プレリュードとフーガ








 地の利は無いが小回りはこちらにある。ユーリは木々を縫い角を曲がり、城の離れがある奥から広場がある入り口付近まで、スピードを緩めず追手を引き離した。振り返る余裕も無く足を進めていれば、何時しか背後からの気配は無くなっている。一番強烈だった金髪の彼らしき気配も無くなっており、それがむしろ逆に怪しい。
 回りこまれている可能性を感じて、ユーリは初めて足を止めた。場所は丁度、先日ここで熱狂的な国民に囲まれ聖なる焔の光が熱弁を演じ上げた広場。まだ眠りに就くには早い時間帯、それでも静かなはずの場内は少々騒がしくなっている。どう考えても侵入者……この場合自分か、ユーリで掻き回されているようだ。
 荷物のように持たれ続け叫ぶ気力も無くなったのか、腰の人質はぐえぇ、と汚い声を上げて大人しい。丁度良いのでここに捨てて囮にするか、ユーリが手を離そうと緩めた瞬間、バタバタと大勢の追加がタイミング悪くやって来る。こりゃまだまだお付き合い願いますか、と改めて荷物を抱え直した。

「バーンストライク!」

 威嚇も予備動作も何も無く、突然炎の流星がユーリの足元に降り注ぐ。直前にピリピリと肌を刺す予感から、既の所で範囲から飛び退けば、立っていた芝生は轟々と容赦無く燃え上がっている。
 するとやって来た剣と槍を持つ兵士、後衛に魔術師が数人でユーリを取り囲んだ。それだけではなく暗闇に隠れて弓手が確実に数人、こちらに狙いを付けている気配。普段でもこの人数は少々面倒だというのに手には人質が居て身動きが取り難い。やはりここは盾になってもらい切り抜けるか、ユーリはどさりと地面に下ろして剣を抜いた。

「あんまり追い詰めてくれんなよ、ちっと間違ったらご自慢の王子様が傷物になっちまいそうだぜ?」
「や、やめろ馬鹿!」

 しかし脅しても兵士達は武器を下ろす気配が無いし、変わらずジリジリ距離を詰め寄ろうとする。その反応にユーリは訝しく、まさか……予感が胸を掠めた。そして耳に届く前に第六感が叫び、右の足がたまらず飛び跳ねる。するとタンタンタンッ! と上から火矢が連続で足元を追い駆けて来たではないか。

「チッ! テメーら本気かよ!」
「なっ、な……っ!?」

 再び人質を荷物持ち、脇目もふらず駆け出せば背後から殺気が、矢と魔法が背中を目掛けて放たれる。当然、抱えている人質の有無は全く気にするつもりは無いらしい。振り向かず蒼破刃を後ろに投げながら走り、またも追いかけっこの開始だ。今回は人質の効果が無いので大分こちらに不利である。
 兵士のつれない態度に、先程国民だと言った主人の口を皮肉りたくなっても当然だろう。

「おいおい、あいつらマジで撃ってきたぜ」
「ばっ馬鹿野郎! 俺に当たったらどーすんだよ止めろ!」
「ルーク様、後で必ず治療いたしますので大人しくしていてください」
「どーいう意味だよおめーら!」

