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暖かな陽気の昼下がり、戦争のようなランチタイム時も無事通り過ぎて一段落中。クエストで遅れたか、混雑を避けて敢えて時間をずらし昼を摂っている数名がぽつぽつと居るだけ。その中で悠々食事をしている朱金の青年・ルークの理由は後者だった。王家の王子として育てられたルークにとって、大人数で食事をとる事はあまりない。もちろんロイドやクレスらと共に食べる食事も新しい楽しみではあるが、時々はこうやって静かに食べたいと思う時もある。ルークの従者もそれを承知しており、遅れて一人食べる時は傍に付かない。食堂にはコンシェルジュであるロックスが大抵控えているので、本職に任せる形をとっている。 リリスやクレアも各々遅い昼食を始めて、ゆったりとした時間が流れている。その中でロックスは一人机で何やら書物をしていた。小さな体に合わせて小さなメモ帳、小さな羽ペン、それをせっせと動かしているさまはなんとも小動物特有の可愛さ。ティアら可愛いもの好きが見れば涎を垂らしそうな光景だ。 反対側を面取っているルークは、メインを食べきり添えのキュロットグラッセをコッソリ残して口元を拭いている。早い所これを見つかる前に食堂を出なければ、またロックスにこの事を報告されてしまう。運が良ければ見逃してもらえるが……、席を立とうと腰を浮かせようとすると、ふとロックスから鼻歌が聞こえてきた。フンフンとリズムカルに、楽しそうだ。何となく気になったルークは、立つのを止めてロックスの手元を覗きこんだ。 『……と言っていたので、夕食後のデザートに○○を足すことにしよう。あれはお肌にも良いのできっと喜ばれる、それにたっぷりのバターを加えてカロリーの大幅増を……』小さな字で少々読みにくいが、誰かの体調管理ノートのようだった。ふ〜ん? と思わず感心して声を上げたルークに気付いたロックス。行儀の悪いルークを叱る事なく、ロックスは背中の羽をパタパタさせて顔を上げた。 「お前マメだな〜、全員分書いてんのか? それ」 「ええ、船の皆さんの健康を預かる身として当然の事ですよ」 「へぇ、んじゃアッシュはなんて書いてんだ?」 「アッシュ様は来た当初少々体重が落ちましたけれど、食生活の変化に慣れたのか元の68kgに戻っています。なんでもよく食べてくださってますよ、ただタコと人参がお嫌いなようですね」 ルークはまたも感心した。確かにアッシュはタコと人参が嫌いだが、偏食の多いルークを見下しているらしいのか人目のある所では決してそれを見せない。ロックスは本当によく観察している、ルークは面白がってライマの皆や友人達の事も聞いた。女性陣の体重はディセンダーの本当の稼ぎ並にトップシークレットだが、身長や好みの食べ物等は気軽に答えた。元々簡単なプロフィールはギルドリストに載っているので、アンジュに頼めば何時でも分かる事なのだ。そちらのリストでも、一部分の記録は黒く塗り潰されているとかなんとか。 しかし最初は面白がって聞いていたルークだが、徐々に顔が青ざめていく。頭を沈め、机に伏せる。どんよりとした重い空気がルークだけを包んだ。 ***** ある日甲板、ユーリがクエストを終えて戻るとアッシュが迎えた。偶々かち合ったのかと思ったが、塞ぐように正面に立つのでやはりユーリに用があるらしい。だが訝しむ、ユーリは普段からよくルークをからかうが弟の方とはあまり面識が薄い。アッシュは眉間に皺を寄せ、ユーリを睨む。無駄に強面で、やる気無さ気な兄と似ているような似てないような双子だった。 「何怒ってんだよ」 「怒ってなどいない、こういう顔だ」 声を少し怒らせて言うアッシュは、やはり傍目に怒っているように見えた。 