焦がし大騒ぎになったからだ。
 そしてティアはジェイドと出かけ、アッシュはナタリアとアニスと一緒に依頼に出た姿を確認している。これは、なんとも千載一遇のチャンス! 今を逃せば次は無い、ルークは直ぐ様行動を開始した。


 エントランス、アンジュの前を自然に横切る。心の中はどきどきしっぱなしで、緊張に汗をかいていた。けれどもルークは案外本番に強い。アンジュが目を留めどうしたの? と声をかけてくる。声を震わせぬよう、努めて自然にルークは返事をした。

「なんか構ってくれる奴いねーし、甲板で日光浴」
「ああ、今日はユーリ食事当番だものね。日光浴はいいけど、前みたいに水分摂るの忘れて干からびないでね?」
「わ、分かってるって!」

 それに少し頬を赤らめ、ルークは駆けて外へ出た。甲板にはセルシウスも居ない、調査通り! 前頭部にシーツがばたばたはためいて気持良さそうに空を泳いでいる、それを見てルークは羨ましくなった。ただの布っ切れですら空を掻いでいるのに、自分の翼はまだ一度も鳥のように優雅に羽ばたいていない。以前試した時は色々と知識不足だったのだ、今やればきっと上手くいく……はず。
 そう決意を新たに、新たにするが今はその話はまた今度。一人両側にも誰も居ない自由を背を思い切り伸ばして、羽根も全開に広げる。隙間を通る風が気持ち良いが、潮風なのであまり長くは受けたくない。
 ルークはうきうきスキップをしたいくらいにご機嫌に、タラップを降りて行く。目指すは一先ず、近くの街だ。それなりに大きく人口も多いらしい、近くをバンエルティア号が通った際、窓から教会らしき建物に時計塔が見えたのを覚えている。
 教会はともかく時計塔は少し見たいかも、とぶらり歩きの予定を浮かべてルークは足取り軽く歩く。勿論財布はちゃんと持っている、金の存在を知らずにリンゴを食べてしまった過去の自分ではないのだからと誰も居ないのに自慢気。

 しかしその時計塔を想定していた全く別の状況で見る羽目になるとは、この時のルークは思いもよらなかった。





























30///天使はいたんだ10

 朝から地獄だ、ユーリはほとほと疲れている。なにせ料理当番のメンバーに、あのアーチェが一緒なのだ。彼女は見た目以上に長く生きているくせに、味覚がぶっ壊れているのではないかと疑うレベルの××料理人である。
 ユーリはその手の人種には、それなりに慣れていた。なにせ親友が類を見ない味覚音痴……いやもうあれは味覚障害と言っていい、それに長年付き合ってきたのだ。包丁は使わせても味付けには絶対に参加させない手腕をそれなりに心得ている。だがそう言っても笑顔で「何時もやってもらってるし、今日は僕に任せて」そう言われると強く言えないのも、ユーリは自覚していた。しかしそれはあの親友だからの話で、他の誰かの味覚音痴にならば拒否出来るだろうと思っていたのだが……。
 アーチェはそういう問題じゃない、ポジティブな悪意なき善意だ。ユーリの親友とはまた違ったベクトルで厄介であり、おまけに言うと暴走も完備している。栄養だけを重視して、味の事を全く考慮に入れていない。チェスターはよくあれに毎回付き合っているものだ。……いや、体よく避けていたのだった、思い返せば。

 光を消したロックスを横目に、ユーリはなんとかアーチェをキッチンに入れまいと必死な攻防を続けた。下処理を中心にやらせていたのだが、地味な作業に彼女はすぐ飽きる。それをなんとかだまくらかして上手いこと言い包め、なんとか朝食は無事に終わった。ユーリはもうこれだけで疲労が濃い、さっきまで昼食用の下処理でまた一バトルやっていたので特に。
 ぐったりする体をベッドに横たえ、ふぅと一息。手が勝手に伸びて、シーツを掻いた。その白さにルークの羽根を思い出す。真っ白で柔らかく、暖かい羽根。あれに埋もれると、ああ羽毛布団……と目を閉じて幸福に浸れるのだ。それにルークの羽根は毎日清潔にしているし、日光浴も欠かさない。鳥の羽毛のようにふかふかしている部分ではないので、あまりもふもふでは無いのだがそれでも十分ふかふかだ。
 最近では背中からぎゅっと抱き締めて羽根の心地を味わいながら、ルークの髪に顔を埋めるのが癒しの一時になっている。本人大変嫌そうな顔をするが、実力行使での抵抗はないのでまだ大丈夫だろう。というかこれくらいの報酬はあってしかるべきである。

