未だ見ぬ卵








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 決めたはいいが、今自分の手持ちで大丈夫だろうか。ルークはガイから持たされている財布を覗いて、金額を確認する。
 国から避難している身とは言え、ギルドで働き始めた分多少のガルドはある。しかし、誕生日のプレゼントといえば特別というイメージの強いルーク。それはそうだろう、なにせルークはライマ国王子だ。過去ルークの誕生日だと言って贈られた物は、市場に出回らないだろう大きさの宝石だったり、世界的に有名な画家に描かせた絵画であったり、珍しい美術品ばかりだ。この船に来てから、あれらが高級品だったと初めて理解したルークではあるが、それを差し引いても適正物価というものが分からない。
 そもそもルーク自身、他人に贈り物をするという事事態が少ない。政治にも積極的ではないし、王子であるルークが自分より下の人間に送ることも無い。  幼い頃は両親にも子供だから許された拙いガラクタを贈った事はあるものの、今ではすっかりガイ任せである。婚約者であるナタリアにも、”心を込めた”物はアッシュが贈るだろうと城を出入りする宝石商に見繕わせただけ。双子のアッシュには贈った事すら無い。ガイやヴァンにも、他よりは気にかけはするが自分の金で贈った事などそう無い。
 せっかく目的が決まったのに、また足踏みをする事になってしまった。自分の部屋の前で、財布を覗きこんで固まっているルークに声を掛けたのは、隣部屋から出てきたアニスだった。

「はれれ、ルーク様。こんな所でどうしたんですかぁ?」
「……アニス」
「うっわ、暗い顔ぉ! 何かお悩みですか? 困ったことがあるならこのアニスちゃんに何でも相談してくださいよぉ〜! ただしお金は貸しませんから」

 最後の一言だけやたらと低い声だったが、基本は猫撫声だ。正直今のルークだけではにっちもさっちも行きそうにない。藁にも縋る思いで相談した。

「成る程ぉ、つまりプレゼントにかこつけて「借りは返したぞ!」って言いたい訳ですね?」
「いや、もうちょっとなんかこー、言い方があんだろ」
「そーいう事なら未来の妻であるアニスちゃんにお任せください! ルーク様、明日街に降りますよ!! 何は無くともまずはプレゼントを用意しなくっちゃ!!」
「けどよ、金たりっかな〜って思ってさ」
「ルーク様のネジ飛んだ金銭感覚でプレゼントなんてしてたら、アドリビトムの家計は水没しちゃいますから! 普通はもっとも〜っとささやかな物でいいんです!」
「そうなのか……」
「偵察・調査・目利き・値引き! 買い物の事ならアニスちゃんの本領発揮です! 任せちゃってくださぁい!」
「おう、頼むぜ!」

 アニスの心強い言葉に、ルークは胸のモヤモヤがほんの少し軽くなる。事態の進展はしていないしむしろより面倒になっているだけなのだが、そんな事をルークが気付く訳もない。

*****

 翌日、二人はとある街のバザーに立っていた。星晶戦争とラザリスからの侵略にもめげず、人々の活気熱く盛り上がっている。城暮らしから抜けて集団生活に慣れてきたルークから見ても、かなりの混雑だった。

「うぉー、すんげーゴチャゴチャしてんなぁ……」
「ルーク様、はぐれないでくださいね! ここのバザーは日用品から武器までなんでもありますから、目利きの力が試されるんです! それでルーク様、予算はどんな感じですか?」
「んー、ガイにもちょっと貰ってよ、こんくらい?」

 朝下船する時、結局事情を相談したガイに呼び止められて小袋を持たされていたのだった。大きさはないが、中身を開ければ驚くなかれ、金貨が数枚鎮座していたのだ。これにはアニスも絶句する。いくらルーク専任の使用人で兄貴分とは言え、これは余りにも持たせ過ぎである。物価を読めないルークではこれ程の大金、豚に真珠もいい所だ。

「ちょっとコレ多すぎィ!! 宝石買えちゃいますって! こんなにいりませんよ!!」
「そうなのか? よく分かんねー」
「ったくあの過保護使用人が……こんな金銭感覚じゃ将来あたしが困るんだっつーの!」
「何か言ったか? 人混み多すぎてよく聞こえねー」
「い〜え、なぁんにも! それじゃルーク様、張り切っていきましょー!!」
「お、おー!」

