もうすこしがんばりましょう








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 すぐに飽きるかと思われたルークの地道な運動は、意外にも途切れること無く続いていた。ヴァンとの手合わせ、ギルドの仕事、毎日の筋肉トレーニング。夜更かしせずに朝はガイで目覚まし、食事も嫌いな牛乳を顔を真っ青にして飲んでいた。だが健闘虚しくあまり成果は見えないようで、毎日測っているが芳しくないとルークは嘆く。そんな一朝一夕で身長が伸びるわけもないのだが、やる気を出していてもルークの物ぐさな根っこが納得しなかった。
 毎朝のトレーニングも終わり、食堂でクレス達と昼食を摂りながらその事をルークが愚痴っていると、横からいつもの光景であるユーリの茶々入れが入った。

「そりゃお前、原因はあれだろ」
「んだよ? 筋トレも休憩も牛乳もとってるっつーの!」
「牛乳以外は全然好き嫌いなおってねーだろ、人参も魚も食ってない」
「あ、あんなの食い物じゃねー!」

 頭を掻き毟って叫んでいるが、そうは言っても事実は事実。そもそも牛乳だけで身長が伸びるわけでもないのだが、少々盲目になってきている今のルークが聞き入れるかは微妙な線だろう。

「運動・栄養・休息、三大要素なめんなっつーの。身長伸ばして体つくりたいならいい加減全部食え。食うか諦めるかどっちかだ」
「……くっ!」
「いい機会じゃないかルーク、これを期に克服できるかもしれないよ?」
「俺も人の事はあんまり言えないけど、ルークはちょっと多いからなぁ」

 実の所、今日の昼食にも問題のブツは出現している。温野菜サラダの人参だけがちゃっかり残って今ルークの目の前に鎮座しているのだ。隣に居るのがクレスとロイドの友人コンビでもあるため、あまりせっつかれていなかった。しかしそれをばっちり目撃していたユーリが、愚痴と称してさり気なく残そうと画策していたルークを咎めたのだ。
 ぎりぎりと歯を食いしばり、机に齧りついてその皿を睨みつけていたルークだが、ついにキレてがばりと立ち上がり椅子を後ろにふっ飛ばした。

「うっせー! 俺は食わねぇ! 身長も伸ばす!! 
出された選択肢ってやつをぶち破って、俺は俺を貫き通すんだよ!!」
「ルークかっけぇな!」
「ロイド、今のは褒めたらだめだよ……」

 物語の勇者様のような顔で決めて、熱い拳を振り上げる。その姿は中々に男らしいかもしれない、見ようによっては。ただ嫌いな人参を拒否するポーズだという事実さえなければだが――。
 皮肉げなユーリは口角を上げながら冷やかして笑い、皿に残る哀れな人参を指して無情にも残酷な真実を掘り返す。

「それで結果出てんのか? あれから何ミリ伸びたか言ってみろよ」
「ミリとか言うな!」
「つまりミリすらも伸びてないんだな」
「言うんじゃねえええ!!」
「ルーク落ち着け!」

 ついにはキレて両手で耳を塞ぎ、駄々っ子のように唇を尖らせてプイッと明後日の方向を向く。ユーリの座っている側と反対方向を選んでそっぽを向くのも、この場で誰が一番ルークを甘やかしてくれるのか理解しているようだ。

「諦めろお坊ちゃん」
「うっせぇ! YesかNoか選べって言った奴をぶん殴る、それが俺なんだ!」
「お前はアホか」
「俺は今までそうやって生きてきたんだよ! なんか文句あんのか!」
「オレは別に構わねぇけどよ、そんな事言っても結局背は伸びねーぞ」
「うあああああああっ!!!」

 身長から個人の生き方を主張するも、相手が相手なだけに効果はいまいちだ。壊れたように叫ぶルークに、いい加減クレアやリリスにも迷惑がかかりそうな勢い。結局ルークがぐだぐだ言い訳をして、人参を残そうと試みるのだがそれを引き止めるユーリという図で膠着状態に陥っている。ロイドとクレスはクエストの予定が迫っていたので先に戻ったが、二人の様子を後ろ髪を引かれるように気にして食堂を出た。


