さよならだけがぼくらのあいだ








epilogue



 朝露が眩い城内、まだ朝の空気を吸い足りないと花達が騒いでいる。
 複雑に組み合わさった機械的な城壁が、荘厳な威圧感を醸し出す。その中庭でちょっとした人集りができている。中央のスペースをぐるりと取り囲む大半は、鎧を着込んだ兵士や武官達。それから少し遠巻きに、メイド達が囁きながらも期待に満ちた黄色い声を上げていた。
 ライマ城朝の名物になって久しい、二人の手合わせ。噂を聞きつけた他国の武人も、これを目当てに訪れる程だ。
 乾いた空に高くカンカンと上がる剣撃音も、一種のメロディのように耳を痺れさせる。兵士達にとってその戦いは血を湧きあがらせると共に尊敬の念を抱かせ、メイド達は踊るように戦う二人の美しくも苛烈な姿に頬を染め上げた。
 一人は深紅の如く燃える長髪が美しい、ライマ国王子・アッシュ・フォン・ファブレ。もう一人は紫黒麗しくも、蝶の様に身軽な動きの新人白光騎士団員ユーリ・ローウェル。
 時折上がる歓声と声援すら、中心で剣を交えている二人には興味も掠らせない。身分的に想像しにくいこの手合わせは、世界を救ったと称されるギルド・アドリビトムからの推薦でユーリが入団してからほぼ毎日行われていた。
 エネルギッシュで力強いアッシュを、ひらひらと躱すようなユーリ。正に対極の戦いと揶揄され、日に日に見学人数を増やしている。一部の大臣らはいっそ見学料を取って財政の足しにしようかと話が上がる程の熱狂ぶり。

 だが、そんな盛り上がる周りと比例して、彼らの本戦は剣と刀を切り合わせる一瞬。周囲の歓声でかき消される程度の音量で、低レベルな舌戦を繰り広げていたのだ。

「今日の昼食はオレと二人きりで取らせてもらうぜ」
「ふざけるな! お前には昨日アフタヌーンを譲ってやっただろうが!! 今日は俺の番だ!」
「昨日はガイが邪魔しにきやがって二人きりじゃなくなったんだよ、あんたは毎日朝食一緒だろ!」
「朝食は家族で取るのがファブレのしきたりなんだよそもそも二人きりじゃねぇ!」
「でも毎日会えるだろうが! オレなんか任務や出稽古で会えない日もあんだぞ! ルークの専属騎士だっていうから期待したのに、騎士団に入れられてから全然二人きりになれねーじゃねーか!」
「ならとっととガルバンゾに帰れクソが! 俺だって外交やら新しい政策で一つ屋根の下に居ても朝くらいしか顔を見てないんだぞ!」
「むしろナタリアやジェイドの方が会ってる時間多いんじゃねーのか……」
「言うなくそ! とにかく今日の昼は絶対に俺がルークと取るからな、お前は精々汗臭い騎士達に囲まれてろ!!」
「冗談じゃない、ルークならともかく男にキャーキャー言われてぞっとしないね!」

 武器を握る力を無駄に込めて、ヒートアップしていく戦い。最終的に頂点に上り詰めた熱気が爆発したのはすぐだった。

「いい加減くたばれ屑野郎! 絞牙鳴衝斬ンッ!!」
「そっちこそブラコン卒業しろっての! 漸毅狼影陣ッ!!」

 庭師入魂の中庭は、今日も二人の秘奥義の犠牲になった。





 城の離れの一角、プライベートな書斎で一人ルークは書類と格闘していた。机の両脇には資料と思われる紙の束が城壁のように積み重なり、今にも崩れてしまいそうだ。
 揺れる紙束にも気付かず一心不乱にペンを走らせていると、ふと手元が暗くなる。顔を上げると、そこには出窓に足をかけて侵入しようとする人物…ユーリ。以前からここの窓辺からはガイが入ってきていたが、今ではもっぱらユーリ専用だ。
 訓練から抜けだしてきたのか、白光騎士団特有の鎧を脱いで黒衣のラフな服装。アドリビトムの頃を少し思い出させる。
 侵入者はニヤッと口角を上げて笑い、音も立てず部屋に下りた。

「よ、おつかれさん」
「ユーリ、聞いたぞまた中庭駄目にしたって? ペールがカンカンだったぞ」

 幾ら美しく草花を刈り揃えても、朝には台無しにしてくれるのだから庭師としてはたまったものではない。大工も毎日毎日秘奥義でズタボロになった地面を直しに城へ出張させられ、いい迷惑だろうに。
 しかしそれにも悪気無く悪ぶって、肩をすくめる。