 アニスのやる気に押され気味のルークではあるが、見た事が無いような品々が並ぶバザーには心惹かれる。もちろん最優先はユーリへのプレゼントだが、この盛況溢れるパワーに釣られる様に気分も高揚していた。



 昼を大分過ぎた頃、端から端までアニスに連れ回されたルークは心身共に疲れ果ててグッタリしていた。移動するにしても激しい人混みで、ぶつかったり足を踏まれたりと真っ直ぐすら進めない。対してアニスは水を得た魚のように雑踏をスイスイ掻き分け、アニスの身長もあってルークは見失わないようにするだけで精一杯だ。
 しかしアニスは有能だった。品物を見て回るだけではなく、価格対比も忘れない。瞳がイキイキと輝いて、愛想良さげに店の人間とお喋りしては、奥からとっておきを出させたりもしていた。苦労した甲斐も有り、午前バザーが終わる頃にやっとこれだと思える逸品を見つける。
 六芒星に十字を重ねた、シルバーアクセサリの付いた髪留め紐。銀色よりも鈍色寄りで、艶消しで光沢も消してある。むしろこの方が落ち着いたユーリの艶やかな黒髪に似合いそうな気がした。
 手に持って間近で見れば、ルークはこれがユーリの後ろ髪を飾っている姿を思い描いて、疲れも消える思いだった。しかしフレンの言葉を思い出し不安がよぎる。ユーリは貰ったプレゼントを身に付けない、と。

「この匠細工の髪留めがこのお値段! 自分の目利きの良さが怖くなっちゃう〜!」

 けれど嬉しそうに満足気なアニスにそんな事を言えやしない。いいや別に礼の口実なのだから、着けなくとも渡せればいいのだ。ルークは自分にそう言い訳した。

「すっげー勢いの値切り合戦だったもんな……」
「一点物で、派手過ぎず地味過ぎずこのお値段! ちょ〜良い買い物だったんですからね!」
「ああ、俺もこれは結構いいと思う」

 ヘトヘトになって最後の最後で見つけた時、ルークはどうしてもこれが良いと思ってしまった。アニスもそれに答え、本来街のバザーで置くような値段では無かったこのアクセサリを、店主を泣かせてオマケまで付けて値切ってくれた。ルークが隣に居る事を忘れたかのような姿だったが、手に入れた満足感の前には些細な事だ。

「ユーリの黒髪はキレイだけどやっぱ男の人だし、色味が多すぎてもイマイチだからもうこれピッタリだと思いますよ〜! 喜んでくれるといいですね!」
「お、おう」
「帰りに包装紙とリボンも買って帰りましょうね、ルーク様」
「ああ、そうだアニス。貰ったオマケ、お前にやるよ。今日の礼」
「はわわ、いいんですか?」
「おう、アニスのお陰で買えたみたいなモンだしな」
「えへへ、ありがとうございまぁ〜す」

 貰ったオマケは小さな華柄ブローチだった。豪奢では無いが、年頃の娘がささやかに楽しむアクセサリとしては上物である。軍人であるアニスがこれを付ける事はそう無いだろうが、貰える物は嬉しい。
 しかし、プレゼントを手に入れたルークの胸に訪れたのは又も暗雲だった。何しろ先程のアニスの言葉で思い出したのだ。買ったからには、渡さねばならない。当然の事なのに、都合の悪い所だけすっかり忘れていたルークだった。

