21〜24

21///天使はいたんだ1
22///天使はいたんだ2
23///天使はいたんだ3
24///天使はいたんだ4




















21///天使はいたんだ1

羽毛布団ルーク/小ネタ連作

 それはユーリが昼食を食べに食堂へ行こうと廊下に出た時だった。目線の先に、ででんと邪魔そうな存在が食堂前の扉を占拠していた。廊下の端っことは言え、こんな目立つものがうずくまっていれば目にも止まるだろう。背中を向けてしゃがみ込み、何かうーうー唸っている。後ろ姿は分かりやすく、朱金の長髪、白黒の服。つい先日、ユーリを初対面からして大罪人と罵ってくださったライマ国第一王位後継者サマだ。

 何をしているのやら、まず浮かんだのはそんな感想。誰かが聞けば薄情だと言うかもしれないが、この王子様を相手にするならば話は別だ。嘘偽り無いどうしようもない性格は、既に船内で響き渡っている。ユーリはこのまま反対を向いて今日は外で食べようか、ともちらり考えた。けれどわざとらしく上げている唸り声は、それはもうわざとらしく苦しそうで。
 まあ特に何も無ければそれでよし、いたずらだった時は拳骨制裁でいこう。そう決めて、ゆっくり近付く。よく見るとルークはただうずくまっている訳ではなく、腕を背中に回して空を掻いている。一生懸命頑張っているのだが、曲げた指先はただただ虚しく空気を掻き分けているだけ。
 こいつは遂に頭がおかしくなったのだろうか、声をかけるのはやはり止めた方がいいか……そう躊躇していると、突如ルークがくるりと振り向く。ぎろりと、瞼が開いていないのにそれを細めるものだからかなり目付きが悪い。それにどこか血走っていて、怖いというよりか異様。
 その表情通り最高潮に不機嫌そうな声で、喧嘩を自分から売りさばきに来た。

「てめぇ、何見てんだよ!」
「どこのチンピラだ、お前は」
「うっせー大罪人のクセに。用が無いならどっか行け!」
「どっか行けって言われても、ここは廊下なんだけど? おまけにおたくさんが塞いでるの、食堂」
「あー? それがなんだっつーんだよ。廊下と食堂なら船員のモンだろ、なら俺の場所だ」
「どんな理屈だ」

 どうやら何時もとは違い、本気で機嫌が悪いらしい。随分と理不尽を口にしている。まあ普段からルークは理不尽だが、もっと突付けば面白い部類のはず。今目の前でヤンキー座りをして目を血走らせて背中で空を掻いているルークは、かなりおかしい。もしや熱でもあるのだろうか、だから可愛げが無いとか。

「何やってんだよこんな所で。お前かなり不審だぞ」
「うっせバーカ消えろ! 俺は今腹の虫が収まらないんだよ!」
「見りゃ分かる。また弟と喧嘩したのか、それともティアに叱られたのか、あーそれかモノ知らずでリタに馬鹿にされたのか」
「俺が喧嘩ばっかする馬鹿のアホみたいに言うな! ちげーよ、背中痒いんだよ!!」
「……はあ?」

 背中が、痒い、だそうだ。ユーリはがっくりと力が妙に抜けて、途端に馬鹿らしくなった。背中が痒いと言うだけでこのお坊ちゃんは廊下と食堂前を封鎖し、マオよりも子供のような言動でガン飛ばしまくっているのか。ユーリや男達はともかく、女子供なら怖がるだろう。……いや、アドリビトムメンバーの女子達ならば逆にボコボコにするか。
 まあどちらにせよ、くだらない。ちょっとでも時間を取って声をかけた自分が馬鹿みたなくだらなさ、ああ今日もいい天気だまだ外は見ていないが。ユーリは馬鹿馬鹿しくなり、薄笑いで無かった事にした。食堂に入ろうとしたその足を、がしりと掴まれる。当然、ルークに。