「ほら、もういいから食っちまえよ。あと一口じゃねーか」

 ユーリも多少うんざりしてきたが、ここまで付き合えばもう最後まで見届けようという気持ちだった。元々アッシュやガイの頼みではあったが、あんな頼み事は聞くべきでない種類だとユーリの頭からは追い出している。それに本人がやる気になっているのに、周囲の応援をいまいち受けていない事実がなんとなく哀れで、いっそ本当に身長が伸びればいいと思う部分もある。大体ルークくらいの歳ならば身格好を大なり小なり気にするものだろう、ただ目標がウィルとなると多少高望みしすぎな気もするが。王家のお坊ちゃまの、意外と庶民的な悩みに親近感が湧いたユーリなのだった。
 ぷるぷると震えるフォークで人参を刺し、親の敵かというくらい睨みつけているルーク。無言の圧力で食え! と視線で脅しているユーリ。昼を過ぎてそろそろいい時間だというのに、一向に皿が片付きそうになくていい加減リリスの口元がヒクついていた。
 その綱渡りのような緊張感の中、ぶち破るように食堂のドアが開く。ごきげんよう、と凛々しく涼し気な声が響くのはナタリアだった。次いでアニスも甲高い余所行きの声で挨拶する。

「あらルーク、こんな時間までどうしましたの?」
「あー、なんでもねー」

 ナタリアに話しかけられて慌てたのか、持っていたフォークを下ろしてしまった。この流れだともう今日は無理かもしれない、思わずユーリは舌打ちをした。しかしそんな二人の様子に構う事なく、アニスがいつものポーズでルークに駆け寄ってきて嬉しそうに話し始めた。

「ルーク様、聞いてくださいよぉアニスちゃん、背が伸びたんですよ!」

 ぎくりと肩を震わせるルーク。今のルークに他者の成長報告は喜んで聞ける心境ではないだろう、だがだからこそ伸びた喜びは理解できる。普段ならば嫉妬混じりで怒り出す所を、年下のアニスに八つ当たりするわけにもいかず、ルークは心で天使と悪魔を戦わせて見事同士討ちにより押し黙った。

「ええ、去年より5cm伸びたんですって、伸び盛りですものね」
「今にスラっとしたスレンダー美人になりますから、期待して待っててくださいね!」
「……お、おう」
「でもアニス、女性の背があまり高くなってしまうのも考えものでしてよ?」
「そういえばナタリアは意外とタッパあるよな」

 本人の数字とジュディスやフレンなど身内周りに高身長が揃い、ユーリ自身はあまり見た目を気にしない。しかしナタリアは物憂げで、ふぅと苦笑いを漏らす。

「ええ、威厳や迫力を出す分にはいいのですけれど……」

 やはり女性特有の悩みか、少し憂鬱そうだ。

「そーいえばナタリア様ってば船に来てから伸びたって……」
「アニス!」

 突風のような素早さで、いつの間に回りこんだのかナタリアがアニスの口をしっかりと塞いでいる。急に押さえつけられ、アニスは混乱したようにもがもがと藻掻いていた。子供とは言え軍人であるアニスが結構な勢いでバタついているのだが、ナタリアの両手はびくともしていない。当の本人であるナタリアは貼り付けた笑顔で優雅に笑い、誤魔化していた。

「……おほほ、なんでもありませんわ。それでは皆様、ごきげんよう〜」

 すさささ、とアニスの口を封じたまま後ろ向きで去っていく。来たばかりなのに、何もせずあっという間に行ってしまった。なんだったんだ、とユーリは疑問に思い隣のルークを見ると、ルークは目に見えて動揺していた。だらだらと冷や汗を流し、貧乏揺すりのように椅子をガタガタ鳴らせて震えている。
 この様子のルークを見て、ユーリは何故ルークが突然身長を伸ばすだの言い出したのか、何となく察した。おそらく間違っていないだろう、なにしろ本人がこうやって自供しているようなものなのだから。

「ナタリアの身長っていくつなんだ?」
「……168」

 ぼそりと蚊の鳴くような声で覇気なく答えるルーク。当初にガイから聞いたルークの身長は171、その差僅か3cm。先程の会話、それが縮まったとなると――。ユーリは慈愛の眼差しで、優しくルークの肩を叩いた。

「いいじゃねぇか、身長なんざ個人差だ。背の高さくらいでお前の全てが無しになる訳でもないだろ」
「……た、大罪人」

 うっかり涙腺に直撃したルークが、じわり目元から水を流しそうになった。

「それにこの船には科学者もいる、しかも天才だ。きっとお前の満足いく物を作ってくれるって」
「……あ? なんの話だよ」
「シークレットシューズ」
「っざけんなそんなかっこわりーもん履けるかぁ!!」

