13〜16

13///医務室のラブ木人様 Ver.L(YL)
14///医務室のラブ木人様 Ver.Y(YL)
15///つめきりがかり 1
16///つめきりがかり 2




















13///医務室のラブ木人様 Ver.L(YL)
 バンエルティア号医務室に最近新しい仲間が加わった。それは記憶喪失のディセンダー様ではなく、どこぞの尊き身分の方でもない。というか、生き物ですら無かった。それはある依頼主から貰った、霊験あらたかなご神木から削りだされた人間大の木人人形。体は人間同様簡易ではあるが五部位あり、顔パーツは完全省略されてただの丸いのっぺり顔。言うなればマネキン、材料がご神木という以外全くもって意味不明な存在だった。
 何故こんな物がよりにもよって医務室に、というのも。なんでも元になったご神木、縁の結びつきを強固にすると讃えられた大樹だったらしい。らしい、というのも、そもそも貰ってきたディセンダーが適当に聞いていたからだという、いい加減なのか懐が広いのか紙一重である。
 縁結びと称されれば、歳若い女性の多いこのバンエルティア号で受け入れられない訳がない。設置場所も思った以上に乗り気なアニーが快く医務室を申し出た、興味の無い人間の悲鳴を完全に無視して。
 それ以来医務室は時折女性達がやってきてはお祈りされるという、訳の分からないスペースが健在しているのだ。設置当初は余りにも女性陣がやってきたので、すぐにギルドマスターから注意が入ったが。しかし木人人形自体は尾ひれはひれを混ぜ込んで、ていの良い話種で広がるだけ広がっていた。

***

「ったく、ガイの奴もあれさえ無けりゃな〜」

 医務室の扉を開けると、常に居るはずのアニーやナナリーの姿がどこにもない。キョロキョロと見渡せばそこにはプレートが「クエストに出ています」と、垂れ下がっている。幾つかあるベッドの中の一つのカーテンがぐるりと締められていて、それ以外は変わった所は無かった。
 ルークは解けて温くなった氷のうをがちゃりと流しに置いて、乱雑に洗った。これはガイがうっかりやらかした後始末。偏執的に盲目している機械解説に熱が入りすぎて、大工作業中にトンカチを指に打ち付けてしまったのだ。今は処置も終わっている、ルークは医務室から持ち出していた諸々を返しにきたのだった。

 中身を洗って適当に干す、ナナリーに見られたら怒られるか呆れられるかどちらか。けれどこの場には誰も居ないのだから、何も問題は無い。ルークはさっさと部屋に帰ろうと踵を返した瞬間、目の端に映る奇妙な物に気を取られた。

 ナタリア達から話だけは聞いていた、縁結びのご神木から削りだされた木人人形。それは医務室のベッドの間に置かれ、その一箇所だけ異様な雰囲気が漂っていた。
 正直なぜ人型にして、大きさも人間と同じサイズにしたのか。はっきり言って怖い、こののっぺりしたパーツの無い顔がより恐怖を引き立てている気がする。夜にこんな物を見ればそれこそチビってしまいそうだ。こんな物が真横にあっては両隣のベッドに入ってしまった人間は落ち着かないだろう、事実片方のベッドカーテンはきっちり締められており、使用禁止のプレートが掛かっていた。
 どういう理由で禁止になっているのか分からないが、気を失って倒れた人間が目を覚まし、一番に隣のこの木人を見ればまたすぐ気を失いそうだ。

 ルークは少し前に話に上った内容を思い出しながら、その人形に近付く。確かナタリア達が楽しそうにお喋りしていたのは……。

「好きな相手を思い浮かべて、告白すると上手くいく……だっけか?」

 くだらない、大体ここの船員達は殆どカップルかカップル未満が出来上がっている。はっきり言ってこんな物に頼らなくても本人に言えばいいのに、そうルークは思った。しかし人は何かに縋りたい生き物なのだ、最近の外の流れを噛み締める。

