21///天使はいたんだ1 |
羽毛布団ルーク/小ネタ連作
それはユーリが昼食を食べに食堂へ行こうと廊下に出た時だった。目線の先に、ででんと邪魔そうな存在が食堂前の扉を占拠していた。廊下の端っことは言え、こんな目立つものがうずくまっていれば目にも止まるだろう。背中を向けてしゃがみ込み、何かうーうー唸っている。後ろ姿は分かりやすく、朱金の長髪、白黒の服。つい先日、ユーリを初対面からして大罪人と罵ってくださったライマ国第一王位後継者サマだ。
「てめぇ、何見てんだよ!」
どうやら何時もとは違い、本気で機嫌が悪いらしい。随分と理不尽を口にしている。まあ普段からルークは理不尽だが、もっと突付けば面白い部類のはず。今目の前でヤンキー座りをして目を血走らせて背中で空を掻いているルークは、かなりおかしい。もしや熱でもあるのだろうか、だから可愛げが無いとか。
「何やってんだよこんな所で。お前かなり不審だぞ」
背中が、痒い、だそうだ。ユーリはがっくりと力が妙に抜けて、途端に馬鹿らしくなった。背中が痒いと言うだけでこのお坊ちゃんは廊下と食堂前を封鎖し、マオよりも子供のような言動でガン飛ばしまくっているのか。ユーリや男達はともかく、女子供なら怖がるだろう。……いや、アドリビトムメンバーの女子達ならば逆にボコボコにするか。
「おい大罪人、背中掻け今すぐ」
ルークを涙目にさせて、ユーリは気が済んだ。別に元々怒ってもムカついてもなかったが、ルークは頭に乗らせるとうっとおしいので時々こうやってべこべこにへこませるのもいいだろう。散々遊んだので、いい加減背中くらい掻いてやる事にした。
「仕方ねーな、ほら腕退けろ。どこ掻くんだ」
ルークは一生懸命腕を背中に回すが、真ん中がどうしても届かない。中指の先端がぎりぎり、だろうか。恐らく痒いのはそのもう少し下なのだろう。涙目に踏ん張っているので顔が真っ赤だ、一体何時からやっていたのか。
ユーリは背中を掻いてやった。服の上からだが、まあ適当に。何となく下町の年寄り達が、ユーリに背中を掻いてくれと強請った時を思い出す。あそこのばあさん元気にやってっかな……そんな思い出に浸りながらボリボリと。
「おい、逃げるなって」
爪を立ててぼぉりぼぉりと強く掻けば、ルークの肩は水揚げされた魚のようにビクビクと跳ねる。背中側なので表情は見えないが、ちらりと見える耳たぶは髪色に負けず真っ赤だ。掻けと言うので掻いてやったらこれ程までに悶えるとは、ちょっと変な性癖でもあるのだろうか。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
床にぐったりと倒れ、顔中を真っ赤にして汗をびっしょり濡らすルークは答えられない。ちょっとやり過ぎたかな、とは思うが普段の態度がアレなので仕置には丁度いいだろう。流石にこの王子様を床で寝させっぱなしはマズいか、そう思って起こそうと腕を取ると、ルークの様子が変わっていた。
「……う、ううっ」
さっきまでは確かに赤く上気していたのに、ルークの額には脂汗が滲んで血管が浮き出ていた。明らかにおかしい、全身ガクガクと震えて自分を強く抱き締めている。持病か? そう思いついてもユーリはルークの持病なんて知らない。ライマ部屋へ知り合いを呼んだ方がいいかと思い腕を離した瞬間、ルークは全速力で駆け出してエントランスホールに出て行った。
それを追い掛け、アンジュの驚いた瞳を無視して甲板に出ればルークは一人でうずくまっている。背中を丸めて、届かない指先を震わせていた。表情は痛みに耐えるような、そう呆然と見ていたらまたも突然ルークに変化が訪れる。
「う、……ぐ、くぅ……うあああああああああああっ!!!!」
絶叫。青い空と海上に、ルークの痛みを振り絞った絶叫が響き渡る。きんと耳に痛い、だがそれどころじゃない。ユーリが近寄ろうとした瞬間、ルークの背中……肩甲骨部分がぼこりと膨らむ。服の生地が盛り上がり、何かを必死で抑えているように見える。だが、それが次の瞬間――。
それは、羽根だった。真っ白で汚れなんて欠片も無い、まるで生まれたてのような。ルークの背中は服が破れて、そこから大きく真っ白な翼が生えていた。大きさは……両手を広げても足りないくらいだろうか。まるで絵画の、いや物語の中の天使の翼のようだった。
「お、おい! 大丈夫……か?」
ルークは息を苦しそうに吐き、力無くへたり込んでいる。背中の翼もへろへろと、元気が無さそうにぺたりと萎えていた。髪も服も破れ千切れ、酷い有り様。それに近付いて見て分かったが、肩甲骨の下からまだ血が流れているではないか。