 そう頭の中で思い描けば、現実でもしたくなってきた。ユーリはがばりと起き上がり、素早い動きで部屋を出る。この後はまたすぐに昼食の準備をしなくてはならない、なので今を逃してしまうと時間が無いのだ。癒しを求めてユーリはルークに会いに行った。


***

「ルーク? 甲板で日光浴するって言って出たわよ」
「そうか、分かった」
「ついでに水分持って行ってあげたら? また手ぶらで出たから」

 部屋に行っても誰も居らず、隣を覗いても同じ。なのでユーリは手っ取り早くアンジュに尋ねると、あっさりと答えが返ってくる。翼が生えてからルークは日光浴がお気に入りで、よく甲板で羽根干しをしていた。ぽかぽか暖かくなって寝てしまうのだが、本体である人間の都合を忘れてよく干からびるのだ。一度やってからはユーリも注意して見ているのだが、今日も同じような事になっているのだろうか。

 先に食堂へ水を持っていくか? とも思ったが、今日一日は食堂に籠もるのだから後回しにしようという思考が働く。まず先にルークの羽根に埋もれよう、そう思ってユーリは甲板に出るが……誰も居なかった。
 セルシウスも居ない、白い羽根はぐるり見回してもどこにも居なかった。だがアンジュは確かに甲板に出た、と言っていたのだから……。前頭部で大量のシーツがはためく、それを少し眩しく思ってユーリは目を細めた。そのまま横を向くと、ふと目に止まる何か。ユーリはこの時点で、胸にざわめくものがあった。
 停泊場所、タラップを降りた街道に白い何かを見る。ユーリは急いで降り、それを手に取り確認した。……羽根、だ。1本の立派な、真っ白い羽根。それは見覚えがありすぎる程見覚えある物で、確かめるまでもない。どう考えてもルークの羽根だった。
 だがルークは基本的に、翼の事があって外に出ない。例え出るとしても必ず誰か付けるし、アンジュにも言うはず。自分の立場を知っているのだから、そう無茶はしないはずだ。……そう考えて、とたんにユーリの頭は否定した。
 無茶しない? 誰が? ルークが? そんな訳あるか、あの無茶苦茶王子様にどれだけ手間をかけられてきたと思っているんだ!

 バンエルティア号のこんな目と鼻の先で誘拐……、なくは無い。だが割合としては半々だろう、自分の意思で降りた可能性の方が高そうではあるが。ユーリは急いで船内に舞い戻り、アンジュに話をつけた。


*****

 一番近くの街に着く。手にはいくつかの羽根、道中拾ったものだ。そしてやはり街の入口街門に、真っ白い羽根を見つけて確信する。ルークは何の用事があるのか知らないが、一人でこの街に来ていると。どうせいい加減船内生活に飽きただとか、そんな理由なのだろう。きちんと言えば何かしら手段を講じるのに、また思いつきで行動したとかそんな辺りに決まっている。
 ルークの兄貴分で従者だという第一飼育係であるガイとやらは、一体あの破茶滅茶王子をどう扱っていたのやら。聞きたいような、聞いてまで世話をしなければならないのか不安になるような……。
 とりあえずは先に探して、それから叱ろう。ユーリは街中を走り回り、あの目立つはずの朱金を探して回った。羽根は流石にマントか何かで隠しているだろう、でなければ悪目立ちしすぎてしまう。今の御時世であんな、見た目からしてお金になりますと看板ぶら下げているような存在を放っておいてくれる程優しい世界じゃない。ユーリはガルバンゾでのギルド時代で、何件も人身売買や希少な動植物の違法取引を見た事がある。
 命があればまだ良い方で、羽根をもがれて鶏ガラになってしまったルークを想像してしまい、ゾッとしない。幸い時間は然程経っていないのだ、今ならまだそう大事な事になっていないだろう、と祈っておく。

 時々見かける白い羽根に導かれるように、屋台や広場を回る。だが欠片ばかり見つかって、肝心の朱金がどこにも居なかった。
 時間に余裕があると高をくくっていたが、攫われて地下か密室、手の届かない場所に監禁されてしまっては難しいだろう。段々と消費していく時間も虚しく、町中を走り回るユーリの汗が増えるだけ。道中で話を聞くが、やはりマントを着ていたのか目立った証言は得られなかった。例え翼を隠していてもルークはあの態度と朱金、何よりも人目を惹く容姿を持つ。なのに確実な証言はこの羽根だけとは……一体どういう事なのか。
 本人上手く隠れているだけならばいい、それなら見つけた時か帰った時に人参フルコースでお仕置きするだけだ。けれどもし万が一、想定したくないレベルで最悪な方向に進んでいたのならば……!