「おい大罪人、背中掻け今すぐ」
「……ティア呼んでくるか部屋帰るか布団かぶって寝ちまえ」
「だーいいからやれよ! 痒くて我慢ならねーーーんだよっ!!!!」
「風呂入れ!」
「入ってるよ馬鹿にすんな! 腕が届かねーんだよ!!」
「お前、剣士のくせにその硬さは致命的だろ……」
「ちが、筋肉むきむきだから! 腕ふっといから届かないんだよ!」
「ウィルの腕の太さと比べてやろうか?」
「やーめーろーっ! ウィルはマジでやめろへこむ!! 背中掻かなきゃここは通さないかんな!」
「じゃあ外で食うか……」
「あーっ! 馬鹿行くなよおおっ! いいだろ背中くらい掻けよ馬鹿やろおおおおっ!」
「背中くらい、なんだろ? それこそ自分で掻け」
「だから、とっ……届かねーんだっつーの!」
「自分で出来ない事を他人に頼むんなら、それ相応の態度ってもんがあるんじゃねーの」
「な、なんで俺がお前なんかに……っ!」
「まさか王子様が、礼儀を欠くってのか? ああそうか、お偉い立場の方は下民なんて奴隷同然と思ってるんだもんな」
「そ、そこまで言ってねーだろっ!?」
「はー、流石未来の王となるお方は違うねぇ? クレアやロックス、それにアンジュを奴隷って言っちまえるなんて。一般市民……あ、いやオレは罪人だったか。オレには到底真似出来ないな、流石王子様ルーク様」
「ちょ、なんだよぉ……! すっげー感じ悪い言い方すんなよ!」
「いやいや、謙遜すんなって。ああそうだ、アンジュ達にはしっかり伝えておいてやるから。王子様の命令は、命より大事だから拒否すんな……ってな」
「止めろ馬鹿! そんな事言ったらまた秘奥義くらわされる!」
「また……ってもうすでにくらってんのかよ懲りねーなお前。けど事実なんだからしょうがねーだろ」
「ううう……。な、ど……。どうしろってんだよぉ」
「人にものを頼む時の作法なんて、決まってるだろ? 心を込めて、お・ね・が・い・し・ま・す。じゃねーの」
「うぎぎ……ちくしょー人が下出に出れば付け上がりやがって!」
「お前が何時下出に出たよ。オレに用が無いならじゃあこれで」
「わー待て待て待て! 分かったよ言えばいいんだろ!?」
「言えばいいんだろ? まだ立場が分かってないらしいな。それじゃクレアにお坊ちゃんの食事は人参フルコースにしてもらうか」
「ごめんなさいもうしませんからおねがいしますっ!!」

 ルークを涙目にさせて、ユーリは気が済んだ。別に元々怒ってもムカついてもなかったが、ルークは頭に乗らせるとうっとおしいので時々こうやってべこべこにへこませるのもいいだろう。散々遊んだので、いい加減背中くらい掻いてやる事にした。

「仕方ねーな、ほら腕退けろ。どこ掻くんだ」
「肩甲骨の下らへんと、真ん中のちょっと下!」

 ルークは一生懸命腕を背中に回すが、真ん中がどうしても届かない。中指の先端がぎりぎり、だろうか。恐らく痒いのはそのもう少し下なのだろう。涙目に踏ん張っているので顔が真っ赤だ、一体何時からやっていたのか。

 ユーリは背中を掻いてやった。服の上からだが、まあ適当に。何となく下町の年寄り達が、ユーリに背中を掻いてくれと強請った時を思い出す。あそこのばあさん元気にやってっかな……そんな思い出に浸りながらボリボリと。
 するとルークの反応が、明らかにおかしくなった。やたらとビクビク体を震わせ、掻いている背中が逃げるように弓なりに反り返る。なのでユーリの手は追い掛けて、肩甲骨の下を強めに引っ掻く。するとルークの肩がビクン! と大袈裟なくらいに反応する。息が乱れて、へなへなと床に座り込みだした。

「おい、逃げるなって」
「はあ、……は。も、もういい……。も、いーから……」
「またぶちぶち言われるのもうっとおしいから、オレの気が済むまで掻いてやる。遠慮すんな」
「ちょ、いいって言って……ひうっ! あ、やめっ! んぅ……っ!」

 爪を立ててぼぉりぼぉりと強く掻けば、ルークの肩は水揚げされた魚のようにビクビクと跳ねる。背中側なので表情は見えないが、ちらりと見える耳たぶは髪色に負けず真っ赤だ。掻けと言うので掻いてやったらこれ程までに悶えるとは、ちょっと変な性癖でもあるのだろうか。
 ルークの声は少し高いので、息と共に漏れる声が妙な気分に……は特にはならなかった。男の悶え声なんて聞いても、特に楽しくも無い。むしろユーリは面白くなってきて、止めてくれと本気の泣き声が聞こえるまで慈悲も容赦も無く掻いてやった。