廊下でお坊ちゃんの背中を掻いていただけなのに、何が一体どうなって翼が生える事になったんだ!? もしやルークで遊んだ罰だろうか、そんなちょっとありそうな事を想像して、ユーリは末恐ろしくなった。 ▲ |
22///天使はいたんだ2 |
時間的にガイ参入前
ライマ部屋でジェイドとアッシュが、まじまじとルークの背中を見ている。正確に言うと背中ではなく、肩甲骨から生えている翼。ジェイドは触診を終えて、眼鏡のブリッジを上げた後あっさりと言った。
「翼ですね、紛うこと無く」
ルークが唐突に、思い出したように言う。そのどうでも良さそうな響きに、ユーリはげんなりした。普通人間は翼は生えてこない。天使ならばともかく、一応ルークは人間だと聞いている。
「今までずっと食後にガイが薬渡してきたからそれ飲んでたんだけど、居ないから飲んでなかったんだよなぁ。すっかり忘れてた」
ガイ、という名前にユーリは聞き覚えは無かったが、この様子からすると恐らくルークの従者なのだろう。それにしても飲んでいなければ翼が生えるというのに、随分簡単に忘れていたものだ。今まで飲んでいたのだから、多少なりとも隠そうと思って生きてきたはずなのに。
「まあ、生えてしまったものは仕方がありません。いいんじゃないですか? ちょっと派手なアクセサリーとして」
アッシュの言葉にルークは怒り立ち上がって振り向くと、背中の翼がぶあっさぁ! と一緒に舞う。近くに居たユーリに直撃して、白い羽根が口の中に入った。
「ぺっ、ぺっ! お前、あんまり動くな」
ルークはうんうん唸りながら、ばっさばっさと羽根を広げている。おかげで部屋中に羽毛が散って、雪のようだ。ユーリは全体的に黒いので、余計に羽毛が張り付いてきてうっとおしい。髪に落ちてくる羽根を除けても除けてもキリがない。
「外でやれ! 羽根が飛び散る!」
アッシュがプリプリ怒りながらルークの手を引き外に出るが、翼を広げたままなので部屋のあちこちにぶつけている。おまけに扉が閉まった時に翼を挟んで、悲鳴を上げて消えていった。翼を閉じられなくて、横幅や奥行き幅が本人掴めないくらいに増えているので動きにくそうだ。
部屋中羽毛だらけになって、これが自分の部屋でなくて良かったとユーリは心底げっそりした。隣のジェイドは苦笑いである。
「まあ生えてしまったからには仕方がありません、羽根を生やすきっかけになった貴方にはルークの世話をしてもらいますよ」
鶏って、言い方があるだろうに。ジェイドはにこやかに笑い絶対に引かないであろう構えだ。まあジェイドがあの状態のルークを世話するだとか、想像でも出来ないのは確かだが。それにしたって、随分ととばっちりだ。こちらと親切心で背中を掻いただけなのにこんな展開になるなんて、誰が想像出来るだろうか。 ▲ |
23///天使はいたんだ3 |
羽根が生えたルークの事は、すぐにギルド中に知れ渡った。本人も特に気にせず出歩いているので、自ら宣伝して回っている。ジェイドから生き物係……いや世話係として任命されたユーリだが、言う通りへいこらするなんて冗談ではない。だがジェイドはルークにその事を伝えたのか、今度はルークがユーリの周りをうろちょろするようになった。おかげでユーリの体中、毎日羽毛が張り付いて軽いノイローゼになりそうだ。
「翼を閉じろってんだ、舞ってるんだよ!」
ぱたぱた、とルークの背中の翼がはためく。外から見れば可愛い仕草かもしれないが、毎日毎日隣で羽毛を撒き散らかされる側になるといい、発狂もそう遠くない。それにしてもこんなにもさもさ羽根を落として、ハゲないのだろうかと思う量だ。
ユーリがエントランスに出ると、後ろからぴぎゃ! と悲鳴。この悲鳴も一体何回聞いただろうか、いい加減学習してもらいたいものだ。
「お前、なんでそう毎回ドアに翼挟んじまうんだよ……」
ユーリには翼が生えていないので、確かにルークの苦労は分からない。だがこうも毎回ドアに挟んで痛がるのだから、生物として学習するべきだろう。ルークは涙目で翼をさすり、自分を挟んだドアを足蹴にしている。これでバンエルティア号でルークが蹴っていないドアは無くなったんじゃないだろうか。
「ルークさん、貴方と言う人は! 船内中に羽根を撒き散らさないでください!」
ぷい、とそっぽを向くルーク。チャットは怒りたいが、ルークの翼に恐れて近付けない。なので壁代わりにしているユーリに、怒りの方向を向けた。
「ユーリさん、貴方が今のルークさんの飼い主なんでしょうジェイドさんから聞いていますよ!? ペットの躾はきちんとやってください!」