 焦るユーリは一度船に戻りルークが帰っているか確認するか、それか人手を借りようか迷う。もしも帰っているならば時間の無駄だが、まだならばもっと捜索効率を上げたい。この街は中央に大きな教会とシンボルらしき時計塔が建っており、そのお陰かは分からないがそれほど戦争の被害を受けていなかった。こういう街は裏通りにいくつも隠しルートがあるのが定石であり、余所者一人では限界がある。
 しかしそんな余裕があるだろうか、もしも帰っている間にこの街から出てしまえば……。そう考える中、突然ユーリの耳に大きな鐘の音が聞こえてきた。

 ゴーン……ゴーン……ゴーン――

 街中に響き渡るような、大きな鐘の音。この街でそんな音を出しそうな施設は、教会にある時計塔くらいだろう。集会か何かでそんな事もあるだろう、そう思ったが周りを見るとどうもそうではなさそうだった。

「こんな時間に、どうしたのかしら?」
「朝以外に鐘が鳴るなんて、おかしいねぇ」

 ざわざわと集まって、皆不思議そうに話している。どうやらあの教会の鐘は朝以外は鳴らさないようで、街人達もどうして今鳴っているのか、分からないらしい。
 ユーリは顔を上げて、遠くに見える一際高い時計塔を見た。街中に響いていた音は残響を残して空気を震わせている。すぐに止んだので、街人達は興味を失い普段の生活に戻っていく。朝にしか鳴らない鐘が鳴ったのに、それほど気にしていないのか? もしや偶にある事なのだろうか、だから誰も見に行こうと言い出さない。
 いや、待てよ――。ふとユーリは思い出す。以前ガルバンゾで扱った事のある事件で、犯人は人のいい顔を仮面にした宗教団体だった。戦争で心身共に浪費している中、宗教はか弱い人間にとって一つの拠り所だ。つまり無条件で信じてしまう所がある。その心理に付け込んで金品をせしめる詐欺被害の報告を、見た事があった。

 もしも違っていたら、アドリビトムとして問題かもしれない。だが何となくユーリは予感を覚え、空に突き刺している時計塔へと走りだした。





























31///天使はいたんだ11

「はいよ、ホットドッグだよ!」
「おっしゃあー! やっぱこれだよなぁ、このくそまずい肉を誤魔化すように香辛料まみれの塊! 味を破壊するだけのケチャップに、舌を痺れさせる毒なんじゃないかってくらいのマスタード!」
「……ま、まいどありぃ」

 屋台の人間の引き攣り顔を後にして、ルークはベンチに座ってホットドッグをぱくぱくと食べ始める。修行の旅に出てからこうやって屋台で味わった物は、実家で食べていた物に比べてとにかく雑で味が濃くてぶっちゃけて言うとマズイの一言だ。最初は物珍しさから食べていたが、あまり量を食べれる品ではないと思った。バンエルティア号の食事は豪勢さは無いが、栄養はそれなりに考えられている。ただ色んな地方からメンバーが集まっているので、少々味にばらつきはあった。その為何種類用意するという手段を取っているのだが。
 しかしあれ程マズイと思っていた味だが、久しぶりに食べると思い出補正なのかやたらと美味い。いや美味くはないのだが、開放感が味付けになっているのかも。空腹が最高の調味料、という奴だろう。

 ルークは背中の翼を、嬉しそうにぱたぱた羽ばたかせる。街で一人、買い食いをして羽根も文字通り伸ばせるだなんて最高だ。機嫌は最高潮に達して、ちょろちょろと近寄ってき始めた子供達にガンつけ飛ばすのも止めておこうかな、と言う気分。
 子供達はルークの背中の翼を珍しがっているのか、好奇心を顔いっぱいに満たしている。それがなんだか、優越感をちょっとばかり生んでいた。