「……告白、か」

 そうぽつり呟いて、ルークはふとある事に気付く。埃カバーのつもりか知らないが、木人人形は黒い布を肩から掛けられている。その黒色は何となく誰かを連想させた。

「大罪人っぽい、なんかムカツク所が」

 勝手な評判を押し付けられて人形もいい迷惑だろう、しかし物言う口も与えられていないのだから仕方がない。ルークは口にした事により、この人形がどんどんユーリ・ローウェルに見えてきた。

「そうだ、おい大罪人。……この前冷蔵庫のプリン勝手に食っちまって悪かった、あれは事故だから許せ」

 突然思い出した上から目線の謝罪を、本人の代わりへと伝え始める。勿論この人形がユーリの代わり等と、両方言った事も認めた事も無いが。そして調子付いてきたルークの口はペラペラと止まる事を知らない。

「そんで前の洗濯ん時、漂白剤全部入れちまってお前の服真っ白にしちまったのも俺だ。……汚れが全部取れたって事で許せよ」

「ついでに言うとお前のベッドシーツにブドウジュース零したのも俺だ。あれはその……不幸な出来事だったんだ、俺は悪くねぇ」

「えーとんでもってお前が実は昔は女だった説をノーマに流したのも俺だ。あれはムシャクシャしたからやった、ゼロスやロニに好かれて良かったな。良い事したもんだ」

 数々の懺悔の告白を本人の外でし、自分だけスッキリと垢も汚れも落とした心持ち。これで今度当人に会っても恐れる事は無い、人の噂話も偶には聞いといて良かったもんだと思い知る。

 そして最後、改めて見立てたこの木人人形。ルークはまた思いついて、キョロキョロと辺りを見回し自分以外誰も居ない事を確認した。そして佇まいを少し居直して、咳をコホンと一つ。たっぷりの沈黙を吸った後、ぽつりと言った。

「……………………好きだぞ、ユーリ」

 しーん、と静まり返る空間。真昼間で大半の人間が依頼へ外に出ている、バンエルティア号医務室ならば当然の事。むしろそうでなければルーク的には困るのだから。
 頬が勝手に赤くなっていくのを誤魔化すように、わざとらしい咳をもう一度してルークは溜息を吐く。確かこの人形、縁を深める為に最後に何か動作がいると言っていたのを思い出す。

「確か、相手を思い浮かべながら告白した後……キス、……だっけ?」

 本当だろうか、何か違うものが混ざっている気がしてならない。女子供が好きそうな甘ったるい話ではあるが、どうせ本人に言うつもりは無いのだ。一生訪れない予行練習みたいなものだと思えば、気も楽だ。そんな気持ちで望めば、今なら構わない気分だった。

 ルークは顔を少しずつ寄せていき、そのつるりとした面の丁度口元を狙って瞼を下げようとしたその時。

 突然シャー、と静寂を引き裂いて閉まっていた真横のベッドカーテンが開かれる。そこに現れたのは上から下まで真っ黒い、ユーリ・ローウェルその人だった。口元をニヤリと歪め、大層浮かれた声色で、ビキリと凍りついたままのルークへ一言。

「そっから先は代わりじゃなくて、直接してもらおうじゃねーか。なぁルーク」
「……うおわっ!?」

 ベッドから手が伸びて、強い力で有無を言わさず引き摺り込まれる。朱金が流れてカーテンの中へ消えていき、開かれた布端を手が引いて、カーテンリールが急いで仕事を果たす。