「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
「これで一生分は掻いただろ、満足したか?」

 床にぐったりと倒れ、顔中を真っ赤にして汗をびっしょり濡らすルークは答えられない。ちょっとやり過ぎたかな、とは思うが普段の態度がアレなので仕置には丁度いいだろう。流石にこの王子様を床で寝させっぱなしはマズいか、そう思って起こそうと腕を取ると、ルークの様子が変わっていた。

「……う、ううっ」
「おい、どうした。……真っ青だぞ」

 さっきまでは確かに赤く上気していたのに、ルークの額には脂汗が滲んで血管が浮き出ていた。明らかにおかしい、全身ガクガクと震えて自分を強く抱き締めている。持病か? そう思いついてもユーリはルークの持病なんて知らない。ライマ部屋へ知り合いを呼んだ方がいいかと思い腕を離した瞬間、ルークは全速力で駆け出してエントランスホールに出て行った。

 それを追い掛け、アンジュの驚いた瞳を無視して甲板に出ればルークは一人でうずくまっている。背中を丸めて、届かない指先を震わせていた。表情は痛みに耐えるような、そう呆然と見ていたらまたも突然ルークに変化が訪れる。

「う、……ぐ、くぅ……うあああああああああああっ!!!!」
「お、おいっ!?」

 絶叫。青い空と海上に、ルークの痛みを振り絞った絶叫が響き渡る。きんと耳に痛い、だがそれどころじゃない。ユーリが近寄ろうとした瞬間、ルークの背中……肩甲骨部分がぼこりと膨らむ。服の生地が盛り上がり、何かを必死で抑えているように見える。だが、それが次の瞬間――。
 ルークの背中がおかしいくらいにボコボコとうねり、遂にはばさり! と大きく白い何かが飛び出したのだ。余りにも異常な状況、けれどユーリは目を瞑る事が出来ない。ひらひらと周りに白い何かが雪のように、舞い散っている。

 それは、羽根だった。真っ白で汚れなんて欠片も無い、まるで生まれたてのような。ルークの背中は服が破れて、そこから大きく真っ白な翼が生えていた。大きさは……両手を広げても足りないくらいだろうか。まるで絵画の、いや物語の中の天使の翼のようだった。
 翼が出た時に皮膚を破ったのか、背中に少し血が飛んでいる。それが余計に白さを引き立てて、どこか幻想的。いや、ルークの髪も似たような色か……。そう考えてやっと、ハッと気が付く。

「お、おい! 大丈夫……か?」
「はあ、ぜぇ……っ!」

 ルークは息を苦しそうに吐き、力無くへたり込んでいる。背中の翼もへろへろと、元気が無さそうにぺたりと萎えていた。髪も服も破れ千切れ、酷い有り様。それに近付いて見て分かったが、肩甲骨の下からまだ血が流れているではないか。
 とにかく、ああもうとにかく! ユーリは立ち上がり、アニーを呼ぶために船内へと走った。

 廊下でお坊ちゃんの背中を掻いていただけなのに、何が一体どうなって翼が生える事になったんだ!? もしやルークで遊んだ罰だろうか、そんなちょっとありそうな事を想像して、ユーリは末恐ろしくなった。





























22///天使はいたんだ2

時間的にガイ参入前

 ライマ部屋でジェイドとアッシュが、まじまじとルークの背中を見ている。正確に言うと背中ではなく、肩甲骨から生えている翼。ジェイドは触診を終えて、眼鏡のブリッジを上げた後あっさりと言った。

「翼ですね、紛うこと無く」
「んなもん見りゃ分かる。オレが言いたいのは、なんでおたくさんの王子様に翼が生えるんだって事だ」
「あー、そういや俺薬飲んでないと羽根生えるんだったわ」

 ルークが唐突に、思い出したように言う。そのどうでも良さそうな響きに、ユーリはげんなりした。普通人間は翼は生えてこない。天使ならばともかく、一応ルークは人間だと聞いている。