「ねーねーお兄ちゃん、お兄ちゃんって鳥さんなの?」
「すごいね、おっきい羽根だね!」
「すげーだろ、超あったけーんだぜこれ!」
「飛べるの? 飛べちゃうの!?」

 子供達はどうして人間に翼が生えているのか、と言う点には疑問を抱かず純粋にすごいすごいと賞賛を口々に上げる。ルークの鼻は気分的にどんどん伸びて上がっていき、普段は無視する子供達に背中を向けて、自慢の翼をばさり! と大袈裟にはためかせた。

「すっごーい、真っ白で綺麗〜!」
「お兄ちゃんって鳩さん?」
「誰が鳩か! 俺はルーク・フォン……ってまずいか、えーっとそうだな……天使様だ!」
「天使様!? すっごーいすっごーい!」
「天使様は奇跡を起こせるんでしょ? 何かやってみせてよぉ!」
「ママの病気、治してほしいな……。天使様ならできるよね?」
「じゃあ僕は、帰ってこないお父さんを!」
「私は、私はー!」
「ちょ、待て待て! て、天使でも出来る事と出来ない事がだな……!」

 子供達から上がる言葉は段々ルークには手が追えないくらいに重くなっていき、思いがけず追い込まれる。自業自得とは言え、マントも何も羽織らず翼を出しっぱなしにしておいたツケが回ってきた。取りに戻るのが面倒だからと言ってそのままにしておくのではなかった! ルークは今更ながら後悔する。
 囲まれて身動き出来ない中、おっとりした声が助けにかかった。

「これこれ、何をしているんだい?」
「あ、神父様ー!」
「天使様がね、お願いを叶えてくれるの!」
「無理だっつの、離れろって、羽根を毟るなこらっ!」

 神父服を着た、50代くらいのおっとりした男。子供達が少しバラけるが、ルークの翼を子供の無遠慮さで掴んで離そうとしない。神父は翼を見て目を細めた後、子供達に優しく諭すように言った。

「天使様が困っているでしょう、およしなさい」
「でも、お願いごとを……」
「天使様は神の使い……神の教えを地上に使わすお仕事中なのです、邪魔をしてはいけませんよ」
「はぁい……」
「ごめんなさーい」

 この街では教会の教えは深く浸透しているのか、子供達はあっさりと手を離す。神父に一言二言言われて、家に帰るのか駆けて行った。やっと行ったか、とルークは安堵の溜息を吐く。

「ところで貴方は……本当に、天使なのですかな?」
「いやいや、んな訳ねーってあははは! これはた、ただの装備品だから! 俺の国の流行り!」
「……そうなのですか」

 先程の子供達の事もあって、そう大声でルークは誤魔化す。周りの人間も聞き耳を立てていたようで、その言葉にあからさまがっかりと肩を落としているのが見えた。だが神父は柔らかく笑い、関心しながら聞いてくる。

「装備品、ですか……。とても精巧な造りなのですね」
「ま、まぁウチの科学力ならこのくらいはな?」
「もしや……ウリズン帝国の方ですか?」
「いいや違うって、あ〜…ライマからだ」
「ライマと言えば、あの西側の国ですか。こんな遠くまで一体何用で?」
「あ、いやなにちょっと……ただ立ち寄ったたけだから」
「そうですか……では宜しければ、教会に寄って行きませんか?」
「いやその、忙しいし遠慮しとく」
「そう言わずに、是非。貴方に見ていただきたい物がありましてな……」

 面倒臭い、と正直に言おうと思ったが子供達を追い払ってもらった手前、教会に行くくらいは付き合ってやってもいいかなと思った。それにこの神父がライマを知っていたという事も、何となく嬉しい。ライマは神父が言ったようにこの土地からは、一大陸分は離れている。地図の上でもそう大きな国でも無し、古いだけが取り柄のライマを知っている者はあまり居ない。だから少しだけ、ルークはこの神父に気安さを抱く。
 暫し考えて、結局ルークはその神父の誘いを受ける事にした。どうせ教会でだらだら話を聞くだけで終わるだろう、翼が生えていると言ってもルークはあくまでもただの人間なのだから。ちょっと変な奴扱いされるかもしれないが、まずければ逃げればいい。