 再度ぴたりと閉じられたカーテンの中の出来事は、どこにも漏れる事は無かったとか。




























14///医務室のラブ木人様 Ver.Y(YL)
 バンエルティア号医務室に最近新しい仲間が加わった。それは記憶喪失のディセンダー様ではなく、どこぞの尊き身分の方でもない。というか、生き物ですら無かった。それはある依頼主から貰った、霊験あらたかなご神木から削りだされた人間大の木人人形。体は人間同様簡易ではあるが五部位あり、顔パーツは完全省略されてただの丸いのっぺり顔。言うなればマネキン、材料がご神木という以外全くもって意味不明な存在だった。
 何故こんな物がよりにもよって医務室に、というのも。なんでも元になったご神木、縁の結びつきを強固にすると讃えられた大樹だったらしい。らしい、というのも、そもそも貰ってきたディセンダーが適当に聞いていたからだという、いい加減なのか懐が広いのか紙一重である。
 縁結びと称されれば、歳若い女性の多いこのバンエルティア号で受け入れられない訳がない。設置場所も思った以上に乗り気なアニーが快く医務室を申し出た、興味の無い人間の悲鳴を完全に無視して。

***

「シーツの替え、お待ちっと……って誰もいねーのか?」

 ユーリがロックスに頼まれたシーツを片手に抱え扉を開ければ、普段アニーかナナリーが常駐しているはずの姿が無かった。シーツを置いて机を見れば依頼に出ています、と書き置き。両方共出ているとは珍しい、最近の依頼の多さが如実に現れていた。
 ユーリ本人も本当ならば今日は依頼続きで疲れた体を休める為に、ギルドマスター直々に言い渡された休暇だったのだが。部屋でじっとしているのも性に合わず、つい手伝いを引き受けてしまっていた。これを知られると無駄な雷が落ちるだろう事は想像に難くない、そろそろ部屋に帰るべきか。

 踵を返して戻ろうとした瞬間、目の端に映る奇妙な物に気を取られた。それは少し前にエステル達がお喋りしていた話の中で聞いた、縁を強めるご神木の木人人形。それが異様な雰囲気を漂わせて、ベッドとベッドの隙間に収まっていた。

 ユーリ自身そういった話は信じていないが、これで暗い状況を少しでも緩和できるのならばいいんじゃないのか、そんなスタンスで受け入れている。正直どう見てもただの木人形にしか見えない事は、少なくとも今わざわざ口にしなくてもいい事だ。
 それよりもリタが口には出さずにこの人形を恐れているようで、エステルがどうしたものかと言っていたのを思い出す。確かにモノ言わぬ大きさの人型は得も言われぬ迫力があり、見る者が見れば怖いかもしれない。だが今この木人様はただ今絶賛稼働中、船内では下手するとディセンダーより人気が上昇している。ユーリの一存ではどうしようもない話だ。
 隣のベッドカーテンが拒絶するように閉まっており、使用禁止のプレートが掛けられている。利用者の居ないベッドにまでそっぽを向かれているとは、人気が両極端な事だ。

「お子様達の相手はお互い大変だって訳だな」

 そうぽつり呟いて、ユーリはふとある事に気付く。埃カバーのつもりか知らないが、木人人形は朱色の布を肩から掛けられている。その両端に金糸で炎のモチーフがパッチワークされていて、こんな色で飾りなど船内ではある人物をすぐに連想させた。

「なーんか、お坊ちゃんみたいだなこれ。主張がでかい所とかソックリだ」

 ククク、と笑って額を狙ってデコピンを一つ。酷い言いがかりだと怒られそうだが、反論の口を持たないのだから都合のいい話だ。ユーリはこの霊験あらたかな人形の作法を思い出す、確かそう……。

「相手を思い浮かべて告白した後にキスだっけか、随分役得だな? ご神木サマは」

 噂話好きなこのギルドで回ってくる話は、大抵大きくなっているとユーリは分かっている。しかし恋に恋する乙女の様な作法を習うのも、一興かもしれないと気が向いた。以前から体の奥の方でチロチロと燻る想いを消化するには、丁度いいと思ったのだ。どうせ本人に言うつもりは無い、ここで言った気になって記憶の底へと眠らせてしまおう。

 ユーリは少し瞑目し、瞼の裏に朱金の人物を思い浮かべる。そしてなるべく重くならぬよう務めて軽く、サラリと口にした。

「好きだぜ、ルーク」

 しーん、と静まり返る空間。真昼間で大半の人間が依頼へ外に出ている、バンエルティア号医務室ならば当然の事。むしろそうでなければユーリは少し困る、微かな虚無感を吐き出すように溜息を一つして自身の空気を切り上げた。