 そのやり取りにユーリは舌打ちする。しまった、彼は影武者なのだった。おまけに兵士達はそれを知っており、それが外に漏れる方を重要視している、と。考えてみればそうなるのは自然なはずなのに、それが許せないと胸の内が燃えた。侵入者が何を言っている、と思うが少しの間のやり取りで、この影武者に僅かだが情が湧いたのかもしれない。いや違うな、根本的に国のやり方が気に入らなくなっているのだ。
 背後から詠唱が聞こえ、空気の変化に肌が粟立つ。どうやら中級以上、上級晶術を唱えているようだ。移動しながら集中出来る腕を称賛すべきかそれともそれ程までして侵入者を消したいのか。上級晶術程の威力ならば勿論ユーリは一撃で黒焦げになるだろうが、抱えている人質ごとお陀仏だ。怪我どころの話じゃないと思うのだが、彼らにとって優先順位は口外される危険の方が高いのかもしれない。
 自分に構わず攻撃する自国の兵士、今まさに諸共始末されそうな瞬間に出くわし、脇に抱えた腹がぎゅっと硬くなる感触がした。ユーリは一瞬、止まって詠唱妨害するかこのまま走り抜けるか迷う。上級晶術の範囲は広いし、後衛までの距離へ剣が届くとは思い難い。いいや荷物を捨てれば簡単じゃないか、少しでもそちらに気を取られれば俊足で攻撃出来る自信はある。だが兵士の言葉通りならば僅かな隙すら本当に発生するかどうか疑いの余地が残ってしまう。
 どうする、考える前にユーリの足は決めていた。抱いていた手を離しダンッ! と踵を蹴り真後ろへと剣撃を、その勢いで蒼破刃を後衛へと飛ばす。数人の剣は跳ね飛ばせた、だが大盾を持つ兵士が魔法使いを前に陣取り衝撃を受け止めている。しくった、そう舌打ちして覚悟を決めると、ユーリの背後から突然の炎が噴き出し盾を焼く。そのままぐるりと周囲を炎で舐め上げ、脅しに屈しなかった兵士達にみっともない悲鳴を上げさせる。あっという間に陣形がバラバラになり、熱波に驚いた魔法使いも詠唱を止めていた。
 その隙を逃さず、ユーリは天狼滅牙・水連を発動させる。地面へ突き刺した剣を中心に痛い程の水飛沫が飛び、周囲をまとめて吹っ飛ばす。重い鎧を着込んだ兵士達は当然、後衛を巻き込んでゴロゴロと外壁まで転がり頭を打ち付けている。
 もう取り囲む者は居ないが、弓矢はまだ上から狙いを付けているはずだ。ユーリは振り向いて呆然とへたり込んでいる彼、その隣でふわふわと空を飛び口から火をこぼしているペットに礼をした。

「サンキュー、お前さんちっこいのにやるじゃねぇか」
「ご主人様はミュウが守るですの! でもお城の兵士さんには後でごめんなさいするですの……」
「俺ごと攻撃しようとした奴らに謝る必要なんかねーっつの!」

 頭の朱金が振り乱されボサボサになりながら怒っても、あまり迫力は無い。おまけに握り拳が震えていれば虚勢だと見抜くのも容易いが、ユーリはここで皮肉に遊んでやるのは止めておく事にした。せめてもの情けというやつだ。
 さて悠長にしている暇は無い、見れば遠くからの光が諦め悪くこちらに向かっている。ユーリはまだ文句の言いたりなさそうな彼の元へキビキビと歩き、震えを誤魔化す拳を握って立ち上がらせた。

「お前、どうする」
「……え」
「今の見たろ。お前が怪我しようがあいつらは何とも思ってないみたいだぜ? それでもあの兵士達が国民だって言うの」
「そ、それは……」
「お前ただの人形なんだよ、良いように利用されて衆目集めるだけ集めてさ、都合が悪くなったらスケープゴートだ。あんたの安全よりオレの口封じを優先したのが良い証拠だろ」
「たまたま、あいつらがそうだっただけで! せ、……師匠は、そんなはず……」
「誰が命令してんのか知らねーけど、末端の兵士であんな判断されたって事は、殆どがそんな認識なんじゃないの」
「俺が死んだって……良いっていうのかよ……?」
「そうかもな」