「じゃあ、ちょっとだけ見てやっかなぁ」
「ありがとうございます、教会はあの時計塔……見えますでしょう? あそこですよ」
「へー、ちょっと見て見たかったから丁度いいな」
「昔からあるこの街の象徴でしてな、良ければ時計塔の中も入ってみますかな?」
「マジで!? 見たい見たい!」
「では参りましょう。そうだ、天使様……今の季節少し肌寒いでしょう、こちらのマントをどうぞ」
「お、気が利くじゃねーか! やっぱ外だと背中が寒いんだよなぁ」

 ここは少し北寄りの大陸なので、開いた背中が寒い。それを翼ごと被せるように、神父が持っていた紺色のマントが掛けられた。そして二人はそのまま、教会へ行くことになったのだ。


***

 バタン、と教会の重い扉が閉まる。ルークはキョロキョロと礼拝堂を見回し、ライマとはまた違った形式の建物を珍しそうに見つめた。ガチャン、と締まる音が聞こえて振り向けば神父が柔らかなそうな笑顔で、ルークのマントを肩から脱がし取る。人に従事される事に慣れているルークはそのまま黙ってやらせておくが、ふいに背中からブチッと衝撃が走った。驚いて振り向けば、神父の手には数枚の羽根が握られている。それにカッとなってルークは怒鳴った。

「いてぇ、何しやがる!」
「ああ、申し訳ありません。羽根が取れかけていたので、取ったのですが……。痛いのですか?」
「いってーよ! 気を抜いてる時に鼻毛抜かれる位痛い!」
「そ、それは申し訳ありませんでした……」

 羽根は毛ではないが、根本の辺りを抜かれると本当に痛い。最近は特にあちこちぶつける事もなくなってきていたので、羽根を抜かれる痛みは久しぶりだった。ルークの的確な表現に共感したのか、神父は申し訳なさそうに謝ってくる。それに唇を尖らせ、抜かれただろう翼を撫でた。

「それにしてもやはり……その翼は本物なのですね?」
「あ、いやその……」

 元からあまり誤魔化せていたとは思えないが、簡単にバレてしまいルークはたじろぐ。しまった、どうしよう。もしやまた先程の子供達のように何か願われるのだろうか……。ライマの権限は今ルークの手には無く、そもそもこんな遠い土地で権威も何もあったものではないだろう。
 寄付金だのなんだの、面倒な事を言われる前に逃げよう。そう思ってルークは入ってきた扉に駆け寄るが、じゃらりと音が。不思議に思って見てみれば、取っ手に鎖と錠が巻き付いているではないか。何故に? そう思っていると、背後の神父からの声が一転して毒々しく重く放たれた。

「やはり……天使の一族だったのだな」
「……へ?」
「覚えているだろう、貴様が滅ぼした村の生き残りだ」
「し、知らない! 聞いた事無いって!」
「人間なぞいくら殺しても記憶にすら残らない、という訳か。傲慢な天使の言いそうな事だ!」
「ちょ、ちょっと待て! 俺は天使じゃないんだってば!」
「その生身の翼が何よりの証拠……! ユグドラシル、覚悟!」
「うおわっ、てめぇ!!」

 急激に態度を裏返した神父の表情は憎しみに溢れ、先程まで微笑んでいた欠片もない。懐から大きな十字架を取り出したと思ったら、隠しナイフだったようできらりと刃が光っている。ルークは慌てて足を蹴り、そのナイフを跳ね飛ばした。
 いくら翼の抵抗があるからと言って、身体能力は比べるべくもない。神父は飛んでいったナイフを追い掛けず、直接ルークの首を締めようと飛びかかって来た。

「なめんなっつーの!」
「殺された村人の……敵ィー!」
「だから知らないって!」

 天使がそんな事をしているなんて事も知らなかったのに、翼があるからと言って責任を要求されても困る! だからそもそも自分は人間にただ翼が生えているだけなのだ、そう大声で言っても神父は頭に血が昇っているのか全く聞く耳を持たない。
 扉を蹴破るには隙が無さ過ぎる、ルークは設置されている長椅子の上を駆けて、礼拝堂奥まで走った。左右にドアが見えるので、そこから建物の中に入ればどこかに出口があるだろう。いっそ窓を割ってもいいかもしれないが、教会のステンドグラスは高い位置にあるのでここからでは無理そうだ。