「今までずっと食後にガイが薬渡してきたからそれ飲んでたんだけど、居ないから飲んでなかったんだよなぁ。すっかり忘れてた」
「ああ、ガイが……。そう言えばそうでしたね」
「俺も完全に忘れていたな……。確かにあいつが薬の管理をしていたか」
「……あんたら、随分いい加減だな」

 ガイ、という名前にユーリは聞き覚えは無かったが、この様子からすると恐らくルークの従者なのだろう。それにしても飲んでいなければ翼が生えるというのに、随分簡単に忘れていたものだ。今まで飲んでいたのだから、多少なりとも隠そうと思って生きてきたはずなのに。

「まあ、生えてしまったものは仕方がありません。いいんじゃないですか? ちょっと派手なアクセサリーとして」
「普通翼という付加価値が付けば神秘性が上がるものなのに、この屑に付いても馬鹿の象徴にしか見えんな」
「どーいう意味だよそれ! あいてっ!」
「うわっ!」

 アッシュの言葉にルークは怒り立ち上がって振り向くと、背中の翼がぶあっさぁ! と一緒に舞う。近くに居たユーリに直撃して、白い羽根が口の中に入った。

「ぺっ、ぺっ! お前、あんまり動くな」
「うおー羽根ぶつけると地味にいてぇ! ってか付け根が重い!」
「翼の重みを一点集中してますからねぇ。鳥のように適した骨格ではないので、負担がかかっているのだと思いますよ」
「翼を畳め、馬鹿が」
「うー、畳むって言われてもよぉ。これ結構難しいんだけど」

 ルークはうんうん唸りながら、ばっさばっさと羽根を広げている。おかげで部屋中に羽毛が散って、雪のようだ。ユーリは全体的に黒いので、余計に羽毛が張り付いてきてうっとおしい。髪に落ちてくる羽根を除けても除けてもキリがない。

「外でやれ! 羽根が飛び散る!」
「いいじゃねーか集めて羽毛布団にしろよ!」
「貴様の羽毛布団なんざ冗談じゃねぇ! いいから来い!!」
「いで、いてぇ! ぴぎゃ! ドアに挟まったあ!」

 アッシュがプリプリ怒りながらルークの手を引き外に出るが、翼を広げたままなので部屋のあちこちにぶつけている。おまけに扉が閉まった時に翼を挟んで、悲鳴を上げて消えていった。翼を閉じられなくて、横幅や奥行き幅が本人掴めないくらいに増えているので動きにくそうだ。

 部屋中羽毛だらけになって、これが自分の部屋でなくて良かったとユーリは心底げっそりした。隣のジェイドは苦笑いである。
 それにしても人間に翼が生えるだなんて、とんでもない秘密だと思っていたが二人の様子を見ると案外そうでもないのだろうか。少しばかり不思議だが、ジェイドの口からその理由が出る素振りは無さそうだ。
 やれやれ、ユーリは一息吐いて部屋に戻ろうと立ち上がる。その時ジェイドが、とんでもない事を言い出したので耳を疑った。

「まあ生えてしまったからには仕方がありません、羽根を生やすきっかけになった貴方にはルークの世話をしてもらいますよ」
「はあ!? ちょ、待てよなんでオレのせいになってんだ!」
「背中が痒かったのは翼が具現化しそうだったからなのでしょう。あのまま我慢していれば生えなかったと思いますよ。だから掻いてきっかけを与えた貴方に責任があるかと」
「いや待て待て、お前らだって薬を忘れてたんだろうが」
「藪を突付けば何も起こりませんでした。棒で突付いたのはユーリ、貴方ですから。まあガイが合流するまでの我慢ですよ、鶏でも飼うつもりでよろしくお願いします」
「鶏って……あいつあんたの所の王位継承者様なんだろ……」
「そうですが、あいにく私は鶏の飼い方は知らないものでして」
「いや、だから……」

