還りの門は暁け色に輝く








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 ”ゴースト”種という認知がある時点で幽霊だとかはただの魔物だ、そうユーリは思っていたし今でも思っている。実際怪談話で聞くような”怖がらせていくだけの幽霊”というものには、この方お目にかかった事が無い。会った事が無い存在は無いに等しい、そこまではっきり考えている訳でもないが。だがこの認識を、たった今から改めなくてはならなくなった。何故なら遂に見えてしまったからだ、幽霊というモノを。

 だがよくある怪談のようなおどろおどろしさは余り見受けられない、個人的な恨み辛みを垂れ流している訳でもない。その幽霊はだりー、とかうぜー、とか時にはスタンとカイルの天然コントに力一杯のツッコミをしている。
 少し考えて、幽霊にもきっと色々あるんだろうという答えに達した。何々種何々目何々科、というやつだ。何せあの幽霊は幽霊のくせに自己主張が強く文句も多い、自分の口に入れている訳でもないのに、嫌いな食べ物を目の前にするとわーわー騒ぐ。今まで聞いた中で判断するに、安い肉と人参とキノコと牛乳が嫌い。って多すぎだろ、ナメてんのかお前はとユーリは言いたくなった。
 後は地味な作業も嫌いらしい、掃除なんて以ての外。むしろ掃除道具の存在すら知らなかったのではないだろうか、遠くからの反応だが間違ってないだろう。

 ここまで揃えば自分から関わり合いたいと思える要素が無い、ユーリはただ遠くから見るだけに留めている。取り憑かれているらしい人間には悪いが、別段何か悪さをしている様子も無い。それにもしかしたら幽霊ではなく守護霊というやつかもしれない、そんな自分でも無いなと思える理由で納得させた。何しろその幽霊と取り憑かれている人間は、顔がほぼ一緒だ。こういう場合はどう言えばいいのか、生き写しというやつだろう。
 赤い長髪、緑の目。パッと見違いと言えば、生きている方がオールバックだという位か。後表情も違うといえば違うかもしれない、顔の作りは完全に同じだが幽霊の方は何というか傍若無人だ。人間の方はいつも険しい顔で眉間に皺を寄せている、ユーリは話した事が無いが、エステルとナタリアが繋がっているらしく偶に名前を聞く。
 その評判も少し短気だが真面目、くらいなものだ。このアドリビトムはどんな人材人物だろうと十把一絡げに扱うものだから、その点王族だろうが記憶喪失だろうがただのギルドメンバーで収まってしまう。

 なのでユーリとしても声を掛けられれば返すが、自分からはしない。これからもそれでいこうと思っているし、そうなるだろう。しかしそれがあっさりと崩れたのは、予想外というしか無い。

*****

「おい、リンゴ落ちたぞ!」
「ああ、悪ィ」

 そんな何でもない会話を、廊下で。常ならばそこで何が始まる訳でもない、落し物を拾ってサヨウナラだ。しかしくるりと後ろを振り返れば、廊下に落ちるリンゴ。そしてその上をふよふよと浮いている、幽霊。
 お互いポカンとした顔で、ばっちり目線が合う。これは言い逃れが出来ない、そうユーリが思っていると、幽霊が食堂への扉をするする抜けて消えていく。その顔はさっきの間抜けな顔のままで、じっと此方を見ていた。
 恐らく取り憑いているアッシュが食堂へ入ったせいだろう、あの幽霊は必ず彼の頭上に居たのだから。

 リンゴを拾って、さてどうしようかと考えるユーリ。幽霊のくせに騒がしいあの幽霊から、何かアクションがあるだろうか。怪談話では存在に気付いた人間には、何かしら霊障が起こり悲惨な末路を辿るのがお約束だ。もしそうなったら事だが、しかしあの幽霊が果たしてそんな事をするだろうか。傍から見た程度では、大して実害があるように見えなかった。まぁ何とかなるだろう、そう適当に結論付けてユーリはシャクリとリンゴを齧る。



 しかし実害は案外あった、うるさい。これがまた地味に効いて、地味に厭らしい。あれからアッシュとすれ違う度に、幽霊が話しかけてくるのだ。これがまたどうでもいい話だったり、ただの愚痴だの文句だったり。こっちが一貫して無視してもそれを無視される。内容も無い建設的でもない、ごくどうでもいい個人的な話は聞いていて飽きた。しかも3日くらいで話す事が無くなったのか、内容がリピートしている。その話はもう聞いた、何度心の中で言った事か。
 それに不思議な事に、あれからアッシュと会う事が多くなった。以前は食堂前廊下ですれ違うだけだったのが、クエストが一緒になったり掃除当番が一緒になったり。もしやこれもあの幽霊の仕業か? と疑ってしまうのも仕方が無いだろう。