「ったく、人の話を聞けっての!」

 本当の殺気に当て慣れていないルークは神父の気迫に気圧され、額に汗と激しい動悸がうるさい。剣は持っているが一般人、おまけに神父相手に振り回す気にはなれなかった。とにかく今は逃げるべきだ、そう決めて左のドアに手を掛け……る前に開く。

「なっ!?」
「神父様よぉ、天使は生け捕りだって言ってあるだろ?」

 ルークの頭二つ分は高い体のゴツそうな男がのっしりと出てきて、驚いて固まってしまった左手首をがしりと掴む。それにハッと気付き、ルークは左足を軸に蹴りを放った。バシィン! と甲高い音が礼拝堂内に響き渡るが、衝撃を受けたのは……ルークだった。
 男は腕に金属篭手を装備しており、ルークはそのゴツゴツと尖った部分を当たり悪く蹴ってしまい、じんと痺れて一瞬硬直してしまう。その隙に男はがしりと足を掴み、みしみしと締め上げるように力を込めて握る。手足を取られルークの体はふらつくが、勝ったと言わんばかりの表情で目の前の男がニヤリ笑うので、ルークの血管はビキリと浮き立つ。

「こんの木偶の坊が!」
「おげぇっ!?」

 瞬間、軸足の左で蹴って金的蹴りを命中させる。四肢を空中に投げてしまったが、男は無様な悲鳴を上げてすぐにルークの手足を離してしまう。同時に崩れ落ちて床に投げ出されたが、ダメージはどう考えてもあちら。ざまあみろ、と心の中で唾を吐いて立ち上がろうとした所に、ふっと目の前が暗くなった。

「天使め、神罰を受けろ!」

 ガツッ! と神父が見るからに重そうなマリア像で殴りかかり、ルークの頭を直撃した。大きな衝撃はそのまま脳を揺らし、抵抗する暇も無く意識の電源を落としてしまう。痛みを感じる前にブチッと全ての情報が途切れて、ルークは自分の羽根がひらひら舞う雪のような光景を最後に見た。





























32///天使はいたんだ12

 ズキリと、神経に触る痛みで目が覚める。ふと視界を広げると、世界は転がっていた。いや転がっているのはルークで、どうやらどこかに閉じ込められているらしい。蘇ってくる頭の痛みに体をよじらせるが、手は背中で縛られ足も縄でしっかり縛られていた。
 背中も痛いな、と思って見れば仰向けで寝転がされていたので翼を敷いてしまっている。ルークは膝で起き上がり、よろよろと自分の状況を把握し始めた。

 どこかの部屋で埃っぽく、あまり物は無い。レンガ壁は妙に古臭く、目の前の扉はここだけ建て替えたのかピカピカしている。ぐるりと見回すが、電灯が無いため全体的に薄暗い。だが所々隙間があるのか外の光が差し込み風がびゅうびゅう吹き込んでいた。そのせいで体が冷えている。幸いにも翼は傷付けられなかったようで、ルークは羽根をばさりと広げて纏い少しでも暖を取った。

「ちくしょう、あのクソ神父〜」

 負け惜しみでボソリと呟いても、しんと静か。漏れてくる光で夜になってない事は分かるが、このままじっとしている訳にいかない。早く帰らなければ、誰かルークが居ない事に気付く人間が出てくるだろう。というかおそらく、そろそろユーリが気付いてもおかしくない。ガイがまだ合流していない今、彼が従者代わりだ。まあ従者と言うにはユーリはあまりにもルークの言う事を聞いてくれないが、最近ではそれが面白くなっている。
 臣下ではなく家族でも無い友人とも言えないような……飼育係だ、とジェイドが笑って言っていたのを思い出す。それに記憶の中でもムッとして、ルークは頬を膨らませた。

「へん、あんな奴全然怖くねーし! は、羽根をあぐあぐされても……うう、ぶるぶるっ」

 強気で口にするが、自分で言っておいて後半震えてしまった。ユーリのお仕置きは容赦が無い、ジェイドも容赦が無いが別軸での恐ろしさだ。ルークは寒さではなく恐ろしさから体を震わせ、なんとしても早急にここを出る事を決意する。

 一先ず手足が使えないのは不便で仕方がない。ルークは背中で縛られている手をなんとか伸ばし、ベルトの剣留めに触れる。当然持っていた剣は没収されているようだが、今探っているのはそちらではない。
 剣留めのボタンを外し、裏側に留めていた小さな剃刀を取り出した。腕が攣りそうになるがギリギリ耐え、時間をかけても慎重に腕の縄に切り込みを入れる。それがばさりと落ちたのは、10分程してからだった。次いで足の縄を切り、今度はあっという間に縄を切り解く。