「アホらし……、さっさと戻ってパフェでも食うかな」
「さっきからガサガサ、うっせえっつーんだ!!」

 言葉を遮るように、真隣のカーテンが乱暴に開かれて同時に暴言が飛んでくる。その声はつい今思い浮かべていた人物なのだから、ユーリの肩は意図せず固まった。

「って大罪人じゃねーか、何やってんだよ」
「……そりゃこっちのセリフだっての、使用禁止じゃないのか」
「あーこれ? 昼寝の邪魔されるとうぜーから掛けてただけ」
「昼寝ってお前な……」

 だってダルかったし、そう軽口を叩くルークの顔は少しだけ白い。恐らく体調不良を押し通そうとして止められたのだろう、無茶を意地で通ろうとするルークのやりそうな事だ。この様子では眠っていて今の言葉は聞かれなかったようだ、ユーリは安堵の息を吐こうとした。しかしそれは本人の言葉から否定され、後手を取られたかと心中で舌打ちする。

「お前もしかして、この木偶の坊にお祈りしてたのか」
「……いいや別に? 単に見てただけだ」
「嘘付け! なんか喋ってたのは聞こえてたっつの、えーと何だっけ確か……」
「おい、寝てなくていいのか。またティア達に怒られるぞ」
「うぐ、……うっせーなぁなんでそこであいつらの名前が出てくんだよ! あったまきた絶対思い出してやる、えーとそう! す……………………」
「……………………」

 どうにも起きてはいたらしい、そしてきちんと聞こえていた事も証明される。しかし言葉の途中で急速冷凍したように大口を開けて固まっているルーク。上着を脱いで黒いインナーだけの首元から、みるみる内に赤色が駆け上がっている。妙に額に汗かき始め、視線がススス、と横に逸れた。
 そんなルークの態度に、絶対に有り得ないと思っていた期待の端が持ち上がる。ユーリは飛んでいった緑碧を追いかけるように覗きこんで、意地悪げに言った。

「……なんて? オレが言った言葉、聞こえてたんだろ?」
「そ、それはその……えーと、そう……。ル、ルー……」
「L?」
「Ruca……ルカとか」
「RとLじゃ全然惜しくないだろ、誤魔化すにゃ苦しすぎだ」
「き、今日の所は見逃してやるから、大罪人もさっさと部屋に戻れ。パフェ食うんだろ」

 視線を頑なに合わせようとしないルークはユーリの体を押し退かせ、カーテンを閉じようと手を掛ける。しかしそれを邪魔するように手を重ねて、締め出そうとする動きを食い止めた。
 ルークの手は緊張に固まっていて、警戒しているとも取れた。だが今までの流れで警戒しているという事は、……少しばかり己に都合のいい見解かもしれないが、そう外れていない気がユーリにはしている。何よりも本人が目の前でそれを明らかに語っているのだ、素直でない言葉ではなく態度そのもので。

「パフェはまた今度だ、今日は別の物を食おうかね」
「い、いやいや……パフェだって食ってもらいたいって思ってるって。だからほら、急いで帰れよ溶けるだろ!?」
「そーだな、……解けちまったからもういいだろ」
「今ならまだ間に合……っておい、ちょ!」

 ユーリはどこからか湧いてくる調子に任せて、ベッドに片膝乗り上げて侵入する。家主が何か騒いでいるが、その顔を見ればただのポーズと解釈できそうだ。そして後ろ手でルークの望みどおりカーテンをキチンと閉め、ユーリは大好物の甘い物をいただく事にした。




