 いい加減我慢するのにも飽きて、ユーリは自分から話しかけた。それはエステルとナタリアが食堂で和やかに世間話をしている時。隣で静かに二人の声を聞いているだけのアッシュの頭上、幽霊が上下逆さまになってつまらなさそうに欠伸をした時を狙って。

「……おい、幽霊」
「あーつまんねー、なんでこう女って無駄に喋る事があるんだろ。どうせアッシュだって喋らねーのに同席してんなよ、気が利かねーよなコイツ。どうせならクエスト行こうぜ、魔物ぶっ倒すやつ!」
「幽霊、こらお前」
「それかヴァン師匠の修行受けろって、一日休むと取り返すのに苦労すんだぞ! なーなーなーアッシュー、なーってばー! くっそこのデコッパゲ!」
「お前こっちが話掛けてる時に限って無視すんなよ!」
「……何だ?」
「あ……、いや何でもないって。気にすんな」

 思ったよりも音量が出てしまったらしい、当のアッシュが煩わしそうに睨んできた。それにごく自然に見えるよう返し、自分のカップに口を付けて誤魔化す。コトリと机に置いて、視線を上げれば幽霊と目が合う。半透明の両手をくるくると回して、何やら思案顔。ウンウン唸った後に出たのは、結局こんな言葉。

「…………………………えーと、お前名前なんだっけ」
「そっからかよ、……ユーリ」
「ああ、そーそーユーリ! そんな名前だったな、ってかやっぱお前俺見えてんじゃねーか!」

 てめー反応遅いんだよ! と火が付いたように叫び出す、こっちは小さく囁く程度の音量だというのに。しかしこれで遂にコンタクトを取るに至ったのだ、さてこの幽霊は何をどう言い出すのだろうかと心構える。
 アッシュの頭上からふわんとユーリの頭上まで移動し、半透明の足で此方の頭を無遠慮に踏んでくる。それにイラッとして、虫を追い払うように手を振った。だがそれを面白がって、馬鹿みたいに笑って足踏みし始めるのだからうっとおしい。こっちから声を掛けた手前だが、ユーリの中では直ぐに後悔の波が襲ってきた。

「止めろっての、ちょっとお前大人しくしろよ」
「ずっと無視しやがってこんの野郎、ってか何で俺の事見えるし声聞こえるんだ? 今まで誰もそんな奴居なかったぞ」
「んなのコッチが知りたいってね、お前って結局アッシュの守護霊なのか?」
「守護霊〜? うーん響きが格好良いからそれもいいかなー、けど俺何も出来ねー けど?」
「じゃあやっぱ幽霊……いや、背後霊か」
「あー背後霊、成る程そんな感じだな」
「随分他人事だな……。自分の事だろ? 何でアッシュに取り憑いてんだ」
「さあ? 俺も気が付いたらアッシュの上に居たし」
「……どんくらい前から取り憑いてんだよ」
「知らねー、なんかこの体になってから時間の感覚ねーわ」

 自分の事すらふわふわと話すとは、流石幽霊なのかもしれない。しかし普通留まっている霊というものは、何か心残りがあるのが常例ではないのか。けれどこの幽霊は、最初に目を止めた時から言動が適当で、おどろおどろしい恨み事のような節は聞いた事がない。文句や愚痴もただ口をついて出た意味の薄そうなものばかり。
 死んだ事に気付かない霊という訳でもなく、単純に疑問を持っていないだけなのかもしれない。ユーリはこの幽霊に少しだけ、興味が湧いた。

「お前って、……死んでるんだよな?」
「あー、……おー! ……そうなんじゃね?」
「分からないのかよ? 今より前の事、何か覚えていないのか」
「んー、確か修行の旅に出てたはず。ヴァン師匠と」
「ヴァン師匠? ああ、あのヒゲのおっさんか」
「おっさん言うな! 師匠は強くて凄い師匠なんだぞ!」
「はいはいっと。修行って、アッシュもそんな事言ってたか……。って事は兄弟なのか、まぁ顔似てるし守護霊って言うよりは説得力あるな」
「アッシュとは双子で、俺の方が兄貴」
「へー、あっちのが兄っぽいな……」
「うぐ、うっせーよ! んー、何かそっからあんま思い出せねーな……。ってか忘れてるって事も忘れてたわ」

 ぽりぽりと朱色のつむじを掻き、呑気そうに言う。どうにもこの幽霊、お話に出てくるようなタイプでは無いようだ。しかしだからと言ってどうと言う訳でもないが、何しろ他に例が無いのだから比べようがない。