「ふぅ、双子の王位後継者舐めるなっての」

 ルークはやっと自由になった手足をぐんの伸ばし、どこにも異常はないかチェックする。どうやらあの後暴力をふるわれた痕も無いようで、翼も撫でて確かめた。それにホッとひと安心……するも、次はさてどうしたものかと部屋を見回す。
 レンガ壁自体は古そうであるが、壊せるかどうかはまた別問題だろう。役立ちそうな物はどこにも無いし、やはりこの真新しそうな扉を蹴破るしか方法は無いのか? ルークは試しに、自由になった足でガンガンと思い切り蹴りつけてみる。だが思った以上に大きな音が響き、逆に驚いた。

「うるせぇぞ、大人しくしやがれ!」

 どうやら扉のむこうに、きちんと見張りがいるらしい。仕返しなのか扉をガン! と蹴って大きな音を閉じた部屋中に響き渡らせる。見張りも居るとなると、突破は難しくなった。だからと言ってはいそうですか、と諦められる訳でも無い。ルークはう〜むと唸りながら、部屋をぐるぐると歩きまわって考える。
 だが武闘派であるルークに、見知らぬ場所で抜け出せるような知恵はどうやっても思い浮かばなかった。どうしよう怒られる! そう困って頭を抱え天井を見上げれば、ふと何か……人間一人くらいのサイズで四角い切り込みと取っ手が目についた。
 明らかに、何かある。だが天井という高さなので、簡単には届きそうにない。ルークは再度キョロキョロと足元を見てみると、うっすら埃で白く浮いている近辺床の一部だけが妙に綺麗だった。それは丁度天井の開き扉の真下で、小さく四角い形が二つ。形状から考えて、梯子だろう。
 もう一度部屋全体の床を見て回れば、壁四方の隅には埃が溜まっているのに、扉入り口から真っ直ぐ天井の開き扉までの進路途中には埃は無い。おそらくここは普段何かに使っていて、ルークを閉じ込める為に緊急で物を退けたのだろう。

 となると、あの出口……開くかもしれない。鍵穴らしき箇所は見えないし、普通ならばジャンプしようが届きそうになく、踏み台も無かった。確かに普通ならば無理だろうし、以前のルークでは諦めて助けが来るのを待っていただろう。だが、今は違う。何しろ今のルークの背中には、真白い翼があるのだから。

 ルークは少し考え、部屋の隅っこまで歩く。なるべく音は立てず、失敗は無し。埃臭い中なのは気に入らなかったが、深呼吸をして頭の中でイメージを強く描く。あれから翼はかなり細かく動かせるようになったし、飛ぶコツもコレットに何度も教えてもらった。
 部屋の端から助走を付けルークはジャンプし、壁を蹴りつける。ダンッ! と強く跳ね、三角蹴りから大きく空中を飛んだ。翼の隙間を意識して閉じ、ばさりと空を掻く。滞空時間をほんの一瞬伸ばして、ルークの手は見事天井の開き扉を跳ね上げた。

「……っし!」

 喜びたい感情を何とか抑えつけて、ルークの足は翼の羽ばたきによって軽やかに着地する。壁を蹴った際の音はどうしようもない、単に悔しくて暴れているのだと勘違いしてくれている事を祈った。ルークは先程でコツを掴み、再度三角飛びから天井の出口に手を掛け、這い上がる。一番苦労したのは、その隙間に羽根を通す時。思った以上に狭く、足場も無いため中々苦労した。無理矢理翼を通したせいで床に結構な量の羽根を散らしてしまったが、脱出さえできればいいのだ。
 そう思って顔を上げれば、そこは上に細長い空間。壁には新しそうな梯子がかかっており、上以外に行けそうにない。高さは相当なもので、目を細めても先が見えなかった。これ、本当に外に繋がってるんだろうな? そう疑いの気持ちが湧くが、ここから出るしか方法は思いつかない。
 ルークはその梯子に足をかけ、ずんずんと登っていった。