15///つめきりがかり 1
血、注意

 ある日ユーリはロックスの手伝いで、医務室へ届け物を手に廊下へと足を踏み入れた。するとその先、丁度医務室前に固まっている朱いもの。何だ? と思って近付けばそれはなんてことない、最近ギルド入りして早々人の事を犯罪者呼ばわりしたライマの王族様だった。
 ユーリに背中を向けてちんまり縮こまっている、と思ったらヤンキー座り。けれど何か体を守るようにしているものだから、ひょいと上から覗き込む。
 影に気が付いたのか、ルークがぎょっと驚いて顔を上げた。すると視界に入る赤色、髪の毛ではない、もっと深紅、そう血だ。右の指先を赤く染め、手の甲へ朱線を引いている。それにユーリは片眉を上げた。
 目撃者から隠すように背中へ回し、どすんと扉に体をぶつけて自動ドアが反応する。ガーッと開いて背後のナイトが雲隠れし、ルークはこてんと間抜けにすっ転んだ。その拍子に両手を上げてしまえば、その被害がばっちり明るみに出る。

 傍にしゃがんでバタつく手を取りまじまじと観察すれば、その様は酷い。人差し指の先がスパッと切れていて、カーテンを引くように血がだらだらと。少しばかり傷が深い上どうやら切ったばかりらしい、だのに止血も消毒も何も施されていなくて血の匂いが濃い。
 ユーリのもう片方の眉が歪むと、逃げるように手は奪われる。傷付いた右手を守っているつもりなのか、左手で覆ってぎろり睨みつけてきた。それが手負いで興奮している動物に見えて、ちょっとばかり保護員の気持ちに。

「どうしたんだよそれ、よくそんな器用な切り方したな」
「うっせ! テメーには関係ないだろ大罪人」
「お坊ちゃんには関係無いけど、医務室前を塞がれちゃ迷惑だろ」
「う……。別に、誰もいねーんだから迷惑もクソも無いっての」
「なんだ、アニーもナナリーも居ないのか? ああ、だからこんな所で一人うずくまってたのか」
「ちっげーし! ただその……そ、そういう気分だっただけだ」
「へぇ? その気分オレには一生分かりそうにないな。……ってちょっと待てよ、お坊ちゃん」

 半分瞼を下ろしている瞳をもっと細めて、ルークは医務室を出ようとした。それを引き止め、庇う右手首をぐりっと取り上げる。いででで! と涙声で悲鳴を上げ、何しやがる! と怒り声を医務室中に響き渡らせた。

「そ・れ、手当してやっから座れ。どうせ部屋戻っても誰も居ないんだろ? 今なら黙っといてやるからよ」
「……自分で出来る」
「止血も消毒もしないまま、廊下に血をぽとぽと落としてた奴のセリフじゃねーな。ほっとくとばい菌が入って膿んで、剣握れなくなんぞ」
「ぐ……。い、痛くすんじゃねーぞ!」

 剣を握れなくなる、その言葉に反応したのかルークは大人しく椅子に座った。頼まれていた届け物を近くに置いて、ユーリは消毒液と包帯を用意しだす。
 ルークは右手を前に、指を広げて待っている。口がヘの字に曲がっているのに、眉が反対に曲がって面白い。口では強がっていてもやはり痛いらしい、はやくしろ、と幾分抑えた声で急かす。
 ユーリは消毒液を染み込ませた脱脂綿をピンセットで一摘み取り出し、ちょいちょいと血を拭うように指を撫でる。液が染みて痛むのか、時折ビクビクとルークの肩が跳ねた。それでも声を上げないのはせめてものプライドか、けれどその表情のせいで全くの逆効果になっていた。

 指先の赤色を全て拭い、新しい脱脂綿をほんの少しだけ千切って傷口へ。その上に切ったガーゼを置いて包帯をくるくると巻いた。濡らしたタオルで垂れた血を拭き取れば、もう綺麗なものだ。ルークは白くなった自分の人差し指を感心しながら見つめている。
 治癒術を使えば一発だが、少しくらいの傷ならばこれで充分だ。ユーリは後片付けをさくさくし終えて、ルークの尋問に入った。