*****

 そして数日後。ルークは部屋で一人、頭を抱えていた。

 プレゼントを買いアニスの見立てで包装し、準備は万端に帰船したルークは、勢いに乗ってその日に渡そうと意気込んだ。しかしユーリが一人になるタイミングを測っていると、気が付いたら就寝時間になってしまい、悲運にもガイに連れ戻されてしまった。
 次の日、部屋の前で緊張しながら固まっていると、出てきたエステルに捕まってしまいお茶会やらなにやらに連れて行かれてしまった。そのまま夕食を一緒にとり、終わったらライマ部屋前まで送られてしまい別れるしかなかった。また部屋を尋ねるのも気まずく結局その日は諦めた。
 そのまた次の日勇気を出して部屋に行くと、ユーリは早朝からのクエストでもう出たとフレンが残念そうに告げる。おまけに帰りは深夜か翌朝になると言う。事情を知っているフレンが、帰ってきたら部屋へ行くよう伝えると言うが、そんな風にお膳立てされてはより渡しにくい。断ってすごすごと部屋に帰ったルークは、ここ最近クセになりつつあるベッドへの不貞腐れダイブからのゴロゴロに磨きをかけた。言葉を掛けずとも心配気に伺うティアやガイなど、気にしてはいられない。
 深夜か明朝と言うのだから、ルークは何だかんだ夜遅くまでユーリを待った。就寝時間を過ぎて部屋を出てはならないというガイの言葉に文句を言いながら、代わりに何度もアンジュの所へ確認に行くガイに感謝する。しかし結局その日にユーリが帰ってくる事は無かった。
 翌早朝、ガイに頼んでフラつきながらも起き、カウンターに立つアンジュに声を掛ける。ルークの姿を見たアンジュは天地がひっくり返ったかの如く驚いていた。

「どうしたの、今日一番だよ?」
「……んな事いいから……ユ、ユーリは……!?」
「え? 彼ならまだ帰ってないわよ。ってルーク、あなたフラフラじゃないの」
「ううう、もう何時までも待ってられっか! 俺はここで待つからなぁあああ!」
「ちょっとちょっと、机にへばり付かないでよ!」

 アンジュの説得でエントランスのソファに座るが、こうやって落ち着くとうつらうつらと睡魔がルークを襲う。基本的に寝汚いルークが夜遅くまで寝ず、朝早く起きるなど出来るはずも無い。ナイトメアの悪魔がルークの目蓋を閉じさせるのは、ソフィを騙すよりも簡単な仕事だった。


「……ーク、ルーク起きて! ルーク!」
「…んぁ、んだようっせーなぁ」
「ルーク! もうお昼よ、こんな所で何時まで寝てるつもり?」
「んぁ? ……昼ぅ!?」

 涼やかなティアの声で覚醒を促されるも、ルークをギョっとさせたのはもう昼の時間だと言う事実。寝不足が祟ってソファで眠り込んだルークは、不足分を取り戻さん勢いで惰眠を貪ってしまったのだ。

「ユーリ! アンジュ、ユーリは帰ってきたのか!?」
「ええ、もうとっくに。でも、徹夜で依頼をしていたらしいから今頃部屋でグッスリ寝てるんじゃないかしら」
「何で起こしてくんねーんだよ! 頼んだだろお!?」
「起こそうとしたら、ユーリが寝かせといてやれって止めるんですもの」

 それに、あ〜んなカワイイ顔してスヤスヤ眠られると、起こすに起こせなくって。そう言って笑うアンジュの顔は意地悪い。隣で溜息を吐くティアは額を抑えて残酷な追い打ちをかけた。

「……ルーク貴方ね、この人通りの多いエントランスでぐっすり寝ていたのよ? さて一体何人にその寝姿を見られたのやら……」

 最早声も出ない。クエストするにも船を出入りするにも、何より食堂に行くのに大体がこのエントランスを通る。――つまり、船のほとんどの人間にルークがグースカ眠りこけている姿が、バッチリハッキリ目撃されたと言う事だ。当然、アッシュ達にも見られている。事情を知っているアニスが何とか抑えたので事無きを得たが、今後アッシュの暴言の刃はより鋭くなるだろう。
 なんという絶望。行き先暗いルミナシアにだってディセンダーという光が居るのに、全く自分の先には一筋だって見えそうになくて、ルークは嘆いた。



 そして今日、プレゼントを買ってもう数日――。後になればなる程、渡しにくいし言い難い。ルークは又々一人部屋で悩んでいた。何故自分がここまでしてユーリに礼を言わなければならないのか、事の根本が大きく揺らぐ。
 そもそもルークは第一王位継承者である。そうでなくても王子様だ。只今国家はテロに揺れているがそれは一先横に置いてもらいたい。とにかく王族たる自分に奉仕する事は当然ではないのか! 心の中で力説するが、同時に浮かぶのはクレスやロイド、クレアやロックス達。この船で得た友人や仲間達。
  彼らは城の臣下やメイド達とは違う。助けてもらったら礼を言うことは、裏に潜む利益不都合を模索する為のものじゃない。ただ単純に、素直であればいいだけだ。――そんな簡単な事を、どうして自分は踏み止まっているのか……。言葉に出来ない不満、訳の分からない苦しみだけがルークの胸を占める。  そんな時、突然部屋の扉が開いた。