 完全にブチ切れて椅子を蹴倒したルークが、ぶんぶんと拳を振るうが全く当たらない。これには流石にリリスからサンダーソードでお仕置きされ、一部頭を焦がしたルークが机に出戻って突っ伏した。とばっちりで黒髪の端を焦がしたユーリも不服そうだが、何か言えば今度はマンボウが飛んでくるかもしれない。二人は顔を寄せて食堂の守護者らの不評を買わぬよう、努めて平静に話し始めた。

「いいか、もしナタリアの身長が俺に追いついてみろ。あいつは城でドレスだ、ドレスの靴はなんだ? ヒールだな? 言っとくけど普通のヒールじゃねーぞ、足を細く見せるとかなんとか言って、ぶっ刺したら穴が開けれそうなクッソ高ェヒールだ。そうなるとどうなる? 想像してみろ」
「迫力ありそうだな」
「こんの女男が! 隣に俺が立つんだよ! 同じ171cmが! 相手はヒールで増強中だ!!」
「よ〜う、胴長短足王子サマ」
「てめぇそこ動くなぶん殴る!」

 ユーリの胸ぐらを掴んで殴ろうとするルークに、上からリリスラッシュが降ってきた。お玉の気持ちいいくらいにカン高い音が連続で食堂に響き渡る。撃沈したルークがドサリと倒れた。
 女性相手に身長で負けるのは……まぁ個人差で仕方がないとは言え、相手が婚約者で将来隣同士立つだろう相手だと男の見栄があるのは分かる。確かに男の沽券に関わる問題かもしれないが、それでも嫌いな食べ物は譲らないのだから本人が言う程深刻でないのかもしれない。

   ……結局、またルークの自由不遜に無駄足を突っ込んだだけだったらしいとユーリはため息を吐いた。最終的にリリスに怒られて泣きながら人参を食べるルークを見て、まぁせめて一つくらいは好き嫌いを無くす手伝いはしてやろう。そう例えルークが泣こうが喚こうが、と悪い顔で笑うユーリだった。




*****

 あれから数日、ユーリ達がくつろぐガルバンゾの部屋にバタバタと駆け込むルーク。突然の訪問にフレンは驚きながらも一礼をしようとし、ルークはそれを大声で遮った。

「おい聞け! 俺身長伸びたんだぜ!!」

 喜色満面、にこにこと大変ご機嫌なようだ。あれからまだ1周間と経っていないが、そんなすぐに結果が出ちまったらつまんねーなとユーリは思ったが、無難にそりゃ良かったなと答えた。そして同時に頭の中でガイとアッシュがブーイングしている絵面が思い浮かび、少々うんざりしてしまう。事情を知らないフレンは我が事のようにおめでとう御座いますルーク様! と諸手を上げて喜んでいる。

「それでルーク、何ミリ伸びたんだよ」
「ミリ言うな! 聞いて驚け、5cm伸びたんだぞ!」
「……5cm!?」

 5cmとなれば今現在のルークは数字的に176cmのはず、しかし見た目どう考えてもそれ程伸びたように見えない。隣のフレンも困惑顔で、どうしたものかと真偽が分からず思い悩んでいる。真実176cmならばジュディスとは1cm差で、ユーリとフレンとは4cm差。ユーリからすれば目の前で鼻高々にふんぞり返っているルークとは今までと目線が全く変わっていないように見える。いくら普段頭上の赤毛がふわふわ揺れているからといってそこまでサバを読まないだろう。

「……おい、それ本当か?」
「もちろんだぜ! ジェイドに測ってもらったんだから間違いないって!!」
「……おお、あの鬼畜眼鏡にか……」
「ユーリ、失礼だろう!」

 色々な意味でアドリビトム内で恐れられているライマのネクロマンサー様は、基本的に人をからかう事を忘れない。何故よりにもよってジェイドに測ってもらったのか、何故そんな妙に信頼溢れているのか。普段ならば疑っていただろうに、自分の願い叶った都合の良い事実にルークは疑いを捨ててしまったのだろうか。ジェイドとは面識が浅いユーリとフレンからしても、おそらく体よく追い払われたんだろうと予想できた。
 しかし当の本人がそんな事を露にも考えていない様子に、知らず涙が零れた二人なのだった。







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