「それでは、今日はこれでお開きにいたしましょう」
「はい、とても楽しかったです。またご一緒しましょう!」
「ええ、勿論ですわ!」

 お嬢様達の小さなお茶会はどうやら終わりのようだ、アッシュが何も言わず茶器を片付けだした。ロックスが遠慮がちにそれを受け取り、礼を言っている。ユーリは別段この茶会に付き合っている訳でもなくただ単に、自分の甘味欲求を満たしていただけに過ぎないので、まだ手前のカップには中身が残っていた。
 ナタリアとアッシュが食堂を出て、エステルがにこにこと此方を振り向く。この後フレンとジュディスでクエストに出るらしい、ユーリも一緒にどうです? と聞かれるが断った。その理由はこの後キッチンを借りてデザートを作り置きしようと思っていたからなのだが、それに予想外の声が上がる。

「クエスト行こうぜー、こうスカッとするやつ!」

 何故か頭上から声がする、嫌な予感がするが確認しないのも怖い。ちらりと目線だけを上げて上を見れば、そこに垂れる薄い黄色。幽霊のグラデーション掛かった髪の終わりの色が、幽霊特有に透けて広がっている。天井に足を付けて、手振りで剣を構えていた。意外と堂に入っている、素人では無いらしい。
 しかし問題はそこではない、この幽霊確かにアッシュに取り憑いていたはず。その当人は今さっき食堂を出たのに、何故ここに居るのか。本来ならば引き摺られてもここから消えるはずではないのか? 以前目が合った時のように。

「おい、……アッシュはもう行ったぞ」
「そうだなー、なーそれより外出ねー? 船内も最初は面白かったんだけどさ、自分じゃ歩けないし飽きてきたわ」
「いや、そうじゃなくて……。お前何で一緒に行ってないんだ、アッシュに取り憑いてんだろ?」
「え、そうなのか?」

 どうにも自分でも分かっていないらしい、んじゃ行ってくるわ、などと言って天井を歩く。しかし2・3歩進むと、鎖に繋がれたように見えない何かに引き止められてガクッとなった。表情をそのまま不思議そうにして、何度も進もうとするがどうやっても先に行けない様子。

「おい、なんか壁があんぞここ」
「食堂のど真ん中に壁があったら邪魔だろうが、そうじゃなくて……」

 ユーリは立ち上がり、スタスタとキッチンに入る。すると幽霊もズルズルと引き摺られて同じようにキッチンに入った、天井の換気扇に体を通過させながら。

「あれ? お前に引き摺られてんのかこれ」
「ってかお前、……オレに取り憑きやがったな……!」

 へ? と目をパチクリさせて此方を見る。自分とユーリを見比べて、それから別方向へおもむろにダッシュすると、やはりガクン! と勢いよく何かにぶつかった。そしてくるりとユーリへ振り向いて、大発見したように嬉しそうな顔で言う。

「なんかそうみたいだな! んじゃやっぱ外行こうぜ外!」
「何がやっぱだ、全然関係無いだろうが。あーあ、話しかけるんじゃなかったか……」

 まさか話し掛けただけで取り憑かれるとは、こんな事有りなのだろうか。アッシュに取り憑いている時は同情はしたが、害が無さそうなので放っておいた。もしやこれは罰なのか、見えるモノを放置していた自分に対しての。だが見えるだけで退治やお祓いなど出来る訳でもない、どうしろと言うのか。
 しかしいざ自分に取り憑かれると何となく気分がよろしくない、後何よりうるさい。下手に意思疎通が出来る分、無意味な言葉を吐いているわけでも無いのがより気になる。もしやこれが霊障というやつなのかと、ユーリは浅はかだった過去の考えを訂正した。

「……なっちまったモンは仕方無い、取り敢えずプリン作っとくかな」
「お前プリンってツラかよ、真っ黒のクセに」
「真っ黒だからってプリン作ったらいけないのかっての、いいだろ好きなんだから」
「悪かねーけど。ってか作れんの?」
「目ぇ瞑ってても作れる」
「マジか! すげーな!」

 妙な所で感心し、急に興味を持ちだしたのか天井から降りてきてユーリの背後を取る。声がして気配を感じる為、戦士でもあるユーリは少々動きにくい。お前もうちょっと上にいろと注文を付けると、案外素直にふよふよと距離を取り出した。

 やりやすいのかやり難いのか、よく分からない。ユーリはボウルをかき混ぜながら、変なものを引き受けてしまったと実感した。







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