「お前、あの屑と懇意だそうだな」 「……屑って誰だ」 「屑は屑だ」 「いや、わかんねーから」 チッと舌打ちするアッシュはやはりどう見ても怒っている。ユーリとしても自分の周りに屑だと名乗る知り合いなど居ない、どんなマゾだとツッコんでやりたい名乗り名だ。 「あの馬鹿兄の事だ」 「馬鹿兄って……ああ、ルークの事か」 だらだらした会話運びにアッシュの血管が浮いた。しかしそう責められる言われはユーリにしてみれば無い、そもそも最初から名前を呼べばいい話だ。普段から仲がいい姿は見掛けないが、それに周囲を巻き込まないでもらいたいとはユーリの意見。 「あれを懇意って言える奴は相当だぞ、オレはただ遊んでやってるだけなんでね」 「んな事どっちだっていいんだよ。とにかく、あの屑がまた馬鹿な事をし始めたから止めさせろ」 「はぁ? なんでオレが。そーいうのはおたくんトコの従者にやらせろよ」 「ああいう時のあいつは身内の言葉なぞ聞かん。外から言うしかないんだよ」 口では罵詈雑言を吐いても、ルークの性格を熟知しているさまは流石に弟と言った所か。これも一種のツンデレかとユーリは呆れた。 「抜かりなくやれよ」 そう言ってアッシュは踵を返してあっさりと去っていった。おーい、オレはまだ何も言ってねーぞ……。と後に残されたユーリが言ってもそれを聞いてくれる人間はもういない。 他人にあれこれ指図されて動くのは好きじゃないユーリではあるが、またあのお坊ちゃんが我儘振りかざしてんのかねぇ? と一人憤慨しているルークを思い出して笑う。どうせこの後やる事もないからと、図らずもアッシュの言葉どおり部屋に足を向けたユーリだった。 ライマのルークが居る部屋を尋ねると、そこでは異様な光景が広がっていた。ルークがゼィハァ苦しそうに、部屋の真ん中を陣取って一心不乱に腕立て伏せをしている。簡易マットまでわざわざ敷き、ぽたぽたと垂れる汗から見ても結構な時間を費やしている事を窺い知れた。その横でガイがカチカチと腕立て回数に合わせてカウントを回していた、タイミングよく頑張れルーク! と応援もキッチリ挟んで。 この時、ユーリは正になんと言っていいか表現できない気持ちになった。自分だけが別次元に飛んでいる様な感覚、フレンとエステルのコンビでツッコミが居ない時のようなぽわぽわした場違い感。 入り口でいつまでも足を止めていても仕方ない、ユーリは遠慮無く部屋に入ったが二人は無視だ。ガイはちらりとこちらに目線を投げたが、カウントを止める気配は無い。それにしてもルークは普段物ぐさで、力仕事や単調で面倒な事は避けているように思える。ただし自分の興味を引いた事なら嬉々としてやるのだからそういう所が子供のようだった。なので手合わせや型取りならともかく筋トレなどこういった地味で地道な事をするイメージが無い。周りの評価はともかく、それ程長く深い付き合いが在るわけでもないユーリとてはこんなものだ。 ……何やってんだ、恐る恐る尋ねるがやはりルークは無視する。代理のつもりなのか、気付いていたガイが手を上げて挨拶を返した。 「やぁ、何か用か?」 「用っちゃ用だけどな、あのお坊ちゃんは突然どうしたんだよ」 「はは、まぁちょっとね」 ガイは立ち上がり、ルークを背にしてユーリを呼んだ。腕立てに必死なルークは集中しているのか、気付く様子は無い。ヒソヒソと声を抑えてガイは話し始めた。 「なんでも急に体を鍛えたいって言い出してね、もう1時間はあんな調子なんだ」 「1時間? あのお坊ちゃんが?」 「そう、あのルークが」 地味でしんどい、続けなければ成果を感じにくい筋肉トレーニングを。尊敬するヴァンに言われた訳でもなく1時間、これはルークの本気度が伺える。その気になればやれるんじゃねーか、とユーリは少しルークを見直した。しかし隣のガイは眉根を寄せて少々不満気だった。