 鶏って、言い方があるだろうに。ジェイドはにこやかに笑い絶対に引かないであろう構えだ。まあジェイドがあの状態のルークを世話するだとか、想像でも出来ないのは確かだが。それにしたって、随分ととばっちりだ。こちらと親切心で背中を掻いただけなのにこんな展開になるなんて、誰が想像出来るだろうか。
 ユーリはガルバンゾで鶏の世話をどうやっていたか記憶を引っ張りだし、最後は羽根を毟って丸焼きにした美味しい記憶が蘇ってきた。違う違う、鶏じゃなくって。……しかしあのルークの煩さならば、鶏でいいかもしれない。雌じゃないので、完全に食肉用だ。……だから、食べてはいけない。ナチュラルに鶏になっていて、背筋が寒くなった。





























23///天使はいたんだ3

 羽根が生えたルークの事は、すぐにギルド中に知れ渡った。本人も特に気にせず出歩いているので、自ら宣伝して回っている。ジェイドから生き物係……いや世話係として任命されたユーリだが、言う通りへいこらするなんて冗談ではない。だがジェイドはルークにその事を伝えたのか、今度はルークがユーリの周りをうろちょろするようになった。おかげでユーリの体中、毎日羽毛が張り付いて軽いノイローゼになりそうだ。

「翼を閉じろってんだ、舞ってるんだよ!」
「んな事言われてもよー、一度閉じると開くのが難しいんだよな」
「いいじゃねーかずっと閉じとけ」
「閉じっぱなしだと中でムレてキモい」
「……勘弁してくれ」

 ぱたぱた、とルークの背中の翼がはためく。外から見れば可愛い仕草かもしれないが、毎日毎日隣で羽毛を撒き散らかされる側になるといい、発狂もそう遠くない。それにしてもこんなにもさもさ羽根を落として、ハゲないのだろうかと思う量だ。
 ルークの翼はわりと大きく見えるが、人間一人が飛ぶにはまだ足りないだろう。ウィルも言っていた、空を飛ぶ生き物はその為に体重が少ない。ある程度の大きさになるとそれに比例して翼は大きく、羽ばたく為に筋肉も発達すると。ルークの翼は殆ど飾りみたいなものだろう、と。飾りで部屋を汚すとは、ある意味ルークにぴったりだとユーリはこっそり毒突く。

 ユーリがエントランスに出ると、後ろからぴぎゃ! と悲鳴。この悲鳴も一体何回聞いただろうか、いい加減学習してもらいたいものだ。

「お前、なんでそう毎回ドアに翼挟んじまうんだよ……」
「忘れちまうんだよぉ。いでぇ……」
「だから翼を畳めって言ってんの」
「うっせーなぁ、まだ慣れてないんだからそんなパッパ出来ねーよ馬鹿!」

 ユーリには翼が生えていないので、確かにルークの苦労は分からない。だがこうも毎回ドアに挟んで痛がるのだから、生物として学習するべきだろう。ルークは涙目で翼をさすり、自分を挟んだドアを足蹴にしている。これでバンエルティア号でルークが蹴っていないドアは無くなったんじゃないだろうか。
 それを呆れた目で見ていると、チャットが怒り心頭の声でやって来た。

「ルークさん、貴方と言う人は! 船内中に羽根を撒き散らさないでください!」
「えー? そんな落としてねーよ」
「落ちているから僕が注意しているんです! ってひゃあ近付かないでっ!」
「船長さん、怒るか隠れるかどっちかにしろよ」
「ふさふさは僕に近付かないでください! いいですか、とにかく絶対絶対貴方は機関室に入らないでくださいよ!? 羽根がエンジンに挟まって壊れでもしたら、大変な事になるんですから!」
「ロイドん所に行くのに、機関室はどうしたって通るっつーの。知ったこっちゃねーな」

 ぷい、とそっぽを向くルーク。チャットは怒りたいが、ルークの翼に恐れて近付けない。なので壁代わりにしているユーリに、怒りの方向を向けた。

「ユーリさん、貴方が今のルークさんの飼い主なんでしょうジェイドさんから聞いていますよ!? ペットの躾はきちんとやってください!」
「はあっ!? なんでオレのせいになってんだ!」
「ペットの不始末は飼い主の責任です! 羽根が船内中に落ちているのも、言うなれば貴方がブラッシングをしないからじゃないですか、きちんとやってください!」
「いやいや、鶏にブラッシングとか聞いた事ねーよ」
「じゃあ落ちた傍からユーリさんが拾えばいい話でしょう。今後船内で羽根が落ちていたら、全てユーリさんのせいですからね!」