 きっぱりと言えば、翠色の瞳は夜闇よりもますます落ち込む。怒ったり落ち込んだり忙しい事だ、とてもじゃないが謀に向いているとは思い難い。しかも利用されやすそうだ、とますます思う。ペットが心配そうにふよふよ浮いて近付き、肩に止まってぎゅっと一房の髪を掴む。今度は払い除けず、主人はそっと小さな体を抱き締めている。
 どうする、とユーリは問うたがそれこそ聞いてどうするんだ。段々哀れに思えてきた彼をこの城から連れ出して何か利があるだろうか? しいて言えば影武者が失踪すれば今度こそ本物が表舞台に出てくる可能性があるだろう、その時こそチャンスかもしれない。
 再度選択を迫ろうとするが……タイミングが良いのか悪いのか、こんな時に悠長にしている場合で無いのを忘れていた自分達が悪いかもしれないが、慌ただしい足音が聞こえてくる。遠くを見れば明かりが複数、怒号も上がっていた。タイムリミット、ユーリは何も言わず置いていこうと背中を向け、足を踏み出す。だが、長髪を引き止められがくりと体を揺らした。
 痛ぇな、そう言おうと振り返るがぶつかってきたのは縋る幼い瞳。捨てないで、そう口に出来ない言葉の代わりに叫んでいるのが聞こえた。その瞬間ユーリは決め、すぐに手を取り走り出す。後方からの追手はすぐそこまで、グズグズしている暇は無い。わ、わっ……! 足を覚束せながらも繋いだ手を握り返し、必死で付いてくる。抵抗しない、それだけで十分な返事だった。

 挟み撃ちを考慮して正門からの脱出は却下、今夜侵入した経路は夕方から鍵が掛かるので使えなくなっているはず、ではどこから城を抜けるか。考え無しに走っても袋小路になるだけだが、これと言って当てもなく。この国の王子様、の影武者はおそらく知らないだろう。情報屋から受け取った城の見取り図を頭の中で浮かび上がらせながら走っていれば、追い付いてきた後方から火矢と魔法が飛んでくる。最早人質の事などお構いなしだ、殺せ! と物騒な叫びが聞こえてくるたびに、繋がる手が頑なになっていくのが不愉快だった。
 離れで相対した金髪碧眼の達人はこの影武者の王子様を、気安いながらも大事にしている様子が垣間見えたというのに、追手の兵士達はそれよりも侵入者の始末を……いや口止めだろうか、優先している。その違いなんて考えなくとも分かるだろう、利用しているかしていないか。何やってんだよこの国は。自分の生まれた、一度は騎士として憧れた過去までも汚された気分だ。ユーリははためく王子様の朱金を狙って上から飛んでくる矢を、勢い良く叩き落とした。

 とにかく走る。振るい落とすつもりが段々と集めている気もするが立ち止まっている余裕もない。しかし当然ながら城内ばかりでは終点が存在する訳で、見えた先で道が途切れていた。ぽっかりと綺麗さっぱり切り取られているのは、ここが庭の高台のせい。夜の世界で先が奈落のように真っ暗、地獄へと誘っているようだ。追って来る兵士達はしめたもの、と歓喜の足音を鳴らしている。獲物の辿り着く先を狙っていたのだろう、どうりで途中から矢も魔法も飛んで来なくなった訳だ。馬鹿なネズミを殺そうとギラギラした殺気が大量に、暗闇から忍び寄る悪意として感じられる。上がる怒号は殺せだの逃すな、と騎士とは思えぬチンピラ加減。これでは一体どちらが悪人なのか。自分を守るはずの騎士からの悪意を、とばっちりとはいえ受け続ける王子様の額は夜の中でも青白い。せめて自分だけは味方だと言わんばかりに、小さなペットは健気に抱き付いている。気遣ってやりたいが生憎時間が無い。ユーリはひとまず簡易に聞いた。

「お坊ちゃんは泳げる方か?」
「へ? ……ってかお坊ちゃん言うな!」
「いいからどっちだ、カナズチなら先に言っとけよ」
「外に出た事ねーんだから泳いだ事だってあるわけねーだろーが!」
「あっそ。んじゃ慌てずオレに掴まってろ。あとそこのペットも、ご主人から離れるなよ」
「みゅう! 分かりましたですの!」
「ちょ、ちょ……一体何するつ……うわあああああっ!?」