何時ものガイならば喜びそうな話であるはずだが……。 「けどただの筋トレばっかしてもあんまり効果は望めないと思うんだがな……」 「しないよりはいいだろ別に」 「いや、成長に必要なのは運動と栄養だぜ? ルークの偏食の数々知ってるだろ」 「あー……」 安い肉は身分を考えれば仕方ないが、だとしても魚・牛乳など重要な栄養素を憎むかの勢いでルークは嫌っている。普段の食事で嫌いな物が出ればガイやティアの周りの人間が散々説教と妥協を重ね、一口だけで許してもらう日々が殆どだった。その現場をユーリも居合わせた事はあるが、あの様子ではとても……。確かにガイの言う事も一利あるかもしれない。 「けど体つくりしたいなら食ったほうがいいって言って、釣れるんじゃねーの?」 多少の好き嫌いはいいが、ルークはその数が多すぎる。全員分の食事を作る側からすればイチイチ聞いてられない量だ、これを期に改善できれば言うことはない。だが、ガイはそれにも難色を示した。 「嫌がってるのに食べさせるのも可哀想だしなぁ……」 この従者、使用人というより兄、いやただの兄貴分より駄目な方向に向かっていて、これでは親馬鹿と言った方が近いような気がする。 「なんかあんまり賛成しねーな、あんた」 「個人的には反対なんだ」 「おいおい、兄貴分が邪魔してやんなよ」 言葉を濁すかと思ったが、案外あっさりと白状したガイの顔は悪気が無い。むしろ拳を握りしめて熱弁した。 「縦に伸びるのはいいが筋肉ダルマは駄目だ! ルークは今が一番丁度いいんだよ!」 機械を前にしたガイの時とはまた違った方向性の熱さに、ユーリは少し引いた。 「そもそも俺が何年もかけてルークの身長から適正体重と体脂肪率を計算して、理想の体型を維持してるんだぞ!」 懐から取り出されたメモには『ルークの成長メモ』なる文字が。妙に使い込まれたメモ帳は年季を感じさせた。そういえばアッシュが最初に文句を付けに来たんだったか、まさかあの弟もそんな意味合いで頼んできたのか……? 嫌な想像にユーリはぶるりと震える。 「けどせっかくルークがやる気になってるのに、それを横から茶々をいれるのもどうかと思うんだ、俺は」 おお、どの口で言うよこいつ……。とユーリは本格的に呆れた。しかし真面目な顔のガイはがしりと肩を掴み、好青年の皮を被って一転爽やかな笑顔で言う。 「でもユーリなら普段からルークに煙たがられてるから、嫌われても気にならないだろ? とにかくさり気なく速やかに確実にあれを止めさせてくれ」 「あんたサラッとひどいな」 評判の良い好青年の裏のドス黒い一面に直面し、もういい話エピソードを積んでも覆い隠し切れそうにない。そんなユーリを全く気にした風もなく、ガイはユーリの肩を掴んでクリッと反転して押した。相変わらず腕立てをしているルークに向けて押し出され、さっそく止めてこいってか? 圧力のあるガイの笑顔に逃げられそうな雰囲気が無く、仕方なしにユーリはルークの傍にしゃがむ。 「おいお坊ちゃん、ちょっと休憩しねー?」 無難に呼び止めてもルークは聞きもしない。ゼィハァと熱気篭る姿は真剣で、こっちが邪魔をしているようだ。もちろんこっちが邪魔をしているのだが。 「筋肉いじめっぱなしってのはあんまりよくねーぞ」 この言葉に、ぴたりとルークは動きを止める。 「運動は大事だけど休憩も同じくらい必要なんだぜ?」 「……そうなのか?」 「ああ、筋肉ってのは生きてるんだから、休んでる間に成長するんだよ」 「へぇ、そうなのか……。んじゃちょっと休憩するかな」 腕立てを止め、一息ついて休憩するルークは汗だくだ。思惑通りとは言えその姿にユーリは少々胸が痛む。ガイがささっとやってきてルークにタオルとスポーツドリンクを差し出しているのを見れば、余計にトゲが刺さる思いだ。 