 そう言ってチャットは怒りながら、ルークに背中を見せないよう後ずさって去っていく。ユーリはぽかんと、その姿を見送った。そもそも自分はルークの世話係だなんて話だって了承していないし、羽根が落ちるのだって知ったこっちゃない。なのにどうして自分に全責任が引っ被るのか、まるで理解出来なかった。


 ライマ部屋、ジェイドを尋ねる。勿論張本人であるルークを引っ張って、だ。翼の根本を紐できゅっと縛り上げて、纏めて持てばルークはばたばたと暴れるが抵抗出来ない。うわーんと子供のように情けない悲鳴を上げているが、それを無視して部屋に勢いよく入る。ジェイドはそれを見てまるで無関係そうな顔で笑っているので、これまたユーリは気に入らない。

「おい、この翼はいい加減なんとかなんねーのかよ!」
「痛い、離せよいたいー!」
「おやおや、そうしていると正に鶏ですね」
「いいから質問に答えろ! まさか生えっぱなしじゃないだろ、一体いつまでこの羽根まみれに付き合わなきゃなんないんだ!」
「じゃあ切りますか、今から」
「……は?」

 今ユーリは、確かにルークの翼の事を聞いた。なんとかしろ、と。ジェイドの言葉はばっさりと含みも持たせず、何時ものにこやかな笑顔でエグい事を言う。ルークの動きがぴたりと止まって、纏めた翼からでも伝わる程震え始めた。

「羽根は具現化が完了しているので、生身から直接生えている状態です。なので切除する以外方法はありません」
「え、マジで? ざくっと?」
「ええ、ざくっと。ちなみに麻酔なんてしませんよ、人間素体と翼の魔術素体の繋ぎ目ですから、上手い具合にその部分だけ麻酔が効かないんですよね」

 つまり麻酔も無しで、翼の付け根から刃物でざくっと切り落とす、という訳だ。いやなんだろうか、想像するとちょっとばかり血生臭い。ルークを鶏扱いしていた分、余計にそこから鳥の丸焼き料理を連想してしまう。
 ルークは目に見えて震えだし、半泣きで大暴れする。その拍子に手から翼を離してしまい、ルークは勢い付いて壁に顔面をぶつけてしまう。お前、何やってんの……そう言う前にルークは恐怖で顔を濡らし叫んだ。

「い、いやだあああああっ! そんな痛い目に合うくらいなら、俺は鳥人間として生きる!」

 とんでもない宣言をして、ルークは部屋から飛び出した。相変わらず羽根をあちこちにぶつけて羽毛が部屋中を舞っている。ユーリは暫く呆然として、ハッと気が付いた後慌てて後を追った。当然の如くジェイドはやって来なかったので、なんだかもう哀れになってくる。
 面倒臭いな! と思いつつ、まあペットってそんなもんだよな……と頭の端で少しばかり諦め始めていた。





























24///天使はいたんだ4

 ルークの後を追うのは簡単だった。ヘンゼルとグレーテルよろしく、白い羽根が目印のようにふわふわ舞い散っている後を辿ればいい。すると辿り着いた終着点は、船倉下の倉庫だった。薄暗い中明かりはないが、ルークの真っ白な羽根が蛍の光のようにはっきりと浮かび上がる。
 ルークは倉庫の奥で一羽……いや一人がくぶると震えながら三角座りしていた。背中の翼がいっそ可哀想なくらい、ぷるぷると震えて縮こまっている。その姿を見ると、流石のユーリですらちょっとばかり可哀想だと思ってしまった。
 ゆっくりと近寄って、隣に座る。ルークは一瞬ビクリと肩を跳ねさせたが、ユーリと分かって恨めしそうに涙目で睨みつけてきた。それに苦笑して、あちこちぶつけただろう翼を擦ってやる。

「まあ気持ちは分かるけどよ、マジで鳥人間として生きるつもりか?」
「おおおお前に何が分かるってんだよ! 昔羽根が生えて切った時も、そう言えばくっそ痛かったんだったよ思い出した!」
「前にも生えたのか?」
「ああ、10年くらい昔だったかな……。気が付いたら羽根が生えててよ、そのせいで俺は家から出してもらえなかったんだ」
「ん? もしかして生まれた時から翼ってあったのか?」
「いや、そんなはず……。あれ、俺って何時から羽根生えたんだっけかな……」