「悪いな、カワイイ義弟が構ってくれって煩くてな」
「アッシュはすげー頑張ってくれてんだぜ? あんま虐めんなよ」
「へいへい、麗しい兄弟愛だ事で……」

 ユーリは窓辺から机へ移動し、椅子と机と自分の体でルークを閉じ込める。見上げるルークの頬を愛しそうにそっと指先で這わせ、少し隈が浮いている目元に優しくキスを落とす。
 擽ったそうに笑うルークの振動を掌で包み、気持ちよさそうに閉じている瞳をチャンスとばかりにそのまま唇へ下ろした。驚きに上がる声も、吐息と一緒に閉じ込めて舌で弄ぶ。
 ユーリが薄目を開けて確認すれば、その頬は仄かに染まり艶めかしい。歯列を割って追い立てるように舌を絡ませれば、慣れていないルークの息が上がるのはすぐ。右手でルークの項を撫でて、左手で座る太腿の付け根をやわく揉めば、ん! と口内で声にならない声が上がった。
 ぽとりと、ルークが握っていたペンが落ちて床をインクで汚す。後でメイドに怒られるかもしれない、そう想像してユーリは笑った。その震えが伝わったのか、ルークの方も薄目を開けて視線がぶつかる。濡れた緑碧はどんな宝石よりも美しく、ユーリの情を巧みに誘う。お互いの想いを確かめ合った仲ならば、尚の事。撫でていた項を前へ辿って、鎖骨へと触れる。普段襟の高い服で守っているその場所は、今の所着替えを手伝うガイとユーリくらいしか知らない。熱い吐息を合図にもっと下へと無体を働こうとしたその時だった、絡めていた舌に鋭い痛みが走り肩をビクつかせて身を引いた。

「ちょ、調子にのりすぎだ馬鹿! こんな真昼間から……」
「なんだ、夜ならよかったか?」
「ば、馬鹿!」

 まだ動悸が収まらず、肩で息するルークは真っ赤だ。今度は欲を纏わせずじゃれて絡みつけば、大人しく受け入れた。ルークの両頬を掌で包み込んで、愛おしげに鼻を擦り合わせる。
 動物の愛情表現のようなその触れ合いに、ルークの酷使した体の力が抜けていく。安堵の吐息は、ルークのスイッチの一つだ。
 そんなルークに色々言いたい事は数あれど、結局はその身を心配する言葉しか出ない。返ってくる言葉も簡単に想像がついてしまうが、これも恒例行事みたいなものだ。

「……あんま無茶すんなよ、ルーク」
「ん、ごめんなユーリ。待たせてばっかりでさ」
「いいさ。ここに居る事でお前と一緒の未来が約束されてくってんなら、安いもんだ」
「うん、俺が成人すれば今よりできる事が増える。その時に、……騎士の誓いを」
「騎士だけなんて小さい事言わず、その他纏めてオレごとくれてやるからな」
「ばか、ユーリの全部を一度になんて勿体無いだろ……」
「なるほど、じゃ一つずついこうか。とりあえず来年の成人に向けて、今日からまずは、唇をやろう」

 そう言ってユーリは軽いリップ音を立てて、ソフト・キスをルークに贈った。昔より幾分大きく開くようになったルークの目蓋が、目一杯開く。イタズラを仕掛けるように、ユーリの口角は深くなる。

「明日は人差し指をやって」

 言いながら指で首筋を辿って頬を撫でた。薄く笑って無意識に揺れる肩も愛おしい。

「明後日は瞳をやる」

 ちゅ、と目蓋にキスをひとつ。ふは、と辛抱堪らなくなったルークがついに笑い出す。

「それじゃちょっと足りなくないか?」
「足りない分は愛でカバーするさ。後はそうだな、オレの特製デザートが入る」
「はは! いいなそれ、俺ユーリのパフェ好きだぜ」

 ルークの膝に重ねるように、ユーリも片膝を乗せる。二人の隙間が無くなって、ユーリは守るようにルークを抱きしめた。暖かな日差しでじんわり熱いくらいだが、今はこの一時が心地良い。

「……その時になったら、俺の全部もユーリにあげるからな」
「ああ、楽しみにしてる。嬉しすぎてオレの心臓が止まらないよう祈っててくれ」
「祈るとか、俺のガラじゃないって。だから俺もユーリの真似して毎日ちょっとずつやるよ」

 嬉しいことをしてくれたから、嬉しいことをお返しに。子供のような考えのルークに、喜びが募ると同時にそれを簡単に振りまかれたりしていないか、若干の嫉妬が湧く。ふと思い付いたユーリは椅子から下りて、目の前で片膝を突いた。演じめいた口調で、騎士そのものを体現したような親友を思い出しながら。

「……じゃあ、ご主人様から今日の褒美を賜りたいと思います」

 跪いて頭を垂れるユーリに、困った声を上げるルーク。企んで取った行動ではあるが、想像通りに情けない声にユーリは笑いを噛み殺した。

「ちょ、ユーリ……。お前俺がそーゆーの嫌いって知っててやるなよ……」
「いいじゃねーか、せっかくの騎士なんだからそれっぽい事させてくれ。それにいざなってみればそんな悪いモンじゃないしな、騎士」