「そんで、何やったんだよ。危険な一人遊びか?」
「ちっげーよ、その……。爪を、切ってたんだ」
「爪ぇ? 爪どころかお前それ、肉切ってんぞ」
「力加減が難しくて、なんかこーズバッとやっちまったの!」

 がうっ! と自棄糞に吠えるルークの手先に視線をやれば、確かに爪の白い部分が目立つ。剣士である以上手先のケアは重要だ、怠ればその分自分にしっぺ返しがくる。そして被害の右手爪がまだまだ白いという事は、一本目でざくりといったのだろう。
 爪切りごときで一体何をやっているのか、ユーリは呆れる。

「今更爪切りでケガするなんて、子供かよ。それとも王家御用達の逸品でないと、爪も切れないのか?」
「爪切りにそんなもんあっか。ただその、部屋にあったのが全部右利き用だったから……。面倒くさくなってナイフで切ろうとしたら、力加減出来なくってやっちまったんだよ」
「あー、なるほど。そういやそうだったな」

 ギルド員に充てがわれる部屋にはそれぞれ備品として、最初からある程度の日用品は揃っている。ルミナシアにおいて爪切りは一般的にハサミだ、そして備品のハサミは右利き用だった。左利きとしては使いにくい、けれどユーリはそれに慣れているので気にしたことが無い。

「爪切りは、今までずっとガイにやってもらってたから……」
「使用人? はー王子様だね」
「ガイは違うっつの! まぁそうだけど。まだ合流出来てないんだよな……」

 急に顔をしょんぼりとさせて、不安そうな面持ち。今まで喧々と怒った表情しか見たことの無いユーリとしては、少し意外なものを見た気になった。クーデターから避難の為アドリビトムに辿り着いて、まだ再会出来ていない相手を心配している。
 初対面で感じただけの人格では無いらしい、そうユーリは心証を書き換えた。そして同時、何となく絆されて自分から口にした。

「仕方ねーな、んじゃ暫くの間オレが切ってやるよ。……爪」
「……大罪人が?」
「おお、ギルドの働き手が爪切りなんかで減るのもしょーもねーしな」
「わざと指切り落としたりしないか?」
「するか! オレも左利きだからまぁ苦労は分かる。お仲間同士助けてやろうって話」
「お前も左利きか! なんだよ、そーゆーのはもっと早く言えっての! そっか、んじゃ約束だぞ?」
「へいへい、そんじゃ早速その残りをやっちまうか」
「ああ、頼むわ」

 マイノリティシンパシーを感じたのか、態度を砕けさせてルークがにかりと笑う。毛を逆立てていた猫がいきなり懐いてきた、なんて気分になった。
 だがぱちんぱちんとハサミで切っている間、言葉無く大人しい姿に何となく信頼されている気がして、これはこれで悪くないかなとユーリは思った。




























15///つめきりがかり 2
 ルークの爪切り係なんてものに就任して暫く、アドリビトムにガイ・セシルが加入した。彼がルークの従者兼護衛兼兄貴分、らしい。けれど遠目から見た様子、世話焼き保護者と言った方がしっくりくる。
 ルークの我儘を諌めたり叶えたり、忙しい事だ。爪切り係うんぬんはガイが居るのならば解雇されたようなものだろう、ルークも今までは彼が切っていたと言っていたのだし。これであのお坊ちゃんの世話から開放されたな、と漏らすユーリの内心は何となく面白くない。
 前にルークが風呂の事で我儘を言っていた時も、特に意味無く冷たく当たってしまった。隣にガイが困りながらも手慣れた感で笑っていたのが、何となく気に入らなかったのだ。

 どうしようかね……そう食堂で一人思案に暮れるユーリの耳に、今まさに聞き逃せない名前が届く。振り向くとクレスとロイドが心配そうに話ながら椅子に座っている、何時の間に入ってきたのか気が付かなった。
 周りが目に入らないくらい考えていたのか、どことなく恥ずかしくなったユーリの耳にまた。今度こそはっきりと聞こえた、ルークが心配だ、と。