「にしてもいきなり筋トレなんてどうしたんだよ?」 「っせぇな、いいだろ別に?」 「けどルーク、お前が鍛えたいってんなら、俺もそれに合わせたサポートができるだろ? 言ってみろよ手伝いたいんだ」 「ガイ……」 ルークの声色は嬉しそうで、ガイの株がうなぎ上っている様が見て取れた。あいつ口ではああ言って、本心では止めさせたいってんだからマジすげぇわ。利用されている自分の身を嘆く前に感心してしまうユーリだった。 「その、今日ロックスからギルドのみんなの身長とか体重を聞いたんだけどよ」 「ああ、ロックスならそーいうの知ってそうだよな」 「そこで、ロイドとかクレスの……数字を聞いてよ、あいつら俺と身長近いのに体重は低いんだよ!」 「……おお」 「他にもちらほら、俺よりでかいのに軽い奴らが多くて……。このままぼーっとしてたら完全に追い抜かされちまうと思って。体重がある分、俺のほうが伸びしろがあるはずなんだよ! そうだろガイ!?」 「え!? あ、ああ……そうだな……」 勢いに飲まれ、ガイはつい肯定してしまう。だが成長速度は個人それぞれであるし、主にルークは怠惰な性格と偏食のせいだと思われる。それに一部の人間は前衛としてウェイトが足りず、日々増やそうと努力しつつも実になっていない悲しい現実があった。加えて戦争が蔓延している今のルミナシア食事情的に、満足いく食事が三食とれるほうが稀であり、そういう意味ではガイの言うとおり今のルークの方が適正だとも言える。だがそんな事を言っても今のルークには届かないだろう、滅多にないやる気を出しているのだから。 「だからよ、なんとかこう……せめて追い抜かされないくらいには身長を伸ばしたいんだよ!!」 誰と戦っているのか、見えない敵と戦っているらしいルークの言い方は微妙だ。しかし口にしてますますやる気を出したらしいルークは目をキラリと光らせ、高らかに宣言した。 「とりあえず今の目標はウィルだな!!」 「……!?」 ガイは目を白黒させた。ウィルといえば博物学者で、後衛だというのにヘタな前衛よりも筋肉隆々なガタイの良い姿。確かに高身長であの筋肉は男から見れば感嘆の声をあげるかもしれないが、それをルークが目指すというとなると……。幼い頃から見守ってきたガイは、想像すらしたくない未来が頭を掠めて発狂した。 ガイの奇声に、巻き込まれてたまるかとユーリは思わず逃げ出す。ドアが閉まれば音は途切れたが、声が耳について離れない。ブンブンと振り払うように頭を振れば、廊下の先で気まずげな顔のアッシュと目が合った。 「……どうだ、あいつを止めたか?」 「もしかしてお前もルークがムキムキになるのを阻止したいってクチか?」 さっきまでがアレだったもので、つい顔が引きずられる。引き気味に聞くユーリの声にアッシュは沸騰したヤカンの様に肩を怒らせた。 「あいつが肉ダルマになろうが雪ダルマになろうが知るか! そんな事問題じゃねーんだよ!!」 「そ、そうか」 あからさまにホッとしてしまったユーリだが、しかしそうなると何故止めさせたいのか。当初からの疑問がここで不信感となり、いまいち安心できない。不審げなユーリの視線に、アッシュはコホンとわざとらしく咳き込み嫌そうに告げた。 「……身長」 「は?」 「あの馬鹿の身長だ」 「……はぁ」 「俺よりあの屑が高くなるなどと、ルミナシアが滅んでも許さん」 世界が滅ぶより重要なのか、それはすごい。最早ユーリの中には、何時もの横柄我儘なルークは無く、犬に追い立てられて右往左往する哀れな羊を思わせる同情しかなかった。 「いいからとっと邪魔して有耶無耶にしてこい、チキンでも釣れば食べてる間に忘れるだろう」 事も無げに言うルークの双子の弟には、果たして兄はきちんと人間として映っているのだろうかとユーリは心配になった。 |