そう言ってチャットは怒りながら、ルークに背中を見せないよう後ずさって去っていく。ユーリはぽかんと、その姿を見送った。そもそも自分はルークの世話係だなんて話だって了承していないし、羽根が落ちるのだって知ったこっちゃない。なのにどうして自分に全責任が引っ被るのか、まるで理解出来なかった。
ライマ部屋、ジェイドを尋ねる。勿論張本人であるルークを引っ張って、だ。翼の根本を紐できゅっと縛り上げて、纏めて持てばルークはばたばたと暴れるが抵抗出来ない。うわーんと子供のように情けない悲鳴を上げているが、それを無視して部屋に勢いよく入る。ジェイドはそれを見てまるで無関係そうな顔で笑っているので、これまたユーリは気に入らない。
「おい、この翼はいい加減なんとかなんねーのかよ!」
今ユーリは、確かにルークの翼の事を聞いた。なんとかしろ、と。ジェイドの言葉はばっさりと含みも持たせず、何時ものにこやかな笑顔でエグい事を言う。ルークの動きがぴたりと止まって、纏めた翼からでも伝わる程震え始めた。
「羽根は具現化が完了しているので、生身から直接生えている状態です。なので切除する以外方法はありません」
つまり麻酔も無しで、翼の付け根から刃物でざくっと切り落とす、という訳だ。いやなんだろうか、想像するとちょっとばかり血生臭い。ルークを鶏扱いしていた分、余計にそこから鳥の丸焼き料理を連想してしまう。
「い、いやだあああああっ! そんな痛い目に合うくらいなら、俺は鳥人間として生きる!」
とんでもない宣言をして、ルークは部屋から飛び出した。相変わらず羽根をあちこちにぶつけて羽毛が部屋中を舞っている。ユーリは暫く呆然として、ハッと気が付いた後慌てて後を追った。当然の如くジェイドはやって来なかったので、なんだかもう哀れになってくる。 ▲ |
24///天使はいたんだ4 |
ルークの後を追うのは簡単だった。ヘンゼルとグレーテルよろしく、白い羽根が目印のようにふわふわ舞い散っている後を辿ればいい。すると辿り着いた終着点は、船倉下の倉庫だった。薄暗い中明かりはないが、ルークの真っ白な羽根が蛍の光のようにはっきりと浮かび上がる。
「まあ気持ちは分かるけどよ、マジで鳥人間として生きるつもりか?」
ルークの顔は不思議そうに、記憶を引っ張りだしているが中々出てこないらしい。どうにも思い出せないのか、首をかしげたまま帰ってこない。それにユーリは、微妙に引いてしまう。翼が生えたかどうかとは、そんな簡単に忘れてしまうような出来事ではないだろうに。ジェイド達もそうだったが、ライマの人間はネジが飛んでいるのだろうか。
「やべー忘れたわ完璧に」
ここまでくると、鳥頭……なんて暴言が暴言でなくなってしまう。ルークはかなりピントのズレた事を言い、何故か悔しがっている。17年間人間として生きてきたのに、翼が生えたからと言ってあっさり鳥人間宣言をしないでもらいたい。いやまあ誰がどんな風に生きるなんて本来ユーリからすれば好きに生きてくれ、と言いたいのは山々なのだが。アドリビトムに属してバンエルティア号に居る間はどうにも逃げられそうにない。
「この大罪人! そもそもお前のせいで羽根生えたんだから、お前が責任取れよ!」
親切が仇になっておまけにとんだイチャモンだ。しかも自分が不利になると驚く程簡単に方向転換して無かった事にしている、これだからお偉いさんは。ルークは背中を向けて翼をユーリの顔面にばっさばっさと羽ばたかせた。
「……夏は暑苦しそうだな」
素直な感想を告げると、ルークも苦い顔をして弱気に言う。お互い長髪なので、夏の間のうっとおしさをよく知っている。いや夏になれば夏毛に生え変わるのか? そんな事もふと真剣に考えてしまう。
取り敢えず手櫛で翼を撫でてやれば、余分だったらしい羽根がほろほろと落ちてくる。どうやら翼初心者であるルークの羽根は、とにかく生やしっぱなしのようで。その分生え変わりスピードが早いのか、今まで大量に羽根が落ちていた。ならばブラッシングして余計な分を先に落としておけば、船内で零すことはないだろう。鳥なのに犬か、なんて事を思ってしまったがどちらにせよペットくさい。
「んん〜、お前、……撫でるの上手い……」
翼を撫でているとルークは大人しくなり、うっとりと身を任せてくる。手を掛けなければ静かにもならないとは、前任の躾担当者を糾弾したいくらいだ。ぶつかって所々、羽根が毛羽立っている部分を直していけばルークの翼は本当に綺麗だった。伝説に伝え聞く天使、というのだろうか。勿論黙っていれば、の注釈が付くが。
梳いて終われば、結構な量の羽毛が出来た。ユーリはこれを集めて、本気で羽毛布団にしようか考えている途中だ。 ▲ |