 ペットが朱金の髪束をぎゅっと握るのを見届けて、ユーリは繋いだままの手を引き寄せ高台から奈落の暗闇へと飛び降りた。兵士達からは忽然と消えたように見えるだろう、どよめきの声が上がるが隣からの悲鳴の方がうるさくて聞こえない。空中を飛ぶのは数秒にも満たず、ふたりはドボン! と大きな水飛沫を上げて落ちた。
 上から下まで結構な距離だ、昼間の明るさの下で見れば躊躇するだろう高さ。下手すればお坊ちゃんは絶対嫌だのと緊急事態でも構わず一悶着起こしそうなので、今が夜で良かったと言うかなんというか。突然夜の空中遊泳からの飛び込みに王子様はパニックを起こしジタバタと暴れている。

「あぶわ、わわわあああがふっ!?」
「みゅうううううっ! ごじゅじんざばあっ!」
「落ち着けって用水路に落ちただけだ、静かにしろよ」

 城の周囲をぐるりと巡る用水路、ユーリはここを狙って走っていた。重い鎧を着込んだ兵士では後を追って飛び込む事は出来ないと踏んで。目論見通り、上の方では明かりが戸惑い騒がしいだけ。しかしこれも僅かな時間稼ぎにしかならない、すぐに動き出してせめて城から出なくては。初めての遊泳が下水とは、王族貴族にとってキツイかもしれないが今はそんな文句を聞いている時間すら惜しい。訳も分からずバタ付かせている手と、ふわふわ髪の毛を掴んで喚いているペットを纏めて回収して落ち着かせる。

「息を大きく吸ってりゃ溺れねーよ、そんでしっかりオレに掴まっとけ。あんまり暴れるとそのまま沈むぜ」
「ううう〜、わか、分かってるっつーの……。にしても用水路って下水だろ? きったねぇ……」
「そんだけ言えるなら平気だな。いいか、このまま下水施設を通って外に出るからな」
「ご主人様、ミュウは泳げないですの。溺れちゃいますですの!」
「うるっせー耳元で喚くなこのブタザル!」
「お前ら追われてる立場だって分かってる?」

 どうにもこの主人とペットはどんな状況だろうとマイペースに呑気だ。こういう部分だけ見れば案外大物だと思えるかもしれない。呆れと苦笑で流してざばざば泳ぎ用水路を進む。城の東側に処理施設へと流れる横道があり、周囲に追手が無いか警戒しつつ水から上がった。
 ふらつく手を握って王子様を引っ張り上げれば、非常用の電灯にぼんやり輝く朱金は濡れて重そうだ。不潔な環境が続いてその表情は随分と不満そうに顰めている。それにユーリは笑った。

「外は汚いもんさ、あんたの周囲が……綺麗過ぎて異常なんだよ」
「そういうもんなのか……」

 そう言ってやれば途端に文句を閉じ、興味を湧かせた瞳がキョロキョロと周囲を見る。彼からすれば今まで視界にすら映った事の無い景色だろう、その最初が下水とは少々気の毒な気もするが今は贅沢も言ってられない。
 真っ白だった上着も今は下水で濡れ汚れているし、スピーチの時ご自慢のように高く括り上げていた髪もボサボサだ。しかし全体を見てふと、あまり汚いとは思えなかった。どこか高貴なオーラがある。ユーリはそれ程位の高い人間を見た事は無いが、なんとなく一般人とは違う雰囲気を今更ながら、こんな時だというのに感じた。言葉使いも動きも乱暴なのだが、よく分からない……傲慢な明るさ。飢えや貧困にあえいだ事が無いからかもしれない、どんな時でも自分本位なのだろう。
 ユーリは彼を褒めているのか貶しているのかよく分からなくなった。観察はとにかく後だ、ほら行くぞと手を差し出せば彼はムッとした顔になる。