「よぉ、お坊ちゃん。なんかオレに用だって?」

 なんと現れたのはルークを悩ませる渦中のユーリだった。

「フレンやらアニスがなんか行けって煩くってよ。この前もわざわざ出待ちまでしてくれたみたいだしな」
「あ、ああ……」

 何時もの様に、此方の悩みなど知らぬ存ぜぬと言った様子のユーリ。知らなくて当然なのだが。しかしルークの胸中に届いたのは、別の言葉だった。
 フレンやアニス、恐らくガイも。ルークの事情を知っていて、未だ言えていないと察しユーリを寄越してくれたのだろう。考えてみれば自分は何時も毎回、人に助けてもらってばかりだ。ルークは始めから思い出す。
 ユーリに助けてもらい、フレンに相談にのってもらって、アニスに買い物を見てもらって……。今も自分で動けなくなったら知らない所で助力されている。他にも沢山助けてもらっている。昔から、いや生まれた時からずっと。
 城で他者からの奉仕に慣れきっていたルークは、今初めて実感を伴って感謝が生まれた。
 ここまでしてもらって、無下に出来る自分じゃない。ただ一言、いや二言だ。「助けてくれてありがとう」「誕生日おめでとう」これだけでいいのだ。
 追い詰めるように奮い立たせて、ルークは何とか握りしめていた包みをユーリに押し付ける。ん、何だこれ? とユーリが受け止めると、逃げるように腕を戻す。思い付いた日から願っていた光景が見れて、ホッとしそうになるがまだ本命が残っている。
 頭中で「ありがとう」「プレゼント」「助けてくれて」「誕生日」がぐるぐるとダンスしている。過去どんなピンチであってもこれ程の緊張感は無い。心臓にメテオスウォームが雨の様に降り注ぎ、ジェイドがものすごくご機嫌だった時よりも冷や汗が出ている。
 簡単なはずだろう、言え! 言って楽になるんだお前は出来る子だ母上にもヴァン師匠にもガイにもそう言われただろうが!!!
 ルークの百面相を見守っていたユーリだが、あまりの顔色のカラフルさに慄く。その変わり様はアドリビトム四大xx料理人の犠牲になった哀れなカイルそっくりだった。ここ最近の様子のおかしさからも見て、どう考えても普通では無いだろう。ルークに声を掛けようとしたその時、意を決したルークが叫ぶように言った。

「よくも助けてくれやがってこれは礼だとっときやがれぇーーー!!!」

 体中の空気を叫びに変えてしまったかのように、顔を真赤にさせているルーク。果たしてそれが酸欠なのか別の理由なのかは、ユーリの知る所ではない。しかし呆気に取られたユーリが見つめていると、ルークの大きく見開いた瞳がじわじわと潤んでいき、あ、泣きそうだとユーリが思う頃には、ルークの足は部屋の外へ向けて駆けていた。
 自分の部屋なのに脱兎の如く出て行くルーク。代わりに一人、部屋に取り残されたユーリはぽかんと渡されたままの包みを握りしめていた。



 その後ルークは足が止まらず、甲板の端まで駆けて一人大声で泣いた。うがあああああああ!!! とヤケクソ感漂う叫びがセイレーンの歌声の様に広大な海原に響き渡る。あんまりなその姿に、同情したセルシウスが泣き止むまで慰めてやり、泣き腫らした目元を精霊の力を持ってして冷やしてやった。

 ベッドからカタツムリの様に出てこないルークを心配して、ガイやティア、果てはアッシュまでも声を掛けたが、この後ルークが立ち直るのに一週間は掛かった。

*****

 ルークが凹んでお篭り中、アクセサリを好まないユーリが食堂や部屋でキレイな髪留めで長髪を結い、機嫌良さそうにしているのをよく見掛けるようになった。
 女子達が物珍しそうに褒めて、一体どこで買ったのかと聞くもあやふやに誤魔化すだけで上手くはぐらかされてしまう。買い物に付き合ったアニスだけが物知り顔で笑っていたが、からかう色合いは無い。
 ユーリは一人笑う。次はこの姿をルークが見たら何て言うのか楽しみだぜ、と嬉しそうにしているとかなんとか――。










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