「……おい、あのお坊ちゃんがどうしたって?」
「ああ、ルークがさっきのクエストでちょっとケガしてね」
「医務室に連れてってアニーに見てもらってるからだい……ってユーリ!」

 最後まで聞く事なくユーリは飛び出す。廊下を渡って医務室前、自動ドアの開閉速度に苛ついて入ると、そこには指先に包帯を巻かれたルークが。

「はい、これでもう大丈夫ですよ。今度からちゃんと爪、切ってくださいね」

 アニーがにこりと微笑んで、救急箱を片付けている。ルークは不満気に口を尖らせて、その白い指先を睨んでいた。来たはいいがどう声を掛けるべきかユーリが迷っていると、アニーから声が掛かる。

「こんにちはユーリさん、おケガですか?」
「あ、いや……。ルークがケガしたって聞いてな」
「長爪しすぎて、剣を振るった時に爪が剥がれちゃったんです。さっき他の爪も切っておいたので、もう大丈夫ですよ。」
「……そうか」
「それじゃ私、呼ばれているので後お願いしていいですか?」
「ああ、構わねーよ」

 アニーが部屋を出ると、途端奇妙な沈黙。それを醸し出しているのは特にルークで、気まずげに顔を逸らして決してユーリを見ようとしない。その顔を無理やり正面向けて、ユーリはじろりと睨んだ。

「……爪が剥がれたって、お前爪切りは? ガイがいんだろ、なんで切ってなかったんだ」

 ルークの手の爪はもう短くなっている。少し前までここを切りそろえる役目をしていたのはユーリだ、専任の従者が居るのならばもう自分がやる必要性が無いと思ったのだが。
 戦士として自分の体の管理は重要だ、武器を握るにおいて爪も当然視野に入る。なのに何故それを怠ったのか。ガイのあの有能さから見てこれを見逃すとは考えられない、ならルークが断っていたのだろう。しかし前にユーリが忠告した時、剣が握れなくなるのは嫌だからと受け入れたのにどうして。
 するとルークは上目使いで言葉を溜めて、漏れ出すように言った。

「……だって、お前が」
「……え?」
「お前が爪切るって言ったんだろ! なのに……俺を避けやがるから」
「いや、……それは。まさかそれでずっと爪切らなかったのか?」
「だって、約束しだたろ」
「……したけど、そんな事守らなくってもよ」
「なんでだよ、約束は守るもんだろーが」

 むっとした顔で、至極当然の事を言う。ユーリはそりゃそうだ、と思いながらも困惑する。
 ガイが来てから避けていたつもりは無かったが、金色と朱色が揃って目に入るのが何となく気に入らなかった。なので意識せず体が避けていたのかもしれない、例え出くわしても皮肉る言葉で誤魔化していた。
 けれどそれをルークが気付いていて、気にしているとは。ユーリは申し訳ない気持ちと同時、今まで胸の内に溜まっていたモヤモヤが晴れた気がした。

「そう、だな。オレが悪かった」
「そうだぞ、お前が悪い! すげー痛かったんだからな」

 素直に詫びれば、追撃のようにルークはぷんぷん怒り出す。けれど噴火はすぐに収まって、くすりと笑った。

「でもあんなに爪伸ばしたの初めてでちょっと面白かったけど。ガイとティアに毎日すげー言われてさぁ」
「あの二人に言われても切らないとは、頑固というか義理堅いというか……。じゃあ次からはオレがちゃんと切らせていただきますよ、ルークお坊ちゃま」
「ったく、今回は寛大な心で許してやるけど、次は無いからな!」
「ああ、ありがとよ。……今度こそ約束な」
「おう、破るなよ?」

 偉そうな物言いの中に、少しの怯え。それを見てユーリは胸の奥がぎゅうとなった。体が正直に動いて頭の朱毛を撫でる。それを照れた表情で止めろよ馬鹿、そうはね退けられた。
 次は頭を撫でても嫌がられない所までいこう、そう決めてユーリはにこにこと笑った。







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