「おい、天使の野郎が居ねぇぞ!?」
「何ぃ……羽根が落ちてやがる! まさか上に登ったのか!」
「馬鹿な、梯子は無かったのに! ええい追うぞ、梯子持ってこい!」

「やっべ、もうバレた!」

 登っている途中、下から怒鳴り散らす声。途端に静かになったのを怪しまれたのかそれとも今から痛めつけるつもりだったのか、どちらにせよ間一髪だったのか。いやまだ危機は脱していない、とにかく急いでこの梯子を登りきらなければ。
 カンカンカン……と音に気を付けるのももう止めて、ルークはスピードを上げる。そしてやっとゴールが見えると、また開き口があった。それを片手で押し上げ、またも引っ掛かってしまった翼を無理矢理引っ張りあげルークの体は地上に出る。

「ぷはぁ!」

 風の音がやたらと激しく聞こえ、雲が近い。ルークは出入口を閉じ、立ち上がって自らの重みで蓋をする。するとそこからの景色は、驚くべきものだった。

「……うっそ、だろ」

 街並み全てが、下に遠い。斜めに沈み始めている太陽が近く大きくて、鳥達の姿すら上から見下ろす高さ。自分に影が囲っている事に気付き上を見れば、大きな鈍色の鐘があった。もう一度下を見れば、自分が神父に案内されて入ってきた教会の屋根が見える。どうやらここは時計塔、鐘が設置されている最上段のようだ。
 外を求めて足掻いたのに、結局は袋の鼠とは。足元から声が近付いてきており、本気で失敗した事を悟る。ここでは逃げ場も、体術で暴れる事も出来ない。いくら翼があるからと言って、ルークの体重では絶対に翔べないとウィルに切々と説かれた。先程のように一瞬滞空時間を伸ばすくらいならば出来るが、ここから飛ぶなんて……いくらルークでも無理だと自分の頭の中でも回答が出る。
 例えば空を飛べずとも、着地の瞬間羽ばたいてみるというのはどうだろう。想像だけで上手くいくだろうか、この高さから飛ぶ……というよりも落下すれば、かなりの早さと勢いが出るはずだ。自重を乗せた中翼を羽ばたかせた事はないが、ウィルの説明によれば結構な負荷がかかるらしい。鳥達は己の体重を減らし、飛びやすい骨格と体にしているから飛べるのだ。人間の体にただ翼を生やしただけのルークには、些か適正があるとは言えないだろう。

 ぐだぐだと考えていると、足にずきりと鋭い痛みが走る。驚いて飛び上がり足を退けると、床の扉からナイフが突き刺さっていた。下から刺したのだろう、それが運悪くルークの足を掠り傷付けたのだ。幸いにも中心ではなかったが、靴を切り裂いてずきずきと痛む。足の身まで達してしまったかもしれない。

「ちっくしょ……!」

 痛む足で立ち上がるが、ここ鐘突き場では逃げ場なんてどこにも無い。きょろきょろと見回しても、答えるのは近い雲だけ。あの雲に乗れれば言う事無いのだが、流石にこんな場面で夢を見れる程馬鹿ではなかった。

 バン! と大きな音で床の扉が跳ね跳ぶ。そして下から出てきた男は、礼拝堂でルークが金的蹴りを見舞ってやった顔だった。相当頭に来ているのかそれとも復讐か、トマトのように真っ赤な顔で額にはビキビキと血管を浮かび走らせている。

「天使様よぉ、大人しくしとけばいいものを……。どうやらよっぽど痛い目にあいたいらしいな」
「うるせーハゲ近寄んな! もう一回蹴って使い物にならなくさせてやろうか!」
「そうかい、取引先から殺すなって言われてたが……死ななきゃいい訳だ、要するに」

 売り言葉に買い言葉で、男の血圧を最高まで上げてしまったらしい。男は無駄にでかい体を引っ掛ける事無く出て、手には反しの目立つ短剣を握っていた。あれは切る用の刃ではなく、肉を切り裂いてぐちゃぐちゃにする為の刃だ。
 やばいなこれ、とルークの全身でアラームが鳴っている。四方のどこにも逃げ場は無くて、敵はカンカンに沸騰している状況。どうやら命だけは勘弁してもらえるようだが、それ以外は許してくれそうにない。むしろ男が滑らせた口から感じた、その取引先に渡れば命も無さそうな予感。

 どうやってこの状況から、バンエルティア号に帰ろうか……。焦る頭の中で浮かんだのは、そんな事。そして同時に、このままではユーリに怒られてしまう! という危機感だけが場違いに募っていた。








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