 可哀想な声色に、すぐに頭を上げる。こういった意地悪をされるたび、ルークは素直に引っかかって頬を膨らませた。

「その台詞、フレンが聞いたら泣くぜ?」
「まぁそりゃ、誰に仕えるかってのが重要なわけだからな」
「……今更だけど、本当に良かったのか? ガルバンゾを捨てて、騎士になっても」
「なんだ、本当に今更だな。あんなに格好良く啖呵切ったルーク様がどうした」
「茶化すなよ! ……ギルドや大事にしてたガルバンゾの下町を捨てさせてまで、俺がユーリをどうこうしていいのかなって」

 急に真剣な色を混ぜて、ルークは真っ直ぐ見つめる。揉めに揉めた話だが、今でも時折ルークはこうやって確認してきた。やはり故郷を捨てた事と、アドリビトム時代散々貴族嫌いを語ったのが効いているのだろう。ユーリは昔の自分の若さを今更ながら呪った。
 けど本当に今更なのだ、ユーリは鼻で笑い飛ばす軽さで言ってやる。

「そんなつまんねー事、気にすんなよ。ガルバンゾは今エステルやフレン達も戻ってるし心配する事ねーってな。
それにさっきも言ったろ? オレは結構気に入ってるんだ。愛で縛られるってのも意外といいもんだ」

 その言葉に、少し瞳を彷徨わせてルークは照れた。

「……あ、愛で縛ってるか、俺?」
「縛ってくれてもいいぜ。ルークに締められるなら大歓迎だ」

 笑いながら言うユーリに、少し困惑気味のルーク。
 んんー、と悩んで結局答えを出すのは放棄したのか、ルークは跪くユーリと同じように地べたに腰を下ろした。

 ユーリはこうしてルークと二人触れ合う時、ふとアッシュを思い出す事がある。
 あの時意地と意思をぶつけ合ったのは決して無駄じゃない、アッシュなりにルークの行く先を心から案じての行動だったと今なら分かる。そしてルーク自身もそれを理解していた節があり、その繋がりはやはりユーリにとって羨ましい。オールドラントの二人程ではないが、血以上に深い何かが確かに存在している。
 アッシュは今でこそナタリアに手綱を握られてこの関係に文句は言ってこないが、何時またあの時のように命を懸けて戦うかは分からない。ユーリもルークの事に関すれば案外簡単にネジが外れる事をあの時自覚したばかりで、まだ容易くはコントロールできていない。
 ライマに戻ってからのルークの忙殺さは異常であり、それ以上に妙に風当たりが強い事がユーリを苛つかせる。ルークを軽く見る大臣達や侮る貴族に、何度刀を握りしめて闇夜に紛れようと思ったか分からない。その度にアッシュの叱咤が足を止めた、ルークの意地を無駄にするなと。
 嘲笑えば笑う程、将来地位が危うくなるのはあいつらなのだ。その時纏めて返してやればいいと、強く自分に言い聞かせる。ルークはこれに生まれてからずっと耐えてきたのだから、隣に立つ事を許された自分が台無しにしてしまう訳にいかない。
 それにそう腹の立つ事だけではない。アドリビトムに所属していた事と、ルーク自身の行動からその能力を見直されている。ルークを讃える称賛は自分の事以上に嬉しく、ガイが言っていた仕える喜びが少しだけ理解できるようになってしまった。
 ガルバンゾに居た頃のユーリならばこんな状態をなんと言って唾棄するか、自分でも軽く想像がついて苦笑してしまう。
 思いもよらなかった新しい自分の感覚に戸惑う時もあるが、存外悪くない気分でもある。

「愛で縛るくらいでユーリの未来が貰えるならする。……でも、それだけじゃないからな」
「ああ、別たれて愛するよりも、オレは二人で歩く道の方が合ってる」


 清濁併せ呑むだとか大それた事を言うつもりは無いが、毒を飲んでなんとかなるならしてみせよう。それがユーリにとっての愛であり、捧げ物だった。そんな事を望むルークではないと知っていても、こればかりは譲れない部分でもある。まぁ一生これを語る事は無いだろう。

 アッシュは外側から離れて見守り、ユーリは内側から隣で支える。離れても愛せるアッシュを尊敬はするが、ユーリはそれを自分がしようと思わない。それは情の種類が違うのか、はたまた執着の違いか。どちらにしろ、愛には違いない。

「愛してるぜルーク」
「うん、俺も」

 そしてそんなユーリの決意は、ルークに案外簡単に見抜かれているという事も一生知らされないだろう。
 なにせ伝える必要を感じていない、それが絆だと理解したのだから。



さよならだけの愛は終わりを告げて、心と心を繋ぐ絆が未来となった。
嵐が吹いて解けそうになっても、それが切れる事は二度と無いだろう。










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