「馬鹿にすんなっつーの、歩ける!」
「そーですか、元気なのは良いことだ」

 プイッと顔を背け先頭をずかずか歩き出した。背中からプンスカ怒っている表情が見て取れて、こんなに分かりやすいのに影武者なんてよく務まっていたものだと思う。そして彼はまだ髪の毛に掴まって目を回しているペットをがしりと掴み、ブンッ! と壁に投げ付けた。まだまだ余力はありそうで頼もしい。主に慕う主人のせいでズタボロになっているペットだが、そんな事は気にせず宙を浮いて懲りずに近寄っていくものだから見ていて面白かった。

「お前ら、良いコンビだな」
「ハァ? 誰の事だよ誰の! ってかさっきからお前とかあんたとか、シツレーだぞテメー!」
「テメー呼ばわりも結構なもんだと思うが……まぁ名乗ってないしな。オレはユーリだ、ユーリ・ローウェル。王子様の事は良く知ってるぜ、嫌になる程な。”聖なる焔の光・鮮血のアッシュ”様……だろ」
「アッシュじゃねーよ! ルークだルーク! アッシュだと聖なる焔の光じゃねーだろ!」
「そうなのか?」
「ルークって名前は古代語で聖なる焔の光っつーんだよ。だからルーク」
「お勉強になりました、はいはい。そんでそっちの危険なペットは?」
「ミュウはミュウですの! ご主人様はブタザルって呼ぶですの!」
「二つ名とはかっこいいじゃねーか。ブタザルはともかく」
「だってどう見たってブタザルだろ、こいつ。あとうざい」
「みゅうう〜、そんな事言わないでくださいですの〜っ」

 手の平サイズで丸っこいフォルムは誰からも好かれそうな可愛らしい形だと思うのだが、彼……ルークにとってはブタザルに見えるらしい。悪口に聞こえるのだが、付けられた当の本人が嬉しそうにしているので良いのだろう。うざいうざいと言って乱暴に扱うのに、好かれて好かれてしょうがない様子はある意味ピッタリお似合いだ。
 それにしても改めてルークの名前を聞き、ユーリは確信を深める。新聞や雑誌がこぞって褒め称える焔の光の名前は、どこを見てもアッシュ・フォン・ファブレ。ルークなんて名前は聞いた事が無い。だがそう言えば歴史学者が古代語でなんたらかんたら、言っていたような記憶がある。しかし騒ぎ出した途端牢屋にぶち込まれ二度と帰って来なかったので、誰も彼も口に出す事を止めてしまった。
 ルークはアッシュの影武者。今までの様子を見る限り、戦場に出ているのがアッシュで国民の前に出るのがルークなのだろう。だがもっと奥に黒幕が存在しそうな気配。信頼深そうな師匠……。トップを消せば何とかなると思っていた数時間前の浅はかな自分に、ユーリは溜め息を吐いた。そんな憂鬱を知ってか知らずか、いや知っても多分何とも思わないと予想出来る、王子様はペットとぎゃあぎゃあ遊んでいた。

「ご主人様、外ですの! お城の外なんて初めてですの!」
「えっマジで! やっとかよ!」
「おいおい、まだ城の外に出ただけだ。喜ぶのは気が早いぜ」
「うおー城壁だ! いっつも見てるやつじゃんスゲー!」
「って聞いてねーなこりゃ」

 あれだけしんどい疲れたと文句を言い続けていた口からは一転、今度は初めての外に喜びを讃えている。今でなければ微笑ましいし幾らでも噛み締めてもらって良いのだが、城壁から一歩出た程度ではまだ安心出来ないのが実状だ。子供のようにはしゃぐ背中を押し、ユーリは少しでも城から離れようと歩き出す。