 ルークの顔は不思議そうに、記憶を引っ張りだしているが中々出てこないらしい。どうにも思い出せないのか、首をかしげたまま帰ってこない。それにユーリは、微妙に引いてしまう。翼が生えたかどうかとは、そんな簡単に忘れてしまうような出来事ではないだろうに。ジェイド達もそうだったが、ライマの人間はネジが飛んでいるのだろうか。
 それにしても10年前も切った事がある、となればルークが7歳の頃か。その頃に切除したのならば、まあ子供心にトラウマになってしまうかもしれない。だがトラウマをそう簡単に忘れないでもらいたい、このルークの態度で忘却により心を守っただとかいう理屈は通用しないと思う。

「やべー忘れたわ完璧に」
「それって結構重要だと思うけど」
「うっせーいいんだよ、今日から俺は鳥なの! もういいんだっつーの!」
「出汁にされるぞ、お前……」
「ううう、俺の出汁すっげー美味いんだろうなあああっ」
「そういう問題か?」

 ここまでくると、鳥頭……なんて暴言が暴言でなくなってしまう。ルークはかなりピントのズレた事を言い、何故か悔しがっている。17年間人間として生きてきたのに、翼が生えたからと言ってあっさり鳥人間宣言をしないでもらいたい。いやまあ誰がどんな風に生きるなんて本来ユーリからすれば好きに生きてくれ、と言いたいのは山々なのだが。アドリビトムに属してバンエルティア号に居る間はどうにも逃げられそうにない。
 ルークは突然怒りの方向を、ユーリに向けてきた。なんだろうか、バンエルティア号船員は船長に似るものなのか。

「この大罪人! そもそもお前のせいで羽根生えたんだから、お前が責任取れよ!」
「いや、羽根元々あったんだろ。しかも薬飲むの忘れてたって自分で言ってたし」
「うっせー黙れ馬鹿! 鳥いいだろ、あったかいじゃん!」

 親切が仇になっておまけにとんだイチャモンだ。しかも自分が不利になると驚く程簡単に方向転換して無かった事にしている、これだからお偉いさんは。ルークは背中を向けて翼をユーリの顔面にばっさばっさと羽ばたかせた。
 羽根を根本で縛っていたので、2対纏めて顔面を襲う。羽根の骨がびしばし当たり、口の中にやっぱり羽毛が入ってくる。邪魔臭い、無感動にユーリは紐を解いてやり舌に張り付いた羽毛をぺっぺっと吐き出した。

「……夏は暑苦しそうだな」
「……夏になったら考えるわ」

 素直な感想を告げると、ルークも苦い顔をして弱気に言う。お互い長髪なので、夏の間のうっとおしさをよく知っている。いや夏になれば夏毛に生え変わるのか? そんな事もふと真剣に考えてしまう。
 それにしたって、ユーリは辺りを見回す。少しルークが羽ばたいただけなのに、もう辺りに白い羽根がふわふわと舞っている。これはチャットに見つかればまた雷が落ちるだろう、ああ考えただけでも面倒臭い。仕方がなく、ユーリはルークの翼の手入れ方法を考える事にした。

 取り敢えず手櫛で翼を撫でてやれば、余分だったらしい羽根がほろほろと落ちてくる。どうやら翼初心者であるルークの羽根は、とにかく生やしっぱなしのようで。その分生え変わりスピードが早いのか、今まで大量に羽根が落ちていた。ならばブラッシングして余計な分を先に落としておけば、船内で零すことはないだろう。鳥なのに犬か、なんて事を思ってしまったがどちらにせよペットくさい。

「んん〜、お前、……撫でるの上手い……」
「さいですか」

 翼を撫でているとルークは大人しくなり、うっとりと身を任せてくる。手を掛けなければ静かにもならないとは、前任の躾担当者を糾弾したいくらいだ。ぶつかって所々、羽根が毛羽立っている部分を直していけばルークの翼は本当に綺麗だった。伝説に伝え聞く天使、というのだろうか。勿論黙っていれば、の注釈が付くが。

 梳いて終われば、結構な量の羽毛が出来た。ユーリはこれを集めて、本気で羽毛布団にしようか考えている途中だ。








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