「うわっ、なんだよ急かすなっつーの! 押すなって!」
「夜が明ける前にこの国を出なきゃなんねーんだ、グズグズしてる暇が無いんだって」
「国を出る……国を!? マジでか!」
「そりゃそうだ、なんたってオレは城に侵入して王子様を誘拐した大罪人だからな。いくらなんでもお膝元で悠々と潜伏する訳にいかないだろ」
「国を出る……。外にだって出たの初めてなのに、国を……」
「やっぱやめるか? ルークだけなら戻れるぜ」

 人質にされた影武者というだけなのだから、戻っても責められる事はあるまい。ユーリは思いっきり顔を見られてしまったし、元々暗殺が成功すれば国を出ようと思っていた所だ。国外逃亡の準備はしているので、このまますぐに国を出るつもりだった。
 思わず連れ出してしまったが、良く考えなくともルークは連れて行かない方が彼の為だろう。城の外ですら出た事が無いのに、国の外なんていきなりランクアップし過ぎだ。今回の件で国のやり方に疑問を持ってしまったとしても、世間知らずひとりきりでは何も変えられない。あの金髪碧眼の彼は、ルークに心を砕いている様子だったのがせめてもの救いだ。
 最後のチャンスだぜ、そう言って選択を迫る。部屋が汚れるだの下水で大騒ぎするようでは、外なんてとてもじゃないが無理だ。戻った方がいいぜ、そのつもりで問えば……顔を上げた瞳には星の光が輝いていた。

「俺がルークだ、アッシュの代わりなんかじゃねー! あいつらにそれを分からせてやる、ぜってー戻らないからな!」
「ご主人様が行くなら僕も付いていくですの!」
「おめーは付いてくんなようぜーんだよ!」
「みゅうう〜っ」
「締まらねーな、お前ら」

 せっかくかっこいい場面だったのに台無しだ。あの表情ならば確かに、広場で熱弁を繰り広げた聖なる焔の光だと納得出来る。理由なく人に説得力を感じさせるのは、きっと生まれ持ったもの。だが全体的に幼い、足りなく思わせるのはそうやって手を貸したくさせる作戦なのだろうか。
 よく分からないな、ユーリは結局そう結論付けた。急いでいると言った口から緊張を解した笑いをひとつ。それからミュウと遊んでいるルークに背中を向けて歩き出した。すると慌てて追ってくるひとりと一匹が面白い。

 今夜は思わぬ展開になった。殺すつもりの相手と手に手を取って逃走劇、おまけに一蓮托生と国外逃亡だ。消すはずだったのにこんな荷物になるとは。しかしユーリはあの時、傷付けられたミュウの為に敵へ背中を向けるルークの姿を見てしまった。血も涙も無い国政者だとばかり思っていたが、違うとなれば話は別だ。それに主犯じゃない、肝心なのはもっと奥底に居る事も分かった。
 今は残念ながら国を出るしかないが、必ず戻ってこの国の癌を切って捨てる。それはルークの言う師匠、とやらかもしれないし本物の聖なる焔の光かもしれないが……今は黙っておこう。国に騙されているのはルークだけでなく自分もだという事に今更ながら気付く。故郷という情は異質さを覆い隠すのに丁度良いのだろう。
 無知の罪。人の事は言えねーな、そう呟いてユーリはそっと後ろを見る。電灯の下では不満そうに半分しか開いていなかった瞳は、今ではまるで闇すらも取り込まんと楽しそうにぱっちり開いていた。そのまんま子供のようにはしゃいでいる姿。重要人物の影武者である自分が誘拐され外に出るという事実の重大さに本人が気付いていないというのは滑稽というかなんというか。だがそう育てた存在が居る。城の離れに閉じ込め、移動と知識を制限し偏った思考にさせている。それがユーリは気に入らない、そう正直に思った。

「ま、なるようになるだろ」

 呟いた言葉は自分が思うよりも軽く、深刻な思考を放棄させる。予想外でも起こった事は過ぎた事、まだチャンスが無くなった訳でもない。思いの外満足気な声色を聞いていたのは、今の所真上の満月だけだった。






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